序章
そこは小さな小学校。
全校児童を合わせても、三十人もいない学校の六年生の教室。放課後の掃除の時間なのだけど、三人きりの六年生で真面目にやっているのは一人だけ。男の子二人は、ほうきを持ってチャンバラごっこ。古い? 実は、何やらTVヒーローの真似らしい。
「いい加減にしてよ、あんたたち。毎日毎日、私にばっかり掃除させて」
「別に掃除なんてしなくても、汚れてなんかいないって。なんせ三人しかいない教室だぜ。児童会長だって、そう思ってんだろ?」
短く刈った髪の毛が、ツンツン立ってる男の子が、手のひらにほうきを立ててバランスをとりながら言った。
たった一人の女の子、児童会長と呼ばれた彼女は、そのほうきを取り上げて、男の子の前に突き出す。
「その呼び方やめてよね。私にはちゃんとノビタキ ヒバリって名前があるの。ちゃんと名前で呼んでよね」
すると、その横から素早くもう一人の男の子が、ヒバリの腕を取って横に立つ。ちょうど恋人同士が腕を組んでいるようだ。
「それを言うならヒバリだって僕らの事、あんたたちって呼ぶのやめろよな。僕にはメジロ セッカっていうちゃんとした名前があるんだよ」
「俺もアマサギ ジュウイチって名前だぜ、児童会長」
ヒバリは、セッカに腕を組まれた羞ずかしさと、二人にからかわれた恥ずかしさで顔を真っ赤にしてうつむくと、わなわなと肩をふるわせた。
「ヒバリ?」
セッカがその顔をのぞこうとした時、彼女はセッカを突き飛ばし、逃げるように教室を出て行った。
「なんだい、あいつ?」
「ヒバリ、泣いてた」
「あ?」
セッカは、突き飛ばされた時に見てしまったのだ。窓から射し込む光を反射したヒバリの涙を。
「言い過ぎたみたいだ。ジュウイチ、謝りに行こう」
「なんで?」
「なんでって…」
「別にいつもの事だろ? 明日になったらいつものあいつに戻ってるって」
「そうかな」
セッカには、ヒバリの泣き声がはっきり聞こえるような気がしている。いや、実際、今もセッカの耳には、泣き声が聞こえていた。かすかに何かを訴えているような言葉が、確かに聞こえていた。
「しょうがねぇなぁ…セッカ、はやいとこ掃除済ませて帰ろうぜ」
「あ・うん」
次の日、彼女は来なかった。
放課後、掃除の終わった教室で、二人は黙ってヒバリの机を見つめていた。
「あいつ、今日来なかったな」
セッカは、何も答えなかった。彼の耳には、昨日からヒバリの泣き声がずっと聞こえていた。今も、彼女の泣き声が聞こえている。
「俺が悪いのか?」
ジュウイチは、独り言のように続ける。
「あいつが嫌がってんの知ってて、わざと児童会長って呼んでたのが悪かったのか?」
セッカはやはり、答えない。
「何とか言えよ! お前、俺が悪いって思ってんだろ!? あいつが今日、学校休んだの、俺のせいだって思ってんだろ? なぁ…何とか言えよ!」
実のところ、セッカにはジュウイチの言っている言葉が届いていなかった。昨日から聞こえている泣き声の、訴えているような声が、なんて言っているのか聴き取ろうと必死だったのだ。
でも、そんなことはジュウイチには判らない。なにせ、彼にはそのことを話していないのだ。
「俺、あいつん家行って、謝ってくる」
ジュウイチはそう言うと、腹いせにセッカを突き飛ばして、教室を出て行った。
「あ。ジュウイチ」
我に返ったセッカが、ジュウイチを追いかけようとした時だ。不意にあの声が大きく、はっきり聞こえてきた。
「…助けて…助けて」
確かにそう聞こえる。
「…助けて、セッカ」
今度はよりはっきり、それも彼の名を呼んだ。
「ヒバリ? …違うのか?」
その泣き声は、ヒバリによく似ていた。けど、はっきり聞こえるようになった声には、どこかヒバリとは違った響きがある。
「セッカ。私を…助けて。ブルーを、ブルーを守って…セッカ」
「ヒバリ…」
そう言いかけたセッカの頭の中に、別の名前が浮かんできた。知らない名前だ。彼は無意識にその名をつぶやいた。
「ミサ…ゴ?」
と、突然、教室に雷鳴がとどろき、稲妻と共にセッカは消えた。
それから五分くらい過ぎた頃、真っ青な顔をしたジュウイチが、息を切らして戻ってきた。
「セッカ、大変だ! あいつ、ヒバリ行方不明なんだって。今、先生たちが職員室で…!? セッカ? ……どうなってんだよ?」