成れの果て
「そんな馬鹿な……」
あり得ない。目の前の老人のセリフを但馬は否定した。ここが地球上だとしたら、あの空に浮かぶ二つの月は何なんだ? 太陽系の他の惑星はどこへ行った。いや、そもそも人類はどうなったというのか。
確かに、ここがかつての不毛の大地であったのなら、遺跡や何か、人類の痕跡が見つからなかったことの辻褄はあう。だが、どうして南極にあった大陸がいきなり赤道直下に移動してるのか。
その答えはあっさりと老人の口から出てきた。
「俺が調べた限り、どうやらこの世界は一度滅びたらしい。理由はよく分からないが、ある日、地軸が傾くような何かが起きて、人類はその時に大半が失われた。地軸が傾いた地球はその後何十年……もしかしたら何百年もかけてようやく安定し、現在の形になったようだ」
あの月が何か関係有るのかも知れない。だが、はっきりとしたことは分からなかったようである。
ここが地球である可能性を示唆された彼は、初めは但馬と同じように、それが本当なのかどうか疑った。そして、もしそれが本当なら、恐らく北へ向かえば他の大陸……南米大陸があるはずだと考えた。
伝説によれば、大昔、聖女リリィがやってきたのも北の大陸だったはずだ。行けば何か分かるかも知れないと思い、彼は北を目指すことにした。ところが……
「北を目指すため、この地で準備を行っている時、この施設の中からフラリと新たな亜人の子供が現れた。どこからか紛れ込んだわけではなく、明らかにこの中から唐突に出現した。胎児の入ったカプセルがあることから怪しいとは思っていたが、どうやらこの施設は亜人の製造施設だったらしい。
普通なら混乱しそうなものだが、ここが人類滅亡後の世界だと思うとそういうこともあるかも知れないと、不思議と落ち着いて受け入れることが出来た。そしていつかどこかで聞いた言葉を思い出した。亜人はキメラ、人間はモルモット、エルフは古代種……俺の予想が正しければ、エルフとはかつての人類の成れの果てなんじゃなかろうか……
俺はこの地に連れてきた亜人を残し、人間を近づけさせないようにして北へと旅だった。施設から出てきた子供をヴィクトリアと名付け、旅に同行させ、やがてその子を伴侶とした。
それから数十年……様々なことがあった。
本当は数年で旅を終えて、このヴィクトリアランドの地へ帰還するつもりだった。だが、見ての通り、俺はもう爺さんだ。そう長くは無いだろう」
そう言うと老人は、その年輪の刻まれた顔を綻ばせ、実に楽しげに、実に自虐的に笑った。
結局、彼は最後までこの地に戻ってくることは無かったのだ。
「さて、結論から言えば残念ながら、旧人類の文明は崩壊し、跡形もなく消え去っていた。セレスティア……つまり南米大陸に渡っても、昔の建造物は何一つ残されちゃいなかった。
尤も、なんとかしようと足掻いた者も居たらしい。
そいつらが頑張って、この地球上に目には見えない謎の物質を散布し、大気中に満たした。いわゆる魔素と呼ばれるやつだ。人類はこれを使って、激動する環境になんとか適応しようとしたんだな。
しかし、結果的には無駄だったようだ。人類が環境に適応したところで、他の種、家畜や植物が適応できず、生態系が維持できなかったからだ。気候の変動は激しいし、普通の植物はまず育たない。食糧事情は乏しく、この間に多くの命が失われて、それが文明崩壊の決定打となったようだ。
その後、残された人たちは、この環境にも適応出来る植物を開発し、新たに得た広大な土地、南極大陸でプランテーションを行った。その頃にはもう、大気の状態もめちゃくちゃで、まともな生物は海以外には殆ど居なくなっていたようだ。
だから人間は自分の体を変化させることにした。人工進化とでも呼べば良いだろうか。食料が無いなら食べなくても済むようにし、眠ることが危険ならば眠らないようにした。子供を産んでもどうせ育たないなら、生殖機能を外し、代わりに長く生きられるように体を強化した。
だが、そうまでしても数百年も経つと、脳みそが耐えられなくなって、結局は死んでしまった。おまけに3大欲求を排除した人類からは気力が失われて、他者を避ける傾向から言葉も失われていった。しかし、死の恐怖はあるらしく、外敵が近づけば攻撃し、エネルギーを無駄にしないよう、出来る限り動かないようになった。まるで植物のように。
言わなくてももう分かるだろうが、これがエルフだ。
こいつらは長く生きるせいか生存本能が凄まじく、外敵が近づけば何が何でも排除しようと攻撃する。その苛烈さは知っての通りだ。そして生きる欲求は種の保存という本能へと直結した。しかし、生殖機能は失われた後だ。
これをどうにかしようとした者がいた。エルフは叡智を結集することは出来なくなったが、代わりに膨大な時間を得たことで、中にはとんでもない天才が現れたようだ。
どうやらそいつは、人類がいつか役に立つようにと残したDNAバンクを使って、かつての人類を蘇らせた。それが今の人間だ。
その人間をモルモットにして、DNAを操作し、新たに環境に耐えうる人類を作り出した。それが亜人だ。
なんでそんな種族をわざわざ創りだしたのか……そいつは亜人を母体にして、自分の遺伝子を残そうとしたんだ。つまり、亜人は繁殖用にエルフに作られた。エルフの生存戦略のためだけに生み出された種族だったわけだ。
だから亜人は亜人同士で繁殖が出来ない。ところが人間を元にしているから、人間の子は産むことが出来る……」
彼はそれをセレスティアに渡って見つけた世界樹の中で知った。どうやらそれはこの施設とは違って、かつて聖女リリィが用意した前線基地か何かのようだった。
当時、起きていた出来事や、人類に起こった悲劇の推察などが、彼女の視点で事細かに書かれている記録が残っていたらしい。
「長くなったが……とにかくまあ、セレスティアの世界樹を調べる内に、これはかつての聖女がエルフの施設を模倣して作ったものだと分かった。
未だにこの聖女が何者なのかはっきりしないのだが、彼女はどうやらエルフを駆逐するというよりは、この施設を壊すことを優先していたらしい。そのため、ここにはその亜人製造施設を止める方法が、詳しく書かれている。それはあとで説明するが……
問題は、施設を止めようとしてもアクセスレベルが足りなくて、肝心の操作が出来ないことなんだが……このメッセージを見ている者なら、最低限それはクリアしているだろう。
俺はこの通り、システムを起動することは出来たんだが、施設を止めることは出来なかった。
だから君が何者かは分からないが、可能ならばこの施設を止めてくれ。
また、未発見のこれと同じ施設が、ガッリア大陸にはまだまだあるようだ。もし、君がこれを発見したなら、それもまた止めて欲しい。
亜人という種族がこれ以上増えないように……そして利用されないように……」
そう言うと、老人はコンピュータの制御法について詳しく説明し始めた。言われたとおりに表示されていたアイコン類を操作していくと、彼の言うとおりの画面が次々と表示されたことから、信じても問題ないようだ。
実際に止められるかどうかは試してみるしかないが……多分、管理者権限なら出来ないことはないだろう。
一通りの説明を聞き終え、分からなければまた動画を見てくれと言うと、彼は溜め込んでいたものを全て吐き出したかのような、満足した清々しい顔をして言った。
「最後に、個人的なことだが、もしも俺の娘に会うことがあったら伝えて欲しい。お父さんは実はメイド萌えではなく……」
個人あてのメッセージを託されるのかと身構えたが、相手はリーゼロッテのようだった。突然、何を言い出すのかこのジジイは……と思えば、彼は言いかけたまま、たっぷり1分くらい固まって、小首を傾げたり、腕を組んだり、人差し指でほっぺたをポリポリとやって、散々逡巡した後に、
「いや、ただ愛しているとだけ伝えてくれ。そしてヒルダ、すまなかったと……」
そう言うと、動画は前触れもなくパッと途切れた。
……たったこれだけ言うのにどんだけ時間をかけてるんだと思い、呆れながらリーゼロッテの顔を見たら、何だか知らないがボロボロと涙を零して見れたものじゃなくなっていた。
なんなんだこの父娘は……と思いつつも、
「……このヒルダってのは?」
訪ねてみると、ボロボロのリーゼロッテの代わりにブリジットが答えてくれた。
「確か、師匠のお母様の名前です。ブリュンヒルデ様でしたか……」
ブリュンヒルデ……? ヴィクトリアじゃないのか?
勇者と呼ばれる男の女性遍歴に興味はあったが、そんなことを聞く空気でもなく……何だか胃袋がひっくり返ったかのような重苦しい気持ちを抱えたまま、改めてモニターに目を向けた。
先ほど、説明を受けながら操作して大体のことは分かっていた。左のコメカミを叩いて出るキャプションを見ても、キメラ関連の項目がずらりと並んでいることから、この操作で間違いなく施設は止められるだろう。
ただ、本当にこれを止めても良いのだろうか?
「リリィ様」
但馬が操作しては居るが、そもそも、この画面に到達するためにはリリィの協力が必要だった。自分一人で決めるわけにはいかないのではと思い、但馬は彼女に尋ねてみることにした。
「勇者の……あの老人が言っていた通り、この施設を止めることは出来るみたいなんだけど。本当に止めちゃって良いのかな?」
「ふむ……そうじゃの」
彼女はしばし黙考してから、
「余は勇者に借りがあるから、無条件に聞いてやりたくもある……しかし、それを差し引いても、勇者の言うとおり、止めたほうが良かろう。少なくとも、この施設があるかぎり、リディアとメディアの争いは収まらぬ……」
「それもそうか」
考えることは山ほどあるが、施設は他にもあるそうだし、ここは止めておいた方が良いだろう。問題は止めた後、何が起きるか分からないが……
おっかなびっくり但馬が操作をすると、言われたとおりに施設は稼働を終えたようだった。
先程まではシンとしていた室内に、急に機械音が響いてきたかと思えば、今度はボコボコと音を立ててカプセル内の水がどこかへ排出されていった。
浮かんでいたはずの胎児はすでに跡形もなく、カプセル内に水滴の一つも残っていない。そこには、まるで何百年間何事も無く、何もないカプセルが静置されていたと言わんばかりに、空っぽの容器が整然と並んでいるだけだった。
自分でやったことなのだが、あの胎児はどこへ行ったのか……なんだか殺人事件のあった廃墟とか、そんな感じの寂寥感が伝わってきて身震いする。
今は一刻も早くこの場から立ち去りたいと、ボロボロと泣いているリーゼロッテを引っ張って施設から出た。途中にある部屋も調べたかったが、目的は達したのだし、長居は無用だろう。
元々はリディアとメディアの休戦協定のために来たのだが……多分、何か起こるだろうとは思っていたが、想像もしてない出来事の連続に、正直もうクタクタだった。
収穫はゴマンとあった。それによると、自分の予想は外れていたらしい。この世界は、一体どうなってるんだ? 人類滅亡後の世界……それは予想の範疇だとしても、だが、そうしたらあの天体は何なんだ? 惑星はどこへ行った?
まだまだ分からないことだらけだが、今は考えるのも億劫だ。
施設から出ると、遠くの森の木々が青く輝いて見えた。世界樹の影に隠れているから、辺りは暗かったが、空には二つの月が輝いていることだろう。
但馬は入り口の扉を改めて眺めてみた。制御パネルらしき場所には、爆発で焼け焦げたような跡が見える。勇者はこの施設を壊そうとしたが、手も足も出なかったそうだ。では、これをやったのは一体誰なのか? もしかしたら壊す方法もあるんじゃないかと、ふと思った。
「勇者よ……気づいておるか?」
と、そんな時にリリィが話しかけてきた。
但馬は黙って頷いた。先程から、どうも包囲されているようである。かなり遠巻きにこちらの様子を窺っているが、人数は相当の物だ。恐らく、但馬たちが施設内に入ったのを見計らって配置についたのだろうが……出てきても範囲を狭めないのは、警戒しているからだろうか。
ブリジットとリーゼロッテにそれとなく伝えると、彼女らは小さな声で、
「……突破しますか? 村に帰れば追ってはこれませんよ」
彼女らの実力からしたら、一点突破は十分に可能だろう。だが、相手が何者かが気になるし、それにリリィと但馬と言う足手まといもいる。
「俺にちょっと考えがある」
但馬はそう言うと、私物の中からあるものを取り出した。
但馬達は施設の入り口にそれを仕掛けると、世界樹から距離を取った。巨木を遠巻きに眺める位置にまで離れても、周囲を取り囲む気配は動こうとしない。よっぽど警戒しているのだろう。それが何であるかは、想像がついた。
「そっちは危ない! もっと離れろ!! 入り口を壊すだけと言っても、かなり強力な魔法を使うから!!」
少し離れた位置に立つブリジットに対し、但馬は大声で叫んだ。これから入り口を破壊すると、周りの連中にも聞こえるようにである。
ブリジットが距離を置くと、但馬は巨木に向かって指を指し、
「高天原、豊葦原、底根國……」
詠唱を開始すると、ボーッと緑色のオーラを発した。その光は周囲に立つ人物を巻き込んで、じわじわと草原に広がっていく……
と、突然、激しい轟音と共に、根本にある施設に閃光が走った。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
っと、地を揺らす爆発が何度も起こり、辺りを土煙で真っ暗に染めていく……
やがて爆発が終わると、但馬達は土煙が晴れるのを待ち……
そして、施設の入り口へと戻ってきた。
「……やっぱ駄目か。傷一つついてない」
「ものすごい衝撃でしたが……これでも駄目となると、他に方法が思いつきませんね」
「核熱とか超高圧電流とかかな……でも、これ溶かしてる感じじゃないんだよな」
などと、入り口の破壊に失敗し、反省会をしている時だった。
周囲に影が走ったかと思うと、続々と人影が現れて、但馬たちを取り囲むように包囲した。
ブリジットとリーゼロッテが腰の獲物を抜いて構え、次いで、やれやれと言った感じに苦笑を漏らし、リリィも剣を抜いた。
「クラウ・ソラス!」
ブリジットがそう叫ぶと、彼女の剣の刀身が光り輝き周囲を照らした。周囲を取り囲むのは、生気を無くした亜人たちの集団で、誰も彼もが無表情にクロスボウをこちらに向けている。そして、その中には見知った顔があった。
但馬は不機嫌な素振りを隠さずに、そいつに向かって吐き捨てるように言った。
「……ミルトンか。これは一体、何のつもりだ?」
すると、亜人の集団の中から、ゆっくりとミルトンが進み出た。いつもの人懐こい笑みを浮かべ、手には但馬があげた懐中電灯を握っている。
「残念だが、但馬波瑠。今日はお別れを言いに来た」
「なんだって?」
「おまえとは出来れば仲良くしたかったんだが……施設を壊そうってことは、こちらに着く気はないんだろ」
はぁ~っと、但馬は盛大に溜息を吐いた。
「……やっぱ、おまえ、亜人を売りさばく奴隷商人だったんだな」
ミルトンはニヤリと笑うと、それまでとは打って変わって、残忍な表情を浮かべ、
「疑われてるだろうとは思っていたが、気づくのが遅すぎたな、但馬波瑠。ここは亜人のテリトリーだ。こんなとこまでノコノコとやってきて、タダで帰れると思ってたのか」
「思ってたさ。おめでたいだろう?」
但馬が余裕を見せると、ミルトンはピクリと眉を動かした。先程まで、包囲しておきながら近づいてこないという慎重ぶりから、恐らく彼は知っている。
「強がりを言うなよ。おまえ……今日はもう、魔法を打つことも出来ないんだろう?」
但馬は強力な魔法使いだ。だが、それは単発式だ。一回打ったら暫くはただの役立たずになる。
そのため、以前、彼ら亜人に囲まれた時は肝を冷やしたわけだが……思えば、あの時も今も、彼らは但馬が魔法を打つのを待ってから近づいてきたというわけだ。
「やっぱり、知ってたのか」
「そういうことだ。だからおまえが魔法を打つのをずっと隠れて見張っていたのさ」
「何のために俺たちを襲う?」
「……これから死ぬ相手にいう必要もないだろう。強いて挙げるなら、商売のためさ」
そう言うとミルトンは手をかざしてから振り下ろした。すると一斉に周囲の亜人が構えた矢を放ってくる……
「屠龍……」
その攻撃にまったく反応できなかった但馬の前に、リーゼロッテが飛び出すと、たったひと薙ぎで全ての矢を叩き落とした。
「流麗にして素朴、無骨にして華美。竜の血に呪われし我が不死身の剣、強欲に喰らい尽くせバルムンク!」
仕込杖と思しき細身の剣に、漆黒の闇がまとわりつき巨大な剣と化していた。握る柄は華美に輝き、チェレンコフ光のような青白い光が、いくつも宝石のようにまとわりついていた。
但馬とリリィの前に進み出たブリジットとリーゼロッテの二人は、緑色のオーラを纏って臨戦態勢に入っていた。
周囲はかなりの数の亜人に囲まれていたが、彼女たちを前にしては、遺跡を背にした但馬たちに触れることさえ出来ないだろう。
「こっちの戦力を見くびるなよ、ミルトン」
何しろ、92Gと勇者の娘だぞ……92Gは関係ないか。
しかし、ミルトンは余裕の表情を崩さずに、
「そっちこそ、いつまで余裕でいられるかな」
その言葉を引き金に、周囲の亜人たちが一斉に飛びかかってきた。
ボウガンによる最初の一撃を外された彼らは、今度は短剣を片手に襲いかかってきた。亜人は連携が苦手だと聞いていたが訓練された動きの彼らは、上手く連携して、徐々に彼女らを押してくる。
だが、彼女らは彼女らで百戦錬磨の兵か……
「クラウ・ソラス!」「バルムンク!」
ここぞという場面で、互いに打ち合わせていたかのように特大の一撃をお見舞いすると、あとはこちらが一方的に押し返す展開になった。
カキンカキンとあちこちで金属がぶつかり合う音がして、時折、ブリジットの放った光の剣戟が鳥のように飛んで行く。
もはやこちらの優勢は覆しようもないだろうと思われた。
しかし、そんな時……
「……キャッ!」
周囲の森から光が飛んできて、ブリジットに直撃した。
彼女は光る刀身でそれを受け止めようとしたが、力負けして吹き飛ばされるように遺跡の壁に強かに背中を打ち付けた。
「ガハッ……ゴホッ」
咽る彼女に気を取られ、背後を振り返ったリーゼロッテに、死角から亜人が飛びかかる……
しかし、彼女はそれをものともせずに切り伏せると、
「大丈夫ですか!?」
「けほっ……大丈夫です……でも、あれは?」
飛んできた光の方角に目をやると、そこは暗い森の中だと言うのに、薄っすらと緑色に光って見えた。
やがてその光が草原に差し掛かると、青い月明かりに照らされて、ぼんやりとしたシルエットが浮かび上がってきた。
背は極端に小さく、まるで子供のようだった。青白い肌に、妙に細い手足、爛々と輝く瞳は夜だと言うのに光って見える。姿形は禍々しく、まるで地獄の餓鬼のようだ。
見るのはこれで二回目だった。エルフである。
「あっはっはっ!!」
それが姿を現すと、ミルトンは実に嬉しそうな笑い声を上げながら、逃げるように後退した。同じように他の亜人たちも続く。
「$$%#!! ~ー・:!!」
エルフが言葉になってない、何か記号のような音を発している。
それは恐らく、この世の中で彼にしか意味のない音なのだろう。
発声が終わると、エルフから再度、鋭い閃光が飛んできた。
リーゼロッテがそれを弾くように後ろに逸らしたが、衝撃の強さのせいで片方の腕がやられたのか、だらりと垂れ下がった。
「くっ!!」
その痛みに悲鳴を上げると、彼女はエルフを睨みつける。
リリィがすかさずヒールをかけるが、そうはさせじと亜人たちが飛びかかってきて、手負いのブリジットが必死になって守っていた。
「形勢逆転だな、但馬波瑠。奥の手は最後まで隠しておくから奥の手って言うんだ」
ミルトンの勝ち誇った声が夜の森に響いた。
「同感だよ」
但馬は独りごちると、ゆっくりと自分の人差し指をエルフに向かって突き刺した。
別に指差し確認をしているわけじゃない。単に、魔法を行使するには必要な儀式だからだ。
「高天原、豊葦原、底根國……」
但馬がそうつぶやくと、彼の周りに緑色のオーラがたちこめた。それは徐々に大きくなって、世界樹を覆い尽くし、周囲の森にまで広がっていった。
草原がまるで光の絨毯のように輝いている。
「ば、馬鹿な……!?」
ミルトンが驚愕の表情で見つめている。
馬鹿はおまえだ。
リリィを襲っていた亜人たちが、驚いて一斉に但馬を攻撃してきた。
だが、こうなった但馬を止められるものはもうこの世に居ない。
全ての攻撃は彼の緑色のオーラに弾かれて、彼に傷一つ負わすことは出来なかった。
エルフは但馬が詠唱を始めると、危険を察知したのか、背中を見せて一目散に逃げ出した。どうも生きる欲求が強いというのは本当のことらしい。だが、もう手遅れだ。
あれが人類の成れの果てか……
そう思うと悲しくなってくるが……但馬は最後まで詠唱を終え、魔法を完成させた。
「薙ぎ払え、迦具土!!」
その瞬間、辺りは真っ白な光に包まれた。あまりの高温で、もはやただの光と化した炎の塊だ。
それはあたり一面を焼き払い、施設にまとわりついていた世界樹をもすっぽりと燃やし尽くした。
夜空は一瞬、真昼のように明るく輝き、爆音によって怯えた鳥の群れが、夜の森から一斉に飛び立って行った。