そして勇者は北の地で凶刃に倒れた
遺跡内部は外とは違い、若干ヒンヤリするような空気が漂っていた。外部と比べて明らかに気温が低く、かといって低すぎず、その清涼な風をなんとなく懐かしく思うのは、もしかすると空調が効いてるからではなかろうか。館内の空気が循環し、温度を一定に保っているような気配があった。
いつからこの遺跡があるのかは分からないが、あれだけの大木が育つ年月を考えれば相当なものであろう。人の出入りがあるからだろうか、古い建物独特のカビ臭さは一切なく、それどころか昨日今日出来たばかりの建物みたいに、壁も床もピカピカで、まるで扉を潜ったらそこは異世界だったとでも言わんばかりに、外と内とでガラリと雰囲気が違った。
そのきめ細かい布で綺麗に磨かれたような床にも壁にも天井にも、接ぎ目のようなものは一切なく、どうやって建てられたのかは、但馬にも皆目見当が付かなかった。ヒンヤリとする硬質の壁を叩いてみるが、反響は一切起こらず、よっぽど重厚な作りであることが窺えた。見た感じ、材質は鋼鉄のように思えたが、どうやら何かもっと違う物のようだ。
こんなものを接ぎ目もなく切りだすなんてことは考えられない。この世界のみならず、但馬の世界と比べても、明らかにこの建物に使われている技術はオーバーテクノロジーである。
広い回廊の左右には、ところどころ扉のようなパターンと、入り口にもあったパネルらしきものがあることから、この周りは小部屋が続いてるのだろうか。開けて確かめたいと思ったが、先を進むリーゼロッテが、振り返りもせずに話し始めたので、黙ってあとに続いた。
彼女が言うには、メディアには王宮はなく、代わりにこの場所が王宮の代わりというか、神殿として機能していたそうだ。
「父は、この遺跡を使って、遠隔地から指示を送っていたようなのです。しかし、彼が死んでしまうと、メディアの亜人は誰からも命令をくだされることはなくなってしまいました。困った彼らは、それで私に接触を図ってきたのでございます。私に父の代わりになれと……しかし、何故父がこんな自作自演じみた戦争を続けていたのか、亜人を救済するというようなことを言っておきながら、亜人を利用していたのか、私は到底彼らの言葉を信じられず……」
当然、拒否しようと思ったリーゼロッテであったが……
「しかし、話を聞いて、この遺跡を見て、考えが変わりました。父は当初、人間と亜人が協力して暮らしていける国を作ろうとしていました。それが現在のリディアなのはご存知のとおりでしょう。しかし、彼はリディア周囲を開拓していくうち、この地でこの遺跡を発見すると、考えを改めざるを得なくなったようなのです」
彼女は杖でカツカツと地面を叩き、この接ぎ目一つもない床を指さし、
「ところで、これはリリィ様も賛同してくださるでしょうが、まずこの遺跡はエトルリアの世界樹と同等の物のようなのです。作りも、形も……」
「ふーむ……余は目が見えぬからの。なんとも言えぬが……雰囲気は確かに良く似ておる感じじゃの」
リーゼロッテはリリィの言葉に少々落胆しつつも、歩きながら続けた。回廊の先は行き止まりになっており、よく見るとそこは観音開きの扉があるようだった。扉は閉ざされていて、その中の様子は窺えない。
「皇国の世界樹の実態は、聖遺物を生産する施設のようなものでした。ですから私もこれを見るなり、同じようなものだと考えたのですが……」
彼女は扉の前で立ち止まると、吐き捨てるように言った。
「実際には、ここで作られているものは、物ではなく人だったのです」
そして、おもむろに観音開きの扉を開くとその中は……まるでSF映画に出てくるようなカプセルが、左右に連なるように置かれているのだった。
小さな機械音が辺りに響いている。
その殆どは中身が空っぽであったが、いくつかのカプセルは稼働しているのか、ライトで薄く照らされており、その中に詰まった液体が、たまにゴポッと音を立てて、水泡を上げていた。よく見るとそのカプセルの中央には、管に繋がれた動物の胎児のようなものが浮かんでいる。
「何故、リディアの海岸に亜人の子供がよく出没したのか……その理由がこれなのでございます。この施設は未だに稼働を続けており、無為に亜人の子供を生み落としては、いつまでも止まろうといたしません。つまり、亜人は森の中で暮らしているわけではなく、森にあるこの施設で生み出されては、ふらふらと彷徨い出して来ただけだったのです。
父はこの施設の存在を知るや、亜人と人間の共存という夢を捨てました。このような施設があることが、悪しき人間に知れたら、どう利用されるか分かったものではないと考えたのです。
実際に育ててみれば分かるでしょうが、亜人の子供というものは従順で大人しく人懐こく、そして学習能力が高い。あっという間に様々な技術を吸収し、命令すればどんな仕事もたやすく行います。おまけに人間と比べてずっと頑丈ですし、戦においては亜人一人が人間十人に匹敵する……
こんな都合のいい労働力がタダでいくらでも手に入るのです。これが知れたら何が起きるか、想像に難くないでしょう……父はそれを憂え、リディアと袂を分かつと、ガッリアの森をこれ以上開拓しないように、亜人たちに反乱を起こさせ、人の進出を防いだのです」
一見筋が通って見えるが、但馬は少し腑に落ちない気がして尋ねた。
「そんなに亜人が利用されるのが嫌なら、なんでその時、これを壊そうとしなかったんだ? 亜人という種族自体がなくなるのを懸念したってわけ?」
「いえ違います。父も壊そうとしたようなのですが、壊れなかったのでございます……但馬様も、ここへ来る途中、壁などを叩いていたでしょう?」
言われてみれば確かに……一体、何の材質で出来てるか分からないが、この重厚な作りは核シェルター並と言って過言でないだろう。実際に試してみるよりないが、多分、但馬の魔法を持ってしても傷をつけるのは不可能なのではなかろうか。
「父の強烈な魔法を持ってしても、この施設は傷一つ付かなかったのでございます。こうなっては致し方なく、力づくでもこの遺跡の発見を遅らせるのが手っ取り早いと、父は考えたようです。先も述べた通り、亜人は人間よりもずっと身体的に優れ、多勢に無勢であっても戦線は維持できますし、その間に父自身が諸国を巡り、この不始末をどうにかつけようと足掻いていたようで……そしてその結果、世界各地にある世界樹と、この施設は同じようなもので、互いに交信が行えることに気づいたようです」
その通信設備がこの眼の前のパネルのようである。
「父はこの設備を使えるようになってからはこちらへは戻らず、遠方から指示を送っておりました。国もなく、所有者が居らず、誰にも邪魔されずに済む北方の世界樹を発見すると、そこに拠点を構え国を作って、ティレニア、エトルリアの世界樹をも巡って何かを調べていたようですが……しかし最後は知っての通り、内戦により暗殺されました。それが11年ほど前の出来事で、その翌年、私はこのメディアの王位を継承したのです。
私が王位を継承してまず頭を抱えたのは、戦争の問題でした。リディアは年々大きくなっており、いくら亜人の軍隊といえど、彼らの進軍を防ぐには不十分になってきておりました。父も亡くなり、この施設の稼働を止めるすべもありません。私にはどうしようもなく、いつまでもこんなことを続けては居られませんので、どうにかこの問題に決着をつけようと思い、私はある日、もはやこれまでと、リディア国へ正式に終戦をお願いに上がったのです」
ブリジットが驚いて尋ねた。
「それでは、陛下はこのことをご存知なのですか?」
もしそれが本当なら、国王はとんだ茶番を維持するために、国民の生命を脅かしていたことになる。果たしてその心配は杞憂であったのだが……
「いいえ、存じておりません。知らないのです……何故なら、私が陛下にお願いに上がろうとしたところ、時を同じくして皇太子妃様が暗殺されてしまったのです。よりにもよって、亜人の手で……」
ブリジットが絶句した。確かに、彼女の母親は亜人に殺された。それは戦争相手の単なる凶行かと思いきや、こうしてみると明らかに陰謀の臭いがプンプンしてる。
一体、リディアという国の中で何が起こっていたのか……ブリジットは憤りを覚えるよりも、何か薄ら寒い思いを感じた。
「そんな状況では、メディア国の代表として参内するわけにも行かないでしょう。私は進退窮まりました……そしてここに至りようやく、どうもこの戦争に何か裏がありそうだと感づきました。あれだけ父が奮闘したにも関わらず、結局は亜人を解放する手立ては未だに見つかっておりません。戦争を止めようと思うと必ず邪魔が入ります。そして……ここ数年のリディアの急成長のお陰で追いつかなくなってきましたが、思えばメディアの軍隊を維持する兵力は、それまで問題なく供給され続けていたのです……」
何かがおかしい、調べなくては……リーゼロッテは焦りながらも、この戦争を終結させるために動き始めた。と、そんな時、彼女はまた別の勢力からこっそりと接触を受けるのだった。実は、リディア国内にあって、この戦争に違和感を抱いて者が居たのだ……他ならぬ皇太子である。
「生前の皇太子さまは、社交界に参加するため諸国を外遊しているふりをして、実は我が父と会っていたようなのです。彼は国内の主戦派と反戦派とで争っている状況に不満をいだいておりました。移民が多いとは言え、リディアは絶対王政、お優しい国王様だからこそ許しておいででしたが、そもそも国王の意に反して、このような論争が起こること自体がおかしいと彼は考えていたようです」
皇太子は考えた。何者かが煽動しているような気配がする……そうして調べていく内に、戦争そのものが無意味なことに気づいてきた。ただでさえ人間が生きていくには不利なガッリア大陸。リディアとしては戦争をするより、例え不利な条件で国境を制定してでも、戦力の分散を防いだ方がよっぽどマシなのだ。
どうしてこんなことをいつまでも続けているのか。なんで皆、こんなにメディアが憎いのだろう。元はといえばこの戦争を始めたのは勇者であるから、勇者に言って止めさせようと彼は考えた。
「そして皇太子様は父と会い、協力関係になりました。その後、彼は自分の信頼が置ける部下だけを選定して、簡単にいえば皇太子派のようなグループを組織し、ことに当たりました。しかし……そんな慎重な彼も、父である勇者が亡くなると動揺し、明らかに精彩を欠き、油断してその生命を落とし……その後、リーダーを失った皇太子派は事態を重く見て地下へ潜り、敵討ちのために私に接触を図ってきたのです」
「ちょっと待て、なんか意図的に避けてないか? 勇者と皇太子は何を話し合って、何をお互いに通じあったわけ? 結局、リディアで暗躍していたのって誰だったんだよ」
なんだか話が飛んだような気がして、但馬は口を挟んだ。皇太子は戦争をやめろと勇者に言いに行ったのに、結局戦争は終わってない。なのに何だか知らないが協力関係になっている。何を協力していると言うのか……
果たして、その答えは意外なものだった。
「ややこしくなるから、もう暫く話を進めたかったのですが……もういいでしょう。犯人は亜人です」
「……は?」
但馬は何を言ってるのか分からなくて、頭が混乱した。なんで亜人が亜人の不利になるようなことをわざわざやるのか。わけがわからない。
「先ほども申しました通り、亜人という種族は、実は人間なんかよりもずっと優秀なのですよ。ですから、中には人間を出しぬいて、出世する者もございます。自身の私腹を肥やすため、生き馬の目を抜く世界で強かに生きる者もございます。そして、亜人に同情的な勇者に取り入って、この施設を利用することを思いついた者もいたということです。
初めは確かに人間が亜人の子供を捕まえて奴隷として売りさばいておりました。しかし、朱に交われば赤くなる。奴隷商に育てられた者は、やはり奴隷商と同じような考えを抱くようになったわけです。俗世に染まるとはそういうことなのでしょう。
今の奴隷商人というものは、亜人なのです。亜人が亜人を売っていたのです……父、勇者が亜人奴隷を解放したため、奴隷相場はどんどん高騰していきました。そんな中、解放された奴隷の中に、この旨味を利用することを思いついた者が居たというわけです。彼らは結束し、勇者に取り入り、亜人を助けるためと謳って、こっそりとこの施設を利用し始めました」
空いた口が塞がらない。しかし、人間だって、長い歴史の中で同種を何度も奴隷にしているではないか。金儲けのためにわざと戦争を起こさせ、奴隷船のような非人道的な手段で連れ去って、遠い異国の地で無理矢理働かせた。それと同じことなのだ。
無条件に信用してしまった勇者が愚かだったと言えば、そうなのだろうが、但馬には笑えなかった。
「そうと知らぬ父は、自分が助けた亜人に裏切られているとは気づきもせず、無条件で彼らを信用しメディアとの橋渡し役として重宝しておりました。世界樹の通信手段があったのですが、結局、それで会話をするのは彼らなのですから、気づけるはずも無かったのです。メディアの亜人たちはおかしいと思っても、ここの通信設備を見れば、確かに勇者の言葉であるのですから、唯々諾々と従っていたようです。世代を経るに連れて、ろくな教育を受けられなくなった彼らは、ますますその傾向が強まりました」
元々、リディアとメディアの戦争は、人間の進出を防ぐためのものだったが、それを煽り激化させてきたのはメディアの外に居た亜人だった。
いつまでたっても世界の亜人奴隷が減らないのは、リディアの中にこそ悪の芽があると唆し、和平のための対話を阻止していたからだった。
「皇太子との対話でその矛盾に気づいた父は、やっと自分が騙されていたことに気づきました。そして獅子身中の虫を排除し、メディアにもようやく平和が訪れたと思われたのですが……その時にはすでに手遅れで、信用していた部下の中にも、彼らの息がかかったものが入り込んでおり……」
そして勇者は北の地で凶刃に倒れた。
晩年の彼は、人が変わったように兵器を開発し始めたり、助けていたはずの亜人を倒すための兵を挙げようとしていたという。初めてそれを聞いた時は、あまりにとんちんかんな出来事なので、勇者がボケたか、周りの連中が自分の都合のいいように捏造していたのではないかと思った。
しかし、それは両方共、本当の話だったわけだ。
彼は、助けたはずの亜人に裏切られ、助けるはずのメディアの亜人を不幸に陥れてしまった。今、この地の亜人は生気を失い、ただ戦争をするためだけの人形と化していた。
「ここを利用していた者達は排除しました。ですが、ここがあるかぎり、またちょっかいをかけてくるのは時間の問題でしょう。いえ……すでにもう動き出しているのかも知れません」
確かに、いくつも怪しい動きはあった。例えばコルフの民衆が暴徒化したこととか、頻発した海賊のこととか、消えた製塩所の社長や、その他諸々、なんだかわざわざリディアを挑発するような出来事が、この頃になって次々と起き始めていた。
「今回の休戦協定でご足労願ったのは、これが理由でございます。リリィ様、但馬様ならば、もしかしたらこの施設の止め方が分かるかも知れません。少なくとも、私なんかよりはマシかと……結局、根本的な解決には、この施設を破壊するか、亜人が生まれてくることを阻止しなければいけません。そのためにこの施設をもっと調べたいのですが、調べようにも、この装置のことが私にはさっぱりわかりませんし、開かずの間だらけでどうにもならなかったのです」
そう言うと、リーゼロッテはお願いするように深々と頭を下げた。
但馬は唸るように息を吐くと、辺りの様子を窺った。
ここへ来るまでにも部屋がいくつもあったが、一番あやしいのはやはり目の前のこれであろうか。
部屋の奥には一際大きなパネルがあり、その前にはモノリスのような不思議な物体と、机と備え付けの椅子があった。机の上を見てみると、どうも制御パネルのようなスイッチがあり、バックライトに照らされて仄暗く光っていた。
取り敢えず、まずはこれから調べてみようと、但馬は椅子に腰掛け、パネルに手を伸ばした。