かつて勇者のいた国の
現代人からしてみると、軍隊内の階級制度など当たり前のものであるが、軍隊が現在のように組織立った体系を確立したのは、せいぜいナポレオン戦争以降のことである。
ファンタジーと言えば中世ヨーロッパを思い浮かべる人が多いだろうが、その中世において戦争とは、傭兵や犯罪者の寄せ集めが行うものであり、軍人はそれはそれは不名誉な職業と見做されていたそうな。
その集団は、周りを見渡せばみんな犯罪者なわけで、規律もへったくれも無く、それを取り締まる上官は彼らが逃走しないように見張り、どうすれば言うことを聞かせられるか頭を悩ませる、さながら囚人と獄卒の関係みたいなものだったのだ。
従って、常備軍を保有していた領主など皆無に等しく、一度戦争が起きると、傭兵を雇い、領民にパンをばら撒き、寄せ集めの軍隊を国境付近に漫然と並べて、戦術もへったくれもなく、ワーワーやっていたらしい。華々しいローマ時代とは雲泥の差である。
それじゃ貴族とはなんぞや。領主は金を出していただけなのか? と言えばそんなこともなく、金属加工技術の進歩でやがて板金鎧が開発されると、彼らはそれを身にまとい、馬鎧をつけた重厚な馬に乗って騎兵突撃を仕掛ける、戦場の花形として存在していた。
彼らの一撃で、戦争の勝敗が決まった。貴族が何で偉いのか? と言われれば、それは純粋に強かったからなのだ。いわゆるファンタジー世界で騎士と呼ばれる者たちが、大方そのイメージで描かれているので、それを想像してもらえれば分かりやすいであろう。
ところで、この板金鎧は大変重く、一人では立っているのがやっとなので、騎士は必ず馬に乗って移動していたそうである。転んだら起き上がることも、馬に乗ることも出来ないと言うのは有名な話であるが、おまけに、実際には鎧を着るのも一人じゃ不可能なので、彼らは必ず身の回りの世話をする従者を引き連れて、戦場を渡り歩いていたそうな。
この従者と言うのは共に戦う兵士に限らず、例えばお抱えのコックやら執事やら、笑ってしまうが奥さんや子供まで連れていることもあったらしい。それらが一斉に移動するものだから、彼らが通ったあとにはぺんぺん草さえ生えず、一つところに留まれば、街や村があっと言う間に干上がった。
そのため、軍は常に移動し続けなければならず、そして兵站という概念を持たない彼らのために、糧食を用意した従軍商人は大層儲かったそうである。
中世において、軍隊組織といったら、大方そのようなものだった。
だからブリジットと初めて会ったとき『軍曹』と言う言葉に、もの凄い違和感を感じていた。そんな組織立った軍隊を持つ国家のはずなのに、装備が中世並みに貧弱であったからだ。
一体全体、どういう仕組みなのかと問うてみれば、塩辛をつまみに、赤ワインをちびちび舐めていたブリジットから、意外な言葉が返ってきた。
「……はぁ~、カントン制度か」
カントン制度とは一種の選抜徴兵制のことで、第五の列強プロイセンの人的基盤を磐石たらしめた、画期的徴兵制度のことである。断じて包茎の種類ではない。
先に述べたとおり、兵役はただでさえ危険な仕事の割には不名誉なものと差別されていたため、なり手が殆んど居なかった。それでも傭兵が居るので戦争は出来たが、しかし、列強はそうはいかない。
列強諸国は全世界に版図を広げたルネッサンス以降、帝国の拡大期に兵員の増強を図ろうと度々徴兵を行ったのだが、残念ながら殆んど機能しなかった。犯罪者と一緒に戦いたいなんて、そんな奇特な者など居るはずが無いからだ。
そのため当時の募兵と言えば、詐欺や恐喝、人攫いが横行し、領民の反感を買い、結果的に労働力の低下を招いていた。そのやり方では上手くいかないと考えた、時のプロイセン王は一定区域ごとに騎士団を作り、適齢の男子は例外を除き、そこで数年間の兵役に就くことを義務付けたのだった。
結果は良好で、兵役を拒否して逃げ帰れば街や村に迷惑がかかる。騎士団は同郷の者で構成されるので帰属意識が芽生える。他の騎士団との競争意識から練度が増す。地元騎士団が活躍すれば領民が喜ぶ、といった具合に、それまでの兵役のイメージを覆す、実に抜きん出た効果を生み出した。
「流石、勇者教……詳しいですね」
「だから、違うっての」
そのカントン制度を、このリディアの地に導入したのが勇者であったらしい。彼は組織だった軍隊を形成すると、それを指揮して戦った。何故彼がそれほど強力な軍隊を欲したかは別の機会に譲るが、とにもかくにもその彼のお陰で、リディアは現在、大陸でも珍しい常備軍を持ち、徴兵制を維持することの出来る食糧自給力も誇っているそうなのである。
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騎士を引き連れて、姫様が颯爽と去って間もなく、但馬はなんで彼らが急にあんな態度を取ったのかを知った。
「おまえ、どんだけ勇者様になりきってんだよ」
「え? 勇者ってタジマ・ハルって名前だったの!?」
驚いたことに……いや、いい加減、薄々感づいていた通り、勇者はどうやらこの世界の人間では無さそうだった。おまけに何故か、その名前が但馬と被っているのである。
それがどういうことなのかはさておき、あの場面で姫様に誰何された但馬が勇者の名前を口にしたのは、現代風に例えて言えば、
「オッス! オラ、ヨハネパウロ2世。聖下って呼んでくれよな!」
と、エリザベス女王に向かって挨拶したようなもので、騎士たちからすれば自分らの姫様に不敬を働くとんでもない輩に見えただろうし、当の姫様は冗談だと思ってゲラゲラ笑ったというわけである。
だからその後、彼らが怒り出した理由を知って誤解を解こうと、本当に自分は但馬波留と言う名前だと説明したのであるが、ついぞ信じてはもらえなかった。
丘の上の敵の死体を処理し、捕虜をふんじばって連行し、但馬も一緒に駐屯地まで連れて行かれて、今朝方の発光現象(自分がやったとは言わない)から敵軍との交戦までを克明に証言したのであるが、名前を聞かれて正直に答えるたびに訂正を求められて、うんざりした。
しかし、但馬を尋問した大概の者も最終的には折れ、
「同姓同名ってことも、あり得るのかなあ……」
と受け入れたのだが、最後に彼の証言を記述するためやってきた書記官の男があまりにもしつこかったので、ついに口論となり、正直に名前を答えるまでは解放しないと言われ、駐屯地の営倉に放り込まれた。
普通、一般庶民にそこまでやるかあ? と、その横暴さを呪いつつ、硬いベッドに寝転びながら、どのくらい回復したらこの駐屯地を消し炭に変えて逃げられるか、と考えながらMPの回復を待っていると、ブリジットが書状を携えふらりとやって来て、
「本邦は大恩ある御仁であるタジマ・ハル殿に対する貴国の不用意な拘束に断固抗議し、深く憂慮すると共に、遺憾の意を表す。エトルリア国皇女リリィ・プロスペクター」
それを読み上げると、真っ青になった書記官が飛んできて、営倉の鍵を開けた。
礼を言うつもりは無いぞと、憮然としたまま、ブリジットと共に外に出たら、気がつけば既に日は傾き、夜空には二つの月が昇っていた。
どんだけ拘束されてたんだよ……と辟易したが、事情聴取に対する謝礼金と共に、リディア王から報奨金が出ていると告げられ溜飲を下げた。
しかし、この銀貨10枚とはいかほどの価値があるのだろうか……気にはなったが、ブリジットにそれを聞いても、は? おまえ、何言ってんの? と、今朝のやり直しをさせられそうで気が進まない。まあ、所詮は行政の金一封だし、あんまり期待しないでおいた方がいいだろう。但馬は諦めて、その金をジャラジャラとポケットに突っ込んだ。
すっかり日が暮れていたのだが、駐屯地は街灯も無いのに妙に明るかった。初めは、どうしてだろう? と少し戸惑ったが、どうやら二つの月の影響らしい。駐屯地の出口に差し掛かり、外の穀倉地帯に目をやれば、月明かりに青々と照らされたトウモロコシ畑が風に靡いて、まるで金の絨毯のように見える。強力な軍隊を維持するだけあって、どこまでも続いているかのように見える畑は、実に壮観であった。
駐屯地は街から川を挟んで隔てられた、少し離れた丘の上に建てられた要塞だった。街を取り囲む城塞と共に、実ににくい配置である。街を包囲しようとするなら、この要塞が邪魔であり、かといってこの要塞を攻めるには街を背にする必要がある。海に面した開豁地と言う実に攻めやすい都市には、随所に攻めにくくする工夫が見受けられ、この国が戦争をしていると言うことを実感させた。
駐屯地の外は馬防柵のような野戦築城が幾重にも施されており、その隙間にあるゲートに背を持たせかけたシモンと、例の星球棍の代わりに、今は直刀を杖代わりにしたエリオスが立っていた。あの兜を取るとただの壮年のオッサンなので、最初は誰だか分からないくらいだった。
「よう勇者様。お勤めご苦労さん」
「誰が勇者だ、バカにすんなよ」
「街まで帰るんだろ? お前を送ってくのが今日の最後の任務だよ」
シモンが軽口と共にそう言った。正直、街に『帰る』と言う意識は全く無い。何しろ、初めて訪問すると言ったほうが正しいからだ。だから、案内も必要だったし、今夜の寝床も確保しなければならない。せっかくの申し出だし、受けることにする。
「そりゃ丁度良かった。なあ、シモン、どっか上手い酒が飲める店知らないか?」
「酒?」
「ああ、奢るからよ」
というわけで、こいつを気分良く酔っ払わせて、色々と聞きだそうと、先ほど貰った銀貨をチラ見せしながら誘ったら、
「なんだ。だったらPXに行こうぜ」
「ぴぃえっくす?」
いきなり出てきた単語に戸惑っていると、いいからついて来いよと言った感じに手招きし、シモンはスタスタと駐屯地の中へと戻っていった。ブリジットがそんなことも知らないの? と言った顔を見せながらエリオスと共に後に続く。もちろん知っている。知っているから驚いている。ところで、君たちは当然のようにくっついて来てるが、君たちの分も奢らねばならんのか。