それからの日々
空き物件探しを終え、一旦本社に戻ると、但馬はエリオスを連れて今度は東区へ向かった。
スラム街と思しき猥雑な路地を縫うように歩き、港にほど近い造船所に入る。すると無人だと思ったその建物の中で、職を失ったばかりの造船所の作業員が数人、作りかけの船を見上げてぼんやりしていた。
探す手間が省けたとばかりに、また改めて再雇用する旨を伝えると、彼らは大いに喜び、早速作業を再開していいかと聞いてきた。やはり、作りかけの船を放ったらかしていたのは気が引けたらしい。
取り敢えず必要な人員の確保を指示し、雇用契約をするので一度本社に出向くように言って、あとは好きに作業再開しちゃっていいよと伝えた。
但馬の船は他のガレー船とは違い、船体が細長いロングシップではなくて、ラウンドシップと呼ばれる小型の船で、物珍しさから彼らも興味があったらしい。ゴーサインを出すと早くこれを水に浮かべたいとばかりに、集中して作業を始めた。
それを邪魔をしては悪いと思い、但馬はそっと造船所を後にする。
東区では数日前から近衛兵が人の出入りを調べていて、数人が庶民に紛れてうろついていた。いつもの甲冑ではなく、市民に紛れるためにTシャツ姿だと、彼らもただの若者なので、向こうから声をかけてくれないと分からないくらいだった。よく街に溶け込んでるようである。
東の山脈の方から、リディアに入るルートが有るのではないか? と但馬が疑問を呈して以来、近衛副隊長であるウルフはその動きが気になったようだが、しかし、捜査は難航していた。
東区の港はリディアの玄関口で、移民や普通の商人は大体こちらの港で下りる。そのため様々な人種でごった返す港周辺は、半スラムと化していて、全体で何人くらいの人々が暮らしているのかはさっぱり分かっていなかった。
とにかく船に乗ってやってくる人数が多いことと、基本的にリディアは軍を維持するために、移民を受け入れる政策をとっていたので、どんどん港周辺に人が増えていったわけである。
まあ、普通に考えて、この国はエトルリア大陸と隔絶されているため、港以外から人が入ってくるとは誰も考えなかったのだろう。流石に港湾施設内くらいは、ねずみ一匹通さないように目を光らせていたし、東区は市街の城壁からも隔てられているため、二箇所で検問すれば、まずどっちかで引っ掛かるはずだ。
それで安全上は問題ないと思っていたわけだが……しかし、港を通らないとなると話は別だ。この国に、良くわからない人物が密入国していると言うことになる。
メディアとの戦争のせいで、憲兵隊や近衛隊は森から亜人が来るのを、常に警戒して目を見張らせていた。だが、そんな彼らをあざ笑うかのように、まさか山から人間がやってきていたなんて事実があったら、著しく沽券に関わる。そう言う気持ちを差っ引いても、国防上絶対に見逃せない事実だった。
そのため、近衛隊副隊長のウルフは根を詰めているようだったが……
但馬が陣中見舞いに行くと、目の下にクマをつけた隊員たちに出迎えられ、室内に入ると男たちの汗の酸っぱい臭いが漂ってきて、但馬は思わず鼻を摘んだ。
「……失礼なやつだな、貴様」
「調子はどうなの?」
「さっぱりだな」
東区を調査し始めて数日、私服の近衛兵をうろつかせて、おかしな人物がいないか確かめていたそうだが、おかしいと言えばみんなおかしいので難儀してるそうだ。
スラム街は別にここにあるだけじゃなく、例えばジュリアが居る水車小屋のように、川沿いに市街を取り囲むようにあるものだから、意外とそっちからの人の出入りが多かったらしく、いちいちそんなのまで調べていたら、人手がいくらあっても足りないようだった。
だから現在はもう特定個人を調べるのではなく、夜などにコソコソ森に近づく人が居ないだろうかとチェックするように切り替えていたそうだ。
「お前が見たと言う、山頂の人の気配だが……」
但馬ではなくて、トーが見たのであるが……何かあったのかと詳しく聞いてみたのだが、どうも芳しくないらしい。
「深夜に山頂を見張っていた隊員の一人が、人間らしき影を目撃したと言うのだが……暗かったから、絶対とは言い切れないそうだ。昼夜問わず山頂は監視し続けているが、変わったことといえばそれくらいのものだ。しかし、昼間はもう調べる必要もないような気がしている」
「昼間に動いたら、流石に誰か気づきそうだもんな。しかし闇に乗じて動かれたら、遠目からじゃ発見するのも難しそうだ」
「おまえに借りた望遠鏡だが、視野が狭すぎる。もっと広い範囲を見れないか?」
「分かった。多少倍率が落ちるだろうが、用意しよう」
元々、但馬が使っていたのは天体観測用なのだ。こういう用途には向いていない。
そこそこの倍率と視野があるものを作ればいいだろう。出来たら屯所に持って行くと約束して、但馬は建物を後にした。
その後、約束通り、使い勝手を良くした望遠鏡を複数渡したのであるが、結局、但馬がメディアに向かう日まで、何の進展もなく、彼らの調査は徒労に終わりそうな感じだった。
元々、自分が疑問を呈した手前、なにか見つかって欲しかったのだが、もしかしたらただの考えすぎだったのかも知れない。当の本人ももしかしたら見間違いかも知れないと言っていたのだし……そう思うと肩身が狭く、市内で近衛兵を見かける度に何だか悪い気がしてコソコソしてしまう始末だった。
それからメディアに向かうまでの数日間は忙しく過ごした。
造船所は再稼働を始めると、国王からの依頼ということもあって、従業員にもかなりの気合が入っていたらしく、あれよあれよと言う間に進水式にまでこぎつけてしまった。
元々、大部分は出来上がっていたし、このあとの艤装の方が大変だから、まだまだ処女航海までには関門が待ち構えているのだが、それでもいずれ外洋を旅することになるかも知れない船の進水式だけあって、かなり大勢の人たちが参加して盛大に執り行われることになった。
国からは大臣が出席して、物珍しさからお忍びで遊びにきていたリリィが庶民に混じっているのを見て腰を抜かしていたが、概ね滞り無く式は進んで、船は海に浮かべられた。まだマストも立っていない、ただ浮いてるだけの状態であったが、感無量の様子の従業員達が涙を流し、嬉しそうに船首にワインをかけていた。
どうやら新しい船にはこうしてワインを飲ませてやるのがこの国の習わしらしく、但馬もやれと言われて船に上がり、ワインをドボドボとかけてやったら、その後はいつものように酒宴になり、深夜になるまで呑んだくれることになった。
船はまだ何も取り付けられてない状態であるが、完成すると三本のマストに縦帆を装備した、世界で初めての外洋船になる予定である。
全長は23メートル。動力は完全に帆走のみのキャラベル船で、本当はスクリューをつけたかったのだが、船底に穴をあけると言ったら、造船所の職員に断固拒否されて断念した。本当なら蒸気機関を載せようと思っていたので、大きさの割りに可搬重量が多く、浮いた分で何を載せようか迷っていた。
そして、先日見つけてきた不動産物件であるが、結局、ここへ引っ越すことにした。
アナスタシアは寧ろ職場に近くなるので大歓迎といった感じで、エリオスの方は最初ポカンとした顔をしていたが、そういう事ならと最終的には受け入れ、一緒に暮らすことになった。
元々、貴族が住むような区画なので、警備が行き届いているし、エリオスも一緒ならもう危険なことは無いだろう。
問題は、狭いと言ってもそこそこの広さがあるので、アナスタシア一人では大変そうなことだった。それと失念していたのだが、庭の手入れは素人に出来るようなものでなく、これも改めて雇わねばならない。
そのため、家人が留守にしている昼間の間だけでも使用人を雇おうと思っていたのだが……そんな話をしたら、シモンのお袋さんが来てくれることになった。元々、昼間はリオンの面倒を見てもらってるので、こっちの家に来ても同じことだから差し支え無いというわけだ。
いよいよ頭が上がらないから一旦は断ろうかと思ったのだが、彼女は広い庭付き一戸建てに喜んで、日中はリオンとおままごとではなく、マダムごっこをしてるらしく……まあ、楽しそうにしてるので、別にいいやとお言葉に甘えている。
それよりも、アナスタシアの職場に近いと言うことは……
「ほほう、ここが勇者の住まいか。なかなか良い所じゃのう。余は気に入ったぞ。特にこの、なんじゃ、池の形が良いの」
「あんた目、見えないだろ」
引っ越したことを嗅ぎつけて、ある日リリィが当たり前のように遊びに来た。家に帰ったらいきなり居たので、ズッコケそうになった。
「おや? 寝室はお二方、別々なのでございますか? アナスタシア様と、もはや抜き差しならぬ……いえ、抜き差しの関係であると、勝手に想像して夜の慰みも捗っておりましたのですが……」
「死ねよ、変態」
当然のようにリーゼロッテもである。と言うか、人を使って何してやがんだこの女は……
お袋さんは二人が何者かは分かっていないからか、アナスタシアの来客だと思って通したらしい。かなり気安く接しており、傍で見ていたエリオスが目眩を起こしていたが、下手に緊張されたりしてもなんだから、放置しておいた。
森で出会った時からリリィに懐いていたリオンは喜んで、暫く会わなかったせいで少し人見知りしたが、結局ははにかみながら彼女にくっついて楽しそうにしていた。
その後、アナスタシアが帰ってくると、リリィを除く女性陣が台所に立って、どこから持ってきたのか、テレビ番組みたいな高級食材をふんだんに使って、豪勢な夕飯を作っていた。
続いて親父さんが夕飯のためにやってくると、彼はリリィに懐いてるリオンを見るや否や、
「おや、アナスタシアのお友達かい? 仲良くしてくれてありがとう」
と言ってリオンを挟んでニコニコと話しをし始め、終いにはリリィに晩酌をさせていた。多分、リオンが懐いてるから、いい人だくらいにしか思ってないのだろう。あとで正体を知ったらどんな反応をするか面白そうだから黙っておく。
その後、一人で勝手に離れに行こうとしていたエリオスの首根っこを抑えて、出来上がった夕飯をいただいた。
かつて無いほど賑わう食卓を前に、リオンとすでにほんの少しばかり出来上がっていた親父さんがはしゃいでいたが、エリオスは死刑宣告でも受けたような顔をして、大男が小さくなっていた。
三者三様の姿に苦笑いしつつ、女性陣の方を見やればアナスタシアが珍しいくらいに、歳相応の顔をして笑っていて、思わずドキッとした。
ああ、そうか、こうやって笑うんだなあ……と感心して見ていたら、彼女と目が合って、するとすぐにいつもの眉毛だけが困った感じの顔になってしまい、もったいないことをしたと後悔する。
リリィとの出会いは、彼女によっぽどいい影響を与えたようだ。いや、アナスタシアだけでなく、以前国王から聞いた話しからしても、彼女は一体どれほどこの国に好影響を与えているだろうか……
キリスト教のお偉いさんだそうだし、親善大使としての手腕と言い、実はかなり侮りがたい人物なのではと、但馬は評価を改めた。
「ところで、勇者よ。客室のベッドはコットンシーツか。余はこの国に来てあれの良さを知った。もはや、あれでなくては眠れぬぞ」
「ルル様。客室ではなく、本日はアナスタシア様のご寝室で、パジャマパーティーでございますわ。ああ……花も恥じらう乙女たちが、一つのベッドをわけあって、くんずほぐれつ一晩中語らう様を想像すると、今からよだれが……」
「帰れよ」
何勝手に泊まろうとしてるのか。前言撤回したくなった。エリオスが胃が痛そうな顔をしていたから、本当に帰って欲しいのだが……多分、言っても聞かないだろう。
その後、晩酌しながら、リオンを含む女の子たちで楽しくやってるのをボンヤリと眺めつつ、いい気分になった親父さんがそろそろ帰ると言い出したので、送っていくつもりで一緒に外に出た。
当たり前のようにエリオスが続いて、お袋さんと一緒に後に続く。
但馬は前々から考えてた通り、リオンを引き取ろうかと考えてると言うと、親父さんは少し驚いたような素振りを見せたが、すぐに賛同してくれた。多分、但馬は何があってもメディアに返すと思っていたのだろう。
親父さんは、その場合は自分が引き取ろうかななどと考えていたと笑うと、
「でも、どうしてそうしようと思ったんだい?」
と問われ、
「実は、メディアの知り合いと話す機会があったんですが」
元々は返す気で居たし、そうしなくても、自分は引き取らず、親父さんたちに相談しようと考えていたのだが……ミルトンからメディアの話を聞いて考えを改めた。
アナスタシアも懸念していた通り、メディアにリオンを返せば施設に預けられるわけだが、彼の話を聞いていると、とてもまともに育ててもらえるとは思えなかったのだ。
「本当なら、メディアという国を見てから判断した方がいいんだろうけど、リオンをメディアに連れ帰っておきながら、見てからやっぱやめるってわけにも行かないし……考えた結果、返さないほうがいいかなと。で、自分がそう思うんだから、ちゃんと自分で面倒見ようかなと思ったんです」
「そうか……メディアってのはそんな場所なのか……ふーん」
親父さんは少し考えた素振りを見せてから、
「アナスタシアの母親が亜人だったことは知ってるな?」
「はい」
「彼女は亜人だが、人間としても素晴らしい人だったよ。アナスタシアも母親にはよく懐いていたし、優しくてとても慈愛に満ちた人だった……でも、出自を聞いたことが一度だけあったが、やっぱり奴隷だったそうだ」
その言葉にドキッとした。やっぱり、ミルトンの言うとおりなのか……
「……メディアという国がどういうところか、今度行くなら、是非良く見てくるといい。いい勉強になるだろうし、そしたら俺にも聞かせてくれ」
但馬は深く頷くと、その後は二人肩を並べて無言で歩いた。
それから数日、12月も下旬に差し掛かり、リディアは間もなくやってくるクリスマスに向けて、街がソワソワとし始めた。
そんな中、但馬はメディアへ向かうために、国王へ最後の報告に上がった。コルフから帰還して、およそ一ヶ月のことである。
メディアに向かうメンバーは、但馬とエリオス、ブリジット、リリィ、リーゼロッテ、タチアナ、そして例の三人組の一人、暗殺者みたいな顔をした女だった。
民族衣装を着ていた通り、ティレニア出身の女で名をランと言うそうだが、どうしてそんなのがついてくるの? と尋ねたら、こちらが護衛を沢山引き連れているというのに、タチアナは一人で可哀想だから自分が護衛を買って出たと言い放った。
当の本人が露骨に嫌そうな顔を隠していないところを見ると、恐らく無理矢理ついて来たのだろう。多分、タチアナの監視ではなかろうか。もう一人の豚は、今回の件をコルフに持ち帰ることもなく、バカンスを楽しんでいるようである。いい気なものだ。
ともあれ、それを不服と言っても始まらないので、国王が許可し、7人でメディアへ向かうために街を出た。
街を出て丘陵地帯に向かうと、そこには親父さん率いるS&H社の工員一同が待っていた。実は今回但馬がメディアに向かうと言うと、彼らはリリィに、彼ら自慢の蒸気自動車を是非見せたいと言ってきたのだ。
この国のリリィ人気は相当らしい。その割りには誰も顔を知らないのだが……
ともあれ、親父さんはやって来る人影に見知った顔を見つけ、おやっとした顔を見せたが、すぐに気を取り直すとタチアナに向かって、
「リ……リリィ様におかれましては、こ、この度はご足労くださり」
などと慣れない口上を述べ始めるも、タチアナに自分では無いと否定され……今度は汗をダラダラと垂らしながら、ランとか言う暗殺者みたいな女に向かって頭を下げ……最後に血の気の失せた顔をしながら、爆笑するリリィの前で土下座していた。
それだけでもう十分に楽しんでいたようであるが、リリィは彼らが作った自動車に乗ると、また大喜びで歳相応にはしゃいでいた。
彼女は目が見えないから、馬に乗る場合は馬車か、従者に抱かれるように乗せられるのであるが、馬とは違うその乗り心地が気に入ったらしい。
二人乗りのくせにトラックみたいな大きさの蒸気自動車は、まだまだ未完成で、復水器がついていないために蒸気が無くなると動かなくなるため航続距離に難を抱えていたが、パワーはあるから速度自体はかなりのもので、平均して時速30キロほどの巡航速度を維持できた。
この時点で下手な馬よりも断然速く、おまけに派手な煙を上げ、ポンポンと音を立てて走る蒸気自動車にリリィは大層気をよくし、もっと飛ばせもっと飛ばせと言っては、追いかけるブリジットとリーゼロッテにいい加減にしろと怒られていた。因みに但馬は馬に乗ると下腹部が大変なことになりそうだから、途中で追うのを諦めた。
自動車は前線に続く最初の砦で停まり、そこに用意されていた天蓋付きの馬車にリリィは乗り換えたが、ずっと自動車に乗っていたかったと不満気に漏らす彼女が、完成したら是非自分にも売ってくれと言うと、親父さんは感極まっておいおいと子供のように泣き出した。
但馬がようやく先を行く彼らに追いつくと、何故か彼が号泣してるので、粗相でもしたのかと不安になったが、苦笑しながら経緯を話すブリジットに何があったか教えてもらって安堵する。ところで親父さん、ここにもお姫様が居るぞ。
その後、10キロも馬で走ったために、お尻が限界だった但馬は泣き言を言って、リリィと同じ馬車に乗せてもらい、タチアナの乗る馬車と二台で先を急いだ。
およそ10キロ毎にある砦で次々と馬を変えつつ軍用路を進み、途中一泊した後、翌日には前線基地のあるヴィクトリア峰の前の、最後の砦にたどり着いた。
電線会社の社員が作業をしていたので、近寄って行って挨拶をしていたら、ランと呼ばれるティレニアの女が興味を示し、これは何かと尋ねてきた。
なんか顔が怖いので素直に教えてしまったのだが、良く考えればこういった技術は内緒にしておいたほうが良かったのだろうか? 一応、公共事業として受注した手前、まずいことしたかもと反省する。
そして但馬達一行はヴィクトリア峰の前線基地へと入った。
元は森林だった焼け野原にも、そろそろ草木が生え始めており、それが大きくならないように、前線ではいま哨戒任務と共に草刈り任務というものがあるらしい。
但馬たちの馬車が近づいていくと、駐屯地の中では彼らの到着を待ち構えていたリディア軍の前線部隊、約5000人が整然と並んでおり、馬車の中にいるリリィを見つけて、一斉に最敬礼を見せた。
その壮観な姿に気圧されながら、但馬は馬車から降りて南の空を見上げた。
クリスマスまであと数日に迫るある日。いよいよ、明日は未知なる国、メディアに入ることになる。