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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第三章
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決めちゃったのか

 翌朝の朝礼、但馬は前夜にエリオスと話し合った結果、引越しを検討することにしたと本社社員に伝えた。


「……つーわけで、なんか一方的に恨みを買いまくってるらしくってさ。身の危険を感じるから、もうちょっとセキュリティの良いとこに引っ越そうかと」

「それがいい、元々、社長の家は貴族が住むような区画では無かったからな」


 元々が貴族で無かったから当たり前なのだが。本社やシモン家、水車小屋にも近かったから便利だったのだが、但馬が引っ越しの旨を伝えると、親父さんも賛同してくれた。


「リオンちゃんは、毎朝うちの家内に迎えに行かせよう。夜は俺が送っていけば問題ないな」

「いや、親父さんだって狙われるかも知れないから」

「ええ? なんだって??」


 案の定自覚がないらしい。但馬もそうであったから仕方ないが、彼もまた現在ではS&H社に無くてはならない人材で、襲撃の目標になりうる人物だった。ぶっちゃけ、今、彼に居なくなられたら、仕事にならない部署が山程ある。考えすぎだろうとは思うのだが、警戒するに越したことはない。


「つーわけで、夜はアーニャちゃんとエリオスさんに迎えに行って貰うから……いいよね?」

「分かった……先生は、お夕飯はどうするの?」

「工場の社食で食べるよ」


 若い工員向けの社員食堂だから、ボリュームが有って味も悪くはないのだが……何でこんな嫌な思いしなきゃなんないんだよ……と心中では不満に思いつつ、但馬は首を振ってパンパンと両方のほっぺたを叩いてから、


「よしっ! 切り替えていこう。とにかく、そう言うことだから、みんなも自分は平気だと思って警戒を怠らないように」


 なんとなく腑に落ちないといった顔をしながら、各自がバラバラに頷いた。いきなり狙われるかもと言われても、実感が湧かないだろうし、こんなものだろう。そんなこんなで、


「それじゃ、今日の報告だけど、昨日国王様と話し合って、公共事業を請け負いました。今後はこれを最優先に動いていこうと思ってます」


 ある程度話はつけておいたが、改めて朝礼の場で今後の方針を宣言した。


 当面の目標は何はともあれ、外洋に出るための船が必要なので、その進水式を急がないといけない。製塩所の社長の遺産があるが、ゴタゴタのせいで引き継ぎが済んでおらず、造船所の作業員は現在解散して誰もいない状態だった。フレッド君に吸収合併手続きを急ぐように指示し、ブリジットとエリオスには作業員の復帰依頼を、但馬自身はそれでも足りない人員の確保のためにハロワに向かうことにした。


「親父さんは工場で待機しててください。後で相談しに寄ると思います」


 今日の朝礼にもトーは出席せず、あれ以来、銀行の方が忙しいようだった。フレッド君とは何度か会って、色々と情報交換をしているようだが、但馬はここのところまったく顔を見ていない。


 多分、もういくら探しても製塩所の社長は見つからないだろうから、そろそろこっちに復帰して欲しいのだが……この間、頭取に会った時、暗にそう催促したのだが、申し訳ないと謝られてしまい、あまり強くは言えなかった。どうも銀行の方はまだまだ忙しいようだ。


 社長を追ってる近衛隊の方も、あれ以来音沙汰が無い。頼まれていた通り、望遠鏡を貸し出したが、いつ返してくれるのだろうか。その辺を歩いてる近衛兵を捕まえてウルフにでも取り次いでもらおうか……でも、基本的に年中怒ってる人だから、あまり会いたくないんだよな……などと思いつつ、インペリアルタワーのハロワへ向かう。


 会社を作って以来、本当に頻繁に往復するものだから、殆どのハロワの職員ともすっかり顔なじみとなっていた。但馬が来ると、あちこちから元気な挨拶が掛けられて、すぐに応対の職員がやってくる。


 造船所の件を話して求人をお願いすると、同じビル内にあるから、その足で今度は近衛隊の詰め所へと向かった。こっちはこっちで、悪い意味で顔が知れていたから、但馬がやってくるなり彼らはザワツイたが……たまたま以前も会ったことのある国王付きの女性隊員が居て、対応してくれたので、そろそろ望遠鏡返してよと言ったら、


「では、副隊長の方に、そのようにお伝えしておきます」

「ところで、結局、抜け道かなんかは見つかったの?」

「私は聞かされておりませんが……何だったら直接お聞きになられては?」


 東区に捜査本部と言うか隠れ家を置いて、東区の人の出入りや山の状況を調べているらしい。昨日の謁見の間にも居なかったが、どうやらもう何日もこちらへ帰っていないらしく、相当根を詰めてるようだった。


 後で造船所にも顔を出そうと思っていたし、何なら陣中見舞いにでも行こうかと思いつつ、ついでに国王の謁見を望めないかとお願いすると、近衛兵が数人バタバタと階上へと上がっていった。


 銀行にトーが居ないことを確かめてから、えっちらおっちら15階まで登り、国王に謁見する。今回の目的は電話の売り込みだった。


「電話じゃと?」

「はい。電気を使って遠隔地と話をする機械なんですが……」


 以前、見かけた通り、リディア軍では狼煙やクラリオンの音を使って連絡を取ってるようだったが、それも万全ではない。これらの通信手段は、例えば増援求むとか、異常なしとか、その程度の簡単な情報しか伝えられず、本当に有事の際には結局早馬を走らせるしかないのだ。その点、電話があれば、もっと細かい状況が瞬時に伝えられる。


「将来的にはヴィクトリア峰の辺りに港があると便利だと思うんですよ。だから、通信手段は用意して置いたほうがいいかなと」


 あと、公共インフラ投資は金にもなるんで……それが顔に出ていたのだろうか、国王は少し苦笑いしながら、


「あいわかった。それが本当であれば是非もない。費用は言い値で買おうではないか」

「よろしいのですか?」


 控えていた大臣がぎょっとした顔をして言うが、


「あまり無茶を言うのでなければな。このくらいなら罰も当たるまい。但馬よ、期待しておるぞ」


 分かってるだろうなと言わんばかりの目で見られて、但馬はタジタジになったが、気を取り直して、礼を述べると謁見の間から退室した。



 

 一旦本社に戻り、エリオスやブリジットの帰りを待ってから、ブリジットを伴って工場へ向かう。ブリジットはヒーラーなので、怪我人が出た時のために、工場に居ることが多かった。ただ、ヒール以外は役立たずなので、大抵の場合は但馬かエリオスが一緒にいないと仕事にならない。


 人当たりが良いので本来は営業向きなのだが、会社の商品のことを理解してるとも言い難かったので、なんとも使いづらい社員に育ってしまった。いっそ、アナスタシアと入れ替わりにメイド喫茶にぶち込んだ方が適材適所なのだが……それをやるとウルフどころか近衛兵団を敵に回しかねないので我慢していた。


 どこの世界にPTAがしゃしゃり出てくる会社員が居るのか。時代を先取りしてるなあ……などと余計なことを考えつつ工場へ入る。


 工場に併設した電線会社へ行くと、丁度インフラ整備で市内の電線網の拡張工事から社員が帰ってきたので、プロペラを熱心に弄くっていた開発陣も集めて、但馬は言った。


「えー……皆様には誠にご迷惑をお掛けしますが、めっちゃでっかい案件持って帰ってまいりました。具体的に言うと、ローデポリス市内から、ヴィクトリア峰の前線まで電線を通します」


 但馬がそう宣言すると、工員たちは動揺してザワツイた。ただでさえ人手が足りないと言うのに、今までの総延長にも匹敵する電線を通すと聞いて、工員たちの顔が絶望に青く染まる。


「いや、もちろん、期間工みたいな感じで人手は増やすつもりですけど。何しろ、長距離なんで、こちらからヴィクトリア峰へ向かうグループと、泊まりがけでヴィクトリア峰側からこっちに向かうグループとで分けようかと思います」

「しかし社長、それだけの距離を高圧送電するくらいなら、いっそあちら側に発電機を設置したらどうなんですか?」

「通すのは電気じゃなくって、電話用の送電線なんだよ。ヴィクトリア峰と市内とで会話が出来るようにしたいんだ」


 その言葉に多くの工員が驚きの声を上げたが、開発陣は喜んだ。最近、開発されたばかりの電話を使って彼らはよく遊んでいたので、純粋に嬉しかったのだろう。しかし、問題に気づいた主任工員が……


「でも社長、これだけの距離の送電を行うとなると、減衰が気になります。直流なんか殆ど届かないのではないですか?」


 発電機から直接家庭まで送ってる電力は交流だ。直流ではなく交流が選ばれたのは、交流だと変圧が容易なことから、長距離送電に適しているからだった。


 ところが、電話は直流電流を使うため、現状では変圧が出来ない。200キロと言う距離を通すことはほぼ不可能、と彼は考えたわけである。


「はい。だから……およそ10キロ毎に、駅馬車用の砦があるでしょう? そこに中継器を置きます」

「中継器?」

「減衰するなら、途中で勢いを加えて上げればいいんですよ。電球と一緒に真空管を作ったんですが、それを使います」


 実物を見たことがある人は分かるだろうが、真空管と白熱電球は殆ど見た目に違いがない。と言うか、動作原理自体もほぼ同じである。


 白熱電球を発明したエジソンは、その実験中、後にエジソン効果と呼ばれる現象を発見した。


 実は、現行の白熱電球のガラス管内は真空ではなく、不活性ガスと呼ばれる窒素や希ガスなどのいわゆる『燃えないガス』が封入されている。これはガスを封入することで、フィラメントが蒸発するのを防ぐためだ。


 白熱電球を発明、販売を開始したエジソンは次にその寿命を伸ばすことに着手した。初期の電球は寿命が1ヶ月ほどで、利用者が多くなるに連れてそれでは十分では無くなってきたのだ。


 調べてみると、寿命が尽きかけた電球のガラス管内は、どれもこれも黒く煤けていることに気がついた。早速その成分を調べてみるとそれは炭素で、要するに長時間白熱電球に電気を流していると、徐々にフィラメントの炭素が蒸発してきて、管内のガラスにそれが付着していたということだった。


 エジソンはフィラメントが原因だと思い、それを改良すべく新しい素材を試したり試行錯誤したが、炭素のフィラメントをやめて、別の素材、例えばプラチナやタングステンを使ってもその現象は見られ、蒸発自体は防げないことが分かった。


 この原因は、実は真空にあり、フィラメントの分子が熱に耐え切れずに蒸発する時、周りが真空で抵抗が少ないため勢いが止まらず、それが寿命を著しく縮める原因となっていたのだ。結局、それを遅らせるために、抵抗として不活性ガスを封入する方法が編み出されたのであるが……


 エジソンはその試行錯誤の最中に、後の大発明に繋がる発見をしていた。


 彼は蒸発を防ぐために、フィラメントの周りに金属のプレートを置いて、蒸発する炭素分子の邪魔をしようと考えた。子供みたいな発想だったが、これが思いもよらぬ発見をもたらした。エジソンは、このようにフィラメントの近くにプレートを置くと、それ目掛けて火花が散ることを発見したのだ。


 しかし、彼はこのフィラメントから飛び出す火花の正体が何であるかに気づかず、研究ノートにそれを記述するだけで、その発見を些細なものと見逃してしまった。


 そうして忘れ去られてしまったその現象であるが、それからなんと20年も経ち、電磁気学が発展するとジョン・フレミングがその現象によって飛び出す火花が、熱によって放射された電子であることに気づいた。彼は、エジソンが発見したためにエジソン効果と名付けられたこの現象を利用して、二極真空管を発明する。


 二極真空管は簡単に言えば電気の流れを一方向に限定する装置で、交流電流を直流電流に変換することが出来る整流器として、実にコンパクトでスマートなものだった。この真空管はその3年後、ド・フォレストの発明した三極真空管と共に、20世紀のエレクトロニクスは花開いたと言って過言でない大発明であったが……それは、かつてエジソンが作ったプレートのついた電球そのものであったのは、なんとも皮肉な話である。


 これは決して大げさでもなんでもなく、もしもエジソンがそれに気づいていれば、歴史は20年早く進んでいたに違いないのだ。


「で、この三極真空管ってのが何かと言えば、直流の電圧を増減させる増幅器なんです。200キロの送電の途中にこれを挟むことにより、減衰した電気信号を増幅して元に戻します」


 初期の電話は長距離送電方法に悩まされた。


 東京都内くらいの距離ならそんなに変わらなかったのだが、東京大阪間の通話ともなると、送電線に流れる電気信号が減衰しすぎて、結果、到達した信号では声が小さくなりすぎて、まともには聞こえなかったのだ。


 よく通話が聞き取りづらい時に、電話が遠いという表現を使うが、これは文字通り、初期の電話は遠いと聞き取りづらかったことに由来する。


 彼らはこれを克服するために、送電線を極太にしてみたり、途中でインダクタと呼ばれる磁界発生装置を使って電気を増幅したりして対応したが、三極真空管を用いた中継機が開発されると、暫時それに切り替えられていった。


「と言うわけで、開発陣は電球を改造して真空管の増産体制を作り上げてください。電線会社の方は土木作業員の追加と、送電線の調達をお願いします。被膜はこの際コストが掛かり過ぎるんで、より良い方法が見つかるまではむき出しで構いません」


 但馬はその後、主任クラスと細かいことを話し合って、親父さんを誘って工場を出た。


 やることが、とにかく多くなった。


 それもこれも、コルフにちょっかいを掛けられたのが原因であるが、思い返せばその発端は、あの製塩所の社長が海運事業で失敗したのが原因だ。あれのせいで但馬は闇雲に金を稼がねばならなくなった。


 今にして思えば、フラクタルの海賊は、もしかしたら但馬を狙ったのかも知れない。タチアナは分からないと言っていたが、少なくとも、コルフは海賊と通じている。


 コルフは総統の独裁というわけではなく、評議会によってその意思決定がなされていたが、今回のクーデターがいい例であるが、内部は伏魔殿と化していて、全然一枚岩ではないのだ。


 総統とはまた別の勢力が、フラクタルの海賊を牛耳ってて、勝手をやってる可能性は十分にありうるのだ。そして、多分それが正解なんじゃないだろうか。


 今回、評議会を占拠してクーデターを起こした勢力はリディア制裁派だ。彼らは但馬を一方的に敵視していた。そんな但馬が海運にも手を出してきたから、海賊を使って痛い目を見てもらったと考えるのが一番分かりやすい。


 少し考えねばならない時期に差し掛かったのかも知れない。


「親父さん……」


 但馬は親父さんを連れて工場を出ると、直ぐ側を流れる川の畔に立った。製塩所なり造船所なり、別の工場に行くのだろうと思っていた彼は少し戸惑ったようだが、すぐに但馬の隣に並ぶと、いつものようにタバコに火をつけた。


「親父さん。そろそろ俺も武力を手に入れようかと思ってます」

「……え?」


 但馬がそう言うと、彼はよっぽど意外だったのか思わずタバコを取り落とし、慌てて掴もうとして熱いと悲鳴を上げた。但馬はその様子を横目で見ながら続けた。


「最初はここまで大きくするつもりは無かったんですけどね。会社が大きくなってきて、いよいよ身動きが取れなくなってきました。本当はどこかでリディアからおさらばして、自由気ままに諸国漫遊でもしようかと思ってたんですが、こうなってくると、もう後には引けません」


 親父さんはポカンと口を半開きにしながら、


「しかし、武力と言っても……君は兵隊でも雇うつもりかい?」

「いいえ、兵器を作ろうかと」

「ああ……」

「勇者が作ったというマスケット銃ですが、俺の……と言うか俺や勇者の国ではスタンダードな武器だったんですよ。だから、これからどうやって発展していけばいいのか、ある程度予測も付きますし、大型化も出来る。実は現時点で、火薬の調達法にも目処がついてるんです」

「ほう……つまり、もうあれを量産できるってことかい?」

「はい。人殺しの道具ですからね……あんなものを量産したら何が起きるのか、容易に想像がつくってもんです。でも、外洋に出て未知の世界に乗り出すには、どうしても丸腰ってわけには行きません。北方では内戦が続いてると言います。ガッリアの森にはエルフが、イオニア海には海賊がいます。俺の予想では、ロディーナ大陸の他にも陸地があって、そこにはどんな生物がいるか想像も付きません」


 イオニア海に出て航海訓練を始めれば、きっと海賊にちょっかいを出されるだろう。エトルリアの他の国とも、戦闘になりうる可能性はある。ロディーナ大陸を一周するなら、ティレニアの海域も通るだろうが、この国が何を考えてるのか良くわからない。


 そして危険は人間だけとは限らない。エルフや亜人、ジャングルに潜む猛獣や魔獣、自然そのものが脅威となることだってあるだろう。


「出来れば、兵器開発なんてしたくは無かったんですが、それを考えるとそろそろ潮時かと……これが嫌ならもう、何もかも捨てて一人で逃げるしかないけど、今更そんなことも出来ません。だから俺は、リディアに加担することに決めました」


 リディアというのは、人類圏の端っこの国だ。地理的には非常に不便な場所で、ホームにするには適さないだろう。


 だったら、それを世界の中心にするつもりで頑張るまでだ。


「親父さんには何から何まで迷惑掛けっぱなしだったし、先に言っておこうかと……」

「決めちゃったのか」

「はい、決めました。で……もし嫌だったら、もう手を引いてくれても構わないんで、はっきり言ってください」

「なんだ、ロートルは隠居しろってのか?」

「とんでもない」


 正直、現時点で居なくなると会社自体が困ってしまうのは、多分但馬じゃなくて彼の方だろう。但馬は商品開発のアイディアは出すが、実際に作るのは親父さん率いる開発陣だ。それを統括する彼が用済みなわけがない。


「冗談だ。今更、それくらいのことで手を引くわけがないだろう。君は色々と難しく考えすぎるな。そんなこと気にせず、好きに舵取りをしてればいいんだ、社長なんだから」

「……すみません」

「俺は息子を亡くした……でも、こうして新しい息子みたいなのが出来た。本当なら、悲嘆に暮れて悲しんでるだけの俺たちに、沢山のものを与えてくれたんだ。いくらでも迷惑かけるがいい。それが息子の仕事だ」


 バンバンと背中を乱暴に叩かれて、空咳とともに涙が飛んだ。但馬はそれを隠そうとして、非難がましく文句を言うと、しゃがみこんで川底を眺めた。水面に自分の歪んだ顔が見える。


 但馬には父親が居ない。居たらこんな風に温かく、叱咤してくれたのだろうか。




 親父さんと別れて中央区へ向かうと、その足で不動産屋へ向かった。現在の家を引き払って新しく高級住宅地に家を構えようと思ってのことだ。


 どんな条件がいいのかと問われ、但馬は少し迷ってから、離れのついている家を求めた。自分の工房にするつもりじゃなく、エリオスが気兼ねなく使えるようにと思っての事だった。


 家を引っ越すことに賛同してくれたエリオスは、自分も近所に家を借りるつもりだというので、だったら一緒に暮らせば良いだろうと言ったのだが、それだけは出来ないと断られた。主人と使用人が同じ屋根の下で寝るのは絶対に駄目なのだそうだ。どうも彼の考える主従関係のようなものには必要なことらしい。


 護衛として有事の際に駆けつけて欲しいんだから、同じ家で暮らしてたほうが合理的だと思うのだが……まあ、嫌なら嫌で仕方ない。離れなら多分、彼も気兼ねなく使ってくれるだろうから、出来るだけ立派なのがある家を探そうと思う。


 不動産屋にそれならオススメの物件がありますと言われ、まあとにかく見てみましょうとその物件に向かった。


 しかし、エリオスとも付き合いが長く、考えても見れば彼も親父さんと同様に自分の父親みたいなものだなあと思うと、なんだか気恥ずかしくなって来た。男同士というのはどうもこう、感謝してるのだが、その感謝を表現するのが苦手である。


 ともあれ、不動産屋に連れられて行った物件は、確かに凄くいい家だったのだが広すぎて、使用人が10人位いないと駄目なんじゃないか、といった感じだったからお断りして次のを紹介してもらうことにした。


 不動産屋は但馬のことをよく知っていて、但馬ほどの貴族様ならこれくらいの家に住むのが普通ですよ? と不満たらたらだったのだが、そんなこと言っても50平米に3LDKをぶち込む日本で暮らしていた身としてはチンプンカンプンだった。


 そんなこんなで不動産をめぐること数件、どれもこれも但馬のお眼鏡にはかなわず、そろそろ不動産屋の口数も少なくなってきたころ、但馬は彼の疲れも見越してまた後日出直すからと言って帰ろうとしたのだが、上客を逃すまいとする不動産屋の思わぬ抵抗に遭って、最後の最後だからと一件の家に連れて行かれた。


 流石にこれが最後となると、不動産屋も諦めたのか、但馬の要望を100%聞き入れた物件を紹介してくれた。


 広さは今の家よりもだいぶ広かったが、それなりなのでアナスタシア一人でも十分に管理できそうだった。そして離れも母屋から遠すぎず近すぎず、庭の手入れも行き届いていてなかなか素晴らしい家だった。持ち主が亡くなって大分経つそうだが、


「庭師がすぐ近所に住んでて格安で手入れしてくれるから、思ったよりも荒れてないでしょう? ただ、あれが……」


 と不動産屋が指差したのは、すぐ近くの街区にあるホテルであった。家からはその最上階が見えるから、恐らくはあちらかもこちらの庭が見えていることだろう。高い建物から見下されるから、貴族にはオススメできなかったそうだ。


 言われてみると確かに、プライバシーに問題があるかな……と思ったが、他の条件は完璧だったので、取り敢えずここを最有力候補として家人と相談するからと言って、不動産屋と別れた。


 こんなに長いこと付き合ってくれた手前、すぐ決めて上げたかったが、流石にアナスタシアやエリオスに断りもなく、勝手に決めちゃうのはまずかろう……彼らも気に入ってくれるといいな……


 などと、思いながらプラプラと歩いてる時だった。


 先ほどの家から見えたホテル……ホテル・グランドヒルズ・オブ・リディアに差し掛かる交差点に、見知った顔を見つけ、但馬は声をかけた。


「おーい! トー!」


 ブンブンと手を振ってアピールしたのだが、トーは但馬に気づかずに、そのままふらりとホテルの中に入っていった。


 但馬は追いかけようか迷ったが、女と逢引きだったりしたら野暮であるし、結局は知らんぷりして背を向けることにした。


 それに、支配人に見つかると多分嫌がるしなあ……などと思いつつ、但馬はブラブラと本社へと戻っていった。大分時間を使ってしまったが、今日はこれから東区に出向かねばならない。ウルフの陣中見舞いもするつもりだ。何か新しい発見はあったのだろうか。


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