メディアの亜人
家の中の照明を点けると、亜人の青年ミルトンは感嘆の息を吐いた。こんなの、おまえの泊まってるホテルにもついてるだろう? と言ったら、亜人が人間様と同じ場所に泊まれるわけがないだろうと返されて、そういうもんかと唸った。
取り敢えず、敵意は無さそうだから工房に上げて茶を出したが、帰宅するや否や、闇に乗じて襲撃を受けた手前、流石に良い気分はしない。但馬は、突然の来訪者に対し、おふざけが過ぎるんじゃないかと憤った。しかし、
「但馬波瑠。それはこっちのセリフだぜ? どうしておまえ、こんなに簡単に襲撃を受けちゃえるんだよ。さっきのは俺に殺されててもおかしくなかったろ。こっちにはおまえを殺す理由だってあるのに」
「ええっ……なんだって?」
「あのなあ……おまえ、俺達が何しにリディアに来たか分かってるだろう? それもこれも、元を正せば但馬波瑠、おまえんところが原因だ。おまえにその気はなくっても、コルフにはおまえを恨む人間なんかゴマンと居るんだぜ? そういう奴らがこの国に来て無防備なおまえの姿を見たら、フラフラと魔が差したっておかしくないと俺は思うよ」
但馬には、正直、そこまで恨まれてるなんて実感がなかった。しかし、リディアに居ると勘違いしやすいが、この世界は相当遅れているのだ。セーフティネットなんて概念はあり得ないし、失業したら即収入が絶たれ、そしたらおまんま食い上げだ、下手をすると生死にも関わる。
そういうことを滔々と語られ、文句を言ったつもりが逆に説教を食らって、但馬は言葉に詰まった。
タチアナにコルフの状況を聞いて、どうして一方的に他人を恨むことが出来るんだよ……などと不貞腐れては居たが、現代人の但馬には根本的にその感覚が抜けていた。彼らは本当にやり直しがきかない世界の住人なのだ。
「なんだか知らないけど、おまえと仲良くしてるロレダン家なんて、本当はコルフで一番被害を受けてるはずなんだ。あそこは氷売りの元締めだから、リディアに売ってた分がごっそり無くなって、大赤字だろうよ」
「そうだったの!?」
そんな素振りも無かったので正直驚いた。彼女は助けてくれと言いに来たから良かったが、もしもおふざけじゃなくて、ミルトンみたいな者を使って襲撃に来てたとしたら、今頃但馬はお陀仏だったかも知れない。
そう考えると、こうして誰も居ない家の中で、つい最近出会ったばかりの男と居るのも少し怖い気がしてきた。
森で出会ったメディアの商人、ミルトンは何故かコルフの使者として現れた。拠点をコルフに構えていると言っていたが、使者ともなるとかなりの実力者だったのだろうか。
「いや、そんなこともないんだけどな。寧ろ小間使いだと思ってくれたほうが……」
と謙遜するが、タチアナも言っていた通り、あまり見た目で判断しないほうが良さそうかなと但馬は思ったが、
「いやいやマジだって。亜人系議員から使者を出すって話が商工会に上がったんだけど、コルフからリディアに来ると、往復2週間は必要だからな。船乗りでもないのに、みんな本音を言えばコルフから離れたくないんだよ。俺は丁度メディアに用事があったから、そんで使者を買って出たのさ」
「ああ、メディアに帰るつもりだったんだ。買い付けかなにかかい?」
「何を言ってるんだ、但馬波瑠。こないだの子供を引き取るために決まってるじゃないか」
「……え?」
曰く、この前はあのままコルフに帰ってしまったから、メディアに話がついてない。そんな中で但馬がリオンを連れて行ったら、経緯を知らないメディアの役人が混乱するかも知れないので……
「結局、誰か使いを出して話を通しておかなきゃならなかったんだよ。そんな時に、使者の話が出たから、丁度良いから自分で来たんだ」
「そうだったのか。面倒かけたな」
「構わないさ。おまえの言うとおり、買い付けの用事も済ませられるしな。しっかし、ローデポリスに居ても亜人じゃ肩身が狭い。他のコルフの連中はホテルに入れてもくれないしさ、仕方ねえから今日にもさっさとメディアに向かうことにしたんだけど……謁見の間でたまたま顔をあわせたろ?」
「ああ」
「無視するのもあれだし、挨拶ついでに何だったらあのガキ連れてこうと思ってたんだけど……」
「え!? そ……そうだったのか」
「何度もここ訪問したんだけど、一向に誰か帰ってくる気配もないし、そうこうしてると憲兵隊に目をつけられたみたいで、困っちゃってさ。そんで、但馬波瑠が帰ってくるまで庭に隠れてたんだ……あいつら、ぐるぐる回ってるだけで、居ても居なくても関係ねえな」
「うっ……防犯にはもう少し気をつけるよ」
「そうしろそうしろ。で、あのガキはどうしたんだい? もし邪魔になってんなら連れてくぜ」
「そ、それなんだけど……」
但馬は少々戸惑ったが、結局は親父さんたちの様子を思い出して……
「実はその~……なんつーか愛着が湧いたっつーか、一緒に暮らしてても邪魔にならないっつーか、もし出来るんならこのまま引き取ったり出来ないのかなあとか……」
「えっ? 身請けしてくれんの?」
正直、まだアナスタシアにも話していなかったので、勝手なことをするわけにはいかないので……
「俺はそうしたいと思ってんだけどさ、ただ、メディアに行くまで時間があったから、まだ家人に話してないんだよ。だから、返事はそれからじゃ駄目かな?」
「もちろん構わないさ。そうか……あのガキ、ラッキーだな。どうせ、メディアに戻ってもそんなに良い生活出来るわけじゃないし」
それはアナスタシアも懸念していた。孤児院とか、その手の施設のことは、ぶっちゃけ但馬もよく分かってない。自分が子供だった頃を思い返してみても、周りにそんな境遇の子供は居なかった。
但馬は片親で、祖父母と暮らし始めるまでは学童保育所に通っていたが、職員は親切だったし、同年の子供たちと街を駆け回るのは寧ろ楽しみの一つだった。だから、そういう感じかなと勝手に想像していたのだが……
「正直なところ、メディアに帰ったらあんまり人間らしい生活は望めないと思うぜ」
と、ミルトンは口をとがらせながら言った。
「メディアにいると、極端に人間との接触を禁じられる。おまえも森で俺の護衛の奴らを見たろ?」
「ん、ああ……」
なんか、妙に機械的というか、人間味が感じられない連中だった気がする。ミルトンは言って良いのかどうか、少し迷った顔をしてから……
「メディアの亜人は人類圏からはぐれるような生活してる上に、子供のうちから戦士として育てられ、あとは畑仕事くらいしかやることがないんだ。一生をそうして暮らすから人間味がなくなっちゃって、戦争が始まってから二代目三代目にもなると、もうただの動物そのものだ。これは俺の個人的意見だけど……あんなところに居るよりは、奴隷になったほうがマシなんじゃないかと思ってる」
奴隷という言葉にドキッとして表情に出たのだろうか、彼は但馬の顔を見るや、慌てて取り繕うように続けた。
「いや、もちろんそんなことないのはわかってるけど、少なくとも、俺の知ってる亜人奴隷は、多かれ少なかれ問題を抱えてる連中ばかりだけど、メディアの奴らよりかは人間っぽいからな……亜人としてただ森の中で生きるのが良いか、それとも奴隷になってでも人間の中で生きるのが良いか……俺はどっちもどっちだと思ってるってこと」
「なるほど……」
メディアの亜人がどういう暮らしをしているのかは殆ど知らなかったが、やはり人類圏から隔絶されている以上、まともではないらしい。思えば、小さい内に親から離されてほっぽり出されるのだ、誰かが愛情を持って育てなければまともに育つとは限らない。
生まれたばかりの子供を両親から引き剥がし、極端に愛情を与えずに育てたらどうなるかという疑問は大昔からあったらしく、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世の実験が有名な例として現代に伝えられている。
それによると子供たちは乳母に世話され衣食住過不足無く育てられたが、乳母や周囲の人間が言葉を発することを禁じ、子供の目を見ることさえ許さず、一切のスキンシップを禁じて育てられた子供たちは、成人する前に全員が死んでしまったという。
リオンも少しボンヤリしたところがあるが、やはり親から愛情を注がれずに育ったからだろうか? それは亜人と呼ばれる種族の習わしなのかも知れないから、一概に悪とは言い切れないが、ミルトンはそう言う状況をあまり良く思ってないようだった。
……もし、リオンをメディアに返したら、あの時の亜人傭兵のように無気力になるのだろうか。
そんなことを考えて、心中複雑に思っていると、
「さて……それじゃ、俺はそろそろ行くとするよ。忙しいところ邪魔したな、但馬波瑠」
「行くって……もしかして、こんな暗いうちからメディアに向けて発つってわけ?」
「ああ。俺は夜目が効くから、昼も夜も関係ないんだ」
そう言うとミルトンは自分の目を指差して、その猫の目みたいな縦長の瞳孔を開いたり閉じたりしてみせた。やはり人間とは違うんだなと思うと、感嘆の息が漏れる。
「それに、亜人の俺なんかを泊めてくれるような宿なんて、たかが知れてるからな。コルフの連中が一緒に泊めてくれればいいのに。あいつらばっかり良いとこ泊まりやがって、癪に障るぜ」
「そういや、あいつら、どこに泊まってんだ?」
「ホテル・グランドヒルズ・オブ・リディアだかなんだか……」
ああ、あれか……いつもお世話になってる但馬は、顔をひきつらせつつ頷いた。
そしてミルトンはリディアを発つつもりで腰を上げたが……
「それじゃあな、但馬波瑠。またメディアで会えたらいいな」
「ちょっと待って。最後に一つ聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「コルフは今、どうなってんの? タチアナさんとおまえらと、要求が違いすぎて、同じ場所から来たとは到底思えん。どうやら行き違いもあったっぽいし、何が起こってるのか、差し支えなかったら教えてくれないか?」
但馬がそう尋ねると、ミルトンは眉を寄せ、少し難しそうな顔をしてから、やがて観念したかのように言った。
「……遅かれ早かれ知られることだろうから言うけど、俺からだってのは絶対に口外しないでくれよな?」
「ああ」
「ロレダンの娘がコルフを出た直後だ……議事堂をリディア制裁派の国民が取り囲んで、突入した過激派と共に総統を含む保守系議員を拘束したんだ。もともと、リディア制裁は既定路線で、総統が抵抗していたから決まらなかっただけなんだけど、それに対して一部の過激派がキレちゃった感じだな」
それじゃ、クーデターで議会が占拠されたと言うことか。タダ事じゃないとは思っていたが、完全に政変と言っていい出来事が起こっていたようである。総統は無事なのだろうか?
「そんで、総統に無理矢理言うこと聞かせて強行採決。今度は総統を辞めさせる法律がないから、その法案を作ろうってところで、俺達はリディアに遣わされたんで、後のことはわからないよ」
「そんなことが起こってたのか……じゃあ、もうコルフは新体制になってると見ていいのかな」
もしかしたら、もう次の要求を採択し終わっていて、また今回のような挑発外交をしてくるかも知れない。あまり度が過ぎると、国王が怒り出す可能性もあり得る。それを警戒していたのだが、
「いや、多分まだ決まってないんじゃないか? 突入した過激派はぶっちゃけ烏合だから、総統を辞めさせるまでは団結しても、その後がまとまらないと思う」
ミルトンがあっけらかんとして言った。
どういうことかと言えば、極端な話、政権を奪ったら、今度はそれを手放したくなくなるのが人情だ。誰がイニシアチブを取るか決まっていないのに、いつでも総統を辞めさせられる法案を作っちゃうと、今度は自分たちの首を絞めかねない。それでお互いに牽制しあって、上手くいってなかったそうだ。要は内ゲバだ。
「総統はその辺も見越して悠然としていたよ。そんで、娘の身を案じてあんな手紙を書いて寄越したんだと思うけど……」
「検閲されるから、はっきりしたことは書けなかったってわけか」
「多分、そうじゃないか」
すると、タチアナはコルフに帰らないほうがいいと総統は判断したわけだ。思ったよりも危険なめに遭ってるのかも知れない。
その後、ミルトンは但馬に別れを告げると、メディアへ向けて去って行った。フード付きのマントを被って、リュックを一つ背負ってるくらいで手荷物も殆ど無い、実に身軽な格好である。
確かメディアまでは話を聞くところによると、東京大阪間くらいの距離がある感じだった。そんな装備で大丈夫か? と思わず問いかけたくなったが、多分、問題ないのだろう。
真っ暗だと言うのに意気揚々と去る彼の背中を見送ってから、但馬は家の戸締まりをして、エリオスの家に向かった。
……しかし、相手がミルトンだったから良かったものの、本物の襲撃者だったら、今頃どうなっていたことだろうか。延髄や心臓などをナイフで突かれて一撃で殺されたら、多分、ヒールが間に合わない。と言うかそもそも、但馬はヒールが使えない。
コルフの状況を聞くと、但馬はどうやら無意識に恨みを買っていたらしい。これはエリオスとも相談したほうがいいかも知れない。場合によっては家を変えることも視野に入れたほうがいいだろうか。考え過ぎかも知れないが、実際にミルトンに無防備過ぎると言われて、返す言葉が無かったのだ。
それに、狙われるのが自分だけとも限らない。一緒に暮らしてるアナスタシアや、場合によったら親父さんたちも危険かも知れないのだ。
「どうすっかなあ……」
エリオスの家に向かう最中、また暗い夜道を一人で歩きながらそう呟いた。酔いつぶれて、公園の植え込みに潜り込んでいた頃が懐かしい。金持ちになっても、決して良いことだらけじゃないんだなと思い、但馬はため息を吐いた。