表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第三章
84/398

自分で決めるしかないんだよな

 エタノール(エチルアルコール)のことを酒精と呼ぶ。ではメタノール(メチルアルコール)のことはなんと呼ぶかと言えば、木精である。


 植物の表層にはメタノールが大量に含まれており、それが染みだすことによって、実は森林大気中はアルコール濃度が高い。それを微生物が消化してくれなければ、森林はやがてアルコールの沼に沈んでしまうのだが、大昔の人たちが何故このことを知っていたのか(木精と呼んだのか)と言えば、それは木炭製造の際に得られる木酢液に由来した。


 洋の東西を問わずガラス工芸には大量の木炭が必須であるが、空気を遮断して木を乾燥させ木炭を製造するときに排出されるタール(いわゆる松脂)、これを冷却し静置分離して得られる上澄み液のことを木酢液と呼び、それにメタノールが含まれることを、昔の人達は経験から知っていたのだ。


 西ヨーロッパはかつて原生林に覆われており、地中海世界と違って人が住めるような環境では無かった。この広大な土地が開拓された主な理由の一つにガラス工芸の発展があり、中世代にガラス工芸が盛んになると、木炭を求めて人々が移住し木を切り倒していったのだ。


 それはやがて大航海時代の帆船製造ラッシュにピークを迎え、産業革命期にはついにヨーロッパの森林資源は枯渇してしまい、そのための代替燃料として使い出されたのが石炭であったのだ。


 こうして燃料を植物の木炭から、鉱石の石炭へと切り替えていった人類であったが、それまでの木炭製造の経験上、石炭だって木炭のように乾留すれば、燃料効率が上がるんじゃないか? という発想が生まれるのは時間の問題であった。そして生み出されたコークスは、人々の期待通りに高効率な燃料として産業革命を支えた最大の資源となった。


 さて、こうして石炭を乾留して生み出されたコークスであったが、産業革命期の旺盛な需要に対応すべく、コークス製造のための炉が改良され、大量生産されてくると、決して無視できない規模の大量の排気ガスに悩まされるようになる。


 コークスを精製すると、原料の石炭との重量比にしておよそ40%が失われるのだが、初めのうちは気にせず空気中に捨てていたこの排気ガスも、無視できないレベルになると、別の使い道を模索しなければならなくなったのだ。


 そこで人々は木炭製造の時と同様に、出てきたガスを冷却して静置分離することで、それらを副産物としてまた利用することにした。


 このコークス炉ガスと呼ばれるものの正体は、主にコールタールや一酸化炭素、メタンを中心とした炭化水素ガスで、可燃性で良い燃料になったが、少量の硫化水素やアンモニア、シアン化物(青酸カリ等)が含まれていたため有毒であった。


 そのため後にアンモニア水に通し吸着させる方法が生み出されるまでは、一般家庭には普及しなかったが、それが解決されると、メタンなどのガスは都市ガスに、コールタールやクレオソートは防腐剤や塗料に、硫化水素やアンモニアは肥料に使われるようになっていった。

 



 アンモニアという化学物質は、天然には塩として存在している。例えば、火山帯には硫酸アンモニウム(硫安)や塩化アンモニウム(塩安)という鉱石として転がっており、窒素系肥料として使えるので、リディアでも農園のオジサンがそれを利用していた。


 大昔の錬金術士達は、この塩安を乾留することでアンモニアを得ていたが、実はこの化合物、食塩におしっこをひっかけるだけで精製するものだから、冗談抜きで、かつてはそうやって集めていたそうなのだ。


 冷蔵庫を生産し、これはイケると思い冷媒用のアンモニアが欲しくなったのだが、農園と奪い合いになるのは避けたいから代替手段を考えていた時、但馬はその方法を使って工員たちにギブミーおしっこと言って煙たがられていた。


 変態死ねと罵られ、ちくしょう、いつか処女のおしっこだけで作った冷蔵庫を商品化してやるからな……と決意を新たにしていたそんな時、同時期に作っていたコークス炉からガスの問題が上がってきて、確か硫黄が混じっていることは知っていたから、どうにか除去できないかと試行錯誤している内に、アンモニアも運良く手に入るようになってしまった。


 そのことに喜んで、倉庫向けに大型冷蔵庫なんかを作ってコルフに止めを刺してしまったわけだが……それも仕方ないことだろう。窒素化合物がこんなにあっさり手に入るとは思わなかったのだ。


 何しろこれは農業にとって一大革命と言っても過言でない。


 植物の生育には窒素、カリウム、リンの三要素が不可欠だ。肥沃な土地というものは、これらの元素を含んだ化合物が適度に詰まった土壌のことで、これらの元素は植物が生育するにしたがって徐々に失われていく。


 俗にいう連作障害とはこのことで、同じ植物を生産し続けると、土壌の栄養となる元素のバランスが崩れ、やがて植物が育たなくなる。窒素を大量に欲する植物を生産し続ければ土壌の窒素分が失われ、リンを必要とする植物ならリンが失われると言った具合にだ。


 こうして土地は痩せ続け、また同じように生産したければ、休耕地にして土壌の回復を待たねばならない。そして、その時間がもったいないからと生み出されたのが、輪作という技術だった。輪作とは要するに、必要な栄養素が違う作物を次々と変えて、作物を育てながら土壌の回復も図るという狙いの下に生まれたものである。


 さて、輪作を取り入れたヨーロッパ諸国であったが、それでも冬場は作物が育たず、畑を休ませる必要があった。そのため、この時代の家畜は冬支度に間引かれて干し肉にされるのが一般的だったのだが……やがて、冬場でも育つカブが栽培されるようになると、それを餌に休耕地に家畜を放牧するようになり、一年を通して家畜を飼育することが可能になった。


 そして、この家畜を放牧したあとの畑が、不思議とよく作物が育つものだから、そこでようやく肥料という概念を思いついたらしい。ヨーロッパの人たちはこのとき、ようやく家畜や人間の糞尿が肥料になることを知ったのだ。


 大昔の輪作は経験的に行われていただけであり、肥料という概念は無かった。日本ではいわゆる肥溜めという、人糞を利用した肥料が平安時代から存在するのだが、実はこのようなことをやっていたのは世界でも稀で、ヨーロッパの人たちは人糞が畑の肥料になることを知らなかったのだ。


 肥料のために積極的に家畜飼育をするようになると、人間のための農作物もまた飛躍的に生産性が増していった。


 このようにして農業革命が起こると、ヨーロッパでは人口が爆発的に増加し、それが続いての産業革命に繋がった。


 そして更に、紡績機の発明に始まる産業革命は、やがて石鹸をはじめとするソーダ産業の勃興へと続いた。これにより化学が発達すると、肥料の研究も進んで、化学肥料が作られるようになり、農業もより発展していったのだ。




 ところで、植物の生育を助ける肥料には先に述べたとおり、窒素、カリウム、リンの元素が含まれる。このうち窒素は空気の成分に含まれており、地球大気のおよそ8割が、この窒素に満たされていることは、誰もが知っている常識であろう。


 窒素はタンパク質やアミノ酸を作るために重要な元素で、これが無ければ植物も動物も成長が出来ない。そのため肥料に含まれるのは非常に分かりやすいのだが、ところが植物は土壌に含まれた化合物の形でしか、窒素を取り込むことが出来ないのである。


 空気中に掃いて捨てるほどあるのに、植物は窒素を空気中から得ることが出来ない。光合成のように自然とエネルギーを得られれば便利なのに、必ず、何らかの化合物にして、土の中に埋めてやらねばならないのだ。


 さて、肥料の正体を突き止めた人類は、当然、それを空気中に求めた。空気中の窒素と、水に含まれている水素を反応させれば、アンモニアが出来るはずだ。どうにかしてそれが得られないか? と考えたのだ。


 そして生み出されたのが、ルシャトリエの原理である。


 ルシャトリエのみならず、当時の化学者達は上述の理由で、空気中の窒素から化合物を生成する方法を探していた。しかし、調べれば調べるほど分かってきたのは、窒素という元素は非常に強固な分子構造(三重結合)をしており、そう簡単にはこれを分離させて化学反応をおこさせることは出来ない、ということばかりだった。


 まあ、空気中に大量に溢れている元素がそう簡単に反応しては、危なっかしくて外を歩けないから、当然といえば当然の帰結であったのだが……


 そんな中、ルシャトリエは、化学反応には付き物の熱に着目し、熱と圧力を操作することによって、化学平衡を作り出せると予言した。ざっくり簡単に説明すれば、頑強に結合した窒素分子(N2)も、超高温高圧下に置かれれば、結合が解かれるよと言うことである。


 しかし、ルシャトリエの原理を用いて計算すると、窒素分子の結合が解かれ、他の原子と化学反応を始めるには、およそ1000度という高温状態を作らなければならないと分かり、実現は不可能かと思われた。


 だが20世紀初頭、ドイツ出身のユダヤ人科学者フリッツ・ハーバーが、ルシャトリエが予言した通り、空気中の窒素分子を水素分子と結合させてアンモニアを精製することに成功したのである。


 尤も、彼の初めての試みはデータが甘く、後のライバルであるネルンストに散々コケにされて物笑いの種にされる始末だったのだが……これがかえってハーバーの心に火を点けて、以来、彼は同研究に没頭することになり、その結果、彼はついに狙い通りアンモニアを生成する方法を確立するのであった。


 ハーバーは実験を成功させると、世界最大のドイツの化学メーカーBASF(バスフ)に売り込んだ。BASFは彼に実証試験を依頼し、そしてそれを見ていた研究員ボッシュが、後に彼の機械を改良し、彼らの窒素固定法は以来、ハーバー・ボッシュ法として世界中で利用され、BASFはオッパウの地で大量生産を開始するようになる。


 この成功により、ハーバーは『水と石炭と空気とからパンを作った』と賞賛された。しかし、直後に第一次世界大戦が始まると『空気から火薬を作り出した』と言われ、多くの人々から恨まれることになる。


 元々硝石の取れないドイツは、戦争が始まり貿易を止められると、火薬の調達に困るはずだった。しかし、この技術のお陰でドイツは大戦中に使用した火薬の全てを国内で賄うことが出来、継戦能力が飛躍的に上がっていたのだ。また、彼が大戦中に毒ガス研究に従事していたことで、ノーベル賞の選考にも影響が出たそうだ。


 ハーバーはユダヤ人であったが故に、愛国心がとても強く、プロテスタントに改宗するとその生涯の殆どを、祖国ドイツのために費やした。毒ガス研究もそのためであったのだが、しかし、これまたユダヤ人故か、ナチスが政権を握ると、ついにこの愛国者は国から追われることになる。


 彼は失意の中、自分がいかにドイツのために生きてきたか訴えたが、聞き入れられることは無かった。そして晩年、彼はシオニズム運動のためにパレスチナへ向かう最中に息を引き取ることとなるのだ。



 

 小学生の頃、誰もが一度はその臭いを嗅いで、おしっこくせえ! と大騒ぎした経験があるであろう、あのアンモニアにはそんな物語が隠されている。


 最初は錬金術士の秘薬であり、続いて畑の肥料となり、最後は戦争の道具として大量生産された。今でもハーバー・ボッシュ法を用いた生産が行われており、年間を通して作られるその8割が肥料として使われており、現代の世界人口を支える源となっている。


 これこそ、まさに現代の錬金術と言えよう。


 アンモニアは工業的にきわめて重要な物質で、但馬もいずれは生産法を確立しようと画策してはいたのだが……コークス炉から思わぬ副産物で手に入るようになって、肩透かしを食らってるような気持ちになった。少なくとも火薬や肥料といった概念がほぼないこの世界では、但馬が使う分には十分な量が手に入る状況だ。


 海岸でタチアナと分かれてから、製塩所で適当に仕事をしたが、そのことが頭を離れず、仕事にならないため早々に切り上げてシモン家へと向かった。


 すっかり懐いたリオンを膝にのせたお袋さんと世間話しながら、早く二人目の孫が生まれないものかねなどと言われて顔を赤くし、いやそもそもアーニャちゃんとはそう言う関係じゃないし、お袋さんともそういう関係じゃないんだからと、こそばゆいやら、むず痒いやら、なんとも言えない気分でフワフワと考え事をしていた。


 国王がどうこうでなく、それで結局、手に入れたアンモニアをどうすべきなのか。どうしたいのか。


 硝酸にするなら、それなりの覚悟と設備と金が要る。


 だから、こればっかりは自分で決めるしかないんだよな……


 そんなことを考えつつ、夕飯を待っていると、アナスタシアと親父さんが一緒に帰宅した。肩を並べて仲良く玄関を入ってくる二人を出迎えていると、但馬に引っ付いていたはずのリオンが彼女の方へと駆けていって、隣の親父さんが羨ましそうにそれを眺めていた。


 しかし、夕飯を食べて風呂の時間になると、昼間にゴムのスクリュー船を作っていた彼の独壇場となった。リオンは船に夢中で、風呂場から二人の楽しげな声が聞こえてくる。


 アナスタシアとお袋さんが、台所につけたばかりの薄暗い電灯の下で食器を洗いながら親しげに会話を交わし、それをぼんやりと眺めながら考え事をしていると、何だか凄く懐かしい気分になってきた。もちろん、こんな経験をした覚えがあると言うわけじゃない。


 ただ、家族というものを思い出して、なんとも言えない気持ちになったのだ。


 その後、風呂で遊びすぎたリオンがのぼせて、親父さんがオロオロしながらうちわで扇いでいる中、呆れた素振りのお袋さんに泊まっていけと言われて、お言葉に甘える事にした。


 でも、家の戸締まりとエリオスへの報告が必要なので、但馬一人だけで一旦家へと戻ることにした。


 エリオスは護衛として但馬の家の近くに住んでいて、毎朝のトレーニングもあるから、一言言っておかないとうるさいのだ。


 シモン家から出て、暗い路地から明るい街灯のある通りへ向かうと、酔っぱらいが千鳥足で歩いて行った。日本にいたときは散々見た光景であったが、リディアで見られるようになったのは、つい最近のことである。


 照明が防犯にも役立ち、多くの人達が夜も出歩けるようになったお陰だと思うとなんとも誇らしかったが、同時にこれ、残業とかも生み出してるのかな? と思うと、どっちが良いのか良くわからなくなった。まあ、流石にサビ残とかは無いと思うから、総括して良かった方なのだと思うのだけれど……


 ともあれ、夜も更けてきたというのに、人々の行き交う通りを進んで、やがて自宅のある路地に入ると、警らの憲兵隊に出会った。


 最近は家の近所もよく巡回してくれてるらしく、そのことに一言礼を言うと、彼らは嬉しそうに懐中電灯をカチカチしながら去って行った。


 だから心底油断していた。


 憲兵がすぐ近くにいれば、そりゃ安心もするだろう。


 自分の家の鉄扉の門を開けて敷地内へと入り、留守だったせいで照明のついていない玄関に近づいていくと……


「……動くな」


 いきなり腕を取られ、ねじ上げるように背中に回されたかと思うと、ドンっと突き飛ばされて玄関に体を押し付けられた。


 重心を上手く押さえられてるのか、身動きがまったく取れず、突然の出来事に声も上げられず、ただギリギリとする関節の痛みに耐えていると、目の前に鈍色に光る刃物がヌラリと突き立てられ、血の気が引いて目眩がして下腹部の当たりに怖気が走った。


 このままじゃいけないから声をあげようとするのだが、玄関に押し付けられた時に肺の中身を吐き出してしまったせいか、乾いたうめき声のようなものしか出ず、そんな彼を嘲笑うかのように、目の前の刃物がゆっくりと首筋へと向かう。


 必死になって体をねじって抵抗するのだが、あいも変わらず身動き一つ取れず、魔法を唱えようにもメニュー画面が開けない。


 どうしてこんなに油断した? やばい、やばい、やばい!


 万事休すかと思ったその時……


「なんてな」


 但馬を押さえつける力が、ふっと抜けたかと思うと、緊迫感のない声が辺りに響いた。


 彼は腰砕けてそのまま地面に転がると、足が動かないもんだから、襲撃者から逃れるように、バタバタと腕を動かして後退った。


 振り返ると、フードを被った男が月を背負って立っていた。まるでバトントワリングのように短剣をクルクルと指の上で遊ばせた彼は、ストっとホルダーにそれを突っ込んで、余ったもう片方の手でフードをサッと取っ払う。


「ミルトン!?」

「よっ! 但馬波瑠。いっくらなんでも無防備すぎやしないかい?」


 人懐っこい笑みを浮かべた亜人の男はそう言うと、地面に転がる但馬に向けて手を差し伸べた。


 但馬は敵じゃなくってホッとするやら情けないやら、少しムッとしながらその手を掴むと、おもいっきり体重をかけて起き上がるのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。よろしければ是非!
― 新着の感想 ―
[一言] ホンマにコレ。主人公ホントに雑魚すぎだろ。まじで何回死にかけてんだよ。もう主人公交代期待して良いですか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ