公金使い放題じゃあ!
隣国に貿易路を押さえられ、交易に支障を来すことになったわけだが、それで実際に内海交易に拘る必要があるかどうかの検討に入ると、その必要は無いと言う結論に達した。
そもそも、リディアへの船は必ずコルフを経由するわけだから、初めから偏っていて、競争原理が働かないため、元々言い値で買わされてたような物なのだ。他に選択肢が無く、交易船の往来も頻繁に有り、国家関係が良好であったから今まで何も言わずに仲良くしていたわけだが、他に選択肢が出来た以上、こだわる必要性は皆無と言うわけだ。
武力を持って迫るよりもずっとスマートだし、いきなり新航路を開拓してみせたら、きっと相手も驚く。そりゃ痛快だろう。あちらから関係を解消しようと言ってきたのだから、文句もあるまい。
外洋へ出ようと言うと、国王は子供のように喜んだし、大臣たちも乗り気になった。
しかし、外洋に出るなら出るで、今日明日というわけにもいかない。船舶の用意はしているが、まだ二隻で、進水式も済んでない。元々が探検船のつもりだったから小型で貨物には向かず、数を揃えるのにも時間がかかる。外洋に面した港も欲しいところだ。
「して、但馬よ。交易路を開拓するのには、どのくらいかかるのか?」
「探検船を派遣するまでは、来年中には必ず目処を立てますよ。ただ実際に交易が軌道に乗るまで、数年がかりということは覚悟してもらいたいです。まずは小型船で外洋へ出る訓練から始めて、次に外洋に面した国々に接触し、港を作ってもらう必要があります」
ふらっと出て行って海岸線に近づいたら、座礁の危険がある。それを避けるための寄港地が絶対必要であるのだが、
「今のところ、外洋向きに港がある国ってありませんよね?」
「漁港くらいならあるでしょうが、沖に出ると海流に流されますからな……本格的な港は無いでしょうね。しかし需要は絶対にありますから、こちらから接触すればすぐに乗ってくると思いますよ」
「ちょちょ、ちょっとお待ち下さいませ」
と言うわけで、断交前提に外洋船の建造を話しあおうと話題を切り替えたら、泡を食って見ていたタチアナが大慌てで割って入った。
「そのお話はもう確定事項なのでしょうか。このような事態にならぬよう、私は派遣されたのですが……これでは国に帰ってなんと報告すれば良いのやら」
すると、出席者の冷たい視線がじっと顔に突き刺さり、彼女はうっとたじろいだ。
「……タチアナよ。しかし国の正式な使節がこうして外交文書を認めて来てしまった以上、今更お主がどうこう言ってもはじまるまい」
「ところで、但馬殿のご友人とあっても、これから先は我が国の機密に触れます故、そろそろお引き取り願いたいのですが……」
はっきり言って旗色が悪い。国王達からすれば、タチアナは後からやってきて、都合が悪くなったからゴネているようにしか見えないのだろう。
しかし、実際には彼女のほうが先に来たのは但馬も知っているので、
「まあまあ、外洋に出ようって言っても、すぐにどうこう出来る話でもありませんし。一旦話を持ち帰ってもらって、検討してもらえばよろしいんじゃないですかね。内海貿易自体が、今まで好調だったからこんなことにもなったわけですし。全てが丸く収まるのなら、それが一番いいですよ」
「ふむ……」
国王は少々不機嫌そうであったが、検討した結果、気がつけば被害はゼロに近い。国家に真の友人など居やしない、こういうことも起こりうるだろう。ならばいつまでも怒っていても仕方ないか、と言った感じに大臣に振った。
「ではどうする、大臣よ」
「はっ! ……取り急ぎ、報復関税をかければそれで十分かと。要求は基本的に無視し、関税を掛けたくば好きにさせれば良いでしょう。もし今回の要求を撤回し非礼を詫びるなら、その時、改めて交渉の場を設ければよいのでは」
現状、相手の方が輸入超過なのだから、こっちが先に関税をかけてしまえば、痛手を被るのは相手だけである。売れなくなってきた輸出品が更に売れなくなるし、今まで好調だったリディアの製品を勝手に値上げすることになるだけだから、貿易で儲けていた都市国家としてはただの自滅だ。
コルフはリディアを大陸から閉め出した……と、相手は考えているわけだが、そんなことしても痛くも痒くもないよと言ってやれば、考えも変わるだろう。仮に、相手が断交政策を継続したとして、外洋に出る準備が整うまで鎖国していても、リディアは十分にやっていけるだけの資源がある。もちろん、但馬にかかるプレッシャーは相当だろうが、そんなのはもう今さらだ。
「では、先ほどの馬鹿どもにはそう伝え、もう二度と取り次ぐな。外洋に出る用意があることは、くれぐれも気づかれないように……して、タチアナよ」
「は、はい!」
「お主はこの話を、コルフに持ち帰り総統に伝えるがよい。そうじゃな……今回の件を撤回する気があるのなら、年明けまでは待とう」
それじゃ、流石に少なすぎるだろうと思ったか、大臣が助け舟を出す。
「お待ちください。彼女はメディアとの休戦協定に出席する要請を受けておりますが、それはいかがなさるおつもりですか?」
「……そうじゃったな。ならば、それが終わってからで良いじゃろう」
式典が終わるまでに、人を使ってコルフに伝えるなりなんなりするが良いと言って国王は話を締めくくった。期限は大体一ヶ月といったところだろうか。それだけあれば十分だろう。それに、先ほどの三人には報復関税を通告するつもりなので、ほっといても相手には知れる。タチアナが国に戻るまでには、向こうの対応も決まっているだろう。
タチアナは弱々しく頷いたが……すぐに気を取り直すと、毅然とした態度で礼を述べた。そして一刻も早く対応を協議したいと言ってこの場を辞した。もはや弱ってる場合ではないと思ったのだろう。
その後、ブリジットなどを退出させて、国王と但馬、三大臣たちの計5人だけで本格的に外洋へ出る方針で協議を重ねた。
彼らは全く疑うこと無く、但馬の話を聞いてくれた。普通なら誰も信じないような話だが、今までの実績が物を言った。初めてここに連れてこられた時は紙を作れと言われて、ブリジットを監視につけられたわけだが、あの頃と比べれば雲泥の差である。
考えても見れば、ただケツを拭くための紙が欲しかっただけなのに、思えば遠くへきたもんだ。
それで、実際にやれるのかという話だが……造船技術自体は全く問題ない。現行のガレー船だって帆走することがあるのだから、普通にマストが付いている。あとはそこにかけるセイルの形と、揚力の理解の話だから、出来ないということはないだろう。と言うか、出来てもらわなきゃ困る。
そのために賞金で釣って、漁師にウィンドサーフィンをやらせていたのだ。今ではかなりの人数が揚力というものを実地で理解しているし、あとはそれを大型船に当てはめて、訓練を行えばなんとかなると踏んでいた。
何しろ、但馬には現代人の科学と栄養学の知識がある。
それが一般人の常識程度であっても、大航海時代の連中に比べれば天と地ほどの差がある。壊血病の原因が特定されたのは大恐慌時代、ようやく20世紀の話なのだ。ビタミンC欠乏で船員がバッタバッタと倒れていく中、何千キロも航海して大西洋を横断していた彼らを思えば、やってやれないわけがない。
それに、最終的には木造の帆船から鉄の蒸気船に切り替えるつもりであるから、ぶっちゃけそれまでの繋ぎと考えていた。船が大型化していったら、結局はそれしか選択肢がないんだから、初めから目指さないでどうするのかと言う話だ。
まあ、何年かかるか分からないけれど……
しかし長期戦になることは、あの日、ベテルギウスの消えた夜空を見上げた時から覚悟していた。もうすでに自分が何年、いや何百年無駄にしたのか、分かったもんじゃないんだから……
協議を終え、本社に帰ってきた但馬は、交易品に関税をかけられたこと、そのせいで借金返済計画に支障が出るが、代わりに公共事業を請け負ったと伝えた。
「クックック、公金使い放題じゃあ!!」
「やりましたね、社長!」
などと禿げ散らかしたことを言ってはみたものの、本社に居たのがフレッド君だけなので、具体的にはどう転ぶかよくわからなかった。トーも忙しいみたいだし、後日、銀行の担当者も交えて話しあおうと言うことで一旦は話を終えた。
しかし、そろそろフレッド君一人では捌き切れないくらい仕事が増えてきてしまった。またアナスタシアを本社に戻すか、誰か人を雇ったほうがいいかも知れない。
その後、親父さんにも伝えに工場へ向かうと、以前作った電話を使って開発陣が色々と実験していた。子供には不評だったが、工員には好評のようだ。大昔のアナログ回線、要はただの銅線ケーブルだと並列接続で複数台の電話が繋がるので、4人とか5人で同時に会話をしたりして喜んでいた。
せっかくだし、後で国王にでも売り込みに行ってみようと思ったのだが、盗聴対策とかどうすればいいんだろう? 大昔の軍隊がいつまでも暗号付きモールス信号を使っていた理由が分かった気がする。
親父さんには、蒸気自動車の技術を船に転用してみないか? と提案した。正直、そろそろ煮詰まってきているので、気分転換がてらやってみてはどうかと言うと、重量問題で困っていた彼は、それも良いかも知れないと乗ってきた。
外輪船のようなものを想像したようだが、普通に輪ゴムがあったので、適当なスクリューを作って実践してみせると、興味を持ったらしく、考えておこうと言ったっきり、輪ゴム動力の船をいじり始めた……まあ、子供にも受けそうだし。
しかし、案の定と言おうか、スクリューという概念が無いらしい。いや、あるかも知れないが、あまり一般的ではないのだろうか。一応、親父さんはこの世界でももはや指折りの技術者だし、あるんなら知っていてもおかしくないはずだ。何しろ、普段からずっと何かしらの動力を動かしている。
スクリューの起源は結構古くてアルキメデスの時代にまで遡るが、初めは船の推進装置ではなくて、船に溜まった水の排水用途に使われたそうだ。スクリューというより、ネジを想像した方がいいかも知れない。アルキメデスは螺旋の動きを研究していて、管の中に置いたネジを回すと、あたかも螺旋階段を登るように、水が汲み上がることに気づいたのだ。
また、伝説のバビロンの空中庭園は高さが25メートルほどあったらしく、どうやって水を汲み上げたのかが謎とされている。以前にも説明したことがあるが、水はポンプで汲み上げようとしても10メートルを越えては上がってこない。それが世界七不思議と呼ばれる所以であるが、この時のバビロニア人は、アルキメデスと同じスクリューポンプを使ったのではないか? と言われている。
一般的なポンプと違ってスクリューポンプは、空気を抜くのではなく、水を押して汲み上げている。この方法であれば、気圧に左右されないから何メートルの高さだろうと水を汲み上げることが出来るのだ。
尤も、鉄砲伝来の時に軽く触れたとおり、ネジ切り加工は難しく、ポンプ用途では結局あまり広まらなかった。
時代を経て蒸気船が登場すると、スクリューを動力とする船を作ろうと言う試みはすぐに行われたが、これまた殆ど採用されることはなかった。スクリューを使うと、どうしても船底に穴を開ける必要があり、それが心理的な抵抗になったことと、やはり揚力を用いた推進装置は、頭ではなかなか理解されなかったことによる。船に対し、あんなに小さなスクリューでは推進力が十分でないと思われたわけだ。
しかし、19世紀中頃、英国海軍が、同じ大きさ、同じ動力の外輪船とスクリュー船とを互いにロープで引っ張り合わせたところ、スクリュー船の方が勝ったことから、その後急速に普及していくようになった。現在では完全に立場が逆転し、ほとんどの船がスクリューを動力として動いており、外輪船は特定の地域でしか採用されていない。
親父さんたちが工作に夢中になると、但馬は手持ち無沙汰になり、工場を出て海辺にある製塩所へ向かった。今の時間帯だと、錬金工房の連中が作業しているはずだった。
錬金工房とは以前の反省から、劇薬などの取扱い専門の工場を作ったものだった。開発陣の中には何人か兼任者も居るが、殆ど但馬専用の工房である。化学的な仕事の殆どをここで行い、弟子……と言っても殆どが但馬よりも年上であるのだが……その人達と一緒に新たな化学薬品を調合したり、工場に必要な薬品の確保をしたりするものだった。
はっきり言って、この世界には化学的な知識は皆無と言って良い。元素という概念もなく、原子核モデルという現代科学の基礎知識も一切ない。それもこれも人類が数千年かけて作り上げてきた知識の集大成なのだし、普通に考えて、眼に見えないものは学問として成り立たないだろうから、仕方ないことだろう。
従って、この世界の人達と仕事をする際には、まずその説明から入らないといけないことが多々あったのだが……そんなことを常にやってられるわけもないから、厳選した人の中から弟子を取って工房の研究員にしたと言うわけだ。
しかし、元素の概念を教えるにしても、非常に難儀している。無機化学の入り口といえば、やはり周期表を使うのが一番なのだが、元素が単体の分子として存在していることは実は殆ど無いので、実物を持ちだしてきて説明することが出来ない。それに、但馬自身に馴染みのない元素だって多い。
例えば、このリチウムってなんですか? と言われても但馬にも困ってしまうのだ。バッテリーに使われてる素材くらいのことは知っているが、それを説明しろと言われても難しい。ヒ素は毒物と言っても、実際に確かめたことも無いし、人体実験するわけにもいかない。
そこにある元素がそもそも実在するのか、仮にあったとしても本当にそれが周期表に載ってるその元素なのか? と言われると、確かめる手段が無いのである。
現代社会では教科書を丸呑みしておけば間違いなかったから良かったのだが、この世界の人たちと知識を同じにするのは、但馬自身も手探りで勉強していくしかなく、やはり相当の時間が必要そうだった。
しかし、間違ったことは言ってないはずだから、いつかは天才が現れて解決するかも知れないし、根気よくやっていこうと思っていた。果たして、それがいつになるのかは神のみぞ知るであるが。
製塩所は例の社長の置き土産であるが、現在では石鹸製造用の塩の生産をしており、余ったニガリからハロゲン元素の抽出実験を行おうとして、着々と準備をしていた。
ハロゲン元素、塩素やヨウ素、臭素なんかは地球上にそこそこの量があるが、その殆どが海水に溶けている。海藻を乾留するとヨウ素が抽出されるのは、海水に溶けたヨウ素を取り込んでいるからである。
製塩所ではその海水を蒸発させて塩を生成してるわけだが、その時、塩化ナトリウムが一番先に結晶化するのでそれをかき集めたものが食塩となり、残った余剰なミネラルはいわゆるニガリと呼ばれる。
このニガリの正体は基本的に海水に含まれるマグネシウム塩で、塩化マグネシウム、ヨウ化マグネシウム、臭化マグネシウムが混在しているものであるが、実は、この内のヨウ素と臭素を簡単に分離する方法がある。
以前、水酸化ナトリウム精製のため電気分解を行った際、食塩が水に溶けると塩素イオンとナトリウムイオンになって水溶液中に存在していると説明したが……ヨウ化マグネシウムや臭化マグネシウムも、同じくイオンとして水に溶ける。
ニガリを水に溶かすと、塩素とヨウ素と臭素がマグネシウムと分離して、それぞれイオンに変化する。つまりニガリ水溶液はこれらのイオンがごちゃまぜになってるわけだ。
ところで、同じハロゲン元素でも塩素とヨウ素と臭素では、イオンになりやすさが違い、これをイオン化傾向というが、この傾向が高い元素ほど化合物を作りやすい。塩素とヨウ素と臭素では、塩素が一番化合物を作りやすい傾向を持っているため、ニガリ水溶液に余剰の塩素イオンを吹き込んだら、イオン化傾向の違いから、ヨウ素イオンと臭素イオンが弾かれて水から飛び出す。マグネシウムイオンが新しいパートナーを見つけてしまうわけだ。後は吹き込んだ塩素と一緒にそれを回収し分留すれば、ヨウ素と臭素が手に入ると言う寸法である。
現代では、死海の海水がこのニガリが多くて一大生産地となっており、日本では海の近くの地下水を使ってヨウ素と臭素を生産しているそうである。
この反応は周期表のハロゲン元素の説明に役立つし、写真の感光剤にも使えるので、一石二鳥だと思って但馬は製塩所でこの実験を行おうと思っていた。しかし正直、それだけの用途だと施設が過剰で、やはり取り壊しを前提に考えていった方がいいかも知れないと思いつつ、臨時で雇った従業員に挨拶をしようと近づいていった時……近くの砂浜で海を眺めるタチアナを見つけた。