招かれざる客
リディアと言わず、恐らく大陸全土で最も高い建造物であろうインペリアルタワーの勇姿は、外から見てもかなりの威圧感を感じさせたが、中に入って尚更その凄さをタチアナは感じさせられた。
5階まで吹き抜けになった天井、それを支える太い支柱の数々、太陽がコンクリートの壁に阻まれ、内部はヒンヤリとしているのだが、暖かな照明の光がそれを感じさせない。上階へと向かう螺旋階段はまるで空まで続いているかのようだった……と言うか、本当に長すぎた。あまりにも長いものだから、息も絶え絶え付いて行くのがやっとなのに、但馬もブリジットも汗の一滴もかかずにスイスイ登っていくものだから、
「流石、但馬様、体も鍛えてらっしゃるのですね。私などはもう足がもつれて、付いて行くのが精一杯ですわ」
とヨイショついでに、もう少しゆっくり歩いて欲しいと、タチアナが暗に訴えかけると、但馬は絶望的な顔をしてから、
「ま、まあね……通い慣れてるからね……ハハッ」
と、苦み走ったニヒルな笑みを見せた。
吹き抜けを抜けると、今度は何の意匠も施されてないただの通路的な階段が続き、タチアナのために途中休憩しつつ、どうにか最上階まで登り終えると、謁見の間の前に佇んでいた近衛兵らしき番兵が最上級の敬礼を見せて但馬たちを迎え、気持ちの準備もさせてくれないまま、スムーズに謁見の間の扉が開かれた。
謁見の間はここまで通った通路とは違って光に溢れて白く輝いており、中央の赤絨毯の先にはゆったりと腰掛ける王冠をかぶった白髪の老人が、これだけ高いところへ昇ってきたという実感からも、タチアナにはまるで後光でも差した神様のように見えた。
但馬は通い慣れた謁見の間に足を踏み入れると、先導しようとする近衛兵を手で制して、タチアナを引っ張ってブリジットの後から室内へ入っていった。謁見の間に居るのは見たところ9人。自分たちを含めて12人か。中央の赤絨毯を挟んで、リディアとコルフとで分かれていた。
内訳は国王、三大臣、近衛隊長、銀行の頭取、それから招かれざる客3人だ。
一人は、じっと見てると目が痒くなってきそうな、やけにカラフルな衣装を身にまとったニヤついた男で、恐らくどこぞの貴族か商人のボンボンといった感じだった。よっぽど教育が行き届いているのであろう、人を見下した態度が板についており、その少女のように美しい指と、堂々とした腹回りを見る限り、生まれてこの方苦労などしたことはなさそうな、人を不快にさせることだけには長けた感じの男であった。
タチアナが彼を一目見るなり、あっと息を漏らしたところから察するに、恐らく父親のライバルの息子とか、そんな感じか。
もう一人は、どこぞの民族衣装っぽいスカートを着た長身痩躯の女で、これまた民族衣装っぽい羽根帽子を胸の前に携えており、その鮮やかな色使いは目を楽しませてくれたのだが、眼光鋭いその顔つきのせいでそんな気持ちは消し飛んだ。外交官と言うよりも暗殺者と言ったほうがよさそうな感じで、他人を寄せ付けない雰囲気はボンボンといい勝負だった。
なんでこんな奴ら寄越したんだよ……外交センス疑われるぞと呆れもしたが、タチアナの話が確かなら、彼らは喧嘩を売りに来たのだろうから、これでいいのだろう。この女はもしかしたら、見た目通り武官なのかも知れない。
そして最後の一人は国王の前だと言うのに、魔術師みたいな深いフードを被った男で、顔すら見せないその態度は流石に失礼なんじゃないのと思い、但馬は通りすがりにちらりとその顔を覗き込んだのであるが……
「……ミルトン?」
その顔に見覚えがあって、思わず立ち止まり確かめると、彼は少し困った感じにくちばしを吊り上げてから、やがて諦めたようにフードをさっと取っ払った。
その頭部にネコのような耳が付いているのを見て、謁見の間に動揺の声が漏れ、緊張が走った。何故亜人がここに? との声も聞かれたが、コルフは亜人が市民権を得ている数少ない国の一つである。
但馬は目をパチクリさせながらも、ここは立ち話するような場面でもなし、急いでリディア側の末席に並んだ。
「これで全員か。では、コルフの。申せ」
国王が不快感を隠そうともせず、肘掛けに持たれて顎をついたまま言った。珍しい光景だったし、不貞腐れているとやはり血が繋がってるからか、ブリジットと似てるなとか、どうでもいいことを考えていると、ボンボンが歯茎をむき出しにした実に不快な笑みを湛えながら言った。
「先ほど再三お話した内容を改めて話すとなると、いささか面倒ではございますが、仕方ありませんな。我々は招かれざる客のようで」
わかってるならさっさとしろ、ブリジットはここからでもお前の首を落とせるぞ……戦々恐々しながら、但馬の横でチンチンチンチン腰の物を爪弾いてるお姫様に対し、胃を痛めていると、相手側の暗殺者も負けじと人を殺せそうな目で睨みつけてくるものだから、但馬はもうどうしようもなくお尻の穴がキュッとすぼまった。
「それでは改めて申し上げましょう、我が高貴なるコルフ共和国は評議会決議において、貴国に対する新しい貿易協定案を可決いたしましたので、悪しからずご確認のほどをお願いしたく存じます」
そう前置きすると、慇懃無礼にボンボンが説明を始めた。謁見の間に更にいやな雰囲気が流れて、いたたまれなくなった。
しかし、ここに至るまで色々とあったものだから、但馬は少しばかり身構えていたのだが、実際に話を聞いてみると、それは拍子抜けするようなものだった。
彼らの言うリディア制裁案の骨子はこうだ。
一つ、コルフ共和国はイオニア海交易においてコルフ船籍とのみ通商を行う
一つ、本邦は今後リディア国からの交易品に対し特別関税を設ける
一つ、リディア国には本邦の最低輸入枠を設け政府保証を求める
一つ、リディア国はイオニア海交易において、必要以上の波風を立てぬよう求める
実際にはもっとくどい言い回しをしていたが、おおよその内容は以上のとおりである。そして、リディアが要求を飲まないのであれば、今後は交易自体を続けるかどうか見直すと言う。コルフとの交易は、最も多かったはずなので、困ると言えば困るのであるが……
意外と普通と言うか何と言うか、日本人をやっていたときを思い返せば、アメリカのほうがよっぽどアンフェアな要求を突きつけてきたものだから、但馬にはそんなに大した要求には思えなかった。
だが、出席者の顔を盗み見てみると、どうもこれが深刻らしい。コルフのボンボンなんかはドヤ顔しすぎて背骨が折れそうなくらい仰け反っていた。多分、意味が分かってないのは但馬と、ブリジットくらいのようだった。
そうか、ブリジットと同じか……早く質問したくて仕方ないのだが、多分、ボンボンに馬鹿にされるんだろうなと思うと質問しづらく、後で大臣にでもこっそり聞こうと黙っていたら、但馬の隣でプルプルと生まれたての仔鹿みたいに震えていたタチアナが、
「お、お待ち下さい!」
と、声を張り上げた。
「おや? おやおや? 誰かと思えば、タチアナ様ではございませんか? どうしてあなたがリディアに? もしや、わが国の大変な時期だと言うのに、ロレダン家の娘が観光旅行ですかな」
すると、ボンボンがいやみったらしく、さもたった今気づきましたと言わんばかりにわざとらしく驚いた振りをしながら言った。いちいち学芸会しなければ何も喋れんのか、この男は。いい加減うんざりしていると、国王が尋ねた。
「ふむ……但馬の連れのようであるから黙って見ておったが、その方、何者かの」
「お、お初にお目にかかります。私はコルフ共和国総統ロレダンの娘、タチアナと申します」
出席者からどよめきが起こり、大臣がさっと近づくと国王に耳打ちをしていた。多分、タチアナが本物だと確認しているのだろう。国王は二度頷くと、
「ふむ……どうやらこちらもおかしなことになっておるようじゃの。して、その総統の娘がこの場に何用で参った?」
「その……実は私、本日は、今回の件についてのご相談をさせていただきたく、但馬様の元を訪問しておりました。ところが、そんな最中、コルフより使者が謁見に現れたと聞き及び、こうして無理をお願いして連れて来て頂いた次第」
国王と目線があったので、但馬は頷いてそれを肯定した。タチアナが続ける。
「私がコルフを出発したのは二日前、他ならぬ父であるコルフ総統の依頼でありました。評議会はこのところ、リディアに対する悪意ある法案を通そうと紛糾しておりました。そこで父はリディアとの摩擦を避けるべく、私を派遣したのです。ところが、この場にいる方々が同じ日にリディア制裁法案を突き付けに、ここに現れたのです」
「制裁法案とは人聞きが悪いですな。これはただの貿易協定覚書です、まさかロレダン家のご息女ともあろうお方が、コルフを悪者にしたいんですかねえ」
ボンボンがいやみったらしく言う。タチアナが負けじと言い返す。
「仮にそうだとしてもおかしいでしょう! 私とあなたがたのリディア入国は殆ど同時、せいぜい数時間差しかありません。つまり、出発したのもほぼ同時と言うことです。どういう行き違いがあれば、こんなことが起こるというのでしょうか。おかしいじゃありませんか。リディアとの摩擦を避けるよう、私を派遣した父は、私を送り出したその直後に、心変わりして法案を通し、今度はあなた方を派遣したと言うんですか? そんなの絶対ありえません」
「何が言いたいんですかな? まさか、我々が偽の使者とでも言いたいのですかな」
「そうとしか考えられません。私は他ならぬコルフ総統直々に、依頼されて来たのですから」
「それはそっくりそのままお返ししますよ。我々こそが正統な使者です。それとも、あなたはこの国璽の押された外交文書が偽物とでも言いたいのですかな」
すると、ボンボンは待ってましたと言わんばかりに、携えていた羊皮紙の密書を水戸黄門の印籠のごとく指差した。それは封蝋が切られて国王の前の銀のトレーに置かれている。国王が顎をしゃくって大臣に見せてやるように指示する。
「拝見させていただきます……」
「どうですか?」
「……そんな……これは本物です」
封蝋に押された印を見るなり、タチアナは困惑を隠し切れない表情でそう宣言した。ドヤ顔を決めるボンボンを押しのけるように、ずっと黙って立っていた暗殺者らしき女が一歩踏み出て、深々と国王に礼をしてから、
「国王様におかれましては、ご無礼をお許し下さい……タチアナ殿。後でお渡ししようと思っていたのですが、今が機会かと。これはお父上からの預かりものです」
そう言ってこれまた一枚の封書を差し出した。赤絨毯を横切るわけにもいかず、タチアナがオロオロしていると、気を利かせた近衛隊長がヒョイとそれを預かって彼女に渡した。
タチアナはその封書に自家の刻印が押されてることに気づき、不安になりながら封を切った。
「……これを、父が?」
女性は無言で頷いた。一体何が書かれてるのだろうかと思って、横目で見ていたら、彼女は封書に目を通した後、しきりに国王の方をちら見した。何か言いたいことでもあるのだろうか? その空気を察した国王が、
「なんじゃ、なんと書かれていたか、申してみよ」
「恐れながら。我が父、コルフ総統は法案の成立を支持し、私に対する依頼を撤回すると……これには書かれております。も、申し訳ございません!」
つまり、先ほど彼女が言ったとおり、総統は彼女を送り出したあと、すぐに心変わりして法案を通してしまったということか? 恐縮しきりの彼女がやけに小さく見える。そんなバカな話があるかと、但馬が本物なのかと尋ねてみたら、
「これは我が家の封蝋ですし、字も父のものに見えます……」
つまり、彼女は本物と判断したのだろう……本当に本物なのか? こういう時、現代と違って通信手段が限られてる世界は厄介だな……と思いながら覗き込んでみたら、彼女が告げた言葉の後に、さらに追伸が書かれているのに気づいた。
「それ、続きなんて書いてあるの?」
「その……私には、すぐにコルフに帰還するのでなく、リディアの休戦協定の立会人として、コルフを代表し出席せよと……初耳ですが、リディアは今年も休戦をなされるのですか?」
「……なんじゃと!?」
するとまったく予期しないことに、国王がいつもよりも少しトーンの高い声を上げて反応した。何か気に障ったのだろうか? と思って見ていると、みるみるうちに彼の顔が真っ赤に染まり、充血した目がタチアナを睨みつけていた。怒り心頭といった感じだ。
ウルフならともかく、国王のこんな姿は見たことがない。
可哀想に、その視線をまともに受けてしまったタチアナは、引きつけを起こしたかのように固まり、但馬が支えてやらなければ立っているのも無理なくらいに狼狽した。
しかし、国王はそんな彼女のことなど知ったことではないといった感じで、
「本当にそんなことが書かれておるのか? いいから儂にも見せてみよ」
「陛下、流石にそれは無遠慮が過ぎると言うものですよ」
国王とは言え、外交関係に傷がつくと思ったか、ブリジットが窘めるように言ったのであるが……
「貴様は黙っておれ!!」
国王に一喝されて閉口した。
謁見の間に沈黙が流れる……
この様子は尋常ではない。誰もどうして良いのか分からないといった感じで、互いに顔を見合わせるが、誰一人動こうとしなかった。ただ、国王の荒い息遣いが聞こえ、事態は緊迫度を増していた。
但馬は取り敢えず大人しく封書を渡したほうが良いと判断し、困惑しきりのタチアナから手紙を抜き取って彼に渡そうとしたのだが……空気が読めないと言うか、どうしてこんな奴を外交の席に送ったのか、いや寧ろこうだからこそ送られてきたのか……
「クククッ……」
と、コルフの側から忍び笑いが漏れ、その瞬間……
バンッ!!
っと、激昂した国王が手前にあったトレーを笑い声の主に勢い良く投げつけた。
「ギャア!」
轢き潰されたカエルのような無様な声を上げて、豚がもんどり打って倒れた。出血が地面を汚す。今すぐクレンザーで消毒洗浄したい衝動に駆られた。
しかし、殿中である。外交の真っ最中である。国王だから許されるが、一般人がやったら打ち首ものだ。こんなことが許されていいのか……いや、国王でも許されるの?
困惑しながら止めるべきか否か判断に迷っていると、ブリジットがサッと国王の前に飛び出し……
「失礼……」
スッと、そのブリジットに立ちはだかるように、長身痩躯の女がボンボンを庇うように進み出た。
二人の女性が睨み合うように対峙する。
あのブリジットに反応出来るとは、やはりこの女、暗殺者か何かに違いない……ともあれ、緊迫する謁見の間の中で、もんどり打ってぎゃあぎゃあ喚く豚を女はゲシッと蹴りあげてから、顔色一つ変えずに言った。
「いくら国王様とは言え、いささか度が過ぎるかと。我が国としても、見逃せません」
「先に無礼を働いたのは貴様らじゃろうがッ!」
国王は怒りが収まらないといった感じであったが、
「……では、これでお互い水に流すということでいかがでしょうか」
女はまったく冷静さを崩さず、抑揚のない声でそういうのであった。
明らかに向こうが挑発してきたのだが、これでチャラにしろという。確かに手を出したのはこちらだから、文句も言えない。この女、修羅場を踏んできた数が違う。その場にいた全員が気圧されるものを感じていた。
やがて国王もいささか冷静さを取り戻したのか、
「……話は分かった。貴殿らはどこへなりと好きに行くが良い」
「では。貿易協定覚書は確かにお渡しいたしましたよ……ミルトン、帰りますよ」
「あ、はい」
女が恭しく礼をしてから、謁見の間に背を向けると、それまでじっと隅っこで黙って事態を見守っていたミルトンが返事をした。やはり、亜人だけあって、全員から注目されるからか、彼はバツが悪そうな愛想笑いをほんのちょっぴり但馬に向けてから、未だに床に転がって不満気な声を上げているボンボンを引きずって謁見の間から出て行った。
「覚えてやがれよ! 小国が! ふざけやがって!!」
捨て台詞が謁見の間に響く。ちょっと行って斬り殺してこようかと言わんばかりのブリジットの肩をポンと叩いて、隻眼の近衛隊長がお手上げのポーズをしてみせた。近衛兵がやってきて、床を泡だらけにして帰っていった。この場にウルフがいなくて本当に良かったと思いつつ、但馬は腰が抜けてへたり込んでしまったタチアナを引き起こした。
あの貿易協定が何故制裁になるのか? どうして突然、国王が激怒したのか? わからないことだらけである。取り敢えず、事態が収束するのを待って、理由を問いたださねばなるまい。