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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第三章
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けしからんっしょう?

 コルフ港を出てから約2日、貨物船はリディアへと到着した。


 船長は、ロードス島から上がる噴煙を見つけると間もなく、港へ入港するために帆走から手漕ぎ操船へと切り替えた。


 航海のために集められた漕ぎ手たちが、持ち場につくために移動をするバタバタとした足音が船中に響き、波音を消し、船が不規則に揺れてなんとも不安にさせられた。


 その船はイオニア海でも随一の大きさを誇る2本の巨大なマストがついたガレー船で、二段式の漕ぎ手は最大で100人を数えた、恐らくは世界最大の積載量を備えた貨物船と言ってもいいだろう。しかし、今はその漕ぎ手の数が大げさとしか思えないほど、船倉はガラガラで積み荷がなく、お陰でそこへ便乗していた乗客は快適な旅を送ることが出来た。


 要するに、コルフからリディアへの貨物が極端に減っているわけである。


 タチアナ・ロレダンはそのガラガラになった自家の貨物船の船倉から、ため息混じりに甲板へ出ると、噴煙を噴き上げるロードス島の火山を忌々しく見上げた。


 その威容を見れば、一体誰がそこへ近づこうと思うだろうか。山頂は黒い溶岩がむき出しで草木が生えておらず、こうして海の上に居ても硫黄の臭いが漂ってくるくらい、島は有毒ガスが漂っている。


 60年前、こんな場所に街を作った漁民たちは、ただの馬鹿だと思われていた。実際、数年前まではこの国にとっても火山はお荷物以外の何物でもなかった。


 それが、今や世界最大の硫黄の産地として、リディアを大陸随一の資源産出国としてのし上げる原動力となっていると思うと、世の中、何がどう転ぶか分からないと言うことを痛感させられる。


 船はリディアの二つの寄港地を経由し、最後に街の中心地へと向かった。港に到着する度に、ガラガラだった船倉には積み荷が増えていき、気がつけばタチアナが快適に過ごしていたスペースもなくなっていた。


 船倉から追い出され、仕方なく甲板に佇んでいると、やがて西区の港に近づくに連れ、ウィンドサーフィンをする小型のヨットが目に見えて増えてきて、船の進行を邪魔するかのようにウロチョロしては、乗組員に怒鳴られていた。


 しかし、初めて見るタチアナには、彼らが何をやっているのか分からず……あれは一体、何だろう? と思い、船員を捕まえて彼女は尋ねてみた。


「はあ……ありゃあ最近、リディアで流行ってる遊びでして、確かなんつーたかなあ……サーフィンだったかな? 船ん周りちょろちょろしやがんで、鬱陶しいったらありゃしないんで」

「遊び? ……リディアでは平日の昼間っから若者が遊んでるんですか?」

「そうなんっすよ、けしからんっしょう?」


 船員は事も無げに肯定した。


 リディアに来るのは2年ぶりであったが、以前来た時はそんなことは無かった。町の人々の暮らしぶりは安定してるようだったが、彼らのような働き盛りの若者がぶらぶら遊んでられるような余裕は流石になかったはずだ。


 それじゃ、たったの2年で、それだけの余裕がこの国には出来たということだろうか? 当惑していると、その空気を察したのか、船員が続けた。


「いやあ、何でも今度、すっごい懸賞金を賭けてあれの大会を行うんだそうっすよ。そんで、漁師の倅が必死んなって練習してるんでさあ……確か、総額で金貨500枚とかだったかな?」

「金貨500枚?? なんて酔狂な。主催者は国王様でしょうか?」

「違いますよ、ほら、最近噂のあの会社。北方の勇者様と同じ名前の社長さんが居るでしょう」


 すると、主催者は但馬波瑠だろうか。なんで彼がこんなことを……?


 タチアナは首をひねりつつも、以前、コルフの防波堤の上で出会った彼ならば、そんな酔狂をやってもおかしくないかなと思った。


 タチアナは、リディアに、その但馬に会うためにやってきたのだ。


 別に夜の海で出会った彼のことを忘れられなくてとか、そういう艶っぽい話ではなく、あくまでビジネスのために……いや、どちらかと言えば助けを求めにやってきた。


 コルフでは今、対リディア貿易に関する法案が、評議会の議題に上っていた。昨年来より訪れた不況のせいで、鬱憤の溜まった民衆の毒気にあてられた議会は、リディアに対する敵視政策を協議していた。その流れはもはや既定事項で誰にも止められそうにない勢いであった。


 国家元首である評議会総統はその敵視政策に対しては反対の意向で、自身の強権を用いてまでその流れを押しとどめようと努力したが、よくある構図ではあるが、急進派は民衆を扇動し議会運営を自分たちの都合よく進めるために利用し、賢明な彼の言葉は逆に国民に対する裏切りであると喧伝した。


 対リディア法案の骨子は要は報復関税であったが、そのやり方しだいでは戦争になると総統は説いたのであるが、不況にあえぐ民衆の耳には届かなかった。戦争になったとしても、飢えて死ぬか戦争で死ぬか、ただそれだけの話だと彼らは言った。それに、リディアにはろくな海軍がなく、実際には戦端が開かれるわけがないのだと。


 そんなこと、分からないではないかと言っても、もはや誰も聞く耳を持たない。恐らくはその戦争をやりたがっている勢力があるのだろう。それはわかっているのだが、有効な手立てがないまま、日を増すごとに総統の旗色は悪くなり、民衆からの恨みつらみを買う始末であった。


 コルフ総統の任期は厳格で、死ぬかよほどの大病を患うかしなければ、途中で辞めさせられることはない。だから自分さえ踏ん張っていればなんとかなるのだが……


「だが、いつまでもというわけにはいかない。せめて、何か手が残されていれば……」


 議会が紛糾し、民衆の怒りを一身に浴び続けた総統は、見る影もなくやつれていた。タチアナはそんな父の姿を見るのが忍びなく、自分にも何か出来ることがないかと考えていた。


 そんな時、ふと思い出したのである。


「そうですわ、お父様……先日、このようなことがあったのですが……」


 まだ一月も経ってないが、数週間前、何故かコルフの防波堤の上に、但馬波瑠がいたのだ。


 しかも、彼は何故かタチアナの名を知っていた。敵情視察のために訪れたのか、なんなのか分からないが、確かに、彼は別れ際にタチアナの名前を呼んでいたのだ……


 いくら総統の娘だからって、顔と名前が一致するまで調べる必要性は欠片も感じられない。自己紹介した覚えもないのに、あの男はあの時確かに、一目見ただけのタチアナの名前を口に出した。これはおかしな話である。


 彼女がそのことを父に話したら、彼は幾ばくかの沈思黙考の後……タチアナに彼と面会するように命じた。コルフが今苦境に立たされているのは、彼が登場したからに他ならないのだ。そう考えると、話し合うべきはまず、議会ではなく、彼やリディアのはずなのだ……


 但馬という得体のしれない男は、突如として現れたために、コルフには彼とつながりのある人物は一人も居ない。しかし、娘の話が本当であるならば、彼の方がコルフに興味を示していたということだ。会ってみる価値はある。


 総統は娘に、但馬波瑠と面会し、コルフの窮状を訴え、助力を請えと命じた。そして可能ならば、自分自身も会ってみたいと伝えてくれと。


 その日のうちに、タチアナは自家の船でリディアに渡った。煽動者たちによって議事堂前広場は乗っ取られ、父は毎朝、十字架を背負うイエスのように、群衆の中を歩かされるのだ。もはや一刻の猶予もない。


 あの時は驚いて本物かどうか確かめることさえ出来なかった。だが、彼の見せてくれた装置や、あの風変わりな物腰から、タチアナはきっと本物だと思っていた。暗かったが顔は覚えている。声を聞けば完璧だ。


 あとはリディアに行って、彼に面会さえ出来ればなんとかなるはず……しかし、本当に何故、彼は自分のことを知っていたのだろうか?




 やがて船はリディアの港に到着し、タチアナはトランクを提げて船を降りた。コンクリートの桟橋を通って、港に併設された倉庫街へと足を向ける。倉庫街にはロレダン家の倉庫もあって、挨拶がてらに様子を見に来たのであるが……タチアナが近づくまでもなく、遠目にも件の倉庫は閑古鳥が鳴いているのがわかり、彼女はため息を吐いた。


 たった今、港には他ならぬロレダン家の船が入港していると言うのに、倉庫の入り口はピッタリと閉じられており、倉庫の前では従業員が暇そうにタバコを吸っていた。つまりコルフからこの倉庫に荷物が入ることはないと言うことだ。


 倉庫の中はすっからかんで、コルフがこの国で苦戦していることが嫌でも分かる状況であった。


 タチアナが近づいていくと、やがてその姿に気づいた従業員が揉み手をしながら駆け寄ってきて、彼女のトランクをひったくった。


「お嬢様!? 一体、いつこちらへ? お迎えにあがらず申し訳ございません」

「先ほど到着したばかりです。連絡も寄越さずに来て申し訳ありません。はぁ~……こちらも似たようなもののようですね」

「ええ、それもこれも、あんなものが出来てしまったから」


 従業員が忌々しそうに眺める先には、砂浜で声を張り上げるアイスキャンディ売りが居た。


 元々、ロレダン家……と言うか、コルフの商家は氷の販売で大きくなった。エトルリアとティレニアは仲が悪く、二国が直接貿易をすることはあまりない。ロディーナ大陸でも有数の高山、ティレニアのタイタニア山の麓に位置し、そこで作られた氷を独占的に買い取ることが出来たコルフは、それをエトルリア諸国に売ることで利潤を得ていた。


 特に南国のリディアではこれが飛ぶように売れ、更にリディアの立地はコルフから買う以外に選択肢が無く、この地ではほぼ言い値で売れたために、中には他の交易品と抱き合わせて、かなり悪どく儲ける商人も居たくらいだったのだ。


 ところが、つい最近、S&H社が製氷機を開発してしまった。


 こうなるとコルフの商家は用済みで、今まで悪どく儲けていた恨みも手伝って、あっという間にそっぽを向かれ、他の商品まで売れなくなってしまったと言うわけである。


 そりゃ、公明正大な商売をしていたとは言えない手前、自業自得の面もあるが、商売とはそもそも利潤を追求することから始まったのだから、それが悪かったと言ってもただのあとづけでしかない。儲かってるうちはそれが正しいのだ。


 惜しむらくはそれが崩れた時の打開策を用意していなかったことであるが……たった1年でこの変化なのだ。対策を講じる前に、こうも状況が激変していっては、誰もついていけないし、増えるのは赤字の額ばかりだった。


 アイスキャンディの売り子を目で追っていると、砂浜では若者たちが日光浴をし、波打ち際で遊んでいた。中には水中ゴーグルを付けてシュノーケリングをするものも居たが、初めてそれを見たタチアナには何をやってるのか理解が出来ず、ドザエモンのようにプカプカ浮いて息継ぎをまったくしない彼らを見て、彼女は不安そうに尋ねた。


「……あれは? 息継ぎしないで平気なんですか?」

「ああ、あれは管で呼吸しながら、海の中を眺めて遊ぶんですよ」

「はあ……けったいな遊びですね」

「最近、エトルリア貴族のボンボンがバカンスに来るんですよ。初めは、あの電気を見に。でも、例のヨットやら何やら、おかしなことがいっぱいあるから、そのうち楽しくなって居着いちまうようで」

「そういえば、その電気ですけれど……」

「うちにもついてますよ。ついてなきゃ、もう商売にならない。見てください」


 建物内に誘われて入ってみると、建物内は鉄扉で閉じられているというのに明るかった。天井からぶら下がった光源がいくつかあり、薄暗いながらも、作業をするには十分な明るさを保っている。


「燃料いらずで煤もつかない。朝だろうが夜だろうが、こんだけ明るきゃいつだって作業できますからね。そのお陰で港を出入りする船もやたらと増えた感じです。例の製氷機がある倉庫なんざ、ナマモノを氷漬けにして保管できるから、うちじゃもう太刀打ちできませんよ。みんなあっちの倉庫を使いたがる」

「……なるほど」


 今まではこちらに有利に働いていた点が、完全に奪われた格好だ。こんなもの、一体どうやって対策をとれと言うのか……閑古鳥が鳴くスカスカの倉庫を見ながら、彼らを責めることも出来ず、タチアナはため息をついた。


 それもこれも、但馬波留だ。


 彼が現れてから、コルフは全てが悪い方へ悪い方へと流されていっている。この窮状を伝え、なんとしても父を助けて貰わねば……タチアナは気持ちも新たに、一縷の望みをかけて、但馬波瑠に会いに向かった。


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