よし、作ろう
冗談はさておき、アナスタシアのいつもより早い帰宅に、但馬はどうしたのかと尋ねた。彼女は庭で遊んでいるリオンのことをチラチラと気にしながら、
「午後になってルルちゃんが来て、先生が大変だから早く帰ったほうが良いよって」
と言った。なるほど、リリィが気を利かせたようだ。
ただ、何が大変かまでは言ってくれなかったので、一体なんだろうと思って、寄り道せずに急いで帰ってきたら但馬が幼児を拉致監禁……もとい、保護しており、我が社切っての不良社員と何やら悪巧みでもするかの如く、不穏当な会話を続けていた。
そりゃ確かにやっちまったと思っても致し方無いかも知れない。
「おい、こら、こいつと一緒にするな」
非難がましいトーの言葉は無視して、
「それで、先生……この子、どうしたの?」
但馬が今日、森で起きた出来事を説明し、その時成り行きで保護してしまったことを伝えると、彼女は一通り聞き終えた後、うんうんと2回頷いてから、不安そうにして見上げていたリオンの事をギュッと抱きしめた。
リリィのときもそう思ったが、こういうことは女の子の方が躊躇なくやるな……男がやったら犯罪者にされるけど。などと思いながら見ていると、
「でも先生。亜人の子ってことは、お父さんお母さんがいないんじゃないの?」
と、アナスタシアが尋ねてきた。
「え? うん、まあ、それと似たようなもんかな。本当は居るんだろうけどね。森のどっかには」
「なのに、メディアに返しちゃうの? 多分、孤児院行きになっちゃうよ……?」
「まあ、そうなる、かな? でも、俺が育てるよりは……」
と言ったところで、アナスタシアが修道院育ちだと言うことを思い出した。彼女の場合、親は居たのだが、仕事にかまけていた父親に厄介払いされる形で修道院に入れられて、そしてその父親が死んだ後は最悪だった。
彼女は修道院とか孤児院とかいう慈善施設に懐疑的なのだろう。その気持ちは痛いほどよく分かる。但馬が返答に窮してまごついてると、
「それじゃ、俺は帰るわ」
と言って、トーが書類をまとめて縁側から立ち上がった。
「悪いな、家までわざわざ」
「そう思うなら、いつも本社で大人しくしてろよ」
トーは去り際、通りすがりにアナスタシアの頭をバシッと引っ叩くと、パタパタと手を振って去っていった。普通ならムカッとするところだが……多分、彼なりに気を使ったのだろう。なんか変なところ見られちゃったなと思いながら、彼の背中を見送った。
アナスタシアはそのままじっと固まっていて、但馬も何も言葉が無くて、ただ重苦しい沈黙だけが流れた。
しかし、ずっとそのままでは居られない。暫くするとアナスタシアが立ち上がって、
「ご飯にしようか?」
と言って、リオンの手を引いた。
いつの間にか日は沈んで、辺りはすっかり暗くなっていた。
結論から言ってしまえば、アナスタシアの懸念など些細なもので、翌日にはもう、但馬は小さな子供を預かるということの、認識の甘さを思い知ることになった。
何しろ、但馬の家は共働きで、昼間は家に誰も居ない。そんな家に幼児を一人置いて仕事には行けないし、かと言ってこんなファンタジー世界に託児所なんて物があるわけもなく、仕方なく子連れ狼状態で出社したは良いものの、それじゃ仕事にならんだろうと、本社の連中に呆れられる始末だった。
但馬がいつも本社でふんぞり返ってるだけなら問題ないのだが、彼は商品の開発部長と、錬金工房の長を兼ねている。劇薬を取り扱う施設に子供を入れるわけにもいかず、かと言って、アナスタシアはアナスタシアで接客業だから子供はご法度。ブリジットに亜人の子供を任せるのはあれだし、フレッド君が本社で預かってくれると言ったが、それはトーと親父さんに反対された。結局、
「仕方ない……ついてきなさい」
と言う親父さんに連れられて、彼の家へとやってきた。
リディアに来た当初、何度もお世話になったシモンの家は、親父さんが会社の工場長になって以来、鍛冶場に火が入ることもすっかりなくなって、閑古鳥が鳴いていた。
新商品が生み出されることがないから、必然的に店は畳まれて、店番をしていたお袋さんは今ではやることがなくて、日がな一日退屈しているそうである。だから、家に帰ると一日中愚痴を聞かされる羽目になる。
実は、親父さんはその愚痴を聞かされるのが嫌で家に帰るのを億劫がっている、とカミングアウトされて、まさかそんな離婚危機に陥ってるとは思いも寄らずビックリしたが、離婚? なにそれ状態だったので、それ以上ツッコミが入れられなかった。ここは現代社会とは違って、結婚というものはもっと経済的なものであるし、離婚という概念がそもそも無いわけだ。
まあ、危機がないならそれはそれで良かったと、お袋さんにしてみれば冗談じゃないだろうが我慢してもらって、彼には仕事に邁進して頂きたいものである。
とまれ、そんな風に退屈をしている有閑マダムのもとにリオンを連れて行ったら、彼女は約1時間の立ち話の末にそれを快諾した。亜人の子と聞くと、意外とみんなぎょっとした顔をするものなのだが、彼女は北方出身なので、気にならない様子だった。
ほうほうの体で家から出て、親父さんと一緒に工場へと戻り、おばちゃんパワーの凄まじさに二人で愚痴りあったものであるが……結果として、この判断は大正解だったと、後々思うことになった。
リオンをシモン家に預けることになってから、仕事帰りには彼の家で夕飯をともにするのが日課となった。
お袋さんはリオンに首ったけで、まるで孫でも出来たみたいな溺愛っぷりで、もう何からなにまで面倒見なければ気が済まないと言った感じだった。当然、夕飯も一緒に取りたがるものだから、こちらも預かってもらってる手前、嫌だとは言えず応諾し、こういう運びとなったのだ。
問題はアナスタシアであったが、水車小屋から解放されて以降、暫くシモン家に近づくことを嫌がっていたから、今でもこちらに用事があるときは、但馬が来るように心がけていた。
だから、もし彼女が無理そうなら、但馬だけがご相伴に預かって、彼女には無理しないようにしてもらおうと思ったのだが……そんな彼の心配をよそに、彼女は結構あっさりとこの誘いに応じた。
彼女の中でどんな葛藤があったか知らないが、あの頃はまだ自分がどうなっていくか分からず不安だったのだろう。そんな時に、良く知ってる人たちに、必要以上に優しくされるのが苦痛だったのかも知れない。特に彼女は、その良く知ってる人たちに、自分が何をやっていたのかを知られていたのだ。
でも、今は仕事も代わって、人に言えないような仕事ではなくなり、新しい生活も順風満帆に進んでおり、心に余裕が持てるようになったから、シモンの家に来ることも苦痛じゃなくなった。
それに、彼女も気になっていたのだろう。元々、幼なじみのご両親なのだし、嫌いなわけがないのだ。好きだから居たたまれなかったわけで……こういう運びになったら、意外と積極的に話に乗ってきて、夕方になると仕事を早めに切り上げてシモン家にお邪魔するようになった。
そんなわけで、但馬が親父さんを誘って家に帰ると、大概、彼女の方が先に来ていて、お袋さんと一緒に台所に立って料理を手伝っていた。その姿を見ると本当の親子みたいで、ホッとするやら嫉妬するやら、なんだかこっちのほうがいたたまれない気分になった。
もし、シモンが生きていたらな……と考えてしまうのだ。
そして、有りもしないことを考えて、胸が苦しくなった。胸が苦しくなると同時に、自分の愚かさをも感じて、なんとも嫌な気分になった。まるで1年前の彼女と自分が入れ替わってしまったような気分だった。
対して、親父さんの方は上機嫌で、
「いやあ、最初はどうなることか思ったが、結果的に助かった。おかげさまで、毎晩家に帰るのが楽しくなった」
お袋さんの愚痴を聞くのが嫌で、逃げまわっていたわけだが、リオンのお陰で彼女のストレスが緩和して、家に帰ってきやすくなったらしい。
「このままじゃまずいとは思ってたんだよ。でも、女の愚痴って取り留めがないからな。俺だって仕事なんだから、どうしてやることも出来ないのに、一方的にいつまでもいつまでも……逃げたくもならあ」
「そっすね」
晩酌のスコッチをちびちびやりながら、但馬は愛想笑いをしつつ、親父さんの愚痴を聞いていた。正直、この二人には頭が上がらない。
それにしても、奇妙な縁である。両親に捨てられた亜人の子と、両親を亡くした少女、一人息子を亡くしたご両親と、帰る場所を見失った自分と……ここに集まっている人たちは、みんな何かを無くしていた。そう言う人たちが寄り集まって、笑顔で居られるのはなんだか不思議な感じがする。
思えば、一人息子を失って、彼らもまた色々とストレスを溜め込んでいたはずなのだ。お袋さんが愚痴っぽくなったのは、きっとそれが原因だろう。親父さんは仕事があったから良かったが、彼女の方は店番の仕事も無くなり、日がな一日家の中で過ごしていたとしたら、そりゃおかしくもなるだろう。
もし、今回の件がなくて、気付かず放置していたら、下手したら最悪の事態もあったかも知れない。従業員の家庭のケアも考えていかないと……
親父さんの愚痴を右から左へ聞き流しつつ、そんなことを考えていたら、部屋のドアの影から、じっとリオンが二人の様子を窺っているのが見えた。
「どうしたの? こっち来るかい?」
晩酌にはつき合わせられないが、おつまみならあげるよとばかりに枝豆を見せたが、彼はフルフルと首を振るってから、テクテクと近づいてきて、
「……ん」
と言って、紙コップのようなコーン状の物体を渡した。その先っちょには尻尾のように毛糸が伸びていて、それがドアの向こう側まで続いている。
但馬がそれを受け取ると、彼は満面に笑みを浮かべてから、いそいそとドアの向こうに歩き去った。するとコップから伸びていた毛糸がピンと張られ、その中から声が聞こえてくるのだった。
「ご・は・ん」
思いのほか鮮明に聞こえる声に、親父さんは感嘆の声を上げてから、
「賢いなあ、可愛いなあ。ごはんでちゅねえ、いきまちゅいきまちゅ」
とデレッデレの顔を隠そうともしないで立ち上がった。ここ数日で、すっかり骨抜きにされたものである。但馬も苦笑しながら立ち上がると後に続いた。
因みに、この糸電話を作ったのは但馬である。子供と遊ぶならば、やっぱり自分が子供の頃にやって楽しかったことをやった方が良いだろうと、シャボン玉遊びの次に糸電話を作ってみたのだ。
しかし、制作には苦労した。何しろこの世界にはロクな紙がなかったせいで、紙コップなんてものは無く、仕方なく工場の方で工員達と一から作り出さねばならなくて、そしていざ出来上がってみたら、工員たちが面白がってなかなか返してくれないのだ。
彼らは、音声が糸を伝わることを知らなかったのだ。
案の定と言うか、波の伝達の仕組みというものがまるで分かっていなかった。そもそも古典力学すら無い世界なので、空気の振動がどうこう言ってもチンプンカンプンなのだ。その後、好奇心旺盛な彼らに質問攻めにあって但馬は難儀する羽目になった。
今までは見た目ではっきり分かることばかりだったから、実物を見せて、こうすりゃこうなるんだよ? と言えば済んだが、音はそうはいかない。結局、プリズムや音叉を使って、波に関しての講義を一日中行うはめになり、グッタリしながら家に帰ったが、翌日、工場に行くと黒板が用意されており、更に人が増えていた。
「糸電話でこれだから、本物の電話なんて作った日には、どうなるか分かったもんじゃないな」
などと愚痴っていたら、部屋を出ようとしていた親父さんが、振り返り、
「そう言えば、前々から疑問に思っていたんだが、社長の言ってる糸電話ってのはなんだい? 糸は糸だろう? 電話ってのは?」
言われて面食らった。ああ、そうか、糸電話って言葉は、実は電話よりも後に作られたものなのだ。妙な感心を覚えつつ、但馬は親父さんの質問に答えた。
「いや、そのままの意味ですよ。電気で動く通話機器、だから電話」
「電気で?」
「ええ、電気を使うから音声はどんなに離れていても光の速さで伝わり、遠隔地の相手と会話が出来ます」
衛星通信を使えば地球の裏側にも繋がるし、但馬の居た現代ではインターネットを通じて音声通信する技術も確立されていた。海底ケーブルを通るから衛星と違って、通信ラグは殆ど発生しなかったはず……などと懐かしく思っていたら、
「よし、作ろう」
「……え?」
「そんな凄い機械が出来たら、きっと国中が大騒ぎになるぞ?」
なんだか親父さんがやる気になっていた。
マジですか……簡単に言ってくれるなあ……と思いつつも、但馬はすでに頭の中で、どうすれば出来るかなと組み立てていた。この世界に来た当初は、石鹸なんて作っちゃってもいいのかな? などとおっかなびっくりだったくせに、随分感覚が麻痺したものである。
しかし、そのお陰でリーゼロッテが出てきてくれたんだろうし、まだ他にも知られざる現代人が出てくる可能性だって否定出来ないのだ。言うまでもなく、やる価値はある。
「それに、きっとリオンちゃんが喜んでくれるぞ」
という、ジジ馬鹿の意見は置いておいて、まあ、やるだけやってみようかな? と但馬は思うのであった。