聖女の遺産
長い勇者の昔話を話し終え、自分の役目が終わったと言った感じのホッとした雰囲気を漂わせながら、リーゼロッテは亜人の子供に視線をやって言った。
「ところで、その子はどうしたのですか?」
そうだった。話に夢中になってすっかり忘れていたが、今日は魔法の無駄打ちに行った森で亜人と遭遇し、その時、追いかけられていた子供を預かる約束をしていたのだった。
何となく、子供を乱暴に扱う彼らを信用しきれず、つい自分が預かってメディアまで連れて行くと言ってしまったのだ。
子供の扱いが乱暴だと憤っていたくせに、自分だってこんな風に放ったらかしにしてるようでは、彼らのことをバカにできない。
「そうだった。実はカクカクシカジカで……」
ともあれ、尋ねられたことに返事をし、預けっぱなしにしてしまっていたリリィに礼を言って、子供を受け取ろうとしたら、
「森で拾われたのですか……では、その子のお名前はなんとおっしゃるのでしょうか」
「え?」
言われてみれば、まだ名前も聞いていなかった。慌てて訪ねようとして、
「えーっと、ボク? お名前はなんて言うのかな?」とか、「えーっと、おうちはどこかな? お父さんはなにしてる人?」
とか聞いても、彼は但馬のことをジーっと上目遣いで見やりながら、ただ、
「うー……」
っと唸るばかりだった。別に威嚇されてるわけじゃなく、単になんて答えていいのか分からないといった感じだ。犬のポリスマンの気分になった。
子供を膝に乗せて、ナデナデと頭を撫でくりまわしているリリィが呆れるような口ぶりで言った。
「ふむ、勇者よ。いくら聞いたところで、それは無理な相談じゃ」
「なんで?」
「ほれ、お主もこうして見てみれば良いではないか」
リリィはそう言うと、自分のコメカミの辺りをポンポンと叩いた。
ああ、そうか。ステータス確認すれば名前も分かるんだった。
そう気づいて但馬もリリィと同じようにコメカミをポンと叩いて、それを確かめた。何しろ、普段は胸のサイズを調べるくらいにしか使ってないので、こういう咄嗟の判断が出来ない。しかし……
「あれ? なんじゃこりゃ」
但馬は子供のステータスを確認して、素っ頓狂な声を上げた。リーゼロッテが落ち着いた素振りで、
「いかがなさいましたか?」
「いやその……名前が無いんだよ」
何故か知らないが、彼のステータスを確認しても名前の項目が空白なのだ。
『.Male.Chimera, 127, 27, Age.8, 63, 59, 63, Alv.0, HP.101, MP.0, None.Status_Normal,,,,,,,,,,』
おかしいと思って、リリィやブリジットのステータスを確認し、改めて子供のものを確かめてみるが、やっぱりそこに名前は見つからない。
そんなことは今まで一度もなかった。困惑していると……リーゼロッテがさもありなんと言わんばかりに言った。
「森から出てきたばかりでしたら、まだ名付けられてないのではないでしょうか」
「は? 亜人って森の中で名無しで暮らしてるの??」
「貴方様……但馬様は、亜人が森の中でどうやって暮らしているか、ご存知でしょうか?」
但馬は頷いた。以前、国王から聞いたことがあった。確か亜人は、森の中でコロニーを形成して暮らしているが、生まれた子供が一人で餌を捕れるくらい成長すると、そこから追い出す。そして追い出された子供は別のコロニーに拾われるか、自分で新しいコロニーを作らない限り、野垂れ死ぬ。
そんなだから、森の中で生きていけなかった子どもたちが、食べ物を求めてフラフラと海岸付近に出てきてしまい、それを目当てにした奴隷商人に捕まってしまうので、それを阻止しようとして勇者が建国したのがメディアと言う国だったはずだ。
「……つまり、亜人は最低限しか子供を育てないどころか、名前すらつけないってわけ?」
今、目の前の子供の名前が見当たらないと言うことは、そういうことなのだろうか。
以前、話を聞いた時、まるで野生動物みたいだな……と思ったが、まさに野生動物そのものである。どんな生活をしてたら、人間がそんな風になるんだ?
ふと、今まで出会った亜人の顔を思い出した。
ジュリアや水車小屋の面々、ついさっき森で出会ったミルトン……時折、海外の商人が連れている亜人の人足ですら、そんな野生動物みたいな感じはしなかった。だが、そういえば、ミルトンの連れていた傭兵連中は、なんだか機械的な印象がして不快だった。
森の中と外で、この違いはなんだろう。亜人とは一体……?
「それで、どうするのじゃ?」
ぼーっと考え事をしていると、リリィが言った。いつまでも放ったらかしているわけにもいくまい。
「でも、勝手に名前をつけちゃってもいいのかな?」
「よろしいのではございませんか? 仮の名前と考えておけば、問題があっても、後で直せばよろしいかと」
「それもそうか。じゃあ……なんて名前にしようか。いきなり言われても、なかなか思いつかないな。爆走蛇亜?」
仮名とはいえ、いきなり名付けろと言われると難しい。どんな名前がいいだろうか……と、適当に例を上げてみたら、
『Bakusoujaa.Male.Chimera, 127, 27, Age.8, 63, 59, 63, Alv.0, HP.101, MP.0, None.Status_Normal,,,,,,,,,,』
「……美空?」
『Byuappuru.Male.Chimera, 127, 27, Age.8, 63, 59, 63, Alv.0, HP.101, MP.0, None.Status_Normal,,,,,,,,,,』
「飛哉亜李」
『Hyaai.Male.Chimera, 127, 27, Age.8, 63, 59, 63, Alv.0, HP.101, MP.0, None.Status_Normal,,,,,,,,,,』
名付けた端から名前の欄が更新されていく。
リアルタイムかよ……まさかこんなに反応が良いとは思わず、驚いていると……
「これ! 子供の名前で遊ぶでない! この子にとって、一生を左右するかも知れぬ、大事な名前なのじゃぞ!? そのようないい加減で他人をおちょくっているとしか思えぬような、ふざけた名前をつけるなど、言語道断じゃ! まったく嘆かわしい!」
「はい……すんませんでした」
リリィに滅茶苦茶怒られて、但馬はシュンとなって項垂れた。確かに、いくら仮名だからって、子供の名前をこんな炙りでもやってるとしか思えない、アナーキーなものにしてはいけない。これから子供が生まれるお父さんお母さんは、一旦冷静になってから、お爺ちゃんお婆ちゃんにもよく相談して、清く正しい名前をつけよう。
とまれ、周囲の視線がものすごく痛くなってきたので、そろそろ真面目に決めなければなるまい。ごん兵衛でも田吾作でも、人間の名前ならこの際構わないかもしれないが、どうせつけるなら可愛い名前にしたいものである。それに、下手な名前をつけようものなら、目の前の女性陣に袋叩きにされること請け合いである。
なにかないかな? と思ってじっと子供の顔を見ていると、ふとその頭でピクピクしている耳に目がいった。初めは猫みたいだと思ったが、よくよく見れば、それはライオンのように見えなくもない。同じネコ科だし。
「じゃあ、リオンってどう?」
「リオン?」
「うん。ちょっと丸っこくてライオンみたいな耳してるから、リオン」
恐らく、但馬がさらにボケるのを警戒していたところ、思いの外まともな言葉出てきて、反応しづらかったのではなかろうか。リリィ、リーゼロッテ、ブリジットはお互いに顔を見合わせてから、うんうんと頷き合い、
「よろしいんじゃございませんか」「いいと思います」「お主の名は、今から、リオン……リオンじゃあ」
と言って、リオンの頭をかいぐりかいぐりやっていた。
『Lion.Male.Chimera, 127, 27, Age.8, 63, 59, 63, Alv.0, HP.101, MP.0, None.Status_Normal,,,,,,,,,,』
ステータスを表示すると、名前欄がもう更新してされていた。それにしても、本当に反応がいい……完全にリアルタイムではなかろうか。しかし、これではっきりしたが、やはりこの世界には何か特別な機械的な仕掛けが施されているようだ。
ステータス魔法で表示されるデータは、そもそも但馬が知り得ない情報だらけだ。名前はもちろん、身長体重年齢、スリーサイズなんてものまで、これらをリアルタイムに演算して毎度表示してるとは考えにくい。どこかからデータを取ってきてると考えたほうがマシだろう。
しかし、そうなると、この世界にどれだけの人口があるか分からないが、その一人ひとりのステータスを監視して、リアルタイムで更新出来るデータベース、それだけの演算能力を備えた施設が一体どこにあるのか……そういえば、データは人間の個人情報に限らず、植物の名前なんかも表示してた。但馬の暮らしていた現代でも、ここまで便利な機械は漫画の中くらいにしか無かったはずだ。
とまれ、森の木々がマナを放出していることから、それは森の中にあるのかも知れないと思っていたが……但馬はふと思い立って尋ねた。
「そういえば、リリィ様の住んでるアクロポリスに世界樹って遺跡があるんだっけ?」
リオンと名付けられた亜人の子供を抱きしめながら、リリィが答えた。
「あるの。それがどうしたのじゃ?」
「遺跡ってどんなものなの? 世界樹って言うくらいだから、木が関係してるんだろうけど」
「ふむ……この世のものならば、よっぽどの子供でも無い限りは、知らぬものは居らぬと思っておったが……」
さもありなんと言わんばかりに頷いて、リリィは話を続けた。
遺跡とは、千年前、聖女リリィが残した石造りの建物のことで、それを包み込むように、巨大な木が宿り木のように植わっているらしい。その巨木は高さ100メートル以上にも及び、他の追随を許さない巨大さから世界樹と呼ばれているそうな。
だから、肝心の本体は木の方ではなくて、その下の石造りの建物で、実際問題、エトルリア皇家はそれを守護するために存在していると言って過言ではなかった。何故なら、
「世界樹、それは恐らく、聖遺物を生産している施設ではないかと目されておる」
「聖遺物の生産施設?」
「うむ。世界樹は何故か人を選ぶ。地下施設に入れるものは世界樹に選ばれた者のみで、それは身分や能力は全く関係せず、誰が選ばれるかさっぱり分からぬ。遺跡に入れた者は入れた者で、その奥にまで到達出来るのはごく僅か、大概は表層で弾かれる。じゃが、その表層でも辿りつけたものは、ほぼ例外なく聖遺物を手にする。なんでかは分からぬが、持ち主を待っていたように、遺跡内のどこかにそれが用意されておるのじゃ」
その言葉はまるで想定しておらず、意外すぎて面食らった。聖遺物なんて名前だから、てっきり過去の遺産、どこかの遺跡から出土する何かだと思っていた。それが事実だとすると遺跡が人を選んで授けてるということになる。滅茶苦茶、人為的だ。
「遺跡の深層にたどり着けた者は、今まではっきりと分かっているのでは、勇者のみじゃ……大昔にも幾人か居るらしいが、何しろ、たどり着けるものが限られておるので、はっきりしないのじゃ。そういえば、勇者は深層で聖遺物を見つけたが、持ってこなかったとも言っておったな。故に、ハッタリではないかと思われておる。人間は自分の目で見たものしか信じられぬからのう」
「リリィ様も入ったことあるの?」
「うむ」
「中の様子はどうなってるわけ? こう……ピカピカ光る謎のモノリスがあったり、動く絵を映し出す鏡みたいなものがあったりしなかった?」
もしかして、オーバーテクノロジーな超古代文明の遺跡みたいなものが見つからなかったかと思い尋ねてみたが、
「分からぬ。余は目が見えぬのでのう……」
と返されてはどうしようもない、そりゃそうだよねと、何ともいえない気分になった。
「余が中に入れたのも、実は勇者の介添えがあったからなのじゃ。何しろ、余は他者が居なければ、周囲の状況がまるで分からぬ……それこそ健常な盲人であるからの。歩くことさえ叶わぬのじゃ」
普段から杖を使っているなら何とかなったかも知れないが、彼女は特殊な方法で世界を認識しており、今更それを変えろと言っても無理な話だ。
「確か、大昔の聖女様が建てたんだっけ?」
「そう言われておる。千年前のことじゃから、はっきりとは言えぬが、以来、エトルリア皇家は彼の地にて遺跡が奪われぬように守り続け、それ故に今もってエトルリアが世界の中心たる所以なのじゃ」
それはまあ、なんとなく分かった。世界樹に入るにはエトルリア皇家の許可が必要で、そうなると当然、中に入れる者は忠実なエトルリア人に限られてくる。
故に、有史以来、魔法使いはエトルリア人ばかりに偏っており、それが千年続く皇国につながったというわけだ。
現実には、リディア王家をみてれば分かるが、一度手に入れた聖遺物は子孫に受け継がれていくから、長い年月が経てば離反するものも出てくるし、エトルリアという広大な土地を支配するために、各地を治める諸侯がいたりと、単純にはいかないようだが、現時点でエトルリア皇家を害そうとする勢力は皆無と言ってよいようだ。
それに、キリスト教という国教がある。
「そういえば、キリスト教っていつから存在するの? それも聖女が広めたわけ?」
「主がエルサレムで磔刑にかけられてからじゃ。主はその三日後、日曜の朝に復活し、天にお隠れになられたと、聖書に書かれておる」
至極まっとうな答えが返ってきたのに、おちょくられてる気分になるのは何故だろう。
「いや、そういう事じゃなくって……その聖書ってどこから出てきたの?」
「さあ? 分からぬが……」
リリィは但馬に信心が無いことを察したのか、少し残念そうに十字を切ってから、
「我が父イエスはいつも我らを見守っておいでじゃ。その証拠に、信心深く主に祈れば、たちどころに怪我も治してしまわれるのじゃ」
「あー」
それを聞いて、どうしてこうもキリスト教ばかり信じられてるのか、ものすごく納得した。
そういえば、リリィもブリジットも、ヒール魔法を使うときに何だかそれっぽい祈りの言葉を呟いていた。多分、あれは但馬が魔法を唱えるときに使う呪文と同じような物ではないだろうか。
なんでか知らないが、ヒール魔法を使うときはキリストに祈らなきゃならなくて、そんなのを聞いていたら、みんなキリストに感謝するに決まっている。必然的にこの世の人々がキリスト教徒だらけになるわけだ。
と言うか、この国でイスラム教徒や仏教徒を見たことがない。恐らくは世界中を探しても居ないのではないか?
なんだか胡散臭いカラクリのようなものを感じる……だが、そんなことを口にしようものなら、360度あらゆる方向からフルボッコにされるんだろうなあ……
色々と言いたいことはあったが、ぐっと堪えて質問を終えた。今のところ、これ以上聞きたいこともないし、そろそろ自分でも整理したいところだ。
応接室の椅子の上では、相変わらずリリィがリオンをいじくり倒していて、それをなんだか吉永小百合を語るタモリみたいな目でリーゼロッテが見つめていた。ブリジットは途中から話について来れない感じで、チラチラとこちらをちら見しては説明を欲しそうにしていた。多分、未だに但馬はちょっと変わった人くらいにしか思ってないのではなかろうか。それならそれで説明が面倒くさくなくて助かるから、そのまま放置しておこう。
なにはともあれ、新しい事実が判明して、少しはこの世界の秘密に近づけたのだろうか……いつか地球に帰れる日が来るまで、どうにか足掻き続けるより他ない。