勇者の娘
エリザベス・シャーロット・タジマに初めて出会ったのは、3ヶ月前の路地裏を勘定に入れなければ、昨日のカフェでの出来事であるが、こうして改めてその姿を見た瞬間、但馬は『あ~、こいつか~……』と、妙に感心するというか、さもありなんと納得してしまうものを感じていた。
とにもかくにも、その佇まいから何から雰囲気が違う。ブリジットの師匠だと言っていたが、例えばブリジットが普段は誰からも気づかれない、懐に忍ばせた短刀だとしたら、目の前の人物は抜身の刀だった。不用意に近づけば切り刻まれる。しかし、怖さを感じさせるのではなく、どことなく美しく、人を惹きつける何かを持っていた。
凛とした佇まいの彼女は、但馬達の馬が近づいてくると、すっと背筋を伸ばし道を開け、カツカツと音を立ててブリジットの馬に近づき、彼女に抱かれるようにして座っていたリリィの腕を取った。
そして、体を投げ出すように傾けた彼女を軽々と持ち上げ、これまた彼女にしがみついていた亜人の子供ごと、ふんわりと重力が無くなってしまったかのように、地面へと下ろした。何と言うか、その仕草は手慣れすぎていて、一枚の絵画を見てるようだった。
やはり、本物のメイドは違う。さぞかし厳しい教育を受けてきたんだろうなと思って見ていたら、
「お帰りなさいませ、お嬢様。道中、お変わりありませんでしたか?」
「うむ……実は、色々あったのじゃが……」
「それは大変にございましたね。私がお慰め差し上げたく存じます。お嬢様のお好きな呪文はなんでございますか?」
「なんじゃ? その呪文とやらは」
「オーソドックスなおいしくな~れ、萌え萌えキュン。も捨て難いと存じますが、私の最近のおすすめはまぜまぜふーふー、魔法の力でおいしくなーれ、ぽわぽわきゅきゅきゅーん。でございます」
「……お主も影響されやすい者よのう。また、カフェに入り浸っておったのか? 普段はだらしない格好をしておるくせに」
馬を降りようとして鐙にかけた足がつるりと滑った。思わずすっ転びそうになりながら地面に降りたら、馬が迷惑そうに尻っぱねをした。こええ。
「リーゼロッテ様、こんにちわ」
「これはこれは、ブリジット様。本日もはち切れんばかりのお肉がポヨンポヨンとする様が大変眼福にございました。あああ! そんなすぐに地面に降りずとも……いつまでも馬にまたがっていてくださいね」
「あの……降りさせてくださいよ」
「発展途上の女の子が好きで、汗の匂いに興奮する」
ブリジットが馬から降りようとすると、カバディみたいな感じで反復横跳びしてそれを阻止していた。子供か。但馬は呆れながら近づいていった。
「おーい、そのくらいにしてやれよ」
「なんですか、あなたは……おや、てっきりブリジット様の下男かと思えば、昨日、私のパフェを奪い取ったパフェ泥棒」
「それあんたのことですよね!? つーか、あんた、気づいててわざとやってるんでしょう。そう言うのもういいから、丁度、あんたと話がしたいと思ってたんだ」
「会話を楽しむ余裕もないとは、せっかちな方でございますね。ふむ……その様子ですと、知ってしまったのですね……乙女の秘密を」
「ああ、うん、まあね。しかし乙女って年かよ、さっき見たぞ。確かさんじゅ……」
ガチっと何かを前歯で噛んだと思ったら、それはいつの間にか口に差し込まれていた抜身の刃であった。
全く見えなかった。と言うか目の前に居たはずのその人が、瞬間移動したようにしか思えなかった。
エリオスが慌てて駆け寄ろうとしてすっ転んだ。ブリジットが苦笑いしている。
予備動作など一切なし。これ……その気になったら、首が胴体から離れていたよな、と思うと、ケツの穴がぽわぽわきゅきゅきゅーんとなった。
「……それ以上はいけない」
ジロリと睨みをきかせてリーゼロッテが恫喝した。
「ひゃい……」
但馬は生まれたての子鹿のようにプルプルとしながら同意した。
期せずして大所帯になってしまったので、門の前ではかなり目立つ集団になっていた。通行の邪魔なので、さっさと移動しようと提案すると、リーゼロッテがやたらとカフェに行きたがっていたので、無理矢理本社ビルまで引っ張ってきた。多分あっちに行ったら話にならないだろう。
一瞬、出来る女みたいに思ったが、前言撤回せざるを得ない。彼女は好奇心旺盛と言えば聞こえが良いが、どうにも注意散漫で他人の言うことを聞く気が全くない。仮に聞いていたところでも理解する気がない。なんというかテキトーな感じの人だった。
大勢で詰めかけたらフレッド君が驚いて対応しようとしたが、そのまま仕事しててと断って社長室兼応接室へのドアをくぐる。適当に腰掛けてもらってから、ブリジットにお茶を汲みに行かせたら、
「一国の姫にお茶くみをさせるとは、中々ハイレベルなプレイにございますね」
「いや、プレイじゃないから。つーか、あいつも一応うちの社員だからね? お茶くみくらいするよ」
「さようでございましたか。普段、ブリジット様は、如何ようなお仕事をなされておいでなのでございますか?」
「ブリジット? まあ、お茶くみとか……お茶くみとか……あと……お茶くみとか……」
やべえ、お茶くみしかしてねえ。そのうちブリジットのために、コピー機を作ってやろう……
「あ! そうだ、戸締まりもあったな」
「それはそれは。ご就職されたと聞き及び、心配しておりましたが……中々、優秀なご様子で。大変安心いたしました」
こいつ嫌味で言ってんのかと思ったが、別にそんな感じではなく、
「生前、父はよくおっしゃっておいででした。仕事の対価としてサラリーを貰うのがサラリーマンであるならば、仕事をせずにサラリーを貰うサラリーマンこそが真に優秀なサラリーマンであると……」
「おまえの親父は高田純次かっ! つか、別にあいつは、わざとそうしてる分けじゃないからね?」
「そのお方がどなたかは存じ上げませんが、そこはかとなく褒められている気が致します。高等遊民たるブリジット様でございますから、それはそれでよろしいのではございませんか。確か、あなた方の国には、そういったご職業があったはず、名前は確か……そう、NEETと」
「ニートは職業じゃないっ! つーか、そうか……ブリジットの奴、今は社内ニート状態なんだな……言われるまで気づかなかったよ……でも待てよ? ニートと言えば自宅警備員とも言うじゃないか。ならば社内ニートは社内警備員……つまり警備員そのもの。なんだ、あいつちゃんと仕事してるじゃん」
「それは良うございましたね」
「良かったよかった」
「良くないですよ……」
気がつけば応接室の入り口に、お茶を盆にのせたブリジットが、眉毛をハの字にしながら立っていた。やべえ……沈黙しかける室内のどんよりとした空気をなんとか打ち払おうと、但馬は焦りながら続けた。
「つか、この人こそ、こんなんでちゃんと仕事してんの? もの凄くいい性格してるけどさあ」
「せんの」
即答かよ。リリィが事も無げに宣言した。
それじゃ、いつもなにやってんの、この人? 確かブリジットは侍従長とか言ってたが……まさか、他の侍女の前でふんぞり返って、顎で使ってるとかだろうか、とんでもねえ奴だ……と考えていたところで、ふと違和感を覚えた。
「……あれ? っていうか、ニート? あんた今ニートっつったよね? その言葉、なんかすっげー久しぶりに聞いたんだけど……」
NEETと言う言葉の発祥地は20世紀末のイギリス。教育、雇用、職業訓練に参加していない若者を指す言葉として紹介されたことが切っ掛けで、日本でレッテル貼りに利用された和製英語である。
なんでそんなものが、この異世界の住人の口から出てくるのか……一瞬戸惑ったが、すぐに思い当たった。そうだった。エリザベス・シャーロット・タジマ。勇者の娘。
「もしかして、その言葉、父親である勇者から教えてもらったのか?」
「……その件につきましては、私もお尋ねしたく……ずばり、貴方様は我が父・タジマハルと、同一人物なのでございましょうか?」
同意の代わりに、素っ頓狂な返事が返ってきて、但馬は面食らった。そういえば、リリィも勘違いしていて、どうにも会話が噛み合わないので、彼女を問いただそうと思っていたのだ。
「いやいや、違うよ。確かに俺とあんたの親父さんは同郷かも知れないが……おまけに同姓同名だけど、年齢が違いすぎるだろう? どうやったら自分よりも年上の娘をこさえられるってんだ。常識的に考えたって別人だろ」
「確かに、そうなのでございますが……いえ……貴方様がそうおっしゃるのであれば、そうなのでございましょうね」
「おい」
「私はただ、生前の父がおっしゃっていたことを、覚えているだけなのです。そして、その父の残した言葉……予言によれば、貴方様が父本人であるのではないかと勘ぐっていたのでございますが……」
「……どういうこと?」
「実を申しますと、父は生前、いずれ自分が蘇るというようなことを、仄めかしておいででした。私はそれを鵜呑みにはしておりませんでしたが……」
どうやら、リーゼロッテは、但馬が勇者と同一人物であると信じているわけではなく、単に父親が遺言で残した言葉から、そうなのではないか? と推測してるだけのようだった。
一体全体、勇者は死に際に何を残したのか? 但馬は彼女に詳しく話を続けるように促した。
「私が最後に父とお別れしましたのは、今から11年前……父がエトルリア皇国へ、私を預けに訪れた時でした」
それは先ほどリリィにも聞かされた。勇者はエトルリアの世界樹を見るついでに、リリィを見舞い、そして娘を預けてから北方へと帰っていった。
「ところで貴方様は、今まで私、勇者の娘の存在をご存知でしたでしょうか? 実は私の存在を知る者は、この世界にも一握りだけなのです。私は勇者の娘。その存在だけで利用価値があり、命を狙われることもしばしば……それを嫌った我が父が、私の存在を隠したのでございます。
父は晩年、何かに追い立てられるかのように、焦っておいででした。それが何かは誰にもおっしゃりませんでしたが、時間的な猶予がなく切迫しており、恐らくはご自分の最後を確信しておいででしたのではないでしょうか。そんな父は私をエトルリアに預けたあと、北方で命を落としました。
知っての通り、父の死因は暗殺で、北方セレスティアでは今でも内戦が続いております。そのため、エトルリアに食客として滞在しておりました私は、父の訃報を聞いて以来、リリィ様の侍女に身をやつして姿を眩ませておりました。父の仇も討たず、のうのうと過ごす日々は屈辱でございましたが、何しろ、私を知るものはほとんど居らず、私が勇者の娘を名乗って立ち上がっても、誰もついてきません。混乱を助長するだけです。
そんなとき、ふと思い出したのです。父は生前、別れ際に私におっしゃっておりました。自分が死んだらリディアに行けと。いずれそこにまた自分が現れるだろうと。
初めは父が実は生きていて、こっそりとリディアで隠居でもしているのではないかと思いました。しかし、そんな気配は何もなく、いくらリディアを探しても見つかりません。父はやはりセレスティアで死んだのです。諦めた私はそれ以来、リリィ様の侍女として、エトルリアの皇宮で暮らしておりました。しかし、そんな時、十年も経って貴方様が現れたのです」
それはあの2つの月が昇る夜。海岸で魔法をぶっ放して、ブリジットに見つかって、ウルフたちと亜人を退治し、そしてリリィに出会ったあの日のことだ。
「初めリリィ様から貴方様のお話を聞きましても、笑ってしまうだけで、何とも思いませんでした。勇者教という言葉もございますし、貴方様もその類の一人だと思ったのです。しかし、エトルリアに帰り、暫くすると、風のうわさでリディアのことが聞こえてくるのでございます。リディアに勇者が現れた。半年もすると、それは笑っていられるものでは無くなり、失礼ですが、私は伝を頼り、貴方様のことを調べさせていただきました」
伝とはトーのことだろう。3ヶ月前、トーを追っかけて路地裏で目撃した、あの出来事を思い出す。あの時、彼女はわざわざリディアまでやってきて、但馬のことを見張っていたわけだ。
「もちろん、勇者が現れたと申しますのはただの暗喩で、現実は但馬波瑠を名乗る貴方様が大変なご活躍をされていたと言うことでございますが……それだけならまだしも、信頼筋から入ってくる情報によりますと、貴方様の能力はお仕事に限らず魔法能力にも長けていると聞き及び、そこでふと思いだしたのです……父タジマハルは、他の誰とも違う方法で強力な魔法を駆使し戦っていました。その方法を私にも黙っておいででしたが、リリィ様にだけは明かしておいででした。それはリリィ様が生きるために必要だったからなのでございましょうが……」
勇者が黙っていたのは単に秘密主義だったからというわけでもないだろう。多分、口で説明しても分かってもらえないからだ。レーダーに関しても、勇者くらいの力があれば、勘の鋭い人だと勝手に周りが勘違いしてくれるはずだ。但馬だってそうだった。
しかし、勇者は何故かリリィが自分と同じ能力者だと言うことに気づいて、眠れる彼女を起こし、彼女が生きるための方法を伝授して去っていった。それは何故なのか。
「そして、そのことを調べている内に、貴方様が父と同じ秘密を抱えていると判断するに至りました。それで今回、こうして接触してみましょうと、考えた次第でございます」
勇者は死ぬ直前、リディアに再度自分が現れると予言していた……その予言を聞いていたら、そりゃリーゼロッテも、父と同じ能力を持つ但馬の登場を無視できなかったろう。
「なるほどねえ……事情はよくわかったよ」
彼が一体何を知っていて、それらの言葉を残したのかは分からないが、それによって、リーゼロッテとリリィは但馬=勇者だと混同した。しかし、
「でも、残念ながら、俺には身に覚えがない。勇者だって言われても、違うとしか言いようが無い。本当に、勇者は自分がまた現れるって言ってたのか?」
「……今思えばもう少し違う言い方をしていたかも知れません。父は確か、リディアに現れる、自分の助けになってやれと……そのようなニュアンスだったかも知れません。なにしろ10年前のことでございますゆえ……」
「うーん……それじゃ、前々から気になってたんだけど、勇者と俺ってそんなに似てるの? 確か、一度国王様に聞いた時は、そんなに似てないって言ってたけど」
「……さようでございますね。雰囲気はハッとするほど似ておいでですが、その外見は年齢差を差し引いても、似ても似つかないと思います。今にして思えば、その雰囲気が似通ってらっしゃるのも、あなた方が我々とは比べ物にならないほど博識で聡明であるがゆえの、余裕か何かだったのかも知れません」
「いや、そんな素晴らしいもんじゃないけど……そうか」
多分、文明レベルが違いすぎるから、現代人特有の余裕というか、そんなものがにじみ出ているのだろう。現実問題、葉っぱでウンコを拭いてた時は、この世界の住人すべてが野蛮人にしか思えなかった。ねずみ講にもコロっと引っかかっちゃうし、但馬にしてみれば、子供みたいなものである。どこか、そう言った侮った雰囲気が出ちゃっていたのだろう……気を引き締めねば。
ともあれ、事情は分かったので、
「やっぱり、俺とあんたの親父さんは別人だと思うわ。勇者は多分、自分が生まれ変わるって言いたかったわけじゃなくて、俺みたいのが現れることを予言していただけなんだよ……なんでなのかはわかんないけど……色々と興味深い話を聞かせてくれたのに、期待に応えられなくて悪いな」
但馬と同じ名前の勇者、その人と自分とがこうして別人だと分かり、但馬はホッとした。やはり、自分と同じ名前の人間が、似たような境遇にあったと知っては、気にしないでいるわけにはいかなかった。未だに彼が同姓同名なのは謎ではあったが、だが少なくとも、彼と自分が別人格を持った別人だということは確かのようで、彼は安堵するのだった。尤も、リリィとしては残念かも知れず、
「リリィ様も、せっかく恩人に会えたと思ってたのなら、申し訳ない。謝るけど……」
「さようか……それは残念じゃのう。しかし勇者よ。お主はお主で中々見どころがあるでの。この出会いもそう悪いものではなかったぞ」
但馬が謝罪すると、リリィは唇をニッと吊り上げ、まんざらでもないと言った感じでそう言った。
しかし、その顔が心なしか寂しそうなのは、やはり勇者が彼女の恩人であるが故だろうか。膝に抱えた亜人の子供の髪を手ですきながら、どこかアンニュイな雰囲気を漂わせていた。
そんな時、ふとリーゼロッテが言った。
「ところで……その亜人の子供は何なのです? 初めは貴方様のお連れかと思い、口を挟まずにおりましたが、妙にリリィ様に懐いているように見えます」
「そうだった」
話をしててすっかり忘れていたが、他にもまだ問題があったのだ。
森で出会った亜人の子供は、こうして大人たちが会話している最中も、借りてきた猫みたいに大人しく、リリィにされるがままにされていた。