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MP001

 会社経営者や医者や弁護士など、社会的成功者にはサイコパスが多いという学説があるらしい。確かにその手の人たちの中には、一見しただけで、「うわっ……なんか嫌だなあ、お近づきになりたくない……」と言った雰囲気をプンプンと漂わせている者がいる。目の前に居る男がそれだった。


 騎兵を10騎ばかり率いてやってきた騎士は近衛隊を自称し偉そうに現場責任者を問い(ただ)した。ブリジットが唯々諾々(いいだくだく)と従ってる姿を見ると、恐らく本当に階級が上の近衛兵なのだろう。彼女は但馬と初めて会ったときの頼りなさとは違い、背筋をピンと伸ばして必要以上に丁寧な敬礼をした。


「リディア軍321偵察小隊、ブリジット・ゲール軍曹です。払暁(ふつぎょう)、西方より火の手が上がったと報告があり、その調査をしておりました」

「で?」

「後方連絡線を哨戒(しょうかい)中、海岸付近にて目撃者を発見。情報を得て、現在駐屯地に帰還中であります」

「で?」

「以上です」

「そいつは?」

「目撃者の方です」


 自分には関係ないと、ボーっと見物を決め込んでいた但馬に、思いもよらず話の矛先が向いた。出来れば巻き込まれたくないのであるが……


 男が近づいてくる。当たり前だが馬上から降りるようなことはしない。


「異変を目撃したのは貴様か」

「ええ、まあ」

「その時の状況を詳しく話せ」

「えーっと、海岸で魚を獲ってたら、沖のほうでこう、ワーッとね」

「炎が上がったのは海の中なのか」

「そうだよ」

「間違いないな」

「……ああ」


 なんだか知らないが、くどいくらい確認された。そういえばブリジットも海から炎が上がったと聞いたら、有り得ないと言って戸惑っていた。そんなにおかしなことなのだろうか?


 ……いやまあ、確かに? 自然現象としては有り得ないが……何せ魔法のしたことである。


 勝手が分からず正直に答えてしまったが、もしかして言わない方が良かったか? かと言って、今更撤回することも出来ないし、変に絡まれたらどうしようか……


 などと不安に駆られていたが、騎士は念を押すように再確認すると、


「そうか……」


 と言ってあっさりと引いた。


「今朝方、憲兵隊に通報があった。早朝、沖に出ていた漁師たちが謎の発火現象を目撃したらしい。一人、二人ではなくかなりの人数だ。外洋方面で、誰も近づきはしない場所だが、危険が無いか調査して欲しいと、正式に軍へ依頼が来た」

「……私達とは入れ違いだったみたいですね」

「その男の話と一致する。場所が特定できているのであれば、また別の者を送ればいいだろう。それより、お前たちは我が隊に手を貸せ」

「駐屯地へ報告しに帰らねばならないのですが」

「上官命令だ」


 有無を言わさぬ命令口調にブリジットは一瞬黙るも、それでも任務の遂行が大事と考えたか、騎士とブリジットが押し問答を始めた。尤も、階級の違いがあるので、彼女のほうが明らかに分が悪い。正直、気の毒ではあったが、これ以上自分にとばっちりが来ないことへの安心感の方が勝った。


 と言うか、軍隊って上官に楯突いてもいいものなんだろうか。詳しいことは知らないが、下士官が好き勝手やっては命令系統がおかしくなるから、絶対遵守のはずである。まあ、ファンタジー世界のことだから、自分の世界の常識で計ってもしかたないのかも知れないが。


 ともあれ、一応、街まで警護してもらった手前、目撃情報を証言なりなんなりするつもりであったが、もうその必要は無さそうだ。それより、街は近いのだろうか。一人でも歩いていけるくらいの距離なら、彼らも忙しそうであるし、そろそろおさらばしたいのであるが……


 その旨を言い出すタイミングを見計らっていたら、聞くとは無しに聞こえてきた。


「本国の姫殿下が今朝方消息を立った。いつものお忍びとはどうも様子が違うらしい。先ほど、近衛の詰所に侍女が駆け込んできた」

「……なんですって?」

「すぐさま、四方に部下を走らせたが、間者の可能性もなくはない。人手が要る。なんとしても探し出さねばならない」

「エリオスさん、シモンさん!」


 泡を食った様子でブリジットが自分の部下を振り返ると、その様子を見ていた二人は、さっと馬に騎乗した。それを見て彼女も大慌てで馬によじ登る。


 話を聞いた限りでは、なんちゃら姫が(さら)われたとか、間者がどうのとか、どうやら緊急事態のようである。そういえば、戦争中とか言っていた。騎士は敵国の工作を疑っているらしい。


 ブリジットは馬に跨ると、すぐさま近衛騎士達の後についていこうとしたが、ふと但馬のことを思い出したのか、くるりと上半身だけ振り返って言った。


「すみません。街までお送りするつもりでしたが」


 思いっきり無視して歩かされてた気もするが……


「別にいいっすよ。街まで、あとどのくらいだったっけ。そんなに遠くないっすよね」

「あと半刻も行けば駐屯地に着きます。街はそのすぐ隣です」


 半刻とは、30分だろうか、それとも1時間だろうか。どっちにしろ、歩いてそれくらいならば、それほど遠くは無いだろう。無舗装の獣道とは言え、さっきからサンダル履きで歩いていてもそんなに疲れてないので、楽勝のはずだ。


 ブリジットはそれだけ伝えると、すぐに行きかけたが、


「あ、そうそう。ちょっと待って」


 しかし但馬に呼び止められて、明らかにイライラした風で振り返った。女の子の嫌そうな顔って、どうしてこうそそるのだろうか……そんな自分の性癖はさておき、


「あのさ……そこ、ちょっと行ったとこに小高い丘があるでしょう。あそこ、怪しくないっすか?」

「……え?」


 但馬は右のコメカミをちょんと叩くと、表示されたレーダーマップで、改めて複数の光点がじっと丘陵地帯に潜んでいることを確認した。さっきは野生動物の群れか何かと思って気にも留めなかったが、話を聞いた今となっては、別の何かの可能性を疑わざるを得ない。


 尤も、その丘にさえ目を向けなければ、現場は見通しの良い平原地帯だった。さらに丘と言っても本当に些細なもので、言われなければ気づかなかったろうし、そんな場所に人が潜んでいるとも思わないだろう。おまけに素人の但馬が言ってるのだから、尚更説得力が無かった。


「軍曹、どうした。早くしろ」


 呼び止められたブリジットが、但馬の話を聞いて逡巡していると、案の定先ほどの騎士がやってきて、不機嫌な顔を隠さず吐いて捨てた。


「素人の意見など馬鹿馬鹿しい。時間が惜しいから、さっさとしろ」

「はい……」


 彼らは但馬の意見を一笑に付すと、馬を返し仲間の下へと戻っていった。


 まあ、こんなものだろう。


 もしも但馬が危惧したとおり、この光点が彼らの探し人に関係があったのなら、何も言わずに立ち去るのは寝覚めが悪いな……と思い、一応伝えるだけ伝えたのだ。それを彼らがどう扱おうと、後は知ったことではない。


 とにかく自分は言うこと言った。これでお役御免だろう。但馬は兵士たちとは反対の方向へ背を向けると、街へ向かって歩き出し……


「待ってください」


 歩き出そうとして、今度は但馬の方がブリジットに呼び止められた。


「どうして、怪しいと思うんですか?」


 振り返ると、先に行きかけたブリジットが立ち止まり、上半身だけこちらに向けて、馬上からその理由を尋ねてきた。何でと言われれば、自分のレーダーマップで赤い点が点滅してるからなのだが……そんなこと言ってもキチガイと思われるのが落ちである。しかし他に理由が無い。


 どう答えれば、彼女が納得するのやら……と、但馬が懊悩していると、


「ブリジット!」


 キレた騎士が、いい加減にしろと言わんばかりの荒々しい声を上げ、投げかけられた本人でない但馬の方がビクッとした。彼は時間を無駄に使われて、怒り心頭と言った感じである。その声に馬が驚いて暴れ出し、それを必死に宥めている。


 今、どうして怪しいの? と問われ、何となくですなんて答えたら、多分理不尽に怒られそうだよな……と、困り果てて空を見上げたときだった。


「鳥が……」


 空高く渡り鳥の編隊が、綺麗なへの字を描いて優雅に滑空していた。但馬はそれを見て、源義家の古事を思い出し、


「渡り鳥がさっきあの辺で、隊列を乱したもんで。何かあるんじゃないかと思って」


 そう言って上空を指差した。


 視線を戻せば二人が同じ角度で口をポカンと開けて空を見上げていた。


 そして偶然ではあったが、間もなく渡り鳥が件の丘の上空に差し掛かかり、かと思うと、突如編隊を乱して行き先を変えるのだった。


 二人はお互いに顔を見合わせた。少なくとも、但馬の話に信憑性が加わったようである。


「軍曹、おまえは左へ回りこめ……ジル隊は俺について来い。抜刀!」


 騎士は言うが早いか馬を駆って駆け出した。彼の部下らしき騎士たちが、何の不平も言わずに言われたとおり、その後に続いた。


「エリオスさん、シモンさんは、この人の護衛をお願いします」


 ブリジットはエリオスたちに指示すると、自分は騎士に言われたとおり左方向へ馬を回した。残った近衛兵の半分が彼女に従った。


 実に迅速な行動である。練度の高さが窺われる。


「何があったんだ?」


 それとは対称的に、状況を飲み込めてないシモンが、呑気な声を出しながらやってくると、馬から下りて手綱を引いた。同じようにエリオスも下馬した丁度その時、二手に分かれた騎士たちが、件の丘へと差し掛かった。


 何事も無ければいいのだが……但馬がじっと見ていると、


 バンッッ!!


 と大きな音が響いたと思うと、突風がピューッと吹きぬけていった。


 その音に数頭の馬が怯み、勢いを無くすのを見るや否や、丘の向こうからいくつもの影が躍り出て、騎士たちに襲い掛かった。


「怯むなっ! 突撃っ!!」


 辺りに騎士の鋭い声が上がる。


「ウオオオオオオオーーーーーーーー!!!!!!」


 肌を震わせるほどの閧の声が双方から上がった。


 騎士たちはガムシャラに突っ走っていったが、一度勢いを無くした突進はすぐに防ぎ止められ、馬をやられた数人が落馬し、途端に、あちこちで剣戟の音が響き渡った。


 数の上では互角というより、こちらのほうが多かったが、馬上での戦闘を強いられているせいか、分が悪いように見えた。


 乱戦状態の丘陵で砂埃が舞う。


 やっぱり、何かが居たようだ。


 馬の突進力を生かそうと、距離を取ろうとしても食いつかれ、無理を通せば弓を射かけられ、騎士たちは軒並み苦戦していた。


 だから、中には馬から飛び降りて、地べたで応戦している者がちらほらいた。そして、どうやらそれが正解のようである。


 数人の騎士が下馬していたが、そんな彼らだけが、相手を押しているように見受けられた。恐らく、自信があるから馬を捨てたのだろうし、それは必然だったかも知れない。


 中でも最も気を吐いているのは……


「ブリジット!?」


 その見た目からは信じられない光景だったが、小柄な彼女が自分よりも大きな敵を何人も相手にしながら、受けきるどころか、逆に押しているように見えるのだ。


 その繰り出す剣戟の一つ一つが尋常じゃなく速く、流れるような動きは水のようにしなやかである。


 何かの冗談みたいだと、その姿にあっけにとられ、棒立ちで観戦していたら、


「おいっ! 伏せろ!!」

「ぶべっっっ……!!」


 突然、エリオスに首根っこを掴まれて引き倒された。


 何をするのか! と抗議しようとしたら、


 ドスッ……ドスドスッ……


 と、但馬の目の前の地面に、流れ矢が突き刺さる。


「ハイヨーーーーー!!」


 そのエリオスは但馬を引き倒すと、その勢いのままバシッと自分の馬の尻を叩いて手綱を放した。恐らく空馬(からうま)を街まで走らせることで、味方に異常を知らせようとしたのだろう。


 その姿に触発されたのか、


 パパパラッパパーー!! パパパラッパパーー!! パパパラッパパーー!!


 と、いきなり耳元で空気を切り裂くような大音響が、幾度も幾度も木霊した。鼓膜が破れそうなくらいに震え、耳をつんざくようなキンキンとした痛みが走り、涙が溢れ鼻水が吹き出た。


 見ればシモンが腰にぶら下げていた突撃ラッパ(クラリオン)を一心不乱に鳴らしている。


 思った以上の大音響と、援軍を呼び寄せるその音に、焦りが生じた敵に隙が出来たか、丘の方々で血しぶきが上がった。


 精彩を欠いた敵が一斉に押し込まれる。


 そして、劣勢に立った敵の憎しみの矛先がシモンに向くと、こっちに向かって次々と矢が飛来するのであった。


「うひゃっ!? おたすけーーっ!!」


 頭を抱えて地べたに這いつくばり、天に祈っていると、またドスドスと自分の回りに弓矢が突き刺さる音がした。


 前方で、ハシッと何かを掴む音が聞こえ、はっとして顔を上げると、エリオスが但馬に当たりそうな矢を手づかみで押さえているのだった。


 何なんだ、このオッサン……


 こんな芸当、ドラマの演出でしか出来ないと思っていたのに……


 呆れるやら、驚愕するやら、ドン引くやら、尊敬するやら、その見事な芸当を軽々とやってのける彼に負けじと、シモンが弓矢を持って応戦を開始した。途端にヘイトが彼に向かい、逃げ撃ちする彼がおとりとなって、但馬に飛来する矢はほぼ無くなったが、未だ事態は予断を許しそうにない。


 こら、あかん……死んでしまう……


 まさか、目の前で大規模な戦闘が起こるとは夢にも思わず、但馬は腰が抜けてガクガクと震えていた。


 自分にも何か出来ることがあれば……なんてことは夢にも思わない。


 戦闘とはフレキシブルな言葉だが、要するに殺し合いのことである。


 人が大声を上げて一心不乱に殺しあう現場など、当たり前だが生まれてこの方、ただの一度も見たことない。


 そんな、信じられない光景が、今目の前で繰り広げられているのだ。その恐怖は尋常ではなかった。


 但馬は怖気づくと、こんな場所には一分一秒でも居たくないと、ブルブル震える体を必死に動かして、殆んど本能のまま中腰を浮かして逃げ出した。


「危ないっ!!!」


 しかし、数歩もいかないうちに地面に引き倒され、


 バシャッ


 強かに腰を強打し、倒れこんだ自分の顔に何かがかかった。


 痛みを堪え、恐る恐る、顔を上げると……


 いつの間にか現れた褐色の肌をした人物が、袈裟切りに但馬に切りかかっており、それを防ごうと、エリオスが素手でその剣戟を受け止めていた。


 その彼の手からボタボタと、あり得ないくらいの血が滴り落ち……


 何か、自分の顔に乗っかってると思って、摘み上げてみたら、それは切り落とされた彼の指だった。


「うっ……うわああああああ!!!」


 エリオスの手のひらに、今にも千切れ落ちてしまいそうな親指が、ブラブラと揺れているのが見えた。彼はそんな状態にも関わらず、今なお但馬を狙う敵の剣をガッシリと受け止め、お返しとばかりに星球棍(モーニングスター)をブンッと振り回す。


 ドンッッッ!!!


 と、鈍い音が轟き、


 ドサッ


 と、切りかかってきた男が、まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


「ヒュー……ヒュゥゥーーー……」


 腕がひしゃげ、体がおかしな方向に曲がり、肺が割れたのか、男は下手糞の口笛みたいな荒い呼吸をしていた。キチガイみたいに目がグルグルと回っている。


 突然のことでまったく気づかなかった。但馬はその姿を見て驚愕した。


 男は頭に大きな猫耳のような房をつけており、エリオスを苦しげに見つめるその瞳孔もまた猫のように縦に開いているのだった。体つきは殆んど人間と同じである。しかし、腰の辺りから、なにやら尻尾のようなものが伸びている。


 もしかして……これが魔物? いや、亜人か?


 そんなことを考える間も無く、エリオスが軽々と星球棍を振り上げると、


 グシャッ!!


 と、まるでトマトでも潰すかのような気楽さで、男の頭を潰した。


 ビチャビチャと脳髄を撒き散らし、男は果てた。


 ついさっきまで男だった物体が、もう頭がないと言うのに、まるでカエルの解剖実験みたいに、ビクビクと不気味に(うごめ)いている。


 シューシューと、化け物じみた荒い呼吸をしながら、エリオスがもの凄い形相で、死者を(なぶ)るように蹴りを入れ、顔面に突き刺さった球棍を引き抜いた。


 全てを終えると、エリオスは、


「大丈夫か?」


 そう言いながら、近づいてきたが、彼は但馬の様子を見るや否や、眉根を寄せて複雑そうな顔を見せるのだった。


 辺りは血の海と化し、脳髄やら目玉やら、髪の房が張り付いたままの頭皮や、まだ歯のついた下あごやらが飛び散っている。


 多分、その光景をモニタ越しに見たのなら、但馬は直前に食べたものを全部ぶちまけていたに違いない。


 しかし現実にそんな場面に遭遇してみれば、そんな余裕なんか全くなかった。寧ろ上半身より下半身のほうが、緩んで股間が湿っぽくなった。ただそれを受け入れるしかなかった。生存本能が頭の中でフル回転してるのに、その結果一歩も動けないという体たらくなのだ。


 一体、今、自分がどんな顔をしているのか、但馬は分からなかった。


 ただ、目の前で悲しそうな顔をするオッサンを見て、想像するしかなかった。


 何を恐れる?


 但馬はゴクリと生唾を飲み込んだ。


 この人は、自分を助けてくれた恩人じゃないか。


「す、すみません……ひ、ひ、人が死ぬのなんて、その、初めてで……」

「そうか、無事ならばそれでいい」


 何てことなく平静を装う彼の姿に胸が痛む。ただ、どうしようもなく怖いのだ。怖くて仕方なかったのだ。


「お、お、俺のせいで……エリオッさん、ゆ、ゆ、指が……」

「ん? ああ……なあに、こんなのは、唾をつけておけばその内生えてくるさ」


 そんな但馬の心境を察してか、エリオスは必要以上に明るく振舞った。


 但馬は決して他人の気持ちが分からないような愚か者ではない。


 だから、エリオスが但馬を心配させまいと、自分の体の欠損を冗談の種にしながらも、冷や汗を流し、痛みに堪えていることは重々承知していた。


 顔を上げれば、未だに丘陵のあちこちで剣戟が響いている。


 弓を構えたシモンが、猛然とダッシュしながら、息も絶え絶え弓を打ち続けている。


 そして目の前に居るエリオスは満身創痍だ。


 ……思えば、この事態を招いたのは誰だ。それは但馬に他ならない。


 もちろん、それは必要なことだった。彼らが探していると言う姫様に繋がることかも知れないし、町の近くに潜んでいた敵を(あぶ)り出す結果にも繋がった。だが、但馬が何も言わなければ、彼らが傷つくこともなかっただろうし、自分は今頃、安全な街へと辿り着いているはずだった。


 なのに、自分は何をしている……?


 自分にやれることが何かあるんじゃないか?


 諦めるのは簡単だ。斜に構えていれば傷つく心配もないだろう。でも、少なくとも今はそんな気持ちは捨てるんだ。そんなんじゃ、命がいくらあっても足りないだろう。ゲームみたいな世界だと思って、どこか他人事のように思ってたが、生き残りたいなら、もっと足掻けよ。


 但馬は自分に言い聞かせるように、そう覚悟を決めると、大きく深呼吸を一つした。


「まつろわぬ神よ……」


 腹が据わった。


 但馬はずっと開きっぱなしのステータスウィンドウを見た。但馬波留。ALV001/HP100/MP001……これだ。


「虚無より生まれし星の御子よ……」


 時間経過の賜物か、たった1だけ回復していたMPに目をつけた但馬は、咄嗟に魔法を唱えることを思いついた。初めてのときは、その詠唱の恥ずかしさに尻込みしたが、今はそんなことなど全く気にならなかった。


「荒ぶる御霊を解き放ち……」


 傍らで但馬を守っていたはずのエリオスが、目を血走らせ、突然荒々しい声で詠唱を始めた彼に気がつくと、ギョッとして飛び退くように距離を離した。


 但馬は彼のそんな仕草に気づいたが、構わず続けた。


 自分の姿を見ることは、鏡でもない限り無理だから、気づかなかったのだ。


 元来、魔法使い(マジックキャスター)が詠唱を開始すると、術者の内と外から光が集い、煌めくオーラを放ち、その近辺の空間は歪み、あらゆる物理現象を遮断するフィールドが形成される。


「闇を払い、光を砕き……」


 その光を敵陣に見つけた者は、みな絶望すると言う。逆に、自陣から上がれば、もの凄い歓声が沸くのだそうだ。


「漆黒の狭間に(ことわり)を打ちたてよ」


 期せずして、メニューを弄っていた但馬は、そのボタンを押すつもりで、丘に向かって人指し指を突き立てていた。弓を撃ちながらも、それを目撃したシモンには、それがまるで死の宣告のように見えたのだと言う。


「其は古の暴君なり……駆け抜けろ甕星(みかぼし)!! 天より来たりて大地を穿(うが)てぇっっっ!!!!」


 それはさながら予言のようだった。


 彼の詠唱のまま、天より飛来した無数の(つぶて)が丘に降り注ぎ、大地を穿ち、砂を巻き上げ、あっという間に辺り一面を覆いつくす粉塵となった。


 こんな、たった200メートル足らずの距離だと言うのに、遅れてきた大音響が、


 ドオオオオーーーーーーンッッッ!!!!!


 と耳に届く頃には、辺りはすっかり夜みたいに真っ暗になっていた。


 開いた口に吹き飛んだ砂が飛び込んで、口の中がじゃりじゃりとした。前後不覚に陥って、みんなの位置がまったく把握できない。レーダーマップで確認すれば済んだのだろうが、そんなことすら思いつかないほどパニックになっていた。


 但馬は自分のやったことに仰天した。


「……やべえ……」


 と言うか、滅茶苦茶焦った。


 MP100の時と比べたら、それは取るに足らない規模ではあったが、それでも目撃した者全てを心胆寒からしめるほどの威力があった。


 自分はそれをコントロールする術を知らない。もしも、あんなものが無差別に丘陵に降り注いだのだとしたら……


 最悪の事態が頭を過ぎる。


「お、おーい……みんな、生きてるかあ……?」


 戸惑いながら、但馬は絶対に届かないであろう小声で呟くように言った。正直、結果を知るのが怖くて怖くて仕方なかった。


 しかし、それで良かったのか悪かったのか。


 やがて、粉塵が晴れると、丘に全く無傷のままの騎士たちが現れた。彼らは突然の隕石の襲来に驚き、そして突然たった今まで戦っていたはずの相手が居なくなっていることに二度驚き、無傷の同僚たちが同じように立ち尽くしている様に三度驚いた。笑い話みたいだが、彼らの乗っていた馬も無傷なのである。


 但馬は全員の無事を確認すると、深い溜め息を吐いて、腰を抜かすかのように、その場にしゃがみこんだ。


 そんな一見すると情けない彼の姿に、その場に居た全ての人たちが、釘付けとなっていた。


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[気になる点] >と言うか、軍隊って上官に楯突いてもいいものなんだろうか。詳しいことは知らないが、下士官が好き勝手やっては命令系統がおかしくなるから、絶対遵守のはずである。  ◇ ◇ ◇  上官で…
[一言] この主人公色々と迂闊すぎる…。
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