……見えるのか?
森で出会った亜人の商人、ミルトンが去っていくのを見送りながら、但馬は思った。
メディアの……亜人の商人と言っても、人間のそれとさして変わりない。やはり、人間は個人個人の付き合いが大事なのだろう。勇者みたいに亜人を保護しようとまではいかないが、偏見は完全に消えたと言って過言でなかった。
なかなか気持ちの良い奴だったなと、清々しい気持ちで振り返り、ふとブリジットのことを見たら……彼女は、ふぅ~っと長い息を吐いて、腰の剣から手を離すのだった。どうやら、但馬たちが話し合ってる最中もずっと緊張していたらしい。
母親の仇という理由があるから仕方ないが、そんな彼女の前で和気藹々として悪かったかも……ほんのちょっとしんみりしたら、その視線に気づいたのだろうか。ブリジットが殊更優しそうな笑みを向けて言った。
「別に平気ですよ」
「う、うん」
「でも先生、一体どうするんですか、その子……こんな簡単に引き受けちゃって」
そうだった。
但馬の足にしがみつく子供に目をやったら、彼は未だにぐずついて、但馬の太ももに顔を埋めていた。ズボンが涙と鼻水を吸って、まるでおしっこを漏らしたみたいである……漏らしてないよ?
ともあれ、危険は去ったぞとばかりに頭をポンポンと叩くと、子供はしゃくり上げながら顔を上げた。但馬は子供のことは好きだが、優しくしようものなら、ロリコンとか性犯罪者とか但馬とか言われそうな気がするから、一時的接触はちょっと苦手だった。
だから加減が分からなくて、また無理やり引き剥がそうとしたら、今度こそ見捨てられると思ったのだろうか、子供がいきなりワンワンと泣き始めた。
「うわわわわ!! ど、どうすりゃいいの!?」
「し、知りませんよ! 先生が引き受けたんでしょう?」
「……俺に期待するな」
子供の泣き声に、但馬とブリジットとエリオスとで、狼狽しながら押し付けあっていたら、
「大の大人が揃いも揃って情けないのう。ほれ、そこを退け……よーしよし……可哀想にのう。怖かったのう。もう大丈夫じゃ。よく頑張ったのう」
意外にもリリィが進み出て、躊躇なくふんわりと子供を抱きしめると、よしよしと頭をなでながら、ポンポンと背中を叩いた。
子供はそれまで以上に一際甲高く泣き声を上げたが、それは束の間のことであり、すぐに叫ぶような泣き声は、しゃくり上げるようなそれに変わり、次第に収まっていった。
一国の……と言うか、この世界でも屈指の名門のお姫様だと言うのに、その姿が意外すぎて、ブリジットなんかは尊敬の眼差しをキラキラ飛ばしていたが、但馬は感心するよりなにより、驚きを隠せずに尋ねた。
「助かったよ。でもリリィ様、子供あやしたりする経験なんてあったの?」
「ないのう」
すると何の衒いもなく彼女は否定した。
「子供が泣いておるなら、行って抱きしめてやれば良いと、幼き頃の余に言うたであろう。あの頃の余は癇癪を起こすより他に、他者と交わるすべを持たなかったからの」
いきなり昔語りを始めるから、何を言ってるのかわからなかった。一体、誰にそう教えられたと言うのだろうか。首を捻っていると、リリィは抱きしめた子供をあやしながら続けるのだった。
「お主が教えてくれたのじゃろう」
「……は?」
「……お主は、勇者であるのじゃろう?」
「いや、俺は勇者と同姓同名なだけであって……」
「しかし……余にこうして世界の理を知ることも……」
言いながら、リリィはいきなり、自分の右のこめかみ辺りをチョンと叩き、
「そして、こうしてマナを練ることを教えてくれたのも……」
続いて、何もない空間にスッと指を付き出し、見えない何かを叩くように動かした。
「お主では無かったのか? 勇者よ」
但馬は、絶句して何も言えなかった。
その動作は身に覚えがあった。最近では無意識に使ってることもある。右のこめかみを叩けばレーダーマップとメニュー画面。左を叩けば、目の前の相手のステータスが表示される。
恐らくはこの世界の大気中に散布された、マナを利用したオーバーテクノロジー的な何かであるが……調べた限り、今まで但馬以外にこれが出来る者は居なかった。
彼は生唾をゴクリと嚥下すると、動揺して逸る気持ちを懸命に抑えながら言った。
「あんた……見えるのか?」
「見ると言う感覚が余にはわからぬ。じゃが、恐らくはお主の考えている通りじゃろう……余にはお主と同じものが見えている。本当に、覚えていないのか? 勇者よ」
知らない……但馬はブルブルと首を振るった。さっきから、一体何を言ってるのか分からない。どうもリリィは但馬と勇者を混同しているようだが……
そして、何を言ってるのか分からないのは但馬だけでなく。
「あの~……先程から、お二人だけは通じあっているようですが、私たちは置いてけぼりなんですが……」
ブリジットが但馬たちの会話に割って入り、戸惑いつつも遠慮がちに尋ねてきた。どうしよう? 言うべきか?
但馬は困惑顔のブリジットと顔を見合わせた。それから、同じような顔をして隣りに佇むエリオスとを交互に見返して、やがて低く唸るような声を上げながら、非常に言いにくそうに話し始めた。
「正直、信じてもらえるとは思えないから今まで黙ってたんだが……一応、おまえたちには話して置いたほうがいいかもしれない。以前から森で魔物に遭遇する時、必ずと言っていいほど、一番初めに俺が気づいてたとおもうけど……」
「そうですね。凄く危機察知能力が高い人だなって思ってましたが」
その割にはあっけなく野生動物に接近されて、あわやということもあった。
「あれは勘がいいとかそう言うんじゃなくって、文字通り見えていたんだ」
「はあ……?」
「簡単に言うと、俺は魔法の力で数キロ半径なら、人間や魔物の位置を特定できる……そういう能力があるんだよ」
行きとは違って、亜人の子供を保護した手前、いつまでもこんな場所で立ち話しているわけにもいかない。
話が長くなりそうだったので、困惑する二人には移動しながら説明すると言って、但馬はローデポリスに帰還することにした。
リリィは盲目であるため馬に乗れないので、行きはブリジットとタンデム状態で乗っていたのだが、先ほどリリィに慰められてから亜人の子供が彼女と離れたがらなくなってしまい、帰りは3人で自転車の無謀運転みたいな格好で乗るはめになっていた。
よくあんな格好で馬を捌けるなと感心しつつ、歩調を合わせるために彼女たちの後ろに、エリオスと並んで付いて行った。
「……では、先生の直感がやけに鋭かったのは、魔法による補助効果だったんですか?」
「大体、そんな感じだな。俺は意識すれば数キロ半径の生命反応を察知できる。それは遮蔽物に阻まれていても関係なくて、とにかく何者かが範囲内に入ったら、その方角と距離がバッチリ分かるんだ。それから、目に見える人や物の状態が分かる。目に映る人の名前や性別、病気や怪我をしてたらそれも分かるし、この人は剣が得意だなとか、この人はヒーラーだとか、そう言った細々とした情報も若干分かる……で、俺のこの能力と同じものを、リリィ様も持ってるらしいんだが……」
ブリジットはそれを聞いて、まるでクイズの答え合わせをしてる人のように、はぁ~と溜息を吐きつつ言った。
「そうだったんですか……なるほどなあ。実は、リリィ様に初めてお会いした時は、その目が不自由だとは全く気づけなかったんですよ。あまりに普通にしてらっしゃるから、こっそり城を抜けだして、街を案内したり、野山を駆け回ったりして、散々遊びつくした後に城に戻ったら、目の不自由な人を連れ回すとは何事かと、今は亡き父に大目玉を食らいまして……その時になって初めてそれを知って、驚いたものです」
その事実があまりに衝撃だったから、以後、ブリジットはリリィのような心眼を会得すべく、目隠しをして剣を振るったり、アホみたいな修行を続けていたそうな。お陰で常人に比べて断然感覚が鋭くなったかも知れないが……そんなカラクリがあったと知って、ブリジットは非難がましく言うのだった。
「でもリリィ様。それならそうと、どうして教えてくれなかったんですか?」
「ふむ……しかしブリジットよ。余は目が見えぬが、お主は余に『見る』という感覚を、うまく説明出来るであろうか?」
「う、うーん……出来ませんね」
「それと同じことじゃ。余のこの能力は感覚みたいなもので、口ではとても説明できん。それに、余は誰に問われても、常に同じように答えておったぞ。余は目が見えぬが、分かると」
それを健常者は、目が不自由な人特有の感覚の鋭さと捉えていたが、現実はそれとは全然違う、もっと別な何かだった。
但馬はそれをCPN=マナを介したカラクリだと考えていたが……ブリジットが続ける。
「でも、魔法による補助効果と言うなら、少し分かるかも知れません」
「……どういうこと?」
「聖遺物には、使用者の身体能力を補う効果があるからです。例えば、私は先ほど10人くらいの亜人に囲まれてましたが、聖遺物を使う限りは負ける気がしませんでした。でも、これが無かったらせいぜい2人を相手するのが限界です」
それだって十分すごいのであるが……
「それは、聖遺物が武器として強いからということも有りますが、それによる身体能力の補助の方が大きいんですよ。これはもう、使用者にしか分からない感覚なのですが……先生は聖遺物が無くても魔法が使えるから、分からなかったんでしょうね」
「全然気づかなかった……単にブリジットが鬼強いのかと思ってた……でも、そうか」
但馬は何か腑に落ちるものを感じていた。
確か最初に但馬が捕まった時、国王は聖遺物がなければ、魔法使いは魔法を使えないと言っていた。そして聖遺物は人を選ぶとも。これは恐らく聖遺物が、CPN=マナを媒介するデバイスのような物だったからだろう。
但馬がデバイスなしに魔法を使えるのは、それは但馬自信が懸念した通り、脳みそなりなんなりにデバイスを持っているからであり、他の人達はその体内デバイスが失われたために、外部にそれを求めた。
それが聖遺物であり、だからそれを所持することで、但馬と同様、魔法を行使したり、但馬がレーダーマップを見るような補助も受けられるようになる。
そして人を選ぶのは臓器移植なんかと同じで、生体が聖遺物に適合するかどうかなのではなかろうか。
但馬と他の人達との違いは要するに、逆説的ではあるが、聖遺物を体内に取り込んでいるかいないかの違いなのではないだろうか。
しかし、そうすると、この聖遺物は一体どこから出てきたのか?
それに答えたのは意外にもリリィだった。
「聖遺物は皇家が管理する世界樹から生み出されておる」
エトルリアの首都、アクロポリスにはかつての聖女リリィが残した世界樹という遺跡があるが、彼女の話では、どうやらそこから聖遺物が産出するらしい。と言うか、ここ以外のどこからも聖遺物は発見されないので、
「それが皇国が世界の中心である所以じゃ」
そう言うとリリィは少ししんみりした感じで、自分の過去を思い出しながら、とつとつと勇者との思い出を語るのであった。
「今から11年前。勇者は世界樹を調査するためにアクロポリスを訪れた。恐らく、聖遺物を手に入れるためじゃろう……その時、余は勇者によって救われたのじゃ」
リリィは生まれつき体が弱かった。それこそ、この世に生まれ落ちた瞬間から様々な病魔に羅患し、いつ死ぬか分からないほどの高熱や痛みに見まわれ、医者は匙を投げるしかないような状態だった。
おまけに彼女は目が見えず、恐らくは高熱のせいで耳がイカれていた。誰が語りかけても何も反応せず、そのため、病状の発見が遅れるのもしばしばであり、皇王も娘が死ぬのは時間の問題だろうと諦めており、そんな娘が生まれたことを公表すらしていなかったほどだった。
状況が変わったのは、彼女が生まれてから3年後のことだった。そこまで生きられるとさえ思われていなかった彼女が生き延び、かと言って誰からも相手にされることなく、城の片隅でひっそりと死を待っている時だった。
皇宮を訪れた北方セレスティアの勇者はリリィを見舞うと、幼い彼女をギュッと抱きしめ、何かをした。すると、普段は何の反応も見せないリリィが突然泣き出した。
驚いた皇王は勇者に何をしたのかと問うと、彼は彼女に生き方を教えただけだと答えるのだった。
それは、そう、リリィがブリジットに自分のことを説明できなかったみたいに、感覚の話であり、恐らく勇者もそれを説明する言葉を持っていなかったのだろう。
そして、彼は皇都に滞在中、何度もリリィを見舞い……
驚いたことに、彼が皇都から去る頃には、彼女は今まで全く無関心であった他人にまでも、反応を示すようになっていった。
「光が差すとはきっとあのような感じなのじゃろう。余の人生は、まさにその時に始まった。嘆かわしいことじゃが、余は幼く、勇者のことを覚えておらぬが、その時のことは何となくじゃが記憶に残っておる。余の初めての記憶は、母でも、父でも、産婆でもなく、勇者に抱擁された記憶なのじゃ」
リリィはしんみりとそう言いながら、自分の胸に手を当てて、懐かしさにうっすら顔をほころばせた。
「その時、勇者のしたことは恐らく、余の手をこめかみ辺りに持って行っただけのことじゃろう。たったそれだけのことじゃが、これは誰にも分からぬ。勇者と余にしか分からぬ儀式であった」
それまでのリリィにとっての世界は、目が見えず耳もイカれていて、ただ真っ暗闇の中で時折誰かの気配を感じる程度のものでしかなかった。
おまけに生まれつきの体の弱さによって、彼女は日常的に苦痛に苛まれており、生き地獄のようなものだったろう。
勇者はそんな時に彼女のもとに現れて、文字通り彼女のことを救った救世主だったのだ。
「余は今日、お主に会って確信した。お主があの時の勇者なのじゃろう?」
もちろん、そんなわけがない。どうしてそんなに拘るのか分からないが、但馬はそれを否定した。
「いやいや、そんなわけないでしょう。勇者って確か80すぎの爺さんだよね??」
しかも生きていればという但し書き付きだ。
「違うと申すのか? しかし、お主は余と同じように、世界の理を把握することが出来るではないか」
「レーダーマップのこと? ……確かに、俺とリリィ様は同じ能力があるようだけど……でも、言ってしまえばそれだけでしょう? 勇者と俺じゃ年も違うし、何より俺にはそんな記憶が無い」
「ふーむ……」
するとリリィは悲しそうな、困惑するような表情を見せた。
「じゃが、リズが申すには、お主は間違いなく勇者じゃろうて……」
「リズ? 一体、どこのどいつだよ」
誰だか知らないが迷惑な者がいたものだ。恐らく何かの勘違いだろうから、子供を惑わすんじゃないと、直接会って殴りつけてやろうか。
「先生。リーゼロッテ様はリリィ様の侍従長様で、私の剣の師匠です」
ブリジットが何故か誇らしげに教えてくれた。そうか、ブリジットの師匠か。暴力はいけないな、暴力は。ともあれ、文句くらいは言ってもバチは当たらないだろう。
「とにかくじゃあ、そのリーゼロッテさんに会って、ちょっと詳しく聞いてみようじゃないか。俺は何かの間違いだと思うけど」
「そうですね、それじゃこれから王宮にでも……あ! 丁度、あちらにいらっしゃいますよ。きっとリリィ様をお迎えにあがったのでしょう」
話を続けている内に、いつの間にか穀倉地帯まで帰ってきていた。
辺りにはトウモロコシ畑が広がり、その向こう側にはローデポリスの城壁が見える。その城壁の前、遠くインペリアルタワーが突き出て見える楼門の前に、何やら一人の女性がスッと背筋を伸ばして佇んでいた。
白と黒のエプロンドレス、長い髪がひっつめにされ、シニヨンキャップをかぶっている。どことなく人を喰ったようなすまし顔をし、険がある視線は泰然としてなお眼光が鋭く、何もかもを見通すかのような力強さを秘めていた。
つい最近見たことがある。
但馬は今度こそ邪魔されないように、人差し指で左のコメカミを突いた。
『Elizabeth_Charlotte_Tajima.Female.Human, 162, 49, Age.33, 82, 59, 84, Alv.8, HP.519, MP.22 ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,』
「あー……」
思わずため息が漏れた。
エリザベス・シャーロット・但馬。
「リーゼロッテ様は、勇者様のご息女にあらせられます」
その人は穀倉地帯から戻ってくる但馬たちに気づくと、エプロンドレスの裾をチョンとつまんで、スッと足を交差させ、実に見事なお辞儀を披露した。