帰還
朝もやの中、ようやくリディアに到着した船は、まずリディア東部の鉱山へ寄港し、次いでロードス島、それからローデポリスの港に向かった。
市街と島の連絡船も兼ねた船の積み下ろしで思ったよりも時間を食い、朝には到着すると言われたはずなのだが、懐かしの我が家のある港に着いたのは、せいぜい何とか午前中と言えるくらいの頃合いだった。
日本の電車と比べてはいけないが、定期連絡船と言われているくせにその船の到着は不定期だった。潮や風の影響もさることながら、このところの好景気からか、ロードス島を含むリディアの寄港地での積み下ろしに時間がかかり、予定より到着が半日前後するのが普通だった。
だからようやくたどり着いた港の桟橋にブリジットの姿を見つけた時は驚くというか呆れた。いつから待っていたのだろうか? 船上に巨漢のエリオスの姿を見つけ、次に但馬の姿を捉えると、彼女は嬉しそうにブンブンと手を振った。
92Gがボインボインと弾んでは、あちこちから、おおと歓声が上がる。
但馬はそれを冷静に見つめながら、寄せて上げるブラでも作ったら案外売れるかも知れない。どのくらい需要があるだろうかと考えていた。
港に船が近づくと、最近流行りのウィンドサーフィンをする若者たちが、蜘蛛の子を散らすように散らばっていった。遠くの浜辺にはパラソルの花が咲き乱れて、金持ちの子息らしき観光客が幸せそうにアイスキャンディをかじっている。2週間ぶりのリディアの街は変わりなく、街のあちらこちらでアドバルーンが風に揺れていた。
桟橋にロープが渡され、続いて錨が降ろされる。
揺れる船上から降りると、気持ちはフワフワしてるのに、体がやけに重く感じた。三半規管がまだおかしいのだろうか。体が揺れてまっすぐに歩けない。
そうこうしてるとブリジットが駆け寄ってきて、
「先生、エリオスさん、おかえりなさい。いかがでしたか? イオニア海クルーズは」
「……クルーズじゃなくて、視察ね。最初の数日は船酔いが酷くて死にそうになったけど、概ね、目的は達したかなあ」
「いいですねえ……私もお供したかったです。フリジアのワッフル、食べたかったなあ……」
「おまえを連れてったら、俺が兄貴に殺されるよ」
「そんなこと、気にしないでいいのに。それで、お土産は?」
半月ほど前、但馬が視察旅行に行くと言うと、真っ先についていくと手を挙げたのがブリジットだった。護衛も必要だし、むさいオッサンよりはマシだから、例え92Gでもそっちの方が良かったのだが、当たり前だが痩せても枯れてもこの国のお姫様であるブリジットを連れて、ふらりと外国なんか行けっこない。
アナスタシアはアナスタシアでやることがあり、結局エリオスと二人で諸国を回ったのであるが、出発の前日まで彼女はぶーたれていた。
まあ、実際問題、可能ならば連れて行ってやりたかった。ブリジットは家柄から工員に混ぜるわけにもいかず、管理職として育てているのだが、どうにもこうにも向いてないらしくて、但馬が指示しないと何も出来ない。
案の定、この二週間は相当暇していたらしく、こうして但馬が帰ってくるのを今か今かと港で待ち構えていたわけである。
桟橋を渡って街へ向かう。積み荷を運ぶ荷車が、引っ切り無しに但馬たちを追い越し避けていった。ブリジットは但馬の荷物を半分受け取ると横に並び、
「カンディアはどうでしたか? コルフは? 目的のものは見つかりましたか?」
「ああ、お陰さんで見つかったよ。ただ、あんまり歓迎されてない感じでなあ……カンディアでは、俺達がリディアの商人だってわかると、あからさまに態度が変わるんだよね。王様の言ってた通りだ。商談なんてとてもとても」
「残念でしたね。それで、おみやげは?」
「……ほらよ、その辺で拾った綺麗な貝殻だ。このくびれた部分とか特に良いだろ?」
ポケットに無造作に突っ込んでいたそれを放り投げると、彼女は器用にそれをキャッチし、
「へえ……とても綺麗ですね。気に入りました」
冗談のつもりだったのに、ブリジットは普通に喜んでから、大事そうにハンカチに包んでそれを仕舞った。但馬は苦笑しつつ、カバンの中から別の包みを取り出し言った。
「嘘だよ。本当はこっち。カンディア産のワイン。陰気な国だったけど、ワインだけはマジで美味かったな。何本でもグイグイいけちゃう感じだった……まあ、翌朝ひどい目にあったんだけどね」
「わあ、これも素敵ですね。ありがとうございます」
「めし食ってないんだよ。公園で何か買って、事務所行こうぜ」
リディアインペリアルタワーの脇を通り抜けて中央公園へ。屋台のおっちゃん連中に見つかり、土産話のお代に色々と拝借して、両手に抱えきれないほどの荷物を抱えて、久々の本社へと戻った。
S&Hの社屋は照明で明るくなっており、今となっては外と大差ないほどだった。エリオスは玄関脇の詰所に向かい、但馬は玄関を通り過ぎ事務所に向かうと、事務机の大量の書類に埋もれていた番頭のフレッド君が顔を上げ、
「あ! 社長! おかえりなさい!」
但馬が戻ったのを知ると、いつも通りの元気な声で出迎えてくれた。用意していたお土産を渡し、ほんの少し立ち話してから、更に元気な挨拶をもらって社長室へと向かう。
社長室兼応接室の机に、貰ってきたばかりの大量のジャンクフードを並べ、朝礼のときの席にブリジットが座ると、それをつまみながら但馬は聞いた。
「それで、俺が居ない間も、みんな変わりなかった?」
「はい。今日も皆さん元気にお仕事頑張ってますよ。トーさんは……どこで何やってるかわかりませんけど。シモンさんはいつも通り、工場に直行です。最近は泊まりこみも多いみたいですね……この間見かけた時は目にクマが出来てました」
シモンと言ってるのは、シモンの親父のことだ。北方は寒いせいか多産な地域ではなく、息子が生まれると自動的に父親の名前を受け継ぐのが慣例らしい。そして子供のうちはシモンの息子、シモン・ジュニアと呼ばれるが、年を取って独立すると父親のほうがシモン・シニアと呼ばれるようになる。
だから親父さん=シモンなのだが、そう呼ぶのは抵抗があり、親父親父と呼んでる内にそれが定着してしまった。ぶっちゃけ、彼を名前で呼ぶものは殆ど居ない。
「うへっ……まだやってるのか。お袋さんにすげえ怒られたんだよな、俺」
その親父が夢中になって作っているのは、蒸気を使った自動車だった。
但馬も最近は馬に乗るのに大分慣れては来たのだが……いつ取り返しの付かない強打を下腹部に浴びるか分からない恐怖心にだけは一向に慣れることが出来ず、いつもおっかなびっくり腰が引けて乗っていた。それをトーに笑われたことを切っ掛けとして、ある日但馬は自動車を作ろうと思い立った。
もちろん、自動車なんて物など概念すらない世界である。そのコンセプトを話している間は、だらしない、情けない、馬車じゃ駄目なのか? と親父も但馬のことを馬鹿にしていたのだが、実際に小型の蒸気機関を乗せて動かしてみたら、どうやら彼の職人魂に火が着いたらしい。
初めはチョロQみたいに真っ直ぐにしか進めなかったが、ハンドルを付け、シャフトを付け、まだバックしか出来ないが、トランスミッションを付けたところで、誰も馬鹿にするものは居なくなった。
やはり自動車は男のロマンらしく、以来、仕事上がりに工場の片隅で、黙ってても彼とその弟子たちが集まって喧々諤々続けていた。終いには家にも帰らなくなったので、お袋さんに何とかしてくれと泣きつかれ、但馬の方が頭を下げる日々だった。
ともあれ、売り物になるかどうかは分からないが、もしも自動車が出来たら嬉しいので、但馬もお袋さんをなだめすかしながら、期待して彼らの動向を見守っていたのだ。
肝心の出来の方はと言えば、視察に出かける前は、残念ながらまだまだと言ったところで、坂道を登ったりするパワーは申し分ないのだが、車体の強度が重量に耐え切れず、動力部が折れてしまったり、水たまりにはまってタイヤが沈んだり、荒れ地で立ち往生すると言った感じで、使い物になるとは到底言い難かった。
重量を支えるためにどうにか頑丈に作るしか無く、軽量化は殆ど望み薄だった。コークス、ボイラー、そして蒸気のためのプールと、エンジン部だけで車体重量の殆どを占めてしまうのだ。蒸気機関車が主に鉄道で運用された理由がよくわかった。
そして、こうなってくると欲しいものがやはり出てくるわけで、今回の但馬の視察旅行は、天体観測もさることながら、実はこの調達の方が本命だったのだ。
欲しいものとは、言わずもがな、石油だ。
重油、軽油、ナフサはもちろん、天然ガスや残油に残るタールのような化学物質など、石油化学工業は20世紀に花開き、人類を飛躍的に進歩させた一大産業だ。その莫大なエネルギーを奪い合うために世界を真っ二つに割る戦争まで起きた、人類にとって非常に重要な資源であるが……
リディアは石炭の産地で、工業的な需要は完全に満たしていたし、炭鉱由来の天然ガスも多少は産出するようであったが、残念ながら原油となるとほぼ絶望的と言って良かった。
もしかしたら探せばどこかにあるかも知れないが、森には近づくことが出来ないし、それが重要な資源であると分からなければ、誰も本気になって探しはしない。輸入に頼ろうにも、恐らく石油を資源として認識している国家などこの世界には無いだろうから、情報を集めようにも手の付けようがなかった。
しかし、万策尽きたかと諦めかけた時、思わぬところから情報が舞い込んだ。
会社が大きくなり、但馬が貴族になって以降、時折国王に会食に呼ばれるようになったのだが、その席上でのことだった。彼は若い頃にそれを見たことがあると言うのだ。
「何しろ、儂がカンディアにおった頃、もう70年以上は前の出来事じゃからのう……あまり期待して欲しくないのじゃが」
リディア王はエトルリア貴族の庶子として生まれ、家督こそ継いだがリディアの地に殆ど島流し状態で厄介払いされたという過去があった。その彼の生まれ故郷は、リディアからイオニア海を北上することおよそ500キロほどの位置にある、カンディアという島国であった。
エトルリア大陸の端っこの島ということで、ど田舎扱いされていたが、リディアが建国してイオニア海の貿易が盛んになると、大陸西部の交易拠点として繁栄しつつある島である。
特産品はワインで、島を上げてのブドウ栽培が盛んであり、その味は無類である。南国特有の気候条件ですくすく育ったブドウは糖度が高く、それで作ったワインは甘美であり、カンディアの名を世間に知らしめていた。
国王は幼いころに、その島で石油を見たことがあるらしい。
島の内陸部は山林保護のため鬱蒼とした森林に覆われているが、その森の中に、ある時黒い泉が湧き出し、雷雨の晩に突然炎を吹き上げた。
恐らく、落雷によって油田に着火したのであろうが、火事を止めようと必死の消火活動を行うも、どうにも太刀打ちが出来ず、結局なすすべもないまま炎は3ヶ月間にも渡って燃え続けたそうである。
その影響で森の大半が消失し、暫くその近辺には草木がまったく生えず、汚染の影響かその年のブドウは不作となり、その様子を見た人々は毒を警戒して、以来その池には近づかなくなったとか。
なにはともあれ国王の実家であるのなら話が早い。是非、それを汲み出す権利を貰えないか、口を利いて欲しいとお願いしたのであるが、
「それは難しい相談じゃのう……」
「どうしてです?」
「はっきり言って、カンディアとは仲が悪い」
カンディアを追い出されたリディア王は、その後リディアの地で勇者と出会い、今日大陸中に名を轟かす王国を築き上げるわけだが……追い出した側としては、それが面白くないと言うわけだ。もちろん、ただの嫉妬であるが。
おまけに、そんな嫉妬の炎を燻らせている中、勇者は奴隷交易をめぐってエトルリアとの関係を悪化させ、ついには討伐隊を差し向けられることになったのだが、そのリディア軍の数倍にも上る艦船の中に、カンディアの船もあったらしい。
「勝ち戦に乗るのは当然じゃ、儂も同じ立場ならそうしたかも知れぬ。それにエトルリア諸侯との関係もあったじゃろう。結局、エトルリア軍は勇者殿の前に為す術もなく沈められたわけじゃが……」
だが、リディアが負けていたら、恐らく、彼らはリディア王に取って代わろうと画策してたわけで……親族でもあるし、貿易の関係上やむを得ず、一応は国交を結んでいるが、両国関係ははっきり言って最悪と言わざるをえない状況にあった。
特に、リディアは今となっては世界でも随一の金持ち国家であるから、但馬のようなリディアの商人は、目の敵にされているらしい。
何故、そこまで身勝手な理由で腹を立てられるのかは、正直、理解出来ないが、とまれ、そんなところにノコノコ出かけて行って、石油くださいなんて言っても鴨が葱を背負ってやってくるような物である。いくらふっかけられるか分かったものでない。
なので、但馬は今回は視察だけにとどめ、まったく気のない素振りでそれを確かめてきたのだが……
「そこまで仲が悪いんなら、いっそ間違いであって欲しかったけど、やっぱり石油だったんだよねえ……」
そう言って但馬はカバンの中から瓶に入った真っ黒な液体を取り出して見せた。
「それがそうなんですか? ……ただの泥水にしか見えませんが」
「この泥水みたいのから色々作れるんだよ。まあ、ぶっちゃけ現状じゃ出来っこないから、最初は主に燃料だけどね、それでも効率が凄く良いんだ」
圧縮重合などが出来れば合成樹脂も作れるだろうが、正直今のところ夢のまた夢である。素直に燃料としてだけ使った方がいい。だが、それだって石油は捨てるところがない。手に入れられるならば、是非欲しい資源であった。
特に、液体のガソリンが手に入れば、内燃機関にも手が届くし、それが可能ならば自動車の問題も一気に解決するはずなのだ。
「しかしまあ、無いものをねだっても仕方ないからね。当面、石油のことは忘れることにするよ……正直、感じ悪すぎてもう行きたくないし」
「あはは……他の国はどうでしたか?」
「フリジアは良い国だったね。カンディアのことがあって素性を隠してたけど、町の住人がみんな親切で大らかだった」
大陸南部の広大な穀倉地帯を治めるエトルリア諸侯の領地で、河川が多く、水資源が豊富なために穀物の栽培が盛んであるらしい。エトルリアの食料庫といった感じの国だった。
大量の小麦が採れるから、パン食が主体の国で、リディアはパスタを輸入していた。昼時になるとあちこちからパンを焼くとても良い香りが立ち上り、胃袋を酷く刺激するので正直参った。
菓子作りも盛んであり、ブリジットが絶賛していたので、試しにとばかりに適当に入ったパーラーが大当たりで、ほっぺたが落ちそうなほど甘くて柔らかいワッフルは、思わず、このあらいを作ったのは誰だ! と叫びそうになる代物だった。いや、違うか……
「でも、最後に寄ったコルフは……出来れば今度、大臣にでも報告しようと思ってるんだけど」
そして、最後に立ち寄った都市、コルフ共和国であるが……
「何かあったんですか?」
「なんかちょっと様子がおかしくてね。どうも相当景気が悪くて、その矛先がリディアに向かっているらしいんだよ」
「ええ? なんなんです、それ?」
「はっきりとは分からないけど、多分、貿易摩擦じゃないか」
そんなこんなでフリジアで機嫌を直した但馬であったが、コルフに入るとまた別の嫌な思いをするはめになった。
この世界でも稀有な共和制の国と言うから、但馬は自由で開けた国なんだろうと勝手に想像していたのだが、実際には街に入るなり、コルフはあちこちに失業者が溢れて、議事堂の前に至っては陳情に訪れた人々が列を作り、崩壊直後のソ連の配給所のようだった。
おまけに、その人たちが口々にリディア憎しを唱えていたのだ。
思わずポカンと口が半開きになった。
なんでそんなことになってるのだろうか? と理由を探ってみたら、どうもその原因はリディアの好景気にあるらしい。
経済とはお金の流れであるから、どこかが潤えば、どこかが損をするわけで……どうやら、1年前に但馬が現れて以来、そのしわ寄せがコルフという国に集中していたようだった。議会はその対応に追われ、遂には臨時評議会を開催する運びになったとのこと。
得てして民主主義と言うものは不景気になると煽動に弱い傾向があり、どうにもきな臭い香りがプンプンと立ち込めていた。
具体的な対策は何も思い浮かばないが、警戒はしておいた方がいいかも知れない。
そんなことを考えつつ、昼食を取り終えた但馬は立ち上がると、腰をトントン叩きつつ言った。
「さてと……それじゃ、せっかくリディアに帰ってきたことだし。久々に午後のデザートでもいただきに上がりますかね」
するとブリジットはムスッと唇を尖らせ、
「また、アナスタシアさんのところですか?」
「ずっと留守にしてたからね。帰ってきたこと早く報告に行かなきゃ」
「どうせ夜には同じ家へ帰るんでしょう? そんな毎日毎日いかなくってもいいのに」
「いいじゃない、家族なんだから」
但馬はそう言うと、パンパンと埃を叩いて席を外し、社長室のドアノブに手をかけた。
そして振り返って、付いてこないブリジットに、
「あれ? 来ないの? パフェくらいならおごってあげるよ?」
「うぅ……行かないと言いますか、行けないと言いますか……ちょっと事情がありまして、私はお店に近づけません」
「……??」
そんな風に何だか良くわからないことを言う彼女を残し、但馬は部屋を出た。
ブリジットとアナスタシアは、身分の違いを意識してか、お互いよそよそしいところはあったが、仲が悪いと言う感じじゃなかった。エリオスの朝練にも毎日付き合ってることから、寧ろ仲は良いほうだと思っていたが……但馬が留守の間に喧嘩でもしたのだろうか?
首をひねりつつ、本社を出ると、午後の暑い日差しが飛び込んできた。ジリジリと肌が焼かれる感じがする。
しかし、その光をどんなに浴びても、日に焼けて肌が黒くなることはないのだ。
インペリアルタワーのよく磨かれた窓が光を反射しキラリと光った。
この国へ来て、そろそろ1年の月日が経とうとしていた。暦は12月。常夏の国に、二度目のクリスマスが訪れようとしていた。