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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第三章
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BIOSPHERE 2.0 ③

 朝もやに煙る水平線の向こうに、薄っすらと火山の噴煙が上がると、マストの上に立った監視員が拍子木を叩いて、次いで何かの指示を叫んでいた。


 やがてまだ濃い紫色を残す西の空に、見慣れたローゼス山の稜線がくっきり浮かび上がり、但馬はようやく帰ってきたんだなと、ホッと安堵するものを感じるのだった。


 この世界に紛れ込んでから、およそ1年が過ぎようとしていた。


 当初は路銀を稼いだらさっさとおさらばするつもりであったリディアの地にもいつしか慣れ、今となっては懐かしの我が家のように感じるようにさえなっていたようだ。昨晩は長かった旅も終わって、リディアに帰れると思うと中々寝付けず、そのくせ朝は日が昇る前からぱっちりと目が開いた。


 いつの間にこんな風になってしまったのだろうか。


 但馬は苦笑いすると、ロードス島に背を向けて甲板の手すりにもたれかかった。


 もう間もなく港に到着するからか、いつの間にか数を増していた乗組員たちがせわしなく動きまわり、ガレー船の漕ぎ手たちに、もう少しの頑張りだと声をかけていた。


 船舶の中央にそびえ立つマストには、絶えず貿易風を受けて大きくふくらんだ横帆(おうはん)がたなびき、それは東の空に昇った朝日を受けて白く輝いて見えた。


 リディアを出発してからおよそ半月。イオニア海をぐるりと一周し、点在する都市国家の視察と、個人的な天体観測を目的とした船旅は、もう間もなく終わりを告げようとしていた。


 

 そもそもの事の発端は、今を遡ること三ヶ月ほど前、リディアの街に街灯が灯され、浮かれる人々で賑わう街の喧騒から離れ、アナスタシアと共に見上げた夜空に、あるべき星が見つけられなかったことに始まった。


 リディアの空を彩る星々の配置が、地球のそれとまったく同じであることに気づいた但馬は、そこに本来ならば全天でも最も目立つはずの一等星、ベテルギウスが無いことを知って、胸にナイフでも突き立てられて、胸にポッカリと穴が空いてしまったかのような、とてつもない喪失感を味わわされた。


 但馬の記憶が確かなら、ベテルギウスは星の寿命の末期にあり、いつその寿命が尽きて超新星爆発を起こすかわからないと言われる星であった。しかし、それは少なく見積もっても数十年から数百年というスパンであり、今日明日のことではない。つまり、ベテルギウスが無いということは、但馬が覚えている最後の記憶から、それ以上の月日が過ぎ去ったことを意味していると言うわけだ。


 これらの事実を踏まえ、但馬が真っ先に思いついたのは、もしかしてここは地球なのではないだろうか? ということだった。


 実はここは遠い未来の地球で、コールドスリープか何かをしていた但馬は、長い眠りから覚めた影響で記憶が不完全になり、自分が何者なのか分からないまま、リディアの地をさ迷っていたとか、そんなSFチックな設定を思い浮かべたわけである。


 ……それは魅力的な考えではあったが……しかし、それならどうして自分は着の身着のままで、あの浜辺に立っていたのか。


 コールドスリープか何かをしてたのなら、その装置なり遺跡なりで目覚めるのが筋であろう。それに目覚めたのが但馬一人だけというのも解せない、他にも仲間が居なければおかしい。


 そんな具合に検証していくと、残念ながらこの星が地球という可能性は絶対にあり得ないと言わざるをえない、様々な要因によって否定されていくのだった。


 まず、ここが地球ではない最大の理由は、二つの月の存在である。当たり前だが、地球には月が一つしかない。どう考えても一個余分だ。もしかしたらどこか他の惑星から持ってきたという可能性も否定出来ないが、だとしたらそんなことが出来る文明が何故消えたのか。


 次にコールドスリープ装置に限らず、そういったオーパーツ的な遺跡が見つからないことだ。


 CPNだかマナだか知らない謎のエネルギーの存在や、聖遺物(アーティファクト)という未来技術っぽい謎のテクノロジーがあるにはあるが、今欲している遺跡とはそう言ったものではなく、例えば万里の長城だとか、エジプトのピラミッドのような建造物である。


 これらは例え人類が滅んでも1万年は風化せずに残るはずで、目安として大変分かりやすい。そして、そんなものがあるならば目立たないわけがないのだが、誰に聞いても知らないと言う返事しか帰ってこないのだ。


 唯一、国王に尋ねてみたら、エトルリア首都アクロポリスに世界樹と呼ばれる遺跡があると言うので、但馬は色めきだったが、話をよくよく聞いてみると、それは1千年前に聖女リリィが建てたものとのことだった。


 まあ、考えても見ればその1千年前はこの大陸に人類が存在しなかったわけで、仮に遺跡があるとしても、北の大陸までいかねばならないのではなかろうか。そう思い、セレスティア出身のエリオスやシモンの親父にも尋ねてみたが、こちらも結果は同じで、何も知らないという返事が返ってきた。


 残念ながら、遺跡の線は期待できそうもないと結論づけざるを得ない。


 さらに、リディアやその周辺の地形にまるで見覚えがなく、気候に至っては、逆に地球とは思えないようなあり得ない点がいくつも見つかった。


 この国で暮らし初めてそろそろ1年になるが、あのイルカ野郎が言ってたように、確かにここは常夏の国で、一年を通して気温が下がるようなことは全く無い。だが、赤道直下だとすると、正直気候が穏やかすぎるのだ。恐らく、日中でもせいぜい30℃程度までしか、気温が上がらないのではないだろうか? ヒートアイランドの東京の方が100倍暑いに違いない。


 だから、実際にどのくらい低緯度地域なのだろうかと、一度六分儀を作って測ろうとしたことがあった。ところが北極星が見当たらない。もしかして南半球に居るからかとも思ったが、インペリアルタワーに昇って見たら、水平線の上にちょっとだけ北極星が顔を覗かせた。北極星は、単にここが赤道に近すぎて見えなかっただけであり、この国はまさに赤道直下、熱帯にあるようだった。


 すると、これだけ海に近ければリディアの森は密林になっていてもおかしくないのだが、ところが森の様子はせいぜい温帯のそれである。一体全体何故なのか? 首をひねるばかりだった。


 おかしなことは他にもあって、ある時、別件で紫外線を検出しようと試みたとき、偶然プリズムで分光した太陽光に紫外線が殆ど含まれていないことを但馬は発見した。


 光に反応して黒化する銀塩は、可視光以外にも反応する。


 ドイツの物理学者リッターは銀塩のその性質に気がついて、世界で初めて紫外線の存在を証明した。プリズムが作る虹の縞模様の何もない部分にフィルムを置いて、それが感光することを示したのだ。


 但馬もそれと同じことをやってみたのだが、ところがこれが上手く行かない。怪訝に思いつつ、納得がいかないから、使わなくなったアーク灯を引っ張りだしてきて、それを使って再度検査してみると、今度は綺麗に反応した。


 アーク灯には含まれ、太陽光には存在しない。つまり、この世界の太陽光は、オゾン層だか何だかに紫外線を殆どカットされていると考えられた。そんなの、地球上では絶対あり得ない。恐らくは、大気成分が地球のそれと違うのではなかろうか。


 気温が低いのは、そもそも太陽のエネルギーが低いからか、もしくは温室効果ガスの濃度が違うからで、つまり、ここは地球ではない可能性が非常に高いということだ。


 思えば、アナスタシアやブリジットは、明らかに肌の白さが北欧系の白人のそれなのだが、彼女らが日に焼けてひどい目に遭っているところを見たことがない。


 まだどこかゲームだとかファンタジーの世界観に釣られていて、見過ごしてしまっていたが、冷静に考えてもみれば、日常にも十分おかしなことは潜んでいたというわけである。


 さて、そこまで来るとベテルギウスの消失を発見した時の興奮も薄れて、例え天体が地球と全く同じであっても、そんなに不思議ではないことに気がついた。


 例えば火星から夜空を眺めてみても、地球のそれとは殆ど変わらないはずだ。せいぜい、火星の代わりに地球が見えるくらいのもので、それが隣の太陽系、アルファ・ケンタウリになったところでも大差ないだろう。


 天の川の中心に向かうとか、遥か何万光年彼方の別銀河にでも行かない限りは、星空に劇的な変化は起こらない。


 そう考えると自分の立ち位置は、まだあのリディアの何もない海岸に居た時と変わりないと思い知らされ、がっかりするやら情けないやら、なんとも言えない気分になった。


 そして最後に一縷の望みをかけて、惑星を望遠鏡で覗いてみることを思いつき、それを実践しようと方々手をつくして手に入れて、いざ望遠鏡を覗いてみたのだが……もしかしたらそこに、ドーナツみたいな輪っかに挟まれた、縞模様の惑星が見つかるかも知れないと思ったのだが……そこには土星どころかどんな惑星も見つからなくて、但馬はまた別の意味で途方に暮れることになった。


 地球上、北半球において、星は北極星を中心に反時計回りに回転する。それは地球が反時計回りに自転しているからであるが、そんな夜空の中にあって、不規則な動きをする星が存在する。惑星である。


 例えば、金星には「食」がある。金星は公転軌道が地球より内側にあるから、『太陽 金星 地球』のように、地球と太陽の内側に入る時期には見えなくなり、『金星 太陽 地球』のように、太陽の向こう側に行けば光を反射して明るく輝く。望遠鏡で覗いてみれば、ちゃんと月のように欠けて見えるそうだ。


 そして、火星は逆行する。火星は公転軌道が地球の外側を回っているせいで、その公転周期が長い。すると、どこかで地球は火星を追い越すことになるのだが、その時火星があたかも逆行しているように見えるわけだ。丁度、高速道路で追い越した車が、後ろに遠ざかっていくようにである。


 これらの現象は規則正しい天体の動きの中にあってかなり目立つ。そして、それがまるで人を惑わしているように見えるから、惑星が惑星と呼ばれる所以(ゆえん)なのだが……いざ、但馬が惑星を望遠鏡で覗こうと思い、周囲に訪ねて回ってみても、そんな天体のことなど知らないと言われて困惑する羽目になった。


 惑星は他の天体と比べて地球に近く、どんな恒星よりもずっと明るく見える。そんな星が不規則な動きをしていたら、誰だって気になるはずだから、どこかしらにそう言った現象を気に留めている人が居なければおかしいのだ。


 なのにいくら探してもそんな人は見つからない。変だなと思いつつも自分で見つけることを決意した但馬は、夜空の星を眺めてみたは良いものの、困ったことに、彼にも惑星が見つけられなかったのだ。


 探し方が悪いとは思えない。


 何しろ但馬にはカメラがあるのだから、星空を撮影してしまえばいいのである。露光時間を長くすれば、星の軌道は光の線となって現れるし、その中に不規則な星があれば一発で分かるはずだ。


 ところがこれが見つからないのだ。


 どんなに見上げても、この星の周りに惑星らしき物は見当たらない。それは正直、全く想定外のことで……少なくとも但馬は、この時点でこの惑星が地球である可能性を諦めた。


 そして、CPN=マナの存在を含め、この太陽の周りを孤独に回る惑星の生態系が、オーバーテクノロジーによって人工的に維持されてきたものだと考えるようになっていった。


 生命が居住可能な惑星には、思ったよりも厳しい条件が必要だ。


 まずは水の存在、続いて地磁気の存在、それから巨大惑星の存在が挙げられる。


 少なくとも、人間のような有機生命体が誕生するには、水の存在が必要だ。そのため、生命の誕生する惑星は、液体の水が存在できる気温を維持するため、太陽から適切な距離を保っている必要がある。


 地磁気の存在が必要なのはヴァン・アレン帯を形成するためだ。地球の周りには、地球の磁場により形成された微弱な電子や陽子の膜が存在する。それが生命を脅かす有害な太陽風から地球を守っており、そのお陰で多種多様な動植物が生存できるわけだ。


 因みに、地磁気が存在するためには、惑星は鉄やニッケルのような磁性体元素を含む岩石惑星でなくてはならず、更に地磁気が傾かないように、自転軸が安定している必要がある。


 そして最後に良い木星(グッドジュピター)だ。太陽系には巨大な第五惑星木星があるが、これが地球の公転軌道よりも外側を回っているお陰で、地球は太陽系外から飛来する、巨大な小惑星などから守られているのだ。


 例えば、近年では1994年のシューメーカー彗星の衝突が知られるが、この時に木星に出来た衝突痕は直径12000キロと、地球とほぼ同じ大きさにも及び、もしもこれが地球に落ちていたとしたら、生命体は残らず消滅していたことは間違いないだろうと思われる。


 その他にも様々な条件が挙げられるが、ともあれ但馬が今居るこの惑星は、それを満たしていないのである。


 特に最後のグッドジュピターが無いのは致命的で、遠い別の惑星のことだからと他の条件に比べ疎かにされがちだが、実際問題、シューメーカー彗星以降に研究が進み、木星には巨大彗星が数十年単位で衝突していたことが判明している。


 するともし、太陽系に木星が無かったら、恐らく今頃地球上には生命は存在せず、それどころか惑星自体が木っ端微塵になっててもおかしくないはずなのだ。


 つまり、今但馬が立っているこの星は、普通に考えれば生命が自然発生するような星ではない。


 エトルリアという国は千年の歴史があるそうだが、本当ならとっくの昔に隕石にでも衝突されて、人類ごと消し飛んでいてもおかしくないのだ。


 CPN=マナを発見したとき、この星には惑星規模のカラクリがあると予感した。どうやらその考えはまだまだ甘くて、本当は宇宙規模の物だったらしい。


 この星の住人は、恐らくかつて何らかの方法を使って惑星外から来た人類の末裔で、そして今もって『神の見えざる手』によって生かされている。その真偽はともかく、そう考えるのが、今は一番、それらしいだろうと思うようになっていた。


 夜の海辺に三脚を立てて、妖しい星を片っ端から望遠鏡で覗けば覗くほど、この星の謎は深まっていった。


 一体、この星の住人はどこから来たのか? 亜人やエルフのような人型生命体は何故生まれたのか。何故、こんなわけわからない世界の浜辺なんかに、何の前触れもなく但馬はボンヤリと佇んでいたのか。


 いくら考えても見つからない答えに、但馬は途方に暮れていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 月が2つある=衛星が二つある火星 という推測をしていたのですが、まちがいでしたか。
[気になる点] エトルリアの首都アクロポリスは世界史受験した受験生時代の記憶が納得させてくれないw
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