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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
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舌を噛むことになりますよ

 翌日、朝のトレーニングに城壁外までやってきたら、何か知らないが当たり前のようにブリジットが居た。


 正直、嫌な予感しかしないから、早々にお帰り願ったのだが、しゅんと項垂れる彼女の姿を見て、エリオスがクレイジーに騒ぎ立てるので、ボコられる前に前言撤回した。本当に大丈夫だろうな……


 これまで散々見てきたように、彼女ははっきり言ってエリオスよりもずっと強い。華奢な体(一部分を除く)からは想像も出来ないような身体能力を見せつけては、唖然とするアナスタシアを尻目に、案の定彼女は日頃のお返しとばかりに、喜々とした笑みを浮かべては但馬をしごいたのであった。どうせしごくんなら但馬じゃなくて、但馬の但馬自身にしてくれないか……


「ほらほら、どうしましたか、先生。顎が上がってますよ、顎が」

「鬼! 悪魔! ブリジット!」


 泣き言を言いながら必死になってブリジットに食らいついていくが、ジョギングまではまだしも、やはり剣を握ると段違いで、初めて直接対峙したら、その凄さを肌で感じてびっくりした。


「好きなようにかかってきてください」


 と言われるままにかかっていくと、何だか良くわからないうちに空と地面がひっくり返っていた。


 え? 嘘だろ? これ、柔道の試合じゃないんだぞ……? と思いながら、再度飛びかかっていくのだが、まるで子供扱いされて、著しくプライドがへし折れた。


「先生の場合、姿勢は良いんですけど、剣に振り回されてる感じですね。もっと重心を意識して、手で振ろうとしないでください」

「それが出来ればやっている……」

「体は結構柔軟なんですけどね……昔、なにかやってました?」

「……別に」


 本当はバレエをやっていたんだが、あまり思い出したくないので言わなかった。いくら子供だからって、練習でブルマを履かされていたので、軽くトラウマになってるのだ。短パンだとはみチンしちゃうから仕方ないんだけど。


「ほらほら、召使いの彼女のほうが、ずっと様になってますよ」

「だから召使いじゃねえっつの!」

「え? そうなんですか?」


 結局、全然相手にならないので、基礎から教えてくれることになったのだが、天才と何とかは紙一重と言うのか、長嶋さんみたいに何を言ってるのか分からない。何言われても結局わからないものだから、その内、はいはい返事だけして無心に剣を振るっていたら、それで良いんですよ、などと言われて余計にわけが分からない。


 考えすぎても分からないものは分からないのだ。だから深く考えてはいけないのだろう……


 それは視界の片隅でエリオス相手に善戦しているアナスタシアのことに関してもそうなのだろうが……


「何か考え事ですか? 剣先が迷ってますよ」

「達人かっ!!」


 達人だった。達人ともなると、何かやっぱりそう言うものが分かるのだろうか。他所事を考えていたら、一発で見ぬかれた。


 正直、役に立つとは思えなかったが、見ぬかれてしまっては仕方ない。そう言えば、ブリジットも年頃の女の子だし……剣を打ち据えながら、話してみた。


「実は……年頃の女の子と、どう接していいのか分からなくって」

「なんですか、その思春期の娘を持ったお父さんみたいなセリフは」

「うっせえな」


 但馬が乱暴に木刀を打ち込んでも、不思議と全部彼女の構えたところに収まった。フェイントを入れても無意味だ。どうやら彼女には、剣を振り上げた瞬間に分かってしまうらしい。


 流れるような彼女の剣技は見事の一言で、どうしたらあんな動きが出来るのか、いくら考えても分からなかった。それよりもなによりも、あの92Gはどうなってんだ? 


「それって、あの召使いの女の子のことですよね。どうして先生が遠慮する必要があるんでしょうか??」

「だから、召使いじゃないってば」

「そうなんですか? じゃあ、どういう関係なんです?」


 そう言われて但馬は黙った。ブリジットは肩を竦めて、


「よく分かりませんけど、普通に接したら良いんじゃないですか? 私は先生と付き合いやすいですよ」

「そう……だな」

「彼女と私と、年もそう変わりませんよね?」


 言われてみれば確かにそうだ。ブリジットと付き合うみたいに気楽に接すれば良いんだろう……でも、なんでそれが出来ないんだ?


 剣を打ち込みながら、じっとブリジットのことを見ていたら……胸の無駄にデカい脂肪の塊がビヨーンビロローンっと、米国アニメの行き過ぎた演出みたいに暴れていた。


 ああ、これか……そうなんだよなあ、ブリジットも、これさえ無ければ直球ど真ん中、きっと今頃内股になって敬語で喋ってるはずなのに……それに引き換え、アーニャちゃんのプロポーションは抜群だ。あんな可愛い子の前に出て意識しないほうが難しい。


 などと考えていたら、突然、彼女の動きが止まって、


「……先生、どこ見てるんですか? もう……」


 そんなことを言いながら、青木さやかみたいに胸の前で腕をクロスして頬を赤らめた。


 但馬は何かイラッとして……


 バチーン!!


 っと、気がつけば無心のままブリジットのオッパイをビンタしていた。


「きゃあああああ!!!! 痛っ! いったあああああーー!!!」

「お……おお!?」


 但馬は思わず感嘆の息を漏らした。


 それはどんなに必死になって木刀を打ち込んでいっても、まるで未来でも見えてるかのように攻撃を捌き切った彼女に入れた、初めての一本だったのだ。


 但馬は悟った。そうか、無心で剣を打ち込むということは、こういう事だったのか……


 しかし、自分だってやれば出来るんだなぁ~っと、但馬がしみじみしながら、うんうん頷いていると、


 キーン!!


 っと、下半身から脳天に突き抜けるような衝撃が走って……


「は……はががががが!?」


 見ればブリジットのケリが但馬の股間に命中し、ゴールデンボールが嘘みたいに体内にめり込んでいる……但馬はショック死しそうな痛みと吐き気に襲われて、悶絶すると地面をのたうち回るのだった。


「いたた! いたっ! いたたたたたっ!!」「はがっ! はががが! はがががががっ!?」

「コラーーー!!! 君らは一体、何をやってるんだ! 真面目にしないかあっ!!」


 エリオスが怒鳴り、アナスタシアが呆れた素振りで見守る中、二人は涙の混じった鼻水を垂れ流しながら木刀を握ると、一心不乱に撃ち合い始めた。


「ああ、ブリジット。お前と初めて出会った時……俺達がまさかこんな風に汗だくになりながら、オッパイと金玉を狙いあう関係になるなんて、夢にも思わなかったぜ……」

「早くその口を閉じないと、舌を噛むことになりますよ!」


 その宣言通り、但馬はその日、ゴミクズと化した。


*********************


 二日目の写真館も前日と変わらずの大盛況で、朝から引っ切り無しに訪れる客を捌くために但馬たちは身を粉にして働いた。基本的に客はまずアドバルーンに釣られてやってきて、次に写真、最後に照明に目が行くらしく、それらの商品一つ一つに気づく度にあれは何? これは何? と、まるで言葉を覚えたての子供のように質問をぶつけてくるものだから、それに対応するのがかなり骨なのだ。


 企業秘密だと言って追い返しても、中には喧嘩腰のやつもいたりで、中々に面倒くさい。こちらには強力なクレーム処理班がいるので、危害を加えられるようなことには至らないのであるが、最低限対応したほうが結局は手っ取り早かった。


 仕方なく、人手が足りないから前日と同じように工員を呼び寄せて対応し、それでも足りないからアナスタシアやスラムの子供たちに小遣いをやって手伝わせた。元々、石鹸は水車小屋で作っていたから、彼らは門前の小僧と同じでそれなりに詳しかったのだ。


 写真に関しては門外漢だったが、それは客じゃないと教えてやらないと言って撮影を促すことで対応し、それが功を奏して客が上手いこと分散してくれたお陰で、どうにかこうにか回転するようになってきた。


 しかし、やっぱりみんな最終的に目が向くのは照明で、これに関しては最も価値が分かりやすいからか、暫くすると噂が噂を呼んで、気がつけば市内のあちこちのホテルやらレストランやら高級店から視察がやってきて、このランプは何? 売り物なのか? と商談を持ちかけられるようになってきた。


 2つの月が昇る関係上、この世界の夜は明るい。


 だが、それは外の話であって、建物内は普通に暗く、蝋燭やランプの灯りを頼りにするより他ない。従って一般人の夜は早く、日没したら殆どの店は閉じて、公園前以外の通りは閑散となる。


 そんな中、一部ホテルやレストランは夜にチェックインする宿泊客相手に営業を続けているわけだが、この照明代が馬鹿にならず、悩みの種になっていた。そんなとき、アーク灯の明るさを知って、これを使えないかと問い合わせてきたと言うわけである。


 ヤブロチコフのアーク灯自体は作りが簡単で発電機さえあればどこでも動く。その蒸気発電機の小型化にも、現在は既に成功している状況だが、但馬はこれを断った。


 断ったと言うか、保留状態なのだが……


「なんで断ったんだ? せっかく商売になりそうだったのに」

「アーク灯自体が室内向きじゃないからだよ」


 アーク灯の輝度は一般の電球や蛍光灯に比べて高く、室内で使うには明るすぎる。そして電弧(アーク)放電の性質上、放出される紫外線、赤外線の量がかなり多いという欠点があった。


 現在、アーク放電が利用されている用途の一つに溶接があるが、テレビなどで見たことがないだろうか? 溶接工が溶接マスクを使ったり、分厚いゴーグルをかけているのは、この紫外線によって眼球が日焼けしてしまうのを避けるためなのだ。


 街の街灯ていどなら、通行人が何時間も直接光を凝視したりもしないだろうから構わないが、室内だとそうはいかず、健康被害があるのを知っているにもかかわらず、黙って販売するのは気が引けたのだ。


「逆に、光が強いから、撮影に使うには向いてるんだけどね。電力消費も激しいから、照明を売るにしても、せめて水銀灯くらい作ってからじゃないと、とても商売にする気にはなれなかったんだ」


 しかしこんなに早く接触してくるとは、思った以上に需要があって、ちょっとびっくりした。電気分解をやったり、電力を使う仕事をしているから、いずれは電気照明もとは思っていたが……


「それじゃ、どうするんだ?」

「照明の種類を変える。そのためにまた別の機械が必要になるから、親父さんと相談だな」


 種類を変えるとは要するに、アーク灯から白熱電球へとシフトしようということだ。現実社会でも、初めアーク灯の方が売れて、それからよりランニングコストがかからない白熱電球へと変わっていった。


 ところで、白熱電球と言えば、発明王トーマス・エジソンであるが、彼が上手かったのは白熱電球の売り込みとともに、火力発電所からの電力供給網を整備したことだ。


 それまでのアーク灯は、肝心の照明機器と一緒に発電機も売っており、消費者はその燃料費と故障リスクの両方を負っていた。エジソンが現在の電力会社のように、送電線を家庭まで引いたお陰で、消費者は電球の寿命だけを気にすれば良くなった。彼のこの商売のお陰で、電球の特許が切れる46年間に、米国内の25%の家庭が電気化したそうである。


 因みに、電球と言えばエジソンと誰もが答えるだろうが、実は正確に言えばこの発明は彼のものではない。


 白熱電球が光る仕組みを発見したのは、エジソンがそれを事業化する50年も前、ウォーレン・デ・ラ・ルーによってであり、更に炭素フィラメントに関しても、1850年台に後にエジソンのライバルとなるジョゼフ・スワンの手によって発明されていた。


 元々、エジソンが電球の開発に着手したのは、1874年にカナダの学生から炭素フィラメントの特許を買ったのが切っ掛けであり、電球に使われている技術は、全て個別には先を越されていた物ばかりだったのだ。


 そのため、エジソンは1879年に投資家にせっつかれ販売にこぎつけたまでは良いものの、ガラス管内を真空で満たす特許はスワンに、アーチ状の炭素フィラメントはソイヤーによって抑えられていて、発売当初から訴訟をいくつも抱えることになり、結局、彼が電球の発明者と完全に認められるまでには、当時の平均時給7~8セントの時代に、10万ドルもの費用をかけて、10年近い法廷闘争を勝ち抜かなければならなかった。


 何はともあれ、そんな具合に法廷闘争なしには語れない白熱電球であるが、そのフィラメントには日本から輸入した竹が使われていた。


 当時、同じく白熱電球の販売にあと一歩まで近づいていた東芝の開発者が、それを知って灯台下暗しと嘆いたという逸話が大変有名である。もしかしたら日本人が先に発明の名誉を得ていたかも知れないのに! というわけだが、先に述べたとおり、日本人がこれらの訴訟に勝てたとは到底思えないので、夢は夢のままで居たほうが精神的だろう。


 さて、前置きが長くなったが、その白熱電球の仕組みは一口に言ってしまえば、空気を絶ったガラス管内に置かれた導体に電気を流すと、そのジュール熱によって導体が灼熱し光を発する、と言うシンプルなものである。ジュール熱とは要は電子が導体内を通るときに起きる摩擦熱のことであり、電球は摩擦熱によって光っていると言うわけだ。


 原子は熱を持つと振動すると以前に述べたが、実は振動と共に電磁波を発している(熱放射)。この電磁波は、温度の低いうちは振動数が少なくて見えないが、熱の上昇とともに振動数が増えていき、やがて可視光と同じ周波数にまで達すると光って見える。電球とはこの現象を照明に使う機器であり、電気ヒーターが赤く光って見えるのも、実はこれと同じ仕組みである。


 この際、ガラス管内の空気を絶っている理由は、熱によってフィラメントが酸素と化学反応する……つまり燃焼しないようにするためであり、酸素さえ絶っていれば他のガスが残っていても問題はない。実際、現代ではガラス管内は窒素やアルゴンなどのガスで満たされており、その方がフィラメントの寿命も長くなると知られている。


 ところで、エジソンといい、スワンといい、東芝といい、どうして同じ時期にみんな一斉に電球を開発していたのだろうか? 開発競争とはそう言うものだと言ってしまえばそれまでだが、それにはガイスラーによる新しい真空ポンプの開発が大きく寄与していた。


 ドイツの機械技師ガイスラーは物理学者ブリュッカーの依頼を受け、より真空度の高いガラス管を製作した。彼はガリレオ・ガリレイの弟子トリチェリの実験をヒントに、水銀を使ったポンプを開発すると、それまでの真空ポンプでは到達できない真空度を実現出来るようにし、依頼者の期待に応えた。


 この時に作られたのがガイスラー管と呼ばれるもので、これによってガラス管内の空気がほぼ絶てるようになると、科学者たちの間で真空実験が盛んとなり、結果、電球開発も俄然勢いを増してきたと言うわけだ。


 それまでの電球は、作ってもすぐにフィラメントが焼き切れてしまうか、せいぜい数十時間しか点灯することが出来ず、毎日取り替えなければいけないようなものだったから、コストに見合わなかった。


 それがより高い真空度を作り出せるようになったため、稼働時間は一気に長くなり、最終的にエジソンの作り出した竹フィラメントの電球は、1200時間も点灯し続けることが出来たそうである。


 さて、このように電球開発と真空ポンプは切っても切り離せない関係であり、電球を作ろうとするなら、まずは先にポンプから作り出さなければいけない。そのため但馬は、発電を始めた時から電球のことは考えても、今までやらずに放っておいたわけだが……


 だが、ここに来て需要が喚起されている。やるなら今しかないだろう……


 ということで、それから数日後、どうにかこうにか写真館の方が落ち着くと、但馬は朝礼で、


「真空ポンプを作りましょう」


 と言った。


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