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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
56/398

その宣伝効果はてきめんだ

「……ぶべっ」


 リディアインペリアルタワー15階、謁見の間にいつものごとく簀巻状態の但馬が転がされた。


「またお主か……懲りない奴じゃのう」


 登庁してきたばかりらしい国王は、お付の人にカフスやらネクタイやらを付けてもらいながら、呆れるような素振りでそう言った。但馬は憤慨しながら、


「ちょっと待ってくださいよ! 今日こそは、本当に何もやってないっすよ!? なんでこんな扱い受けにゃならんのかっ!?」


 いい加減、こっちも慣れてきたから全く萎縮すること無く抗議の声を上げたら、


 スカッ……!


 っと、但馬の顔面すれすれに剣先が突き刺さった。前髪がぱらりと落ちる。おちんちんをキュッとしながら、恐る恐る見上げてみたら、ウルフが実に苦々しそうな顔で但馬のことを見下ろしていた。


「何もしてないわけないだろうが、馬鹿め。わいせつ物頒布罪だ」

「……はあ!? え? なになに? うそ、わいせつ罪あんの!? 14歳が合法のくせに、なんでわいせつ罪あんの!?」

「貴様が何を言ってるか分からんが。市内はわいせつ物の販売、及び売春等の性的サービスは全て禁じている。だというのに……よもや庁舎の前で堂々とこんなものを売りつけるとは。舐めているのか、貴様っ!」

「うそーん!?」


 言われてみれば、水車小屋は市外にあったし、街の中でそう言った水商売のお姉さんたちを見かけることも無かった気がする。但馬なんかはしょっちゅう飲んだくれては、前後不覚になるまで酩酊していたというのに、未だにカモられたことは無かった。歌舞伎町だったら身ぐるみ剥がされてるぞ? もしかして、この街、とんでもなく治安が良いのでは……


「そ、そうだったのか。そりゃ悪いことしたかも……でも、知らなかったから仕方ないだろう……? じゃあ、分かったよ。街の中ではもう売らないから返してくれ」

「そうは行くか……まったく。何をやってるのかと思えば、このような破廉恥な物を作っていたとは。ブリジットが嘆くわけだ……ここ数日、奴の愚痴を聞くだけでどれだけ時間を潰されたか」


 ……なんかやたらと初動が早かったなと思ったら、妹が愚痴ってやがったのか。但馬は奥歯をギリギリしながら、報復を誓った。


 ウルフは嘆かわしいと、目眩でも起こしたかのような素振りで言った。


「とにかく、これは没収だ! 全部焼き払うよう指示しておく」

「はあ!? お前……それがどんだけ価値あると思ってんの!?」

「知るか、くだらんっ! 実に、くだらんっ!」

「下らないわけあるか! ここに連行される前だって……」

「そうですぞっ! 副隊長殿!! ただでさえ、世にも珍しい全て紙で出来た本、それを焼き払うなど……もったいないっ!!」「おまけにその芸術性たるや、本国の画家が束になってかかっても児戯に等しいと言わんばかりの精巧さ」「この芸術を焼き払うなど……神に対する冒涜です! どこの未開部族の仕業ですか! 嘆かわしいのはあなたのほうだ!!」


 金貨1枚で売れたんだぞっ……と言おうと思ったら、そんなこと言うまでもなく、3方向から援護射撃が飛んできた。こちらも丁度登庁してきたばかりだったらしい大臣たちが、鼻息を荒げながら、没収されたエロ本を片手に力説していた。もっと言ってやれ。


 しかしウルフはいつもの様に大きな声で有無をいわさず、


「黙れっ!! 大臣ともあろうもの達が嘆かわしいっ……恥を知れ!」

「しかしですな、副隊長殿。これからは我が国にも、こういった芸術方面の発展が必要だと思いますぞ」「さよう。我が国の財政はもう、かつてのような小国ではございませんからな。大国として相応しい行動も見せつけねば」「だのに我が国には未だにこれと言った名声を持った芸術家がおりません……そちらのほうが、よっぽど嘆かわしいと思いませんか!?」

「馬鹿を言え、このような破廉恥なものが芸術なものか。芸術とはもっとこう……なんというか、高尚なものではないのか!?」

「いや、そうでも無いぞ。意外と芸術関係はエロから始まってるものなんだよ。大昔の絵画なんて神様をひん剥いたものばかりだったし、彫刻だって大昔の人たちはなんであんなに石像ばっかりポンポン作っていたんだろうと思ったら、あれは目で楽しむだけでなく、触って楽しむものでもあったんだって。それ聞いて俺は凄い納得した」


 昔の金持ちは、ビーナスを背後から鷲掴みにして、ニヤニヤしてたのだ。道理で絵画よりも先に発展したわけである。ところで、石像に包茎チンポが多かったのは、つまり、そういうことなのだろうか?


 しかし、ギリシャだなんだと言ったところで、おまえは何を言ってるのだ? としか思われないわけで……


「ええい、黙れ黙れ! 貴様のいかがわしい主張など聞くに値せんわ。とにかく、これは全て廃棄処分だっ!! 分かったな!?」

「なんともったいない」「官憲は横暴でござる」「そうだそうだ!」


 但馬たちがいくら抵抗しても取り付く島もない。堅物のウルフに難儀して、もはやこれまでと諦めた時だった。捨てる神あれば拾う神ありというのだろうか……


「まあ、待てウルフよ……お主は本当に頭の固い奴じゃのう。多少は柔軟になったかと思ったのじゃが……」


 いきり立つウルフに対し、国王がたしなめるように口を挟んだ。彼は没収されたデラべっぴんをパラパラと眺めながら、


「ふむ……内容はともかく。前の銀板も素晴らしかったが、今回はまたきめ細かさが際立っておるな。これはまた、どうやって作ったのかのう」

「それはですねえ、撮影方法を変えたのと、被写体に当たる光を増やし、より条件を整えて……そうだ。今日は丁度、下の事務所にカメラ持ってきてあるんで、一枚どうです? 前々からお約束しておりましたし」

「それは面白そうじゃが、儂は、ほれ、腰が悪いでのう。絵など、長いことじっとしとることは好かんのじゃ……」

「それなら大丈夫です。今はもう撮影だけなら10秒もかからないんで」

「ほう……それなら一つ試してみるかのう」

「陛下! まだ裁判の途中です。被告に甘すぎです。まずは罪状から罰を与えるべきではありませんか」

「やれやれ、堅苦しいのう……ならば、そうじゃの。但馬よ。知らなかったのであれば、今回だけは多めに見るが、今後、このようなわいせつ物は販売しないように」

「はい、すみませんでした……」

「それから……これ、大臣ども。お主らはこれを芸術じゃと言い張るのならば、お主らがこれを買い取れば良かろう」

「良いんですか!?」


 その言葉に、ウルフが口を挟もうとしたが、どうせ焼き捨てるつもりなら、構わないだろう。嫌がらせがしたいのであれば止めないがと言われて黙った。大臣たちは瓢箪から駒の展開に大喜びし、続いて販売価格を聞いてさらに喜んだ。どうやら、想定していたよりもよっぽど安かったらしい。


 エロ本に金貨1枚とは、かなりふっかけたつもりだったのだが……


「これにて、一件落着じゃ」


 ともあれ、国王の計らいでどうにかこうにか損失を出さずに済んだ但馬はホッとすると、約束通り、下の事務所からカメラを持ってきて国王の肖像写真を撮影した。


*************************


 その後、写真技術についてあれこれと解説してから、苦々しそうな顔で嫌味を言うウルフを尻目にインペリアルタワーを出ると、その足で本社ビルへ向かった但馬は、出社してきたばかりの社員たち……と言うかエリオスにしこたま怒られながら、事の経緯を話して聞かせたのだった。


「……と言うわけで、ブリジットのせいで酷い目にあった」

「うっ、すみません……」

「まあ、あのまま売っちゃってたら、そっちの方が問題になってたかも知れないから、結果オーライだけど」


 新入社員として入社したブリジットは、クレーム処理係ということでエリオスの部下につけた。一応、家柄からしてちゃんとした教育を受けた人材だから期待したのだが、腕は立つくせに頭の方はポンコツで、文字を読むことは出来るが書くことは苦手、算数に関してはチンプンカンプンのようで、番頭のフレッド君(12)にガッカリされては、えらく傷ついていた。


 エリオスは彼女がこの国の王女だということも知っている数少ないうちの一人であったし、かつての上司でもあったからやり(にく)そうにしていたが、流石にそんな奴をライン工に混ぜるのはどうかと思ったので、我慢して相手してもらっている格好だ。まあ、元々現代社会と違ってクレームなんて滅多に出ないものだから、慣れてしまえば気楽なものであったか、それなりに上手くやってるようである。


 ともあれ、本社付きということで、彼女にも毎朝の会議に出席してもらってるのだが、やはりと言うべきか、案の定と言うべきか、役に立つことはさっぱりない。


「まあ、今回は怪我の功名になったからいいけど、守秘義務についてはもう少しちゃんとルール作りした方がいいと思ったんだ。紙の方は国営事業だから、漏らすとマジでヤバイはずだし」

「……俺、酒場のお姉ちゃん相手に結構ベラベラしゃべっちゃったけど、あれ、マズかったのか?」


 今回の件もあって、守秘義務について早速会議で提案してみたら、不良社員があっけらかんとカミングアウトしてくれた。他も似たり寄ったりのようで、どうやら家族相手にペラペラ話してしまっていたらしく、みんな目が泳いでいた。インターネットがあるわけでもないから、そこまで心配しなくてもいいが……


「うちはちょっと特殊で、競合他社がいないから実感湧かないかも知れないけど、本来だったら死活問題だよ。自分とこの商品の秘密をしゃべっちゃうのは。と言うわけで、明文化して社則に加えよう。工場の方の引き締めは、親父さんに頼みます」

「分かった……あと、薬品の管理だが、錬金部門を作った方が良いと思うんだが、これは俺の手に余る。それから純粋に人手が足りない」

「また雇った方が良いですかね……ハロワ行ってこようかな」

「錬金術士となると、流石に見つからないかもな」


 この間の事故以来、薬品管理はかなりうるさくなった。劇薬ばかり扱っているのだからそれが当たり前なのだが、元がそんなものなど無かった世界なので、こういった面でのルール作りも一から作らなくてはならず、いちいち面倒なことが多い。


 聞くところによると、本国の方には錬金術士とか、錬金工房とか呼ばれるものがあるそうだが、王立らしく情報が入ってこない上に、更に魔法なんてものが普通に存在するせいか、そんなことをやってる人材が元々少なかった。相談に乗ってくれる相手も居ないのだ。


「でも人雇ったところでどうすんだ? 当てにしていたエロ本製作は封じられちまったんだろう? 手の空いた人材を回したらいいんじゃねえか」

「いや、エロ本製作は封じられても、写真自体が駄目になったわけじゃないから。写真館はやろうと思ってるし、カメラの改良はこれからも続けていくよ」

「写真館ってのは?」

「お金をもらって写真を撮ってあげる商売だよ。大臣たちの食いつきっぷり見てると、それなりに需要あると思うんだよね」

「なるほど」

「現状、カメラが一台っきゃないからそこの公園にテントでも張ってやろうと思ってるけど、ゆくゆくは街のあちこちに出せないかなって思ってさ。ほら、石鹸の在庫もあったろう? うちの直営店にもなるし一石二鳥だ」


 カメラ自体を商品にするにはまだまだ時間が掛るだろうし、初めはこんな感じでやっていった方が無難だ。撮った写真のネガであるガラス乾板は客に渡して、また必要に応じて現像してあげれば、これまた商売になるだろう。


「それから、ちょっと試してみたいことあってさ。親父さん、この間工場に作った給水ポンプあるでしょう」

「ああ、あれか。すごい便利だな。取水排水にとても役立ってるよ」

「あの時、パッキン作ってもらったゴムの加工業者にまたお願いして、でっかい風船作ってもらえませんか」

「どのくらいの大きさだい」

「大体、人間と同じくらいで」

「人間?? そりゃまた、えらくでかいな」


 但馬の要求に親父は目を回した。取り敢えず、自分では出来るかどうかわからないから話しを聞いてくるということで、その日の会議は終わった。親父さんはその足で加工業者のところに顔をだすと言い、トーは顧客のところを回ってくると言って出ていき、フレッド君は書類仕事で忙しそうにしていた。エリオスは、また但馬がやらかしたので、菓子折り持って近衛隊に頭を下げてくると行って出て行った。そんなことしなくていいのに。


 本来なら今頃エロ本を売ってるはずだった但馬は、手持ち無沙汰になって、フレッド君の邪魔をしてはいけないからと本社を出ると、まだ片付けられてないテントに戻って椅子に腰掛け、エリオスが帰ってくるのを待った。同じく、やることがないブリジットがくっついてきて、隣にちょこんと腰掛ける。


「どうすっかなー、これから」

「うっ、ホントすみません。久々に家に帰ったものだから、つい口が軽くなってしまって……」


 家と言うか、多分宮殿なんだろうが。但馬は深く息を吸うと、溜め込んでいた物を吐き出すかのように言った。


「いいよ、別に。ホント言うと、売れなくって良かったって思ってるんだ」

「……え?」


 エロ本の表紙になったアナスタシアは、もしもあの本が売れたらどうなってしまったのだろうか……正直なところ、オーケーはしたが納得はしてなかったのだ。ただ、断る理由が見つからなかった。


 それに、1000部だけじゃなく、実は密かにもっと売れるんじゃないかと思っていた。


 そうしたら、下手に有名になったせいで変な奴に付きまとわれたり、近所に変な目で見られたり、危険な目にあったりしないだろうかと、ちょっと心配にもなっていたのだ。


 あれは本当に、彼女の意志を尊重した結果と言えたのだろうか。ちゃんと考えた結果だと……他の女の子など、素っ裸を撮られてるわけだから、失礼な話なのだが、但馬はアナスタシアのことだけ気になって、そんなことばかり考えていた。


「それに……」


 もしも、あのままエロ本がどんどん売れて、1万部、2万部と重版がかかってしまったら。彼女に払う撮影料はいくらになったのだろうか。


 もしも、彼女が金貨1千枚を稼いでしまったら、どうなってしまうのだろうか。


 やっぱり彼女は但馬の家から出て行くのだろうか。きっとそれは、本来なら喜ばしいことのはずなのだが……


「考えすぎか……」


 但馬は頭を振るってから口ばしだけ吊り上げ、ニッと笑うと、ブリジットの頭をポンポンと叩いて椅子から立ち上がった。公園のすぐ脇には、いつも綺麗に掃除された戦没者の慰霊碑が見える。


 もし、シモンが生きていたら……あいつなら、あの時、なんて言っただろうか。


 

 翌日、朝の会議で前日に頼んだ風船は、すぐに作って貰えそうだとシモンの親父に言われた。加工自体は簡単だし、1日もあれば固まるそうである。それじゃお願いしますと発注した。


「でも、こんなの一体どうする気だ? また何か新しいものでも作るのかい」

「作るって言うか、そのまま風船として使うんですけどね。アドバルーンって言って、広告をぶら下げた風船を空に飛ばすんです」


 石鹸製作の副産物は、塩素と水素である。今まで塩素の方は塩化銀を作ったり、漂白に使ったりと使い道があったのだが、水素の方は使い道が無く、環境問題を起こさないからそのまま捨てていたのだが……


 知っての通り、周期表1番目の元素である水素は、どんな元素よりも軽い。そのため、まだヘリウムガスが潤沢に取れなかった20世紀初頭には、今回の但馬のようにアドバルーンや、飛空船の浮力を得ることに利用されていた。


 水素という元素は空気中で酸素と結びつきやすい……つまり爆発しやすいから危険と判断され、後により安定的なヘリウムガスに変えられていったが、取り扱いさえ間違えなければそれ自体が不安定と言うわけでもない。


 現に水素の爆発事故として名高いヒンデンブルク号事件も、現在では水素が原因ではなかったとされている。飛空船が雲の摩擦で帯電し、それが地上でアンカーを下ろした瞬間にアースされ、一気に電気が走り、機体に使われていた塗装が爆発した(テルミット反応)と結論付けられている。この場合、もし仮に飛空船に使われていたのがヘリウムであっても、同じような大爆発が起きたはずだ。


 日本で水素が使われなくなった切っ掛けの銀座チョコレートショップ爆発火災も、時代が大らかだったせいか、作業員が密室でタバコを吸っていたり、ボンベの管理がおざなりだったのがそもそもの原因で、燃え方も基本的に他のビル火災と変わりはなかった。


 原発事故の影響もあって水蒸気(・・・)爆発と勘違いされがちだが、水素(・・)爆発自体は酸素がなければ起こりえないから、実は火薬が燃える現象とそう変わりはない。もちろん、水素と酸素を一緒に混ぜるとか、可燃物があれば危険なことには変わりないから推奨するわけではないが、気をつければ問題無いだろうと踏んで、但馬はアドバルーンに使うことにした。


 さらに翌日、頼んでおいた風船が届けられると、但馬は集めておいてもらった水素をポンプで押し込んで風船を膨らませた。風船は十分に大きく、但馬一人では一緒に飛んでいってしまいそうになったので、慌てた従業員が一斉に飛びかかってきて潰れそうになった。


 彼らは風船が飛ぶのも、そしてこんな大きな物が浮かんでるのも初めて見たようで、まるで子供のように喜んでいた。彼らがこれだけ騒ぐなら、きっと街でも評判になるだろう。


 その予想は当たり、工場から本社前まで歩いて行く最中に、既に注目の的となったアドバルーンが行列を従えて公園に到着すると、今度は見慣れないテントに貼られた沢山の写真に、ギャラリーは釘付けとなった。


 そして写真館の宣伝文句の垂れ幕をつけたアドバルーンを空に浮かべると、別にめでたくもないのに、あちらこちらから拍手が起こったのである。


 高い建物といえば15階建てのインペリアルタワーくらいのものだから、きっとアドバルーンは目立つに違いないと思っていたが、その宣伝効果はてきめんで、風に揺れるバルーンをひと目見ようと、何も言わなくても街のあちらこちらから勝手に人が集まってきて、そして今度はそれの繋がってる先にある写真館の写真に釘付けになった。


 こうなってくると、素直に写真館の煽り文句をつけていたところで意味が無いから、代わりに石鹸売ってますと文言を変えて飛ばしたら、そっちの方もすぐに売れ出して、笑いが止まらなくなった。


 代わりに、集まってくる人たちが写真についてひっきりなしに質問をぶつけるものだから、対応に追われていたブリジットやエリオスがすぐに一杯一杯になり、仕方なく工場から応援を呼ぶ羽目になった。


 照明のために工場から出してきた簡易発電機もやたらと目を引いた。蒸気と音を立てて回る車輪が珍しいのか、放っておくと触ろうとする者が続出して、その度に危険だと怒鳴っていたら、気がつけば喧嘩に発展して、目の前の憲兵隊までやってきてお叱りを受ける始末だった。


 そんな具合に注目を集めた写真館は午後になると公園を埋め尽くすほどの行列が出来て、それは夜遅くまで途切れることがなかった。月が出ていて明るかったのもあるが、写真館には照明機器がある。そのため、日が暮れようが雨が降ろうが問題なく営業を続けられるのだ。


 そして夜になるとその照明がまた人を呼ぶことになった。


 日が暮れて、人が途切れるかなと思ったが一向に減らない写真館を見て、周りの露店がおかしいと思って苦情がてらやってきては、テントの中から溢れる灯りを見て度肝を抜かれていた。


 こんな明るい松明(たいまつ)は見たことないと、しきりに感心する彼らに対し、罪滅ぼしのつもりで客が捌けた後に照明施設を提供したら、まるで誘蛾灯に釣られる虫のように、街のあちこちから酔っぱらいがやって来て、さながら夏祭りのようになってしまった。


 屋台の主人たちがほくほく顔で客を呼びこむ。そうなってくると、元々公園屋台の常連だった但馬は引っ切り無しに色んな屋台から呼ばれ……今日はいつまでも迎えに来ない但馬のことが心配になり、様子を見に来たアナスタシアが公園にたどり着いた時には、すっかり酩酊して雲上の人になっていた。


「うぇ~……ヒック! もう飲めましぇん」

「はいはい」


 自分よりも小さいアナスタシアにだらしなくもたれかかる但馬を、彼女はいつもとは逆の立場で、家まで担ぐように引っ張っていった。


 但馬は千鳥足でどうにかこうにか家路をたどると、ようやっとたどり着いた玄関の扉を開けた瞬間、デデンとひっくり返るように三和土に寝っ転がった。


「もう駄目だ~……み、水……」

「はいはい」


 寝っ転がりながら水を受け取ると、そのままグビグビと飲み干して、但馬はゴロゴロとそのまま玄関の床に転がっていた。日の当たらない玄関の床は、一日中ヒンヤリとして気持ちがいい。そう言えば、昔、お爺ちゃんの家で飼っていた猫が良く涼んでいたっけ……開けっ放したドアから風が吹き抜けて、また涼しさを感じた。


「こりゃあいい、俺はもうここで暮らすことにする」

「先生。ちゃんとお部屋に行こう?」

「構うな、アーニャちゃん。俺の屍を乗り越えていくんだ」

「……仕方ないなあ」


 そう言うと彼女は但馬の横で、彼と同じようにコロリと横になった。何やってんだろう? と思って首を曲げて彼女の方を見てみたら、同じように何をしてるんだかと言った感じのアナスタシアの瞳にぶつかった。


 隙間風がヒューッと吹き抜けて、彼女の前髪をかきあげていく。但馬は、


「よっこいせ……」


 と、頑張って体を起こすと、ふらつく体に鞭打って、階段を上ろうと家の中に入った。


「もういいの?」

「はい。ちゃんとお布団で寝ます」


 彼女は別に甘えているわけではない。多分、家主の但馬が玄関で寝てるから、彼女のルールに抵触したんだろう。本当に意識が途切れてしまう前に、彼女のためにもちゃんとしなきゃな……そう思い、ふらつきながらも彼は階段を這いつくばるように昇っていった。


「先生、ご飯は?」

「もう食べた……君も早くお上がんなさい」


 そう言うと彼は自分の部屋のベッドに倒れ込み、泥のように眠った。

 

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