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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
55/398

なんで?

 エロ本のモデルを探しに水車小屋に来て、いざモデルを確保して工場に戻ろうとしたら、アナスタシアに自分も一緒に連れてってと言われた。


 彼女は記念写真を撮ろうと言うわけでも、工場に見学に行こうと言うわけでもなく、単純に但馬が刊行する予定のエロ本に載せて欲しいと言うのだ。


「いやいや、アーニャちゃん。それは駄目だよ、絶対ダメ!」

「どうして?」

「どうしてもこうしても条例とか法律とかあるでしょう!」

「条例? 法律? なあに、それ……?」


 そうだった。ここは優しい世界……たけしが週刊少年ジャンプでもきっと完結まで掲載出来た世界……合法ロリの世界なのだ。


「でも、君はせっかくこういった仕事から足を洗ったんだから。そういうことは、もうやらなくって良いんだよ?」


 と、売春宿で言ってしまうのも、どうにもバツが悪い。別に水商売を馬鹿にしてるわけではないのだ。しかし複雑な男心というか何と言うか……もどかしい気持ちが先に立ってしまうのだ。


 ただ、ジュリアを始め、住人に申し訳ない気もして、ちらりと目線だけ上げて周りを見回してみたら、みんな一斉に目を逸らした……どうやら、あっちも気まずいようだ。


 ともあれ、なんで急にそんなこと言い出すのだろうかと尋ねてみたら、


「ここのお給料だけじゃ、お金が足りないから……」


 と、アナスタシアもジュリアの方を見て、ちょっとバツが悪そうに呟いた。ジュリアが顔を背けすぎて、180度首が回っている。なんか、ホントすみません。


「お金が足りないって、何か欲しいものでもあるの? 言ってくれればなんでも買ってあげるのに……いや、なんでもってわけにはいかないけど」


 しかし、別に彼女は何かが欲しいわけでもなく、フルフルと首を振るってからこう言うのだった。


「先生に、お金返さなきゃと思って」

「え……?」


 寝耳に水の言葉だった。初めは何を言ってるのか分からないくらいだった。


「先生が、あたしを買ったんじゃなくって、助けてくれたのなら。お金、返さなきゃと思って……」


 そんな言葉が彼女の口から出てきて、但馬は心臓がドキリと鳴った。寒くもないのに、冷や汗が出た。周りから視線がザクザクと突き刺さる。きっと、何やってんだって顔をされてるに違いない。でも、それを確かめることが出来なかった。


『先生は、なんであたしのことを買ったの?』


 それは最近、彼女が時折口にする言葉だった。そう問われる度に、但馬は何も言えなくなって、ただ黙りこくっては、日本人らしい笑みを浮かべているだけになってしまった。


 何か言ってあげたほうが良いのは分かっていたのだが、なんて言ってあげればいいのか分からなかった。どうしても言葉が出なかったのだ。


 しかし、それが彼女にどう捉えられていたのか……この言葉で身に沁みた。


 買う、買わないと言われると、どうしても現代人である但馬には抵抗がある。だから口を濁していたのだが、本当はちゃんと言わなければいけなかったのかも知れない。そういう世界なのだと、どこかで割りきらないといけなかったのかも知れない。


 但馬は仕方なく、苦し紛れに言った。


「……いや、そんなことは無いんだよ。俺は君のことを買ったんだ。だから、お金の心配はもうしなくていいんだよ」

「でも先生はあたしに何もしないよ? 先生はいっぱい良くしてくれるのに……ちゃんと役に立てるから。ちゃんと使って欲しい」

「……アーニャちゃんは十分役に立ってくれてるよ? 俺は家のこと何にも出来ないし、会社の設立時にはいっぱいお手伝いしてもらったし」

「お手伝いもするよ。ちゃんとお仕事もしたいの」

「……それじゃ、うちの会社のお手伝いする?」

「そうじゃなくって……」


 言いたいことはなんとなく分かっていた。正直、前の境遇の方が良いなんてことは絶対に無いのだけど、少なくとも以前の彼女には借金返済という目的があった。でも今はそれもなく、但馬は基本的に彼女に何も要求をしない。


 だから、彼女は混乱したのだろう。


 はっきり言って、但馬は彼女にとって、ただの通りすがりの人でしか無い。殆ど気まぐれで助けられたようなものなのだ。


 その幸運を否定してるわけではない、寧ろ感謝しているから、何かしなきゃって焦っていたのだろう。何もしないでいるのは不安なのだ。


 売春していた時のほうが稼ぎがよくて、同じ職場で別の仕事をしてるのも、きっといたたまれなかったのだろう。この水車小屋の住人は、元々彼女の仲間だった。そしてもちろん、みんな好きで売春してるわけでもないはずだ。なのに、自分だけが何故か自由になってしまった。


 どうしてなんだろう? って、考えるのは当然だ。


 しかし、どうして買った? と問われても、但馬には答える言葉がなかった。


 どうしてもそうしたかったのは確かだけれど、それが正しいことだとも、これっぽっちも思ってなかったし、シモンのことがなかったら、多分何もせずに放っておいたはずだ。それどころか、自分は元々客として彼女の前に現れたのだ。だからエッチしたいから買ったというのが限りなく正解に近いのだ。しかしそれじゃあ、どうして手を出さないのか? と問われると、これまた言葉が出ないのだが……


 何もせず、何もさせずに、人形みたいに箱の中で大事に飾っておきたいのなら、きっとそう言えばいい。そうすれば彼女は楽になるだろう。


「分かったよ」


 でも、但馬はそう答える気にもなれなかった。当たり前だが、そんな風になって欲しいわけがないのだ。もちろん、肉体関係を結ぶつもりもさらさらない。しかし、彼女のもどかしい気持ちも分かった。


 そこで彼は苦肉の策として、こうすることにした。


「じゃあ、アーニャちゃんの写真も買い取ろう……だけど、シモンの親父もいるからさ、流石にヌードってわけにはいかないよ? そんなことしたら、俺がおふくろさんに殺されちまうよ。つーわけで、君は水着グラビア担当だ。分け前もみんなよりちょっと少ない。それ以外は認めないよ? いいね?」

「うん」


 彼女はコクリと頷いた。


 但馬が、はぁ~……と溜息をついて顔をあげると、水車小屋の面々が一斉に視線を逸らせた。なんかちょっと変なとこ見せちゃったな……と思いながら、会釈で首をカクカクさせながら小屋から外に出ると、先に出て待っていてくれた撮影組の生暖かい視線にぶつかった。


 どうにもバツが悪くて、愛想笑いをしつつ足早に先導すると、クスクスと苦笑が漏れてきた。その笑い声がどういう意味なのかを考えるのも億劫で、但馬は振り返りもせずに前を歩いた。


 アナスタシアがすぐ後ろを歩いてる気配がする。


 彼女には笑っていて欲しいし、自由で気ままで幸せで居て欲しい。それがシモンの望みだったのだから。


 でも、本当にそうなのか? これは誰の望みだったのか……?


*********************


 工場に移動すると従業員たちが歓声で迎え入れてくれた。突然の歓迎にモデルたちは戸惑いながらも、愛想を振りまきながら建物内に入っていく。但馬が出て行った後になんだかいい感じにテンションが上がっていたらしい従業員たちの手によって、工場内にはいつの間にかスタジオが作られており、準備万端のトーがカメラを片手に合図を寄越した。どうやら今回のカメラマンもこいつらしい。


 それにしても行く前と今とで気分のギャップが激しい。みんなとはまるで真逆だ。どうしてこうなった。


 そんな但馬のテンションとは裏腹に、気分の良いトーは彼の背後にチョコンとくっついて来ていたアナスタシアに気がつくと、


「お? 社長んとこの奴隷じゃん。どうした。絡みでも撮るのか?」

「誰が奴隷じゃあああああああ~~~~~!!!!」

「ぶべらぁあぁあ゛あ~~~!?」


 すかさず但馬の鉄拳が飛ぶと、トーは紙切れのように吹き飛んだが、テンションが高いのでさほど痛がりもせずに立ち直ると、おたふくみたいな顔を見せながら、


「うひひ、わりぃわりぃ。ちょっとしたジョークじゃんかよ。で、なんで連れてきたんだ。まさかエロモデルにするわけじゃないんだろ?」

「いや、そのまさかだよ」

「なにィ~!?」


 トーではなくてシモンの親父が反応した。アナスタシアは但馬が預かっているが、彼は彼女のことを実の娘のように思っている。物凄い形相で睨まれて、但馬はおっかなびっくり、


「いやいやいやっ! ヌードモデルじゃなくってですね~!? ……っと、その前に、エロ本ってものには様式美ってものがありましてね。まずはその説明からしなければならない」


 但馬はコホンと咳払いすると、連れてきたモデルとアナスタシアを並べて、


「この中で一番可愛い子は誰だと思う? そう、うちの子が一番可愛いよね? まさか違うなんて審美眼の腐った従業員はうちには居ないと思うけど」


 え? って顔をした者も数人居たが、但馬がじろりと睨みつけると黙った。代わりにモデルの女の子たちから非難の声が上がる。


「うるさいうるさい。えー……で、こんな可愛い子の水着写真が表紙を飾っていたらどう思う? きっとみんな、『え!? まさかこんな可愛い子が脱いでるの? 買って確かめなきゃ』って思うよね? ところが、いざ入手してみたらページをめくれどめくれど、表紙の子が脱いでるグラビアなんてどこにもない。しかし、『ちくしょう! 騙された』と思ったところで、表紙の子に負けず劣らずの女の子のパイオツがデデデンッ! っと飛び込んでくるわけですよ。するとどうでしょう。気持ちはもう、寧ろ萎え気味なのに、下半身だけビンビンだ。悔しい! でも体は正直なの!」

「なるほど、そういう演出効果を狙って連れてきたってわけだな」

「そうです。期待に胸を踊らせて手にとったまではいいけれども、表紙の子は載ってないというまさかの肩透かしに呆然としつつも、どうにも抑えきれない気持ちを違うお姉ちゃんのパイオツにぶつけ賢者に上り詰めたあとに、表紙を閉じてふと感じる気恥ずかしいような、それでいて懐かしいような、ああ、俺も若かったなと思う郷愁にも似たようなあの気持ちを、みんなにも味わって貰いたいのです」

「おお、なんか分からんが凄いことのような気がする。それが様式美……」


 従業員たちのどよめきが起こる。演出効果、様式美、適当に口からでまかせを言っていただけなのだが、何だか但馬もエロ本の水着グラビアには、そんな深い意図が隠されていたような気がして来た。ああ、ここが現代なら、今すぐコンビニに行ってそれを確かめるのに……地球、なにもかもみな懐かしい……


「つーわけで、エロ本つったら水着グラビアとセットなんです。そんでうちの子を連れてきたわけです。だから可愛く撮ってね?」

「おう、おまえの熱い気持ち、痛いほどよく分かったぜ!」


 そう言うと男たちはガッチリと握手を交わした。現代からやってきた但馬も、中世世界で生きてきたみんなも、こうしてエロを介せば世界は一つになれるのだ。


 そして男たちのエロ本製作が始まった。


 初めはなんか成り行きでついて来た従業員たちも、馬鹿馬鹿しいと思って一歩引いて見ていたシモンの親父も、いざ撮影が始まると、みんな自分たちが作る新しい何かをダイレクトに感じて真剣になっていった。


 そう、これは新しい技術、この世界には無かった、異次元の芸術。自分たちはそういった新しい価値観を生み出しているのだ。


 カシャッ! カシャッ!


 っと、シャッターの音が響く度に、緊張がほとばしる。


「もっと角度を変えてみたらどうか?」「おい、こっち、光が足りない! 照明持ってきて」「すみませ~ん! モデルさん、休憩入りま~す!」「なんか物足りないな……霧吹きで汗を表現してみてはどうだろう」「いいよ~! ナイスだよ~!」


 撮影現場に男たちの色々な声が響いていた。目的は卑猥なのだが、もはや誰一人そんなことは考えても居ないようだ。エロ本を作ろうと言い出した、言い出しっぺの但馬はそんな中、一人離れた場所で遠巻きにそれを見ていた。


 エロ本を作ろうと言ったのは確かに自分だったのだが、今は言わなければ良かったと思っていた。それはもちろん、アナスタシアが自分も撮ってと言い出したのが原因だったが、それが全てと言うわけでもない。


「どうしたんだ? 社長……」


 タバコを吸いに外に出ていたシモンの親父が、工場に戻るなりそんな但馬を見つけて声をかけてきた。但馬はちらりとそちらを見てから、


「いや別に……」


 と口を濁した。


 工場の中心では、2つの照明に照らされて、今アナスタシアが写真を撮られていた。前にブリジットを騙した時に使った水着は(胸の部分がシワシワになってて)彼女には合わなかったから、別の水着を用意していた関係で、彼女の撮影は一番最後だった。


 他のヌードモデルの撮影は既に終わっており、みんな着替えて仲良くなったばかりの従業員たちに営業をかけながら談笑をしていた。エロ撮影が終わったからか、従業員たちも気が抜けた感じで、デレデレとした顔をしてそれに応じていた。今日、これが終わったら水車小屋に突撃する従業員が続出するのだろうな。会社は家族、従業員は穴兄弟。


 そんな中、トーだけが何だか写真に目覚めてしまったのか、真剣にカメラ片手にアナスタシア相手にあれこれと指示を出していた。これまで何枚も撮ってきた腕前もあり、多分この世界で彼以上にカメラ撮影が上手い者は、もはや存在しないに違いない。


「なんだか、納得言ってないって顔だな。どうしてアナスタシアを連れてきたのかと思ったが。何かあったのかい?」

「なんか……この、撮影料が欲しいんだって」

「ん? ……じゃあ、あの子から頼んできたのか?」

「ええ、まあ。俺に金を返したいんだそうです……」

「ふーん……」


 そう言うと、シモンの親父はタバコに火を点けた。


「工場内は禁煙ですよ」

「いいじゃないか、別に……それで君、連れてきたのか。嫌なら嫌って言えば良かったじゃないか」


 それが言えれば苦労しないのだが……但馬が口ごもっていると、彼は続けた。


「別に、君はあの子の親じゃないんだから、そんな遠慮しないで良いだろうに」

「そういうわけには行きませんよ。俺が保護者なんだから、責任あるし」

「責任って……若いのに変なこと気にするやつだなあ、君は」

「もっと、色々やらせた方が良かったんですかね。出来るだけ、負担にならないようにって思ってたんですけど」

「どうかな。俺は君たちの関係は良好だと思っていたけれどね……うーん……ところで、君は、アナスタシアのことが好きなのかい?」

「そりゃあ、もちろん」


 好きじゃなきゃ一緒に暮らしては居られないだろう。でも、好きと言っても色んな形が有るわけで、どう表現したらいいのかよくわからない好きなのだ。娘のように接すればいいのか、恋人のように思えばいいのか、いずれにしても、金で買った関係というのがネックだった。そのくせ、ご主人様と召使いと言う関係にもなれない。


「だったら、もしも君が倅のことを気にしているのなら……親としては、君に最大限感謝してるつもりだから」


 シモンの親父が言いかけて口ごもった。彼は長くタバコの煙を肺に溜めると、少し言いづらそうにしてから、


「だからもう気にしないでくれよ」


 そう言って煙を吐き出した。


 何ともいえない沈黙が流れた。


 但馬は何か返事を返さないと行けないと懸命に言葉を探した。そうしますと言えばいいのか、そんなわけにはいかないと言えばいいのか。どっちにしても、父親である彼にはつらい思いをさせてしまう気がした。


 が……しかし、その必要はなくなってしまった。


 その時、突然、工場に併設した事務所の方で、


「きゃああああ~~~~~!!!!」


 っと、女性の大きな悲鳴が上がったのである。


 写真を撮っていたトーがカメラを取り落とし、工場に居た従業員たちが何だ何だ? と振り返った。


 比較的事務所に近い位置に居た但馬と親父は顔を見合わせると、すぐさま事務所に駆けつけた。中にはモデルを頼んだ女の子が居て、


「あつっ……熱いよ~……」


 白煙を上げる中に尻もちをついて、涙を流し、今にも死にそうな泣き声を上げていた。彼女の足元には散乱したガラス瓶が有り……


「しまった! 硫酸か!」


 割れた瓶が何かを悟って、但馬は大急ぎで彼女に取り付くと、手元にあった雑巾で、床に飛び散った薬品を拭った。


 何しろ法律もクソもない世界の話だ、危険な薬品を扱ってはいるが、管理はザルだ。事務所に紛れ込んだ女の子が、これはなんだろう? と軽い好奇心から触ってしまったのだろう。


「誰か、水汲んでこい! とにかく沢山!!」


 遅れてやってきた従業員たちが慌てて川に向かった。患部は足で、薬品のかかった衣服を破くと、大量の薬品をかぶってしまったせいか、真っ赤に焼けただれた跡が見えて痛々しい。


「あ゛あ゛ああ~~~!! 熱いっ! 熱いよっ!!」


 但馬は取り敢えず汲み置きをしていた水をかけて薬品を洗い流し、患部を冷やしたが、蛇口をひねれば大量の水がいくらでも出てくる日本と違い、その水の量は微々たるものだ。すぐに尽きてしまい、あまりの痛さから女の子が暴れだす。


「医者っ! 誰か医者呼んでこい! 大至急っ!!」

「医者!? ヒーラーじゃ駄目なんですか??」

「そうだった! 医者でもヒーラーでもなんでも良いから、とにかく連れて来い!!」


 幸い、川沿いの工場だから間もなく水はなんとかなるだろう。しかし、その衛生面はお察しだ。合併症のようなものを引き起こしたりしないか心配だが、この際仕方ない。医者に引き継ぐまでなんとか患部を冷やしておかねばと、濡れタオルを用意して暴れる彼女を取り押さえていたら、


「……主よ我は来たれり 汝の下へ今来たれり 十字架の血にて清め給え 十字架の血にて清め給え」


 突然、背後で聞き覚えのある声がして、パーッと女の子の体が緑色の光に包まれたかと思うと、真っ赤に焼けただれていたはずの足が、みるみるうちに元通りに戻っていった。


 相変わらず、その奇跡みたいな力に戸惑いつつも振り返ると、首にかけたロザリオを握りしめ、剣を腰にぶら下げたブリジットが立っていた。


 但馬はほっと一安心して、盛大に溜息を着くと、腰を抜かすように床にへたり込んだ。


「助かったぁ~……誰かと思えばブリジットか!」

「えーっと……勝手にお邪魔して悪いかなって思ったんですが、緊急のようでしたので……」


 彼女はそう言うとペコリと頭を下げた。現場は一気に緊張の糸が解けた感じだ。今はただ、ブリジットが女神のように輝いて見える。


「とんでもない。頭を下げるのはこっちの方だ。ナイスタイミングだったよ」

「そうみたいですね……」


 助けてもらった女の子は泣いてブリジットに抱きついていた。水を汲みに行った従業員たちが戻ってきて、事態の急変に唖然としている。それにしても実にいいタイミングで現れた彼女に、一体どうしたのかと尋ねたら、


「実はその……ちょっと先生にご相談したいことがありまして……」


 どうやら何か但馬に用事があるらしく、それで工場を訪ねてきた。


 ところが、声をかけようと中を覗いたら、なにやらいかがわしいことをしていたもので、気後れして一度は退散したらしい。従業員一同が一斉に顔を背ける。


「でも、なんとか思い直して、改めてご相談しようと戻ってきたら、中から悲鳴が上がったもので……さては、よってたかってさっきの女性を嬲りものに……じゃない! か弱い女性のピンチのようだと思いまして、咄嗟にここへ飛び込んで来たら、大変なことになっていたってわけです」

「うん、途中、ちょっと聞き取りづらかったけど、状況は良く分かったよ。いやあ、危なかった。おまえが来てくれなかったら大変なことになってたぜ」


 思えば工場では蒸気機関のような機械も扱っているし、今回のように危険な薬品で怪我をする可能性もある。従業員の安全のためにも、指定の医療機関か、ヒーラーの雇用を検討した方がいいかも知れない。しかし、ヒーラーの給料とは、どのくらいが相場なのだろうか? 確か各国が取り合いをしてるくらいのはずだぞ……


「それなんですけど……」


 但馬がそんなことを考えていたら、ブリジットが気恥ずかしそうな素振りで腰をクネクネさせながら言った。


「実は……祖父の許しが出まして、改めて先生の会社でご厄介になれないかなあ……と、今日はその相談で参ったのですが」

「え? マジで? そりゃあおまえ、願ったり叶ったりだよ。寧ろ、こっちの方がいいの? ってお尋ねするレベルだけど」

「じゃあ、良いんですか?」

「もちろんだよ。おまえ程のヒーラーなら、高待遇でお迎えするよ。ヤクザ担当としても即戦力だしな」

「うっ……それじゃ、よろしくお願いできますか?」


 そう言って彼女が礼をすると、ヒーラーとしての実力を見たばかりの従業員一同は大歓迎とばかりに拍手喝采した。モデルの女の子たちも場の雰囲気に流されて、よくわからないけど目出度いと、ヤンヤヤンヤの喝采をあげる。


 そんな中でブリジットは照れくさそうに自己紹介をすると、


「この間はその……よく考えればひどい目に合わされもしましたが……とにかく改めてみなさま、今後ともよろしくお願いしますね。それで、早速ですけど、今後のお仕事のことを覚えるためにも、よろしければ今日は見学しておきたいんですけど」

「ああ、それならおまえもレフ板でも持って立っててくれ」

「え? ……あの、ところでさっきから気になってたんですけど、今日のこれは一体何をやってるんでしょうか……? 女性を裸にしてたように思えるんですが……」

「エロ本だ」

「……は?」

「エロ本を作ってる。エロ本と言うのはだなあ……こないだおまえの水着写真みたいな、あれよりももっと凄い写真を沢山撮って、一冊の本にまとめて売りだそうと言う、実に画期的な商品なのだよ」

「……やっぱ私、もうちょっと良く考えてから出なおして……」

「まあまあ、往生際が悪いぞ。見学だけでもやってけよ。明日から忙しくなるぞ~」

「やだー! 帰るー!!」


 こうして新たな従業員、ブリジットを加えて但馬の会社S&Hは再発進するのだった。


*********************


 ……それから数日後。初めての女性従業員の入社ということで、従業員たちはほんのちょっぴり大人しくもなりかけたが、若くて優秀な社員の多い工場の男たちはすぐにそれに慣れると、寧ろ女性の目があったほうがより楽しめる……もとい、緊張感が増すと、すぐに順応していつも通りの能力を発揮するのであった。


 そして男たちのリビドーのままに撮影された写真の数々は、男たちによる熱い会議の果てに取捨選択がなされ、ついに一冊の本にまとめられたのである。そんな偉業をやり遂げた男たちは咽び泣いた、彼らの情念の塊のようなその本は、いよいよ紙すらろくに無かったこの世界にお目見えしようとしているのである。感無量である。因みにブリジットは別の意味で泣いていた。


 そして……


「……長かった」


 よく晴れた吉日……エロ本を量産した但馬は、本社前の公園に勝手に張ったテントにそれを並べて、娘を送り出す父親のような気持ちになって見つめていた。


 何しろロクな印刷技術もない世界で、一冊一冊をオーダーメイドで丁寧に作り上げたその逸品は、手間暇がとんでもなくかかっており、並大抵の努力では作り出せなかったと言えるだろう。それをやってのけたのは、ひとえに但馬の理念を理解した従業員たちの愛社精神があったからだ。エロ本という素晴らしいものがあるのだと、世に広く知らしめたいと言う、熱き思いがあったからだ。


 それを思うと目頭が熱くなってくる……でも、まだ泣くわけにはいかない。伝説はまだ、始まったばかりなのだ。


「先生、おはようございます」「おはようっす」


 リディア港に朝日が昇る。


 陽光の差し込む本社前に、エリックとマイケルがやってきた。前々から何かと付き合いの多かった彼らは、男たちの夢のいっぱい詰まったエロ本が出来ると、すぐさまに駆けつけてその偉業を讃えてくれた。


 そしてモニターとして第一号読者となり、その使用感をあますところなく赤裸々に伝えてくれては、従業員たちの自信を深めてくれた。これは、イケる! と……


 それは発売に向けての原動力となり、そして今日、晴れの舞台にわざわざ休暇を取ってまで駆けつけ、彼らは手伝いを買って出てくれたのである。


 思えば、ともにウンコの山をかき分けた彼らがいなければ、この本が世に出ることはなかったろう。彼らの尽力もまた無類である。とまれ、彼らはガッチリと握手をすると、テントに運びこんだ本の一冊一冊を、平積みに丁寧に並べるのであった。


 パァァーーープゥゥーーー!! ジャーン! ジャーン! ジャーン!


 その時、港の方からラッパと銅鑼の音が響いた。


 もうすぐ、本日の朝の便が出航する時間のようだった。本国へと向かう商人たちが馬車を急かし、足早に人々が通り過ぎていく。この本国行きの船が出て間もなく、入れ替わりにあちらからの船がやって来て、眠りから覚めたかのように街が賑わい出すのだ。それがリディアの朝の光景であった。


 もうすぐ忙しくなるぞ……男たちは互いに顔を見て確かめ合うと、商品を並べる手を急ぐのであった。


 と、そんなとき、但馬の露店の前で一人の男が足を止めた。


「……こ、これは!?」


 男はワナワナと震える手でエロ本を手に取ると、そのあまりにも見事な写真の数々を食い入る様に見て、口をパクパクとさせた。きっと、これだけの『美』を前に言葉を無くしてしまったのだろう。


「これは、一体……」


 但馬はニヤリと口元を綻ばせると、


「デラべっぴんです」

「えっ?」

「デラべっぴんです」

「……デラ……べっぴん?」


 なんだか良くわからないが力強いその言葉に、男は衝撃を受けると緊張で汗ばむ手のひらを必死に拭って、まるで宝石でも扱うかのように、そっとエロ本を掲げもったのである。


 ああ、何と言う神々しさであろうか。これは神が贈り給うた奇跡に違いない。男は生唾をゴクリと飲み込むと、


「こ、これを……この……デラべっぴんを、売ってくれないかっ!!??」

「……金貨、1枚……」

「なっ……!?」


 但馬がその値段を口にすると、男はあまりの高さに一瞬怒りの表情を見せたが、すぐにそれが適正価格だと悟ると、目をつぶり小さく首を振るってから、自分の気を落ち着けるように金貨を取り出し、何も言わずに但馬に手渡すのだった。


「まいどありー」


 男はエロ本を懐に忍ばせると、まるで深夜のコンビニで薄いビニ本を買ったばかりの中学生のような足取りで港へ向かった。男はエトルリアからの旅行者で、これから本国へと帰還するところだったのだ。


 急がないと、船が出ちゃう……もしくは、もっと違うものが出ちゃう。


 そんなもどかしい思いを抱えたまま走り去る男を見送りながら、手応えを感じた但馬は満足そうにうなずいた。


 エリックとマイケルがサムズアップする。今日用意してきたのは1000部。まだ時間が早すぎて客が来てないが、この調子ならきっと大手壁サーのごとく昼までに全て捌けるだろう。そうしたら金貨1000枚。罰金を払ったら、あとは全てが儲けになる算段だ。


 工場では今、量産体制が整ってきて、1000冊でも2000冊でも余裕で作れるようになっていた。もし、これが売れなくなってきても、『デラべっぴん』第二号を作って売れば、また大儲けが出来るだろう。


 世の中にエロい男たちが居る限り、エロ本は売れ続けるのである!


「これだからコンテンツ商売はやめられまへんのう~……ハーッハッハッハ!!」


 そんな風に高笑いする但馬を、いつの間にか近衛兵が取り囲んでいた。


「何がおかしい……」

「……は?」

「但馬だな? ……やれっ!」


 あれ? なんか最近、このパターン多すぎない? と思う間もなく、彼らは但馬の両脇をガッチリとホールドすると、机の上にあったエロ本を全て回収し、その足で目の前にあるインペリアルタワーに但馬ごと引きずっていくのであった。なんで?


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