あれがくっきり写るに違いない
1878年。トーマス・エジソンが後のゼネラル・エレクトリック社の前身となる、最初の電気照明会社をアメリカに設立した年、大西洋を挟んだヨーロッパ大陸で行われたパリ万国博覧会の会場で、最大の注目を浴びていたのは蓄音機でも白熱電球でもなく、アーク灯と呼ばれる照明機器であった。
ロシアの科学者、パーヴェル・ヤブロチコフはパリ万博から遡ること二年前、既存のアーク灯の複雑な仕組みをあざ笑うかのような、非常に簡単な仕組みのアーク灯を開発した。
電弧放電とは、空気中に晒された二本の電極間の電位差が非常に大きい時、電極の表面に絶縁破壊(放電)が起こり、本来絶縁体であるはずの空気中に電子が飛び出して、高温と閃光を発するものだ。
アーク灯とはこの現象を照明に利用しようとした初期の電灯で、仕組みは二本の電位差の激しい電極を接触させ、その後に徐々に距離を離していくと、電弧を発して明るく光ると言うものだった。
1800年。アレッサンドロ・ボルタが発明したいわゆるボルタ電池が切っ掛けとなり、数多くの電気機器の実験が可能になると、その2年後にはロシアの科学者ペトロフにより高電圧における放電現象、アーク放電が発見された。
イギリスの発明家、ハンフリー・デービーも同じ頃にアーク放電の存在に気づくと、これを照明に使えないか? と考え、なんと2000個ものボルタ電池を直列に繋いで公開実験をし、これを成功させたのだった。これが人類最古の電気照明である。
しかし、当時はろくな発電機がなかったせいでデービー灯は日の目を見ること無かった。だが、後にステイト(1836年)やセリン(1857年)が改良アーク灯を商品化すると、公共施設などで発電機と共に使われるようになり、電気による照明施設は徐々に普及していくことになる。
しかし、これには2つの欠点があった。
1つは、沢山の電池を直列に繋いで高電位差を実現したため、消費電力が著しく増大したこと。
もう1つは、炭素棒の電極が高温に耐え切れず、徐々に陽極側から削れて(蒸発して)いき、時間とともに電極間に距離が出来て、照明が消えてしまうことだった。
そのため、当時、最も普及していたセリン式(デュボスク式)アーク灯は、時計装置を内蔵して距離を縮めていく仕組みを持っていた。だが、現在でも機械式時計は高価であることが知られている通り、当時の技術でそんなものを組み込めば、価格の高騰は避けられない。おまけに電気食いのアーク灯は、そんなわけで公共施設くらいでしか使われない非常に高価な代物だったのだ。
そこに画期的なアイディアと共に颯爽と現れたのがヤブロチコフだった。
彼は当時、殆ど使い道が示されていなかった交流電流を用いて、低消費電力で高価な時限装置などを一切使わない、簡単な仕組みのアーク灯を考案した。そしてたった一台の発電機で、パリのオペラ座通り半マイルに渡って、64本のアーク灯を一斉に灯して見せたのである。
それは当時の科学技術レベルでは信じられないことで、とても良い宣伝効果となった。きっと人々は、彼のことを魔法使いのように思ったことだろう。ヤブロチコフの蝋燭と呼ばれたそのアーク灯は、パリ万博の話題を独占し、なんとその後、欧州のガス会社の経営を2年間も悪化させるほどまでに普及したのである。
さて、そのヤブロチコフの作ったアーク灯がどんなものだったかと言えば……それは二本の炭素棒を平行に並べ、その中央に石灰や石膏のような絶縁体を挟み、交流電流を用いて高電圧をかけると、平行に並べられた炭素棒の先端から炎のような電弧が発するという仕組みだった。
交流電流であるから、絶縁破壊は2本の炭素棒で交互に起き、そのため同じ速さで炭素棒が削れていくので、時限装置のような仕組みは必要ない。高温のため、間に挟まった絶縁体も一緒に溶け、放っておいても炭素棒が燃え尽きるまで灯りが点いているのは、あたかも蝋燭のようだということで、ヤブロチコフの蝋燭と呼ばれた。
更に、交流であるから変圧が容易で、不要な電力を消費しないという利点もあった。
何故、交流であれば変圧が容易なのか? それはファラデーの電磁誘導の法則を思い出してみよう。
電線の中を移動する電気、いわゆる電流の周りには磁界が生じる。その逆もまた然りで、移動する磁界の周りには電気が生じるのである。これを簡単に証明するものが電磁コイルであり、鉄心にグルグルと銅線を巻いたコイルに電気を流すと、鉄心が磁石になるというものであった。
この際、コイルに電気を流さずに、鉄心に磁石を近づけたり遠ざけたりしたらどうなるか? その場合はコイルに巻きつけた銅線に電気が生じるわけで、これが発電の仕組みであった。そして誘導される電力は、コイルの巻き数の大小によって、強くなったり弱くなったりする性質がある。
ところで、この時、コイルに流れる電気の向きには法則がある。俗にいう右ねじの法則と呼ばれるもので、コイルに磁石のN極(磁界)を近づけていくと、その向きに垂直な右回りの電流が流れるというものである。
そして、これは当たり前だが、逆にコイルから磁石のN極を遠ざけていくと、反対方向、つまり左回りに電気が流れるのだ。
磁石を近づけたり遠ざけたりする度に、コイルの中には電気が行ったり来たりするわけで、これを絶えず行えば、発電が容易に行えるはずだ。こうやって、現在の人間は電気を生み出しているのである。
ただ、この前後するピストンの動きを作り出すのは大変だから、代わりに回転で補ったのが、現在の発電所で行われている方法である。実際に、火力発電所も原子力発電所も変わりはなく、タービンで磁石をグルグルと回しているのである。
こうして磁石をグルグルと回しているので、半回転ごとに電流の向きが入れ替わってしまう……これが交流電流と呼ばれるもので、一見すると役に立ちそうもないのだが、定期的に向きが変わる電流というだけでちゃんと利用が可能で、整流器と呼ばれる機器などで直流に変換することも出来るし、何よりも変圧が容易だという利点がある。
定期的に向きが変わると言うことは、例えば交流で電磁石を作ったら、定期的にSN極が入れ替わるわけである。
ところで、磁界の変化は電磁誘導を引き起こすから、これを利用して、一つの鉄心に2つの巻き数の違うコイルをつなげ、片方に電流を流したら、もう片方のコイルはどうなるだろうか。
もちろん、その場合も電磁誘導がちゃんと起こり、その巻き数に応じて、違う電圧の電気が発生するのだ。これが変圧器の仕組みだ。
この変圧が容易なことは交流発電の最大の利点で、高圧電流は送電の際に失われる電力(送電ロス)が少なくて済むので、発電所で電気を作り、それを高圧で家庭の手前まで送電し、電柱に付けられた変圧器で低圧へ変換する……と言った運用が簡単に行えるのである。
現に現在の送電システムではそうなっており、電柱をよく見てみるとポリバケツのような丸い機器が取り付けてあるはずだ。その中には二重のコイルが入っていて、発電所から送られてきた電気を変圧しているのだ。
さて、ヤブロチコフの蝋燭に話を戻そう。ここまで辛抱強く読んでもらえれば分かる通り、彼は交流発電の利点を最大限に利用したアーク灯を開発した。
一本の交流電流が流れる銅線から、輪っかに繋いだ二次コイルを作り、変圧した電気を照明に繋いだと言うわけである。このコイルは並列に繋いでいくことで、次々と高圧を生み出すことが可能で、一台の発電機でも、その発電能力が許す限り、沢山の照明を作り出すことが可能となったのだ。
これにより、当時パリ競馬場にあった20基のセリン灯と同数の発電機は、後に68基のヤブロチコフの蝋燭と、3基の交流発電機に取り替えられていったそうである。単純に6分の1の電力で、3倍以上の明るさが得られたと考えると、どれほど画期的なことだったかが窺えるだろう。
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カシャッ……
固唾を呑んで見守る男たちの前で、今、カメラのシャッターが切られた。
但馬たちが四苦八苦しながら交流発電機とアーク灯を組み上げていると、カメラの絞りを作っていたシモンの親父が試作品を持ってきた。それとレンズとシャッターを組み合わせて、箱型のカメラを製作すると、男たちはせっかく作った製品をすぐに試したくてウズウズとなり、急ごしらえで作り上げたアーク灯を灯して早速撮影と洒落こんだ。
工場内には2基のアーク灯が灯され、まるで真夏の青空の下にいるかのように輝いていた。更に白い紙と板で作ったレフ板を使って、被写体に光を集めて、いざシャッターを切ると……
「どうだ?」
「まあ待て、現像しなければまだ分からん」
現像のために照明を切って、暗幕の中でガラスのネガを取り出し、それを定着させたら印画紙に被せて、これをアーク灯を使って感光させた。カメラ撮影の照明のために作ったのだが、思わぬ副産物である。
光が強いから一瞬で感光は済み、それをハイポで定着させる。そして出来上がった写真は……
「おお~~!!」「完璧ですね」「凄く綺麗に写ってる」「これならきっといけない部分も……」「くっきり写るに違いない……グフフフフ」
世界初の銀板でない写真を前に、もう少し他の感想があっても良さそうなのに、すっかり但馬に感化された男たちが下世話な会話を交わしていた。
彼らはニンマリと鼻の下を伸ばしながら、互いにハイタッチを交わして検討をたたえ合う。しかし、そんな時、
「で、モデルはどうするんだ?」
と、一人冷静だったシモンの親父がポツリと言った。
言われてみれば……前は被写体が決まっていたから問題なかったが、今回は初めからエロ本製作のためのモデルを用意しなければならない。そのへんで可愛い子をナンパしたところで、理由を言ったら拒否られるのが落ちだ。
「プロに頼むしか無いな。トー、おまえ、そう言う店によく出入りしてるだろう」
「なんで俺に言うんだよ。俺のは高級クラブなの。バックに怖い人達がついてるの。他を当たれ他を」
「つってもなあ……みんな、そう言う知り合い居ない??」
「他人に頼る前に、おまえも水車小屋に入り浸ってるだろ。自分でなんとかしろよ」
「え? 俺……?」
そう言えばそうだった。
毎日アナスタシアの送り迎えしかしてないから忘れがちだが、あそこはそう言う場所だった。ジュリアに事情を話して、誰か紹介して貰えないだろうか。
そういうわけで、但馬は工場を出ると、まだ日の高いうちから水車小屋へとやってきた。
小屋の前で子供たちと遊んでいたアナスタシアが彼のことを見つけ、まだ迎えに来るのは早過ぎるんじゃないか? と言いたげに首をかしげていた。但馬は彼女に手を振って応えると、小屋の入り口からすぐに見えるところにいたジュリアに声をかけた。
「あら~……社長さんたっての頼みじゃ、断るわけにはいかないわねぇ~ん。でもぉ~、その写真ってなんなの~? よくわからないんだけどぉ~」
開店前の準備をしていたジュリアに事情を話すと、彼女はチンプンカンプンといった感じではあったが応じてくれた。
そして取り敢えず、写真というものが何なのかを口頭で説明しているうちに、午後になって起き出してきた水車小屋の住人たちが続々と集まってきて、みんな以前の騒ぎを知っていて、写真に関心があるのか、熱心に話を聞いてくれた。そうこうしている内に、気がつけばどこぞのセミナーみたいになっていた。
「と言うわけで当方の故郷では古今東西津々浦々全ての女性がこのように花の命は短いとも言いますが若くて綺麗な内にヌードを撮っておかなきゃと言うのは古来からの習わしと決められておりまして適齢の女性はすべからく返す返すも平成という時代には時のトップアイドルたる宮沢りえさえもヌードとなり我も続けとばかりに幾千万の女性たちが列を成してその肌を記録に刻み込んだ次第であります」
「ためになるわ~」「なんだか分からないけど、分かった気になる」「でも、お高いんでしょう」
「とんでもございません。今ならプロのアドバイスもついて、お手頃価格金貨1枚のところを……なんと初回特典で無料! 初回ならではのご奉仕価格! 無料とさせていただきます!」
「まあ! なんてお得なの?」「友達にも勧めなきゃ」
「さらにさらに、今こちらの商品をお求めいただき、当方の発刊する会報誌に写真を提供頂けた場合、さらになんと金貨をキャッシュバック!」
「んまあ! 私、決めたわ」「私も私も」「ミーもざます」
そんな具合に但馬は口八丁で水車小屋の綺麗どころ数名を確保すると、改めて出演交渉を依頼した。
なにしろ前代未聞の代物だから、発行部数自体はそれほど伸びないだろうが、少なくとも不特定多数に肌を露出することになる。その点大丈夫だろうか? と尋ねたが、何しろ未開の中世世界であるものだから、女性解放運動家もフェミニストも居ない。逆に何の問題があるのかと問われて、こっちこそ返答に困った。現代社会なら訴訟待ったなしなのだが、まあ、そんなものだろうか。
そんなこんなで結局全員が写真撮影を希望したものだから、全員が出て行っては店を開けられないわとジュリアに渋られ、取り敢えず、雑誌掲載をお願いする数名以外は、また後日ということで話をまとめた。
そして、いざみんなで工場へと移動しようと鼻の下を伸ばしながら、水車小屋から表に出たら、戸口の影に立っていたアナスタシアがクイクイッと袖口を引っ張った。
いつもは迎えに来る時以外に近づかないので、一緒に帰るつもりで居たのかな? と思い、
「あ、ごめんね? 今日はまだこれから仕事があって……」
と断りを入れようとしたのだが、彼女は首をブンブンと振るって、
「先生……あたしも、写真、撮って?」
と言って、但馬のことを見上げてきた。
「写真? 写真なら、いつでも撮ってあげるけど……」
この流れで記念写真を撮りたいと言うわけもあるまい。当然、アナスタシアは更に首を振るって、
「ううん。そうじゃなくって、あたしもその本に載せて欲しいの」
と、いつものように平板な調子で言うのだった。
但馬はぽかんとバカみたいに口を開けたまま、彼女の顔をまじまじと見た。彼女の瞳は曇りが一切なく、まっすぐに彼の目を捉えていた。