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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
53/398

屋外専門もまた良いかも知れないが

 機械的な問題は親父さんとトーに任せて、但馬は工場に残った若手たちと薬品の生成を行った。と言っても、硫酸の生成が上手く行ってる状況なので、あとはさほど危険な作業もない。


 作りたいものはまず、硝酸だ。


 路地裏のウンコの山から創りだした硝石と、工場で作っておいた硫酸を混ぜ、120℃ほどに熱して蒸留、これをト字管を使って冷却すると硝酸を得ることが出来る。残った反応物である硫酸水素カリウム自体も有用で、まず硫酸塩なので乾留すれば硫酸として回収でき、残った硫酸カリウムも肥料として使える。あとでオジサンにでも売り込みに行こう。


 とまれ、硝酸が出来たので、そこに銀を投入すると……


「おおっ!!」


 っという声と共に、綺麗サッパリ銀が溶けて無色透明の液体になる。これが硝酸銀水溶液だ。強電解質の水溶液で、ほぼ中性だが、


「触ると手が真っ黒に変色するから気をつけてね……」


 貴金属である銀が溶けるのがとても珍しかったに違いない。中性と言った瞬間に触ってしまった者が、泣きそうな顔をしていた。


 この黒くなっているのは、銀が析出するからで、写真もこの現象を利用して画像を定着するわけだ。


 実は世界初の銀塩写真は、この現象に目をつけたイギリスの科学者タルボットが、ダゲレオタイプが発表される4年前に密かに成功させていた。だが、製法を秘密にしていたために、ダゲールに写真発明の名誉を取られたと言う経緯がある。起源主張する人間があちこちに出没する時期だから、ホントややこしい。特許競争とか、いろいろ大変な時代だったのだと思いたい。


 とまれ、そのタルボットの方法であるが、これは非常にシンプルで分かりやすい。


 まず、紙を食塩水につけてよく乾かす。次にその紙を硝酸銀水溶液につけると、紙の表面に塩化銀の膜が出来あがる。それをピンホールカメラにセットして感光させれば、黒いネガ画像が手に入るという寸法だ。


 ところで、今まではそれを水銀蒸気で現像していたわけだが、この場合はどうやって現像すればよいだろうか?


 実は塩化銀の感光による黒化は可逆反応で、放っておけばいずれ画像は消えて、元の真っ白な紙に戻ってしまうのだ。そうならないように、タルボットは熱い食塩水につけて、表面についた硝酸銀水溶液を良く洗い流し、色を定着させていたそうである。因みに現在ではこれをハイポ(チオ硫酸ナトリウム)という溶液で行う。


「……ちゃんと写るね。しっかり硝酸銀水溶液が出来てるっぽい」

「でも社長、これは白黒が反転してて見難いですよ?」


 と、工場の若いのが言うとおり、こうして出来上がる画像は、光が当たったところが黒くなるわけだから、白黒反転したいわゆるネガ画像だ。


 これをタルボットはどうしたかといえば、


「うん、だから2枚1組で使うんだ。今回作ったようなネガ画像を硫酸紙(トレーシングペーパー)で作って……半透明だから光を通すだろう? これを普通の紙で作っておいたもう1枚の上に貼り付けて、2回感光させるんだよ」


 すると、ネガポジ反転した画像が得られる。これがいわゆる現像処理というもので、かつては写真屋で、フィルムを使って同じような処理が行われていたのだ。


 因みにこれをカロタイプと呼んで、タルボットは主に植物を撮影したりするのに使っていた。彼の発明したネガポジ法は画期的なアイディアで、何よりも写真の複製が容易だったために、他にも鶏卵を使った方法などが編み出され、世界中に普及した。


 しかし、ネガ画像にトレーシングペーパーを使うことで、どうしてもダゲレオタイプに比べて画質が劣るという欠点があった。


「見ての通り、うすぼんやりとした画像になっちゃうんだよね。遠くから見る分にはいいんだけど……これじゃ銀板写真の方がずっと綺麗なんで、別の方法が開発されたんだ」


 このため、多くの人達がこれを透明なガラスに写せないかと試みた。しかし、材質がガラスだから、食塩水も硝酸銀もすぐに流れ落ちてしまって上手く行かない。もっと別の方法を編み出さなければならないと人々は考えた。


 その途上に開発されたのがコロジオンを利用した『写真湿板』と呼ばれる方法で、これは撮影時間が10秒程度と短く、非常に鮮明な画像が得られることから、次世代の写真法と期待された。ところが非常に大掛かりな準備が必要なため中々普及せず、そうこうしている内にもっと簡単な方法が発明され、瞬く間に消えてしまうことになる。


 その方法とは、ゼラチンを使うことだった。


 写真湿板が、コロジオンと言うゼラチン質の物質にヨウ化物を溶かし、それをガラスに塗って使ったことに目をつけたリチャード・マドックスという医師が、もしかして食用のゼラチンでもいけるんじゃないか……と考えて、実際に試してみたら、これが上手く行ったのである。


 更に、ゼラチンを乾かして使っても、現像の際に溶液に浸せば元に戻ることから、湿板とは違って乾いた状態でも扱え、利便性も格段に向上した。故にそれが知れ渡り、『写真乾板』として商品化されると、瞬く間に広まって湿板を駆逐したのだった。


 そして、それまでの写真撮影と言えば、撮影現場に巨大な暗室を用意してすぐに現像しなければならなかったのだが、乾板の登場でカメラ一台あれば良くなり、アマチュアカメラマンを多数生み出す結果にもなったのだ。


 その後、乾板は更に軽くて持ち運びが便利なロールフィルムに取って代わられたが、フィルムとは違いガラスは劣化しにくいことから、研究用途では1980年代ごろまで使われていたようである。


 で、この乾板の作り方だが、これまた非常に簡単だ。


 硝酸銀水溶液に、食塩水、または塩酸を混ぜると、白く濁り、塩化銀が沈殿する。その塩化銀をゼラチンに混ぜて、乳化するまでかき混ぜる。それをガラスの表面にうすーく伸ばしてやれば完成だ。


「……これで写せるんですか?」

「うん、これを垂れないように乾かして……なんかいい感じに温めるんだ。もちろん、これら一連の作業は暗い場所でやらないといけないよ?」


 ベルギーの科学者スタスは、臭化銀や塩化銀を暖めると分子変化が起きることを観察した。それによると彼は32℃の温度で数日間暖めると、ハロゲン化銀の感光性が増すと考えていたようだ。これを後の人が改良し、65℃でやれば数時間で済むことが分かり、写真乳剤に利用することを思いついたそうだ。こうして出来た乾板の露光時間は数秒にまで短縮され、もはや現代の写真技術と殆ど変わらなくなっていた。


 と言ったところで、


「それじゃあ、一回やってみようか?」


 乳剤を温める時間は無かったが、今は人を撮影するわけではない。露光時間を長くすればちゃんと写るだろうと、但馬は試し撮りをすることにした。


 近所の肉屋で買ってきた動物の皮と骨をグツグツと煮てゼラチンを作り、その水溶液に塩化銀を投入し、グルグルとかき混ぜてゼリー状の乳剤を作る。それをガラス板に薄く塗って、いざ撮影をしてみるが……


「……なんか、発色が悪いね」


 しかし、写した写真は少し青白く、そのせいでポジに現像すると全体的に黒っぽくなってしまい、先に写したカロタイプの写真の方が綺麗なくらいだった。


 せっかく透明なガラスの上に画像を撮れたというのに、こりゃおかしいと思って、色々と条件を変えてみたが……どうやら、室内では上手く映らず、外ではまずまず上手くいく。つまり光量が関係するようだった。


 そう言えば、現実世界でも室内撮影するときはフラッシュを炊いていた……自動で焚かれるからあまり意識してなかったが。


 同じハロゲン化銀でも、やはり塩素と臭素とヨウ素では性質が異なる。例えば、塩化銀はアンモニアに溶けるが、他の2つは溶けない。ヨウ化銀はハイポに溶けず、ヨウ化銀を混ぜたフィルムは青酸カリで現像を行わなければならない。そして、塩化銀は感光速度が速いが変色が緩いという性質があり、普通は臭化銀やヨウ化銀と組み合わせて使われるのだ。


 ところが、但馬は臭素やヨウ素が手に入りにくいために、塩化銀しか満足に使うことが出来ない。


 エロ本のために撮影しようとしてるのに、世界初のエロ本が屋外専門誌だなんて……マニアックすぎる。数多のエロ本を見てきた現代っ子の但馬であればそれも悪くないかも知れないが、このままではリディアの若者が、ことごとく蛭子能収のような属性を持ってしまうぞ。それは危険だ。


「こ……これは、困ったぞ……」


 但馬が青ざめた顔をしていると、外からトーがやってきた。彼は首尾よくレンズを手に入れたらしく、意気揚々と帰ってきたのだが……


「おい、どうした?」

「それが……」


 但馬の説明を聞いた彼は、ふ~ん……と呆れたような顔をしたが、ともあれ、すぐに気を取り直すと、


「おまえが言ってたろ。レンズで写せば、集光されて上手くいくんじゃねえの?」


 と言われて、確かにその通りだと思い、まだ絞りができていないが取り急ぎ簡易的な装置を作ってやってみた。しかし、さっきよりはマシになったが、


「駄目だ。あとひと押しって感じだよ。なんとかならないだろうか……」

「これじゃあ前の銀板写真の方がいいな。あれじゃ駄目なのか?」

「あれだと複製が出来ないから一品物になっちゃうだろ」

「何か問題あるか? お陰で高く売れるんなら構わないじゃないか」


 まあ、そう言う考え方もあるが……しかし、


「いや、それじゃ若い貧乏人には行き渡らないじゃないか。俺が作りたいのは芸術品じゃないんだ。土方仕事で疲れた体を癒やすような。コンビニ弁当をかきこみながらお箸でページをめくっちゃうような。誰もが簡単に手にすることが出来る、ジャンクフードのようなエロスなんだよ!」

「なんか知らんが……借金を返すのが目的じゃなかったのか?」

「そうだった! もちろん借金も返すよ!? でも1人に金貨1千枚で売って返すのではなく、10000人に銀貨1枚で売って返したいんだよ。そう、目指すのはクラスで3~4番目に可愛い子たちの集まりのあれだよ! 質より量で勝負したいんだよ。それにさ、写真が流行ったら、今度はカメラが売れるかも知れないじゃん。事業拡大出来て一石二鳥だろ?」

「何言ってっかわかんねえけどよ。じゃあ、どうすんだよ? 出来ないもんをあーだこーだ言ってても仕方ないだろ」

「あ゛あ゛ああ゛ああ゛ぁぁ゛ぁ~……そうなんだよねっ!!」


 それを言われちゃ返す言葉もない。問題は光量なわけだから、ガンガン火を焚いたり外から鏡で日光を取り込めばいいだろうか。しかし炎は明滅するし、日光を当てるのも難しい。いっそマジックミラーで覆われた車を用意して移動しながら撮影をすれば……いやいや、そんな大掛かりなことはせずとも、照射器のようなものがあればいいじゃないか……大体、マジックミラー号作っても曇った日はどうすんの? って、あれ?


「あ、そっか」


 但馬はポンと手を叩いた。


「そういやあ、せっかく発電施設作ったっつーのに、まだ照明機器を作ってなかったな……試作しておいてもらった、交流発電機って出来てる?」

「発電機ですか?? 言われたとおりに作っておきましたが……でも、電気分解やろうとしても、動きませんでしたよ?」

「それでいいんだよ。じゃあ、コイル作りたいんだけど、被膜銅線ってまだ余ってる??」


 但馬はそう言うと、持ってきてもらった被膜銅線をドーナツ型の鉄心にぐ~るぐるぐ~るぐると巻きつけて、一つのドーナツ型鉄心の対面上に2つのコイルを作った。片方は巻き数が多く、もう片方は極端に少なくする。


 彼が作ったのは変圧器である。こうして同じ鉄心を持った2つのコイルの巻数を変えると、双方の巻き数に比例して電圧が変わる。


 こうして極端に高圧化した銅線と、低圧の銅線を近づけると……


 ブーーン……


 っと音がして、2つの銅線の間に炎が煌々と燃え上がったのだった。動かないと思っていた技師たちに動揺が走る。


「これは電弧(アーク)放電っていうんだ。交流電流は電気が流れてないわけじゃない。電気の向きが常に入れ替わってるから、普通、そのままでは扱えないってだけなんだ。でも、見ての通りちゃんと電気は流れてるし、使いようによっては直流よりも使い勝手がいい」


 このように、変圧が簡単なところがまさにその最大利点だ。


「で、このアーク放電なんだけど、これを上手く制御すれば、お手軽に太陽みたいな光を作り出せるんだよ」


 正確には違うが、要は強力なランプを作ることが出来る。事実、世界初の照明機器はこのアーク放電を利用したアーク灯であった。


 どうせ写真館を作るなら、追い追い光源の問題も出てきたはずだ。ここでクリアにしといた方がいい。それに、竹が手に入りやすいので、それでフィラメントを作るのも可能だろう。そうしたら、ゆくゆくは市内に電線を走らせて、白熱電球を商売に出来るかも知れない。


「そしてなにより夜寝る前にエロ本を読むことだって出来るのです! くぅ~……長かった……ここまで来るのに、本当に長かった……あれ? 泣いてんのか……俺」


 但馬の頬に、涙の雫がツーっと流れた。


 こんな電気もコンビニも無い、アホみたいに未発達な世界に紛れ込んでしまって、もう絶望しかないと思っていた。でもやってみるものである。ここまでくればあとちょっとの辛抱で、現代人のようにマス掻いて寝る権利が得られるのだ。エロ本をおかずに、ご飯を食べることだって出来るんだ。


 但馬は涙を拭うと、一人、天に向かってガッツポーズをした。


 今、但馬はこんななんにもない異世界で、人類の叡智の結晶とさえ呼べる偉大な発明へと続く一歩を踏み出したのである。


 そしてその場に居たみんなは思った。こいつやっぱ馬鹿なんじゃないだろうかと。

 

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― 新着の感想 ―
人類のHの結晶だ!
[一言] なんでこんなに面白いのにコメントがひとつもないんだ?理系ホイホイの長ったらしい説明口調だからか?
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