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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
52/398

目的はエロなのだが

 そうして、近衛隊副隊長ウルフ・ゲーリックの卑劣な罠によって高額の借金を背負わされた但馬は、本当はこんな汚れ仕事などやりたくはないのだが、敢えて、仕方なく、会社を守るために、泣く泣くエロ本製作を決意したのだった。


 もしもこの借金を返せなかったら、会社が倒産してしまうのだ。そしたら従業員さんたちが路頭に迷ってしまうかも知れない。だから仕方なかったのだ。決して但馬の本意ではない。


 しかし、電気も無ければ水道すら無い未開の地リディア。惑星規模でも科学技術レベルはせいぜい中世時代のこの星で、一体どうやってそのような超未来技術を駆使した逸品を制作できると言うのだろうか。猫型ロボットも真っ青だ。


 突き進む道は茨に覆われ、前途は多難。仲間たちにまで無理無謀と言われる道を、しかし挫けない彼は敢えて突き進むのであった。


 ああ、但馬よ、家族のため、会社のために働くおまえは美しい。栄光に向かう道はどこにも無い、何故ならおまえの後に続くからだ。


「いや、そう言うのはいいからよ。やるならやるでさっさとしろよ。おっさん、呆れてタバコ吸いに出てっちまったぞ」

「あ、そう? なーんか、いまいち君ら乗り気じゃないし、取り敢えず盛り上げておこうかと……」

「社長! エロ本ってなんですか!!」

「うむ、君にはまだ早いようだ。精通したらお祝いに送ってあげよう」


 と言うわけで、どう言うわけだか……一人の戦力外を出しつつも但馬による、異世界初のエロ本製作は始まった。


 実際問題、紙も印刷技術もカメラさえないこの時代、作ろうとしたって作れるような代物じゃない。相当凄いことのはずなのに、みんな乗り気じゃないのはなんでなんだろう。


 エロ本というものを見たこと無いので、そもそもその素晴らしさが分からないのだろうか。しかし現物を見ればみんなギンギンになるに違いない。ギンギンになってから後悔しても遅いぞ。


「いいからさっさと話すすめろよ」


 ともあれ、やるべきことはたくさんある。馬鹿なことばかりして時間を潰しているのは惜しい。


「んじゃ取り敢えず、まずやんなきゃいけないのは、カメラの改良だな。現行のピンホールカメラじゃ、撮影に時間が掛かりすぎる。あとピントが合わせづらい。これをなんとかしないといけない」

「方法はあんのか?」

「あたぼうよ。レンズを使うのさ」

「レンズ?」


 レンズとは言わずと知れた光を屈折させ、集光、拡散するための主にガラスなどで作られた光学機器だ。日常的にメガネをつけている者なら馴染み深いだろう、光を集めるための凸レンズと、発散させる凹レンズとがあり、現在のカメラではこれらを組み合わせて像を結んでいる。


 以前作ったピンホールカメラは、穴を通り抜けることが出来た光だけが、勝手に集まって像を結んでいた。しかし、凸レンズを使えば、それ自体が光を集めて像を結んでくれるので、もっと簡単だ。


 光は水やガラスを通り抜けるとき、特定の方向に曲がる(屈折する)性質があるが、凸レンズがその屈折した光を一点に集めてくれるからだ。


 だからある木の一点から発した光は、レンズ全体のどこにあたっても一点に集まってくるので、単純にレンズを通した方がより多くの光で像を結ぶことが出来る。結果、明るい像が出来上がり、銀塩の露光時間も短くて済むわけである。


挿絵(By みてみん)


「なるほど、レンズってのは眼鏡のことか。しかし、そんなもの持ってるのはよっぽどの金持ちくらいのもんだぜ?」

「え? そうなの??」


 と言うのも、レンズを作るのがとても難しいからだ。例えばレンズ代わりに水晶球を作るとしよう。水晶は通常、六角柱の結晶状態で産出されるが、それを球体になるまで研磨するのに、どれくらいの手間暇がかかるかは想像に難くないだろう。しかも、完全な球体を作り出すのはほぼ不可能で、ちょっとでもひび割れたり傷がついただけで、もう使い物にならなくなる。極めつけに、水晶はそれ自体が宝石なので、元々高価だ。


 ではガラスを溶かし、型にはめて、球状に固めて作ってみてはどうだろうか。すると今度は温度が問題になってくる。透明なガラスの成分は水晶と同じく主にケイ砂であるが、これの融点はおよそ1600度。ソーダ灰を混ぜて融点降下を図っても800度~1000度の融解熱が必要となる。


 せっかく、これほどの温度に堪えられる型を作っても、残念ながら数回で壊れてしまうのが落ちで、とても大量生産には向いてなく、結果的にレンズ製作はどうしても高価になってしまうわけだ。


「一応、眼鏡職人ってのが居るが、多分予約が一杯ですぐには手に入らないぜ。すでに持ってる人に譲ってもらうのが一番だろうが……当然値が張るだろうな」

「ふーむ……本当ならいくつか用意して欲しかったんだけど、仕方ないな。レンタルでも良いから、どうにか調達できないか、当てがあるなら頼むよ」

「まあ、いいけどよ」


 調達出来たら工場に持って行くと言ってトーは会議室から出て行った。入れ替わりにシモンの親父が帰ってきたので、


「親父さんには絞りを作ってもらいましょう」

「ん? なんだね、それは」

「ピンホールカメラを作った時から考えてたんですけど、穴を大きくしたり小さくしたりを簡単に出来る装置です」


 絞りとはレンズに入ってくる光量が多すぎると、被写体の周囲がボヤケる現象を抑えるために、レンズの受ける光量を少なくする(絞る)機構のことだ。機能的には人間の虹彩・瞳孔と同じもので、例えば暗いトンネルから外に急に出たとき、眩しくて辺りが白くボヤケて見えた経験が誰にでもあるだろう。そんな時、咄嗟に目を細めて、目に入ってくる光量を調整しているはずだ。


 レンズで像を結ぶとその性質上、焦点距離を合わせた被写体より奥の物体から入ってくる光量が多くなる。そのため、被写体の周りが白くピンボケてしまうので、そうならないように光が入ってくる量を、あたかも目を細めるように、調整してやるわけだ。


挿絵(By みてみん)


「取り敢えず、工場に移動しましょう。昨日手に入れた硝石から薬品も作んなきゃならないし」


 そうして二人は番頭のフレッド君を残して本社を出た。


 歩きながら機械の説明をし、やがて工場にたどり着くと、待ってましたと言わんばかりに開発班の若手が寄ってきて、頼んでおいた仕事が上手くいったことを告げた。


「社長、言われた通り、生成器作ってみました。上手く行ってるみたいですよ」

「あ、ホント? なんでもやってみるもんだね」


 まあ、出来ることは知ってたので、あとは工夫次第だったのだが……


 但馬が開発陣に頼んでおいたのは、硫酸の生成装置だった。以前、ミョウバンやリョクバンから抽出してもらっていたが、これで作っていたのは本番用の希硫酸で、今回の布石であった。


 硫酸(H2SO4)は読んで字のごとく、硫黄の酸だ。つまり原材料は本来なら硫黄であり、このリディアではいくらでも取れるありふれた材料だった。それなのに、今まで面倒くさい方法で少量しか作れなかったのは、その反応熱にある。


 以前も軽く説明したが、硫酸とは3酸化硫黄(SO3)の水溶液であるのだが、この3酸化硫黄が水に溶ける際に、とても大きな熱を放出し、下手をすると爆発が起きてしまう。なので3酸化硫黄を溶かすには、まず希硫酸を作って、そこにゆっくりと溶かしていかねばならない。


 そのため、いままでちまちまミョウバンを乾留してもらっていたわけだが、


「それにしても、まさかこんなことに偽銀が使えるとは知りませんでした」

「偽銀って言うと聞こえが悪いが……希少価値からすると銀よりずっと価値があるんだけどね」


 彼が偽銀と言っているのは、白金(プラチナ)である。


 金と同じく王水以外に溶けない貴金属であり、現代では点火プラグや触媒として様々な利用価値のあるプラチナであるが、かつては銀の偽物として大量に廃棄された過去があった。


 15世紀末、コロンブスの新大陸の発見により、まもなくヨーロッパの国々による開拓競争が起こった。しかし新大陸からもたらされる富を手に入れるために、各国から要請されたコンキスタドールと呼ばれる冒険者達は、新大陸にたどり着くと悪逆の限りを尽くし、財宝を奪い去ったのだ。


 当時、ヨーロッパでは銀が珍重されており、中南米の文明を滅ぼした彼らは財宝の中に銀色の鉱物を見つけて、これを銀だと思い持ち帰った。だが、実はそれは大量のプラチナだったのだ。


 ところが、プラチナは非常に硬質で酸にも高熱にも溶けず、当時の加工技術では歯がたたないことから、利用価値がないと判断され、ゴミクズ同然に捨てられた。しかし、後に様々な用途に使われ、レアメタルの中でも特に希少であることがわかると、一転して珍重され、高値で取引されるようになった。


 特に触媒として高い活性をもつプラチナは、産業革命期に様々な実験材料として使われ、現代のソーダ産業の基礎をつくる最重要な元素だったと言って過言でない。今回作った硫酸も、前回作った硝酸も、工業化当初は白金触媒化で生成されていた。


「しかし、この触媒と言うのは不思議ですね。これ自体は何も変化しないと言うのに、無いと反応が始まらない」


 始まらないのではなく、とんでもなく遅いというのが正しいのであるが……


 物質が化学反応を起こすときは、基本的に高温条件下であることが望ましい。


 あらゆる物質は原子の組み合わせで出来ているが、この原子というものは、実は常に振動している。これは絶対零度において静止し、高温になればなるほど激しく振動するのであるが、激しくなればなるほど、分子を形成している原子同士の結合距離が離れることから、分子が分解されて化学反応を起こしやすいというわけである。


 このため、物質が化学反応を行う際には、反応が始まる温度(活性化エネルギー)があるのだが……触媒とはそのエネルギーを下げ、更に反応を速くする性質がある物質のことを指すのだ。


 触媒は鉄や銅、プラチナ、ロジウム、パラジウムといった主に金属元素であるが、何故、金属元素ばかりが触媒効果を持つのだろうか?


 金属元素は基本的にはいわゆる結晶を作っており、結晶を作ると言うことは、どの原子の周りも全く同じように規則正しく原子が並んでるわけだが……ところで、この結晶の端っこはどうなっているだろう?


 どんな物質にも端っこがあるのだから、たとえ原子が規則正しく結晶を作りたくっても、いずれは端っこに到達して途切れてしまう。つまり、金属結晶の端、表面は、結晶を作りたくても作れない原子がむき出しの状態に置かれてるわけで、不安定な状態にあるのだ。


 不安定な金属表面は、とりあえずやって来た何らかの分子とくっつこうとする。すると分子は原子まで分解されて金属の表面にくっつくが、元々金属と化合物を作る原子でなければ、そのままくっついては居られないから、周りにある別の原子とくっつこうとする。結果、その原子は元の分子に戻ったり、別の原子と化学反応を起こしたりするわけだ。


 これが触媒の効果であり、化学反応だけが起こって触媒に変化が起きない理由である。昔の人はこの触媒効果を見て、物質を変化させる金属の中には、きっと金を生成することの出来る金属、いわゆる賢者の石があるだろうと考え、それが錬金術に発展し、現在の化学へと進化していった。


「ケミストリーって、元々錬金術って意味だったしな。実際、銀鏡反応なんて、知らない人が見たら、何もないところから銀を生み出したようにしか見えないだろうし」

「銀鏡反応? なんですか、それは」

「えーっと、銀メッキ法の一種なんだけどね。まあ、いずれ実演しよう。それじゃ、親父さん、工作の方は頼みます」

「わかった」

「残った人らはこっちで薬品の生成の手伝いをしてください。これから忙しくなりますよ」


 こうして、目的はエロなのだが、やけに仰々しい化学実験が始まるのだった。男たちは試験管片手に薬品を黙々と調合し、新しい反応を確かめては一喜一憂するのであった。


 一方その頃、ブリジットは工場の外でうろちょろしていた。先程は但馬のエロ発言にドン引きして声をかけそびれたが、気を取り直して工場に訪問しにきたら、今度はやけに難しい話をしていて気後れしていた。


 あれ? なんか、こんな状況でお邪魔しても、本当にお邪魔にしかならないのではないだろうか……


 結局、声をかけそびれてスゴスゴと帰宅した彼女は、典型的なニートの就活模様を踏襲していた。但馬の能力に惚れ込んで、軍隊を飛び出してそろそろ2週間。その間にあったのは、水着写真をばら撒かれたくらいのものである。


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