言葉にできない
兄妹喧嘩の仲裁などと、要らぬ時間を食ってしまったが、もう間もなく夜である。当初の目的通りアナスタシアを迎えにいそいそと田園地帯を歩いていると、農園からオジサンが声をかけてきた。
「あんれ社長さん、今日は遅いんだなあ。ほれ、これ持ってけ。いっつも孫さ世話んなってるけーの。たんと食べるんだべ」
採れたての食材を貰い、オジサンに礼を言ってスラム街へ。いつも忙しそうにしているオジサンに会うことは稀であったが、たまに会えれば最近は野菜を沢山くれるので大いに助かっている。現代日本で暮らしてたときは気にしたことも無かったが、採れたての野菜がこんなにも瑞々しくて甘いなんて知らなかった。
ほくほく顔で水車小屋までやってくると、もう営業時間になっていたせいか小屋の前にアナスタシアが追い出されており、おそらくかつて客だった男に何か言い寄られていた。彼女の顔は遠目に見ても蒼白で、明らかに恐怖に怯えているようだ。
蹴り殺してやろうかこの豚野郎と、腕まくりし助走をつけて近寄って行ったら、但馬が辿り着くより前にジュリアにぶっ飛ばされていた。ゴリラに出禁にするぞと凄まれて、男は涙目で謝罪をしている。いい気味だ。
但馬が来たことに気づくと、アナスタシアはパンパンと埃を叩いて立ち上がった。その様子に気づいたジュリアが手を振って但馬を迎えた。
「あら~……社長さん。いらっしゃ~い。毎日毎日ご苦労様ねえ~ん」
「そっちもお疲れ様。なんか、知らん内にえらい繁盛してますね」
但馬が水車小屋にたどり着くと、入り口から見える待合室に並ぶ客の姿が見えた。カーテンで仕切られているからその顔は見えないが、足元は見えるので人数くらいは分かる。こういった店のシステムはよくわからないが、確か但馬の居た世界では入店するとパネル写真がずらりと並んだ部屋に通されて、そこで気に入った嬢を選ぶのではなかったか。もしくはマジックミラーで仕切られてたり。
ここではどうしてんのかな? と覗き込んでいたら、あまりジロジロ見るなとジュリアにたしなめられた。
「おかげ様でね~ん。社長さんのくれるソープのお陰よ~。最近だと、お客さんにどこで売ってるの~? って聞かれるくらいだわ~ん」
「家で奥さんとお風呂プレイでもするんすかね」
「さあ? いつもは貰い物だから~って答えてるけどぉ~、今度から社長さんのとこ教えた方がいいかしら~ん?」
「そっすね。お願いします……最近は色んな小売店で扱ってもらってるんですけどね。意外と行き渡らないもんなんすね」
最近は在庫もダブつきつつあるのだが……どこかで買い占められてたりするのだろうか? 特定の顧客が買いだめてたり、もしかしたら個人輸出などをされてるのかも知れない。
「もし良かったら、工場の売店でもちょこっと売ってるんで、そっちの方を宣伝しといてください。川沿いにあって目立つから」
「わかったわー」
不良社員や銀行に相談して一生懸命に販路を広げているのだが、中々小売店任せでは回り切らないようである。リディアには百貨店がない。と言うか、恐らくこの世界には存在しないので、商品を売るとなると、市場や小売店販売が中心になる。
あとは物が物だけに、オジサンの紡績工場や街の飲食店に直接卸しているが、いくら評判が良くても、基本的にそこから先に販路が広がることはなかった。やはり自分たちの足で販路を広げていくしか無いのである。なにか、もっと良い宣伝方法でもないものか……国中の売春宿を回ってソープランドに変えていくわけにもいくまい。
その後、但馬が来たことに気づいた子供たちとどつきあいをしたり、適当に挨拶をかわしてから水車小屋を離れた。
スラムを抜けて田園地帯までやってくると辺りはすっかり暗くなっており、久々に2つ上った青い月明かりの下を、二人で無言のままテクテクと進んだ。ここのところウンコまみれだったり、糞まみれだったり、おしっこ臭かったりしたから近づいてもらえなかったが、今日は基本的に硝石集めしかしてなかったので臭いがそんなにキツくないのか、ピタリとアナスタシアがくっついて来た。
そんな至福の時を過ごしながら、ウキウキと市街へ戻ってくると、何やら街のあちこちがざわついていた。街の声に耳を傾けてみたら、どうやら謎の火炎がローデポリス上空を渦巻き、街の建物のガラスをことごとく割ったとか……
ダラダラと冷汗を流しながら、自分は関係ありませんよ……と家路を急ぐ。そういや、成り行きとは言えあのウルフとか言う近衛兵にバレてしまったわけだが、あとで難癖つけられないだろうか。何かルールとかにめっちゃ厳しそうだし……
などと考えつつ歩いていたら、アナスタシアがそんな但馬の肩にぶら下がっているマスケット銃に気づいて聞いてきた。
「先生、それ……」
「ん……? ああ、これはシモンの家にあったやつだよ。今日はこいつの試射をしてね……そうだ。お風呂入った後に、いいもの作ってあげよう」
小首をかしげる彼女にニコニコと返事し、但馬は材料を買いに商店街へ急いだ。
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家に帰り、ご飯を食べて、順番に風呂に入る。
但馬は先に風呂から上がると、アナスタシアが入ってる間に台所を借りてとあるものを作っていた。
材料は硝石、重曹、レモン果汁。あとはお好みのジャムである。
彼は水を満たしたボールに今日手に入れたばかりの硝石をポンと投入すると、グルグルとそれが溶けるまでかき混ぜた。
更にそのボールに重ねるように、別のボールを浮かべると、その中に水と重曹とレモン果汁をなんかいい感じに入れて、まぜまぜした。分量とかそんなのを全く気にしない男の料理であったが、そんなもの気にせずまぜまぜしていると、やがて水がシュワシュワと泡立ってきたのである。
風呂から上がったアナスタシアが、台所で珍妙なことをしている但馬を見つけると、
「……先生、何やってるの?」
と聞いてきた。彼は、
「うむ。ちょっと待ちたまえ」
と言って、ガラスコップに豪快にジャムを落とすと、その上から先ほど作ったシュワシュワの液体をドバドバ注ぎ込んで、
「じゃじゃーん。ブルーベリーサイダ~!!」
と、どこぞの猫型ロボットの如く宣言したが、もちろんそんなものを知らないアナスタシアに奇異の目で見られるのだった。
「……なあに? これ」
「俺の住んでた国のジュースだよ。美味しいから飲んでみて」
「……本当に美味しいの?」
「……多分」
と言ってから、但馬は自分でジュースを飲んでみて……難しい顔をしてから、少々味が足りなかったと、更にジャムを加えて味を調整した。やがて、いい感じの味になったら、
「うん、美味しい美味しい」
と言って彼女にコップを差し出した。
その姿にアナスタシアはいつもの不安そうな眉根を更に難しそうに寄せながらも、但馬がそう言うならと、イヤイヤながらそれを口にしてみたら……シュワシュワと口の中で炭酸が弾けて、思わず咽た。
「けほけほ……先生、これ、変だよ?」
「最初は変かも知れないけど、慣れてくるとこの喉ごしがたまらんのです」
しかし、悪気の無さそうな但馬の顔を見ていたら、多分本当なのだろうと、言われるままにおっかなびっくりアナスタシアはジュースをコクコクと嚥下した……
「冷たくて、美味しい……かも」
「そうだろそうだろ」
満面に笑みを浮かべて、実に嬉しそうに但馬が笑う。彼女はそんな彼の顔を上目遣いに見つめると、コップの底に溜まったジャムをマドラーで潰し、その際に広がるサイダーの泡を不思議そうに見つめながら言った。
「これ……どうやって作ったの?」
「それはだな……」
火薬の材料となる硝石は水に溶ける際に吸熱効果がある。基本原理は簡単で、例えば予防注射などでアルコール消毒をされたとき、脱脂綿で拭かれた肌がヒヤリとした経験は誰にでもあるだろう。この際、脱脂綿に含まれるアルコール(液体)が、人肌に触れた瞬間に気化して、その気化熱が体温を奪っていくから、冷たく感じるわけである。
硝石もそれと同じことで、水に溶ける際の融解熱が、水から温度を奪って冷えるという寸法だ。16世紀のはじめ頃、この現象に気づいたイタリア人がワインボトルを冷やすことに使っていたそうである。因みに硝石が溶けた水は、蒸留すればそのまま結晶としてまた硝石が得られるので、何度でも使い回しが効くのでお得である。
こうして作られた冷水は、硝石が溶けているからそのままでは飲めないので、もう一つボールを用意してそっちで冷やした水をジュースに使った。
炭酸水の方は重曹とクエン酸の化学反応だ。梅干しやレモン果汁などに含まれるクエン酸は、重曹と混ぜると炭酸ガス(二酸化炭素)を急激に吹き出す。その性質を利用して家の風呂掃除などで使うのだが、少量を上手く混ぜればこのように自作サイダーを作ることが可能なのだ。
あとはそれに砂糖やジャムなどを混ぜて味を整えれば、手作り炭酸飲料の出来上がりである。
「なんか、そうやって作ったって聞くと、お薬みたいな味がするね……」
「う……そう? 美味しくない?」
そう尋ねると彼女は、う~んと小さく唸ってから、
「美味しい」
と言ってニッコリと笑った。
それを見た但馬は心臓がドキリとした。滅多に笑わない彼女が笑ったものだから、何だかとても嬉しくて、天にも昇りそうな心地になった。思わず口元が綻んでしまい、ニヤニヤ笑いがどうしても止められなかった。
「じゃあ今度、もっと色々おもしろいもの見せてあげるよ」
「本当?」
しかし、いつも無表情なアナスタシアですら、こんなに喜んでくれるなら、もっと早く作ってみれば良かった。基本的には暑い国だから、こういうヒンヤリした飲み物は需要があるんだろう。
もっと沢山こういうものを作ってみるのも悪く無いかも知れないなと但馬は思った。
例えば、製氷機とか、扇風機とか、エアコンとか。作ろうと思ったら無理ってことはない。構造自体は簡単だし、動力としては電力を使えるのだし、発電施設ももう少しなんとかしなきゃと思ってたから、ついでだと思えば一石二鳥だし……なにより彼女が喜んでくれるのなら。
などと、あれやこれやを夢想してたら、
「……先生は、なんであたしのことを買ったの?」
ポツリとアナスタシアの口からそんな言葉が漏れ出て、但馬は何も言えなくなった。
二人で暮らし始めて暫くすると、彼女はそんな疑問を呈するようになった。彼女からしてみれば当然の疑問だったろう。但馬は決して自分に手を出さないし、簡単な家事以外に何かを申し付けることもない。彼はアナスタシアが居なくても一人で生きていけるのだから、彼女を手に入れる必要なんて無かったのだ。
だからなんで彼女を買ったのか。それは彼女の最大の疑問だったろうし、但馬にとってもまるで分からない問題だった。
但馬は別に無償の愛情を持ってるような徳の高い人間ってわけじゃない。本当なら柄でもない行動だったが、でも、あの時はそれが唯一正しい方法だと思ったのだ。そうするのが当然だと思って、後のことは何も考えていなかった。理由ははっきり言って無かった。
だから、どうしてと問われても、どうしてもとしか言えなかった。あの時の気持ちを思い出そうとしても、今はもううまく表現出来なかったから。ただ曖昧に笑ってお茶を濁すくらいしか、但馬には出来ることがなかったのである。
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翌朝。エリオスが早朝トレーニングと言う名のシゴキを行いに、意気揚々但馬邸へやってきたら、驚いたことに既に二人は起きだして、庭でストレッチを行っていた。
正直なところ、ありがた迷惑でしか無かったトレーニングだが、昨日ウルフと勝負する羽目になったとき、もしもこの経験がなかったら、あっさりと負けていた可能性があった。そう思うと、この朝練も馬鹿に出来ないかな? と思い、但馬は心を入れ替えたのだ。
そして、人間気の持ちようと言うことか、一度やる気になれば案外シゴキも楽に受けられ、昨日までは朝飯までに終われなかったジョギングや剣の素振りも、難なくこなすことが出来た。お陰でアナスタシアに早いだの短小だの包茎だの言われずに済んだ。
そして三人はトレーニングを終えると、一緒に食事をとって、悠々と高級ーヒーで一服してから出社するくらいの余裕さえ持てるようになったのだった。
午後まで家事をするアナスタシアにいってきますをして、二人で意気揚々と家を出る。エリオスは改心した但馬を誇らしげに褒めてくれた。
「今日のやる気があれば、きっといつか姫にも勝てるようになるぞ」
いや、絶対それはないだろうがな……思いはしつつも、そう言われて満更でもなく、但馬は鼻を高くしてふんふん鼻歌を歌いながら往来を闊歩していると、そんな時突然……
バタバタバタ……
っと、沢山の騎士たちがやってきて、但馬たちを取り囲むのであった。
見れば騎士たちは、よく捕まるもんだからいい加減に見慣れてきた近衛兵の甲冑を纏っている。
隣りにいたエリオスが、また何かやらかしたのか? と呆れを通り越して、泣きそうな表情で但馬を見ていた。但馬はブンブンと首を振った。しかし騎士たちはガッチリと但馬の肩を掴むと、
「但馬だな? 騒擾罪の容疑で同行願おうか」
「ちょちょちょ、チョット待ってくれ、今日はマジで身の覚えがないよ?」
「問答無用。やれっ!」
その号令で近衛兵たちが一斉に但馬に跳びかかり、有無をいわさず筵でぐるぐる巻きにした。エリオスが、やれやれと言った感じに肩をすくめている。おいこら護衛、仕事しろよ……
そうして但馬は問答無用で簀巻にされると、いつものパターンでインペリアルタワーまでしょっぴかれて行くのであった。なんで?