あのイルカ野郎……
但馬が這いつくばって土下座していると、ブリジットと言う名の兵士は少々困った顔でこう言った。
「あの~……そんなに畏まらないで下さい。任務上仕方なく武器を向けましたけど、こちらに敵意はありませんので」
「……そうなの?」
「はい、エリオスさんも優しかったでしょう?」
そう言うと、彼女は後ろに控えていた巨漢を振り返りながら、にっこりとした。
言われてみれば確かに、巨漢の存在自体が恐ろしくって勝手に恐怖していたが、彼が危害を加えて来たわけでも、危害を加える素振りを見せたわけでもなかった。思い返せば実に紳士的な態度だった。なんだ、いい人じゃないか、今ならお尻の処女をあげてもいい。
「とにかく、こちらに敵意もありませんし、安心してください。脅かすようなことしてごめんなさい」
そう言って彼女はペコリと頭を下げた。小柄な体もさることながら、その仕草は妙に可愛らしかった。とても長物を腰に佩いている者とは思えない。
但馬も負けてはいられないと、コメツキバッタの如く腰をカクカクしながら起き上がると、
「いえいえ、こちらこそ、むやみやたらと平伏したりして、御身を煩わせてしまったこと、軽佻浮薄の極み、深くお詫び申し上げます」
と、腰を90度曲げつつ歯茎を見せた。差し出す名刺を持っていない事が、今は実にもどかしい。
さて、ジャパニーズKENSONに慣れていない彼女は、その全力で無様な格好に若干の尻込みを見せたが、すぐに気を取り直すと話を続けた。
「よろしければお聞きしたいのですが。実は夜明け前、駐屯地の夜警がこちらの方角から、もの凄い火柱が上がるのを確認したと報告があったんです。私達はそれを調べに来たのですが、何か知っていらしたら、教えてはもらえませんか?」
「ああ~……」
但馬はなんだか色んなものがストーンと腑に落ちるのを感じるのだった。
もの凄い火柱とは、あれか。チュートリアルで魔法をぶっ放した時上がった、あの核爆発みたいな炎のことか。そりゃ、あんなのを見たら誰だって驚くに違いない。それが軍隊であったら尚更だ。看過するわけにはいかないだろう。
彼らはなんちゃら軍の偵察隊とか言っていた。それで命令されて調査にやってきたら、誰も居ないはずの砂浜で、但馬が空気を相手に漫才していたというわけだ。
不審に思われているのは間違いないだろうが、目的が不審者への職質ではないようだから、うまく答えられればお咎め無しで解放してくれるはずだ。
「確かに、なんか凄い閃光が見えましたねえ。いやー、びっくりしました。あれは何だったんでしょうね」
という訳で、彼は炎が上がるのは見たけど、自分には関係ないという振りで逃れることにした。
あれやったのはミーざんす! と本当のことを言っても良いのだが……しかし、言ったところで、何の益があるとも思えないし、信じてもらえるかも疑問である。それに、これは彼らがすっ飛んでくるくらい特異な出来事であったようだから、警戒されて連行とかされちゃったら元も子もないだろう。
大体、もう一度やれと言われても、今となってはMP0だから無理なのだ。嘘つき呼ばわりされるくらいなら、知らぬ存ぜぬで通したほうが良いだろう。
もちろん、彼女も但馬があれを起こしたとは思ってなかったようで、さもありなんと言った感じで頷いてから続けた。
「では、炎が上がった場所は分かりますか? こちらの方角から見えたと聞いたんですが」
「ああ、それだったら、あっちの方です」
「え?」
と、但馬が海を指差しながら軽い気持ちで応えたら、ブリジットは目を丸くしたかと思うと、次第に怪訝な表情になっていった。何かおかしなことを言っただろうか? 但馬はソワソワしながら繰り返すように言った。
「水平線の向こう側っすよ。ここからだと……5~6キロ沖合いですかね」
「それは本当ですか?」
「ええ、もちろん。嘘じゃないっすよ?」
実際、嘘は言っていない。それを引き起こしたのが自分である、と言う事実を伏せているだけである。あの時、光は海へと走って、水平線の向こうでズドンだった。
何がそんなに気になるのだろうと小首を傾げていたら、彼女はキョロキョロと辺りを見回してから、
「エリオスさん。この近辺に、エルフでも出たってことでしょうか?」
といって、背後の巨漢に戸惑うような視線を投げかけた。
「考えられませんな。森からは大分距離がある」
「ですよね……」
「海というのも、理由が分かりませんな。なにか別の現象だったか、或いは彼の見間違いか……」
嘘つき呼ばわりとは心外な。かと言って、状況がいまいち飲み込めず、口を挟めないので黙っていると、
「……失礼ですが、本当に炎は沖合いで上がったんですね?」
「ええ、まあ……」
ブリジットに改めて念を押され、尻込みをしつつも但馬は肯定した。
兵士たち二人は顔を見合わせる。
「どういうことでしょうか……」「もしかして……」「でも……」「だったら……」
そして二人は但馬を置いてけぼりにして、難しい顔をしながら喧々諤々やりはじめるのであった。
何だろう……そんなに自分はおかしなことを言ったのだろうか?
分からないので答えようもなく、引きつった愛想笑いを浮かべながら、但馬は肩を竦めて様子を見守った。下手に口を挟むとボロを出しそうだったから、出来るだけ目を伏せて視線を合わさないようにしていた。なんだか、職員室で先生に怒られている生徒の気分みたいだ。
それにしても……エルフである。今、確かにブリジットはエルフと言った。
さっきご退場願ったイルカも言っていたが、どうやら本当にこの世界にはエルフが存在するらしい。正直言ってこんなわけの分からない世界にいつまでも居るのは御免であったが、もしも胸の小さなエルフに会えると言うのなら……いや、胸の大きさは関係ない……エルフに会えると言うのなら、是非会ってみたいものである。
しかし、二人の様子を見ていると、どうやら彼らはエルフに相当警戒しているようだった。もしかして但馬が想像しているよりも、ずっと危険な存在なのだろうか? そう言えばキュリオも、人間はエルフの実験動物だったとか何とか言ってた気がする……エルフには会ってみたいものだが、興味本位だけで近づいたら、人体改造とかされちゃうのだろうか。その点詳しく聞いてみたい気もするが、無知をさらして変に勘ぐられても事である。今は黙っているのが得策だろう。
それより……キュリオで思い出したが、自分の目の前には、まだ半透明なメニューウィンドウが出ていて視界の半分を埋めているのだった。いい加減、これをどうにか出来ないだろうか……さっきまでは独りだったから良かったものの、人と話すようになった今となっては邪魔で仕方ない。
但馬がメニューを消そうとして、頭を叩いたり首を捻ったりしていると、ようやく話を終えたブリジットがこちらへ向き直り、
「話の最中にお待たせして申し訳……って、何してるんですか?」
「いえ、別に」
もの凄い胡散臭そうな目つきで見ていた。但馬は頭をぶんぶん振るって愛想笑いを浮かべた。残念ながら、メニュー画面は未だに消えてくれない。さっきチュートリアルを中断してしまったが、やっぱりちゃんと最後まで聞くべきだったか……しかし、そうすると自分は木の槍一本で彼らと戦わねばならなかったはずだし、いくらなんでも、それは無謀だろう。
ブリジットは気を取り直すように続けた。
「目撃情報には感謝します。ところで念のためにお聞きしますが、あなたはこちらで何をしてらしたんでしょうか」
今度は何を聞かれるのかと思えば、まんま職質であった。そりゃまあ、こんな場所に独りで居たら、そう問われても仕方ないだろう。
しかし、どうしよう? 真面目に答えたら病院送りにされそうである。いや、この世界がどんなところか分からないから、下手すれば悪魔憑きとか呼ばれて処刑だってありうる。やはり、ここはある程度の虚構を交えるしかないだろう。
何か上手い誤魔化しは無いものか……と、周囲を目だけで探っていると、先ほど放り投げた木の槍が目に飛び込んできた。これだ。
「えーと、この木の槍でですネ? こう、ドスッと、獲ったど~! と、やろうかと……そう! 銛突き漁ですよ。人気の無い浜辺の方が、魚も警戒心が薄いですから、それでこんな辺鄙な場所に居たわけです。はい」
咄嗟に出た作り話だったが、我ながら中々機転の利いた言い訳である。但馬は内心ほくそ笑んだ。
兵士たち二人も納得いったらしく、目配せをし合うと、すぐに警戒を解いてリラックスした口調で続けるのだった。
「そう言うことでしたか、分かりました。でも、独りでこんな場所に居るのは危険ですよ。なにかあってからじゃ遅いですし」
「いやあ、魚を追ってるうちに夢中になっちゃって……歩いてるうちにここまでね、来ちゃったわけですよ。そうそう、街は、あっちだったっけ? あっちの方からね、テクテクとね……」
とか言いながら、適当に彼らがやってきた方角を指差してみた。特に不審がられたりもしないので、恐らくそっちの方に街があるのだろう。
よし、彼らが去ったらあっちへ向かおう。上手く情報を引き出せて儲けものである。
とまれ、これ以上話を膨らませて彼らに不審感を持たれるのも得策でないので、但馬は口を噤んだ。正直、せっかくのファースト村人であるから、他にも色々聞きたい気持ちはあったが、そのファースト村人が官憲では、お世話になるのはリスクが高すぎるだろう。
「それじゃ、俺はそろそろこの辺で……」
「あ、待ってください。街へ戻るのでしたら、ご一緒しましょう」
「いえいえ、お手を煩わせてもいけませんし」
と、但馬は断固拒否の姿勢を貫こうとしたのだが、
「いえ、申し訳ないのですが、ここは前線にも近いですし、放ってはおけません。休戦間近とは言え、わが国が未だ戦争中なのはご存知ですよね?」
「え……戦争!?」
思いもよらない単語が出てきて、素っ頓狂な声を上げてしまった。なにそれ、聞いてないぞ?
しかし、そう言えば最初ブリジットが名乗りを上げたとき、何とか軍とか言ってたような覚えもある……とするとあれか? この人たちはガチで軍隊なのか。RPG的な、居ても居なくても何も困らないような兵士と言う名のモブキャラなんかではなく、お国のために、この近辺で大規模戦闘を繰り広げていると言うのだろうか。物騒なファンタジー世界である。
しかし、よくよく考えても見ればファンタジー世界は割りと戦争ばっかりしているものだった。定番は魔王軍とかだが、人間同士の国家間戦争だって珍しくはないだろう。国際テロ組織の傭兵が主人公のゲームもあった……確か、あのゲームは300万本売れたんだっけか。
そんな風に考えつつ、ハッと我に返った但馬であったが、時既に遅しのようだった。戦争と聞いて変な声を上げたせいで、目の前の兵士たちに警戒心を抱かせてしまったらしい。
「……いくらなんでも、戦争のことを知らないなんてあり得ませんよね。あなた一体どこから来たんですか? リディアの民じゃありませんね」
気がつけばブリジットの手が剣の頭に乗っていた。但馬より一回りも二回りも小さいのに、やけに威圧感を感じさせて冷や汗が垂れた。すぐに抜く気は無いが、場合によっては容赦しない……といった風体で、彼女はじっと但馬を見つめている。なんなんだ? この迫力は……
但馬はごくりと生唾を飲み込んだ。敵と思われたらマズイ。あたふた大慌てで言い訳した。
「わあ! 俺は別に敵国人じゃないっすよ!?」
「見れば分かりますよ、そんなこと……で、どういうことなんですか」
しかしその必要は無かった。どうやら見れば分かるらしい。見た目がしょぼいからか?
……ともあれ、訝しんではいるが危険とは思われてないようである。ならば、まだ言い逃れも可能であろう。
自分がどこから来たって? こっちの方が聞きたいくらいだったが、取りあえず、これ以上疑われては困るので、但馬は最初にキュリオが言っていた設定を思い出し、
「えーと、実は俺、南方の島国から商船に乗ってやってきたんですけど、酷い大嵐に遭って船が難破し……」
と、イルカが言っていた設定を、そっくりそのまま喋っていたのであるが、
「船が難破? 本当なんですか、それ」
「信じられないかも知れませんが……」
「ええ、まあ……そのわりには服が綺麗ですし……」
「げふんげふんっ!!」
ぐうの音も出ない言葉に、思わず咽た。
あかん。これは嘘に嘘を重ねていくパターンに嵌まってる。
あのイルカ野郎……やっぱりあのチュートリアルは罠だったに違いない。思えば徹頭徹尾、役に立たない説明だらけだった。おまけに、MPをスッカラカンにまでしてくれたし。まあ、魔法なんて、威力が強すぎて使う場面が想像つかないから良いのだけど。それよりどうしよう、この人たち、メッチャ怪しいと思ってるよな……
「分隊長……」
そんな風に、但馬が冷や汗でびっしょりになってると、彼のそんな姿を見て何かを思いついたのか、後ろに控えていた巨漢が進み出て、ごにょごにょとブリジットに耳打ちした。
彼女はそれをフンフンと頷きながら聞き終えると、
「あっ……ああ~、あれですかあ……」
と何かに納得し、それから慈しむような、それでいて哀れむような、なんともいえない絶妙な笑顔で但馬に言うのであった。
「分かりました。それじゃあ、そう言うことにしておきましょう」
「おい、何が分かったんだ。そんな哀れむような目で見るのはやめろ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「良いんですよ、そう言うのがあるって聞いてましたし。リディアは移民の国。信仰の自由は、王にも大臣にも保障されています。安心してください」
なんだか微妙な言い回しである。一体、自分は何を言ってしまったんだ? どうしよう、やっぱり本当のことを話した方が良かったのだろうか……? お嬢さん、あなただけに特別にお教えしましょう。実は自分は異世界からやって来て、云々……駄目だこりゃ。
但馬が渋面を作り戸惑っていると、
「ではご案内いたしましょう、勇者様。街はあちらになりますよ」
ブリジットは苦笑しながらそう言い放ち、これ以上話していても時間の無駄だと言わんばかりにその場を後にした。
なんだか凄いバカにされてる気分である。それと……
「勇者様?」
RPGではお馴染みの単語が出てきて但馬は反応に困った。どうしてそんな言葉がいきなり出てきたんだろうか。
「……どうした? 街へ向かわないのか……まあ、おまえの好きにすれば良い」
立ち去るブリジットをポカンと見つめていたら、残っていた巨漢が重低音を響かせて厳かに言った。話の流れからして、この男が何かを入れ知恵したのだろうが……
彼は但馬を見下すように一瞥したあと、ノッシノッシと巨体を震わせてその場を去った。砂浜の上では、弓を担いだ従者らしき男が、3頭の手綱を握って退屈そうに欠伸をしていた。
おまえの好きにすれば良い……とは、ここに留まりたいならそれでも構わないと言うことだろう。つまり、彼らは但馬にもう用は無く、無罪放免、もしも望むなら街へ案内してやっても良いと言ってるようだ。
色々とボロを出してしまった今となっては、この場で兵士たちと別れる方が得策とは思えなかった。彼らは明らかに但馬のことを怪しいと見ている。なのに見逃してくれるらしい。
何がどうしてこうなったかは分からないが……但馬は肩を竦めると、彼らの後に従った。