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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
42/398

ああ、貴族の遊びですか

 街の手前で駐屯地に戻る小隊と別れ、但馬とエリオスは市街に帰ってきた。護衛が少なくなってしまったので、仕事を半分にして切り上げてきたのだが、本社に戻ると留守番の少年フレデリックは何も言わずに出迎えてくれた。


 不良社員(トー)はまだ帰ってきてないようで、大方どっかで暇でも潰しているのだろう。直帰して良いと今朝方言ってしまったので、今日はもう捕まることはないだろう。ちょっとした用事があったのだが仕方ない。


 エリオスに馬を返してもらい、その間に但馬は工場の方へと向かった。


 工場は市街中央に流れる河川敷に隣接して建てられており、周囲では一際大きな敷地面積と、一日中絶え間なく黒煙を上げ続ける煙突が目立つ、巨大な建物だった。尤も、中身はまだまだすっからかんで、将来のライン増強を見据えて必要以上に広いスペースを確保したのだが、実際に稼働してるラインは現在のところ石鹸の1ラインだけだった。


 石鹸製造ラインは工場の十分の一くらいのスペースにコンパクトに纏まっていて、紙漉きの方が人手もスペースも使うものだから、傍から見たら紙のほうに力を入れているのかと勘違いされそうだが、現状のS&Hの主力商品は石鹸の方であり、紙の方がついでだった。


 ヴィクトリア峰にはエルフが存在しなかったので、恐らく竹林にエルフは入ってこれないと踏んでいた。だから国に竹林を市内に持ってこれないかと提案したのだが、やはりそれには抵抗があるらしく、却下されてしまった。となると材料の確保が難しく、結局製紙の方は従来通りの農作物のカスなりなんなりを使っているのだが、これだって無尽蔵に手に入るわけではない。


 収穫期によって生産量はまちまちなのだし、これを発酵させて堆肥を作ったりもしてるそうなので、全部は売ってくれないのだ。そんなわけで製紙製作の方は材料が手に入ったら作ると言った感じになるせいで、規模が小さいくせに昔ながらの人力で行わざるを得ず、無駄にスペースを食っていた。


 この辺も改善しないとなあ……と横目にちら見しつつ、但馬が事務所に入って行くと、休憩中でくつろいでいたらしい、シモンの親父以下工場の事務員が慌てて立ち上がった。抜き打ち検査か何かかと思ったのだろうか。もちろん、そんなわけないので立ち上がらないでいいよと手で制す。


「社長、どうしたんだい。今朝は直帰するって言ってたが……」

「事情が変わりましてね、帰ってきました。んで、時間もあるし、ちょっと思いついたことがあって相談に来たんですけど」


 但馬が軍人たちと話していた際に思いついたことを説明すると……開発要員で工場に詰めさせている若手の技師が首を捻って言った。


「カードゲーム……ですか」

「知らない?」

「チンプンカンプンですね」

「ゲーム自体、あんまり馴染みがないんだろうか……将棋とかチェスとか無いんかね。こう、基盤に駒を配置して、交互に動かしてく奴」

「ああ、貴族の遊びですか……なんか、それっぽいものが本国にあるとかないとか、聞いたことはありますね」


 また本国か……どうもリディアと言うのは、やたらと科学技術で進んでいることを自慢したがると思ったら、こういった娯楽や芸術面などが疎かになってる裏返しのようである。貴族の遊びという言い方からしても、馬鹿にしてる雰囲気がプンプンする。


 職住が満たされているとは言え、やはり危険の多い土地柄だし、戦争中でもある。開拓時代のアメリカみたいなもので、そう言った方面に労力を割く余裕がまだまだないのだろう。


「俺の友達の軍人さんがさ、前線で暇つぶしの道具が欲しいって言ってて……無いんなら作って流行らせようかと思ってね。多人数で出来てボードゲームみたいにかさばらないし。そんで軍隊に売り込んでみようかと」

「なるほど、それはきっと喜ばれますよ」

「で、同じ絵柄のカードを何枚も作らないといけない。カードの模様を印刷するための、版画職人みたいな人に、誰か心当たりないかと思って来てみたんだけどね」

「印刷……ですか?」


 世界の三大発明と言えば、火薬、羅針盤、活版印刷である。当然、但馬は会社で紙を作ってる以上、活版印刷のことは前々から考えていた。書籍を発行し、紙の需要を増やせば、国も植林についてもっと真剣に考えてくれるかも知れない。


 だが、そもそも識字率が低い世の中で、果たして需要があるだろうかと後回しにしていた。但馬としては教育方面に力を入れていくつもりはさらさらなかったし、リディアではあまり流行らないんじゃなかろうかと思ったのだ。


 だが、印刷技術自体はあってもいいだろう。今後、商品のパッケージなどを作る機会もあるかも知れないし。それで訪ねてみたのだが、案の定と言うべきか、元々紙がなかった世界では印刷も版画も馴染みがないらしく、但馬の言っていることが半分も理解できていない感じだった。


「まあ、百聞は一見にしかずだし……要するにこういうことなんだ」


 わからないなら実演するのが手っ取り早い。但馬は手近にあった紙を手に取ると、4つ折りにしてから適当にハサミを入れて、紙の真ん中に幾何学的な模様の穴を開けた。


 そして、それを別の紙にかぶせておいて、上から絵筆で塗りつぶしていくと……下の紙に繰り抜かれた幾何学模様だけが書き込まれると言う寸法だ。


「こうすれば、同じ模様を何枚も描けるでしょう? 型板(ステンシル)っていうんだけど、金属使ってこういうのを作れる職人に心当たりがないかなって」

「ああ、それなら、S&H(かいしゃ)の看板を作った爺さんが居るが……あの爺さん、元々金細工師なんだよ。だからそう言うのは得意そうだが……今ギックリ腰やっちゃっててな。まともに動けないようなんだ」

「ありゃりゃ……他に似たようなこと出来る職人さんはいないんですか?」

「倅がいるが、爺さんと比べるととてもとても……」

「そうですか……それじゃ仕方ありませんね」


 但馬はあっさりと引いた。


「いやにあっさり引くな。何か他に良い方法でもあるのかい」

「ええ、ちょっと思いついたんですけど。金型じゃなくても、要は壊れないか、複製が容易ならいいわけじゃないですか……前々から頼んでおいたあれ、どんな感じ?」


 若手技師はそう言われるとコクコクと頷いて、奥から色のついたガラス瓶を持ってきた。作っておいてくれと頼んだのは『硫酸』である。


 塩酸、硝酸と共に現代では工業用途で大量に使われる硫酸であるが、火山帯で硫黄の産地であるリディアだから、硫酸は意外と手に入りやすいかと言えば、実はそうでもなかったりする。


 この手の強酸は、やはり天然には存在せず(物凄い特殊条件下ではあるそうだが)、硫酸塩という鉱石の形で存在しているのが殆どである。純粋な硫酸を得るには、硫黄を燃やしたり、硫酸塩鉱石から発生する亜硫酸ガス(SO2)を触媒を使って酸化し、出来た硫酸ガス(SO3)を水に溶かせばいいのであるが、これを設備の整ってない状況で一気にやろうと思うと、ぶっちゃけ爆発する。


 爆発というか、あまりの熱反応により水が突沸(とっぷつ)してしまうので、これを避けるために、硫酸を作る時は、発生した硫酸ガスを、希硫酸にゆっくり溶かして濃度を高めていくのが一般的なのだ。


 が、そもそもその希硫酸すら無いので仕方なし、初めは水に溶かすためにちょっとずつちょっとずつ行うことにして、その地道な作業を頼んでおいたのだ。


 ミョウバンや緑礬(りょくばん)(硫酸鉄)などの硫酸塩を乾留(かんりゅう)(空気を絶った状態で熱を加え、熱分解を促す)すると、硫酸ガスが発生する。あとはそれを大量の水に溶かしていくという人類最古の方法を取ることにしたのだ。かなり面倒くさい作業だが、一度出来てしまえば、今後は硫黄から作れるのでコスト的にも労力的にも楽になる。


 そもそも硫酸自体、なんで欲したのかと言えば、発電設備の予備電源としてのバッテリーを欲したからなのだが……


「この希硫酸とグリセリンを混ぜた溶液に紙を浸すと……」


 グリセリンはパルプ製造の副産物で大量に発生するのだが……さて、この溶液に暫く浸すと、紙の表面が変質してきて……


「なんか、透き通ってきてますね……」


 硫酸から作るのでこれを硫酸紙と呼ぶが、トレーシングペーパーやクッキングシートと言えば分かるだろうか、あの半透明のツルツルした紙が出来上がるのだ。


「半透明の紙か」

「ええ、半透明だから他の紙に書かれたものを、直接なぞるように模写したり出来ます。だから一つデザインが決まったら、これでステンシルを何枚でも製作が可能ってわけです」

「ああ、なるほどなあ」

「あとは、これで作ったステンシルを、綿紗(ガーゼ)のような網目状の布に貼り付けて……木枠でピンと固定したら、印刷したい紙の上にセットして」


 ガーゼの上にインクを塗り、それをスキージーと呼ばれる窓拭きなどに使われているT字のヘラで、ぐっと力を込めて漉くと、インクがガーゼの網目を通って下に押し出されて、紙に模様がプリントされて出てくるという仕掛けだ。


 これをシルクスクリーン印刷と言う。かつて綿紗の代わりに(シルク)で行われたからそう呼ばれた技術である。


「俺の国だとTシャツのプリントなんかに使われてたんですけどね……手軽に同じ絵柄を何枚も刷るのに便利なんで。トランプもまだ売れるとは限りませんし、最初はこんな感じで試作品を作ってみましょう」

「なるほどなあ。よくもまあ色々と上手い手を思いつくものだ」


 と、シモンの親父は呆れたような感嘆の言葉を呟いた。


 トランプ製作にある程度の目処を付けて、但馬は工場から出た。トランプを作るにしても絵心のあるデザイナーが必要だし、シルクスクリーンのために、もっと丈夫できめの細かい綿紗(ガーゼ)も欲しいので、農園のオジサンに相談してみようと思い、街から出ようと歩き出した。


 日はまだまだ高いが、そろそろ夕方だ。農園で用事を済ませてから水車小屋に行けば丁度いい頃合いだろう。それにしても、今日はうっかり死にかけてしまったが、ブリジットが居なければやばかった。


 もしも自分が死んだら、アナスタシアはどうなってしまうんだろうか……


 もう独り身というわけにもいかないのだし、気をつけねば。そんなことを考えながら、工場の敷地から外に出たら……


「おい……ブリジット」

「うっ……!?」


 何だか知らないが、工場の中を覗こうと、壁に向かってぴょんぴょん飛び跳ねているブリジットを見つけた。


 彼女は但馬に見つかると、バツの悪そうな顔を見せてから、取り敢えず挨拶でもしようと挙げた手をパタパタさせたが、きっと気の利いたセリフが全く思い浮かばなかったのだろう、アウアウと言葉にならないうめき声を漏らし、硬直した愛想笑いを見せた。


 きっと色んな言葉が頭のなかで飛び交っていて、何も言葉が出てこなくなっちゃったのだろう。そんな感じだ。


「森で軍隊と出くわしたら、いきなり逃げ出したかと思えば……聞いたぜブリジット、おまえ、除隊したんだって?」

「うぐっ」


 が、彼女のそんな繊細な仕草などお構いなしに但馬がそう言い放つと、彼女は言葉に詰まった感じで頬を引きつらせるのだった。


「道理で、最近やけに街で見かけるなと思ってたんだ。どうしたってんだい、一体」

「いや、それはその……」

「まあ、女の子がいつまでも軍隊にってのもあれだしな。やめるのは良いと思うけど、それにしてもいきなりだな」

「うっ……すみません」

「別に俺に謝られても……エリックとマイケルがすげえ困ってたぜ。今度会ったらちゃんと謝っておけよ。にしても、ホントどうしたんだ? やめたこと、お父さんお母さんは知ってるの?」

「えーっと……」

「なんか困ってることあんなら相談乗るぜ? っていうか、こんなところで何してたんだ。うちの工場に何か用事でも……あっ、そういや、あいつらも言ってたけど、おまえうちの会社に入りたいの? もしかして」

「うっ……」


 但馬が一方的にべらべら喋るものだから、ほとんど何も言えずに居たブリジットは固まった。尤も、但馬が何も喋らなくても、彼女は何も言えなかったろうが。


 ともあれ、但馬がそう言うと、ブリジットは図星だったので渋々と、


「えーっと、はい、実はちょっとだけ興味があって」


 と肯定した。但馬はそうだろうそうだろうと、首をカクカクさせながら、


「道理で最近良く見かけると思ったぜ、水臭いなあ、そうならそうと早く言ってくれよ。おまえなら大歓迎だ。いつから来れる?」


 先走るように但馬が喜々として言うと、ブリジットは困ったように首を振るった。


「いえ……確かに私は先生の会社に入りたいんですが……」

「ん? なんだよ。なんか問題有るのか?」

「はい。実は家の都合で、私は民間の会社には就職出来ないんです」

「家の都合で……?」


 なんじゃそりゃ? と初めは戸惑ったが、すぐにピンときた。


 そう言えば、ブリジットは王族だった。軍隊に居たくらいだから、どうせ末席なんだろうが、王族故に下手に民間企業に勤めたりして、下々の者の部下になるわけにはいかないのだろう。


 正直、軍隊は良くて自分の会社は駄目と言われると腹も立ったが……恐らくは官公庁とか、国に仕える格好なら問題ないのだろう。


「そうか。なんか知らんが、それじゃ仕方ないな」

「はい……つい、勢いだけで除隊したまではいいものの……にっちもさっちもいかなくなって……」

「これからどうすんだ?」

「……このままだと、私ずっと無職ですし、どうにか許してもらえないかと毎日説得してるんですが……中々うんと言ってはもらえなくて」

「うーん……」


 そうまでして自分の会社に入ろうとしてくれたのだと思ったら、普通に嬉しかったが、しかし彼女の家柄から恐らくは無理なのだろう。


 一応、但馬は王様とも懇意にしてもらってるので、機会があったらお願いしてみても良いのだが……しかし、家族の問題に首を突っ込むわけにもいくまいし、可哀想だが助言までに留めるのがベターかも知れない。


 但馬は腕組みをして、難しそうな顔をして言った。


「なんとかしてやりたいが、こればっかりはな」

「はあ……」

「しかし、家の都合で無職はきついな。稼ぎがないと、ますます家の都合に振り回されることになるし……今更、軍隊に戻るってわけにもいかないよな」

「流石に、今更……部下たちも怒ってるでしょうしね」


 まあ、あの感じでは怒ってるとは言っても、二三文句を言えばそれで済みそうな感じであるが。


「いずれ何かお詫びしないといけませんね」

「まあ、普通に頭下げて謝るだけで許してくれると思うけど……」


 といったところで、但馬はふと思いついた。


「いや待てよ……? 一発で許してくれる方法があるかも」

「え? そんな方法が??」

「え? あ、うん……まあ」

「どんな方法ですか?」

「いや、それは……まあ、そうね……」


 しかし、その方法を直接本人に言ったら確実に拒否されるだろう。


「一体、どんな方法なんですか? 教えてくださいよー!」


 ……と懇願するブリジットを尻目に、但馬はあらぬことを考えていた。


 前線兵士の暇つぶしのためにトランプを作ってみようと思っていたが……どうせなら、あの時思いついたもう一個の方に手を出してみるのもいいんじゃなかろうか……


 何かって? そう、エロ本製作の方である。


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