ホイミどころの騒ぎじゃねえ
エリオスは自分の倍はありそうなグリズリーを、弾丸のような素早さで叩きのめすと、バランスを崩す獣に尚も容赦無い一撃を浴びせた。
ブォォ――ッ! っと、ハンマーらしからぬ風切り音と立てながら、スレッジハンマーが巨大な獣の肩に突き刺さる。
メキッと音を立てて肩が砕けると、グリズリーは物凄い咆哮を上げながら襲撃者を睨みつけた。片方の腕がだらりと下がって血が噴き出している。
熊は地面に転がりジタバタと体を震わせると、残った片方の手をめくらめっぽうぶん回して、襲撃者を殺すためだけの攻撃を続けた。
追い詰められた獣の必死の抵抗に流石のエリオスも受けきることが出来ず、距離を置こうと一歩退くが……しかし、その必要は無かったかも知れない。
次の瞬間、グリズリーはミンチになっていた。
「先生! 先生!!?」
緑色に淡く光る刀身が獣の血を吸い、蒸発してジューっと音を鳴らした。白煙と、血の焼ける気持ちの悪い臭いが辺りに充満する。
ブリジットは転がる肉塊を蹴っ飛ばすと、倒れこむ但馬に駆け寄った。
骨折の影響で貧血を起こしているのであろう。顔色は真っ青を通り越して土気色をしている。唇は紫色で半開いており、耳をあててみると辛うじて呼吸はしているが、肺を押しつぶされているのだろうか、それはとても弱々しかった。
「姫っ! ヒーリングを!!」
怒鳴るようにエリオスに言われ、ハッと我に返ってブリジットは唱え始めた。
「我が父よ 救いの神よ 急ぎ来て助け給え 十字架の主を信じる民を……聖なるかな 聖なるかな……」
筋肉が弛緩して手足がだらりと垂れ下がった但馬を、エリオスが必死に森から引きずりだした。ブリジットはそれを追いかけながら呪文を唱え続け、ボーッとした緑色のオーラが但馬を包むと、やがて彼は息を吹き返して、
「ゴホッ……ゲホゲホ……」
と血を吐き出した。
あらぬ方向にひしゃげた腕を、二人が力いっぱい引っ張って骨を継いだ。曲がった背骨を戻そうと、背中をぐいぐい引っ張ると、メキメキと気が遠くなりそうな音が鳴り響き、但馬は物凄い叫び声をあげたが、恐らくは意識は無かったろう。ブリジットが慌ててヒーリング魔法をかけると、そのままぐったりと意識を失い、彼は荒い息をしながら苦しそうに眠ってしまった。
「どうして? なんで? この人があんな動物ごときにやられるなんて……」
顔面蒼白なブリジットが、ブルブルと震えながら呟いた。
彼女ならあの一瞬に、但馬の元に詰め寄って彼を助けることが出来たはずだった。しかし、ヴィクトリア峰であれだけの力を見せたこの男が、無防備に突っ立っているのは、きっと理由があるのだろうと……彼女は警戒心を抱くこと無く、ぼんやりとそれを見つめたまま、一歩も動くことなくそれを見過ごしてしまった。
「姫よ……社長は、勇者様と違って驚くほど弱い。同一視してやるな」
愕然として佇むブリジットに、ようやく人心地ついたエリオスが言った。
「俺も、初めは戸惑った。だが一月も付き合ってみれば分かる。社長は歩法もなっていないし、武器を持たせても下手くそ、体力もない、非力で脆弱で警戒心が全くない」
「そんなまさか!?」
「信じられないかも知れないが事実だ。初めは俺なんぞが護衛など、おこがましいとさえ思っていた……だがどうやら、無理を通して正解だったらしい。この男は誰かが守ってやらねばならない」
エリオスはため息混じりにそう言うと、どっかとその場に腰をおろして頭を抱えた。
「油断した。今日は姫も居るから大丈夫だと、目を離したすきに……まったく、せめてもう少し自分の実力を理解して、警戒してくれればいいのだが……無警戒にちょろちょろちょろちょろと……」
但馬はレーダーマップがあるせいか、傍から見るととんでもなく無防備だった。エリオスは何度も口を酸っぱくしてその姿勢を正したのであるが……実際、索敵に関しては彼の足元にも及ばなかったため、結局強くは言えなかった。それが今回の失敗に繋がった。
ブリジットが居たから油断したのであるが、そのブリジットが居なければ但馬は死んでいただろう。エリオスは何も言えず、自分の失敗を悔いながら、地面にへたり込むしかなかった。
「で、でも……それじゃあのヴィクトリア峰での力は一体? 確かに私たちは見たじゃありませんか。あれが夢だったとは思えません」
「ああ、姫よ……確かに俺達が見たものは本物だ……俺はあの後も、何度も社長の魔法を目撃している」
「だったらなんで? 勇者様の伝説もかくやと言わんばかりの実力を、この人は持っているはずなのに」
「だが、社長は自分の力を使いたがらないのだ」
「え?」
エリオスが護衛になってから、但馬はよく彼を引き連れて、街から遠く離れた森の近辺まで遠出するようになった。暇さえあれば、そうして人の居ない場所までやって来て、そして徐ろに魔法の試し打ちをするのだった。
初めはその魔法に見惚れていたエリオスであったが、それが何度も続くと今度は一体何をやっているのだろうかと気になった。すると彼は、
「魔法を撃ち尽くしてるんですよ」
と、予想外の答えを返した。
ヴィクトリア峰で森を焼きつくした但馬は、ローデポリスに帰ってくると、自分の魔法について調べ始めた。そもそも、エルフを倒そうとは思いはしたが、森まで焼き尽くそうなどとは思っていなかった。それがどうしてあんなことになってしまったのかと言えば、実は但馬が手加減を出来なかったせいなのだ。
あの時点で但馬のMPがどのくらい増えていたかは、それを全く意識してなかったから分からないのだが、少なくとも100は優に超えていただろうと思う。但馬はあのとき、そのMPを全部使ってしまったのだ。
リディアの海岸で初めて魔法を放った時……水平線の向こうで核兵器レベルの爆発が起きた……それに匹敵する爆発を森のなかで起こしてしまったわけである。
さらにレベルが上がり、MPが増える一方の但馬は、流石に手加減を覚えないとやばいと思い、魔法の使い方を工夫しようと色々試したのであるが……
「なんか俺、手加減出来ないみたいで。うっかり街中で撃っちゃったらやばいでしょ? で、惨事にならないように普段から無駄撃ちしとこうかと……」
理由を聞いたエリオスは唖然として舌を巻いた。
但馬は魔法を使うとMPを根こそぎ持ってかれるらしい。MPは一日に10前後回復するのだが、その10でもかなりの大魔法になってしまう。100や200となったら目も当てられない大惨事になりかねないので、彼はいつもMPがすっからかんになるように心がけていた。
それでは自分の身を守ることも出来ないではないか? とエリオスが言うと、
「それじゃエリオスさんが守ってよ」
と言われては、もとよりそのつもりだったので何も言えず、釈然としない物を抱えたまま現在に至っているらしい。
どうして自分が不利になることを進んでやっているのだろうと、ブリジットは地面に横たわる但馬を見ながら眉を顰めた。現代人の但馬からしてみれば、それは普通の感覚なのだが、こちらの世界の人からすればそれは真逆なのだ。
当たり前だが中世世界ではまず生き残るのが肝心だ。自分がいつ死ぬかわからないのに、他人の心配するようなものは愚かとしか思えない。なのに、あれだけの力を持っておきながら、それを使わない道を選ぶとは……ブリジットにはさっぱり理解出来なかったが、それでも他者を思いやるその慈悲深さは尊いものだと思った。
やはり、この人は神様の化身かなにかに違いない……そして、彼がそうしたいのであれば、自分が彼を守らねばと……その決意はますます強くなっていくのであった。
それから1時間ほど経って但馬は目を覚ました。彼は突然ガバリと起き上がると、キョロキョロと周りを見回し、次いで自分の体を見てから、何故か顎をさすりつつ、
「キレテナーイ」
と言ってニヤリと笑ったかと思うと、今度は頭を抱えて地面をのたうち回った。
おかしい……絶対死んだと思ったのに。少なくとも、次に目が覚めたら絶望的な状態でベッドに縛り付けられていて、生きているのを後悔するとか、そんな感じだと思ったのだが……但馬はどう見ても自分の体がピンピンしていることに戸惑った。
散々心配していたのに、何やってんだこいつ……と、唖然と見守るブリジットに、
「……ここは天国か? おまえらも死んじゃったの?」
「そんなわけ無いじゃないですか」
「俺……なんかえらい方向に身体がねじ曲がってたと思うけど?」
「曲がってましたよ。死ぬんじゃないかと思いました。もう大丈夫ですか?」
当たり前のように言い放つブリジットにドン引きする……あれー? じゃあどうして自分は何事も無かったように無事でいるのか……と考えたところで、ようやくピンときた。そう言えば、彼女はヒーラーだった。
「……信じられないんだが、寧ろ朝より快調なくらいだぞ」
「そうですか……それなら良かった」
ブリジットは安堵の溜息を漏らした。
「これ……ブリジットがヒール魔法かけてくれたの??」
「ええ、まあ」
すげえ……ヒール魔法、マジぱねえ……ホイミどころの騒ぎじゃねえよ。ベホマだよベホマ……
但馬は改めて自分の体中をペタペタと触って無事を確認すると、ホッとするよりは、寧ろ戦慄して背筋が震えるような思いをした。
奇跡だ魔法だと一口で言ってしまえばそれまでだが……どう考えたっておかしいだろう。自分はいつからプラナリアになっちまったんだ? まともな回復力ではないぞ。
マナだのCPNだの、元の世界に通じる新発見があったから、ついつい忘れていたが……そう言えば、この世界にはヒールとか言う、ギャグみたいな力もあった。
以前、エリオスの指が飛んだと思ったら、魔法でニョキニョキ生えてきたことがあった……他人事だったから奇妙に思いつつも受け入れられたが、自分もそれと同じ体になっちゃったんだと思うと信じられないし、不安にもなった。
これもやっぱりマナの仕業なのだろうか? しかし、こんなのナノマシンでどうこう出来るレベルじゃないだろう。体の仕組み自体がどうにかなってなきゃ無理だ……だとしたら、自分はいつそんな改造手術をされちゃったのだ?
一体、どうなってやがる……??
実はやっぱりマナの正体はCPNなんかじゃなくて、この世界は不思議法則が支配する魔法世界なのだろうか。自分の体もタンパク質で出来ているように見えて、全然別の物質なのだろうか……
色々わかったような気になっていたが、積み上げてきた論証がガラガラと音を立てて崩れ去ったような気分になった。
但馬の知識が通用するのを見る限りでは、物理法則は地球に準じるようなのだが……しかし異世界としか思えないような謎の現象が次々と起こっては、彼を悩ませる。一体全体、本当にこの世界は何なのだろうか……
「社長……」
新たな疑問に頭を痛めていると、エリオスがずずずいっと近づいてきた。顔が近くて思わず仰け反る。
「社長。やはり君は少し警戒感がなさすぎる。体も脆弱だし、咄嗟の時に全く力を出せないのであれば、今後は森になど行かせられないぞ」
「いや、確かに今回はマジでやばかったけど。普段はちゃんと敵の接近に気づいて回避してるでしょう? 今日だって魔物に気づいてたわけだし……って言うか、なんでその後の熊に気づかなかったんだろ、あれ……迂闊なんてもんじゃないぞ」
「反省は大いに結構だが、もしも今日、ひ……ブリジットさんが居なければ、君は死んでいたところだぞ。やはり、色々と改めるべきなのだ」
「うーん……」
エリオスがご立腹なのはごもっともなのだが、それにしても但馬は自分が気づかなかったことの方に当惑していた。あの時、自分は確かにレーダーマップを出しっぱなしにして、警戒を怠ってはいなかったはずなのだ……
レーダーマップは最大1キロ四方の生体反応を映し出す。なのに、あんな大きな生物が、すぐ側に来るまで気がつかないなんてことはあり得ないだろう。実際、直前の魔物にはずっと前から気づいていたし、登場のタイミングもドンピシャで当てた。
レーダーの調子がおかしいんだろうか? と思って、右のこめかみを叩いて確かめてみるが、レーダーにはブリジットとエリオス、2つの光点がちゃんと映しだされていた。そして森のなかに蠢く何かもいくつか見え……
ヒヒーン!
と、その時、但馬たちが乗ってきた馬が嘶いた。
そう言えば、いつの間にか河岸が変わっていたが、どうやら但馬が気絶している間に、彼らは自分を森の外まで連れだしてくれたらしい。周りはもう森ではなく、見通しの良い平原の草むらだった。直ぐ側には一本の木があって、そこに自分たちの馬が繋げられていた。
「あ……」
そこでピンときて、但馬はレーダーマップを改めて見なおしてみた。レーダーに、馬の反応は無かった。
考えてもみれば、初めてこの世界に来た時、乗馬する近衛兵たちの反応は見えていたが、乗馬までは見えていなかった。騎兵1ユニットみたいな感じで一纏めに見ていたので気にならなかったが、思えばずっと馬の反応は示されてなかった気がする。
もしかして、このレーダーは普通の動物には反応しないのではないか……
そういえば、何も地上だけでなく、空を見上げればそこかしこに鳥が飛んでいるのだが、これらに反応したことも無かった。もしかしたら、それと同じように、あのグリズリーにはレーダーが反応しなかった可能性がある。
「……ちょう……社長! 聞いてるか!?」
と、考えに没頭していたらムスッとした顔のエリオスが怒鳴っていた。怖い。
「ごめんごめん、考え事してました」
「考え事も結構だが、それで注意を疎かにしては困る。君はさっき死にかけたのだぞ? もっと危機感を持ってくれ。前から言っているが……やはり明日からでも、君には剣の稽古くらいつけた方がいいだろうと思う。もし、これからも森や街の外に出たいと言うのなら、絶対にそうしてくれ。もはやこれだけは譲れないぞ」
「えー……いやあ、それはちょっと、業務に支障をきたしたら困るから」
などと言ってはみたが、今回の件は流石に自分も少し堪えた。せめて、ああいった場面に咄嗟に避けるとか、踏ん張る以外の選択肢を取れるように場数を踏んだほうが良いのだろうか?
なんにしても、まさかレーダーが普通の野生動物には反応しないとは、迂闊だった。正直、これに頼りすぎて周囲の警戒を疎かにしていた節はある。エリオスに怒られても仕方ないだろう。
しかし何故これらに反応しないのか。同じ星の生き物なのだから反応しそうなものなのだが……
いや、そもそもこのレーダーは何に反応してるのだろう。光学レーダーとか、サーモグラフィとか、音響センサとか、自分にはそんな便利な機能がついているとは思えない。あるなら直感で分かりそうなものだし。
逆に反応する生命体を列挙すると、人間・亜人・エルフ・魔物と四種類に分類される。では、これらの共通点は何か? もしかして、これまたマナに関係があることではないだろうか……
大気中には満遍なくマナがあるはずだ。人間とエルフ、それと恐らく亜人もマナを使って魔法のような力を発揮する。ならば、マナを利用するための受容体のような、未知の器官が備わっていても不思議ではないだろう。実験マウスの脳みそに埋められた、チップのようなものだ。
レーダーマップがそれに反応していると考えれば辻褄はあう。恐らく、これらの生物にはCPN受容体が備えられており、絶えずどこかにあるサーバーか何かと通信している。但馬のレーダーはそれから位置情報をダウンロードしている、あたかも携帯電話みたいに……と考えればわかりやすいだろう。
本当に、マナ=CPNならばの話だが……
やっぱり、マナ、マナ、マナだ……大体のものがマナに直結する。但馬の仮説もあながち的外れということは無いのだろう。あとはヒール魔法だ。こいつのカラクリをなんとか突き止められないものか……
「……おおぉ~~~いぃ~~!! おお~~ーーーイィーーー!!!」
エリオスの小言を聞き流しながら、尚も頭をフル回転させていたら、遠くの方から呼び声が聞こえてきた。
ここは街のそばじゃない。街から10キロも離れた危険地帯だ。そんなところに一体誰が……?
「おや? あれはリディア軍ですね……どこかの部隊が、魔物の掃討任務で巡回しているんじゃ無いでしょうか」
首を捻っていると、ブリジットが疑問に答えてくれた。どうやら装備でそれと分かったらしい。巡回任務で森に沿って行進していたら、但馬たちを見つけたのだろう。
あちらからしてみれば、但馬たちは相当不審に思われてるかも知れない。下手に刺激しないように、ちゃんと対応した方がいいだろう。
「おーい!」
と言うわけで、返事を返したら……
「おおおーーーいいい!!! 先生ぇ~~~っ! エリオスさ~~んっ!!」
っと、意外にも自分たちの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
誰だろう? と思って目を凝らしてよく見れば、部隊の中でぴょんぴょん飛び跳ねながら、見知った顔が一生懸命手を振っていた。
「おお! エリック! マイケル!」
シモンの友達で、ブリジットの部下の二人である。久しぶりの再開に但馬は大喜びで手を振ったが……
「げっ……」
対して、ブリジットは相手が誰か知るやいなや、エリオスの影に隠れるようにして、バツの悪そうな顔をしていた。