ヨーロッパ遭難編⑮
世界樹の遺跡の中で忽然と消えてしまった但馬波留。その行方のヒントを、犯人はまるで試すかのように現場に残していた。しかし、その内容は古代人には簡単だが現代人には分からないものらしく、リオンは諦めて別の方法を探ろうとしていたが、そんな時、やって来たばかりのアンナが当たり前のように答えを口にしたのだった。
「マンハッタン島って……そういう島が北米にはあるんですか?」
「さあ、知らないけど」
「知らないって……それじゃどうしてアンナはそんな名前出してきたのよ?」
リオンは困惑し、アトラスが首を傾げる。彼女はそんな二人に向かって、
「そういう曲があるのよ。ジャズを聴きにハーレムに行くには、A列車に乗るのが一番だぜって。ウキウキしたリズムの。A列車ってのは、そのハーレムがあるマンハッタン島と対岸をつなぐ列車のことなの」
「へえ……アンナはどうしてそんなことを知ってたの?」
「どうしてって言われても……」
問われたアンナは少し言い淀むように口を噤んでから、不機嫌そうにフンと横を向くと、
「こんなジャズのスタンダードナンバー、知らないほうがおかしいでしょ。音楽を齧ってるんなら誰だって知ってるわよ」
「そういうものなの? ……そう言えばあんた、田舎暮らしが長くてすっかり忘れてたけど、そこそこ名の知れた音楽家だったわね」
そして吟遊詩人と呼ばれ、ギター片手に戦場を渡り歩いた傭兵としても知られていた。アトラスとは、それ以来の付き合いである。
二人の会話を横で聞いていたリオンは、話の途中で端末を操作しだし、すぐにモニターに何かを表示させた。切り替わった画面を覗けば、そこにはどこかの地図が映し出されており、
「……マンハッタン島で検索を掛けたら、古代の都市がヒットしました。そこにハーレムって地区も本当にあったみたいですね。ちょっと待ってください、いま縮小しますから」
彼がそう言って忙しそうに端末を弄ると、段々モニターに表示された地図が小さくなっていき、広域が表示されるとそこに見たことがあるような地形が現れた。それは探検船の食堂に飾ってある、世界予想図とそっくりだった。おそらく、あれもこうして世界樹の遺跡で見つけたのを書き写したものだったのだろう。
リオンは表示された地図を指さしながら、
「現在地はここで、マンハッタン島はここ……大洋の向こう側ですが、丁度中間あたりにグリーンランド基地がありますね」
「どうする? 行ってみる?」
アンナを疑うわけでは無いが、彼女の記憶だけを頼りに目的地を決めるのは、なかなか判断がつかないところであった。そもそも、このヒントは罠かも知れないのだし、彼女の記憶が間違っている可能性だってある。
そしてもう一つ考慮しなくてならないのは、彼らには現在、大洋を横断できるような船が無いことだった。旗艦キュリオシティは辛うじて撃沈こそは免れたが、エンジンが元の出力を取り戻すのは恐らく不可能だろう。そんな状態で、あの怪物が生息する海域を渡るのは自殺行為だ。
かと言って、ここで手を拱いていては、何も得るものがない。
「行きましょう」
リオンたちがどうしたものかと悩んでいると、それまで静観していたブリジットが凛とした口調で決断を下した。
「冒険に危険はつきもの。命が惜しいのであれば、始めから船に乗らなければいいのです。どちらにせよ、ここから一番近いセレスティアに帰るのにだって、海を渡るしか方法はないのだから、何を迷う必要があるというんですか」
「それは……そうですけど……」
「それに先々代は先生に……提督に世界一周をお命じになられたのです。その提督が行方不明のまま、私達だけ国に帰っては物笑いの種ですよ。なんとしても彼を発見し、みんな揃って生還することが出来なければ、我々の航海は成功したとは呼べないでしょう。
既に幾人もの犠牲者が出ています。勇敢に戦って散っていったその勇姿を国元に届けるためにも、我々が立ち止まることなど出来るはずもありません。まずは提督をお救いし、しかる後に船団を率いてもらって、リディアに帰還することにいたしましょう」
そんな彼女の言葉に場は水を打ったように静まり返った。リオンもアトラスも納得は出来ないが、彼女以上の良案もすぐには思いつくことが出来ず、ただ黙って従うしか無かった。
アトラスはこの時、初めて彼女のことを怖いと思った。普段はおっとりとしていて、いつもアンナに邪険に扱われ、どちらかと言えば柔弱な印象のある女性だと思っていたが……考えても見ればこの人は、そのアンナすら子供扱いするほどの強者なのだ。自分のこの目で確かめたはずなのに、どうして見くびるような真似をしていたのだろうか。
難事にあっても部下に自由に議論させ、自分は口を挟まず黙って聞き、議論が平行線を辿ったり、必要となればズバリと決断する。出かける前に父にしっかり勉強してこいと言われたが、これが王者かと彼は感心していた。
***
「馬鹿言ってんじゃねえよ。駄目に決まってんだろ」
遺跡では気圧されてしまったが、王者の威光も通じない者には通じないようである。但馬を救出すべく、ブリジットたちは遺跡の調査を切り上げて船団のもとへと戻ってきたが、これからの方針を伝えた瞬間、トーは彼女の提案をあっさり却下した。
「どうしてですか! 先生のことが心配じゃないんですか?」
「そんな無茶をして全滅したら元も子もねえだろうが」
「そうなるとは限らないじゃないですか。今はリスクを負ってでも、先生を助けに行くべきです」
「素人が、十中八九失敗するに決まってる。絶対に駄目だ」
「……私は先生直々に後を任されたんです。従ってもらいますよ」
「俺はこの船団の副長なんだよ。艦長がいない今、この船団の責任者は俺だ。寧ろあんたにこそ従ってもらうぞ」
「うぎぎぎぎぎ」
二人のやり取りを船の乗組員たちが遠巻きにしながら不安そうに眺めている。実際いくらブリジットが、自分が連れ帰ると粋がっても、船を動かしているのは彼らなのだ。船のことを知り尽くしている彼らが不安がっているのなら、それはやはり無謀なのだろう。
流石にブリジットも雰囲気からそれを読み取ったのか、歯ぎしりしながら黙りこくっている。トーはそんな彼女に、やれやれと肩を竦めながら、
「つっても、但馬の野郎を探しに行くっていうのは俺も賛成だ。あいつが居なきゃ乗組員の士気にも関わるからな」
「え……それって、どういうことです?」
てっきり反対されたのだと思っていた彼女が首を傾げる。トーは鈍いやつだなと言いたげに、
「捜索に船団を付き合わせるのには反対だってことだよ。この船は俺たちの生命線だ。他の2艦が沈んでしまった以上、この船だけは絶対に死守しなきゃならない。あの化け物の件が片付いていない状況で、出航するのは絶対に駄目だ。助けに行くんなら、少数で、別の方法で行くんだな」
「別の方法って……? 何かあてはあるんですか!?」
「無いな」
「無いんなら、自信たっぷりに言わないでくださいよ!!」
ブリジットに怒鳴り返されると、彼は溜息をつくようにタバコの煙を吐き出してから、地面に唾を吐き捨て、そして何事もなかったかのように丸投げした。
「俺には無いが……リオン! 何かうまい方法はないか?」
すると彼は最初からそれを見透かしていたかのように、苦笑しながら歩み出て、
「そうですね。幸い、目的地の中間にグリーンランド基地がありますから、そこまでであれば、船に積んである上陸用舟艇でも横断は可能です。そして地図によれば、そこまで戻れれば、後は陸路でも目的地に行くことは可能だと思われます。
ただし、その場合はどれだけ時間が掛かるか、想像もつきません。未知の大陸を徒歩で移動しようと言うのだから当然でしょう。また、どんな危険が待ち構えているかも分かりません。なので、この方法は可能ではあるけれど、現実的ではないでしょう」
リオンは続けて、
「より現実的なのは、世界樹のところまで飛んで行った時のように、空路を使うことでしょうね。原住民が持っている杖は、どうやらマナをエネルギー源にしているようなので、途中で燃料が尽きるということもありません。やはり基地を経由していけば、操縦者の疲労も補給の心配も軽減されるでしょう。
ただし、この場合は原住民の方たちが協力してくれるという条件付きです。しかし、彼らにとって杖は命よりも大事なものでしょうから、そう簡単には貸してくれないでしょうね」
「やはりそうなるか……」
「ですが試してみる価値はあると思います。どうせ暫くここから動けないのであれば、その件も含めて、長老に相談してみましょう。粘り強く交渉を続けていれば、案外そのうち貸してくれるかも知れません」
「歯がゆいですね……」
自分は何も出来ることがないブリジットは歯ぎしりしている。トーは暫く、考え事をするように空を見上げてから、
「よし……他に方法もなさそうだし、それでいこう。言葉が通じるのはおまえだけだから、原住民の方は頼めるか?」
「わかりました。世界樹の遺跡も気になりますし、僕はまたあちらの厄介になることにします」
そう言ってリオンは一人、原住民たちの集落へと帰っていき、他の者たちは船の修理のために忙しく働き始めた。
多分、交渉は一筋縄では行かないだろうし、あまりしつこくして向こうの機嫌を損ねてもまずかろう。そう思って、トーはそれほど期待していなかった。
ところが、いい意味で期待を裏切るかのように、それから数日もしないうちに、彼らは望みのものを手に入れることが出来た。どうやら思ってた以上に原住民たちは船団に友好的で、特に消えてしまった但馬に恩義を感じているようだったのだ。