ヨーロッパ遭難編⑭
原住民たちと共に世界樹へと向かった別働隊が戻ってきたのは、出発した翌日の夜だった。
その時にはもう行方不明だった副長のトーたちも合流し、船の積み荷をあらかた下ろし、原住民たちの手も借りてキャンプを張り終え、一息ついた頃だった。太陽が沈んだばかりでまだ赤から藍色に変わろうとしている途中の西の空に、大きな鳥のようなグライダーの機影が見え、ようやく帰ってきたと思いきや、3台に分乗して飛んでいったはずの機体が何故か1台しか見当たらず、乗っていたのはアトラス一人だけだった。
どうしたのかと尋ねてみれば、彼はげっそりした表情で、現地で起きた出来事を話した。
「但馬が居なくなっただと?」
「あんたたちが居ない間、私達は耳長さんの集落に行ってたんだけど、そこにホントに世界樹があったのよ。それでアンナパパが、ロディーナ大陸にあるものと同じかも知れないって、その下に遺跡がないか調べ始めたの。そしたら彼、耳長さんたちも知らなかったその入口を、本当に発見しちゃったのね。みんなびっくりよ。
それで発見者の彼と数人が内部を探索することになったんだけど、そこで私はよく知らないんだけど通信設備? みたいのがあって、それを使って誰かとコンタクトを取り始めたらしいんだけど、その最中に突然、お姫様に向かって『後のことは頼んだ!』とかなんとか言って、消えちゃったそうなのよ」
「消えた……?」
「ええ、文字通り、スーッと掻き消えるように居なくなっちゃったんだって。何かの冗談だと思ってたお姫様も最初は大人しかったんだけど、そのうち冗談じゃないって気づいて、そしたら大荒れよ。機械に向かって『返しなさいー!』って暴れ始めちゃって、リオン博士は止めるのに苦労したそうよ」
「あの直情馬鹿は本当にしょうがねえな……それで?」
「そのうち、外で待っていた私たちにお呼びがかかって、中に入っていったらそんな状況だから、取り敢えず彼女のことを落ち着かせて、今はリオン博士が何か手がかりが残ってないか遺跡を調査しているところよ。お姫様はアンナパパが見つかるまで梃子でも動かないつもりでいるから、それで艦隊に状況を伝えないといけないって、私が一人で戻ってきたわけ」
「そうか、事情は分かった。しかし、まいったな……こんな地球の裏側で、肝心の但馬に居なくなられるとは……」
トーは頭を掻きむしった後、徐ろにタバコを取り出し、気持ちを落ち着かせるように一服し、長いため息のように煙を吐き出してから、
「但馬の野郎は、その、消えたんだな? 何かの罠にかかって死んだとかじゃなくて」
「そういう感じはしなかったそうよ。お姫様の希望的観測じゃなくて、リオン博士がそう言ってるから、そうなんだと思う。彼は古代遺跡の未知の機能が働いたんじゃないかって思ってて、その何かを探ろうとしてるみたい」
「ふーん……それじゃその結果が出るのを待つしか無いな。しかし数日ならなんとかなるが、この砂漠じゃ食料の調達も難しいし……」
「あ、それなら、長老さんが恩義を感じてるらしくて、彼が見つかるまで艦隊の面倒を見てくれるそうよ。足りない物資があるなら何でも分けてくれるし、何人か警護の人員も回してくれるって。明日にも到着するんじゃないかしら」
「そりゃ助かる。しかし、言葉が通じないんじゃ、注文はどうすりゃいいんだ?」
「それはリオン博士に通訳をお願いするしかないわね。私がもう一度飛んでいって彼に伝えるから、リストを作ってちょうだい」
「わかった。と言っても、修理するのに必要な部品なんて出てくるわけないからな。取り敢えず、水と食料さえなんとかしてくれればそれでいい」
「ならそう伝えるわよ。他には? またすぐ戻って来るつもりだけど、往復には時間がかかるわよ」
「そういや、おまえ空飛んできたけど、エンジンもないのにどうやってんだ?」
「それは彼らの杖を使って……」
アトラスは彼らがいない時に起きた出来事を身振り手振りで伝えている。トーはそれを聞いてある程度状況を把握すると、
「グライダーは複座だったな。それなら、アンナ。おまえもちょっと行ってこい」
「どうして私が?」
「自分の家族のことだろうが。それに、おまえの血を辿ればティレニアの巫女に通じるからな。遺跡に特別な仕掛けがあったら反応するかも知れん」
トーはそう言っているが、なんやかんやで娘が父のことを心配しているのに、気づいているのかも知れなかった。アンナは見透かされてるような気がして釈然とせず、どう返事しようかグズグズ迷っていると、
「今更、俺たち相手に取り繕ったってどうしょうもないだろう。ぱっと行って帰って来るのでもいいから、取り敢えず様子を見てこい」
「……分かったわよ」
アンナは渋々と頷いた。
***
乗り気ではないフリをしてはいたが、グライダーの後部座席に座っている間、アンナはずっとイライラしていた。以前、飛行船に乗ったときも思ったが、どうして空を飛ぶ乗り物はゆっくりして見えるのだろうか。実際にはものすごい速さだというのに……
そんな気持ちを同乗者に悟られないようソワソワしながら空の旅を続けていると、2時間ほどで目的地が見えてきた。地平線の向こうからニョッキリと、茂みのような緑が見えてきたと思ったら、やがて全貌を現した巨木を前に、アンナは驚きを隠せなかった。エトルリアやメディアでも世界樹を見てきたが、こっちのものはそれと比べ物にならないくらい大きかった。
全体が見えるようになってから、更に30分くらい飛行して、ようやく入江に辿り着いた二人は、空をピュンピュン飛び回る人影の間を抜けて、世界樹がそびえ立つ入江へと着水した。すぐに船がやってきて、乗船者がよく分からない言葉を掛けてきたが、分からないなら分からないなりのコミュニケーションが成立しているのか、アトラスがジェスチャーで応じて、彼らは二人を手招きして船に乗せると、まっすぐ遺跡の入口まで連れてきてくれた。
案内されるままドキドキしながら木の洞へと入り、階段を降りて、どことなく既視感を覚える回廊を歩いていくと、その先の広間に人が集まっていた。
部屋に入ると噂のお姫様が腕組みをしてリオン博士の背中……というか、その先のモニターを睨みつけていたが、彼女は誰かが入ってくる気配を感じて振り返ると、そこにアンナの姿を見つけて、その瞬間、こわばっていた表情が驚きへ変わり、それからまたいつもの柔和な彼女に戻っていた。
「あれ? アンナさん! あなたもいらしてたんですか?」
「なによ……来ちゃ悪い?」
「そんなわけないですよ。ごめんなさい……私が付いていながら、お父さんが連れて行かれるのを止めることが出来ずに……」
「ふん……いつも金魚のフンみたいにまとわりついてるくせに、いざとなるとだらしないわね」
アンナは別に彼女が悪いわけじゃないのに、素直に慰めの言葉もかけることが出来ない自分に嫌気が差していた。しかし、今更態度を変えることも出来ずに、内心どうしようかと焦っていると、そんな彼女の背中にぴょんと獣人のエルフが飛びついてきて、
「こら! アンナ! 意地悪はやめなさい!」
エルフはアンナの背中によじ登るようにして張り付くと、彼女の髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜるように頭を撫でた。
「ちょっと……やめてよ、もう!」
「今のはアンナが悪いぞ!」
まるで子供みたいな彼女に子供扱いされるのは腹が立ったが、しかし、確かに彼女の言う通りだと思ったアンナは何も言い返せずに黙りこくった。アトラスはそんな二人の横を苦笑しながら通り過ぎると、人がやってきたのにも気づかず、熱心に端末を操作し続けているリオンに声を掛けた。
「博士、お忙しいところ悪いんだけど、ちょっと通訳をお願い出来ないかしら?」
アトラスが控えめに声を掛けても、リオンは集中を途切れさせることなく端末を操作し続けていた。もしかして聞こえていないのかな? と思ったアトラスが、もう一度声をかけようかと迷っていると、するとリオンは忙しく動かしていた手を止めて、まるで機械のようにくるりと振り返り、
「丁度、外の空気を吸いたいと思ってました。長老のところでいいでしょうか?」
彼はまったく何事も無かったかのように返事をして立ち上がった。その様子を見るからに、どうやら彼はアトラスたちが部屋に入って来た時から、ちゃんと気づいていたようだった。ものすごい集中力だと感心もするが、頭のいい人の冷たさのようなものも感じて、なんか怖いなと思っていると、その様子をずっと背後で見守っていたブリジットが彼に向かって切羽詰まったかのように尋ねてきた。
「それで、今度はなにか進捗はありましたか?」
「まだ何も。あと一つのピースさえ嵌まればってところで、ずっと詰まってます」
「そうですか……」
ブリジットは唇を噛み締めている。それを横目に見ながら、エルフに乗っかられたアンナが、
「お父さ……魔王の行方を調べるって、具体的に何やってるの?」
ここに来たのは、トーに行けと言われたのもあるが、それが知りたいからだった。何も聞かずに帰るわけにはいかないのだ。アンナに問われたリオンは、少し言葉を整理するように間を置いてから、
「それはですね。お父さんは今、僕が操作しているこの機械を、同じように操作していた時に消えてしまったんです。なので、これに原因があると考えるのが自然でしょう? それで何が起きたのかログを辿っていたんですけど……するとどうも、ここ以外のどこかと通信しているような痕跡が見つかったんです」
「通信って?」
「世界樹には、他の世界樹と通信できる不思議なネットワークがあるんです。例えばセレスティアとメディアの世界樹にいる者同士で会話が可能なんですよ。要するに、電話みたいなものですね。世界樹は世界樹同士で電話が繋がってるわけです」
「へえ、そうだったんだ」
「それで、この遺跡に入ってからお父さんは、ずっとその通信相手と古代語で会話をしていたんです。お父さんはこの遺跡のオペレーターAIだって言ってたんですが、それが実は外部からの通信だったとなると、こいつが何か悪さをしたと考えるのが妥当でしょう。それで発信元がどこか探ってたんですが……これが中々。直前の会話から、北米のどこかにあるのは間違いないんでしょうが……」
「北米? それって確か、この後、船団が向かうつもりの場所でしょう? だったら、直接行ってみたらどうなの?」
アンナが素朴な疑問を投げかけると、リオンは苦笑しながら、
「いやいや、北米ってのは大陸ですよ? いくら世界樹が大きいとはいえ、大陸の中から一本の木を、あてもなく探し当てるのは不可能ですよ」
「場所は絞れないの? ある程度でもいいから」
「そう思って、この端末にヒントは無いかって調べてたんですよ……そうしたら……それらしいファイルがあるにはあったんですけど」
「あったの!?」
おそらく期待せずに尋ねたであろうアトラスが目を丸くして驚いている。しかし、リオンは気に食わないといった表情を浮かべて、
「あったというか、用意されていたって感じなんですよ。実は、この遺跡に入る前にも、僕たちがここへ入る資格があるかどうか、その謎の通信相手にクイズを仕掛けられていたんです。その内容は、古代人のお父さんには簡単らしいのですが、僕たち現代人にはまるで分からないようなものなんです。目的のファイルにも、そういった謎解きが書かれています。つまり彼は、古代人ならウェルカム、そうでないならお帰りくださいって言ってるんですよ」
「なによそれ、いやらしいわね……」
アトラスは同じ空気を吸いたくもないとでも言いたげに、鼻を抓む素振りをしながら続けて、
「それで? そのヒントってのは?」
「えーっと……ファイルにはこう書かれています。『私に御用がございましたら、A列車にお乗りください。ハーレムのバーでお待ちしております』と……このA列車というのが、何なのかが分からない。何かの符号なんでしょうが」
「仮にそんな列車があったとして、この大陸にはもう残ってるわけないわよね。かと言って、レムリアやエトルリアのものを指してるとは思えないし……ハーレムってのはいわゆる王侯貴族の後宮のこと?」
「何か生物の営巣地とか、そういった意味なんでしょうかね……?」
リオンとアトラスが顔を突き合わせて、そんなやり取りをしている時だった。二人の会話を横で聞いていたアンナが、ポツリと呟いた。
「マンハッタン島よ」
「……え?」
驚いたリオンがキョトンとした表情を向ける。すると彼女はさも常識とでも言わんばかりに、同じ言葉を繰り返した。
「それってマンハッタン島のことでしょ」