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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
グレートジャーニー(玉葱とクラリオン after story)
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ヨーロッパ遭難編⑫

 微睡みの中を行きつ戻りつしていたアンナは、獣の気配を感じて目覚めた。上体を起こしてハッと周囲を見渡せば、見たことのない獣が数頭ほど水場に居た。おそらくは群れのリーダーであろう、一回り大きめの個体が威嚇するかのように、こちらを睨みつけながらグルグルと円を描くように行動している。


 どうやら、こいつの殺気を感じて目が覚めたようだった。アンナは子供の頃から野宿を繰り返しているせいか、獣の気配には敏感だった。しかし、見たことがない獣だから行動が読めなかった。見た感じではすぐに襲ってきたりはしないだろうが、警戒するにこしたことはないだろう。


 そう思って焚き火を見れば、ほとんど炭になって消えかけていた。その向こう側では焚き火の番をしていたはずのハルが地面に突っ伏して寝こけていた。他人任せにしていた手前、寝るなとは言えないが……


 慌てて傍らにあった薪を取れば、それは朝露に濡れてかなり湿っぽかった。ちゃんと火がついてくれるか心配しながら、残り火に乗せてフーフーと息を吹きかけていたら、どうにかこうにか火は持ち直してくれた。ほっと息を吐いて辺りを見回す。


 湿った薪が煙をばらまいたお陰か、水場の獣たちは暫くすると退散していった。すると隠れていた小動物が現れ、鳥の群れと一緒に水浴びを始めた。昨日、海岸に流れ着いた時には、生き物の気配が全くしない死の世界のようだと思っていたが……どうやら思った以上に多くの命が、この砂漠にも隠れ住んでいたようである。


 そんな事実に感心しながら、水を汲もうと器を持って立ち上がろうとした時、彼女は不意に違和感を覚えた。


 昨晩、目覚めた時、オアシスだと言うのに殺風景な場所だと思っていた。しかし、今見てみると水場の周りは草木が生い茂っていて、それが朝日を反射して白く光っている。小動物や昆虫、それを目当てにやってきた鳥たちが溢れていて、まるで楽園に迷い込んだかのようだった。


 どうしてこんなにも印象が違うのだろうか? そう思ってじっと観察していると、アンナは更におかしなことに気がついた。


 よく見れば、草木が生い茂っているのは水場の周りだけではない。改めて周囲を見渡せば、真っ白な砂漠と思っていた砂の丘陵が、いつの間にか緑で覆われ、朝露に濡れたそれが朝日に煌めいて、まるで光の絨毯みたいに広がっていたのだ。


「まったく、自然ってのは大したもんだな」


 一体全体、何が起きているんだろう? その光景を唖然と眺めていたら、背後から声がかかった。昨日、一人だけさっさと寝てしまったトーが先に起きていて、どうやら周囲を一回りして来たみたいだった。


 彼はクシャクシャになったタバコを取り出すと、火をつけようとして暫く格闘していたが、やがて諦めて胸ポケットにしまい、肩に担いでいたライフルをおろして杖代わりにして地面に突き立てた。


「風ってのは暑い方から冷たい方に流れていくだろ。だから、昼間のうちは暑い砂漠から海に向かって風が吹くんで地上は乾燥する。逆に夜になると冷え切った砂漠に海の方から湿った空気が入ってくる。その湿った空気が朝日を浴びると、空気中の水分が結露し水滴となって地上に降り注ぐ。すると、それまで地面の下に埋もれていた種子が一斉に発芽し、同じように隠れていた昆虫が這い出てきて、何も無いと思っていた砂漠が、あっという間に緑の草原に様変わりするんだと……こんな光景を本当に目にする日が来るとは。旅はしてみるもんだ」


 淡々とした声で話していたトーは、説明を終えるとまた胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけようとしてまたすぐ諦めた。どうやら癖になっているらしい。アンナは、そんな彼のバツが悪そうな顔を横目にしながら、


「意外と物知りなのね」

「俺が? まさか、全部おまえの親父の受け売りだよ」

「おと……魔王の?」

「別に言い直さなくても良いんだぜ?」


 今度はうっかり父と言いかけたアンナがバツが悪くなって黙りこくっていると、彼は意地悪く鼻で笑いながら続けた。


「魔王なんて言われているが、元々はそういうヘンテコな奴なんだよ。誰も知らないような、なんなら知る必要もないような、どうでもいいことばかりいっぱい知ってて、突然、思い出したように喜々として話しだすんだ。いや、実際に思い出したことをぽいぽい話してただけなんだろうな。あいつの記憶は、なんというか、軸がなかったから」

「軸……?」

「リディアに居た頃さ。お前の親父が古代人だってことは知ってるんだろう? 寝ていたところを無理やり起こされたもんだから、あいつは自分が生きていた時の記憶が曖昧なんだ。だからだろうか、いつもフワフワしてて、掴み所がない野郎だった。ふざけてんのかとも思ったが、どうやらそうでもなかったらしい。それに気づいた時には、仕方ないというか、ある意味、哀れなやつだと思ったもんだがね」


 そう言ったトーの眼差しはどこか悲哀に満ちていた。魔王の下僕として彼はその目で何を見てきたのだろうか。この男は本当に意地が悪くて嫌なやつだが、なんだか憎めないなとアンナは思った。


「あんたは、本当にお父さんのことが好きなのね」

「気持ち悪いこと言うなよ……」


 トーは本気で嫌そうな顔をしながら、


「ただ付き合いが長いってだけだ。身内がかけた迷惑の尻拭いをしていたら、いつの間にかこんなとこまで付き合う羽目になってたんだ」

「身内?」

「お前の母親のことだろ。あいつと俺は、従兄妹みたいなもんだ。知らなかったのか?」

「え……嘘でしょ?」

「なんだよ。嫌そうな顔してんじゃねえよ」


 二人がそんなやり取りをしている時だった。アンナは、ふと遠くの方で、鈴のような音が鳴り響いたような、そんな気がした。それは気のせいでは無かったらしく、隣に立つトーも同じように耳を澄まして、周囲の様子を窺っている。


 するとまた、遠くの方からシャンシャンという音が聞こえてきて、どうやらその音は、こちらの方へと徐々に近づいてくるようだった。もちろん、こんな声で鳴く生物がいるとは思えない。とすると、この音は何かの人工物が出している音だと考えるのが妥当だろう。トーは水場の方を見ながら、


「あの器が落ちているのを見つけた時から、誰かがここを使っているかも知れないとは思っていたが……こんなすぐ遭遇するとはな。とりあえず、あの馬鹿を起こしてくる。お前はここで待機していろ。なるべく手を出すんじゃないぞ? 戦闘にならなきゃいいんだが……」


 そう言い残して彼は焚き火の方へと走っていった。アンナが言われたとおりに警戒していると、音はどんどんと大きくなり、そしてすぐついに目の前にある丘陵の向こう側から、何者かがひょっこりと顔を覗かせるのが見えた。まだ少し遠くはあるが、距離は2~300メートル。得物によっては、こちらからも、向こうからも仕掛けられるくらいの距離だろう。


 どうしたらいいだろうか……彼女が腰にぶら下げているハバキリソードをカチカチ鳴らしていると、トーが起きたばかりのハルを連れて戻ってきた。そのハルは寝ぼけ眼をゴシゴシと擦ったかと思えば、


「おい、見ろ、エルフだ!」

「エルフだと!? ……いや、流石にエルフには見えんが」

「違う! ロディーナ大陸に居たエルフじゃない! あれはその……大将の記憶の中にある、エルフという種族だ。ほら、よく見ると耳が長いだろう?」

「……本当だ。人間じゃないのか?」

「いや、人間ではあるだろうが……」


 二人がそんな会話をしていると、やがてその人影の後ろから、今度は続々と牛らしき大型動物が丘を越えて姿を現した。


 牛たちは、まるで競争するかのように、朝露に濡れた草を食みながら、のそのそとこちらの方へと近づいてくる。丘に佇む人物がシャンシャンと鈴を鳴らすと、また別の丘から牛たちが降りてきて、三人がキャンプをしていた水場の方へと歩いてきた。


 どうやら、あれは牛飼いを生業としている人間のようである。多分、ここに水場があることを知っていて、放牧の際に立ち寄ったのだろう。とりあえず、このままだと接触するのも時間の問題だが、ここに居ても平気だろうかと、判断をつけかねていると……


 すると、牛を追っていた男は、目的地の水場にアンナたちがいることに気づいて、一瞬、驚いた表情を見せたと思えば、


「おおおーーーーーいっ!! ◯×re▲a □□lise●!!」


 こちらに手を振りながら何かを叫んだ。しかし、その言葉は耳慣れないもので、彼が何を言っているのかはさっぱり分からなかった。トーとハルが目配せしながら、どちらが対応するか押し付け合っていると、牛飼いは腰にぶら下げていた袋から、何やら木簡のようなものを取り出したかと思えば、


「アナ! ハル! トー!」


 と叫びだした。それは牛飼いの彼の言語ではなく、明らかに三人の名前を呼んでいるとしか思えなかった。どうして自分たちの名前を知っているのだろうかと戸惑っていると、彼は再度、


「アナ!? ハル!? トー!? ▽◆ie◯……?? アナ!? ●au? ハル!? トー!? ▲△??」


 と、三人の名前を呼び始めた。その表情から敵意は読み取れない。彼は純粋に、こちらの正体を知りたがっているようだった。ハルは彼の意図をその雰囲気から感じ取ると、まだ躊躇しているトーを押しのけて、


「ハル! ハル!」


 と言って、自分を指さしながら手を振った。アンナも続けて、


「アンナ!」


 と叫ぶと、牛飼いの男はメモをちらりと見てから、


「アンナアンナ!」


 と返してきた。彼が何者かはまだはっきりしないが、どうやら救助に来てくれたと考えて良さそうである。


 三人が手を振り返すのを見ると、男は木簡をしまってから、また杖の先についた鈴をシャンシャンと鳴らしながら、こちらの方へと歩いてきた。すると地面の草を熱心に食べていた牛たちが一斉にモーー……っと、鳴いた。牛みたいだと思っていたが、どうやら本当に牛のようだった。


 こんな地球の裏側で、人間だけではなく、お馴染みの家畜にまで出会えるとは……三人はそれぞれそんな思いを抱きながら、男が近寄ってくるのを待った。


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