……死ぬのかな?
本社を出てエリオスとブリジットを引き連れて森へと向かった。
以前は一人で馬に乗ることさえ出来なかった但馬であるが、今では最低限、馬に運ばれる程度には乗れるようになっていた。尤も、西へ向かった時のような軍用路すらない平原であるから、思った以上にアップダウンが激しくて道中苦労した。
鐙や鞍はちゃんと有るのだが、気を抜くとすぐに腰が浮いて叩きつけられる。金玉を潰されないように必死になって、内股を絞めつけながら小一時間ほど行くと、ようやく目的の森の入り口に到着した。
街から森までの距離はまちまちで、近いところで5キロから、遠いところだと何十キロも奥深い渓谷まで続く場所もあった。だから、森が最も手前まで突き出してる場所ならもっと早く辿りつけたのだが、偏った植生ではなく満遍なくサンプルを手に入れたかったので、平均的に離れた場所まで頑張ってやってきたのだ。
辺りには人気がなく、聞こえるのは鳥の鳴き声くらいのものだった。平原にはサンサンと太陽が輝いているのに森の中は真っ暗で、殆ど何も見えなくて薄気味悪かった。
定義上、木が並んで生えていても森とは呼ばない。木々が密集して生えており、それが遠くから見ると、一面の木の葉に覆い尽くされて一つの塊のように見えるのが森である。従って森の表面は木の葉で覆われており光を通さないから、当然、外から見ると中は真っ暗闇に見えるのだそうだ。
どんなに外が明るくても、真っ暗く見える森の中には魔が潜むと、昔の人達が怖がったことも頷ける。しかし、実際に中に入ってみると、木漏れ日によって薄暗くても柔らかな光が立ち込めており、その木漏れ日で光合成するシダ植物などで、森のなかも緑が豊かだ。
現代だとパワースポットだのなんだのと、オカルトめいた呼び方で親しまれているわけだが……まあ、この世界においての森は、おおかた魔界のようであると言っても良いだろう。何しろ、エルフがどこに潜んでいるのか分からないのだ。
近寄っても中の様子はうかがい知れず、中に入ってみないと分からない。この世界の人達が森を必要以上に忌避するのも仕方ないことだろう。
「先生……それなのに、そんなに気楽に入っちゃって平気なんですか?」
「まあな」
但馬は自分のこめかみをポンと叩くと即答した。レーダーマップには赤い光点がいくつか点っており、2つはブリジットとエリオス、後はだいぶ遠くの方にいくつか見えるくらいで、こちらには気づいていない感じだった。
「理由は説明出来ないんだけど、俺には何となく分かるんだよ、気配っつーか……」
「はあ……」
「だからまあ、安心してサンプル集めに勤しんでくれないか」
そう言うと但馬は手近な木から葉っぱを一枚引きちぎった。
「種類はそんなにいらないけど、できれば枝ごと持ってきて。種類の違いは葉っぱの形を見て判断してくれよ、そして出来れば同じ枝を3つくらい、別々の木から調達して欲しい。ああ、あと、自分の背丈より低いのは集めなくていいから」
「わかりました」
そう言うとブリジットはテクテクと歩いて行き、エリオスも全周を警戒してから、彼女とは逆方向に歩いて行った。
但馬は二人と別れるとその場に簡易テーブルを置いて、エタノールを入れた小瓶を取り出して乳鉢でゴリゴリと葉っぱを潰し始めた……
やがて二人が周辺から両手いっぱいの枝葉を持って帰ってくると、但馬はそれらを一つ一つ分類してから、次々と乳鉢で潰してエタノールにつけ反応を見た。
結果は思った以上にまちまちで、マナが発生するものとしないものと、だいたい半々くらいの割合で存在しているようだった。
別の枝葉からも葉っぱをちぎって試してみたが、結果は同じく、どうやら木々の種類ごとにマナを持つものと持たないものがあることは間違いなかった。
「こんなことって……あるんですね。知りませんでした」
但馬がやっていることの意味に気づいたのか、ブリジットが感心したように呟いた。この世界の住人は森を嫌う。だから、森の木がマナを持つということには気づけても、全部が全部そうではないと言うことにまでは気が回らなかったのだろう。いや、そもそもエタノールに葉っぱを溶かそうという考え自体がないだろう。マナが発見されたのも、偶然か何かに違いない。
このマナを発生する木々であるが、これは一体なんなのだろうか。
この木自体がマナの発生装置であるのだろうか?
それとも、この木はマナを修復する機能を持ってるだけなのだろうか?
CPNは電荷を失うと地上に落ちて、やがて地下水から地上の植物に吸い上げられる。そしてその際に植物の光合成を利用して、再度電気エネルギーを持ち、また空気中に散布されてナノマシンのネットワークの一部になる。あのアルバイトの面接会場に居た男はそんな風に言っていた。
ただし、それは全ての木々や草花でというわけにはいかなかった可能性はある。と言うか、普通に考えてそれが難しいことは容易に想像がつく。だから、CPNの多くは地上に落ちた後、修復されること無く失われる方が多いのではないか。そうならば前者の方が可能性が高いのだが……はっきりそう言い切るには、まだ条件が少ないだろう。
ただひとつ言えそうなことは、この木があるのはリディアでは森の中だけである……
つまり、それがエルフが森から出てこれない理由で、大気中のマナ濃度は関係ない、というわけではなかろうか。これまた絶対とは言い切れないが、その可能性はかなり高いと思われる。と言うのも、もう一つ、森には似たような生命体が居るからだ……
「おっと……お客様だ。エリオスさん、ブリジット。もう暫くしたら、あっちの方角から何かが飛び出してくるはずだ。警戒してくれ……」
「え?」「わかった」
「そろそろ来るぞ……3・2・1……ほら来たっ!」
戸惑うブリジットをよそに、エリオスは大型のスレッジハンマーを構えて二人の前に仁王立ちした。
すると、但馬が数えるタイミングと同時に、森の奥から何やら大型の獣が勢い良く飛び出し来るのだった。
ギャアアアアアアアアアアア!!!!
耳障りな金切り声を上げて、犬とイノシシを足して2で割ったような獣が突進してくる。
「むんっ!!!」
しかし、その軽く中型バイクくらいはありそうな獣の突進を、エリオスはいとも容易く子供のように軽く受け止めた。
しかしその途端……
ピシャッ……!!
と、奇妙な音とともに、獣が何やらを吐き出した。
それはエリオスの手足にかかると、ジュウジュウと音と煙を立てて彼の肉を焦がしていく……
「くっ……社長、酸だっ!」
そう叫んだかと思うと、彼は物凄い唸り声を上げ、獣の突進を逆に押し返していった。恐らく但馬に近づかせないようにとの判断だろうが、そのせいで敵の攻撃をもろに受けてしまっている。
このままではいけない!
但馬は慌てながらも腰のホルダーに差してあったナイフを引き抜くと、彼に加勢しようとして足を踏み出した。しかし、
キンッ!
と、金属が弾ける音と共に、鋭い光が一閃したかと思うと、
ギャアアアアアアアアアアアアア!!!!
悲鳴のような盛大な唸り声を上げて、獣の手足が切り飛ばされた。
四肢を失いダンゴムシのような状態になった獣がエリオスになぎ倒され、地面に転がると、物凄い叫び声を上げ、酸らしき分泌液を撒き散らしながらのたうち回った。
そんなものを浴びては叶わないと、エリオスが転がるように飛び退くと、代わりに優雅な足取りで近づいていったブリジットが、枝葉で酸を受け流しつつ……
トンッ!
っと、獣の額に剣を突き立てた。
すると、獣はまるで嘘みたいにピタリと動きを止めるのだった。
完全に息の根が止まっている……但馬はあっけにとられて、ピクピクと頬を引きつらせながら苦笑いした。ブリジットはそれを見てにっこりと微笑むのだった。見た目からは判断出来ないが、やはりこの女、鬼のように強い……おっぱいのくせに。
「エリオスさん、油断ですよ?」
「面目次第もない」
「世人よ歌え甦り給え ハレルヤ……ハレルヤ……」
ブリジットがエリオスの傷に手を翳し、何やら唱えると、キラキラと緑色のオーラが立ち込めてあっという間に傷口を塞いでいった。
但馬は咄嗟に周囲の様子を眺めてみた。自分のときのように木々が反応するかと思ったが、特に変わったところは見当たらなかった。
残念に思いながらも、今度は襲ってきた獣の死体をじっくりと観察してみる。
獣の体長は1メートル50~70くらいか。但馬より少し小さいくらいだが、横幅はデカく、体重はエリオスの倍は下らないだろう。ブリジットに飛ばされた手足は蹄のついたイノシシのようなもので、体格に比べて太くはない。代わりにこの獣は顎や牙が発達していて、子供の頭くらい楽々とひとかじり出来そうな大きな口がついていた。唇の端からは無色透明な液体が垂れていて、それが地面につくと、周りの草をジュウジュウと溶かして煙を上げていた。
これが魔物か……
毒袋を持った哺乳類らしき大型の獣。どういう進化を遂げたらこうなるのだろうか? 地球上では見たことのない生き物だった。
「それにしても、よく来ることが分かりましたね。先生……」
「まあな」
レーダーマップを見ていた限りでは、この化物は数百メートル先から但馬たちを見つけ、一直線に突進してきていた。普通、野生動物なら人間を警戒するはずだ。大自然は弱肉強食。人間はそれなりに大型の動物で、返り討ちに合う危険性がある。狙うんならもっと小さな動物を狙ったほうが良いだろう。
なのにそうはせず、初めから但馬たちを襲うつもりで突進してきた。まるでエルフみたいに。
エルフも魔物も森に暮らしていて、人間を襲うという共通点がある。きっと他にも何かあるはずだ。それが何かはまだ分からないが……ただ、この魔物という動物がいかにして作られたか、その理由は思い当たった。
こいつらは、例のマナの木を食べたんじゃなかろうか。
エタノールの実験では、葉っぱ一枚でも相当の光を発するのだから、木全体となるとどれだけのマナが濃縮されているのか想像もつかない。もしもこれを食べるような動物が居たら、何の影響も受けないとは考えにくい。魔物とはそういった動物の成れの果てなのでは無かろうか……?
もちろん、それはまだ憶測に過ぎないが、エルフもこれと似たような理由で、マナの影響を受けた人間だと考えたら辻褄があわないだろうか……ちょっと飛躍し過ぎか?
「この魔物ってのは森から出てくるの?」
「出てきますね。近づき過ぎると襲撃を受けますんで、最低でも森から1~200メーターは離れて歩きます」
「ふーん……人里が襲われたとかって記録は?」
「大昔はあったかも知れませんが、最近はありませんね。軍が処理しますんで」
エルフと違って、こっちは森から出れるようだ……この違いは何なんだろうか? なにはともあれ、
「この魔物の死骸はどうすりゃいいんだ? 放置してってもいいのか」
「軍ではすぐに焼いて、穴掘って埋めてます。放っておいても魔物の餌になるんでしょうけど、わざわざ餌をあげる必要はありませんから」
「そりゃそうか……んじゃ、適当に燃やすか。ここでやると火事が怖いし……取り敢えず一旦森から出よう」
「わかりました。それにしても、先生余裕ですね……」
「ん?」
「エルフや魔物と違って、ただの雑魚ですしね」
なんのことだ? と思ってブリジットの方を見れば、何やら彼女は険しい目つきで剣を抜いているところだった。
なんだなんだ? 人気のないこの場所で自分を襲うつもりだったか? ……って、そんなわけはないだろうと思い、背後を振り返ると……
何か、物凄く大きな熊がいた。
「社長!!!」
エリオスが今まで聞いたこともないような声で叫んだ。
体長は2メートルは優に超えていて、そのエリオスよりもずっと大きかった。体重はさっきの魔物と同等か、それ以上あるに違いない。巨大な顎と巨大な上半身。今まさに但馬を襲おうとしているのか、バンザイみたいに挙げた手には鋭い爪が伸びていて、多分あれで引っかかれたら、皮膚を肉ごと持ってかれるに違いない。
こちらは先程の魔物とは違って、映画の中で見たことがあった。グリズリーとかなんとか、そんなものだ。腹をすかせた獣が血の匂いにつられて出てきたのだろうか、よだれを垂らしながら但馬のことを見下ろしていた。
唖然としながらも、何とかしようと腰に手をやっていた。ナイフを掴んだところでどうしようもないのだが、逃げるという考えがその時は思い浮かばなかった。
熊が振りかぶった手が物凄い速さで振り下ろされる……
人間、咄嗟の時は逃げるよりも身構えるように体を固くするという。しかし、但馬は身構えることすら出来ず……
ゴキッ……ミシミシ……
っと、耳慣れない音が何やら体の中から聞こえたような……そんな風に人事のように思いながら、自分の体を見て見れば、腕があり得ない方向にひしゃげて、衝撃はそのまま胴体まで達して、背骨がギシギシと立て付けの悪い建物みたいに鳴っていた。よく、くの字に曲がるなどというが、この場合、への字と言ったほうが良さそうな……そんなあり得ない曲がり方だった。
「かっ……はぁっ……はっ……」
地面に倒れ伏す。痛みは全く感じない。きっと痛みの神経が焼き切れているのか、もう手遅れだから脳みそが痛覚を遮断したのだろう……
視界がグルグル暗転する中、尚も一撃を加えようとするグリズリーに、エリオスが尋常でないスピードで飛びかかっているのが見えた。ブリジットが但馬の名前を連呼している。
おかしい……なんでだ? ずっとレーダーマップを見てたのに……どうしてこんなに接近を許してしまったんだ。
薄れゆく意識の中でそんなことだけを考えていた。
やっちまった……死ぬのかな? そんな後悔すら出来ずに、そして但馬は意識を失った。