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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
グレートジャーニー(玉葱とクラリオン after story)
379/398

北極海周遊編④

 ジョンストン提督艦隊は、釧路沖で随行するタンカーと一時的に別れると、探検船3隻だけで千島列島からオホーツク海へと侵入した。目的はシベリアの調査である。


 真っ青な海を西へ西へと直進し続け、ユーラシア大陸へ到達すると、かつてオホーツクと呼ばれた土地の白い砂浜が見えてくる。


 その昔、厳冬の吹雪吹き荒れる真っ黒な海を見て、死を連想させたオホーツク海は、今はその片鱗すら見せることはなかった。透明度の高い海水は穏やかで、海底までが容易に見渡せ、トロピカルな根魚がたくさん泳いでいる姿が確認できた。まさに生命の楽園のような様相を呈していた。


 尤も、かつての海も決して死の海なんかではなくて、冷たい水のほうが酸素を吸収しプランクトンが繁殖しやすいからそう見えていただけで、実際にはたくさんの魚が住まう豊かな海であったのだが。地球最大の生物であるクジラが、南極や北極の海にいるのはそのためだ。


 だから、棲息する魚の種類が違うだけで、今も昔もここは生命の楽園であることには変わりないのかも知れない。それに対して、陸の方は歴然とした差が現れていた。


 シベリアに上陸した一行は、まず真っ先に鬱蒼と茂る広葉樹の密林に行く手を阻まれた。かつて針葉樹林で覆われていたタイガは、今は南国の密林へと変貌していた。これは言うまでもなく、今の地球の極地と赤道が入れ替わっているせいである。


 さて、そんな密林の中から、クラリオンの高らかな音が響いてきた。誰かに合図を送るようなその間延びした音に呼応するかのように、まるで巨大なサルが渡り歩いているかのように木々がざわめき出す。実際にそう形容してもいいだろう。その正体は、森の木々の上を飛び移りながら、鹿の群れを追い立てているエルフであった。


「りゃりゃりゃりゃりゃりゃっ!!」


 エルフは大声で喚き立てながら、上手に鹿の群れを追い立てていた。この森には多くの野生動物が棲んでいるようだったが、中でもよく目立つのがこの鹿だった。


 因みに鹿と言ってはいるが、実は古代種ではなく、ロディーナ大陸でも見たことがない、完全なる新種の生き物である。トナカイとヘラジカの中間くらいという巨体で、オスは立派な角を持ち、そのお陰で肉食獣からの捕食を免れているのか、草食動物であるにも関わらず、森の王者として君臨しているようだった。


 とはいえ、やはり人間は警戒しており、探検隊が森に現れると一目散に逃げていった。おそらく、かつてシベリアに生息していた先の2つの種が、環境に適応して進化した生き物なのだろう。


 エルフは提督との約束を果たすべく、この鹿を狩ることに決めた。そんな彼女が森の木々の間を縦横無尽に飛び回りながら、鹿の群れを追い立てていくと、いきなりその前方から巨大な火の手が上がった。行先に待ち構えていたアンナが魔法を空打ちして、ドンッ! と轟音を立てたのだ。


 鹿の群れはそれに驚いて方向転換すると、背後から迫りくるエルフからも逃れようと、直角に曲がって川の方へと走り出した。無論、それが狙いである。


 やがて少し開けた水辺へ差し掛かると、パンパンと乾いた銃声がこだまし、追い込まれてきた鹿の群れは、待ち伏せていた探検隊に次々と撃ち取られていき、あっという間に死体の山が積み上がっていくのであった。


「わーい! 大漁だー!」


 銃声が収まり、逃げ惑う鹿の大狂乱も収束すると、木々の上を飛び回っていたエルフが河原に飛び降りてきた。それを合図に隠れていた船員たちが姿を現し、お互いに健闘を讃えながら、それぞれ鹿の死骸を一箇所に集めるべく動き出した。


 銃撃された鹿の群れは、多くはその場で力尽きていたが、中には最後の力を振り絞って逃げたものもいて、茂みなどに隠れて死んでしまった個体は、人の目ではすぐには見つけられなかった。


 しかし、そういった個体であっても、亜人の彼女にはどこにあるかがすぐ分かるらしくて、彼女の指示であちこちに散らばった獲物の回収もスムーズに行われた。


 最終的に、今回の狩りで獲得した獲物の数は30頭を超えており、これだけでも全乗組員の一ヶ月分の食料にはなった。寧ろ、これだけ大量の肉を冷凍室にしまい切れるかどうか、そっちの方が問題であり、調理担当の船員たちはこれからの作業を考えて、みんな憂鬱そうな顔をしていた。


 こうしてエルフは約束通り、自分の能力をみんなに示したのである。


 さて、獲物の回収を終えて暫くすると、エルフと共に鹿の群れを追い立てていたアンナがひょっこりと帰ってきた。本当ならもっと早く帰ってきていてもいいはずなのに、遅れたのは後処理に駆り出されるのを嫌ったからだろう。


 そんなちゃっかり者の彼女の姿を、エルフは目ざとく見つけると、ダダダダダッと駆け寄って行き、


「アンナー! 褒めてあげるー! えらいえらい! よしよしよし!!」

「やめてよ、子供じゃないんだから……」


 そう言いながらアンナは諦めたようにされるがままになっていた。


 リオンの友達、ということで探検隊に合流したエルフであったが、同郷ということもあって、アンナやアトラスとも当然のように知り合いであった。特にアンナのことは、まるで自分の妹のように可愛がっているらしかった。


 何故かといえば、彼女は日本に住んでいる亜人たちの中では一番年が若く、アンナが来たことで最年少でなくなったのが凄く嬉しかったのだ。


 亜人という種族は、元々は世界樹の中で生まれる人造人間のことであった。


 大昔の危機的な環境の変化で絶滅仕掛けた人類は、自らの身体を改造すると共に、サポート役として動物の遺伝子をかけ合わせた亜人を生み出した。


 そんな亜人たちは、古代種(エルフ)がもはや人間としての理性を失ってからも、自動的に世界樹で生産され続けていたのであるが、勇者の手によりメディアの地に集落が作られると、仲間を識別するための名前が必要になった。


 彼らは生まれてきた順に、アイン、ツヴァイ、ドライとドイツ語の数字を当てはめていき、ツェンまできたらまたアインに戻るとしていたのであるが……十数年前、メディアの世界樹を訪れた但馬が、亜人の生産をストップしまうと、もはや名前を付ける必要も無くなった。


 そこで、最後に生まれてきた亜人の子を、彼らは11(エルフ)と名付けて、自分たちの役目は終わったということのシンボルとしたのである。


「もう、いい加減にしてよ。みんな見てるのに、恥ずかしいでしょ」


 ワシワシと可愛がられていたアンナは、いつまでも上機嫌が収まらないエルフに嫌気差して、彼女の腕をかいくぐると逃げるように森の広場を駆け回った。そんな彼女とエルフが追いかけっ子を続けていると、ブリジットがニコニコしながら近づいてきて、


「ふふふ、お二人はとても仲良しなんですね」

「違うわよ」「そうだよー」


 正反対のことを言いながらも息がぴったりな二人のことを、ブリジットは微笑ましそうに眺めていたが、ふと何かに気づいたように、


「あれ……? エルフさん、そこ怪我をしてるんじゃないですか?」


 見れば彼女の洋服の裾が破れて、そこから血が滲んでいる。どうやら木々の上を飛び回っている最中、どこかで引っ掛けてしまったのだろう。エルフは、


「こんなのは怪我のうちに入らないよ」


 と強がったが、


「駄目ですよ、傷が残ったらどうするんですか? ちょっと待ってください。『主よ、ダビデの子よ、我を憫み給へ、わが娘、悪鬼につかれて甚く苦しむ……』」


 彼女が聖書の一節を口にすると、どこからともなく緑色の光が集まってきて、瞬く間にエルフの患部を癒やしてしまった。いわゆるヒール魔法である。エルフはその能力に目を丸くすると、


「ありがとう、姫様! 姫様もアンナのママと同じことが出来るんだね。凄い!」

「アナスタシアさんほどではありませんけどね」

「ううん、凄いよ。アンナはママの子供なのに、ママと同じことが出来ないんだって」

「私は関係ない」


 いきなり飛び火してきたアンナが不機嫌そうにムスッとしている。ブリジットは苦笑いしながら、


「ヒール魔法の能力は、必ずしも遺伝するわけではありませんからね。それに、アンナさんは能力に関してはお母さんより、寧ろお父さんに似たんじゃないでしょうか」

「は? いきなり何言いだすの……」


 アンナは心底嫌そうな目つきでブリジットのことを睨みつけた。しかし彼女はそんな視線を受けても、まるで意に介してないようににこやかに続けた。


「さっきの魔法なんて特にそう思いましたよ。詠唱とともに術者だけでなく、周囲の木々までもが光り輝き、圧倒的な熱量を放出する。私が初めてお父さんの魔法を間近で見たときは、まさにあんな感じでした。ああ、懐かしい。私、その時、お父さんに一生ついていくんだって心に決めたんですよ」


 ブリジットは懐かしそうに目を細めている。アンナはそんな彼女の思い出話を聞いて、いつの間にかもっと知りたいと身を乗り出していたが、はっと我に返って、


「そんな話聞いても嬉しくないわよ! 私はあいつとなんて似てないってば!」

「そんなことないですよ。確かにアンナさんは容姿はお母さん似ですけど、お父さんにも似てますよ」

「不愉快だからやめてよ……大体、あんた馴れ馴れしいのよ。どうしてそんなに私に絡んでくるわけ?」

「そりゃあ……愛する人の娘さんですし。仲良くしたいじゃないですか」


 ブリジットは自分で言った言葉に照れるかのように顔を赤らめている。アンナはそんな彼女の態度にむかっ腹を立てて、


「だったら尚更。あんたと私は敵同士よ。忘れてるかも知れないけど、私はあんたからあいつのことを奪いに来たんだからねっ! 私の目的は、お母さんのために日本にあいつを連れ帰ること。そこにあんたの居場所なんてないんだから」

「ああ、それはいいですね。なんだったら私も協力しますよ?」


 アンナがそうやって啖呵を切ると、ブリジットはあろうこと身を乗り出して彼女に迎合した。アンナはそれをブリジットの挑発と受け取ってカッとなったが、彼女が怒りをあらわにするよりも前に、ブリジットはアンナのパーソナルスペースにすっと踏み込むように顔を近づけて、


「実は、私も先生にはお二人のいる日本に住んでいただくのが、一番良いんじゃないかと思ってたんですよ。人間社会はつくづく生きづらいんです。私達は有名人ですから、どこへ行っても注目を浴びてしまう。リディアにはもう帰れませんし、セレスティアだってどんどん人が増えてきて、年々居心地が悪くなってきています。


 でも日本なら、そんなこと気にしないで済むでしょう。今よりずっと穏やかに暮らせるというものです。それに、獣人社会は一夫多妻制なんでしょう? なら答えは簡単じゃないですか。先生は、私とアナスタシアさんの両方と結婚すれば良いんですよ」


 アンナは思わず仰け反った。あまりにもあれな内容に絶句して、数秒間固まり続けていたが、


「……本気で言っているの?」


 するとブリジットはこれ以上ないほど一点の曇りもない真顔で言い切った。


「ええ、本気ですとも」

「……あなたは自分の好きな人が取られちゃってもいいって言うわけ?」

「取られるのとはちょっと違うでしょう? 先生は、私とアナスタシアさんを両方とも、ちゃんと愛してくれると思いますし」

「そんなわけないじゃない。そんな男がいるわけないわ」

「そうでしょうか? ならアンナさんは、アトラスさんが彼の子どもたちと、その母親たちに優劣をつけてると思いますか?」

「それは……」


 アンナは返事に困った。あっちこっちに種を蒔きまくるアトラスは、正直だらしない奴だと思ってはいたが、それでも全員に愛情を注ごうとする姿勢は本物だと思っていた。そして彼と一緒になった女たちも、その子どもたちも、困ったことにみんな幸せそうに見えるのだ。


「それにアンナさん。あなたは知らないかも知れませんが、私はアナスタシアさんのことだって好きなんですよ。私達は身分が違いましたが、元々は同じ会社の同僚で、お友達だったんです。その気持ちは今も変わっておりません」


 そういう彼女の瞳は真剣そのものだった。


 アンナはそれを見て思った。今にして思い返せば、出発の日の朝、アンナを見送る母も同じような顔をしていたような気がする。父が他の女と一緒に日本を旅立つというのに、まったく悔いがないといったような、そんな清々しい表情を……


 そういえば……そもそも、かつての父はどうして母を選んだのだ?


 そして今度は、どうして目の前の女と共に、日本を訪れたのだ……?


 三人の間に、何があったのか。アンナは詳しい事情を知らなかった。この女に聞けば、それを教えてくれるのだろうか……


「あ、リオンくんだ。わーいっ!」


 アンナが思考の迷宮をぐるぐるさまよい続けていると、二人に置いてけぼりをくらって退屈していたエルフが声を上げた。見れば彼女が手を振る先から二人の男が歩いてくる。一人はリオン博士と、もう一人は提督……つまり自分の本当の父親だった。


 それを見た瞬間、アンナの目玉がくるくると回りだした。彼女は思考も定まらないまま、今一番会いたくない人に見つかってしまって、頭が真っ白になってしまった。どうしていいか分からなくなった彼女は、狼狽するように二三歩よろけると、背中を向けてそのままどこかへ駆け出した。


「あ、アンナさん!」


 呼び止めようとするブリジットの手が虚しく宙を掴む。その視線の先を、アンナは一目散に逃げていった。


「悪い。邪魔したか?」


 ブリジットが溜め息をついていると、やってきたばかりの但馬が申し訳無さそうに謝罪の言葉を口にした。彼女は首を振って、


「いいえ、大丈夫ですよ。それよりどうかされたんですか? 狩りには興味ないって、キャンプに残られたと思っていたのですが」

「ああ、ちょっと聞きたいことがあって、おまえのことを探していたんだ」

「私ですか?」

「みんなが出て行ってから、リオンと二人でキャンプ地周辺の調査をしてたんだが、ちょっと気になることがあってさ」


 そのリオンはエルフに捕まって、今はあちこち連れ回されている。但馬はそんな二人の様子を微笑ましそうに遠くに見ながら、


「この辺の植物を調べている際、放出するマナの量の測定をしてみたんだが、これまでに調査してきたアジアや日本と比べると、明らかに増えてるような気がしてさ……今、空気中のマナの操作に一番長けてるのはおまえだろう? どう感じるか、意見が聞きたくて」

「ははあ、いいですよ。ちょっと待ってください……」


 そう言われたブリジットは、目を閉じて周辺の空気に注意を払った。


 3年前にリディアの地で目覚めた彼女は、師匠であるリーゼロッテが自分が寝ている間に新しい技を会得していたと聞き及び、あまつさえ、その技を妹弟子に先に伝授したと知って、ずるいと言ってしつこく師匠のことを追いかけ回していた。


 以来、3年間修行を続けてきた彼女は、今となっては修行を怠ってきたアンナやアトラスなどとは比べ物にならないくらいの達人になっていた。


 その能力はもはや師匠を凌駕し、古代人である但馬と比べても遜色ないほどにまでなっていたので、彼はそんな彼女の意見を聞きたいとやってきたわけである。


 問われたブリジットは、暫くの間目をつぶってじっとして身じろぎ一つしなかったが、やがて彼女の体を包み込むように緑色の光が明滅しだすと、彼女はゆっくりと目を開いて、ぼんやりと焦点の合わない瞳で言った。


「……そうですね。確かに。なんとなくですけど、いつもよりマナを多く感じるかも知れません」

「やっぱりか。それって、ロディーナ大陸にいたときと、どっちの方が強い?」

「うーん……本当に微妙な差ですけど。旅に出る前と後では、今の方が少し強く感じる気がしますか」


 そう言うと、ブリジットはふと何かに気づいたように、人差し指を自分の顎に当てながら、


「そういえば……さっきアンナさんが魔法を行使したとき、腕を上げたなって感心したんですよね」

「ああ、それで?」

「日本滞在中に、一度アンナさんと手合わせしたんですが、その時と比べても技のキレが増していた気がしたんです。この短期間で成長したんだとしたら凄いなって思ったんですが……よく考えてみれば、それこそこんな短期間でありえませんよね」

「……つまり、聖遺物を介した魔法の威力も増しているってことか」

「これって、どういうことでしょうか?」


 ブリジットが問いかけると、但馬は眉間にしわを寄せて難しい表情をしながら、


「元々地球の気流の関係上、マナという物質は赤道上に集まる傾向が強いんだ。だから人類は、赤道直下のロディーナ大陸に集中して住んでいたわけだが……でも、あちらと比べても、こっちの方が濃いとなれば話は変わる。どうしてここの方がマナが濃いのか……可能性としては、マナを再生産する樹木の数が多いということか、もしくは、マナを排出する世界樹がどこかにあるかも知れないということか……」

「この近辺に世界樹があるかも知れないんですか!?」


 ブリジットは目を見開いて驚いている。但馬は頷いて、


「……本来なら、本物の太陽を取り戻した時点で、地球上にある全ての世界樹は活動を停止したはずなんだ。それでも、空気中のマナがいきなり無くなるわけじゃないから、暫くの間は魔法が使えてもおかしくないんだが……


 あれから3年経っても、俺の能力は一向に衰えることがなく、君も相変わらずヒール魔法が使える。アンナも、未だ聖遺物を使い続けているようだ。だからおかしいと思ってはいたんだが」

「仮に世界樹があったとして、何か問題があるんですか?」

「はっきりとしたことは分からないが……」


 但馬は歯切れが悪そうに続けた。


「地球の大気には温室効果ってのがあるんだ。太陽の光で温められた地球の温度は、普通ならそのまま宇宙に逃げていってしまうんだが、大気に含まれている特定のガスがそれを吸収するお陰で、地球は快適な温度を保ってられるんだ。


 実はマナにはそれと同じ効果があって、そのお陰でかつての偽の太陽の中でも、地球は凍ってしまわずに済んでいたんだ。それでもセレスティアは氷で閉ざされてしまうくらい、全体として気温が低かったわけだが……


 本物の太陽を取り戻した今では、これも無用の長物だ。もしかしたら、今回の干ばつの原因になってるかも知れない」

「もしもそうなら、早く無くさなければいけませんね」

「まあ、まだ可能性だけで、絶対にあると決まったわけじゃないんだが……もしもこれ以上マナの量が増えることがあるとしたら、その近辺に世界樹があるかも知れない。おまえも気をつけていてくれないか?」

「わかりました。気づいたらすぐお知らせします。そうでないことを祈りますが」

「ああ……」


 但馬は河原に積み上げられている大量の鹿の死骸に目をやった。


 周辺の森の木々は鬱蒼と茂っており、緑色の天井からは木漏れ日が滝のように漏れ落ちていた。小鳥のさえずりが絶え間なく響き、小川のせせらぎが心音のように規則正しく時を刻んでいる。


 これがかつて氷に閉ざされていたシベリアと呼ばれた土地の現在だった。つかの間の夏を永久凍土の雪解け水だけで乗り切り、木々の割れる音と凍てつく寒さを耐え忍びながら、長く厳しい冬を越える、真っ白な大地はもはやどこにもない。


 多種多様な植生と、幅広の広葉樹の生い茂る密林の地面は黒い腐葉土で覆われていて、一見豊かに見えるが、豊富な雨量が土壌の栄養も洗い流してしまうから、思ったよりも貧栄養だ。その昔、タイガと呼ばれていた、独特な縞模様の大地はもはやどこにも見当たらず、地震か何かで隆起した崖にその面影を残すのみだった。


 その崖を調べていてわかったことだが、タイガの地層と今の熱帯雨林の地層の間は、まるで礫砂漠のような不毛な層によって断絶されていた。


 おそらくその頃、地球は一度滅びてしまったのだろう。これまで調べてきた各地の地層から概算して、それはおよそ一万年前と推定していた。


 そしてその頃、世界樹があちこちに建てられたのだろう。その頃の人類にとってロディーナ大陸、つまり南極大陸は特別思い入れがある土地じゃなかった。


 だとしたら、古代人たちは世界樹を、世界中にどのように分布したのだろうか……?


「おーい、ていとくー! 見てみてー! エルフが狩ったんだよー!」


 焦点の合わない視線で、じっと積み上げられた鹿を見ていたら、いつの間にかその隣にエルフがいて、自分の狩った獲物を自慢するように手を振っていた。彼はそんな亜人の子を微笑ましく見ながらも、ふと違和感を覚えた。


 しかし、その違和感の正体が分からない。


 何がそんなに気になるんだろうか? 彼の思考はまた内へ内へと沈んでいき……そして暫く戻ってこれなかった。


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