表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
グレートジャーニー(玉葱とクラリオン after story)
376/398

北極海周遊編①

挿絵(By みてみん)


 新大統領から世界一周の命を受けたレムリア海軍エドワード・ジョンストン提督艦隊は、植民候補地の一つであるアジアの調査を終え、次の目的地、ベーリング海峡を目指していた。大昔とは地表が90度ズレてしまっている現在の地球では、このアラスカとシベリアを分ける海峡は赤道直下にあり、太平洋と大西洋を分ける関門となっているのだ。ちょうど現在のパナマ運河みたいな位置づけだろうか。


 もしもこの海峡を通過出来なければ、艦隊はぐるりと南北アメリカ大陸を迂回しなければならなくなるだろう。ほとんど出発点に戻るくらいの逆走である。だが逆に言えば、ここさえ通れればもう船の航行を妨げるものはほとんど無い。だから通過できるかどうかは、出来るだけ早めに抑えておきたいところであった。


 日本で亜人の集落に立ち寄った彼らは、補給を受けた後、進路を北へ向けた。地表がズレてしまった現在の地球でも、日本は北に北海道、南に九州があって、大雑把な位置関係は変わっていなかったが、半球が南に移ってしまっていたから、北に行くほど暖かくなるというアベコベな環境になっていた。暑い北海道と豪雪地帯の九州。尤も、それを奇妙に感じる者など、この世にはたった一人しか存在しないのであるが。


 そんな艦隊は日本沿岸を北上し、間もなく釧路沖へ到達しようとしていた。亜人の村を発ってわずか3日のことであり、このまま順調に行けば、あと一週間もかからずに目的の海域へとたどり着ける計算である。


 その途上。


 日本からこの探検航海に参加したアンナは、新米の下っ端水夫としてこき使われ、多忙な日々を過ごす……こともなく、提督のゲスト扱いで立派な船室を与えられて暇を持て余していた。


 それじゃ気が引けるから何か手伝いを買って出ようとしたのだが、ここで彼女のやれることは何もなかった。この探検船団は、元々がレムリア海軍の所属であり、乗組員はみんな訓練を受けた元軍人ばかりで、役割分担が細かく決まっているのだ。最悪の場合、甲板掃除くらいは覚悟していたのだが、そういった雑用すらもスケジュールが組まれており、後から入ってきた素人の彼女の出る幕ではなかった。


 まあ、仕事をしないで済むのなら、それはそれでありがたい話であるから、せめて船員たちの邪魔にならないよう、船室に引きこもっていたのだが、そればっかりでは鬱憤が溜まる。たまにはストレス解消しなければノイローゼになってしまうだろう。


 幸い、彼女にはギターという趣味があった。この大海原の上で潮風に吹かれながら弾いたら、さぞかし心地良いだろう。彼女はそう思ってギターを背負うと、いそいそと部屋から通路へ出た。


 部屋から出て暫く進むと、船内を忙しなく歩き回る船員たちの姿が見えてきた。急ぎ足の彼らは皆、行く手からアンナが来るのに気づくと、海軍式の敬礼をしながら壁に背中をくっつけるように通路の脇へ寄って、彼女を先に通そうとした。


 船の廊下はとても狭くて、こうしないと人がすれ違えないのだが、しかし、アンナのほうが年下だし体も小さいし、なにより新参者なのだから、避けるなら彼女のほうが避ける方が自然だろうに、彼らは提督の客人に敬意を払ってそうしているのだ。


 これにはアンナも参ってしまい、気を使わないでほしいと言っているのだが、相手は軍人で上下関係に厳しいせいか聞いて貰えず、それがまた彼女にプレッシャーを与えていた。


 アンナは、敬礼したまま微動だにしない船員にペコリとお辞儀すると、体を横にしてそそくさとすれ違った。通り過ぎると船員はまた敬礼をしてから、忙しそうに早足で去っていった。アンナが船内をうろつき回るだけで、彼らの仕事の邪魔になってしまうのだ。


 本当に息が詰まりそうだ。早く甲板に出てしまいたい。


 しかし、そう思って彼女がギターを担ぎ直すや否や、すぐまた目の前の曲がり角から人がやってくる気配がした。彼女は足を止めると、あと何回すれ違えば甲板まで出られるだろうかと、うんざりしながら相手の出方を窺った。


 こっちに来るなら、また不必要に敬礼されるのだろう。憂鬱だ。そうして、溜め息をつきながら待ち構えていると、間もなく廊下の向こう側からヌッと人影が現れたのだが……その男の姿を見るや、彼女は雷に撃たれたかのように固まってしまった。


 その時、廊下を曲がってやってきたのは、この艦隊の総責任者であるエドワード・ジョンストン提督……つまり、本物(・・)の但馬波瑠だったのだ。


 黒目黒髪の引き締まった体格の長身の男で、これといって特徴のない顔立ちをしているのに、やけに人を惹きつける不思議な迫力のある人物だった。じっとその目に見られていると、非常に居心地が悪くなってくる……というか、おそらく、その深淵を見つめて来たような瞳が、見る者の不安を掻き立てるのだろう。それが人によっては畏敬に感じられるのだろうが、アンナにとっては不吉でしかなかった。


 それとも、これは彼女が彼の子供だからそう感じるだけなのだろうか? 男同士じゃあるまいし、女性のアンナが父親からのプレッシャーを受けることは、心理的にもそう無いだろうに、彼女は目の前の男に対して強烈な苦手意識を持っていた。


 それは彼の方もそうなのであろう。


 提督は曲がり角の先にアンナが居ることに気づくと、彼女と同じように、虚を突かれたような表情で固まった。


 そして二人は暫くの間見つめ合ったままピクリとも動かず、やがてどちらからともなくゆっくり半身を捻ると、通路の壁に背中を預けてカニ歩きのようにすれ違っては、一言も会話を交わすことなく、二人とも振り返ることもなく、別々の方向へと歩き去っていくのだった。


 彼女は角を曲がるなり大きな溜め息を吐いた。どうやら呼吸を止めてしまっていたらしい。本当に息が詰まっているだなんて、馬鹿げた話だ。


 狭い通路をくぐり抜け、ほとんどハシゴみたいな階段をいくつも上り、どうにかこうにか甲板までたどり着いた。脳天に突き刺さるような眩しい陽光が肌を焼き、生ぬるい海風が額に滲んだ汗を拭い去っていった。


 船の甲板は非常に広くて、数百メートル先までだだっ広い空間が広がっていた。そのまま運動会が開けそうなくらいである。なぜこんなに広いのかといえば、実は現在、アンナは探検船に乗っているのではなく、それに随行するタンカーに乗船しているからだった。


 世界一周航海をするにあたって最大のネックは、船の燃料問題にあった。探検船は一昔前の帆船ではなく、最新鋭のディーゼル船で構成されているからだ。言うまでもなく、その方が安全であるからなのだが……約4万キロを漫然と進むだけならいざ知らず、途中、あちこちに上陸したり、その周辺海域を調査して回るとなると、どうしても燃料が足りなくなる。途中で給油の必要があるため、こうして燃料を満載したタンカーが随行しているというわけだった。


 村の港湾に現れたとき、探検船団は全部で3隻だったが、実は沖にもう1隻タンカーが控えていたのだ。海上で乗り換えてその広大な甲板に降り立ったときは、レムリアではもうこんな船が当たり前のように作られているのだと、彼我の技術力の差を感じた。


 日本に移住してから3年。久しぶりにロディーナ大陸のことを思い出させる出来事だったが、今もあっちで暮らしている船員たちには、村はどんな風に見えたのだろうか。母のために父を連れて帰ると息巻いて出てきたが、本当にそんなことが出来るのだろうか。まだ旅は始まったばかりだというのに、アンナは既に少し不安になっていた。


「エイッ! ヤーッ! タァーッ!!」


 そんなことを考えながら黄色い太陽を見上げていると、風に乗って元気な声が聞こえてきた。見ればデッキの中央辺りに陣取って、ブリジットが剣の素振りをしていた。


 彼女の振るう剣は鋭く、まだだいぶ遠くのはずなのに、剣先が風を切る音が聞こえてくるほどだった。実際、それは誇張でも気の所為でもないかも知れない。村で一度手合わせをしたが、彼女の実力は桁が外れていた。


 物心付く前から聖遺物を操り、剣聖の弟子であり、魔王を倒し勇者と謳われたアンナは、実を言えば自分の実力に少しは自信を持っていた。確かにここ数年は平和な日本で、修行を怠っていたかも知れないが、それでも並の人間であれば何百人が束になっても敵わないはずだった。その自分が、まるで子供みたいに手も足も出なかったのだ。なんなんだろう、あの剛力と人間離れした身体能力は……


「あ! アンナさん! アンナさん!」


 その時のことを思い出してげんなりしていると、ブリジットがパタパタと足音を立てて駆け寄ってきた。まるで犬みたいに屈託のない笑顔で、きっと尻尾がついていたら、千切れるくらいぶん回しているところだろう。うんざりする。


 彼女は目の前でキキーッと急ブレーキを踏むと、


「お散歩ですか? 船旅はやることがなくって退屈ですよね。よかったら一緒に修行しませんか?」

「え、嫌よ……」


 開口一番、修行しようと誘われたのは生まれて初めての経験であった。というか、普通そんなやつ居るわけがない。なんだこいつはと思いつつ、即座にお断りすると、彼女は一瞬だけシュンと落胆してから、また気を取り直したように笑顔に戻ると、


「じゃあ、一緒に手合わせをしませんか?」

「嫌よ。冗談じゃない」

「それなら、軽く素振りなど一緒にどうです? 木刀お貸ししますよ」

「いらないってば」

「そんなこと言わずに、さあ、さあ」


 木刀をお貸ししてくれる女子って何なんだ……強引に迫ってくるブリジットを押し返しつつ、アンナはギロリと睨みつけると、


「だから嫌だって言ってるでしょう!? どうしてそんなしつこいの?」

「だって、船には女性なんて他に誰も居ないじゃないですか。数少ない同性の友達として仲良くしましょうよ」

「誰が友達よ! 大体、女同士の遊びに、剣の修行を持ち出してくる人間がどこにいるの!?」

「なら、お茶でもどうです? 私の部屋にお茶菓子ありますよ」


 アンナはぎりぎりと奥歯を噛みしめると、


「嫌よ! あなた忘れてるかも知れないけど、私はあなたからお父……魔王を連れ戻すために来たんだからね。必要以上に仲良くしようとしないで」


 するとブリジットは腕を組んでわざとらしく頷きながら、


「ふむふむ、なるほどー。なら、尚更のこと手合わせしましょうよ。アンナさんが勝ったら、私がお父さんとの間を取り持ってもいいですよ。船に来てからお二人共、まだ一度も落ち着いて会話もしていませんよね?」


 こっちの敵意などお構いなしの屈託のない笑顔に、アンナはめまいを覚えた。まだ何もしていないのに、なんだか負けたような気がする。


 彼女はうんざりするように目を覆って天を仰ぐと、ブリジットのことを見下すような憎悪に満ちた目つきで言い放った。


「……あんたと馴れ合う気はサラサラないわ。勘違いしてるかも知れないけど、私の実力はあんなものじゃない。魔王を倒した時みたいに、マナの操作も行えば、あんたに勝ち目なんか絶対にないんだからね」


 するとブリジットはニヤニヤとギラついた笑みを浮かべながら、


「それは楽しみですね。私も師匠にお灸をすえてこいと言われた手前、あんな程度で降参されては、拍子抜け過ぎて消化不良だったんですよ。今度こそ死物狂いの勝負をしましょうよ。私はヒール魔法が使えますから、手足の一本二本くらいちぎれ飛んでも構いませんよ」


 その目つきはとても姫と呼ばれるような人がしていいようなものではなく……脅すのは逆効果だったと、アンナはため息を吐くしかなかった。


 それにしても、こんな戦闘狂が、あの呑気な仲間(アーサー)の叔母でもあり、世界を征服する寸前までいったアナトリア帝国の皇帝でもあって、美姫と謳われた伝説の人物だと思うと目眩がしてくる。


 さぞかし臣民は苦労したことだろう……いや、その臣民とは、他ならぬ魔王のことではないか。


 アンナは母そっくりに眉間にシワを寄せると、この狂人から逃れるために何か口実がないかと視線を巡らせた。すると、たった今自分が出てきた出入り口から、アトラスが甲板に出てくる姿が見え、


「アトラス!」


 彼女が呼びかけると、室内から出てきたばかりで眩しそうに目を細めていたアトラスが、きょとんとした表情をしながら歩み寄ってきた。アンナは、近づいてくるアトラスの方を見ているブリジットに向かって、


「……そういえば、あんたと私は同門だったよね?」

「ええ、そうですよ。そうでした! 私はあなたの姉弟子ですからね。お姉さんの言うことは聞かないといけませんよ。じゃなきゃ破門です、破門」

「そんなの知らないわよ……ところで同門って言ったら、あいつも同門じゃない?」


 アンナがそう言ってアトラスを指さすと、ブリジットはたった今それを思い出したかのように目をパチパチ瞬かせながら、


「そういえば、そうでしたね……エリオスさんの息子さんですか。ふーん……」


 そう言った彼女の瞳は、値踏みするようにアトラスに注がれている。アンナは彼女の興味が自分から逸れたことを確認すると、これ以上絡まれないように、そそくさと彼女の視界からフェードアウトした。


 アトラスは人のことを呼び止めたくせに、何故かコソコソしているアンナのことを不審そうに眺めていたが、すぐブリジットに捕まってしまい、それどころじゃなくなってしまったようだった。アンナはウザ絡みしているブリジットの声を背後に聞きながら、スタコラサッサと逃げ出した。


 ここにはストレス解消にギターを弾きに来たのだ。あんなクレイジーな女に付き合っていたら、逆にストレスが溜まるだけである。


 そんなアンナが、ギターを弾くにはいい場所はないかと探していると、どこかからプポーとか、ペポーとか、気の抜けたラッパの音が聞こえてきた。


 その調子外れな音に思わず脱力しかけたが、いったいどんな下手くそが出しているのだと出どころを探れば、船首の方の一段高くなっている縁のところで、海に向かってラッパを構えている男の姿が見えた。


「魔王……」


 思わず口をついて出た言葉だが、実際には彼は魔王ではない。エーリス村のハルという名前で、自分や自分の家族とは色々と因縁のある人物らしいが……


 彼は背後にいるアンナには気づかず、海に向かって熱心にラッパを吹き続けている。彼女は少し迷ったが、やがて彼に声を掛けようと、船首に向かってゆっくりと歩き始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。よろしければ是非!
― 新着の感想 ―
[一言] あらツインテールのアーニャちゃん可愛らしい
[良い点] 更新だ!!!!!ありがとうございますっっ [一言] アンナちゃんとお父さんが仲良く会話する日は来るのだろうか……
[良い点] 更新があったこと [一言] おめでとうございます! また購入させてもらいます!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ