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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
グレートジャーニー(玉葱とクラリオン after story)
372/398

日本訪問編⑨

 抜き身の剣の切っ先を交えて、小柄な金髪の女性が正眼に構えていた。彼女が握る得物はごく普通の鋼の刀で、自分の手にする聖遺物(アーティファクト)とは根本的に違っていた。まともにやりあったら勝てるわけがない。もちろん、聖遺物を持つ自分ではなく、相手の方がである。


 アンナはギリギリと奥歯を噛み締めた。


 普通の人間なら、自分が剣を抜いたところで怯むはずなのだ。なのに相手は悠然と刀を構えたまま、早く打ってこいと言わんばかりに、あくびを噛み殺しながらゆらゆらと揺れている。


 その余裕ぶった姿には腹が立ち、さっさとぶちのめしてやりたかったが、いかんせん、相手の技量は底が見えなかった。対峙した瞬間、なんとなく、剣聖リーゼロッテとはまた違う威圧感を感じたのだ。


 剣聖のそれが相手の都合などお構いなしに何もかもふっ飛ばしそうな暴力だとすれば、目の前の相手からはそういった圧力は一切感じられなかった。まるで縁側でお茶でも啜りながらチェスでも指してるような、そんな気楽さすら感じる。だが、そう思って動こうとすると、途端に空気がピンと張り詰めたように身動きが取れなくなるのだ。


 動いたら負ける。おそらく相手はカウンターを狙っている。それが分かっているから動くことが出来ないのだが、しかし、圧倒的に有利なはずの自分の方が追い詰められているというのは、どういう了見なのだろうか……その事実がまた、プレッシャーを与えていた。


 アンナの手にする神剣ハバキリは、あの魔王のために作られた世界最強の聖遺物のはずなのだ。使えばどんな相手でもイチコロに、なんなら消し炭へと変えてしまうだろう。だから恐れることは何もないというのに、彼女はそれでも一歩も動けずにいた。


「ほらほら、さっきまでの生意気な口はどうしたんです? さっさとかかってきて下さいよ。このままじゃ日が暮れちゃいますよ」


 ブリジットはニヤニヤ笑いながらゆらゆら揺れている。その挑発的な態度にイライラが募る。どう考えても圧倒的に有利なのは自分のはずなのに、何を恐れることがあるのだろうか?


「アンナはまだハバキリソードの力を引き出せるのよ! 聖遺物を持たない人間が勝てるわけないじゃない!」


 ギリギリと奥歯を噛み締めながら飛び込むタイミングを窺っていると、横からアトラスの焦っているような声が聞こえてきた。この中で唯一、自分の仲間と呼べる彼の言葉を聞いて、彼女は俄然勇気が湧いてくる気がした。


 そうだ、彼の言う通りだ。相手と違って、聖遺物を使える自分が恐れる理由は何もない。彼女はそう自分に言い聞かせると、腹をくくって周囲のマナを集める呪文を唱え始めた。


「高天原……豊葦原……底根の国……三界を統べし神なる神より産まれし御子神よ、其は古より来たれり、万象を焼き尽くす業火なれり」


 詠唱に呼応して、彼女の体が緑色のオーラに包まれる。


 まるで竜巻が渦巻くかのように周辺のマナが集まってきて、彼女の剣の切っ先でまばゆい一つの光点へと凝縮していく。目もくらむほどのその光に、どれほどのエネルギーが込められているのかは言わずとも知れていた。かつてその火はヴィクトリア峰の広大な森を薙ぎ払い、そこに住まうエルフもろとも焼け野原にしたものだ。


「薙ぎ払えカグツチ!」


 その光が一直線に自分の方へ向かってくるのを目で追いながら、ブリジットは懐かしそうな笑みを浮かべた。


 この光を初めて目の当たりにした時、彼女は彼に一生ついていこうと決めたのだ。思えばあれからかなりの年月が流れたが、今もあの時誓ったままに、彼女は彼の隣りにいた。


 それを誇らしく思うと同時に、その彼と無責任に別れろなんて言いだす小娘にちょっと腹も立っていた。彼女は迫りくる光点に刃先を合わせると、すっとすくい上げるようにそれを突いた。


 一方、大人気なく魔法を行使したアンナは対象的に焦っていた。聖遺物を持たない相手なんて、自分からしてみれば丸腰と変わらないはずだ。なのに、ついカッとなって、最大の威力で魔法を撃ってしまった。


 そんな配慮が出来ないくらい、自分は追い詰められていたのだろうか?


 その事実に驚くと同時に、相手がアンナの撃った光弾を避けようともしないことに更に驚愕した。あれが炸裂したら、この辺一帯は吹き飛んでしまうだろう。彼女も分かっているはずだ。


 だから本来だったら彼女が避けた瞬間、わざと空中で爆発させて、その爆風で相手を制するはずだった。ところが彼女は避けないどころか、あろうことかその光に、無造作に刀を突き刺したのである。


 瞬間、目もくらむような猛烈な光を発して、光弾は数千度の炎となって周囲に吹き荒れた。


「きゃあああーーーーっっっ!!!」


 それを目と鼻の先で食らったアンナは、自分が撃った魔法の爆風に吹き飛ばされ、地面をゴロゴロ転がっていった。


 回転する視界の片隅で、エリオス親子が慌てて子供たちを避難させている姿が見える。アンナはそれを見てハッとした。自分のせいで、危うく子供たちを怪我させてしまうところだったのだ。それに気を取られているとき、彼女はふいにゾクリとした悪寒を感じた。


 確かに自分は間違いを冒した。しかし今は戦闘中で、気にすべきはそっちじゃない。あいつはどうなった……?


 慌てて目を凝らしても、薄れゆく炎の向こう側には、もう誰の姿も確認出来なかった。あの女が消し飛んだとは思えない。相変わらず、あの言いようの知れぬプレッシャーを、どこからともなくヒシヒシと感じるからだ。


 なら彼女はどこにいるのか!? と全神経を研ぎ澄ませると、中天の太陽の中から何かが迫ってくるような気配を察知した。


 キンッ!!!


 と、金属同士がぶつかる鋭い音が広場に響いた。アンナが気配だけを頼りに薙いだ剣が相手の刀を弾き、辛うじて軌道を逸らした彼女のすぐ脇にブリジットが落ちてきた。


 彼女は勢いを殺さず回転受け身で距離を離すと、まだ腕が痺れて剣を持ってるのがやっとなアンナに正対するよう、数メートル先にストンと軽やかに着地した。


 自ら爆炎に突っ込んでおきながら、傷ひとつすら負っていない。逆にアンナのほうが爆風のせいで煤と埃まみれになっていた。これじゃ、どっちが聖遺物持ちかわからないと困惑していると、相手の姿がゆらっと蜃気楼のように蠢き、かと思えば、次の瞬間にはもう目前に迫っていた。


 ガキンッ!


 交わる剣が火花を散らし、息がかかるくらい目の前に彼女の爛々とした瞳が迫る。グイグイ体重をかけて押し込んでくる相手を、鍔迫り合いで必死に押し返していると、


「ほらほら、最初の勢いはどうしたんです? 私からお父さんを奪うんじゃなかったんですか?」

「こ……こんのーーーっっ!!」


 その挑発にアドレナリンが吹き出したアンナは、剣を強く握り直すと力任せに相手のことを押し返した。


 みるみる内に彼女の体からは緑色のオーラが立ち込める。聖遺物の力によって、身体強化の魔法を受けたアンナの体は、今ならダンプカーの突進すらも弾き返すだろう。そんな力に押し返されては、さしものブリジットも引くしかなかったようだが、彼女は二歩三歩たたらを踏んで止まると、すぐに気を取り直したように、また手にした刀を無造作に打ち込んできた。


 キンキンと、今度はリズミカルな金属音が辺りにこだまする。上段から振り下ろされる刀をいなし、横薙ぎの攻撃を受け流し、アンナは次々と繰り出される攻撃を辛うじて返すので精一杯だった。


 それは傍から見れば稽古でもつけられているようにしか見えなかっただろう。身体的にはアンナのほうが圧倒的に有利なはずなのに、ブリジットの無駄のない攻撃は彼女に反撃の隙を与えなかったのだ。


 このままではジリ貧だ。強引にでも、どこかで思いきらなければ……


 焦るアンナが力任せに剣を振るうと、ブリジットはその剣を躱さずに受け止め、そのまま飛んでいってしまった。彼女の技量であれば避けるのは容易かっただろう。見る人が見ればおかしいと感じたはずだ。しかし、追い詰められていたアンナはそれを隙と見て取ると、また彼女に距離を詰められる前にと、急いで魔法を放った。


 今度は無詠唱で放たれた光弾が、ドンとブリジットの足元で炸裂した。砂埃が舞い、砂利がビシビシと顔面に当たって、彼女は鬱陶しそうに目を細めた。アンナはその隙を見逃さずに、身体強化された筋力をフルに使って、信じられない速度で相手に迫り、アッパーカットみたいに思いっきり剣を下から払い上げた。


 その大振りな攻撃を避けるのは、素人でも簡単だったろう。事実、ブリジットはそれを空高く飛んで避けようとした。


 しかし、それが狙いだった。


 いくら達人といえども、空中で方向転換することは出来まい。逆に、身体強化された今の自分なら、振り上げた剣を強引に引き戻して連続攻撃することだって可能だ。


 アンナはバチンバチンと悲鳴をあげる筋繊維を犠牲にして、強引に体勢を整えると、たった今振り上げたばかりの剣の勢いを殺さず、殆ど倒れ込むように前のめりになって、宙を舞うブリジットの下を掻い潜り、その着地点へ先回りするように滑り込んだ。


 狙い通り、ブリジットは空中でそれを迎え撃たなければならなくなった。普通ならせいぜい斬撃を逸らすので精一杯だろう。


 アンナとしてはそれで十分だと思っていた。それで隙さえ作れれば、次も自分が先手を取れるから、そこで畳み掛ければいい……そのはずだった。


 ところが、着地点で待ち構えているアンナの目の前で、空中を錐揉みしながら落ちてきていたブリジットが、突然、体を半分捻ったかと思えば、両足を大きく開いてぐにゃりと回転軸をズラして、構えた刀を軸に側転し始め、かと思えば、更に半回転ひねりを加えて、最後は前宙しながら高速で刀を振り下ろしてきたのである。


 なんなんだこの変態的な動きは……


 受けるどころか逆に攻撃してくるとは思ってもみなかったアンナは、無理な体勢で待ち構えていたのが仇となって、自分の方が受けに回るしかなくなってしまった。彼女は慌てて剣を構え、その攻撃を受け止めようとしたが……


 ガギギンッッ!


 っと、達人に全身全霊で叩きつけられた斬撃は、身体強化した体でも受けきれず、手首に走る猛烈な痛みに耐え兼ねて、アンナは剣を落としてしまった。


 その瞬間、ブリジットの刀も二つに折れ曲がってしまったが、剣を拾いに走ろうとするアンナよりも、その彼女の背中を踏みつけるブリジットの足の方が早かった。


 強引に、地面に叩きつけられたアンナの肺から空気が漏れる。


 彼女は一瞬、気が遠くなりかけたが、なんとか新たな酸素を吸い込むと、むせ返るように咳をしながら叫んだ。


「どいてっ!」


 彼女は、ブリジットごと体を起こそうとして力を込めたが、重心を抑えられているせいか身動き一つ取れなかった。ブリジットは暫くの間、真顔で地面をのたうち回るアンナのことを見下ろしていたが、やがて呆れるようにため息を吐くと、


「やれやれ、師匠の危惧した通りですね。こっちへ来る前は、あなたと剣を交えるのを楽しみにしていたのですが……アンナさん、あなたこの三年間、平和にかこつけて修行を怠っていましたね?」

「あなたには関係ない!」

「関係大有りですよ。私はこれでもあなたと同門なんですよ。妹弟子がこの体たらくでは、恥ずかしくて世間に顔向け出来ませんよ。師匠からは、どうせ怠けているだろうから、鼻っ柱の一つでも折ってやれと頼まれてきましたが……折ってやるほどの立派な鼻も無いんじゃどうしようもないじゃないですか」

「なんですって……!?」


 アンナは怒りに駆られて相手を叩いてやりたかったが、相変わらず地面をジタバタすることしか出来なかった。ブリジットはそんな妹弟子の姿を哀れそうに見下ろしながら、


「実際そうじゃないですか。あなたは聖遺物……それも先生から賜った神剣を所持しながら、ただの鉄の棒切れしか持たない私に勝てなかった。身体強化と攻撃魔法まで使って、私に傷ひとつすら負わせられなかった。これが今のあなたの実力ですよ」

「うっ……」

「3年前、師匠から聖遺物に頼った戦い方はするなと言われたはずでしょう。我々、聖遺物持ち(マジックユーザー)同士の戦いは、初撃の魔法の打ち合いで決まってしまう。魔力が互角であるならば、結局は本人の剣技にかかってくる。ましてや、あなたの相手は世界最強の魔王でした。剣の稽古を怠っては決して勝てない相手だった。だからあなたは必死にマナの操作を覚えたのでしょう。


 井の中の蛙大海を知らずと言いますが、この人口の少ない平和な島でぬくぬくと暮らしている間に、大分鈍ったものですね。今の貴方では到底お父様には及びませんよ。この私にすら勝てないというのに、どうして彼の側に居られると思うのですか。お母様を思う気持ちは美しいですが、実力を伴わなければただの子供のわがままに過ぎませんよ。せめて私に一太刀でも浴びせられるようになってから出直してきなさい。わかりましたか?」


 アンナは踏みつけられながらそんなことを言われているのに、相手に何一つ言い返すことが出来なかった。今の自分では彼女の足元にも及ばない。15年間も眠り続けていた相手に、こうまでも、手も足も出ないなんて……アンナは悔しいと思うよりも、なんだか自分のことが無性に情けなくなってきた。


 彼女は地面に這いつくばり、地面の砂をギュッと掴んでいる。


 その拳の振り下ろす先に何を選べばいいかわからず、アンナが悔し涙を噛み締めていると……そんな二人のやり取りを遠くの方でおっかなびっくり見守っていた魔王が、無駄にキョドりながら近づいてきた。


「あーあーあーあー、可哀想に……もう、ブリジット、おまえやりすぎだろ?」


 彼はアンナの上でふんぞり返るブリジットのことを、ドンと突き飛ばすと、アンナのことを抱き起こした。


 間近に迫る魔王の顔を前に、彼女は涙を見られまいと慌てて拭った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 但馬にしては言動に違和感あるし、 魔王の体の方は、憑依先だったお兄ちゃんの人格なのかな?
[一言] どちらも本物なのか
[一言] おかしいしいですね。時系列がほぼ同じだとするとタジマが今、二人この島にいる事になる。 自然に考えると『タジマ』から記憶継承されたクローンの『魔王』が新たに作られたから?
感想一覧
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