日本訪問編③
「みんな! 人間たちが攻めてきた!!」
そんな切羽詰まった声が響くなり、村はひっくり返るような大騒ぎになった。
人間たちに嫌気が差して、故郷を捨てて、大海原をはるばる航海してきてから約3年、ようやく安住の地を手に入れたと喜んでいたのに、まさかこんなに早く人間たちに見つかってしまうなんて……
第一発見者の男が海から駆けてくる間も、船は陸地に向かってきていたので、今ではもう高台にある村からその全貌が視認できるようになっていた。
村の入江と繋がっている湾に、巨大な3隻の蒸気船が侵入し、甲板の上を人がせわしなく走り回ってる姿が見えている。
どうやら向こうからもこちらの様子が見えているらしく、そのうちの一隻の船からボートが降ろされ、何者かが乗り込む姿が見えた。おそらく、上陸してこちらに来るつもりだろう。
その様子を見るなり、村の男たちが色めきだった。
「人間が来るぞ! 殺せ、殺せ!」
「ちょっと、待ちなさいよ、男子。まだ何もしてないのに、いきなり攻撃しちゃ駄目よ」
そんないきり立つ男たちの前に、一人の男が立ちはだかった。
それはこの獣人たちの集落の中で、唯一の人間の成人男性であり、かつてアーサー王と共に魔王を討伐して名を馳せた、エリオスの息子アトラスだった。
彼は魔王討伐後、再会した父母と共に暮らしていたのだが、ひょんなことから獣人たちの大航海に付き合うことになり、そのままこっちに定住していたのだ。
今では村に無くてはならない働き手の一人として、村長からの厚い信頼を得ていたが、何故か男ウケは悪かった。
「なんだ、アトラス! 臆したか?」
「臆するも何も……こっちには相手と敵対する理由がないんだから、まずは落ち着きなさいって言ってるのよ」
「奴らは俺たちを捕まえに来たのかも知れないぞ? また奴隷にされる前に、先制攻撃をして逆に捕まえてやろう!」
「あっちにそんなつもりはないわよ」
「なんで、そう言い切れる?」
「なんでって、向こうがその気なら、上陸する前に艦砲射撃の一発でもしてるはずでしょう?」
「むぅ……」
その言葉を聞いた瞬間、男たちは互いに顔を見合わせ黙りこくった。彼らはまだ若く、戦場に出た経験もなければ大砲も見たことがなかったが、かつてリディアの傭兵隊として活躍していた長老たちから、その話は聞いていたのだ。
ちなみに、彼らが航海に出た理由もそれだった。獣人は人間より身体的に優れているが、火砲が主力の現在では、もう敵いそうもなかったからだ。
彼らはそれを認めて渋々頷いた。
「なら、どうする? 奴らが艦砲射撃をしないように、力でねじ伏せるか?」
「だから、どうしてそうなるのよ。まずは話し合いをして、向こうの出方を確かめましょうって言ってるのよ。ねえ、それでいいでしょう? アンナ」
男たちを制止していたアトラスが、彼らの後方に目をやりながら問いかける。その視線につられて振り返ると、いつの間にか彼らの背後に村長のジュリアと、アンナが立っていた。
魔王の娘であるアンナは、魔王討伐後、どうせあっちに居ても面白くないからと、獣人たちに付き合ってこっちに移住していたのだ。ちなみに、この日本移住は彼女の母の希望でもあり、アトラスがここにいる理由でもあった。
アトラスの父エリオスは、かつての魔王の従者であり、彼は自分の息子も同じように、魔王の娘の従者にしたがっていたのだ。なので、彼女が獣人たちと共に日本に行くと決めた時、おまえもついて行けと、半ば強引に放り出されたわけである。
尤も、こうしてついてきたは良いものの、ただでさえ平和な日本で護衛なんてものは必要なく、おまけに彼女はこの島の獣人の誰よりも強かったので、アトラスは特に不自由もなく、勝手気ままに暮らしている。
そのアンナが神剣ハバキリを無造作に掴みながらやって来ると、さっきまでいきり立っていた獣人たちは、まるで借りてきた猫みたいにシュンと大人しくなった。
彼らにもアンナの強さが分かるから……というわけではなく、彼女が魔王の娘でもあるからだ。
魔王は世界の敵として、人間にこそ嫌われているが、獣人たちからしてみれば、かつて奴隷であった自分たちの解放者であり、彼らが唯一戴いた王だったのだ。その観点からすると、アンナは彼らのお姫様ということになる。
アンナはつかつかとアトラスの隣に歩み寄ると、眼下に広がる海を見下ろし、そこにいる三隻の船を見ながら言った。
「レムリアの船かな……?」
「多分、そうね。いくらなんでもこんなに早く、偶然、別の国の船がやって来るなんてあり得ないもの。私達のことを知ってるのは、ロス大統領とその周辺だけよ」
「放っておいて欲しいって言ったはずなのに、どういうつもりかな」
「さあ? 約束を違えるような人じゃないし、のっぴきならない事情があるのかも……なんにせよ、まずは話してみなければ始まらないわ。ちょうど今、船から一人、メッセンジャーっぽい人が下りてきたから、聞いてみましょう」
「リオンくんだ!!」
アンナとアトラスが話し合っている最中だった。
突然、人垣の端っこの方からそんな声が聞こえてきた。見れば、まだ年若い獣人女性が双眼鏡を覗き込みながら、しきりにボートの上を指差し何かを叫んでいる。
「村長さん! 村長さん! リオンくんだよ!」
その声に引き寄せられるように、村長のジュリアが歩み寄ってくる。巨体の村長は、彼女の頭越しにボートの上に目を凝らせると、
「……あら? あれはリオン博士よーん?」
「リオン博士?」
「レムリアの科学技術長官に上り詰めたっていう、すごい獣人の子が居たじゃなーい?」
「ああ、あの有名な?」
リオン博士とは、レムリア空母やその艦載機、更には空中戦艦タスマニア号を設計した技師で、魔王の養子でもあり、つまりアンナの義理の叔父でもあった。一度、レムリアで会ったことがあるが、確か大統領からの信頼の厚い、かなりの重臣であったはずだ。
なんでそんな人が、こんな辺境まで来ているんだろうと困惑していると、またあの年若い女が騒ぎ出した。
「村長さん! きっとリオンくんも私達と合流するつもりで来たんだよ! わーい! 今日からみんな一緒だよ! 歓迎会をしなきゃだよ!」
「そうねえ、知らない仲でもないのだし。今日は村に滞在してもらって、みんなでパーティーでもしようかしらん」
「祭りだ祭りだ」
「ちょ、ちょっとあんた達!? まずは話を聞いてからって言ったでしょう」
さっきまで殺してやると息巻いていた男たちは、まるで何事も無かったかのようにウキウキした足取りで浜辺へ向かって歩き出した。アトラスの声も聞かずにぞろぞろと流れていく人の群れは、もう何を言っても無駄のようである。
アンナとアトラスはお互いに顔を見合わせるとため息を吐いた。お気楽と言うか何と言うか、獣人たちはすぐこれだ。実際、危険は無いと思うが、せめて自分たちだけでも警戒を怠らないようにしようと決めると、二人は彼らの後に続いた。
獣人たちが浜辺に着くのと、ボートが到着するのはほぼ同時だった。
リオン博士も、まさかこんな大勢に出迎えられるとは思わなかったのだろうか、少々面食らった様子で挨拶をすると、次から次へとやってくる人々とハグを交わしては旧交を温めあっていた。その様子を見る限り、どうやら本当に敵意はないようである。
それじゃ何しに来たのだろう? と首をかしげていると、またあの年若い女が、リオン博士もこっちに合流するために来たんだよねと騒ぎ出し、それを聞いた博士は慌てて否定した。
「いえいえ、僕はこっちに移住しに来たわけじゃないんですよ。すぐまた船に戻らなければなりません」
「そうなんだあ~……」
獣人たちの耳が一斉にぺたんと倒れて、尻尾がプラプラ揺れ始める。ものすごく落胆しているようだ。アトラスはその様子に苦笑いしながら、
「それじゃ、博士は何しに来たんですか?」
「やあ、アトラスくん。アンナさんも、お久しぶりです」
アトラスが声を掛けると、獣人たちに囲まれていた博士は懐かしそうに会釈をしながら、二人の方へと近づいてきた。久しぶりと言っているけれど、言うほど彼らに面識はなかったので戸惑っていると、博士はそんな二人の困惑をよそに話し始めた。
「お二人に会いに来たというのもあるのですけど、まずは船団がこの地までやってきた理由から説明させてください。あなたたち獣人がロディーナ大陸を出て行ってから三年が経ちますが、実はその間、あっちの大陸では結構な混乱が起きていたんですよ。
海面上昇の影響でリディア王はローデポリス復興を断念し、ハリチへの遷都を宣言したり、アスタクスは3年連続の干ばつに見舞われ、多くの餓死者を出した上に、路頭に迷った農民が各国へ逃れようとし、働き手の流出を食い止めようとする貴族とひと悶着を起こしたりして、酷いことになってるんです」
「そんなことになってたんですか?」
「ええ……ところで多分ですけど、あなた方もここ数年、やけに暖かくなったという実感があるんじゃないですか?」
アトラスたちは顔を見合わせた。言われて思い出したが、こっちに来て最初の夏、アンナもアトラスも信じられないくらい真っ赤に日焼けしてしまったことがあった。もしもアンナ母がヒール魔法を使えなければ、身動きが取れなくなるところだったのだ。
二人はその原因をこの島の環境のせいだと思っていたのだが、どうやらそうでは無かったらしい。
「詳しい説明は省きますが、魔王討伐後、我々人類が取り戻した太陽は、以前とは違ってかなり強力になってるんですよ。そのせいで、今までは穏やかだったロディーナ大陸の気候が変動して、住みづらくなってしまったんです。
幸い、新大統領の施策が当たって、世界的な食料危機を回避することは出来たのですが、このまま酷暑が続きますと、多くのロディーナ大陸の民が、国を捨てなければいけない事態になりかねない……そしてその可能性は、極めて高いと思われるのです。
レムリアは移民の国ですから、彼らを受け入れる用意はあります。しかし、気候変動の影響を受けているのは我が国も同じです。また、今はまだアスタクスだけですが、今後どの国が同じような事態に見舞われるかもわからない。
そこで最悪の事態に対処するために、レムリアに代わる新たな植民地を探そうという機運が高まってきたんです」
「植民地……まさか、私たちに出てけって言うつもりじゃ?」
リオン博士は首をブルブル振って慌てて否定して、
「とんでもない! そんな野蛮なことは言いませんよ。というか、平和に暮らしている皆さんを脅かすなんてことはしなくとも、今の人類にとって世界は十分に広いんです。広すぎるともいえる」
「そうなんですか?」
リオン博士は断言するように頷いて、
「実は既にいくつか、植民地候補のあてはあるんです。その一つが、ここ日本のすぐ隣の大陸・アジアでして、私達の船団はつい先日そこを探検航海してきたところなのです」
「ははあ……」
「それで、視察を終えた私達は、次の候補地に向かっている最中なのですが……ここに皆さんが居ることを知っているのに、すぐそこまで来ておきながら素通りするのもどうかと思い。また、もしも人類がアジアに入植したとしたら、流石に皆さんと接触しないわけにもいかないので、予めその許可を取れないかと思ってやってきたわけです。まあ、まだ仮の話なんですけどね」
「それってつまり……人間が、すぐ近くに住むってこと?」
それを聞いていた村長のジュリアが不安そうに尋ねる。リオンは申し訳無さそうに首肯しながらも、
「近くと言っても、ここから二千キロ以上も離れた海の向こうの話です。あなた達の土地に入ろうというつもりはありません。それは安心してください」
「そう……ならいいんだけど」
「ただ、もし出来れば、開港はしていただきたいと思ってます。新大陸間の貿易や、商船団の補給など、協力していただけたら有り難いのですが……」
「そうねえ……どうしたらいいかしら?」
「村長。リオン博士も、まずはそういう話は後にしませんか?」
ジュリアが難しい顔をして唸っていると、助け舟を入れるようにアトラスが口を挟んできた。話の内容からしても、ここで立ち話で決めていいようなものではないだろう。博士はハッとした表情で、
「あ、すみません。確かに、こんなところでするような話でもありませんね。正式に決まったら、また相談に来ると思いますので、その時にでも……では、今回はこれで。これ以上皆さんを刺激しないよう、すぐに船を沖へ返しますから」
博士がそう言って去ろうとすると、ジュリアが慌ててその腕を引っ張った。
「まあ! そんなこと言わずに、今日は泊まっていって? みんな、博士の歓迎会をしようって言って楽しみにしてたんだから~」
「いいんですか……?」
獣人たちは一斉にパタパタと尻尾を振り回している。どうやら歓迎の意志は旺盛のようだ。彼らにとって、人間の中で活躍しているリオン博士もまた英雄の一人だからだろう。
「船員の方も、ずっと船の上じゃ大変でしょ~う? お家には泊めてあげられないけど、今日くらいは陸に上がったらどうかしら? そうそう、お水ならいくらでも分けてあげられるわ。食料はちょっと心もとないのだけど」
「それは助かります。実を言えば、どうしても陸に上がりたいって言う人たちがいるんですよ」
「あら? そうだったの? 言ってくれればよかったのに」
「呼んでもいいですか?」
リオン博士は村長の許可を得ると、沖に向かって手を振った。するとまた一艘のボートが探検船から降ろされて、モーター音を立てながら獣人たちが集まっている浜辺に向かってきた。
てっきりもっと大勢で来るかと思いきや、今度のボートの上にも、たった四人しか乗っていないようだった。人間側は本気で獣人たちに気を使っているのだろう。
ホッと安堵しつつ、ぼんやりボートが近づいてくるのを眺めていたら、アトラスは徐々に見えてくるその人影にどことなく見覚えのあるような気がしてきて、まさかと目を凝らした。
「あれは……ママ!! パパ!!」
なんと、ボートの舳先に座っていたのは、アトラスの両親エリオスとランだったのである。アンナについていけと言われ、レムリアで別れたときは、もしかしたら今生の別れになるかも知れないと覚悟していたのだが……
三年ぶりの思わぬ再会に、彼が大喜びで手を振り回していると、突然、その手をアンナが乱暴に引っ張った。
「ちょっと、何するのよ? 危ないじゃない?」
「アトラス、見て、ボートの上」
バランスを崩したアトラスが、抗議をしながら振り返ると、アンナは眉間にしわを寄せて深刻な表情をしながら、ボートの方を指さしていた。彼はムスッとしながら、
「だから、そのボートの上の二人に手を振っていたんじゃない」
「そっちじゃなくて、その後ろ」
「後ろ?」
そういえば、ボートの上には両親の他にあと二人乗っているんだった。
言われて彼らの背後に目をやれば、巨体の両親の背中に隠れるように、小柄な金髪女性の姿が見えた。その顔に見覚えは無かったが、どことなく気品があるというか、高貴な感じがするというか、いや寧ろ妙な心身的圧迫感を感じさせるのは何故なのだろうか。
その不思議なオーラを漂わせている女性の姿に気を取られつつ、アトラスは続いて、更にその後ろでせっせとボートのエンジンを操作している男へと目をやった。四人も乗っているのに、こんなことをさせられているのだから、どうせ下っ端だろうと高をくくって気にも留めていなかったのであるが……
しかし、それは早計であった。もっと早く、気づくべきだった。
彼はそこにいる人物が、一体何者であるのかに気づいて度肝を抜かれた。
「そんな、まさか……あれは……魔王!?」
絞り出すように吐き出した声が震えていた。
それもそのはず、なんとそこに居たのは、かつてこの世界を黄昏へと追いやった、魔王その人だったのである。
何かの間違いだと思いたかったが、見間違いようがない。
元リディアの宰相で発明王、S&H社という巨大グループの総帥であった彼の顔は広く知られていたし、魔王となった後、彼は人類に宣戦布告するために、不思議な力でホログラムとなって現れたことすらあったのだ。
そこにいる男は、確かにあの時に見た魔王と同じ顔をしていた。
しかし、その魔王は3年前、他ならぬ自分たちの手で打ち倒したはずである。
なのに、どうしてその彼が、何事もなかったかのように、こんなところに現れたのだろうか。
アトラスもアンナも、腰を抜かしそうになりながらも、その姿から目を離せず、呆然と立ち尽くすばかりであった。