最後の戦い②
爆音が轟き雷鳴が響く。駐屯地で始まった戦いは徐々に拡大していった。
降下地点を狙われた空挺部隊の隊員は、リンドスのあちこちへ散り散りになった。フランシスとエリックとマイケル、その他数名の隊員達は、そこで待ち伏せていたトーと交戦になったが、思いがけず魔法を使いだしたトーを相手に大苦戦を強いられていた。
人数は圧倒的に不利で、剣聖の弟子であるフランシスが頼みの綱だったのだが、そのアドバンテージが完全に消された格好だった。
それでも、魔法使いとしての力は間違いなくフランシスのほうが上だったから、その分だけでどうにか戦線を維持し続けていた彼らは、時間が経つにつれて徐々に隊員達が合流してきて次第に形勢を押し返し始めた。
ところが、この時間の経過は相手にも有利に働いたのである。彼らが駐屯地へと集まることで、周辺を警戒していたエルフも呼び寄せてしまったのだ。
トーやその部下たちだけでなく、エルフをも相手にして犠牲を払いながら、どうにか戦線を維持し続けるエリック達……トーはそんな勝ち目の無い戦いを続けるかつての友人たちを攻めながらも、ジレンマを抱えていた。内心は彼らのことを、誰ひとりとして殺したくなかったのだ。
さっさと降参し、撤退してくれればいいのに、どうして彼らはこの絶望的な状況で戦い続けるのだろうか?
ここは敵地のど真ん中だ。彼らは多分、アンナを魔王城へ安全に向かわせるための、露払いに来たのだと思っていたのだが……そのアンナは、もう先に行ってだいぶ経つのだから、これ以上ここに踏みとどまる理由はないはずだ。
何もここまでやることはないだろう。トーや亜人達は手加減をすることが出来るが、だがエルフはそうは行かないのだ。実際、エリック達は徐々に押され始め、犠牲者も出ているようだった。フランシスが八面六臂の大活躍でそれを最小限に食い止めているようだが、彼らはさっきからトーがもう魔法を使ってないのに、それでも苦戦しているということに気づいているのだろうか?
「おい、エリック、マイケル! 降参しろ! 命までは取らないでおいてやるっ!」
トーは堪らず叫んだ。もはや我慢の限界だった。
しかし、そんな彼の心配など知ったこっちゃないと言わんばかりに、
「それはこっちのセリフだ馬鹿野郎! てめえこそ降参しやがれっ!」
「余裕ぶっこきやがって! 流れ弾に当たって死んじまえっ!」
エリックとマイケルはそんなヤケッパチのようなセリフを口走ったのだった。そのセリフからして、どうやらトーが手加減していることには、とっくのとうに気づいているらしい。
「……強がりを言いやがって」
トーはどうして彼らがそんなに強気でいられるのかが分からなかった。
彼は舌打ちするとエルフ相手に大立ち回りしているフランシスの方へと矛先を向けた。もはやこの往生際の悪い者たちを止めるには、生命線である魔法使いを叩くしか無いだろう。
悪く思うなよ……と剣を抜いて、孤軍奮闘しているフランシスの背後を突くために回り込む。
そんな時だった。
突然、西の森の方で大量の鳥が羽ばたき空へと舞い上がっていった。何かに追われているかのように、カラスがギャアギャアと喚き立てる。何事か? と視線を巡らせてみれば、その森の中から続々とエルフの大軍が現れ、こちらへ向かって一目散に駆けてくるのが見えた。
その数は10や20では利かず100に届こうとしている。いくらフランシスが強くとも、こんなのに敵いっこないだろう。トーは真っ青になって叫んだ。
「おい、魔法使いっ! 降参しろ! おまえが強いのはわかったから、このままだと他の奴らが死んでしまう」
しかしフランシスは森からやってくるエルフに一瞥をくれただけで一歩も引かず、
「今更なに甘っちょろいこと言ってやがんだ、おっさん。ここで命を惜しんで逃げるくらいなら、初めから敵陣深く切り込んだりしないんだよ。それにおめえは勘違いしてる……逃げるのは俺たちじゃなくて、おまえらの方だ」
「なんだと!?」
トーはいよいよ追い詰められたフランシスの頭がおかしくなったのかと思った。
しかし、そんな彼を襲っていたエルフたちが、突然、ビクリと硬直し、何かに怯えるように森の方へ目を向けたのを見て、ようやく彼も森の様子がおかしいことに気がついた。エルフたちは、目に見えない何かに怯えている。
なんだ? 何故エルフが怯える……? よく聞けば、森からやってくるのはエルフだけではなく、その背後でドドドドド……っと土石流でも流れてくるような音も聞こえてくる。鳥の鳴き声に混じって何かが聞こえるような気がして、耳をすませば、それは大軍が発する鬨の声だった。
「馬鹿なっ!? どうしてこんなところで人の声が……?」
メアリーズヒルに上陸した大陸軍は、いずれここにもやってくるだろうと予想はしていた。しかし、いくらなんでも早すぎる。何かの間違いじゃないかと思うのだが、それじゃこの鬨の声のようなものは何なのか。
今、森の奥から土煙をあげて何かが近づいてこようとしていた。さっき飛び出してきたエルフは、トーたちに加勢に来たわけじゃない。その何かに追われて逃げてきたのだ。
次の瞬間。
森の中からチカチカ光る物が見えた。何事かと目を凝らしてみれば、それは猛烈なマナの奔流が光の束となって森の木々を焼き払っている光景だったのだ。
光が、一直線に飛んでくる。
それは森から逃げてきたエルフを背後から飲み込むと、辺り一面に、爆音、疾風、業火、あらゆる破壊をもたらして、エルフたちを一瞬にして焼き殺した。
トーはその爆風に吹き飛ばされ、腰を抜かした。
残っていた彼の部下や亜人たちも同様に腰を抜かしている。
光が消え去った後、あれだけいたエルフの大軍は塵ひとつ残さず消滅しており、フランシスを襲っていたエルフたちは、それを見て蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
何だこれは……何なんだこれは……わけがわからない。
トーが驚愕に目を見開き、呆然と森を眺めていると、エリックとマイケルがしてやったりと歓声を上げた。
「はっはー! 見たか、これがリディア王の一撃だ!」
「トー。お前たちの負けだ。俺達は坊っちゃんが来るまで時間稼ぎをしていただけなんだよ」
森の中から聞こえてきた鬨の声は、いよいよ大きくなってもはや聞き間違えようがなかった。見れば今の一撃で消し飛んだ木々の向こう側から、一直線にこちらへ向かって駆けてくる騎馬が見える。
その先頭でマントを翻し、幅広の剣を高々と掲げて駆け抜ける金髪の少年が剣を振るうたび、森のなかを逃げ惑っていたエルフが次々とその生命を散らしていった。
「……こんな馬鹿な話があってたまるか」
その圧倒的な強さはとても人間のものとは思えない。トーは夢でも見てるんじゃないかと、自分のほっぺたをつねってみた。ジンジンとするその痛みに耐えていたら、いつの間にかエルフを蹴散らしたフランシスが彼の背後に立っており、剣先を彼に向けて勝ち誇るように言った。
「さあ、おっさん、観念しなっ! 追いつめられたのはおまえらの方だ。これでもどうしてもやるってんなら、この剣聖が一番弟子、フランシス様が相手してやるぞ!!」
トーは地面で腰を抜かしながら、呆然と彼のことを見上げて言った。
「わかった。降参しよう」
「そうかそうか、一騎打ちは騎士の誉れ、逸る気持ちは抑えられまい。ここは特別にこの俺様が……ってあれ? 降参?」
トーはあっさりと肯定した。
「降参しよう。俺の命はどうでもいいから、部下たちは助けてくれ」
彼がそう言って武装を解除すると、その様子を見ていた彼の部下たちも手を挙げて降参のポーズをとった。エリックとマイケル、近衛兵たちが彼らの武器を一箇所に集めて拘束する。
「いや、降参するなとは言わんが、どうして一戦もしないでそんなあっさり負けを認めてしまうんだ。貴様、金玉ついてるのか?」
「この状況で降参しない馬鹿が居るか。お前らと違って、俺は無駄な抵抗はしない主義なんだよ」
「貴様、本当に15年前、魔王を見捨てず死を選んだ男なのか……? エリックとマイケルに聞いていたのと全然違うじゃないか」
「いやあ、トーはこう言う奴だったよ」「だっただった」「おまえらなあ……」
さっきまで殺し合いをしていたはずなのに、もう普段通りの軽口をたたき合ってる三人に拍子抜けして、フランシスが地団駄を踏んでいると、駐屯地へとなだれ込んで来た大陸軍の本隊の中にいたベネディクトが、彼のことを見つけて駆け寄ってきた。
後ろ手を拘束されていたトーの部下たちが、大陸軍に捕虜として連れて行かれる。
そんな中、一頭の立派な馬に跨って、指揮官を尋問するためにアーサーが近づいてくる。トーはその姿をしげしげと眺めながら、
「おまえがアーサーか。直接会うのはこれが初めてだが、子供の頃に何度かヴェリアで見かけたことがあるぜ。こんなに成長するって分かってたら、そっちについたんだがな」
「貴様がエリックとマイケルの友人か……思ってた通り、軽薄そうなやつだなあ」
「ほっとけ」
「どうして魔王についたんだ?」
アーサーが当たり前すぎる疑問を口にすると、トーは肩を竦めてから、
「別に。こっちの方が面白そうだったからだ。全人類を敵に回して戦おうなんて、普通のやつじゃ考えもしないし、そもそもそんなの成立しなかったろう? やり甲斐があるってなもんだ」
「魔王は何を考えてこんなことをしたんだ?」
「さあ? ぶっちゃけ理由は知らねえよ。知りたきゃ直接聞いてくれ。俺は行きがかり上、やつの手助けをしていただけに過ぎない。何しろ、死んでいたんでね……俺も、魔王も、糞みてえな人類に理不尽に殺されたんだ。理由なんざそれで十分じゃねえか」
「……そうか。貴様は流石にお咎めなしと言うわけにはいかんから、取り調べをして裁判にかけられることになるだろう。だが即、縛り首なんてことにはならんから安心しろ」
「お優しいことで」
トーはそう言っておどけてみせると、エリックとマイケルに連行されていった。アーサーはそんな二人に、剣聖たちが市内へと向かったことを聞くと、
「ベネディクト! フランシス! アンナを追いかける。ついてきてくれ」
馬を巧みに操って反転させると、颯爽とローデポリス市街へ向けて駆けていった。渋るフランシスを宥めすかして、ベネディクトとその部下たちが彼に付き従う。
木々が鬱蒼と茂る廃墟を抜けて、城壁内へ入ると、今度は打って変わって手入れの行き届いた市内の様子に、彼らは驚きを隠せなかった。
ともあれ、父が昔の記憶を頼りに書き起こした市街地の地図は頭の中に入っていたので、アーサーはそれを頼りに魔王城へと一直線に向かっていった。
すると、行く手を阻むようにエルフが現れて交戦になった。さっき森から抜けてくる時に追い散らしたエルフが、街の中で集結したのだろう。
アーサーの魔法ならこんなの相手にもならないのであるが、しかしこれだけ綺麗に残された町並みを見ていたら、この中で撃ってもいいのか分からなくなり、彼は躊躇した。幸い、街には高木が殆ど生えておらずエルフが弱体化していたため、連れてきた兵隊たちでも十分に戦える。ここは彼らに任せて先に進もう。
ベネディクトとフランシスの魔法使い二人を連れて、エルフを蹴散らしながら彼らが進んでいくと、やがて魔王城インペリアルタワー前の公園で何者かが交戦している姿が見えた。
アーサーたちが駆け寄っていくとそれはアトラスで、
「アーサー! フランシス! お願い、パパを助けてちょうだい!」
彼は公園の中で意識を失っているエリオスを守り、エルフ相手に孤軍奮闘していた。アーサーたちがすぐに助太刀に入ると、倒れているエリオスのことを見てフランシスが、
「聖遺物狩りではないか。アトラス、貴様よくこれに勝てたな。本気で凄いぞ」
「ううん、そんなことない。パパは手加減してくれたり、私に色々教えてくれたの。パパはやっぱりパパだったのよ。アーサー、だからお願い、悪いこともしたかも知れないけど、パパを許して欲しいんだわ」
するとアーサーは力強く頷き、
「もちろん許すとも。しかし話は帰ってからだ。今はそんなことをしてる場合じゃない。ベネディクト、ここを頼めるか?」
「構わないが……君はどこへ?」
「俺は剣聖様とアンナを追いかける」
アーサーがそう言って駆け出すと、背後でアトラスが叫んだ。
「二人とも中に入ってからだいぶ経つわ! 何かあったのかも知れないから急いで! でも気をつけてね!」
「ありがとう!」
彼はそう返事すると、タワーの中へと飛び込んでいった。
インペリアルタワーの一階は、これまた外と打って変わって酷い有様だった。壁のあちこちが崩壊し、外の景色が覗いている。床にはまるで恐竜の爪痕のような巨大な穿孔が空いており、ここで激しい戦闘があったことが窺えた。
剣聖の昔話を思い出した彼は、きっとここで彼女とクロノアが戦ったのだと予想した。しかし、周囲をいくら調べても二人の姿は無く、
「……剣聖様。どうかご無事でいてください」
彼はそう呟くと、不安を胸の内に抱えながらも、先を急ぐようにところどころ崩れ落ちた螺旋階段を駆け上がった。途中の薄暗い階段で何度も転がりそうになりながらも、着実に一歩一歩上り詰めた彼は、ついに最上階へとたどり着く。
そして謁見の間に続く扉の影に隠れて、慎重に中の様子を窺った彼は、その気持ちの悪い部屋の光景に眉根を寄せた。
剣聖が話してくれた通り、グロテスクな肉塊とドブのような匂いがする。こんな場所で魔王は一体何をやってるのか。その魔王の姿を探していると、彼は気づいた。
部屋の奥の方、中央付近に何やら大きな水槽のような物体が見える。形からして、アクロポリスの世界樹の中で見た生体ポッドと同じようなもののようだ。剣聖が言うには皇帝ブリジットの入ったものがあったそうだが、これがそうなのだろうか? 更に目を凝らしてよくよく見つめた彼は、そこにとんでもない物を見つけて目を丸くした。
4つあるポッドのうち一つの中に、なんとアンナが入っていたのだ。彼女は閉じ込められているのか、必死に中から壁を叩いている。ポッドは透明のガラスのようにしか見えなかったが、どうやら違う材質のものらしい。
助けなければ……
そう思って魔王の姿を探したら、そのポッドの近くにある何やらよくわからない機械をいじっている男の姿が見えた。
あれが魔王か……
ついに見つけた人類最大の敵を前にして、アーサーは全身が震えているのを感じていた。これは怖気づいているわけではない。武者震いだ……そう言い聞かせながら、慎重に近づこうとした時だった。
ザブザブと、今、アンナが閉じ込められているポッドの中に、液体が注ぎ込まれ始めた。このままでは溺れ死んでしまう。彼女はそこから逃れようとして半狂乱になって壁を叩いていた。
アーサーはこれは一刻を争うと判断すると部屋の中へと飛び込んだ。
「アンナッ!!」
「アーサー、助けてっ!!」
両手に剣を持ち、前傾姿勢で駆け込んでくるアーサーに背中を向けて機械を弄っていた魔王が振り返る。瞬間、その魔王の周囲にマナが集まりだしたのを見て、まずいと思ったアーサーはそうはさせじと先に攻撃を仕掛けた。
「エクスカリバーーーッ!!!」
アーサーの詠唱に応えて、剣が光線を発する。それは部屋全体を明るく照らし、魔王へ向けて一直線に伸びていった。不意を突かれた魔王がその光に飲み込まれると、瞬間、建物が揺れるような衝撃とともに、ドンッ! ドンッ! っと爆発音が響き渡った。
謁見の間の壁に大穴が空いて、そこから空が見えていた。魔王の姿はどこにも見えない。どこへ行ったか気にはなったが、今はもうそんな猶予もない。彼は必死になってアンナの閉じ込められているポッドにたどり着くと、剣を叩きつけてそれを割った。
バシャバシャと、ポッドの中を埋めようとしていた液体が外へと流れ出す。それが床一面に溢れると、その液体に触れた肉塊がジュウジュウと焼けるような音を立てて酷い臭気を放っていた。
ポッドから転がり出てきたアンナは満身創痍で、びしょ濡れの床の上でクタクタになっていた。アーサーは彼女に駆け寄って、大丈夫か? と手を貸した。
「気をつけて、アーサー……魔王には魔法が効かないの」
抱き起こした彼女が息を乱しながらそう言う。すると、彼女の言葉に返事するかのように、二人の背後から声が聞こえてくる。
「おまえがアーサーか……」
アーサーはギョッとして振り返った。そこにはさっきの攻撃で消し飛んだはずの魔王が、まったくの無傷で立っていた。いや、恐らく魔王は攻撃を避けたのだろう。あの攻撃を受けて無傷とはアーサーは考えられなかった。
エクスカリバーを構えて魔王と対峙する。例のホログラフで見たことがあったが、実物はあの時見たそれよりも、もっと希薄な感じのどこにでも居そうな中肉中背の男だった。
アスタクス方伯や皇王リリィなどの王と呼ばれる者は、見るからに威厳があり、それとわかるものだが、この男はそういう者をまったく感じさえない。
だがそれとは違う別の何かがあった。妙に圧迫感があると言うか、天敵を前にした生き物のように、根源的な恐怖をグイグイ感じさせるのである。
これが魔王……すごく、嫌な感じだ。アーサーは剣を突きつけながら言った。
「魔王! エルフはみんな蹴散らした。この街は包囲され、貴様にもう逃げ場はない! 降伏しろ! 多くの命が失われた人類は貴様のことを許さないだろう。だが、メディアの亜人やレムリアの人たちは、それでも貴様のことを信じてる。彼らのことを思うなら、もう無駄な抵抗はやめるんだ。そうすれば命だけは取らないでおいてやる」
すると魔王は愉快だと言わんばかりに声もなく笑うと、
「威勢がいいな、小僧。まさか俺に向かってそんなことを言う馬鹿が居るとは……そうか、外がやけに騒がしいと思えば、街が包囲されたか。だがそんなことどうでもいいだろう。おまえたちは勘違いしているぞ。エルフに勝てたからと言って、この魔王に勝てると本気で思っていたのか?」
「なにっ!?」
「1万だろうが10万だろうが、いくらでも連れてくればいいだろう。銃でも大砲でも好きに撃ち込め。核兵器だって構わんぞ、なんなら作り方を教えてやる……でもまあ、それでも俺は一ミリも傷つくことはないだろうがな」
「核兵器……? 何を言って……」
アーサーがその聞きなれない言葉に戸惑っていると、魔王が突然、なんの前触れもなく切りかかってきた。アーサーは咄嗟に迫りくる剣をエクスカリバーで弾くと、お返しとばかりに横薙ぎに剣を振るった……
その剣先がしっかりと魔王の体を捉える。
「なっ……なにぃ!?」
しかし、魔王を切ったはずの彼の剣は、そのまま彼の体を素通りし、反対側から出てきたのである。
戸惑っている彼に、魔王の追撃が迫る。一瞬反応が遅れたアーサーは、それを必死になって捌くと、再度魔王を切ろうとして……また同じように素通りする剣を見て呆然と立ち尽くした。
「ば、馬鹿な!? どうして剣が素通りする?」
すると魔王は小馬鹿にしたように笑いながら、
「そう言えば、おまえはティーバの砦でも同じことをやっていたな。実体のないものに、いくら剣を振るっても無駄なことだ。それが銃弾だろうが核爆弾だろうが同じこと。俺に物理攻撃は一切通用しないんだよ」
何故なら……
「半年前、人類に向けて宣戦布告した時、あの時おまえの前に現れたのは本物の俺だったんだよ。人類全てが、俺の幻覚を見ていると考えているようだが、そうじゃない。あれこそが俺なんだ。俺は……実体のないホログラフだったんだよ」
アーサーは度肝を抜かれた。あの時現れた半透明のホログラフが、今目の前に居る魔王と同じだったというのだ。彼には実体が無く、物理攻撃は一切通用しない。だから街を包囲されたからなんだと言っているのだ。
そんなものをどうやって倒せと言うのだ!? アーサーは絶望に目の前が暗くなるような気がした。しかし、
「い、いや……騙されないぞ、魔王。だったらどうして今、俺の剣は貴様の剣を弾いたんだ? 貴様の持つその剣は実体を持っているじゃないか。それを掴んでいるお前にも実体が無くちゃおかしいだろう」
「中々鋭いな。だがそれがわかったところで無駄なことだ。俺はこれを魔法で制御しているだけだ。俺に傷をつけられるとしたらその魔法だけだろうが……だが俺に魔法は通じない。何しろ、俺自体がこの世の魔法を司る存在。マナを制御するシステムそのものなんだからな」
「な……何!?」
「さあ、これでわかっただろう。人類がどんなに俺に立ち向かおうとしても、傷つけられない物には逆らえない。お前の負けだ、小僧。ここで死ぬか、逃げ帰って世界が崩壊するのをブルブル震えて待つが良い。好きな方を選ばせてやる」
「アーサー、逃げよう!」
すると二人のやり取りを見ていたアンナが叫んだ。彼女はそれでも魔王に剣を向けて挑もうとするアーサーのマントを引っ張りながら、
「魔王の言ってることは本当なんだよ。私の魔法は通用しない。それどころか、さっきから魔法自体が使えなくなってるの。私はそれでポッドの中に閉じ込められて、為す術もなく殺されかけた。物理攻撃が効かない。その上、魔法を使わせてくれないとあっては、もうどう足掻いても勝ち目なんかないんだよ!」
しかしアーサーはそんな怖気づくアンナに頭を振って、
「だからって俺は引くわけにはいかない。俺達はここまで一人でやって来たわけじゃないだろう。色んな人に背中を押されてやってきたんだ。剣聖様、エリックとマイケル、アトラス、フランシス。彼らの思いを無駄にして、ここから逃げ帰るわけには行かないんだ。それに、俺達が逃げ出したあと、人類はどうなる? 太陽を取り戻さなければ、どちらにしろ俺たちに逃げ場なんてないんだぞ!」
「でもっ!」
「諦めるな。何か方法はあるはずだ。俺があいつと戦ってきっと何かを見つけてみせる。だからアンナ、貴様も最後まで諦めるな!」
顔面蒼白でイヤイヤと頭を振るアンナ。アーサーはそんな彼女に背中を向けて、自分が戦うからと魔王に向かって剣を構えた。
魔王はそんな彼の足掻きを見てカラカラと笑い、
「本当に威勢がいいな、小僧……でもおまえ、魔法使いと言っても成り立てで、無詠唱はおろか、聖遺物が無ければ魔法を使うことすら出来ないだろう。そんなので俺に勝てると思ってるのか?」
「うるさいっ! やってみなければ分からないだろう」
「そうかそうか……じゃあ、やらなくっても分かるってことを、はっきりと分からせてやるよ……製造ロット○×▼◆□、エクスカリバー……リクリエイトッ!!」
その言葉を聞いてアーサーはハッとなった。
10年前、剣聖は魔王の前に到達し、その剣を奪われた。彼はこの世のあらゆる聖遺物を奪う術を持っているのだ。
アーサーは慌ててその剣を奪われまいと、しっかと握りしめた……すると、それが功を奏したのか、剣は消えること無く、アーサーの手の中で未だに輝きを保ち続けている。
魔王は一瞬怪訝そうな目をしてから、
「製造ロット○×▼◆□、エクスカリバー……リクリエイトッ!! ……どういうことだ? 全ての聖遺物は俺の管理下にあるはずなのに、何故消えない?」
改めて何かをしようとして、自分の思い通りにならず困惑の表情を見せた。アーサーは自分の手の中の剣を見てハッとする。
これはあの日、湖の畔に居たエルフ達と会話した後、聖女リリィから託されたものだった。彼女は別れ際に何かをやっていた。アーサーが現実世界に戻った時、剣の形が変わっていたからこのことだろうと思っていたが、もしかして、それだけではなかったのでは?
するとアーサーの手の中で剣が突然輝き出した。それは周囲を明るく染め、目も眩むような光を放っている。
魔王はそんなエクスカリバーの姿を見て、ありえないといった顔をしてから……
「くっ……一体どうやったか知らないが、消せないと言うなら仕方あるまい」
彼は飛び退いてアーサーから離れると、アンナから奪い返した聖遺物ハバキリソードを抜いた。不思議な方法で奪えないのなら、普通に戦って奪おうと言うことだろうか。
だが、アーサーはそんな魔王を前にして、不思議と落ち着いていた。エクスカリバーが光り輝いた時から周囲のマナがありえないほど彼の元へと集中しており、心の底から無限に湧き出るような勇気が、ものすごい力を感じさせるのだ。
湖畔のエルフは言った。魔王を倒せと……
別れ際にリリィは言った。我が主を助けてくれと……
彼らがそう言った意味は正直今でもさっぱりわからないが、ただひとつ分かることは、アーサーはあの時、彼らに何かを託されたのだ。
その力が今、彼の目の前で花開こうとしている。
「聖杯に導かれし円卓の騎士たちよ。我に力を、我に勇気を、我に艱難辛苦を与えたまえ。我が聖剣はあらゆる困難を打ち砕き、炎を纏いて鋼を断ち、闇を切り裂く光とならん……」
あの時のエルフが、リリィが、そして父ウルフが背中を押してくれる。剣聖やアンナ、エリックやマイケル、アトラスたちの思いが、この剣に乗って輝きをどんどん増していく。恐れはない。不安はない。この世の全てのマナが、まるでこのたった一本の剣に集中しているようだった。
魔王の顔が驚愕にゆがむ。
その強大な力を前に、アンナが目を見開く。
後はこの剣をただ振り下ろせばいい。アーサーは勝利を確信した。
「エクス……カリバアアアアアアァァァァァーーーーーー!!!!」
アーサーの振り下ろした剣から閃光がほとばしる。
それはまるで太陽のように輝き、灼熱の炎をあげながら、魔王へと迫っていった。
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静寂……
沈黙……
謁見の間は静けさだけが支配してた。
その圧倒的なパワーが魔王を襲った瞬間、途方もないエネルギーが空間に充満し、アンナはその衝撃波によって部屋の隅まで飛ばされた。
あまりにも強烈な威力を前に、それを背後で見ていただけのアンナですら無事ではすまず、彼女は壁に激突するとそのまま暫くの間失神している始末だった。
そんな彼女がハッと目を覚ました時には、もう先ほどまでの暴力的な光は雲散霧消し、部屋の中は薄暗闇に包まれていた。さっきの衝撃で所々に穴が開いた部屋の壁から、黄昏の太陽が覗いていた。
カランカラン……と音がなり、ショック状態の彼女はほっぺたに何か固い物が当たってることに気づいた。何だろうかと手にとって見ると、それは母の細剣であった。そう言えばさっき魔王に首をしめられた時に奪われてしまったようだが、今の衝撃で一緒に飛んできたのだろう。
せっかく手に入れた母の形見である。取り戻せて良かったと、ぼんやりとする頭の片隅で考える。
ふと、その時彼女は徐々に覚醒してきた頭で、どうして自分がこんなところに倒れているのかを思い出した。
さっきのアーサーと魔王の戦いはどうなった!?
彼女は飛ばされた衝撃でまだ震えている体に鞭打ちながら、歯を食いしばって立ち上がった。
すると、薄暮に赤く染まる部屋の中心で、一人の男が立ち尽くしているのが見えた。
右手に持つ剣が間もなく沈もうとしている真っ赤な太陽を反射してキラリと光る。
「……アーサー?」
彼女はその立ち尽くしている男に向かって問いかけた。さっきの戦い。アーサーが振るったエクスカリバーが秘めていた魔力は凄まじかった。あの一撃を食らって魔王が生きていられるわけがないと思った彼女は、自然とそこに立っているのがアーサーだと感じていた。
だが……そんな彼女の問いかけに、その男は答えることは無かった。
代わりに男は、彼のすぐ側で倒れている人影へとゆっくりと近づいていき、落ちていた一本の剣を拾い上げ、それを天井に翳し、シゲシゲと見つめながら呟いたのであった。
「なるほど、これはリリィの細工か……なかなかいい線を行ってたが……根本的に術者の腕が悪すぎだ」
そこに立っていたのは、魔王だった。
「あ……あ……あ……」
アンナは驚きすぎて呼吸が出来なくなっていた。まさかあれだけの攻撃を受けて、勝ったのが魔王の方だったなんて、とても信じられない。それどころか魔王は殆ど傷を負っていないようなのである。
逆にアーサーの方は全身血まみれで、白目を剥いてピクピクと痙攣していた。体は不自然にエビ反って、時折、イビキのような気味の悪い声を発したが、恐らく意識は無いだろう。生きているのが不思議なくらいの傷だった。
助けなきゃ……でも、足がすくんで動かない。
アンナはその時、自分が心の底から恐怖を感じていることに気づいた。
物理攻撃が効かない。魔法も効かない。実体がなくて世界中のどこにだって神出鬼没……
こんなものに自分は戦いを挑んでいたのか?
こんなの、どうやったって勝ち目は無いではないか!
10年前、剣聖が恐怖で逃げ帰ったという気持ちが、今、彼女は痛いくらいに良く分かった。アンナはもう、その男を目にしているだけで、全身の震えが止められないのだ。
逃げよう、こんなの勝てっこない。
魔王は逃げる剣聖を追いかけはしなかった。それにさっき、アーサーに逃げるなら見逃してやるとも言っていた。でも、ここで逃げたら世界は暗闇に包まれて、人類は滅亡してしまう。でも、戦いを挑んだところで、どうせ自分は殺されてしまうんだから、結果は同じじゃないか。
だったら逃げよう。どうせ同じなんだ。自分はよくやったんだ。大体、アンナ以外に他の誰が魔王の前までたどり着けたというのだ。自分で戦いに来もしなかったくせに、ここまでやってきたアンナのことを責められる人間など居ていいわけがない。剣聖だって逃げ出したんだ。だからいいじゃないか。よし、そうしよう。
アンナはブルブルと震えながら、一歩また一歩と、後退りし始めた。
だが、その足はすぐに止まった。ギュッと手を握れば、そこに母の細剣が握られていた。ハッと目を凝らせば、ポッドの中にその母親がプカプカ浮いている。このまま逃げて良いのか? 本当に良いのか? 死んだと思った母が目の前に居るのだ。ずっと憎んでいた父が目の前に居るのだ。
彼女の視界がぼやけてくる。ボロボロと涙が溢れて止まらない。どうしたら良いのか分からない。逃げれば良いのか、立ち向かえば良いのか、そもそも、自分がどうしてこんな場所に居るのかさえ、彼女にはもう分からなかった。
そんな時だった。彼女の耳に魔王のつぶやきが飛び込んできた。
「……ウルフの息子か。正直、殺したくはないが……このまま放っておいては危険だろう。悪く思うなよ……」
そして魔王は、彼から奪ったエクスカリバーを高々と振り上げる。
「やめて……」
アンナは首を振った。
「お願いだから、やめて……」
だがその呟きは魔王に届かない。
このままではアーサーが殺されてしまう。助けなきゃ。だが、足がすくんで動かない。でも、見捨てるわけにはいかない。
今日、アンナの絶体絶命のピンチに駆けつけてくれたのが彼なのだ。勝ち目がないと言うのに、最後まで諦めずに魔王に挑んでいったのも彼だった。いつかメディアへと向かう飛行船の上で、迷っているアンナに自分が代わりに魔王と戦うと言ってくれたのも彼だった。あの時、アーサーは魔法使いでも何でも無かったにも関わらずにだ。
あの前線のタコ壺に取り残されたリリィを助けたのも彼だった。理由はただ小さな子供が取り残されてると言う一点だけで、まったく縁もゆかりもない浮浪児のために、彼は命を賭けて戦ったのだ。今、目の前でそんな大事な友達が殺されようとしている。そうだ、たった一人で魔王に挑もうとしていたアンナに、友達になろうと言ってくれたのも、彼だったのだ。
なのに、自分は何をやってるんだ。彼の勇気の十分の一でも見せてみろ。今、自分の目の前で殺されそうになっているのは、知らない誰かではないんだ。アンナの大事な仲間なんだ。
「う、う、うわああああああぁぁぁぁ~~~~~~~~!!!!!」
そしてアンナは駆けた。ただまっすぐ前に。母の細剣を握りしめ、みっともないほどへっぴり腰で、ボロボロと涙のしずくを撒き散らして。
こんなことをしても何の意味もないだろう。魔王に物理攻撃は効かないのだ。でもここで逃げ出すくらいなら、無駄だと思っても走るしかないじゃないか。最後まで足掻けと彼は言ったのだから。
ズルっと、床の一部を覆っていた肉塊に足が取られる。彼女はつんのめってバランスを崩す。よろけながらどうにか態勢を整えた時には、魔王は既にこちらの動きを察知して、じっと彼女のことを見下ろしていた。
その高々と上げているエクスカリバーをギロチンのように振り下ろすだけで、アンナは簡単に死んでしまうだろう。だがもう彼女の足は止まらない。
「うわああああああああ~~~~~~~~!!!!!」
アンナはよろめきながらも必死に駆けた。自分が殺されてる数分間だけ、アーサーが生き延びればそれでいいのだ。それだけの時間が稼げれば、きっと彼がなんとかしてくれるはずだ。無駄なものなんて何もない。人はそうやって、誰かが誰かの思いを繋いで、生きていくものなんだ。
そして、いよいよ、彼女の剣が魔王に触れた時……
ズブリ……
っと、彼女の手に、何か肉を突き刺すような感触が伝わってきた。
実体のないホログラフの魔王を切っても感触なんてあるはずがない。それじゃこの感触はなんだろうと顔を上げた時、その顔がバフっと魔王の胸に埋もれて彼女は鼻を強かに打ち付けていた。
彼女は飛び込んでいった勢いを殺しきれず、そのまま魔王をタックルするように押していた。アンナに突き飛ばされた魔王はよろけながら後退し、背後にあったポッドに背中をぶつけた。
その瞬間、アンナの剣が肉塊の入っていたポッドに突き刺さり、パーンッ!! っと音を立てて盛大に割れた。中からよくわからない液体が流れ出し、すると次の瞬間には、部屋中を覆い尽くしていた肉の塊が次々と音を立てて壁から天井から落ちていった。
「な、なんで!?」
彼女は自分がやったことが理解できず、目を見開いて魔王を凝視した。
今、その魔王の腹に深々と、母の細剣が突き立てられていた。それは魔王を貫通し、その背後にあったポッドにまで到達している。
魔王は実体が無かったんじゃないのか? それなのにどうして自分の剣が刺さっているのか? アンナにとって都合のいい結果だと言うのに、彼女はそれが信じられなくてガクガクと震えていた。
魔王は百面相のように変わっていくアンナの顔を見つめながら、その時初めて、ふっと力の抜けた表情を作った。それはまるで娘を見る父親のような、慈愛に満ちた、本当にいい笑顔だった。
抱き合うように折り重なる二人の周囲を、イルカがクルクルと衛星のように回っている。
アンナがパニックになって、
「どうして? なんで? お父さん!」
と叫ぶと、そのイルカが言った。
『良いんだ、アーニャちゃん。これで良いんだ。これが僕の……いや、俺が望んだこと。俺はただ、死にたかっただけなんだ……』