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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第九章
356/398

静止した時間の中で

 銃弾と魔法が飛び交う爆発音を背後に聞きながら、駐屯地を出たアトラス、アンナ、リーゼロッテの三人は、城壁外の街路を駆けていた。人が居なくなった15年の年月は、街を風化させるには十分であったらしく、アスファルトで固められた地面からはボコボコと巨木が伸び、コンクリートの建物の中から枝が突き出していた。


 バシャバシャと水たまりを蹴って走っていくと、子供のおもちゃのゴム人形が未だに当時のままの姿で、恨めしそうに宙を睨んでいた。


 そんな暗鬱とした市外を通り過ぎて、城壁にあるアクロポリス風の巨大な楼門を抜けると、ローデポリス市内は打って変わって、当時のままの建物が整然と建ち並んでいた。アスファルトの地面こそ穴だらけになっていたが、その他はずっと人の手が入っていたかのように、きれいに残されている。


 リーゼロッテは10年前に来た時も、手入れされているようだと感じていたが、どうやらそれは気のせいではなかったようだ。街の外と違って高木は一本も生えておらず、雑草は刈り取られたように見当たらない。これでエルフさえ居なくなれば、またすぐにでも人が戻ってこれそうな町並みを見ながら、彼女はどうして魔王がここまでするのか、ますます分からなくなっていた。


 ウルフはこの15年間、ハリチのザナドゥ離宮を拠点に活動していたそうだ。レムリア大統領のフレッドも言うとおり、あそこにエルフがやって来なかったのは、先帝の霊廟があるからだろう。魔王が今でも先代に忠義を尽くしているのはもはや疑いようがない。なのに何故、彼はリディアを目茶苦茶にしたのか。


 10年前は追い返されてしまったが、今度こそその理由が分かるだろうか……


 前方にそびえ立つ魔王の居城、インペリアルタワーを見ながら三人は街路を駆け抜けた。それは奇しくも、あの頃の魔王が毎朝通った通勤路だった。城門からタワーまで一直線に続く広い道を駆け抜け、かつて人でごった返したメインストリートを越えて、やがて目的地の前までやってくると、そこにはラウンドアバウト方式道路の中央に、大きな公園があった。


 公園の左手にはかつてS&H社の入っていたビルが、右手にはいつも魔王がお世話になっていた憲兵隊の屯所が、そして公園には魔王がいつも酔いつぶれては潜り込んでいた植え込みが、当時のまま残されていた。


 本当ならその公園の中に、テントで作られた簡易な写真館があったのだが、今はもうその姿はなく、代わりにそれがあった場所に、ぽつんと、黒兜を被った巨漢が立ち尽くしていた。


 彼は巨大なメイスを片手で振り上げると、ドスンと地面に叩きつける。するとフワッと火の粉が飛び散るようにマナのオーラが立ち込めて、信じられないことに地面がグラグラと揺れた。


 予想はしていたが、実際に目の当たりにするとそのプレッシャーが違った。今、目の前に、聖遺物も無いのにマナを操り自分を強化したエリオスが仁王立ちしていた。


 リーゼロッテがそんな彼を遠巻きにするように立ち止まり、それを見てすぐさまアンナが抜刀する。その強さは計り知れないが、流石に三人でかかればなんとかなるだろうか……


 しかし、そんな緊張感の流れる中で、アトラスがずいと一歩進み出て、


「アンナ、お師匠様、ここは私に任せてちょうだい」


 と言った。彼の決意は固いらしく、返事は決まってるとばかりに二人の方を一顧だにもせず、じっと目の前にいる父親だけを睨みつけていた。


 どうする? と目配せするアンナに対し、黙って首を振ると、リーゼロッテは何も言わずに公園を出て回り込むように先へ進んだ。ここで手を出すのは無粋だろう……その後をアンナが何度も振り返りながら続いていった。


 エリオスはそんな二人を横目に見送りながら、


「……どうした? 三人でかかってきても良かったんだぞ」

「それは魅力的な提案ね。だけど、私にだって意地ってものがあるわ」

「そんなもののために、みすみす勝てるチャンスをふいにするのは馬鹿のやることだろう」

「そうね、勝ち目のない方を選ぶなんて、まるでパパみたいかしら」


 エリオスはこれは一本取られたと言った感じに、う~んと唸ると、


「なに……勝ち負けとは、剣だけで決まるものではない。名将とは常に、戦う前に勝利を選んでいる者のことを言うのだ」

「私達の負けは決まってるってこと? そんなのやってみなければ分からないじゃない」

「そうではない。勝ち負けは問題ではないのだ……」

「……?」


 首を傾げるアトラスに向けて、エリオスはフッと笑みを漏らすと、


「だが、まあ、俺達はわかりやすい方法で勝敗を決めるしかないだろう。どれ、胸を貸してやろう。おまえがどのくらい出来るのか、見せてみろ」

「余裕ね……あとで吠え面かかないでちょうだい」


 アトラスが腰に佩いていた聖遺物チドリを抜刀する。それを見て、エリオスが巨大なメイスを両手に構えた。


 そして二人は無言でにらみ合い、間合いを計りながら反時計回りにぐるぐると回り始めた。


 エリオスの体が緑色のオーラでボーッと光る。アトラスは自分もマナを練って、それが全身に行き渡るように集中した。


 目の前でこうして相対して初めて実感する。間違いなく自分の父親だ。そのマナの流れ、身のこなし、どれもこれも自分とそっくりだった。生まれてからこれまで、まったくと言っていいほど一緒に暮らしていた記憶のない相手に、どうしてここまで自分が似るのか……多分、それは同じ聖遺物を所有したからだろう。つまり、エリオスは自分と同じ能力を持っていると言うことだ。


 なら、勝負は一瞬で決まるだろう。自分たちの最大の利点は速度だ。文字通り、目にも留まらぬ速さで肉薄し、相手が気づかないまま切り伏せる。そう言う戦い方をするために、このチドリはあるのだ。


 アトラスは間合いを計りながらゆらゆらと切っ先を上下させる。いつ飛び込むか、そのタイミングを見計らうように……その時、彼は目の前でメイスを構えている父親を見て、ふと思った……


 自分にはチドリがあるが、彼はあの重そうなメイス……同じ能力なら、得物の差で勝てるじゃないか。どうして彼は、あんな重そうな武器を選んだのだろう……


 その考えが一瞬の油断を招いた。


 彼が父親の目からメイスに視線を動かした一瞬だった。


 スッ……っとその父親の体が揺れ動いたかと思ったら、次の瞬間、あの巨体が目の前に迫っており、前転の要領で一回転しながら、メイスを振りかぶっていたのである。


 咄嗟に避けるアトラスの体すれすれを、ブオオオオンンッ! っと背筋が凍るような風切り音を立てながら巨大なメイスが通過していった。


 次の瞬間、ドオオオーンッ……! っと音を立てて、叩きつけられてメイスが地面を揺らした。


 辛うじて攻撃を避けきれたことにホッとする。しかしそれも束の間、アトラスの体に振動がビリビリと伝わってきて、一瞬彼の体が硬直した。


 エリオスの狙いはそれだった。始めから地面を狙って相手の行動を阻害し、また、地面に叩きつけたメイスの反動を利用して、次の攻撃へと移行していたのである。


 ブンッ! っと今度は横薙ぎにメイスが迫る。直撃すれば背骨が折れそうなその攻撃を、アトラスは必死になってチドリで受け止めようとして、その受け止めた格好のまま吹き飛ばされた。


 体が宙に浮いたアトラスに、これを逃してなるものかと追撃が迫る。エリオスは手にしたメイスをまるで小剣でも扱っているかのように振り回した。最初は右、次に左、必死に避けるアトラスを追い詰めて、そして本命は体当たり。


 アトラスは空中でチドリを振るいながら必死にそのメイスを捌くと、最後にバク転の要領で体当たりを交わし、止まりきれずにそのままゴロゴロと転がっていった。


 二転、三転、転がりながら、背中で地面を蹴って、片手で飛び跳ね、両足で着地する。


 アトラスはフラフラになりながら、更なる追撃を警戒して刀を構えた。


 ハァハァと息が乱れる。この一瞬の攻防で、肩で息をしている彼に対し、エリオスの方はまるで何事も無かったかのように、元いた場所でメイスを地面に突きながら静観していた。


「どうした。かかってこい」


 まるで子供扱いだ。プライドがズタズタに引き裂かれる。


 アトラスはリーゼロッテの弟子の中では、はっきり言って一番その能力が低かった。フランシスみたいな派手な魔法は使えず、アンナに至っては言うに及ばずだ。彼に出来るのはせいぜい高速移動とマナのエネルギーを解放する雷の魔法くらいのものである。


 だから、剣聖の弟子になれたからって、天狗になったことはないし、自分がまだ未熟だと言うことも痛感していた。


 なのに……なんなのだ、この悔しさは。


 自分はここに何をしに来たんだ? アンナを魔王の元へ送り届けるため……その任務は果たしたのだから、もうこれでいいのだろうか。


 違うだろう。本当は、ここで父親と戦うために彼はやってきたのだ。その父に無様な姿を見せるわけにはいかない。馬鹿にされたまま終わってたまるか。


 ここで勝たなきゃ、男がすたる。


 じわりと鉄の味が広がった。いつの間に口の中を切っていたのだろうか。彼はその痛みに耐え、奥歯を噛みしめると、肩で息を整えながらタイミングを測りつつ、一瞬のすきを窺った。


 縮地……


 文字通り、地を縮めるような高速移動。目で追うことが出来ないその歩法は、確実に相手の不意をつく技のはずだった。アトラスはエリオスが気を抜いた一瞬を狙って飛び込んだ。このタイミングなら、絶対に避けることが出来ないはず……


 しかし、その刀が空を切る。


 驚愕に目を瞠る。エリオスに当てるつもりで飛び込んだ彼は止まりきれずに、父の横を行き過ぎる。その背中にメイスが迫ろうとした瞬間……


 縮地……


 アトラスは強引にバックステップでエリオスの背後に瞬間移動すると、背中を向けている彼に向かって、再度横薙ぎに刀を振るった。


 今度こそ当たるはずだった。しかし、アトラスの渾身の一撃も、父はまるで背中に目がついているかの如く、前に踏み出すことであっさりと交わすと、その勢いでメイスをブンと振り回して、ハンマー投げの要領でアトラスにぶつけてきた。


 ドカッ! ……っと、肩口に鈍い痛みが走る。


 二度も攻撃をすかされたことで完全に動揺していたアトラスは、その動きに対応が遅れた。そんな野球のスイングみたいな大振り、普段ならかすりもしないはずなのに……


 だらりと左肩が下がる。腕がしびれて動かない。咄嗟に飛んで避けた分だけ威力は緩和し、骨はやられてないようだが……


 アトラスはよろよろとよろけながら距離を取ると、涙混じりの驚愕の表情で目の前の敵を賞賛した。


「つ……強い……」


 するとエリオスはがっかりしたように、


「お前は弱くなったな。前にあった時の方がまだマシだったぞ」


 それはどう言う意味だろうか。前に会った時はビテュニアで、彼はまだ魔法使いでもなんでも無かった。その時よりも弱くなってるなんてことはない。


「くっ……そんな挑発には乗らないわよ」

「そんなつもりは毛頭ないぞ。実際、おまえは以前のほうがずっと強かった。チドリを使いこなせないのであれば、前みたいに銃を使ったらどうだ。そっちの方が俺も楽しめる……」

「くぅ……確かに、私はみんなみたいに才能は無かったけど、魔法を使う以前より弱くなったなんてことは無いわよ」

「そうではない……そういう意味で言ったのではなく、単に魔法などおまけみたいなものなのだ」


 エリオスはそう言うと、やれやれと小馬鹿にするようにお手上げのポーズをしてみせると、


「しかし、自分に才能が無いと認めたことは褒めてやろう。強くなるための第一歩だ。おまえはチドリを手に入れたことで逆に弱くなった」

「な、なによ偉そうに! パパだからってこれ以上の侮辱は許さないわよ!」

「……道具は役立ててこそ、使われてるうちは駄目なのだ。その意味をよく考えろ」


 エリオスはそう言い捨てると、また巨大なメイスを両手に構えた。アトラスはハッとして刀を構え直そうとしたが、左手はまだ言うことを効かない。仕方なく右手だけで構えるが、こんなもので受け止めることが出来るわけもなく、彼は恐怖を感じていた。


 その恐怖を見透かしていたのだろうか、エリオスはまたメイスを振りかぶると、アトラスに躍りかかってきた。そんな隙だらけの大振り、普段なら避けるなんて容易くて、逆にカウンターの餌食になるようなものだった。なのに、今のアトラスにはそれを避けるのが精一杯で、相手にいいように翻弄されていた。


 ブンッ! ブンッ! っと、巨大なメイスが風を切る音がするたび、アトラスは萎縮するように体が硬くなっていった。このままではジリ貧だと、片手だけで刀を振るうが、そんなへっぴり腰ではエリオスに通用するわけもなく、彼はそんな息子の攻撃も利用して、まるでダンスを踊るかのように弧を描きながら次々と攻撃を繰り出してきた。


 気後れしたら殺られる……アトラスは負けじと必死に刀を振るった。手数なら明らかにアトラスの方が上だった。最初に感じたように、武器の差がはっきりと出ている。アトラスは片手だとは言え刀身の短いチドリ、エリオスがメイスを一回振る間に三回は攻撃が可能だった。だから、手数で押しているのだが、それを見事にエリオスは攻撃でいなしたり、メイスの柄で受け止めたり、蹴りや体当たりを混ぜて彼を翻弄してしまうのだ。


 右、左、フェイントをかけて、蹴りを囮に渾身の一撃。それを必死に交わすアトラスが刀を振るったら、そこにもう父は居ない。傍から見れば目にも留まらぬ高速の殴り合いなのに、アトラスの方が圧倒的に手数が上回ってるのに……なのに彼はエリオスに圧倒されている。


 あり得ない……焦るアトラスが再度縮地を使い、裏を取ろうとした時……


 ドカッ!


 っと、みぞおちに強烈な一撃が叩き込まれて、


「うっ……がっ……はぁ~っっ!!」


 彼は肺の中の空気を全部吐き出し、よろめいて尻もちをついた。意識が薄れていくのを必死に堪えていると、影が差してエリオスの追撃が迫っていた。彼はそれをゴロゴロと無様に転がりながら避けて、


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 どうにか態勢を立て直すと、新鮮な空気を肺の中に取り入れた。


 脳みそが再起動したかのようにパリパリと音を立てる。一瞬、真っ白になりかけた視界の焦点がようやく合った時、既に父は次の攻撃に移っていた。アトラスはそれをまたゴロゴロと転げ回りながら交わす。


「か、勝てない……」


 無様に地面を這いつくばりながら、アトラスは驚愕に打ち震えていた。スピード、パワー、そして魔力、全ての面で自分の方が上回ってるはずなのに、目の前の男にまったく勝てる気がしない。どんなに手数を増やしても、その全てを彼は完璧にいなして、ついにはカウンターまで入れてくる始末である。


 何という化物……これが自分の父親であることが、今はどうしようもなく憎かった。


 エリオスはアトラスがやってくることなど全てお見通しとばかりに、全ての攻撃を捌いていた。実際、彼は目の前の息子の体捌きやマナの流れで、次に何が来るかを予測しているのだろう。攻撃を予測することなど、格闘技をやるものなら誰だってやってることだが、父のそれは桁が違った……


 これが経験の差と言うやつか……父はアトラスが繰り出すような稚拙な剣など、過去にいくらでも受けた経験があるのだ。文字通り大人と子供の戦いであり、このまま、ただガムシャラに刀を振り回してるだけでは絶対に勝てないだろう。


 もっと色々とやらなければ……と、アトラスが考えた時だった。


 彼はハッとして目を見開いた。


 そうだ、それしかないではないか。今まで自分は何をやっていたんだ? アトラスはエリオスの攻撃を恐れて、とにかく手数を増やそうと、滅多矢鱈に刀を振り回していた。縮地もその刀を彼に当てようと狙っただけのものだった。


 対してエリオスの方は少ない手数ながらも、メイスを振り回すだけでなく、牽制のようにフェイントを入れたり、柄で受けたり、囮を繰り出したり、蹴りを入れ、体当たりをし、時に挑発した……武器だけでなく、全身を使って戦っていたのだ。


 アトラスは、自分の方が手数で上回ってるつもりでいたが、これではまったく逆ではないか。彼はエリオスに手数で圧倒されていたのだ……


 こんなことでは、勝てるわけがないだろう。


 エリオスの言葉が脳裏をよぎる……


 魔法などおまけみたいなものだ……


 道具は使ってこそ。よく考えろ……


 アトラスが距離を取って動かなくなったのを見て、エリオスがおやっ? とした顔で攻撃を繰り出してきた。それは全て相手の動きを探ろうとする牽制で、落ち着いて対処すればそれが分かったアトラスは、今度は刀を構えたまま微動だにしなかった。


「ふむ……何か気づいたようだな」

「……私が、道具に使われてるってことがよ」


 アトラスはそう言うと、すかさず縮地で彼に肉薄した。しかし今度は直接ぶつかっていくのではなく、その手前で止まると、タイミングをずらして刀を繰り出した。フェイントの払い、斬り、そして最後に突きを入れると……


 チッ……っとその切っ先がほんの少しだけエリオスの腕を掠めた。


 彼は滴り落ちた血を指先で拭うとニヤリとした笑みを浮かべ……


「それでいい。縮地なんてのはただの高速移動だろう。直線攻撃しか出来ないから単調でしかない。どこへ来るか予め分かっていれば、そんなのはただの隙だらけの大振りに過ぎないのだ」

「……それを私に教えちゃっていいの? 仮にも敵同士なのよ?」

「問題ない。これで少しは楽しめると言うものだ。さあ、やりあおうじゃないか」


 エリオスがそう言った瞬間に、ブンッと彼の姿が掻き消えた。アトラスはそれを目で追うのではなく、マナの流れで父が縮地をしたことに感づくと、着地点に向けて刀を振るった。


 ガキンッ! っと、武器が交差し、アトラスの刀が弾かれる。エリオスは弾き飛ばした相手に追撃を加えようとメイスを振り下ろすが、アトラスがのけぞりながらバック転の要領で蹴りを入れてきたのをギリギリで交わすと、前転受け身で地面を転がり、そのまま距離を取って飛び起きた。


 縮地……さっきからアトラスだけが使っていたが、チドリの元所有者である父も当然のように使えたのだ。それを使わなかったのは、たった今まで手を抜かれていたと言うことである。


 アトラスは思った。手加減されてたなんて許せない……でも、さっきと違って不快感は感じなかった。


 ただ純粋に、技と技を競い合うことがこんなにも楽しいことだったなんて、剣聖との修行の間にも感じたことの無い経験だった。


 もっと知りたい……もっと戦いたい……


 次々と繰り出される父の攻撃を交わし、必死に考え抜いて捻り出した渾身の一撃をすかされ、ゴロゴロ地面を転がりながら、泥だらけになって、体中あちこちを擦りむいては、血が滴ってヒリヒリ痛むのに、それが今は何故か心地よい。


 これはアトラスが初めて経験した父との対話だったのだ。彼はアトラスの全てを受け止め、もっと素晴らしいものを返してくれる。こうして息子は父の技を継承し、そして新しい物を生み出していくのだ。


 ガツンッ! ガツンッ! っと火花を散らして、高速のぶつかり合いがいつまでも続く。考えろ……考えろ……どうすれば父に一本入れられる? アトラスはその父の言葉をまた思い出した。


 アトラスはチドリを使いこなせていない。


 使いこなせていないとはどう言う意味なんだろうか……?


 高速のやりとりの中で、彼は必死に考える。


 そして、ふと、師匠である剣聖の言葉を思い出した。


 確か、師匠はチドリを持ち、アトラスの縮地を真似してみせた後、この聖遺物は身体強化系……特に脳に特化した脳力強化系の聖遺物だと言っていたはずだ。


 縮地は瞬間移動をしているわけではなく、実際には目にも留まらぬ速さで移動しているだけの技だ。見た目は優雅だが実は力技でしかなく、その仕組みは脳にかけられたリミッターを外して、普段人間には出せない力を爆発的に発揮していると言うものでしかない。


 具体的にはリミッターを外された筋肉が強烈に地面を蹴って高速移動し、移動し終わったら今度は着地点でブレーキをかける。ただそれだけ。普通ならそんなの止まりきれるわけがないし、もしくは地面を蹴った瞬間にアキレス腱が切れるか骨が折れるだろう。しかし、そうならないのは、脳が高速回転してその動きを制御しているからだった。


 実は速くなってるのは体じゃなくて脳だった。だから師匠は脳力強化系と言ったのだ……


 アトラスはその時は師匠に説明されてもいまいち理解出来なかったが、今はそれが良く分かった。


 今、高速のやりとりを続けている最中に、自分は次の手次の手を考え続けている。その思考はどんどんと加速していき、脳が高速回転を始めると、次第に周囲の景色がゆっくりと流れ出していった。脳が多くのことを考えれば考える程、時間がゆっくり流れ出す。


 高速の戦いとは、実はスローモーションの世界での戦いだったのだ。


「これが……チドリの本当の能力」


 父がチドリを使いこなせていないと言ったのはそういうことだったのだ。彼はこのスローモーションの世界の中で戦っていたのだ。


 アトラスが3手を考えれば、エリオスは4手を考える。二人の手数が5手6手と増えていき、傍からは目にも留まらぬ攻防が繰り広げられているようにしか見えないのに、その実二人は将棋を指すかのようにゆっくりとした世界で肌がひりつく読み合いを続けていた。


 力は拮抗し、お互いに譲らない。能力は互角で、何か決め手が無くては決着がつきそうもなかった。アトラスはなんとか打開策を探ろうとしたが、これと言って何も思い浮かばない。


 と、その時、エリオスが悪手を指した。


 決着の付かないやりとりに焦れたのだろうか、人間には絶対に出来ないような動きで、そのまま行っても確実に当たらない、フェイントにもならない動きを彼がやった。それは百戦錬磨の古強者とは思えない行為で、さっぱりその意図を汲み取れなかったアトラスが硬直していると……


 その悪手と思ったエリオスの攻撃が、あり得ない動きをしてグイッとアトラスに迫ってきて、次の瞬間……


 バッッカーンッッッ!!!


 っと、彼のほっぺたに父の拳が突き刺さっていた。


 足腰の回転が乗せられたその拳に、容赦なくアトラスが錐揉みして吹き飛ぶ……彼はドスンドスンとバウンドしながら地面を転がり木に激突すると、もろに直撃してぷっくりと腫れ上がった頬骨の痛みに耐えながら、よろよろと起き上がった。


 今の動きは一体……? 人間にあんな動きが出来るはずがないのだが……


 よろめきながらエリオスの方を見た彼は目をむいた。見ればエリオスの肩が脱臼してブラブラと揺れている。彼はそれを何事も無かったように、自分でグイッとはめ込むと、


「肉を切らせて骨を断つ……常識的な考えに囚われては駄目だ。おかしいと思ったら最後まで疑え……どうだ? 勉強になっただろう」


 アトラスは口の中でコロコロしていた奥歯をペッと吐き出すと、


「痛い勉強代だったわ……でも、おかげで目が冴えた」


 彼はそんな減らず口を叩くと、よろめく体を押さえつけながら、構えていたチドリを鞘に戻した。その意外な行動に、今度はエリオスの方が戸惑う。


 確かに……常識に囚われていては勝てない。言われなくとも、何か相手の意表をつく方法はないかと、さっきからずっと考えている。さっぱり思いつかなかったが、脳みそをシェイクされたことが功を奏したか、その時、アトラスの脳裏に天啓が閃いた。


 彼はしびれた左腕が動くかどうかを確認する。まだ指先が笑ってしまって力をこめることが出来ないが、鞘に手を添えるくらいは出来そうだ。アトラスは鞘に収めたチドリの柄に右手を添えて腰だめに低く構えた。そしてあろうことか……


「雷神を切り伏せし英雄が佩刀千鳥……この世の全ての理を一刀の下に断ち切れ……我が血をすすり雷の化身となれ……」


 彼は聖遺物を構えて詠唱を始めたのである。


 周囲からマナが集まり、アトラスの体を覆ってオーラのように輝いていく……


 縮地ならさっきから無詠唱で何度もやっていた。これだけの攻防を繰り広げて置きながら、今更詠唱など、何故やる必要がある……?


 戸惑ったエリオスが身構える。


 エリオスは基本的に後の先……強者の余裕かそれとも父の愛情か、まずアトラスに何かをやらせてからカウンターを決める傾向が強かった。


 それを見てアトラスは内心ホッとした。


 もし、ここで先に動かれたら、多分、自分はなすすべもなくやられていた。作戦は本当にシンプルだった。


「雷神……降臨っっ!」


 アトラスの詠唱が完成する。瞬間、彼はエリオスに向かって猛烈なスピードで迫ってきた。


 縮地……


 今日これまで何度も見てきた技だ。今更そんなことで動揺するはずがない……だが、そう思いつつエリオスは目をむいた。


 アトラスの姿がグイグイと迫ってくる。しかしその動きがまったく読めない。真っ直ぐ来るのかフェイントか、それとも裏を取ろうとしてるのか、その考えが、着地点が見えないのだ。


 たった今までその動きは全てが読めていた。なのに今だけまるで初めて見た技のように、何もかもが分からない。あり得ない状況に戸惑うエリオス……しかし迷ってる場合ではない。アトラスはまっすぐ迫ってくる。


 彼は咄嗟に、メイスを盾にしようと構え直した。だがその時はもう遅かった。


 アトラスが腰だめに構えたチドリをその鞘からスラリと抜き放つ。


 その鞘から抜き出す一瞬……テコの原理のように鯉口を切る動作が、ほんの少しだけ抜刀速度を増した。


 居合斬り。


 刀が抜き放たれる一瞬の不規則な動きが相手を翻弄する。エリオスは本当なら受け止められたはずのそれが、自分が思ってるよりも一瞬だけ速く自分に迫ってくるのに気づいた時、もはや後の祭りだった。


 ザンッッ!!


 一陣の風が吹き抜ける……それを見るものが居たら、瞬間移動したアトラスが、ただ剣を抜いた。それだけにしか見えなかっただろう。


 だが次の瞬間……ピューッとエリオスの腹から血が吹き出て、彼はドッと地面に倒れ伏した。


 どくどくと自分の血が地面を濡らしていく。彼は腹を抑えた手が真赤に染まっているのを確認して、驚愕の表情を浮かべて仰向けに倒れた。


「なん……だ、今のは……? まったく、見えなかった……」


 ザクザクと足を引きずりながら、アトラスが彼の元へ近寄ってくる。勝ったとは言え、こちらも満身創痍であった。


「見えなかったんじゃなくって、パパは見たことがなかったのよ」

「何をやったんだ……?」

「縮地。ただの縮地よ」


 アトラスは言った。


「師匠が言うには、魔法使いが詠唱をすると聖遺物がそれに呼応して、天空のお城と連絡を取り合うそうなのよ。そしてお城から返ってきた情報を元に、聖遺物が術者を操作して魔法を行使する。だから私は詠唱することで、自分ではマナを操作せずにチドリにやらせて縮地を行い、自分はただパパの防御を掻い潜って、攻撃を当てることだけに専念したの」


 エリオスは自分がチドリを使っていたことはあっても、他人が使っている場面を見たことがなかった。だから、アトラスが何をやってるのかが分からなかったのだ。


「パパは後の先……私のマナの動きから、次を予想してカウンターを狙ってた。私が同じことをやっても、経験豊富なパパには勝てなかったわ。だから私はそれが出来ないくらい速く動いて、先の先を取ろうとしたのよ。パパが私の動きを予想しようとするなら、意表を突くしかない。でも、複雑な動きをしていたら元も子もないから、ただ真っ直ぐ近づいて、ただ切った。それは私一人じゃ出来ないことだったわ。チドリが私に力を貸してくれたのよ」

「……見えるが故に、惑わされたか……見事だ」


 アトラスはプルプルと首を振った。


「私一人の勝利じゃない。それにパパにヒントを貰ってなかったら、絶対に勝てなかったわ」


 アトラスはチドリを使いこなせていない……父にそう言われていなかったら、きっとこんなことは考えつかなかっただろう。いや、それどころか、彼は初めは手加減して息子の力を引き出し、互角にやりあえるようになってからは、この短い間に更に多くのことを教えてくれたのだ。


 なんて懐の深い男なのだろう。これがアトラスの父なのだ。彼はそのことに感謝すると、黙って今自分が倒した的に向かってお辞儀をした。


「本当に……大きくなったなあ……あんなに、ちっちゃかったのになあ……」


 するとエリオスはそう呟き、ぱったりと事切れるように力尽きた。


 アトラスはびっくりして彼のもとに駆け寄った。


 大丈夫、息はある……


 アトラスは父の傷の具合を確認すると、持ち合わせていたソーイングセットを取り出し、アルコールで消毒し始めた。裁縫上手のアーサーに触発されて、自分も携帯していたのだが、まさかこんなところで役に立つとは……


 と、その時、彼の目の前にそびえ立つインペリアルタワーがグラグラと揺れだした。続いて衝撃音が響いてきて、中で戦いが始まったことを告げていた。アトラスはすぐにその場へ駆けつけねばならないと思ったが……


「師匠……アンナ……ごめんなさい。私、この人を死なせたくないの」


 彼は目の前のタワーを見つめながら、先に進んだ二人に向かって謝ると、その場に留まり急いで父親の傷を縫い合わせ始めた。


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