王の器
出陣式を祝う式典で、出席しているはずの母の姿を探していたアーサーは、何故か会場にも現れずにこそこそと旅支度を整えていた従者の二人を見つけた。エリックとマイケルは、アーサーに見つかると、バツの悪そうな顔をして彼に別れを告げたのだった。
血の気がサーッと引いていくのを感じながらアーサーが口をパクパクしていると、彼らは申し訳無さそうな顔をして、その脇を通り過ぎようとした。アーサーは慌てて、
「ちょっ、ちょっと待てっ! 何を言ってるんだ貴様ら。そんな勝手なことは許さないぞっ!!」
そう言って引き留めようとするアーサーの声を無視して、彼らは足早にその場から去っていこうとした。アーサーは慌てて二人の前に立ちはだかり、
「待てと言っているだろう、貴様ら。主人の命令はちゃんと聞かんか」
「いや、だから坊っちゃんは俺達の主人じゃありませんので……っていうか、そもそも、俺たち、坊っちゃんに雇われたわけじゃないじゃないですか」
「なにぃ?」
するとエリックとマイケルは迷惑そうな顔をして、
「思い出して欲しいんですけど、俺達は元々、ジリアン様に派遣された坊っちゃんの世話係だったわけじゃないですか。お給金だってお母様から頂いてましたし、毎月の生活費も、坊っちゃんのお小遣いも俺達が渡してたでしょ?」
「え!? ……言われてみれば、確かにそうだが。いやしかし、母上が雇ったのなら、俺が雇ったのと同然だろう。なんで急にそんなこと言い出すんだ……そうか! 給金に不満があるんだな? ここまで大きくなった大陸軍の中で、お前たちだけ今まで通りでは確かに可哀想だ。いくら欲しいんだ? いくらでも出すぞ? な、なんだったら各種手当もつけちゃうぞ」
「坊っちゃん、がっかりするようなこと言わないでくださいよ。今更、俺達が給料のことなんかでストを起こすわけ……起こすかも知れませんが、でも、そんなことで坊っちゃんとの関係を解消したりなんかしませんって」
「じゃ、じゃあ、一体何が不満だってんだ!」
アーサーはしどろもどろに叫んだ。なんとしてでも引き止めたいのに、彼らの決意は固く、簡単には翻意してくれそうにない。どうしてそこまで頑ななのかと言えば、
「不満なんかありませんよ。ただ、さっきも言った通り、俺達の主人は坊っちゃんじゃなかったってだけの話です。本来の雇い主であるお母様が帰ってこいと言ったら、俺達はそうせざるを得ません」
「はあ?」
思いもかけない言葉に、アーサーは目が白黒なった。
「母上がそんなこと言ってるだと? そんな馬鹿な。母上がそんな俺の邪魔をするようなこと、言うはずあるまい」
「嘘じゃありませんって」
「じゃあ、どうして?」
エリックとマイケルは互いに顔を見合わせながら、困ったように、
「お母様は坊っちゃんが一人前になるまで、生活の面倒を見るために俺たちを護衛としてつけてたんです。その坊っちゃんが、こうして今、一人前の男として大陸軍を率いて魔王に戦いを挑もうとしている。だからお母様は、俺達はもう必要ないと考えておいでなんですよ」
「そんな勝手な。母上はどうしてそんな意地悪なことを言い出すんだ?」
「意地悪じゃありませんて。お母様は、坊っちゃんが独り立ちするいい頃合いだと思ってるんでしょう」
「独り立ちしろと言うならちゃんとする。もう母上から小遣いも貰わない。おまえたちの給金だって俺が払うから、だからここに残ってくれよ」
「そうはいきませんて。じゃあ坊っちゃん。坊っちゃんはまだ一人前の男になれてないって、お母様に言うつもりですか? 一人前じゃないから俺たちに残ってほしいと。きっと、それを聞いたらお母様はがっかりなさると思いますよ」
「それは……俺はそれなりに頑張ってきたと思う。けど、でもそれはお前たち二人が居てくれたからだ。そうだよ、一緒に頑張って来たんじゃないか。こんなところでお別れなんて、寂しいこと言うなよ。だから頼むよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけて、本当に嬉しいですけど……坊っちゃんは十分立派な大人になりましたよ。俺達の役目も終わったんです。だからもう、そんなこと言わずに、ここはぐんと胸を張って、独り立ちしてください。お母様もそう望んでおられるのですから」
「でも……だって……本当にお前たちは行ってしまうのか? 俺を脅かそうとして、嘘をついてるんじゃないのか? 実はみんなそこら辺に隠れてて、俺がオロオロしてる様子を見て笑ってるんじゃないのか……? なあ……そうなんだろ!?」
二人はそんなアーサーに向かって笑いかけると、さっぱりとした表情で、
「では、坊っちゃん。今度こそ、お世話になりました」
「坊っちゃんと過ごしたこの半年はすごく楽しかった。一生忘れません」
エリックとマイケルはそう言って深々とお辞儀すると、呆然と立ち尽くすアーサーを置いて、階段を降りていった。広い、待合スペースのど真ん中で、アーサー一人だけがぽつんと取り残された。
アーサーはあまりの喪失感に一歩も動けず、まるで彫像にでもなってしまったかのようにその場で固まっていた。刻一刻と時間だけが過ぎていく……宮殿内の警備の兵士が、巡回中にアーサーを見つけると敬礼して過ぎていった。同じコースを巡回していた彼は、次に来たときも、そのまた次の周回も、同じ場所にアーサーが立っていることを訝しみつつも、その真剣な表情に声をかけることが憚られ、黙って通り過ぎていった。
どうして……母はアーサーの邪魔をするんだろうか? 思えば自分はここに、その母を探しにやってきたのだ。せっかく息子の晴れの舞台だと言うのに、母は式典に現れず、裏でこそこそ何かをしていたのだ。今更、ベネディクトやリディア貴族がアーサーに何かしてるとは思えないし……祖父の様子もおかしくなかった。じゃあ、母は何故こんな真似をするんだ?
アーサーは一人前になった……自分で言うのはおこがましいが、確かにその通りである。だからもうお守りは要らないと言う母の主張は間違っちゃ居ない……だがそんなの関係ないのだ。あの二人は自分にとって、役目を終えたからってホイホイ居なくなって貰っちゃ困る、代えの利かない大事な仲間なのだ。
だってずっと一緒だったのだ。家から追い出されて母からも見放されて周りにはどんな味方も居なくて、アーサーが最も不安だった時期、一緒に居てくれたのは彼らなのだ。普通ならそのプレッシャーに押しつぶされてしまうだろうが、そんなアーサーが挫けず頑張ってこれたのは、どこかお気楽な彼らが居てくれたお陰だ。こいつらが何か平気そうにしてるから、自分も大丈夫かなって安心できたのだ。
実際にはそんな単純な話ではなくて、それは二人の経験に裏打ちされた献身があればこその安心感だった。軍人として経験豊富なエリックは、兄貴分としてアーサーが分からないことをみんな教えてくれたし、路頭に迷っても腹を空かせることもなく、病気もせず健康で居られたのはマイケルのお陰だ。
エリックとマイケルが居てくれないと、自分は何も出来ないんだ。ダメダメのボンボンに過ぎないんだ。彼らは、ただの従者ではなく、大事な大事な仲間なんだ。
こんな中途半端にお別れするなんて、絶対に嫌だ。
……アーサーが泣きそうになりながら立ち尽くしていると、階下からアトラスが階段を上がってきた。彼は王家のプライベートスペースに立ち入ると、怒られたりしないかなとおっかなびっくりキョロキョロしながら周囲を見渡し、すぐに広場の真ん中で立ち尽くしているアーサーを見つけた。
彼は目的の人がすぐに見つかったことにホッと胸を撫で下ろしつつ、微動だにしないアーサーの元へと駆け寄ってきた。
「あー、よかった。探していたのよ。あなた、パーティの主役のくせに、会場から居なくなっちゃってみんなが心配してるわよ。席を外すなら外すって誰かに言っていきなさいよ、まったく……」
アトラスはそこまで言ってから、アーサーの様子がおかしいことに気づき、
「……あら、あなたどうしたの? そんな恋人にでも振られたみたいな顔して」
「ホホ、ホモじゃねえよっ!?」
そんな見当違いな言葉に、アーサーが真っ青になって反論すると、
「知ってるわよそんなこと。それよりどうしたのよ、深刻な顔して……何かあったなら言ってご覧なさい。私達、仲間でしょう?」
仲間……そうだ。仲間なのだ。アーサーはショックのあまりたった一人で呆然と考え込んでしまっていたが、自分はもう独りじゃなく、大勢の仲間がいるのだ。アーサーはそれを思い出すと、アトラスに事の顛末を話して聞かせた。
「ええっ!? エリックとマイケルが……? 今更ジリアン様に呼び戻されたからって、そんな薄情な真似、あの二人がするとは思えないわ。だってそんなの単に断れば済む話じゃない」
「しかし、現に二人は俺に別れを告げて出ていってしまったのだ。一生懸命引き止めたのに、話を聞いてくれなかった」
「それは変ねえ……」
「俺は愛想を尽かされてしまったのだろうか……」
アーサーが弱音を吐くと、アトラスは人差し指でコツンと彼の眉間を突いてから、
「そんなのあるわけないじゃない。あんた、何年あの二人と一緒に居たわけ?」
「大体、半年だが……」
「意外と短いわね……こほんっ! と、とにかく、絶対そんなことありえないわよ。フリジアでリリィちゃんを助けた時のことを思い出しなさい。たった一人で残るなんて無謀なこと言い出したあんたのために、命を張って囮役を買って出てくれたのは誰? アクロポリスからレムリアまで、世界を股にかけて何千キロをも、あなたの荷物を担いで歩いてくれたのは誰だったのよ。そんな人達が、ちょっと上から言われたからって、簡単に裏切るなんてことないわよ。きっと何か事情があるに違いないわ」
「そう……だな。そうだ。その通りだ。俺もそう思う」
アーサーは頷いた。自分たち3人は苦楽を共にしただけでなく、危険の多い戦場でお互いの命を預けあった相棒なのだ。その絆は誰にも断てるものじゃない。
「ほら御覧なさい。分かったらいつまでもこんなところで突っ立ってないで、早くあの二人を追いかけましょう。ジリアン様が本当にこんな酷いことしてるんなら、私が文句を言ってやるわ。これだから女はいやなのよ! 男の友情とホモを履き違えるんじゃないわよ!」
「すまん。何を言ってるかわからんが、分かった。ありがとう大尉。とにかくあいつらを追いかけよう」
二人は頷きあうと、階段を駆け下りた。
とは言え、エリックとマイケルの行き先は分かっていない。恐らく母のところへ向かったのだろうが、そもそもアーサーはその母の居場所を探していたところなのだ。
仕方ないのでアーサーとアトラスは式典会場に戻ると出席者に母の居所を聞いて回った。するとやはりと言うべきかそこに居た誰もが、そう言えばジルの姿を見ていないと首を傾げていた。母はアーサーの晴れの舞台だと言うのに、本当に会場に来ていなかったのだ。
一体、どうしてこんなことをするのだろう? 母の怪しげな行動に不信感を抱きつつ、二人は無駄足だった会場を後にすると更に階段を下って一階へ降りてきた。
母ジルの行方がわからないなら、エリックとマイケルの目撃情報を追ったほうが懸命だ。最初からそうすれば良かったと思いつつ、二人が一階ロビーの隅にあるラウンジになっているところまでくると、パーティ会場の喧騒を嫌って抜け出していたアンナが、隅っこの方でくたびれたサラリーマンみたいにぐったりしていた。
彼女はロビーでキョロキョロしている二人が、自分を連れ戻しに来たのかと思って一瞬逃げ出しかけたが、
「……エリックとマイケルが?」
「そうなのだ。俺はあの二人を連れ戻さねばならない。どこに行ったか、アンナは二人を見てないか?」
するとアンナは眉間に皺を寄せながら、
「二人ならさっき外に出てくのを見た。沢山荷物抱えてたから、どうしたの? って聞いたらなんでもないって……アーサーに使いっ走りにでもされてるんだと思ったけど。何も言わずにこのままお別れなんて許せない」
アンナにとっても彼らは大事な仲間であり、音楽友達なのだ。三人は頷くと、門番にすぐに戻るとから言って宮殿の外に出た。すると宮殿エントランスの車溜まりに、小さなリリィや子供たちが呆然と佇んでおり、彼らはアーサーの姿を見つけると、泣きそうな顔をして駆け寄ってきた。
「王子~、エリックとマイケルが……」
彼らが言うには、エリックとマイケルはアーサーのことを子供たちに引き継ぐと、さよならを言って去っていってしまったらしい。子供たちは二人のことを自分たちのリーダーのように思っていたから大いに戸惑い、なんとか残ってくれないか? と懇願したのだが、それは彼らを困らせるだけで、結局受け入れて貰えなかったそうだ。
それが悲しくて仕方ないと、子供たちがシクシクと泣き出すと、
「泣くな、ちびっ子ども。貴様らの無念はよく分かる。俺も悔しくて、今から奴らを取り返しに行こうと思ってたところだ。だから安心してくれ」
「本当?」
「ああ、俺は確信した。これだけ色んな人達に必要とされている奴らを、母の都合だけで連れて行かれるわけにはいかない。だからみんなで、あいつらを呼び戻しに行こう」
アーサーがそう言うと、べそをかいていた子供たちはホッとして涙を拭い、力強く頷いた。そうして大所帯となったアーサーが、みんなを連れて宮殿から出ていこうとすると……
「王子~、エリックとマイケルは外に出てったんじゃないよ」
「え? そうなの?」
子供たちが言うには、彼らは別れを告げたあと、宮殿の中庭の方へと歩いていったそうである。そっちには古くは公爵を警護する兵舎があり、ついでに裏口もあるらしい。
もしかしてその裏口から出ていってしまったのだろうか。正面を避ける理由なんて無いのに……と訝しみつつ、子供たちを引き連れたアーサーたちがぞろぞろと中庭に差し掛かった時だった。
その中庭の中心に、妙に格式張った甲冑を着込んだ集団が見える。
その集団を見たアトラスは、開口一番なんじゃこりゃと首を傾げた。
何しろ人類の最前線基地であるカンディアだから、武装をした兵団が居るのは別に不思議じゃない。しかし、自動小銃が前線に行き渡りはじめているこのご時世……鎧なんて代物はただ重いだけで無意味なのだ。劇団員がパフォーマンスで着てると言うなら分かるが、今日の式典にそんなものがやって来るとは聞いていない。それじゃこの妙な集団は一体何なんだろうと、その場にいる全員が戸惑っていると……
アーサーがポカーンとした表情でつぶやいた。
「……近衛隊」
「えっ!?」
「リディア王国近衛隊だ。まだ銃が無かった時代、亜人と戦っていたころの装備だ……リディア王宮を守る兵士で結成された精鋭だったそうだが、俺の母上はその一員で、当時の鎧を大事にしまっておられたのだが……」
そう、アーサーが口にした時だった。その奇妙な集団の中から、一人の女性が歩み出てきて、彼は息を呑んだ。
「遅いですよ、アーサー。母は待ちくたびれましたよ」
「は、母上!?」
甲冑に身を包んだその女性は、驚いたことにアーサーの母、ジリアン・ゲーリックその人だったのだ。
「母上が何故ここに……いや、それよりもなんなんですかその格好は? それにここに集まった大勢の兵たち……もしや、ここに居るみんなは、かつての王国近衛隊の隊員なのですか……?」
戸惑いながらそう問いかける彼の目に、更にとんでもないものが飛び込んできた。母の背後に付き従うように、二人の兵士がアーサー達の前に歩み出てくる。
「って……エリック、マイケル!? なんでおまえたちまで」
「愚問ですよ。この二人は私の部下。栄えある近衛の一員なのです」
その言葉に唖然とする。信じられないことに、あの二人も揃いの甲冑を着込んで、今まで見たこともないような真剣な表情で母の背後で気を付けをしていた。それはまるで、リディア王家に連なる母を守ろうとする本物の近衛兵のように見えて、アーサーは思わずゴクリとつばを飲み込んだ。
いや、そうなのだ。
ここに集まった数十人の兵士たちは、紛れもなく本物の近衛兵なのである。しかしなんで突然、母がこんなことを始めたのか……アーサーはその理由がさっぱり分からず、ただ目の前にいる二人を交互に見る以外に何も出来なかった。
すると、アーサーの背後で親子のやりとりを見ていたアトラスが、
「そ、そうか! この人達はリディア王家に仕える兵士。もしかして、あなたが挙兵をすると聞いて、駆けつけてくれたってことかしら?」
「口を慎みなさい、アトラス。我々が何故、このような何者でもない賊徒に仕えねばならないと言うのですが」
ところがジルはそんなアトラスの言葉を一蹴すると、その迫力に飲まれて小さくなったアーサーたちを睨みつけながら、更に言い放った。
「アーサー……あなたは我々に何の断りもなく、勝手にカンディア公爵を僭称しました。それはリディア王家を愚弄する行為、とても看過しきれません。本来カンディアはリディア王家に帰するもの、リディア王の命無くしてその名を口にすることは万死に値します」
まさか母にそんなことを言われるとは思わず、アーサーは狼狽した。
「いや、そんなこと言われましても。今更何を仰るのですか、母上。俺はカンディア公爵ウルフの息子で、この国は我々親子が継承すると、リディア貴族とミラー家で取り決められております。確かに、俺が成人するまで母上が正当な領有権をお持ちでしたが、俺はすでに成人してますよ?」
「黙らっしゃい。リディア貴族などどうでもよろしい。そもそも王の意見も聞かずに、彼らが勝手にこの地の行く末を決めるなど、あってはならないことだったのです。故に我々王国近衛隊は、賊徒から王に賜りしこの地を奪還すべく立ち上がりました。アーサー、もしあなたがこれを不服とするなら、その力でもって我々の王であることを示しなさい」
「そんなメチャクチャな……」
アーサーがどうしていいか分からず戸惑っていると、さっき怒られてすっかりしょげてしまったアトラスの代わりに、アンナがムスッとした顔でアーサーに耳打ちした。
「……アーサー。あなたのお母さんは、文句があるなら力でねじ伏せてみなさいって言ってるんじゃない。だったらさっさと片付けてしまいましょう。力を貸すから」
「ちょ、ちょっと待ったちょっと待った!」
するとそれを聞いていたエリックとマイケルが堪らず飛び出してきて、アンナとアトラスを押しとどめた。
「二人は手出し無用だ。これはリディア王家の問題だから」
「でも」
「いいから、ここは坊っちゃんに任せておいてください。王様になるってのは、ただ偉そうにふんぞり返ってればいいってもんじゃないんですよ」
そう言って二人を押し出していったかつての従者二人の姿を見て、アーサーはやはりこの二人は裏切ったわけでもないのだと確信し、ようやくほんの少しだけ光明が見えてきた。そして彼は、安心したことで母の言わんとしてるところも分かってきた。
彼らは、アーサーにリディア王としての器を示せと言っているのだ。
「……話はわかりました。俺が近衛隊を束ねるに相応しい男かどうか、その力を見せろということですね? ですが、母上、それを認めてもらうためには一体どうすればいいのでしょうか」
「戦いなさい」
すると母はにべもなく言った。
「先代も先々代も、リディア王は常に先陣を切って敵を粉砕する、勇猛果敢で鳴らしたお方でした。その方たちに恥じぬよう、あなたの力を示すのです」
「わかりました」
アーサーは力強く頷いた。正直、彼はそこまで剣が得意なわけではない。だがここで引いていては、騎士の名折れだろう。リディア王どころか、これからそのリディアに渡り、魔王を倒そうとしている男が口にしていいセリフではない。
最近は仲間になった魔法使いたちを相手に、沢山稽古もしていたのだ。剣聖は、弟子でないからと相手してくれなかったが、アトラスやフランシスはよく相手してくれる……まあ、こてんぱんにやられるのだが……そしてアンナからは、いつか飛行船の甲板で、魔法の講義を聞いていた。
アーサーは自分一人で戦うわけじゃない。彼らの力が、アーサーの力になるのだ。
近衛隊が誰を出してくるか知らないが、がむしゃらにぶつかるまでだ……この流れで出てくるのは、恐らく近衛隊長ローレルだろう。先々代から仕える古強者で、その剣技は幼い日のブリジットを手ほどきしたと言うから、相手にとって不足はない。
アーサーは鼻息を鳴らして気合を入れて、近衛兵の隊列をじっと睨みつけた。
すると、彼らはアーサーが覚悟を決めたと見做したのか、さっとその隊列を半分に割って、後ろに控えていた男に道を開き、抜刀した剣を胸の前で構え、仰々しく敬礼した。
そんな近衛兵達が作る道の最奥に、白髪で隻眼の男が椅子にどっかと腰掛けている。
手前には見知らぬ長剣が突き立てられており、それを杖代わりにじっと目を瞑っていた。
彼は周囲の様子から、準備が整ったことを知ると、パッと目を見開いて、近衛兵達が作る道の向こう側にいるアーサーの顔をまっすぐ見据え……
「……貴様がアーサーか」
凛と響くその声に気圧される。隻眼の瞳がじろりとアーサーを睨むと、寒くもないのにぶるぶると体が震えた。アーサーは背筋に冷や汗が垂れるのを感じた。別に、威圧しているわけでもないのに、何故かその男からは圧倒的な迫力を感じるのだ。
「この人が、リディア近衛隊ローレル隊長」
もし、未だに近衛を束ねていたとするなら、王家に仕えて60年余りにもなる。激動の時代を生き、戦場をも縱橫に駆けた。これが歴戦の勇士かと、アーサーの肩越しにそれをみていたアトラスが感嘆の息を漏らした。しかし……
「誰だ……貴様」
対するアーサーは、そんな言葉を呟いていた。
何故なら、彼はローレルと面識があったのだ。帝国が崩壊した後、ローレルはハリチで国民の脱出を助けた後、剣聖と別れてカンディアに来てジルに仕えた。リディア貴族と揉めた彼女を助け、ミラー伯爵家がイオニア国を興してからは、アーサー親子に付き従ってヴェリアに渡り、伯爵の直参として給金を得て余生を過ごしていた。
ローレルは近衛隊をとっくに除隊していたのだ。アトラスが驚いて素っ頓狂な声を上げる。
「え? ローレル隊長じゃないの?」
「あの人はもう70越えた爺さんだぞ。小さい頃はよく俺と遊んでくれたんだ、見間違えようがないだろう」
対して、目の前の男は確かにローレルと同じ白髪隻眼であったが、どうみても顔が若すぎる。その年輪のように深く刻まれた眉間のシワと、白髪であるから勘違いしそうだが、よく見ればその肌艶はせいぜい40代のもの。それに、彼はローレルと違って、隻眼なだけではなく、片足も無かったのである。
それに、彼が携えているあの剣……
見たことないはずなのに、何故か妙に懐かしい気がするあの感じ……
一体こいつは何者なんだ?
「ふん……誰に似たのかふてぶてしい顔をしたやつめ。親の顔が見てみたいな」
「なんだと貴様……母上を愚弄する気か?」
気圧されていたアーサーがその言葉にムッとして抗議すると、男はフンッと愉快そうに鼻を鳴らし、
「どうした、抜かんのか? ならば、こちらから行くぞ」
男はそう言って面倒くさそうに剣を振り上げ、よっこいしょと椅子から立ち上がった。
その瞬間、彼の周囲から物凄い量のマナが集まってきて……あっという間に彼の全身を包み込んだ。
見れば、凝縮されたマナが彼の無くした足を補うかのように集まって、キラキラ光る義足となっている。
彼はその光る義足で大地を踏みしめると、
「カンディア公爵は二人も要らん……」
「なっ!?」
この男は今、なんて言った!? 戸惑うアーサーを尻目に、男は手にした剣の斜に構えると、その腹の方を見せて、
「クラウソラス!」
その言葉を発した瞬間、手にした剣がパーッと光り輝き、まばゆい光がアーサーの目を襲った。突然目を焼かれたアーサーは前後不覚に陥りながら、必死に重力の方向だけを頼りに態勢を整えた。
まさか……そんな!?
頭の中でぐるぐるぐるぐる疑問が渦巻いている。しかし、そんなことを考えている余裕はない。次々と繰り出される男の剣技に押され、アーサーは気が付けば防戦一方となっていた。