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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
35/398

BIOSPHERE 2.0 ②

 オルフェウスの技術は世界一。


 誰が言ったか知らないが、但馬がいた21世紀の世界では確かに本当の事だった。


 ベルギーのブリュッセルに本社を置くその企業は元々は金融業の一つに過ぎなかった。それがバブル崩壊後に不良債権と化した日本企業を買いあさると、いつの間にか業態変化し、徐々に多国籍企業としてコングロマリット化、二度の通貨危機を経て、気がつけば世界有数の軍産複合体へと成長していた。


 母体は金融から完全に離れ、最終的にはファブレスのハイテク企業となっていたが、その技術は折り紙つきで、世界中の情報機器はオルフェウスの技術が無くては成り立たず、船舶や戦闘機を含めた飛行機はもちろんのこと、商業用ロケットや弾道ミサイルの部品に至っても、彼らの技術が使われていた。


 航空宇宙産業にも意欲的で、NASAのコンステレーション計画では中核企業の役割を担い、計画が中止された現在でもアメリカ国内の民間宇宙開発業者としては、最大規模を誇るロケット生産企業でもあった。


 そういったわけでNASAを除けば、将来の有人火星探査実現に関しては世界でも屈指の企業で、世界中のロケット野郎の憧れの的であり、その日本法人は新卒人気企業ランキングでも常に一桁の人気企業だった。


 特に先進国での業態は多岐に渡り、例えば日本では電気、電信、IT、ハイテク、保険、証券、金融、不動産と要するに何にでも手を出しており、もちろん航空宇宙産業に至っては最右翼で、国内でそう言った方面へ進みたい向きには、ほぼ唯一の選択肢であると言って過言でなかった。


 なので航空宇宙系の学科に進み、将来宇宙産業への就職を漠然と希望していた但馬波留が、その年の夏にオルフェウスが募集したアルバイトに応募したことは、必然的なことだったかも知れない。


 そして大学に進学したばかりの夏休み、とんでもなく暇を持て余していたのも確かで、アルバイトの内容もまた、そう言う暇人学生にとって大層有利なものだった。恐らくそのアルバイトは、社会人の中にも非常に興味を示すものが居ただろうが、その人が仕事を辞めてまで参加するかどうか……そう言ったことまで試されていたのだろうと思う。


 持って回った言い方はやめよう。そのアルバイトの内容とは、将来の火星探査計画の宇宙飛行士選抜を兼ねた、南洋の島での閉鎖環境実験の被験者であったのだ。


 そのプロジェクトの名は『BIOSPHERE2.0』、かつて現実に行われた人体実験を模した、新たな取り組みであった。



 アメリカのアリゾナ州の砂漠には、バイオスフィア2と言う巨大密閉空間施設がある。


 大気圏(Atmosphere)・水圏(Hydrosphere)・岩石圏(Lithosphere)、これらを包括するBiosphere(バイオスフィア)とは生物圏のことを指し、この名を冠したバイオスフィア2という施設は、いつか宇宙空間に移住する予定の人類が、果たして閉鎖空間内で生態系を維持できるかと言う実証試験に使われた施設であった。


 ドームで覆われた広大な敷地の中に、砂漠、サバンナ、海洋や熱帯雨林などを模したバイオームを人工的に造成し、それが破綻しないように人間の手によってコントロールしようと試みたのだ。


 この実験は2年交代で8人の科学者が滞在し、およそ100年間も続けられる予定であった。


 ところが、実験は最初の2年間であっという間に終焉を迎えてしまう。


 理由は施設内のむき出しのコンクリートが徐々に二酸化炭素を吸収したせいで、結果的に閉鎖空間内の大気濃度に異変が生じたことによる。二酸化炭素が減ったことによって、光合成を行う植物からの酸素の供給が減り、空間内の酸素濃度が低下。光合成が十分に行えないなら、植物の発育も当然不足し、やがて家畜が死に、食生活は実験の後半になるほど悲惨なものになっていったと言う。


 酸素不足のせいで理知的な科学者たちもイライラと凶暴化し、外界との交流が一切できないという切羽詰まった状況が更に情緒を不安定にさせ、ついには対立構造が生まれて、食への不満や安全面の不安がさらにそれを助長していった。


 まるでテレビのサバイバル番組みたいなシナリオが、現実の下で再現されてしまったわけである。


 その他にも、酸素不足で昆虫が死に、天敵が居なくなったためにゴキブリが大量発生したり、風が吹かないという環境ストレスが無い空間であったために、熱帯雨林の大木が自らの幹を太くしようとしなくなって、あっという間に枯れ果ててしまったという信じられない話もある。


 生態系の維持は想像していたものよりもずっとデリケートで複雑なものであり、今現在、とても人間ごときが完全にコントロールできるような代物ではなかったのだ。要するに自然に対する見積もりが甘すぎたというのが、この実験失敗の最大の理由であったと言えるだろう。


 しかし、この閉鎖空間実験と言うもの自体には意味がある。難しかろうがなんだろうが、どうしたっていつかは人間も宇宙に旅立って行く日が来るのだろうから。


 例えば、有人火星探査を行うにしても、片道3ヶ月は最低限かかるのだ。だから宇宙船の中で如何にして生活サイクルを循環させるか、そう言った生態系を維持するシミュレートは常に行っていくべきだし、実際に様々な国や機関で行われている。


 バイオスフィア2ほど大規模ではないが、似たような実験は今でも頻繁に行われているのだ。


 さて、前置きが長くなったが、このバイオスフィア2と同じ実験を、オルフェウスという企業が新たに行おうと言うのが、今回、但馬が参加したアルバイトの目的だった。彼らは南洋の島にドームを建てて、地球を模した環境を構築したらしい。そして、その場所で会社が用意した装備を用いて、1ヶ月間のサバイバル生活を行ってくれというのがアルバイトの具体的な内容であった……


 初め、普段なら目も通さないような雑誌広告の中に、隠されるようにしてあった小さな記事を見つけた但馬は、へえ、面白そうだな……程度の軽い気持ちで応募した。


 オルフェウスという企業にはもちろん興味があったし、宇宙開発事業にも、平均的な日本男子程度には興味があった。何しろ、そういう学科に進んだくらいだから、もしも行けるのであれば、いつか宇宙にも行ってみたいとも思っていた。アルバイトと言う形でこういう実験に参加出来るのは、正直なところちょっと楽しみでもあった。


 ところが募集期間中、どうやらそれは将来の火星探査クルーの選抜も兼ねているという噂が流れると、途端に全世界から5千人以上の応募者が殺到し、とても自分なんかが残れるような規模ではなくなってしまった。


 しかし噂が出始めたころには、すでに履歴書を含む応募書類を会社に送ってしまった後であり、今更引っ込みがつかず、まあダメ元で受けてみればいいや程度の気楽な気持ちで放置していたら、いよいよ大学が夏休みに入ろうかとしていた7月の下旬、本当に応募したことなど忘れてしまった頃に、バイト先から書類選考を通過したという連絡が入ったのである。


 その時には既に他のバイトを決めてしまっており、今更だな……などと思いつつも、日当が出るというので、筆記試験に進んだのだがこれもパスし、新しいバイト先に大迷惑をかけながらも、2次試験に進んだらこれまたパスしてしまったのである。


 筆記試験の内容は性格診断みたいな物の他に、主に数学と理科の問題で、高等教育の範囲を著しく逸脱するような内容ではなく、つい最近まで大学受験をやっていた但馬には有利に働いたらしい。そして彼は、あれよあれよという間に、噂では宇宙飛行士にさせられるかも知れないという試験をパスして、ついに南の島で行われるという最終試験にまで来てしまったのである。


 そこまでくると流石に欲も出て、航空宇宙関連や不得意だった生物化学の勉強などもしていたのだが……


 しかし、実際に今回のアルバイトの面接に受かったとして、実験に参加したくらいで、本当に有人火星探査のクルーになんてなれるのだろうか? 噂はあくまで噂で、会社が宣言しているものではない。それなのに5千人もの人たちが集まって、何やら良くわからない椅子の奪い合いをしている。


 どうしてこうなった?


 高校の教科書をおさらいしつつ、そんな風に期待と不安を抱きながら、夏休みに入って数日後、但馬はアルバイトの最終面接会場とされる南の島へ向かう飛行機に乗り込んだ。実験場の場所は極秘ということで、目張りのされた機内からは確認さえ出来なかったが、パスポートの提示を求められなかったので、辛うじて日本国内であろうことだけは分かった。


 そして飛行機で移動すること数時間、但馬は明らかに熱帯の匂いのする、四方に青い海だけがどこまでも広がる島のど真ん中に降り立った。飛行機は空港に併設された四角いだけで何の飾り気もないビルにタラップで横付けされ、搭乗者はそのまま窓もない密室へと押し込まれたのである。


 そこには先に到着したのであろう但馬と同じ参加者が整然と並んでいて、恐らくこんな選抜方法をしたから誰一人として知人がいないのであろう、100人を超える人口があったというのに、室内はしんと静まり返っていた。


 但馬は空いている席に座ると、機内でもここに来ても特に回収されなかった手荷物の中からスマホを取り出すと、取り敢えず動くことを確認し、ついでにアンテナも立ってることを確認して、首を傾げつつ事態が進展するのを待った。


 軽い気持ちで受けたはずの夏休みのバイトのはずだったが、正直少し早まっただろうか……実際にここまで来てしまって、今更ではあったが、強烈な不安が押し寄せてくる。


 そんな風に弱気になっていると、やがて責任者という者が現れて、これから行う最終面接について話し始めた。ここまで長い選考をされて、機密保護の名のもとに良くわからない場所にまで連れてこられている。おまけにこれでもまだ最終面接と来た。


 責任者が出てきて、ようやく納得のいく説明が受けられるのかと安堵しかけたが、しかし、その話はまだどこか婉曲であった。


「ところで、みなさんは盲点の見つけ方をご存知でしょうか?」


 そして出てきた言葉が、先の脳に関するものであった。彼は人間の脳内で起きていること、脳は意外と柔軟性があって、脳内処理が一つ一つの機能ごとに、ガチガチに仕様が固まっているわけではないと言うこと、そして使われないで眠っている脳細胞が沢山あると言うことを話した。


「我々はこの眠っている脳細胞を利用して、人間の新たな可能性を追求しようと考えました。それは第六感という形で超能力を備えた新人類を作り出すことです……」


 まるで脳みそをこねくり回して非人道的な人体実験でもしそうな雰囲気に、場の空気が凍りついた。しかし、


「おっと、もちろん、そのために外科的な方法を用いたりしようとは思いませんよ? 倫理面がクリア出来なければ、問答無用でお縄ですからね」


 それを聞いて少しホッとする……だが、まだはっきりしたことは分からないので、会場に集められた人たちは皆真剣に男の話に耳を傾けていた。


「第六感とか超能力とか、胡散臭い話ばかりで身構えてしまうのも仕方ないでしょうが、まあ、リラックスして聞いてください。特に難しいことをやって欲しいわけではありません。皆さんには我々が開発したヘッドギアをつけて、『ある物質』で満たしたドーム内で数日を暮らして欲しいだけなんです。我々はその際の、みなさんの体や脳波の変化を記録したいだけで、もしも皆さんの中に体調不良を訴える方が出るようでしたら、即座に実験は中止します。やることは薬の治験と殆ど変わりません。もちろん、この『ある物質』と言うものが何なのか気になるでしょう。それを今から説明します」


 そう言うと男はペットボトルを取り出して、中に入っていた液体をジャカジャカとシェイクした……


 すると……ポワッと緑色の蛍のような淡い光が、ボトル内で飛び回るのであった。


 室内にどよめきが起こる。


「これは、我々が開発したナノマシン、まだ仮ですがConductive Porphyrin NEMS(Nano Electro Mechanical Systems)と名づけました。ナノマシンと言いましたが、これは単純な命令だけを実行する生体分子の一種で、ポルフィリンという分子構造を持っています。ポルフィリンと言うのは、植物の葉緑素(クロロフィル)や、動物の血液に含まれるヘモグロビンの中にもある、環状の分子構造のことです」


 そう言うと男は会場内にあったスクリーンにスライドを映した。


挿絵(By みてみん)


「これがその分子構造なのですが……見ての通り、植物のクロロフィルも、動物のヘモグロビンも、かなり似通った形をしており、輪っかになった分子構造の中央に、一般的な植物ならマグネシウム、動物なら鉄の原子を持っている、と言うことが見て取れます。


 クロロフィルは光合成を行い、二酸化炭素を取り込み酸素を放出します。ヘモグロビンは酸素を取り込み、老廃物や二酸化炭素を吐き出す働きをします。酸素と二酸化炭素が逆ですが、共に似たような働きをしているのがお分かりでしょう。このため、動物は血液を作るために、植物の葉緑素を食事によって摂取しなければなりません。クロロフィルは必要な栄養素であり、人体に全く無害な分子であると言えるでしょう。


 我々が開発したナノマシンCPNは、この無害なクロロフィルから作り出されており、常に金属イオンを持っています。植物が光合成の際に、光エネルギーで励起した電子を放出する現象を利用しているのです」


 それは普段はポルフィリン環の内側に隠されていて絶縁状態にあるが、特定状況下で電荷を放つそうである。CPNは葉緑素(クロロフィル)から作り出され、マグネシウムイオンを持っているため、刺激を与えると緑色に発光するのだと、ペットボトルを振りながら男は説明を続けた。


「CPNは非常に小さな分子で肉眼では見えません。布や、目の粗い紙程度なら透過し、風にのって空気中に浮遊します。また、CPN自体が電荷を持っていることから、結びつこうとすると互いに反発し合い、一定の距離に複数は存在出来ません。そのため、大気中のCPNの分布は一様になり、自然と網目状のネットワークを形成するようになります。我々はこのネットワークに電子を中継させ、通信をする技術を開発しました。それはCPNネットワーク自体をコントロールし、CPNが存在する限り、熱や電磁波の影響を殆ど受けることがないのです。


 また、行く行くはCPNの持つ電気エネルギーを、直接取り扱うことも目指しています。CPNはほぼ葉緑素と同じ物ですから、電荷を失うとやがて地上に落下して、地下水から植物に取り込まれ、再度、光合成エネルギーを使って電荷を持つように自己修復するというサイクルが可能なのです。これを利用すれば、いずれは『植物発電』のような方法が可能になるかも知れません。


 まあ、これはまだまだ夢物語なんですがね……」


 そう言うと男は、会場にあったスクリーンにスライドを投影した。


 ところが、そのスライドには、頭に電極が突き刺さったマウスが映っており、会場が一瞬ざわついた。


「さて、現状のCPNの利用方法ですが……これは最近のCPN実験に使われたマウスのスライドなのですが……ああ、安心してください。皆さんにこんなことしようってわけじゃありませんから……」


 男は苦笑いしながら続けた。


「空気中に散布されたCPNネットワークは、先の説明通り、電子を通す媒体となってます。ですので、使いようによっては様々な電子機器を制御することが出来ます。我々はこの仕組みを使って、簡単な装置を作りました。実験動物がボタンを押すと、餌が置かれたドアが開くと言う簡単な機械です。


 こうしておくと、やがてマウスはボタンを押すとドアが開くということを学習します。そして餌が欲しいならボタンを押すという行動を脳内で関連付けます。そこで今度は、我々は脳に繋がった電極から、マウスが餌が欲しいと言う脳波を出したら、ボタンを押さなくてもドアが開くように装置を改造しました。


 お察しの通り、そうするとそのうちマウスは餌を得るために、ボタンを押さなくなりました。餌がほしいなと頭の中で考えるだけで、ドアが開くことを学習したのです。そしてついに目的と手段が逆になる。今度はマウスの周りに餌へと続くドア以外にも、同じようなドアを置いてみる。するとマウスは、他のドアも脳波だけで器用に開くようになりました。


 我々は更に、脳に繋げていた電極という制御系(有線)を、特殊なチップをマウスの脳に埋め込むことで代用するように工夫しました。マウスが脳内で、餌がほしいと考えると、シナプス結合で電気が生じます。その刺激を検出して、チップが空気中に散布されたCPNに直接働きかける(無線通信する)ように変えたのです。


 そしてドアを開ける以外にも、例えば空の餌場に餌を出す装置を作ったり、水場に水を注ぐものや、その他にも簡単な装置を動かして生活する環境にそのマウスを放してみたのです。


 すると見事にマウスは環境に適応し、我々の作った様々な機械を、考えるだけで制御するようになりました。ここにエスパーマウスが誕生したというわけです……」


 そう言うと男は実に満足そうな笑みを浮かべて会場を見回した。


 しかし、そこに集まった人々は、これから自分たちが何をやらされるのだろうかと言う不安の方が勝ったのか、誰ひとりとして彼に賛同するような素振りは見せず、シーンと静まり返っていた。


 その空気を読んだのか、男はコホンと咳払いを一つすると、バツが悪そうに続けるのだった。


「話が少々脱線してしまいました。ええ、ええ、もちろん、こんな非人道的な実験を皆さんに行おうと言うわけではございません。このCPNネットワークですが、今までの説明のとおり、簡単な電子制御を得意としており、ひいては新しいインターネットのような役割を担う可能性をも秘めています。しかも分子の状態でありますから、大気中に散布するだけでインフラの構築が可能なのです。となると……」


 そして男は会場をぐるりと見回してから、勿体つけるように言った。


「将来の火星探査の際に、大いに役立つことでしょう。これを散布するだけで、すぐに様々な電子機器が遠隔制御可能になるのです。もしも、もっと大規模に、例えば火星の大気を覆うくらい散布してみたらどうでしょうか? 人間は安全な基地内に居ながら、探査車を自在に遠隔操作することが可能になるでしょう。まだ先の話ではありますが、我々はそのための実験を開始しようとしているのです」


 火星探査という言葉が飛び出して、おおっとどよめきが起きた。今回の実験が、少なくとも将来の火星探査のためにあることが実証されたのだ。


 にわかに活気づく会場内で、男は話を締めくくった。


「と言うわけで、今回、我々が皆さんにお願いしたいのは、CPNで満たされた閉鎖環境下での人体に対する影響及び、特殊なヘッドギアをつけ、CPNネットワークを用いた簡単な装置の制御を行う訓練と、その脳波の測定です。


 この実験は1ヶ月を予定しており、これから調べるのだから当たり前ですが、その危険性も未知数です。何が起こるかわかりません。ええー……動物実験は十分に行いましたが、それでも下手したら命に関わることもあるかも知れません。


 ですから、皆さんにはこれから一人ひとり面談を行いまして、最後の意志の確認と、実験に関する機密保持の誓約を行っていただきます。もしも実験に対する不審感があったり、不参加の意志が固いのであれば、遠慮無く仰ってください。我々は無理強いはしませんし、既にUターンの飛行機がスタンバイしています。


 機密保持の誓約だけは行わせて頂きますが、代わりと言ってはなんですが、本日までの謝礼金と、家に帰るまでの交通費は支給させていただきます」


 あとは係員の指示に従ってくれ……そう言うと男はどよめく会場を後にした。


 室内に集まった人々は、どこか興奮気味な素振りで周囲の人と実験に参加するか否かと話し合っていた。但馬はその後姿をぼんやりと見つめながら、これから始まる実験のことについて考えていた。


 参加自体はほぼ即決で決めていた。元々、このアルバイトに応募した時から、こういったちょっと特殊なものを想定していたのだから、特に問題は感じられなかったのだ。薬品の臨床試験とそう大差ないだろう。割のいいバイトだ。それが火星探査だとか、宇宙船クルーの候補だとかで変な方向に流れてしまったのだ。考えても見れば、但馬としてはそっちの方がついでだった。


 だが多分、ここに集まった殆ど人たちは但馬とは逆で、今回のアルバイトではなく、その先を見据えて参加した人たちなのだろう。だから、閉鎖実験とは宇宙飛行士の訓練のようなものと思っており、ここまで人体実験染みたものは想像してなかったのかも知れない。


 この実験は将来の有人火星探査、そのクルーを決める選考も兼ねているという噂であった……


 はっきりとそう明言されたわけではないから、絶対とは言い切れないが、最後にあの男がもったいぶって火星探査と言う言葉を出してきた以上、少なくとも何らかの選考基準に含まれているのは、ほぼ間違いないのだろう。


 そうしたら、もしかしたら、将来、但馬は火星を目指す宇宙飛行士になるのかも知れないと言うわけだ。


 その事実に、周囲の人達は興奮気味な様子であったが……なんだか実感が湧かないな……と思いつつ、但馬は手荷物からスマホを取り出すと、暇つぶしにゲームを始めるのであった。


 周囲には100人以上の人が居て、この全てがそうなるわけはないのだ。恐らく、この中から多くても1人か2人しか選ばれないのではないか? もしかしたら1人も選ばれないかも知れない。その可能性の方が大きいくらいだろう。そんなことを考えながら、但馬はスマホの画面をタップした。


 これから始まる閉鎖実験中も、暇つぶしにゲームとか出来るのかな……? などと思いながら。


 これが、但馬波留の、地球上での最後の記憶である。


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