お別れに参りました
アーサーがレムリアに旅立ってからおよそ3ヶ月、大陸軍の根拠地カンディア島には続々と各地から戦力が集結しつつあった。
エルフの大攻勢によって崩壊したフリジア防衛線は、レムリアの登場によって辛うじて戦線を押し返すことに成功していたが、根本的に長く伸び切った戦線の全てをカバーし切るのは至難の業で、人類は間隙を縫うように現れるエルフの出現に手をこまねいていた。
レムリアの機関銃はその威力は確かなものがあったが、とにかく重く移動しづらい欠点があった。困ったことに、エルフは馬鹿ではないので、いつも同じ場所にある機関銃陣地は狙われやすく、それを守るために必要以上にガチガチに固められた陣地は、ますます機関銃の移動を困難にさせた。
すると機関銃が1000丁あったとしてもその射線は隙間だらけで、エルフはそこを突破しようとしてくる。そして、その隙間を埋めるために人類は第二第三の塹壕陣地を拡張し、ますます人手が必要となっていった。
尤も、以前だったらこの事態に際しても、殆どの人々は他人任せにして動こうとはしなかっただろう。しかし、直前の魔王の宣戦布告が効いていて、前線が劣勢に立たされていると聞くや、人々は自発的に各地から集まってきた。いよいよ人類とエルフの戦いは、総力戦の様相を呈してきたのだ。
人々はかつてこれほど長く戦い、大勢の犠牲者を出した戦いを経験したことがなかった。先の大戦でも信じられないほどの犠牲者が出たとは言え、それは決戦の数回に限ってのことであり、眠ってる間も頭の上を銃弾が飛び交い、毎日誰かが死んでいるような戦場なんて、誰も知らなかったのである。
そんないつ死ぬかも、いつ終わるかも分からない戦場に身を投じて居ながらも、人々が正気を保っていられたのは、レムリアへ渡ったアーサーの存在が大きかった。
かのリディア王家の末裔が海の向こうの超大国から、もうじき機関銃よりも優れた兵器を持ち帰ってくれるはずだ。そうしたら人類は一転攻勢に転じ、エルフを駆逐することが可能だろう。あと少しの辛抱なのだ。誰かがそう口にしたわけではないが、そんな人々の希望は前線の隅々まで浸透していた。
アスタクス方伯やその代理人サリエラ、カンディアで大陸軍の留守居役を努めたリリィとブレイズ子爵、そして先の大攻勢で一度は拠点を失いかけたフリジア子爵……司令クラスの人間は、そんなアーサーがレムリアから兵器を持ち帰ることが確約されていないことを知っていた。
聞いた限りではレムリアの説得は非常に難しそうだった。だから彼らは最悪の事態を想定して、人々の間でそんな希望の種が育っていることを心苦しく思っていたのだが……
どうやらそれは杞憂で終わってくれたようだった。
人類の希望はまずカンディアへともたらされた。あのフリジア襲撃の際、圧倒的な火力でもってエルフを追い払ったジョンストン艦隊が、大陸軍へと合流したのである。
元が軍港であったため、15年前の帝国崩壊時にそのまま廃港となってしまったヘラクリオン港は、急ピッチで整備が進んでいた。長い間手入れがされていなかったとは言え、元々コンクリート造で耐用年数が長い施設は、比較的早く元通りになった。
内部は酷い荒れようだったが、この手の建物は内装を剥がして入れ替えてしまえば、案外それっぽくなるものだ。水道管が錆びついていて工事が必要だったが、それ以外は大概すぐになんとかなりそうだった。
当時、一万人規模の職員が働くために作られた軍港は、それだけでかなりの人数を収容出来たが、大陸軍の総兵力はその何倍もある。アーサーに後を任され、カンディアの臨時行政官となった子供たちは、まだまだ住宅が必要であると判断すると、シドニアと宮殿の間を走り回って、仮設住宅の建設のために働いた。
彼らは前線で根無し草の生活を送っていたところを、アーサーに拾われたことに恩義を感じており、その彼のために一生懸命に働く姿は、最初は彼らの出自に冷淡だった周囲の大人たちの心を溶かした。
コルフ総統のはからいで職人を大量雇用すると、アーサーの実家イオニアからは貨物船が提供され、ロンバルディアから建設に必要な木材など大量の物資が運ばれてきた。そうして味方を増やしていくと、急ピッチに作業は進み、いつの間にか港の周辺は在りし日のカンディアを思い出させる程に賑わってきた。
そんな時、ようやく稼働し始めたヘラクリオン港の沖合に、あのフリジアで彼らを救ってくれた艦隊が現れたのである。
カンディア宮殿の近くで新兵の訓練をしていたブレイズ子爵は、ジョンストン艦隊が現れるや、すぐにその姿を思い出し、入港の許可を願い出る彼らを歓迎した。絶体絶命のピンチに颯爽と現れた彼らに、ようやく礼が言える日が来たのだ。
そして、15年ぶりの母港に降り立ったジョンストン提督は、感無量とばかりに目頭が熱くなって来るのを抑えながら、今はそんなことしてる場合では無いと、駆け寄ってきて礼の限りを尽くす子爵に、挨拶もそこそこ要求した。
「どこか開けた場所を確保してください。練兵場があるなら、そこを今すぐ開けてほしいんです」
「いきなりどういう了見ですか? そりゃあ、あなたにお願いされたら断れませんが」
「いえ、要請しているのは私ではなく、アーサー様ですよ」
「アーサー様が!?」
「間もなく、アーサー様が凱旋なさいますよ。空からね」
そう言ってジョンストン提督は、まるでいたずら小僧のようにウインクした。
そして……彼の言うとおり、間もなくシドニア上空に巨大な飛行船が現れた。
かつてリディアにはアドバルーンが存在したが、エトルリア大陸でそんなものなど見たこともなかったブレイズ子爵は、最初それが何なのかさっぱり分からなかった。
突然上空に現れた風船みたいな物体は、シドニアの街の上をふわふわ浮いているのだが、そのあまりの大きさに、なんでそんなものが空中に浮いているのか理解できず、彼は目の錯覚でも起こしているのかと、必死になって目をゴシゴシとこすった。
もちろんそれは錯覚でもなんでもなく、徐々にヘラクリオンに近づいてくるそれが子爵の頭上をぐるりと旋回した時、彼は腰を抜かして倒れそうになった。フリジアで飛行機を目撃したときも信じられなかったが、今度のそれは桁違いだ。そのスケールの大きさに目が回りそうである。
そんな子爵を尻目に、ジョンストン艦隊の乗員は、上空から降りてくる飛行船を係留するために、練兵場のあちこちに散らばっていった。空から降りてきた飛行船を見て、いよいよその巨大さを実感した大陸軍の兵士たちが、泡を食って遠巻きに眺める中、その飛行船のデッキからアーサーが姿を現すと、自然と周囲から歓声が上がった。
3ヶ月前、レムリアに救援を求めにいったアーサーが帰ってきたのだ。それも、こんな物凄い乗り物に乗って。
魔王打倒を掲げて挙兵した大陸軍に参加した彼らは、その首領の若さに正直なところ不安を覚えていた。それでもカンディア公爵の威名に期待し、ここまで付いてきたが……自分たちの選択は間違って居なかったのだ。
カンディア島に帰還したアーサーは地面に降り立つと、彼を出迎えて周囲で湧いていた兵士たちに手を振った。その瞬間、歓声は更に大きくなり、彼は兵士たちの期待の重さをひしひしと感じた。彼らはこの3ヶ月間、エルフの攻勢を耐え忍び、いつ戻ってくるか分からない彼をじっと我慢して待っていてくれたのだ。
昔の自分だったらきっとその期待の重さにぐったりしてしまっただろう。だが、今のアーサーはもう、ちょっとやそっとで揺らぐことはない。彼は宣言通りレムリアの協力を取り付け、そして新たな兵器を持って帰ってきたのである。
アーサーが帰還したことを知ると、間もなく行政官となった子供たちがやってきた。彼らはこの3ヶ月にやったことを報告し、ついでにアーサーのためにカンディア宮殿を隅々まで掃除しておいたと告げた。
そのカンディア宮殿にアーサーが凱旋すると、シドニアからコルフ総統がやって来て、アーサーと一緒に飛行船に乗ってきたタチアナと再会を喜びあうと、
「それで公爵様。レムリアとの交渉はいかがなされましたかな? こうして娘と共に飛行船で帰ってきたところを見ると、上手くいったことは間違いなさそうですが」
「うむ。殆ど満額の答えを頂けました。詳しいことは、その娘さんから聞いてください。それよりも、これからレムリアとエトルリアの間で物資の輸送が活発になると思います。コルフ臨時政府にはその橋渡しをお願いしたいのですが」
「かしこまりました。全て、無償で我が国が引き受けましょう」
「え? お金ならちゃんと払いますよ?」
「我々は商人です。何に投資すればいいのか、理解しているつもりですよ」
物流面の協力をコルフから得たアーサーは、早速とばかりにレムリアから持ち帰った兵器を前線に届ける役目を総統にお願いした。尤も、それはまだこれから生産する予定になっていて、手元には殆ど無かったのだが……
アーサーが持ち帰った武器。それは彼がレムリアの兵器廠でリオン博士と会話した時、博士がアーサーの言葉をヒントに新たに開発したものだった。
ライフルの射撃時のガス圧を利用して、排莢と次弾装填を行うという、自動小銃である。
アーサーはこのプロトタイプを100丁ばかり持ち帰っており、これが実際に前線で通用するか試してほしいとリオン博士に依頼されていた。アーサー自身が前線での戦闘経験があるので、通用することは間違いないと思ってると返事しておいたが、実際のデータが欲しいからと彼は言っていた。
博士は更に、このプロトタイプを元に、重くて持ち運びが出来ない重機関銃から、誰にでも持ち運びが可能な軽機関銃を作ろうとしているそうなのだ。
そんなわけでアーサーはカンディアに帰ってくるなり、凱旋の宴もそこそこに、大陸軍の精鋭を連れてフリジアへと渡った。ジョンストン艦隊の艦砲射撃により、フリジア周辺の掃除をお願いしつつ、もう一つ試したいこともあったからだ……
アーサーがレムリアから持ち帰ったのは何も兵器だけではない。彼と一緒に海を渡り、パワーアップして帰ってきた魔法使いたちも居たのである。
吟遊詩人がエルフに通用することは言うまでもない。だが、新たに剣聖の弟子となったアトラスとフランシスは、この三ヶ月でどのくらい自分たちが成長したのか、その実力を確かめたかったのだ。
「黎明を照らす妙なき太陽……! 中天を焦がす劫火となれ……! 光の御子たる我が名において命じる!! 唸れガラティンッッ!!! その炎で敵を食らい尽くせぇっっ!!! おらららあああああああ~~~~っ!!!」
灼熱の業火がエルフの森へと伸びていった。機関銃の射線をかいくぐり、塹壕陣地の薄い部分を突破しようとしていたエルフの軍勢は、突然現れたその男の魔法の前に、為す術もなく打ち倒された。
フランシスの魔法により生み出された炎が、地獄の釜の蓋を開いたような、とんでもない熱量を持ってエルフに襲いかかっていく……それは奴らを飲み込み、その背後の広大な森までをも一瞬の内に焼き尽くした。
鬱蒼と茂ったあの森が、まるで溶岩でも通り過ぎたかのように、プスプスと煙を上げながら抉れている。その人間が発したとは思えない強烈な魔法を目の当たりにして、前線の兵士たちはごくりとつばを飲み込んだ。
こんな圧倒的な力を発揮する人間がかつてこの世に存在しただろうか? いや、確か過去に一人だけ居たはずだ。そう、彼女は剣聖と呼ばれていた……
それもそのはず、彼らが今目の当たりにしている魔法使いは、その剣聖の弟子なのだ。
フランシスは自分の魔法がエルフを一掃したのを見ると、有頂天になって叫んだ。
「聞け! アスタクスの勇士たちよ! 我が名はフランシス! イオニア国がミラー家の将にして、剣聖の一番弟子であ~るっ! 義によって助太刀するっ!!」
フランシスが名乗りを上げると、それを見ていた周囲の兵士たちが歓声を上げた。彼はそれを聞いて満足そうに頷くと、鼻の穴をヒクヒクさせながら彼の愛剣ガラティンを高々と掲げた。
アトラスはそんなお調子者の彼を見ながら、額に指をあててやれやれと首を振るうと、
「ちょっとあんた……一番弟子はブリジット陛下のことでしょう。それに、もう、詠唱はしちゃいけないって、いつも師匠に言われてるのを忘れたの?」
「なに、詠唱はしても気分だけさ。ちゃんと言いつけどおり、自分でマナを練っているから構わないだろ」
言われてアトラスは目をパチクリさせた。確かに、聖遺物任せでは、先ほどの威力はきっと出なかっただろう。そんなアトラスが疑問を口にすると、
「じゃあ、なんでわざわざ詠唱を?」
「その方が格好いいだろう?」
フランシスはニヤリと唇の端を持ち上げながら、続けざまにわざと高らかに詠唱を唱えてから、強烈な爆炎を森の中のエルフに叩きつけた。
「行くぞ相棒! エルフ狩りだっ!」
そして兵士たちの歓声を背中に受けながら、エルフの森へと突っ込んでいった。アトラスはその後姿を見てポッと顔を赤らめながら、
「あら、相棒って私の事? ……いやだ、嬉しいわ。この暖かい気持ち、これが恋ってやつなのかしら」
「気持ち悪いこと言うなっ!!」
アトラスの恋は儚く散った。彼はクスクスと笑いながらフランシスの後に続くと、
「それじゃ、私達も行こうか。チドリ、力を貸して」
紫電一閃……
兵士たちの視界からアトラスの姿が瞬間、掻き消えたかと思えば、目もくらむような電光が迸って、ドーーーン!! っと、後から音が鳴り響いてきた。
兵士たちの視界の右側には真っ赤に燃える灼熱の業火が、左には青白く光る稲光が、まるでダンスでも踊っているかのように、交互に迸っては消えていった。
アーサーはそんな二人を見送ったあと、ゴソゴソと塹壕から這い出てきては、彼らの背中に向かって叫んだのであった。
「おい、こら、二人とも! 全部殺るんじゃないぞ! ちゃんと俺の分の獲物を残しておけよ!!」
エルフ相手にそんな不遜なセリフを吐く者など、いまだかつてみたことも聞いたこともない。前線の兵士たちが、ギョッとして声の主を振り返る。
その金髪の少年のマントには、リディア王家の紋章が棚引いていた。
彼はいつどこから狙われるかも分からない塹壕陣地の前に居るにも関わらず、落ち着きはらった態度で、あとに従う兵士たちの方を振り返り、
「弾幕を絶やすなよ。エルフは攻撃と防御を同時には行えない。落ち着いてタイミングを計れば、必ず隙が生じるはずだから、そこを狙え。では、健闘を祈る。総員、突撃っ!!」
アーサーの号令と共に、彼を先頭にした100名の兵士たちが魔法使いに続いて森へと入っていった。彼らが森へ差し掛かると同時に、後方の陣地から閃光弾と電磁波妨害用のチャフが打ち上げられた。
森の上でキラキラと、星を散りばめたような美しい光が乱反射する。
しかし、そんな美しい光景とは裏腹に、今、森の中ではかつてないほどの殺戮が繰り広げられていた。
フランシスの業火が森を焼き、アトラスの電撃がエルフを撃ち抜く。そして二人が撃ち漏らした残党を、アーサー率いる突撃兵達が片付けていった。
エトルリア南東部にエルフが侵入してから15年。常に劣勢に立たされていた人類は、ついにこの日、初めて攻勢に転じたのである。
運良くこの光景を目撃した兵士たちは、この時の様子を夢のように語って聞かせた。それは瞬く間に前線の隅々までいきわたり、後方で彼らを支援していた市民たちの耳にも届いたのであった。
ビテュニアでフリジアでアクロポリスで、絶望的な戦いを続けていた人々は歓喜に湧いた。そしてこの戦いを指揮していたアーサーの名は世界中に轟いた。あの、無敵を誇ったアナトリア帝国軍が、ここに帰ってきたのである。
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アーサー達が前線で取ったデータは、すぐにレムリアのリオン博士の元へと届けられ、博士による若干の改良の後、自動小銃は量産体制へと入った。また、博士は同時に軽機関銃と無反動砲の開発を終了、こちらもラインへと乗せられた。
レムリアで作られた兵器は海を渡り前線へと届けられると、届けられた先から実戦投入され、今までなんとか押しとどめていた戦線を、今度は逆に押し返すことに成功、拡大の一途を辿っていたフリジア防衛線は、徐々に縮小へと反転したのである。
ビテュニアではこれを祝して祝勝会が催されたが、まだ戦時中であるためささやかなものに留まった。またこの席でアスタクス方伯はカンディア公爵への全面的な支援を改めて表明し、早い段階でのリディア奪還作戦が実現できるように、各地の有力者へと檄を飛ばした。
これを受け、世界各地からカンディアへ資金が投入され、続々と大陸軍へ合流する兵士たちが集まってきた。アクロポリスからは親衛隊、ロンバルディアからは傭兵団(と言う名の正規軍)、その他エトルリア聖教の僧兵がリリィに従って参戦し、そして最後に、イオニア国から艦隊が派遣された。
ある日、ヘラクリオン港を取り囲むように無数の船がカンディアの海に現れた。報告を受けたアーサーは戸惑いながら港へ急ぐと、そこにはイオニア国の旗を掲げた艦隊が詰めかけていたのである。
ジョンストン艦隊が参加した今となってはどれもこれも旧式であったが、それでも戦艦ハンスゲーリックを筆頭に、外洋航行能力を有した鋼船は今はイオニアにしか無く、それらを百隻近くも集めたイオニア艦隊は、間違いなくエトルリア大陸最強であった。
その艦隊が突然何の前触れもなく現れるとは、一体なんのつもりかとアーサーが警戒していると、戦艦ハンスゲーリックから上陸用舟艇が降ろされ、数人を乗せたそれが港へと入ってきた。
船にはベネディクトと、アーサーの祖父ミラー伯爵が乗っており、彼らは港に到着すると、すぐにアーサーのもとへと駆け寄ってきて、何を思ったのか突然彼の目の前で膝を折って頭を下げた。
アーサーが驚いていると、隣にいたフランシスもベネディクトの横に駆け寄り、膝をつくと同じようにアーサーに向かって臣下の礼をとる。そしてベネディクトは顔を上げると真剣な面持ちで言うのであった。
「カンディア公爵にあらせられましてはご機嫌麗しく。此度のリディア奪還の義、風の便りに聞き及びまして、我らイオニア国一堂ここに馳せ参じました。微力ではございますが、公爵様のお役に立てますよう奮励努力いたしますので、どうぞ我らを存分にお使いください」
「何を言ってるんだ貴様は」
突然何を言い出すのかと思えば、まさかこんな臣下みたいなことを言い出すとは……もしかして今まで前線に顔を出さずにいたことで、罪悪感でも感じているのだろうか?
アーサーは呆れたように呟くと、すぐにベネディクトを立たせようと彼の元へと近寄っていったら、
「良いのだ、アーサー」
祖父がそんな彼を止めた。
「実はこれは儂が望んだことなのだ」
「お祖父様が?」
「家中でおまえの実力を疑うものが出て後継者争いが起きた時、儂は始めから何があってもおまえを指名しようと思っていたのだが、それでは家中がまとまりを欠く恐れがあった。儂が思っているよりも、家中には甘い汁を啜ることに余念のない連中が増えていたのだ。そこでベネディクトが汚れ役を買って出てくれたのだよ。おまえと争っているふりをして、家中の膿を一人ひとりあぶり出し、イオニアから追い出したのだ」
当時、カンディアに飛ばされたアーサーは、自分に近しい人ほど冷遇されたと思っていた。ところがそれはとんでもない誤解で、あの時のアーサーの腰巾着たちは、彼に取り入ることで甘い汁を啜ろうとしている輩だったのだ。
もし、アーサーが後継者としていずれ即位したら、こいつらはきっと彼を利用して、イオニア国の利権を手にし、好き勝手したことだろう。ベネディクトはそれを阻止するために、ミラー家の次期当主に立候補したのだ。
ベネディクトは言った。
「とは言え、ミラー家の当主になりたかったのは本当だよ。アーサー、君は伯爵なんかにならずとも、いずれ世に羽ばたく才覚を持っていたじゃないか。だから私はあの時夢を見たんだ。私がミラー伯爵となり、リディア王となった君と並び立つことを。家中の膿を出し切るまで、少し時間がかかってしまったが、今日、こうしてその夢が現実となった。アーサー、イオニア国10万の兵士を君に預ける。私たちの力を存分に使ってくれ」
「貴様、そんなことを考えていたのか……」
アーサーは呆れ果てたようにため息を吐いた。
それが本当なら、ベネディクトは始めからアーサーがリディア王になると信じていたということになる。そんなこと信じられるかと言ってしまいたくなるが、多分、本当に彼はそう思って行動していたのだ。
祖父が続けて言った。
「我がミラー家は、リディア王家あってのもの。その御恩を果たすときが、いまようやくやって来たのだ」
ベネディクトと祖父がキラキラした瞳でアーサーのことを見つめている。この人達は、ここまで自分に期待していたのかと思うと、アーサーは嬉しいと思う反面、若干引いていた。小さい頃は、よく期待の重さにぐったりしていたが……その頃を思い出して、彼は昔の自分がちょっと可哀想になってきた。
ふと、フランシスと目があった。まさかこいつもそんなこと考えていたんじゃないだろうなと疑っていると……
「なんだその目は。俺は貴様のことなど金輪際認めないぞ。ベネディクト様がどうしてもとおっしゃるから、仕方なく貴様に協力してやってただけだ。ありがたく思えよ」
フランシスは、フンッと鼻息を鳴らすとそっぽを向いた。そんな彼の態度にベネディクトが苦笑する。
アーサーはなんだか目頭が熱くなってきた感じがして、その顔を見られまいと、両手を広げて二人に向かってダイブした。
「ありがとよ、馬鹿たち! ほんと、ありがと!」
首を締めるように腕を回すアーサーに対し、フランシスが迷惑そうに喚いている。ベネディクトはそんな彼を、アーサーの首越しに窘めると、その背中をポンポンと叩いた。ミラー伯爵はそんな孫達の姿を見ながら、さめざめと泣いていた。
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こうして、数多くの兵を集めたアーサーの大陸軍は、それから数カ月の間、様々な訓練を重ね、強力無比な軍隊へと変貌を遂げた。その間、前線では若干の犠牲を払いながらも、人類がエルフを押し返し続け、ついに最初のフリジア防衛線までやつらを封じ込めることに成功した。
レムリア共和国はその無尽蔵とも言える資源を背景に、呆れ返るほどの物量をエトルリアへと供給し、月間100機ペースで戦闘機を生産し続け、自動小銃等の新兵器も前線の全ての兵士に行き渡った。
これを受け、アーサーは人類の勝利を確信すると、いよいよリディア奪還へ向けての進軍を宣言、その作戦を練るために、日夜将軍たちと喧々諤々の議論を戦わせた。
リディア上陸作戦に向けて精鋭が選抜され、最前線基地となったカンディアでは連日連夜訓練の勇ましい声が響いていた。
そんなある日、作戦の成功を祈願し、アスタクス方伯を招いての出陣式が執り行われることとなった。方伯は高齢で体調を崩しがちだったが、反転攻勢を開始してからの連戦連勝で、気が楽になったのか、このところすこぶる体調が良くなっていたのだ。
そんな出陣式は世界各地から賓客が訪れ盛大に行われた。アクロポリスからは皇王リリィとシリル殿下、ガルバ伯爵。ビテュニアからは方伯とサリエラ、その他多数。イオニアのベネディクトたちは言うに及ばず、ロンバルディアからは孤児院の件でお世話になったザビエル大司教が、何やら偉そうな食通を連れてやってきて、シルミウムからはダルマチア子爵と言う男が訪ねてきて、なんだかガルバ伯爵と揉めていた。
他にも、マルグリット・ヒュライアなる妙に存在感のある女男爵が訪ねてきては、ランが煙たそうにしていた。そしてレムリアから大統領夫妻が遅れてやってくると、出席者たちはみんな彼と親しくなりたかったようで、瞬く間に引っ張りだこになっていた。
アーサーはそんな中で、剣聖やアンナをエスコートして周り、アトラスと冗談を交わしたりベネディクトやフランシスをからかったりして大いに楽しんだ。
しかし、宴もたけなわ、彼はふと気がついた。そう言えば、今日は未だ、母ジリアン・ゲーリックの姿を見ていない。出陣式をやることは手紙で知らせてあるし、今日は息子の晴れの舞台であるから、当然来てくれると思っていたのだが……
祖父に確かめてみれば、母はちゃんとカンディアに来ているそうである。カンディア宮殿は広いから、たまたますれ違いになっているのだろうかと、アーサーは母を探して会場のあちこちを周ったあと、やがて会場の外に出て宮殿内を探すことにした。
カンディア宮殿はかつて父母が暮らした場所である。もしかして、それを懐かしく思って最上階の自分の部屋を見に行ったのだろうかと、アーサーは階段を登っていった。
すると、来賓客の客室が並んだ階を通り過ぎ、公爵家の私的スペースへと差し掛かった時だった。
待ち合わせのために広く取られたロビーに、エリックとマイケルの姿を見つけた。
そう言えば、この二人も今日はさっぱり見かけなかった。彼らは客ではないから当たり前かも知れないが、それにしても、いつも一緒に居るこいつらがやけに静かなのは珍しいなと近づいていくと、彼らはアーサーに気づくなりバツの悪そうに顔を背けた。
「あ~、坊っちゃん……」「俺たち、丁度今から坊っちゃんに挨拶に行こうとしてたとこなんすけど」
二人は外出用の上着を羽織り、遠出する時にいつも背負ってる大きめのリュックを携帯していた。マイケルの愛用しているコッヘルがカラカラと音を立てる。
なんだか様子がおかしいと感じたアーサーが、一体どうしたのかな? と首を傾げていると、彼らはそんな主人に向けて深々とお辞儀をして、
「坊っちゃん、お別れに参りました」
「……え?」
「俺たち、今日を持って、坊っちゃんの従者をやめます。今までお世話になりました」
「後のことは子供たちに頼んでおきましたから」
アーサーは体が固まったように身動き一つ取れなかった。
何を言われているのかさっぱり分からない。思考が追いつかないとかそんなのじゃなくて、本当に意味がわからないのだ。しかし、その意味がようやく体に染み入るように伝わってくると、彼は体中から血の気がさっと引いていくのを感じた。
頭のなかで疑問符が渦巻いている。多分、血液が全部頭に集中してしまったのだ。
エリックとマイケルはそんなアーサーにお辞儀をすると、本当に申し訳無さそうな素振りで彼の横を通り抜けていくのだった。