仲間
レムリアへ渡航してから一ヶ月、アーサーはまた船上の人になっていた。それは交渉が上手く行ってカンディアへ帰るためではなく、なんとその条件を満たすためにメディアへと渡るためだった。
亜人はその特異体質のせいで心無い人間に命を狙われ、非人道的な行いによって迫害されていた。手足を挫かれ、抵抗を奪われ、血だけを採取されるという、家畜以下の扱いを受けて、彼らは今でも殺されることなくどこかで生きていると言われている。
亜人はエルフに襲われないから、人類を裏切って魔王の側についたと言われていた。ところがそれはとんでもない誤解で、本当は人間に迫害されるのを恐れて逃げ出したのだ。きっと、この噂を流したのも、自分たちに非難の目が向かないようにした悪い人間たちの仕業だったのだろう。
アーサーはその度し難い輩を、魔王討伐が終わった後に成敗することを約束し、トリエル辺境伯の支持を得ると、今度はリオン博士の要請を受けてメディアへ向かった。彼らは今、かつての亜人達の国メディアで、人類から隠れてひっそりと暮らしているのだそうだ。
もし、アーサーがリディアを奪還したら、ガッリア大陸に人間たちが戻ってくる……やっと安住の地を得た亜人達はそれを恐れるだろう。そうならないためにも、彼らから直接話を聞いて、その希望を叶えてやらねばならない。
アーサーはその思いを胸に秘めると、レムリアの最新鋭飛行船タスマニア号に乗って海を渡った。
そう、船とは飛行船のことだったのである。
飛行船タスマニア号はジュラルミン製の骨格を持ち、軽金属を混ぜ強化した外皮で覆われた巨大なガス袋の下に、人間が乗るための船体がぶら下げられた構造を持った硬式飛行船だった。見た目に反して金属製であることから、高速飛行でもガス袋の形が崩れることがなく、上空を優雅に飛んでいるように見えて、その最大船速は55ノット……なんと時速100キロにも達するそうである。
この速度を活かして、たった2日で大陸間を横断することが出来るようになってから、レムリア大統領は時折メディアに物資を運んでいるそうである。人間を恐れる亜人達の気持ちを考慮して、国民にも知らせていない航路なので他言無用だと言われ、アーサー達はただただそのスケールのデカさに感嘆しながら船に乗り込んだ。
そのメディア行きの飛行船には乗組員以下、アーサーとリーゼロッテ、アンナ、タチアナが乗り込み、ついでにリリィも連れてきた。
リーゼロッテとアンナはやはりと言うべきか、反りが合わない感じでここ数日はギクシャクしているようだった。この前、一人で交差点の広場に居たのは、二人が喧嘩したからだったようで、そのことについてよく言い争っていたのである。
女性の喧嘩に男が口を出してもろくなことがないと考えていたアーサーは、そんな二人の緩衝材としてリリィを連れてきたことが功を奏し、二人の冷戦を多少和らげることに成功していた。誰だって小さな子供の前で、言い争う姿なんて見せたくないのだろう。
あの日、自分の半生と父親への思いを吐露したアンナは、人が変わったように落ち着きを欠いていた。
普段はどちらかと言えばクールな彼女が、子供みたいにリーゼロッテの言うことを聞かなくなり、時折ふらりと出かけていっては、何かを探している姿は見るものを不安にさせた。
それは言うまでもなく、彼女が例のイルカを探していたからである。イルカはあの日を境に、彼女の前から姿を消してしまったのだ。
そうとは知らないアーサーは彼女の行動を訝しみ、あの日から出来る限り目の届く場所に居るように心がけていた。目を離したら、なんだか彼女がどこかへ居なくなってしまうような気がしたからだ。尤も、今は空の上で、どこかへ行きたくても行き場はないのであるが……彼は、船の片隅で乗組員たちから少し離れるようにして孤立している、彼女の方へと歩いていった。
アンナは飛行甲板の手すりから眼下に広がる広い海をぼんやりと眺めていた。高度2000メートル上空を高速飛行している飛行船の甲板は、風が冷たくて風よけがなければとてもじゃないが立っていられない。だが、船内にいると否応なくギスギスする雰囲気に耐えられず、彼女は渋る乗組員の許可を得て甲板に立っていた。
アーサーがそんな彼女に近づいていくと、彼女はただぼんやりと海を眺めていたわけではなく、自分の胸の辺りに両手をかざして、その間で手遊びのように淡く光る蛍光色のマナをくるくる回転させていた。彼女はリーゼロッテのことを嫌っているが、それでも最低限言われた事はこなしているのだろう。その淡い光を見て、アーサーは感嘆の息を漏らした。
これだけ強風が吹きすさぶ甲板で、そのホタルみたいな儚い光が風に飛ばされていかないのは、慣性が働いているからか、それとも実体がないからだろうか……その不思議な現象をマジマジと見つめるアーサーに気づくと、アンナはそんな彼に向かって迷惑そうに顔を上げた。
「それは、マナか? 魔法使いがオーラを纏っているのは見たことがあるが、そんな使い方をしてる奴を俺は初めて見たぞ」
「……剣聖は当たり前のようにやるよ、これくらい」
褒められたのにそれを素直に受け取れなかった彼女が、むすっとしてそんなことを口走ると、集中力が途切れたのか、手のひらで淡く光っていたそれがパッと風に吹き消されるかのように消えてしまった。
彼女は、あっと小さく呟くと、非難がましくアーサーを睨みつけてから、また集中するように目を瞑って手のひらに小さな光の礫を作り出した。アーサーはその光をジッと見つめながら、
「すごいな……これはどうやってるのだ? まるで手品みたいだ」
「邪魔するならどっか行ってよ」
「そう言うな。本当は俺も興味があって、お前たちの修行の方を見に行きたかったんだ。でも、交渉が難航してなあ……剣聖様に稽古をつけてもらえるなんて羨ましい」
アンナは今度は集中を途切らせることなく、マナの光を維持したまま、はぁ~っとため息を吐いて、
「……マナからエネルギーを解放する時、それが発光してるだけ」
「聖遺物を使わなければ、魔法は使えないんじゃなかったのか?」
「私もそう思ってたんだけど……そうじゃなかったみたい。剣聖に言わせれば、人間にはみんなマナを操作する器官が備わっていて、それを意識することが出来れば、誰にだって魔法を使うことが可能なんだって」
「誰にでも? それじゃあ、俺にも出来るのか?」
「多分……」
アーサーの顔がパーっと明るくなるのを見て、アンナは慌てて否定の言葉を続けた。
「でも、それは難しい。魔法を使うには、まず最初になんらかの切っ掛けでマナを感じる必要があるんだ……私たちはそれを聖遺物を使うことで実感出来たけど、普通の人にはそれがないから」
「マナを感じる……? アルコールにシュワシュワ溶かすんじゃ駄目なのか?」
「それは今見てるのと同じことだよ。マナを感じると言うのは、目で見て分かるようなことじゃないんだよ……」
アンナはそう言うと、今度は自分の意思でマナの発光を止めた。突然、目の前で光が消えてしまったアーサーは、また彼女の集中を乱してしまったかと思って慌てていたが、彼女はそんな彼をからかうように、腰に差していた聖遺物を抜いてアーサーに向かって突き出し、
「アーサーはこの剣を掴むことが出来る?」
「……出来れば柄の方を向けてほしいが、気をつければ出来ないことはない」
「なら、目を瞑りながらでも出来る?」
アーサーはそのギラリと光る鋭利な刃先を見て、ブルブルと首を振った。
「それは怖くて出来ないな。ざっくり指を切られてしまいそうだ」
アンナはその返事にこっくりと頷くと、
「そうだろうね。この世界はマナで満たされてるんだけど、私たちの目には見えないから、それを上手く操ることが出来ない。でももしそれが見えるなら、直接操ることだって出来るかも知れないでしょう? ちょうど今、剣を手にしようとしたみたいに。魔法ってのはこれと同じようなことだったんだよ。目に見えてれば簡単だけど、見えなければ難しい。聖遺物はこれを補って、私達の代わりに魔法を使ってくれる補助機械だったんだけど、実は私達の脳には元々その機能が備わっていたんだよね。
マナを見る能力は、普段は閉じているから、みんなそこにマナがあることに気づかない。魔法使いはその器官が開くことによって魔法を行使出来るようになるんだけど、聖遺物を使ってるだけじゃ、それは薄目を開けたときくらい、ほんの少ししか見えてないの。見えてること自体を意識できないくらいに。だから、私たちは修行してこの目をこじ開ける作業をしてるってわけ。目を開けたら、今度は瞳孔を閉じるようにピントを合わせたり、目玉をぐるぐる動かすみたいに色んな方向に向けなきゃいけない。そこまで出来るようになったら、マナを見てそれを動かすことも出来るようになる」
「それが、あの発光現象なのか……」
「そう」
アンナはそう言って頷くと、剣をしまってまた周辺のマナを操り始めた。マナはエネルギーを発散する時に発光する。それを繰り返し繰り返しやることによって、マナをコントロールするイメージを定着させるのだ。それは計算ドリルを解いてる子供が、最初は間違えたり解くのに時間がかかったりしても、やればやるほど速く正確になっていくような感じである。
アンナはそんな感じの説明をすると、やがてため息を吐いて、
「でも、これが難しい。こうしてマナを感じられるようになって、どんどん新しい事が出来るようになっていくと、今まで私がやっていたことがとんでもなく難しいことだって実感出来るの。私が今まで使っていた魔法は、聖遺物を介して、天空のお城にある機械が実行してくれてたんだけど……それを自力で導き出すのはとても大変。でも、これが出来るようにならないと、魔王には通用しないはず……」
「なんだかよくわからないが、機械がやるようなことをアンナがやらなきゃならんのか? そんなことが可能なのか」
「いやんなっちゃうけど、剣聖は当たり前のようにやるんだよ。初日にあっさり大尉の魔法をコピーしてみせた」
アーサーは目を丸くした。
「流石、剣聖様だなあ。そりゃさぞかし大尉もがっかりしたことだろう」
「ううん……男の子二人は逆にそれでやる気になってたよ。頑張れば格好いい魔法をいっぱい使えるって。私は真似されたらやる気を削がれると思うけどね」
「きっとあいつらホモだけじゃなくてマゾなんだな」
アーサーが失礼なことを口にすると、アンナはくすくすと笑った。それに気を良くした彼が続けて尋ねた。
「それじゃ、剣聖様はアンナの魔法もコピーできるのか? あのすごい魔法を自在に操るのが二人も居たら、凄い戦力になるぞ」
「ううん、それは出来ないって」
「そうなのか? 一体何で?」
「私の魔法は力が強いだけあって、その計算が複雑なんだよ。だから剣聖は自分には出来ないって言ってる。でも私にはやれって言うんだよ。酷いと思わない?」
そう言ってほっぺたを膨らませるアンナに、アーサーは思い出すように言った。
「そう言えば、剣聖様はアンナの才能は自分より上だから、近いうちに越えられるって言ってたな」
「……そうなの?」
「そしたら復讐されますねって言ったら真っ青になってたぞ。剣聖様は厳しい人かも知れないが、それはアンナに期待しているからだろう。だから本当に復讐はするなよ」
アーサーがそう言うと、アンナは暫く黙りこくったまま海の方を眺めていた。するとおもむろに手のひらで弄んでいたマナが二つ三つと増えていき、やがて自由に彼女の周辺を飛び回った。
彼はその美しい現象を見て感嘆の溜息をつくと、自分も彼女と同じように胸の前で両手をかざしてみせた。アンナがあまりにも簡単そうにやってのけるから、自分にも出来ないかと思ったのだ。
「なあ、それ本当に俺にも出来ないか?」
「……無理だよ」
「でも、人間誰でもマナを操る器官とやらを持ってるのだろう?」
「らしいけど……切っ掛けが無いと無理だってば」
「いいじゃないか、ちょっとコツを教えてくれよ。光ってるところをイメージすればいいのか?」
そう言って彼がウンウン唸りだすと、アンナは仕方ないと言った感じにため息を吐いてから、
「そうじゃない。マナは目にはみえないの。だから目に見えるイメージは、寧ろ捨てなきゃ駄目。なんて言うか、空間を意識する感じかな……」
「空間?」
「ここがどこかの箱の中だと考えて、その中にどんくらいのマナがあるのかって意識するの。その箱をどんどん小さくしていくと、中に入れるマナは少なくなっていって、終いには一個しか入らなくなる。その最小の箱を掴む感じって言うか……」
「なるほど、さっぱりわからん」
「だから無理って言ったじゃん」
アンナはムスッとした顔を作ると、マナを操作する量をどんどんと増やしていった。まるでホタルの群生みたいな光景に、アーサーがあんぐりと口を開けて眺めていると、
「……ありがと」
「え?」
「気を使ってくれたんでしょう?」
アーサーはその言葉には答えず、ちらりと横目で彼女の顔を覗き込んでから、胸の前に掲げていた両手をそのまま天の太陽へ翳し、じっと上空を見つめながら誰ともなく呟くように言った。
「なあ、アンナよ。もし、貴様が魔王と戦いたくないと言うなら……それで構わないんだぞ」
アンナが操っていたマナの光が、スーッと消えていった。アーサーはほっぺたに彼女の視線を感じながら、
「最初に貴様に会った時、俺は思った。親子で殺し合うのは忍びないと。しかし、貴様がやつは母の仇だと言うから、そんなものかなと割り切って利用することにしたんだが……ここにたどり着くまでに、色んな人の話を聞いてきて俺は思うのだ。魔王は案外悪いやつではないのかも知れん……もちろん、やつのせいで多くの人々が犠牲になったのは確かだ。だが、エルフが人間を襲うなんてことは、考えてもみれば大昔から当たり前のことだったろう? 本当は、魔王なんてものが現れなくっても、いつかこうなっていたのかも知れないじゃないか。そう考えて思い返してみると、実はあいつは何もやっていないんだ。ただ、口だけ介入して、あとは放ったらかし。貴様もそう思っているのだろう? だったら、無理して戦わなくてもいいんじゃないか」
「そんなこと言って、私が戦わなければ誰が魔王と戦うって言うの? 剣聖は絶対に嫌だって言ってるし、他に適任者が居ないじゃない」
「俺が戦えばいいだろう」
アーサーはまるで今日の献立を聞くくらいに、当たり前のようにそう言った。
「戦争など、ただのエゴとエゴのぶつかり合いだ。魔王がエルフに味方するのも、俺がリディア奪還を目指すのも、単に自分の都合を相手に押し付けようとしているに過ぎん。そして、俺はそのために最も有効な手段を考えて、貴様を魔王にぶつけようとした。だが今、貴様を魔王にぶつけたところで、勝てるとは限らんと思ってる。魔王はとんでもなく強いのに、貴様は迷っている。おまけに人類最強である剣聖様が勝てないって言ってるなら、そんなの誰が行っても結果は同じだろう。だったら、最初から俺が直接乗り込んでいけば手っ取り早いじゃないか」
「そんなの、みすみす死ににいくようなものじゃない」
「殺し合いをしてるのだから当たり前だろう。別にヤケになってるわけじゃないぞ? ただ、誰かが行かなきゃいけないなら、リーダーである俺が行くべきだと思っただけだ。貴様の言うとおり、俺は瞬殺されるかも知れないが、そしたらまた別の誰かが行けば良いのさ。アトラスやフランシス、もしかしたらエリックやマイケルがやってくれるかも知れない。俺が失敗しても、誰かが成功すればそれでいいんだ。人類、勝たなきゃ後が無いんだから。だから、貴様一人が全部を背負い込むことはない。貴様が出来なきゃ俺がやる。俺が出来なきゃ、誰かがやればいいのさ」
「でも、私は……」
「よく、考えてくれ。貴様はもう、俺にとってもただの駒ではなく、大事な仲間なのだから」
アンナは即座に彼の提案を断ろうとした。しかし彼女は結局、アーサーの言葉に何も返すことが出来なかった。
イルカは、アーサーたちと居ると決心が鈍ると言っていたが、今まさにそうなっていた。それは彼女が彼らとの関係を、いつの間にか心地よいと考えるようになっていたからだが……どうして、そう思うようになったのかと言えば、それは彼らが昔のアンナみたいに魔王をただ憎むだけではなく、自分の代わりに魔王を……父を理解しようとしてくれていたからなのだろう。
本当は、アンナだってそうしたかったのだ。自分の父親が、ただの悪者だなんて、心の奥底では認めたくなかった。だが、そう考えてしまうと、イルカの言うとおり決心が鈍るから、彼女はいつも考えないようにしていたのだ。
そして、その想いがもう引き返せないほど彼女の心に深く刻まれた時、イルカは彼女の前から姿を消した。アンナは魔王との対決を迷っていた。そんな状態で魔王の前まで行ったところで、アーサーも言っていた通り役に立たないだろう。だから多分、イルカは彼女のことを見限ったのだ。イルカはいつも、魔王を倒すことだけを、ブレること無く主張し続けていたから。
アンナは分岐点に立っていた。このまま、アーサーたちと居て、魔王と戦えるかどうか分からない中途半端な自分になってしまうか……それとも袂を分かって、イルカとともに魔王を倒すか……
あれは倒さねばならない人類の敵……そう思って戦えたら楽なのに、彼女はもう、以前のようにそう盲信することが出来なくなっていた。