裏切りの理由
大統領執務室の中で、男たちが議論を戦わせていた。一人はこの部屋の主、レムリア大統領フレデリック・ロス、そしてもう一人はこの国の頭脳と呼ばれたリオン・但馬博士である。
大統領は執務中の彼の元へ、アポイントもないのに強引に面会を求めてきたリオン博士を快く迎え入れた。彼とは子供の頃からの幼馴染で、今となっては共にS&H社の経営を担うパートナーでもある。丁度アーサーとの面会がキャンセルになって時間が空いていたこともあり、多少の無理なら聞いても構わないと通したのだが、
「……エトルリア人に協力しろと?」
リオン博士とは長い付き合いであるが、研究者肌の彼は自分の仕事には信じられない集中力で取り組むが、経営問題や会議では口を挟まない傾向があった。基本的に謙虚で物静かなタイプである……なのに、そんな博士が突然押しかけてきたかと思えば、目的がアーサーへの援護だと知って、大統領は面食らった。
なにしろ博士はエトルリア人とは殆ど接点がない上に、逆に魔王とは非常な縁があるのだ。
「リオン君。エトルリア人に協力するということは、社長と戦うということだよ? 魔王などと呼ばれているけど、社長は君のお父さんだ。どうして君がお父さんを傷つけるようなことを言い出すんだい?」
すると博士は大統領の言葉を否定するように首を振って、
「いえ、お兄さん。僕はお父さんと戦う気なんてありませんよ。協力しようと言うのは、あくまでエルフと戦うことだけに協力すると言う意味です」
「……どういうことだい?」
「お兄さん。僕達レムリアの民は、大恩あるお父さんに歯向かいたくなくて、エトルリアの人たちの協力を拒んできました。ですが本心では、同胞がエルフに襲われていることに心を痛めていたはずです。あちらの大陸では、何の罪もない人々がエルフに蹂躙されている。それを見て見ぬふりしているのは、人道にもとる行為じゃないのかと」
「そりゃあ、まったくないとは言い切れないが……」
「あちらの大陸に悪しき輩が大勢いることは承知してます。彼らのせいでトリエルの人々は国を追われ、そして僕ら亜人は虐殺されました。そのことに怒りを覚えるのは人として正しいでしょう。しかしだからといって、同じようにエルフに虐殺されているエトルリアの良き人々を見捨てるのでは、悪逆非道な彼らと何が違うと言えるでしょうか。
エトルリアの人々が憎いからと言って手を貸さないで良いのは、トリエル人や亜人たちだけですよ。我々レムリア人は彼らに同情しても、エルフと戦わないのであれば、ただ卑怯なだけでしょう。それじゃ、トリエルが攻められていたのをただ見ていただけの、アスタクスと同じではないですか」
「う、う~ん……しかしなあ」
「もし仮に拒否するというのであれば、僕はヴェリアに亡命しますよ。僕が技術供与すれば同じことなんだから」
「そんなことさせられるわけ無いだろう! ……まったく。どうしてそんなに殿下に肩入れするんだ? もちろん、僕にとっても大事なお方ではあるんだが」
「逆です。僕は、お父さんの意思を尊重するには、エルフと戦わなきゃいけないんじゃないかと考えているのです」
「……と言うと?」
「思い出してください……あの鬱蒼と茂る森に囲まれたリディアの中で、本気でエルフと戦うことを考えていたのは、お父さんだけでした。今、そのエルフに対抗しうる力を僕達が持っているのも、彼が残した手記があればこそ……お父さんはいつも、エルフと戦う方法を僕たちに示していたのです。
フレッドお兄さん……恐らく僕たちが参戦すれば、エトルリア大陸のエルフを排除することは可能です。ティレニア半島を解放し、そのままリディアを目指すのも不可能ではないでしょう。お父さんが本気で人類を滅ぼそうと考えていたのであれば、どうしてこんな力を残していたのでしょうか……エトルリアの人たちと違って、僕たちを特別視してくれたからでしょうか? それともこちらの様子を彼は知りようも無かったから?
そんなわけありませんよね。人類全てに自分の声を一方的に伝えるような、あんな不思議な力を持った人が。だから本当なら、兵器を作ろうとした段階で、僕たちはとっくに滅んでなければならないんです。でも生き残っている。何故か。考えられることは2つ。それがあっても形勢に影響がないか……
もしくはお父さんは人類がエルフと戦うことを望んでいるのではないか……」
沈黙が場を支配する。大統領は博士の言葉を頭のなかで何度も何度も反芻するように検討した。確かに、言われてみれば思い当たる節はたくさんある。
「……リディアはエルフの大襲撃で滅びかけたというのに、それでも人々は本気でエルフと戦おうとはしなかった。社長を罰しようとしたくせに、いざという時にエルフと戦わせるために、国外追放はしなかった。社長は、あれだけの力を持っていながら、それを甘んじて受け入れていたんだ。
その社長が今、エルフを操って人類に戦いを挑んでいる……そして、アーサー殿下という希望が出てきた時、彼はエルフを使って大攻勢を始めた。人類に、もう後がないんだと知らしめるために……」
一見するとそれは魔王が本気で人類を滅ぼそうとしているようにも見えるが、
「それでエトルリアの人々はアーサー殿下の下で結束を固めたんだ……それは偶然か、必然か。ジョンストン提督が居なければ、彼はフリジアで死んでいたかも知れないけれど……」
いや、それすらも計算の上で、魔王は人類に宣戦布告したのではないか。そこまで考えてしまうのは、流石に考えすぎかも知れないが……大統領はモヤモヤしたものを胸の内に抱えながら、
「わかったよ、リオン君。だけど僕はこの国の大統領だから、国民を危険に晒すことは出来ない。我が国はあくまで武器の提供と、艦隊の派遣に留めておこうと思う」
「それでいいと思います」
「あと、決めるのは僕ではない。エトルリアに力を貸すということは、トリエルの人たちを裏切ることと同じだ。僕は彼らの意見を尊重したいと思う。それと……」
「はい。亜人の方は僕に任せてください……彼らに、会わせたい娘がいますからね」
二人はそれを確認し合うと、それぞれの目的のためにその日は別れた。
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リリィが大統領府の中にある兵器廠に迷い込んでしまった日、大統領との午後の会談をキャンセルしたあと、彼はアーサーと会ってくれなくなってしまった。それまでは望めば毎日のように会ってくれたのに、急な方針転換に、アーサーはドタキャンしたのがまずかったのか、それとも兵器廠に入ったことで気分を害されたのだろうかと顔面蒼白となった。
ただしアーサー以外の交渉団は、それまで通り各方面との接触を保っており、また肝心要の大統領周辺の人材とはエリックとマイケルが、昔のよしみでちょこちょこと面会しているようだったから、どうにか細い糸は繋がっていると言えた。
尤もそれは釣りに行ったりドライブしたりと、遊びの約束ばっかりだったから、意味がどれだけあるのか分からなかったが……それにしても、まさかこの二人にこんなに頼る日が来るとは思わず、アーサーは感謝するよりも寧ろ何かの陰謀ではないかと不安になった。
「失礼な坊っちゃんだなあ……自分のミスを棚に上げて、部下のやる気を削ぐのはダメ上司の典型ですよ」
「いやまあ、まったくその通りで何も言い返せないが……とにかく遊びでもなんでも良いから、大統領に俺が会いたがってると伝えてくれ」
「わかりましたよ。言わなくっても向こうも知ってると思いますけどねえ。それより、坊っちゃんリオンと会ったんですって? 俺たちだって会いたいのに、フレッドのやつ教えてくれればいいのによう……」
リオン博士は彼も言っていた通り、この国に残った最後の亜人らしく、どうやら大統領関係者たちはその存在を隠していたらしい。リーゼロッテがこの国に付いてきた理由に、彼との面会があったのだが、彼女が大統領に尋ねたときには難色を示されはぐらかされたそうだ。
「偶然出会っただけなのだが、博士の方は気さくと言うか、全く気にした素振りは無かったが……エトルリアでは亜人は人類を裏切ってエルフに付いたと考えられているから、悪感情を考慮して隠したのかもしれない。交渉団は俺やおまえたちだけではないからな」
「俺たちがリオンのことをどうこうするなんてことは無いって、フレッドだって分かってるだろうに……リオンは弟分みたいなもんで、ハリチに居た頃、よく一緒に遊んだもんです」
「そう言えば、剣聖様の部下はみんな亜人だったそうだな……どうしてそんな彼らが人類を裏切ったんだろうか。少なくとも、剣聖様は信頼できるお方だと思うのだが」
そんなアーサー達の疑問は、間もなく解決することになる。それはレムリア大陸から更に船で行った先にある、ブリタニア島からやって来た。
大統領と会えなくなってから数日後、アーサーの元にその大統領から連絡が入った。久しぶりに会いたいという彼は、リーゼロッテとアンナの同行を求めており、その理由は分からなかったが願ったり叶ったりと二つ返事でオーケーした彼は、修行のために公園へ移動しようとしていた彼女らを引き止めて、いそいそと大統領府へ出かけていった。
そして顔見知りになった大統領府の門番の脇を抜けて、二人を伴って首相官邸へとやって来たアーサーは、その玄関先にあるロビーに先客が居ることに気がついた。
その白髪の老人は、アーサーがやって来たのに気がつくと、よっこらしょと声を出しながら、杖を突きつつソファから腰を上げた。膝がプルプル震えているのを見れば、彼の足が悪いことは一目瞭然である。アーサーが慌てて駆け寄ろうとすると、その脇をスッと通り抜けて、リーゼロッテが老人に手を貸した。
彼は、ありがとよと気安い感じに彼女に声をかけると、
「おめえさんが、アーサーかい? カンディア公爵たあ懐かしい響きだ。おめえの親父さんには、おいらも会ったことがある。あの時はまだ結婚したばかりで、おめえさんは生まれて居なかったが、その子がこんなに大きくなったってんだから、おいらも年を取ったってもんでえ……」
「あなたは……」
「おいらかい? おいらはアルザス。しがない炭鉱夫……って言えればよかったんだけどよ、書類仕事ばかりやらされてたもんで、だいぶ足腰鈍っちまって、見ての通りの体たらくだから、もう隠居してだいぶ経つ。今はモーゼル様の後を引き継いで、トリエル辺境伯を名乗ってらあ、以後、お見知りおきをってなもんでえ」
「トリエル辺境伯! あなたが……」
するとアルザスは苦笑しながら、
「へへっ! ま、国がなくなっちまったからただの便宜上のもんだけどよ。他にやりたがる奴が居なかったもんで、先代に頼まれて渋々引き受けたんでえ……モーゼル様のご子息が生きてりゃあよかったんだけどよう、まあ、人生色々あらーな。お嬢さんも久しぶりだな。おいらはアクロポリスで会ったっきりだが、モーゼル様も、ドライ様も死ぬまでお嬢さんのことを気にかけておいでだったぜ。セレスティアはおめえさんの国だから、いつか帰ってきて欲しかったんだよ……それももう、無理になっちまったけどよう。ああ、勇者様が生きていたらなあ」
リーゼロッテは神妙な面持ちで目礼すると、在りし日のトリエルとセレスティアのことを思い出していた。勇者の娘として最後に訪れたのは、もう15年も前のことになる。
アルザスは講和会議に、トリエル辺境伯の代理として出席していた男だった。亜人贔屓のトリエル人の中でも、特に多くの亜人鉱夫を雇用していた。その縁で、但馬に技術交換を願い出て、留学生となった亜人を介して交流していた人物だったのだが……
「お久しぶりでございます、アルザス様。あの日以来、連絡を取らずに申し訳ありませんでした。思い出すことはあったのですが、何分、トリエルは遠すぎて……」
「なに、同じ国を失った者同士、そんくれえは分かるさ。家がなくなっちまうってのは、それまで生きてきた根拠を失うようなもんだな。人は帰れる場所があるから生きていけるって痛感した」
「せめて、あなたからお預かりしていた留学生の子らがどうなったかくらいお伝え出来ればよかったのですが……リディア崩壊のどさくさに紛れて、その足取りは不明で」
「ああ! それなら気にすんねえ! おめえさんは気にしてるみたいだけど、実はおいらはあいつらのお陰で助かったんだ」
どういうことだろうか? リーゼロッテが首を傾げていると、いつまでもやって来ない本日の来訪者達が何をやってるのかと様子を見に来た大統領補佐官が、ここで立ち話してないでさっさと執務室まで来いと呼びに来た。
アーサー達はそれもそうだと、軽く自己紹介してから執務室へと向かった。そんな中、アンナはなんで自分まで呼ばれたのかと、居心地が悪そうにしていた。
大統領の執務室へ移動すると、そこには先日出会ったリオン博士も居て、リーゼロッテはこの国に来た理由の一つが彼に会うことだったそうだから、とても懐かしそうに挨拶を交わしていた。
また、大統領夫人がわざわざお茶を運んできてくれたのだが、これまで何度か交渉の席でやり込められていたせいで、すっかり苦手意識が芽生えていたアーサーが恐縮していると、そんなに緊張しないでくれと大統領が苦笑していた。
大統領に言わせれば、昔はどことなく甘いところのあった人だったそうだが、元々政治家の娘であったから天職を得てその血が目覚めたのだろう。今やこの国一の論客となった彼女は、国民にも怖がられているそうだが、実際にはとても優しい女性であるそうで、久しぶりに会ったリーゼロッテと、アンナを挟んでふんわりとした会話を交わしていた。因みにアンナは迷惑そうにしていた。
そんなこんなで挨拶もそこそこに、集まった彼らは席につくとさっきロビーでしていた話の続きを始めた。大統領が今日アーサーたちを呼び出したのは、他ならぬ、トリエル滅亡時の話を彼らに聞かせるためだったのだ。
交渉の続きのつもりで来たアーサーはあてが外れた格好だったし、何故、突然彼がこんな話を聞かせようとしたのかも分からなかったが、アーサーはこの国に来る前から、常々トリエルが滅んだ理由を知りたいと思っていたので、大統領の申し出を素直に受け入れた。
その話をするために呼ばれたアルザスは、現在の辺境伯と呼ばれてるだけあって、崩壊するトリエルから難民を海外に逃がすために尽力した人だったそうだ。
「てめえの国が滅んだ話なんざあ、気分がいいわけねえし、本当なら思い出したくもねえんだが、まあ、誰かがあの時の話は伝えていかなきゃなんねえし、生まれも育ちもただの庶民のおいらが、辺境伯なんざになっちまったくらいだ。これも天命と受け止めて覚悟してかなきゃなんねえ……
まずは何から話してこうか……これはトリエルがどうこうなる前の話だが、まずはシルミウムに革命が起きたことをおめえさん方は覚えているか。戦争で負けたシルミウムが莫大な賠償金を抱える羽目になって、そんな時に運悪く飢饉なんかがきちまったもんだから、一般市民の怒りがついに爆発して貴族連中を国から追い出しちまった。そんで革命のリーダーが新しく貴族の居ない共和国を作ったんだが……まあ、なんつーのかな、こいつら学がねえんだよ。
賠償金についてはシルミウムが倒れちまわないように、おいら達はよく考えて支払い計画を立てさせてたんだが、あいつらそんなのお構いなしに、国が変わったんだから賠償の義務はないっつって拒否しちまったんだよ。賠償金は自分たちが追い出した貴族たちが払えばいいって言うんだな。道理と言っちゃあ道理だが、奴らが勘違いしてたのは、あの賠償金は金融が破綻したシルミウムの再建策も兼ねていたのさ。そいつをやめちまったもんだから、あいつら貧乏まっしぐら、あっという間に干上がっちまった。
新しい指導者のせいで大混乱に陥ったんだが、一般庶民はそんなことわかりゃしねえ。シルミウムの債権は殆どアスタクスが持ってたから、自分たちが苦しいのは奴らのせいだと逆恨み始めた。そんな時にアナトリア帝国が崩壊して、魔王が現れて世界が大混乱に陥った。エルフが攻めてきたアスタクスはそれどころじゃないから、もう知らねえって放ったらかした……
こうしてアスタクスと断絶状態になったあいつらは、賠償金を踏み倒したことでいい気になってたんだが、もちろんそんなこたあない。元々、北エトルリアって土地は作物が育ちにくくて、食料をアスタクスに頼ってた。そのアスタクスと喧嘩になった上に、魔王が太陽をどうにかしちまったせいで飢饉はより深刻になっちまった。
それでもまあ、最初のうちはまだなんとかなってたんだよ。それなりに盛んな漁業と、農家がじゃがいもなんかを育てて飢えをしのいでた。ところが、あいつら貴族から土地を取り上げたのは良いんだが、知識層も追い出しちまったからよ、二年、三年と経つにつれて、どんどん土地が痩せてきちまって、ついにどうにもならなくなった。
その頃の国境は本当に酷いもんで、ガリガリに痩せた女子供が列をなしてやってきて、おいらたちも放ってはおけねえから、最初は食いもんやったり面倒見てたんだが……それが噂になったら、あちこちからどんどんやってきちまうだろう? こっちだって大変なのに、もうこれ以上は面倒見きれねえってくらい難民が押し寄せてきた。
仕方ねえから国境封鎖するわけだが、そんときゃもう向こうも生きるか死ぬかの瀬戸際だろう? イチかバチかでガンガン国境を越えてきて、1つ罪を犯したら2つも3つも変わりゃしねえって感じで国境付近で略奪が始まった。
おまけになんでか知らねえが、あいつら亜人さんらを捕まえて……ひでえ事しやがるんだよ。普通だったら亜人さんに勝てるわけねえんだが、あいつら大勢だし銃を持ってるからよ……そんで、思い出しただけで胸糞わるくなるんだが……」
そこまで話したところでアルザスは本当に気分が悪くなったらしく、顔を真っ青にして椅子に深くもたれた。その様子を見ていたタチアナが、慌てて彼のことを介抱しだすと、これ以上は無理と判断したのか、彼の話を引き取ってリオン博士が後を続けた。
「そのころのシルミウムは国内の飢饉で死者が続出してたようで、そのせいで疫病が蔓延していました。それを治す薬も不足している中で、亜人血清が万病に効く万能薬になるって噂が広がったんです」
「万能薬……?」
アーサーが尋ねると、リオン博士は苦虫を噛み潰したような顔をして、
「私達、亜人は生命のるつぼとも言えるガッリアの森の中で適応できるように、人類が罹りうるあらゆる病原菌の抗体を持っているんです。だから亜人から採取した血清で適切な処置を行えば、この世のあらゆる病気は完治することが出来るかもしれない。私はそれをおよそ15年前に発見し、人の役に立てると喜びました……
ところが、私の父、但馬波瑠は亜人が襲われる危険性があると言って、それを秘匿するように命じました。人類の数に比べて、亜人は圧倒的に数が少ないですから、もしこれが世に広まれば、亜人はただの採血マシンになってしまう。彼はそれを危惧したんですね。私はとんでもなく浅はかであったと、父の深慮に感謝していました。
しかし、悪い輩はどこにだって潜んでいるもので、この時の話を盗み聞きしている者が居たんです。父が失脚するとこの話がリディア貴族の間に広まってしまい、そして帝国崩壊後、彼らが世界に散らばっていった過程で、どうやらシルミウムにも伝わってしまったんですよ。
人間、死んでしまったらあの世にお金は持っていけませんからね。万病に効く薬があったら、いくらでもお金を出すという人はたくさんいるでしょう。最悪なことに、それを知ったシルミウムの無法者の中に、これを商売にしようと考えたのがいたんです。
混乱するトリエル国境から隣国に忍び込み、亜人をさらった彼らは、家畜を屠殺するかのようにその手足を挫き、抵抗を出来なくした上で、必要な時に死なない程度に血液を抜くということをしたんです」
「惨い……」
アーサー達は絶句した。今まで、亜人が大陸から居なくなったのは、魔王の側に付いたほうが利口だと考えたからだと言われていた。しかし事実はそんなわけでもなんでもなく……
「可哀想に、亜人さんたちはそれで酷く怯えちまってよう……ここに居たら人間に襲われるからって、逃げ出したんでえ。おいら達は守ってやれなかった」
当時を思い出して気分を害したらしきアルザスが、ぐったりとしながら続けた。リオン博士が自分が話すから無理しなくていいと言ったのだが、彼は首を振ってそれを辞退すると、
「怒ったトリエル人たちの中には、無法者たちと戦おうとしたのも居たんだが、何しろ相手は暴力に慣れてやがる……とてもじゃねえが、相手になんねえ。そして争いが起こるとそのどさくさに、炭鉱を爆破されたり、略奪が始まったりとやりたい放題……もうどうにもならなくなったモーゼル様とおいらは、難民を連れてセレスティアに亡命することにしたんだ……
でもよう、セレスティアは北エトルリア大陸に輪をかけて極寒の世界。トリエル人がみんなで生きていくのは不可能だった。セレスティアの先住民、ドライ様はそれでもそんなおいら達を助けてくれると言ってくれたが、どんなに頑張ってもひと冬越すのがせいぜいだったろうよ。
それに無法者たちは海峡を超えるのに手間取っていたが、時間が経てばいずれこっちに渡ってくる。やがてセレスティアの寒さにやられちまったモーゼル様がお亡くなりになって、おいら達はもう八方塞がりで、いつ悪い奴らがやって来るかと、怯えながら暮らしていた……
そんな時に、おいら達を救ってくれたのが、レムリアだったんだよ」
アルザスは鼻をスンスン鳴らして、目を真っ赤にしながら涙ぐんでいた。そんな彼に変わって、その先を大統領が続けた。
「アルザス様のところから、帝国に留学に来ていた亜人達は、リディア崩壊後に我々と一緒にレムリアに脱出していたんです。彼らはそのままレムリアにとどまってくれ、建国のために尽力してくれたんですが、やがて故郷が窮地に立たされてることを知ると、これを助けに向かいました。
当時、亜人血清の噂が流れると、南エトルリアでも非人道的な事件が相次いでいました。我々レムリアはその動向を掴んでおり、アスタクスやイオニアに抗議しようとしたのですが、当時も今も国として認められてなかった我々には、外交の窓口が無く、誰も話を聞いてくれません。
我々が手をこまねいている間に、南エトルリアの亜人達は人類に見切りをつけて森へと逃げ込んだようですが、北エトルリアの方は逃げ場がない。それで、放っておくわけには行かないと、危険を承知で、レムリアから船団を無寄港でセレスティアまで派遣することにしたんです」
その後、ロンバルディアの港を金銭で借り受けた彼らは、ピストン輸送でセレスティアからレムリアへと難民を運び、現在に至ると言う。トリエルの人達は、元々炭鉱夫だったから、鉱山の多いレムリアでは即戦力だった。今ではアルザスは、ブリタニアで鉱山会社を経営しているそうである。
「そんでおいら達はトリエルを捨ててレムリアに渡ってきたんだがよ、ただ迷惑をかけるだけは性に合わねえし、持ちつ持たれつでやれたのは本当に良かったよ。でもよ、亜人さん達はそうもいかねえ。エトルリア人たちに追われて、同胞たちが森に逃げ込み、ガッリアに渡ったのは分かっている。彼らのことを放っておけないし、それにほとほと人間に愛想が尽きたんだろう。ある日、俺達と袂を分かちあって、同胞の待つガッリアへと渡っていった……」
それが、亜人が人類を裏切った理由である。アーサー達は話を聞き終えて、一言も発することが出来ず、ただただ胸が苦しくなるのに耐えていた。
そんなアーサーに向かって、アルザスは改まった表情を作ってから言った。
「公爵さんよ。大統領は、おまえさんに武器を提供するかどうか悩んでらして、おいらに相談してきた。国を追われたおいら達がエトルリア人たちに協力しても良いってんなら、おまえさんたちを助けてやろうって考えてるんだそうだ」
アーサーが驚いて大統領の方を見ると、彼は目を瞑ったまま、黙って頷いた。
「おいらはそう問われて、大いに悩んだ。故郷を追われた日のことは、今でも夢に見る。悔しくて悔しくてしかたねえ。でもよう、女子供が腹をすかしてたのは事実なんでえ。亜人さんを襲った無法者共は言語道断だが、腹をすかせて国境を越えてきた奴らを、おいらはそんなに責めることは出来ねえと思うんだ。だからまあ、恨みだなんだで、おめえさんに協力しねえのは、ちょっと違うんじゃねえかと思ってる。
大体、エルフがアスタクスに攻めてこなけりゃ、あの時方伯様が何もしなかったことはねえだろう。そしたら、魔王にだって少しは責任があると思うんだよ。だからまあ、全てが片付いたら、あの無法者共をどうにかするって約束してくれんなら、おいらはおまえさんを信用してもいいと思ってる。この世界には、エルフなんかよりも悪い奴らが巣食ってるんだ。若いおまえさんが、そいつを片付けると約束してくれ」
「分かりました」
アーサーは力強く頷いた。
リディアを奪還したら、それで全てが終わると思っていたが、とんでもないことだった。アーサーだって、これまで何度も痛感していたのだ。この未曾有の危機に、人類が人類の足を引っ張っている。このどうしようもない世界を、自分の手で変えねばなるまい。彼はそう決意した。
「そしたらおいらから言うことは何もねえ……あとは……」
アーサーの返事を聞いて、アルザスは満足そうに頷くと、すぐに隣に座っていたリオン博士の方に目配せした。博士は彼に頷き返すと、
「殿下、もうお気づきかと思いますが、もう一人、許可を得て貰いたい人物がおります。それは、ガッリアの森へと消えていった亜人達……実は彼らは紆余曲折あって、今はメディアの地で暮らしております」
「メディアに……」
「はい。そこでご足労ではございますが、殿下にはこれからメディアに出向いて貰って、彼らと話し合ってきてほしいのです。その時、出来ればリーゼロッテさんとアンナさんもお連れください」
それを聞いていたリーゼロッテは神妙に頷いた。メディアは彼女の父である勇者が作った国。そしてそれは、アンナの父である魔王と同一の存在であった。
そして彼らはメディアに向かった。カンディアを出てから、そろそろ一月が経過しようとしていた。