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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第九章
344/398

あなた、何かに取り憑かれていますね?

 アンナが魔法をぶっ放したせいで、突然の天変地異に驚いて逃げていった市民が、いま街のあちこちで大騒ぎしているようだった。元々が難民の国であり、貴族と揉めて独立した経緯のあるレムリアでは、魔法使いは相当珍しかったらしく、駆けつけた警官隊に大説教をされた。


 もう二度とやりませんと謝罪を続けたリーゼロッテ達魔法使いは、へとへとになりながらようやく解放されると、公園の芝生の上に寝転がった。まだ修行を始める前の段階なのに、もうクタクタになっているのは何故だろうか。


 さっきまで憩いの場でリラックスしていた市民たちの姿はもう見えない。団欒を邪魔してしまったのは申し訳なかったが、周囲から人目がなくなったことはかえって好都合だった。


 そんなこんなで、リーゼロッテは芝生でぐったりしている魔法使いたちを叩き起こすと、車座になって最初の講義を始めた。“剣聖”の修行と聞いていた魔法使い達は、最初の訓練が剣も魔法も使わないただの講義だと知って戸惑っていたようだが、魔法使いにとって一番重要なのは、マナというものが何なのか、その理解であって、ただ闇雲に実践で訓練していても始まらないのである。


 だが、その事実を知っている者はこの世界には殆ど居らず、リーゼロッテは、まずはそれを叩き込まなければならなかった。


「さて、何から話し始めればよいものか。先ほども少し話しましたが……あなた達は聖遺物を手に入れたことで魔法使いとして覚醒しました。だから魔法を使うには聖遺物が必要だと思ってるようですが、実はそんなことありません。魔法を行使しているのは、あくまで魔法使いが主体で、聖遺物はその補助をしているに過ぎないのです。


 聖女リリィの登場でエトルリア皇国が興るよりも遥か昔……この地上には人類が支配した古代文明が存在していました。古代文明はその後訪れた天変地異によって滅んでしまうのですが、その過程で生き残りを賭けてとある技術を生み出しました。目には見えないエネルギー粒子・マナの発明……そして、魔法の誕生です。


 魔法はそうやって古代人が生み出した技術だったのです。


 さて、古代人は魔法を使うために世界中にマナをばらまきましたが、最初からこれを自由自在に使えたわけではありません。マナは目に見えない粒子で、我々は普段それを認識することさえ出来ません。古代人たちも最初はそれを利用するために、聖遺物のような道具を必要としました。聖遺物はそうして生まれ、最初は持ち主の脳波を検出して命令を実行する道具として普及します。


 ところが、最初の聖遺物では、些細な魔法しか実行できませんでした。傷を癒やすヒールや、アンナのように火炎を生み出したりするには莫大な演算処理が必要で、人が手で持って運べるような小さな道具では限界があったのです。そこで古代人は、聖遺物だけで魔法を行使することを諦め、天空の遥か彼方に巨大な施設を浮かべて、代わりに演算を行うようにしました。


 実は聖遺物は、その天空の遺跡と通信を行う道具なんです。だから、あなたたちが魔法を使う時、聖遺物は必ず天空の遺跡に命令を飛ばし、それを受け取るというプロセスを経ている。そして遺跡は非常に遠い場所にありますから、それが帰ってくるまでにタイムラグが生じている。


 だからもし、マナを認識することが出来れば、魔法使いが詠唱をした瞬間、どういった経路で命令が飛んで行くのかは即座に分かりますから、同じ経路を通って帰ってくるそれを妨害することは簡単でしょう」


 話を聞いていたフランシスが眉根に皺を寄せて信じられないと言った感じに、


「剣聖様は天空にそんな巨大な建造物が浮かんでいるとおっしゃるのですか? そんなものがあったらいつか落っこちて来そうなものですが……信じられません」

「ですがあなたもこの国に来た時、巨大な飛行船を見たでしょう」

「それは……そうですが」

「私も良くはわからないのですが、例えば、空には月や太陽が浮かんでるじゃないですか。社長が言うには空の上に行けば行くほど、物が軽くなるんだそうですよ。不思議ですね」

「……社長と言うのは、大統領のことですか?」

「ああ、これは失礼しました。魔王のことです」


 リーゼロッテがけろりとそういうと、フランシスはショックを受けた感じに口を結んだ。彼は魔王のことを、ただ悪しきものとだけ信じているからであろう。リーゼロッテは苦笑しながら続けた。


「これらの事実を私に教えてくれたのは、まだ人類と敵対する前の魔王ですよ。あの方は出自が定かで無かったせいで、生まれは卑しきものだとか、亜人であるとか、エルフであるとか散々に言われていますが、実はその正体は魔法文明を築いた古代人だったのです」

「な、なんですって!?」

「それがどうしてこの時代に紛れ込んだのかは分かりませんが、彼はこの世界の仕組みに気づくと、当時エルフに悩まされていた帝国のために対エルフ戦術を組み上げました。それが先ほどのマジックキャンセルの応用で、なんてことはない……エルフもまた、我々と同じような方法で魔法を使っていたのですよ。


 エルフは天空の遺跡と交信し、我々人間とは比べ物にならないくらい、様々な恩恵を得ているようです。その一つに、自分の近くに危険な生物が居れば、それが近づいてくる前に発見出来るという能力がありました。


 社長はレーダーとか言ってましたが……どうも彼らには特殊能力があって、他人には見えない地図が脳内に存在し、そこに赤い光点となって周囲の生体反応が見えていたみたいですね」

「えっ……」


 リーゼロッテがかつて但馬から聞いたことを話していると、アンナがそれに過剰反応して目を丸くしていた。


「アンナ、あなたには何か心当たりでもあるのですか? 例えば、同じものが見えるとか」

「う、ううん……そんなことはないけど」


 嘘をついてるな……リーゼロッテはそう思ったが、それ以上は突っ込まなかった。自分に見えてないものを追求しても、どうせはぐらかされるだけである。


「話が脱線しましたが、そのレーダーで映し出される生体情報の出処は、やはり天空から届いてきていたそうですよ。それで、社長はその天空からの情報を逆手に取って、生体反応を隠す方法を考案しました。エルフがそれを頼りに人間を見つけているのは明らかですから、見えなくしてしまえば、無警戒の奴らに肉薄することが出来る。そうして生み出されたのが、金属の網で周囲を囲って天空の遺跡から届く通信を遮断するという戦術でした。マジックキャンセル技は、それと同じようなことを、魔法を使用している最中の対象にぶつける技なんです」


 リーゼロッテの説明を聞いていたアトラスが感嘆のため息を吐いた。


「それじゃ剣聖様。パパはマナを認識することが出来たってわけね? 魔法使いじゃなかったって聞いてたけど、いつからそんな力に目覚めたのかしら」

「いえ、エリオスさんは元々魔法の素質がありましたよ。みんな勘違いしていますが、聖遺物を持っていなければ魔法使いじゃないというわけではないのです。ヒーラーだって同じ魔法使いでしたし、中には彼みたいに身体を強化するという方向に特化した魔法使いも、実は昔から存在してたのですよ」

「しかし剣聖様、マナを認識することが出来て、魔法使いが魔法を使おうとしていることが分かったところで、どうやって妨害すればいいのか……そのイメージが掴めません」

「それはマナを認識することが出来ればすぐに理解できますよ。実は、あなた達はすでにそれを行っています」

「えっ!?」

「私はさっき、魔法を行使するために聖遺物が天空の遺跡と通信を行っていると言いました。実は、同じ方法であなた方の脳と聖遺物も、通信を行っているのですよ。


 魔法を使い始めた古代人達は、ある時、もっと便利に魔法を使うために、自分たちの脳を改造して、マナを制御するための器官を作り出しました。我々魔法使いの脳にも、ちゃんとその器官は残っていて、詠唱という手段を用いた時、魔法使いの脳内で眠っていた器官が動き出し、聖遺物に命令を下しているのです。


 ところでこれ、逆説的に言えば、この眠っている器官を動かすことが出来れば、詠唱は必要ないということでしょう。


 また、聖遺物と遺跡が行ってる通信方法(プロトコル)と、脳と聖遺物が行ってる通信方法が同じであるなら、聖遺物を介さずに遺跡と直接交信することが可能です……因みにエルフは、この方法で魔法を使っているのです。


 更に突き詰めれば……遺跡で行っている演算を自前で処理出来れば、遺跡との通信すらも省略できるはずです。我々の脳には、マナを制御する器官が存在しているのですから」

「そんなことが可能なのですか? それが難しいから、古代人はわざわざ大きな遺跡を空に浮かべたのでしょう?」

「それが出来るのです。古代人たちが遺跡を作ったのは、最初魔法を聖遺物で制御しようとしたからです。脳みそを弄るなんて怖いですからね……ところが、一度脳を改造することが受け入れられたら、こっちの方がずっと便利なことがわかったんですよ。


 脳って言うものは本当によく出来ているもので、この頭の中にあるちっぽけな臓器が、天空に浮かぶ巨大な遺跡に匹敵する演算能力を持ってるのだそうです。しかもこれは鍛えれば鍛えるほど成長し、より高度な魔法を際限なく使えるようになっていく……例えば、こんな具合に……」


 リーゼロッテがそう言うやいなや、車座になっていた魔法使いたちの周囲に、蛍光色の光の玉がふわふわと浮かんでは消えていった。それはまるでホタルみたいに儚いかと思えば、突如としてボーッと炎を吹き上げたり、水を滴らせて地面に落ちたりした。


 そんな夢みたいな光景に目を奪われている弟子たちに、彼女は言った。


「これくらいで驚いていては困りますよ。これからあなた達には、これと同じことが出来るようになって貰わねばなりません。何しろ、あなた達が戦う相手は、この程度のことは朝飯前にやってのける相手ですからね……聖遺物なんかに頼っていては、まず勝ち目がないと思ってください」

「はいっ!」


 アトラスとフランシスの二人はそのプレッシャーから顔面蒼白になりながらも、どことなく嬉しそうな表情をしながら元気に答えた。


 対して、眉毛だけが困ったような顔をしたアンナに向かって、リーゼロッテは言った。


「特にアンナ……あなたが相手をする魔王に私は勝てません。悔しいですが、私ではあの方に届かないのです。ですが、あの方の血を引いているあなたなら、万に一つかも知れませんが、可能性はあると思います。だから、あなたはこの短期間で私を越えなさい。それがあなたが魔王と戦うための最低条件なのですから」

「……」


 アンナはその事実に打ちのめされたように、相変わらず眉毛だけが困った表情でじっとリーゼロッテのことを見つめていた。彼女はアンナの抱える不安な気持ちを痛いほど理解していたが、厳しく接すると心に決めて、


「返事は?」

「…………はい」


 リーゼロッテが強く言うと、アンナは迷いながらも、小さく返事をかえした。


*******************************


 それから数日が経過した。


 リーゼロッテの修行は順調に進み、みんなそれぞれ自分なりの答えを見つけようとしていた。


 彼女の修行は、まず聖遺物を使って実際にマナを操作する感覚を身に着けさせることから始まった。


 聖遺物を持った魔法使いが詠唱を開始すると、脳内のマナを司る器官が聖遺物に命令を下すために、体内のマナを操作し始める。その感覚を意識しながら何度も実際に魔法を使うことで、マナの流れを感じられるようにさせるのだ。


 男二人はそう言われても中々感じがつかめなかったらしく、闇雲に魔法を唱えては、よく目を回していた。


 本当にこんな方法で何かが掴めるのかと、彼らが半信半疑になる中……やはりと言うべきか、これが血筋というものなのか、まず真っ先にその感覚に目覚めたのはアンナだった。


 彼女はリーゼロッテに講義されてから、数回聖遺物を使っただけであっという間にマナの流れを理解した。そしてすぐに次のステップへと進むと、体内のマナの操作から、周辺のマナの操作へとシフトしていき、気が付けばあっという間に、空気中のマナを凝縮し発光させることまで理解してしまったのである。


 それを見ていた男二人は才能の違いに愕然としつつも、自分たちも頑張ればあれくらい出来るようになるのだと希望が持てたようで、マナの流れを理解する切っ掛けを掴もうと、躍起になって色々やり始めた。


 滝行したり、火の輪をくぐったり、お互いに魔法を撃ち合ってダブルノックダウンしたり……そんな男たちを見るに見かねて、リーゼロッテは彼らに付きっきりで色々と教授しており、それをアンナは離れたところでそわそわしながら見守っていた。


 自分一人で出来るから、遅れてる二人に遠慮しているわけではない。


 本心を言えば、アンナもリーゼロッテに色々質問したかったのだが、今までの経緯からどうしても彼女の前では素直になれず、一歩離れて見てしまうのだ。彼女と話していると、母のことを思い出してしまい、すると胸が苦しくなって、反発せずにはいられなくなるのだ。もうそんなことを気にしている場合ではないのだが……


 リーゼロッテは、アンナみたいにマナを操作して発光させるだけではなく、これを大量に集めて剣を作るくらい自由自在に出来るのだ。アンナもこれくらい出来るようにならなければ、魔王になんて勝つことは到底出来ない……考えれば考えるほど焦りが生じて、そして彼女の集中力は途切れがちになった。


 それに他にも気になることがあった。


 アンナが剣聖にこてんぱんにやられたあの日から、イルカは彼女の前から姿を消した。もともと気まぐれで、いつ現れるかは分からない奴だったが、会いたいと思った時は案外ふらりと現れたものである。それが全く姿を現さないのだ。本当なら真っ先に色々と聞きたい相手なのに……


 イルカは彼女が魔王を倒すことを望んでいた。そのために必要なことを教えてくれたり、アーサーについていけと助言して、こうして仲間を得ることが出来た……だが、彼女は今、自分の力の無さを痛感している。もし剣聖とこうして修行する機会が無かったら、アンナは魔王に絶対勝てなかっただろう……いや、今でさえはっきり負けてると言えるのだ。


 この事実を、あのイルカは気づいていたのだろうか。気軽に魔王を倒せと言っていたが、その魔王がどのくらい強いのか、あれは知っていたのだろうか……


「どうしましたか、アンナ。先ほどからマナが乱れていますよ」


 そんな余所事を考えていたからだろうか、いつの間にか注意が散漫になっていた彼女の元に、リーゼロッテがやってきていた。


 彼女の言うとおり、さっきからアンナは集中力を欠いて、操作するマナの光が出たり消えたり、ふわふわと変な動きをしていた。それで目立ってしまったのだろう。


 彼女は慌てて、


「な、なんでもないよ……」

「そうですか。ならばちゃんと集中力を保っておきなさい。反復練習を続ければ続けるほど、あなたの魔力は強くなっていきます。そのうち私が何をやっているのかも理解できるようになるでしょう」

「そう……なのかな?」

「今はまだ覚えたてで、理解が追いついていないのですよ。例えばあなたは水泳が出来ますか? 最初は水に顔をつけることさえ出来なかったでしょう。それが一度泳げるようになったら、もう二度とその方法を忘れませんし、続ければ続けるほど、水中で出来ることは増えていきます。魔法もそれと同じなのです。使えば使うほど、脳にその感覚が定着し、やれることが増えていきます。聖遺物を使っていると、それが出来ないのです」

「そうなんだ……わかった」

「それから、あまりうるさいことは言いたくありませんが、返事はちゃんと敬語を使いなさい。親しき仲にも礼儀あり。あなたが私に教えを受けているつもりがないなら、私もあなたのことをさほど気にかけなくなるでしょう」

「……わかりました」


 リーゼロッテが上からジーっと睨みつけると、アンナは眉毛だけ困ったいつもの顔をしてから、体を小さく丸めてしゅんと項垂れた。そしてまた言われたとおりにマナを操作して、自分の目の前で発光させる作業を始めると、リーゼロッテは男たちの方を見に戻ろうと踵を返してから、ふと、何かを思い出したかのように……


「ところで、アンナ……あなた、何かに取り憑かれていますね?」


 アンナの操作していたマナの光が、パッと拡散して消えた。彼女は慌ててまた周辺のマナの流れを探ると、集中してそれを操作しつつ、


「なんのことか、わからない……わかりません」


 するとリーゼロッテはプレッシャーをかけるようにジーっと見つめると、何を考えているかわからないような真顔で、全く表情を動かさずに淡々と続けた。


「そうですか。なら、これから私が喋ることを、参考程度に聞いておきなさい。アンナ、あなたは勇者病という病気のことを知っていますか?」

「……勇者病?」


 リーゼロッテは黙って頷くと、かつてエトルリア大陸で流行した奇妙な現象について話した。


 青年期の男性が突然、それまで縁のなかった魔法の力に目覚めること。


 周りに誰も居ないのに、おかしなことを口走って周囲から気持ち悪がられること。


 彼らはイライラしてやたらと攻撃的になること。


 やがて周囲から孤立した彼らは、何かに導かれるようにリディアを目指したこと。


「我は勇者なりと言って散々周囲に迷惑をかけるのですが、ある日パッタリと奇行が止まると、ケロリと元通りになったそうです。彼らはまるで熱病にでも浮かされていたかのように、その間のことは何も覚えてない。それで周囲も身内の恥だからと、あまり大騒ぎせず世間では忘れ去られてしまったのですが……そんな彼らのことを調査してみると、とある共通点があったのですよ。彼らは勇者病にかかっている間、いつも何か目に見えないものに苛立っていた。それが何なのか、勇者病患者の家族の記憶の断片を統合的に判断すると、どうやらそれはイルカのようなものらしい……」


 アンナの操作していたマナが、またパッと拡散していった。彼女はリーゼロッテの方は見向きもせず、あさっての方を向かながら、気のない返事を返した。


「ふ、ふ~ん……」

「魔王はこのイルカのことを覚えていました。彼は古代人だったのですが、ある日目覚めたらリディアの浜辺に立ち尽くしていた。自分がどうしてそこにいるのか分からず戸惑っていると、気が付けばすぐ側にイルカが居て、この世界は夢のようなものだと言ったそうです。そして魔法の使い方を教えてくれたそうなのですが……イルカは肝心なことは何一つ教えてくれなかった。魔法の正体やマナの使い方、そしてそもそも魔王が何者だったのかも……その時、何か一つでも正確なことを教えてくれていたら、魔王は自分が古代人であることにすぐ気づけたかも知れません。ところが、イルカはまるでここが夢の中であるかのように、彼のことを誘導した……」


 リーゼロッテは彼女の方を見ようともしないアンナの前に座ると、それでもなお視線を逸らそうとする彼女の目をじっと見つめて言った。


「アンナ、あなたに取り憑いてるそいつも、何か隠し事をしていませんか? こうすべきだと何かを強要したり、あなたを誘導しようとしたりしていませんか?」

「そんなの知らない、知りません。私には関係ないこと……です」

「あなたの持つその聖遺物は本当はどこで手に入れたのですか? 世界樹で手に入れたというのは嘘ですよね?」

「嘘じゃないよ!」

「……そうですか。それならそれで良いですから、ただ、今私が言ったことを覚えておきなさい。もしかしたら、そのイルカが現れたことで魔王が生まれたのかも知れないのですから」


 するとアンナは癇癪を起こしたかのように、


「だから、そんなの知らないって言ってるでしょう!!」


 彼女の肩を掴んで迫るリーゼロッテのことをドンッと突き飛ばすと、背中を向けて一目散に駆け出した。


 二人が揉めているのを遠巻きに見ていた男二人が、ギョッとして何かを叫んでいた。だが頭の中がぐちゃぐちゃで、どんな言葉も彼女の耳には届かなかった。心臓がバクバクと、まるで別の生き物みたいに脈打っている。アンナは酸欠の鯉みたいに、パクパクと空を仰ぎ見ながら、人通りの少ない方へとただ駆けていった。


 彼女の頭の中では、今はじめて、あのイルカに対する不信感がぐるぐるぐるぐる回っていた。だがそれを否定してしまったら、今までの自分までもが否定されてしまいそうで……アンナはその気持ちをどう処理すればいいのか分からず、胸を締め付けるような苦しみに耐えながら、ただがむしゃらに走り続けていた。


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