あなたがこれから戦うのはこういう相手です
アーサー主従がレムリアとの交渉に難航している最中、魔法使い達の方はと言えば、ホテルからほど近い公園で修行を行っていた。
この国はとにかく広いから、街の中心と言っても高い建物ばかりが密集しているわけではなく、ところどころに広場を設けてゆとりのある街づくりを行っているようだった。
街から一歩出ればそこには田園風景が広がっており、市民は郊外に点在する住宅地に住んで、毎朝自家用車に乗って通勤してくる。混雑緩和のために道は広く取られており、交通ルールがしっかり定められていて、警官が交差点に立って手信号で誘導をしていた。
エトルリアの民からすると本当に、未来にでも紛れ込んでしまったかのような夢の国である。
そんな街の中にある公園は市民の憩いの場となっており、平日の昼間だと言うのにデートしたり休憩したりする人で笑顔が絶えず、若い魔法使いたちは驚きを隠せなかった。
彼らが生まれたときからエトルリアの民は生活に追われ、エルフの恐怖に怯え、昼間っから公園で屯しているような輩はアル中くらいのものだった。国土の違いがあるから一概には言えないが、為政者の違いでこうまで変わるのかと、開いた口が塞がらない思いである。
尤も、剣聖に言わせれば崩壊する以前のリディアはこんな感じだったらしく、
「イオニア国はアナトリアの流れを汲んでいますから、頑張ればきっとこのくらいにはなれますよ。あなたは剣だけではなく、この国に滞在している間に色んなものに触れ、様々なものを学んで帰ると良いでしょう」
「はい、剣聖様。肝に銘じておきましょう」
フランシスは真剣な表情で頷いていた。彼はベネディクトの腰巾着であるが、貴族でもある。
そんなこんなで公園の片隅で修行を開始した魔法使いたちであったが……リーゼロッテが修行を始めて、すぐにぶち当たったことは、困ったことに彼らは魔法使いと言っても魔法のことを何も理解していないということだった。
人は自分専用の聖遺物を手にすれば、それだけで魔法使いとして覚醒するから、聖遺物をマジックアイテムのように使うことしか念頭になく、マナを自分で操るという感覚が全くないのだ。
リーゼロッテ自身も但馬と言う本物の魔法使いに出会うまでは、同じような感覚だったから、他人のことは言えないのであるが、まずはこれを理解しなければお話にならないのである。
彼女がその実践のために、何からやっていけばいいものかと考えていると、アトラスがそんな彼女の悩みを解消するような、ちょうどいい材料を持ってきた。
「雷神……降臨っっ!!」
一陣の風が吹き、呪文を詠唱していたアトラスの体が瞬時に消え去った。すると次の瞬間、彼は数十メートルは離れた場所に忽然と姿を表し、道行く人々を驚かせた。彼の持つ聖遺物チドリの能力『縮地』である。
その珍しい光景に好奇心の目を隠せない通行人たちの目をかいくぐりながら、アトラスは走って元の場所まで戻ってくると、自分の持つ聖遺物をリーゼロッテに差し出した。
「剣聖様、今のがこの剣の能力です。わたしはこれを手にした瞬間、この能力に目覚めたんですけど……実はこれの前の持ち主である私のパパは、これ以外にも魔法が使えたんですよ」
「なるほど、マルチスキルではないかと思ったのですね……ふむ」
リーゼロッテは彼からその刀を受け取ると、光を受けて鈍く光るその刃紋を確かめながら、
「雷神を切り伏せし英雄が佩刀千鳥……」
突然ブツブツと詠唱を始めたと思えば、眉毛を八の字にして困っているアトラスの前で突然フッと姿を消し……
「……えっ!?」
アトラスが目を丸くしている中で、たった今彼が実演したのと同じように、数十メートル先の地面に瞬間移動してみせた。
剣聖が他人の聖遺物を扱うことが出来るということは知っている。だが、こうもあっさり、自分固有の魔法を真似されたのではたまらないと、アトラスが困惑の表情で眺めていると、彼女はそんな彼の嫉妬心など意に介さずと言った感じに、続けざまにスッ……スッ……っと、消えては現れ現れては消えを繰り返し、まるで散歩でもしているかのように公園の周りをぐるりと一周してみせてから、元の場所まで戻ってきた。
チドリを手に入れたことで魔法使いになれたと浮かれていたが……アトラスは力の差をまざまざと見せつけられ、自分の未熟さを思い知って顔が熱くなってきた。リーゼロッテはそんな彼の頭をポンポンと叩くと、チドリを返しながら、
「なるほど、これが縮地と言うものですか……これは私が以前持っていたバルムンクと同じ、身体強化系の聖遺物ですね。それも、体の骨や筋肉を強化するのではなく、脳を活性化するという極めて珍しいタイプです。面白いですよ、これ。使い方によっては強力な武器になるでしょうから、大事にすると良いですよ」
「脳……? 私には何が何やらさっぱりですけど……それで剣聖様、チドリにはこれ以外にも能力があると思うんですが、いかがでしょうか?」
するとリーゼロッテは目を瞑って黙って首を左右に振り振り、
「いえ、残念ながら、チドリには縮地以外の能力はありませんでしたよ」
「えっ!? そんなはずは……」
アトラスは困惑しながら、以前ビテュニアで交戦したエリオスのことを彼女に話して聞かせた。
「元々、聖遺物狩りの噂では、彼には魔法が効かないってことだったんだけど……パパは実際に、ここにいるフランシスやアンナの魔法をかき消して見せたのよ。だから私はチドリを手に入れた時、それと同じ能力が使えるんだとばかり思ってたんだけど……もしかしてパパは、まだ別の聖遺物を隠し持っていたのかしら」
「いえ、それは無いと思いますね。なるほど、もう一つとはマジックキャンセルのことですか……ならば心当たりがございます」
するとリーゼロッテは話を聞くなり、得心言ったとばかりに二三度頷いてから、おもむろにアンナに向かって言った。
「アンナ。あなたの魔法がエリオスさんに通用しなかったのは確かですか?」
アーサーにどうしてもと言われたから仕方なくレムリアまでついて来たが……剣聖に修行を付けてもらうというのがよほど気に食わなかったのか、ムスッとした表情で遠巻きにそれを見ていたアンナは、露骨に不機嫌そうな表情を作ると口を尖らせながら言った。
「それがなにか」
「本当かどうかと聞いているだけです。そんな隅っこで拗ねてないで、ちゃんと答えなさい」
「……でも、勝ったのは私だから」
「はぁ~……そうですか」
ほっぺたを膨らませながらそっぽを向くアンナに、まるで子供みたいだと苦笑いしながらリーゼロッテは続けた。
「わかりました。それで確信しましたよ、あなたは自分が強いつもりで居るのでしょうが、本当は全然大したことありません。大方、あなたがエリオスさんに勝てたのも、彼が手加減してくれたお陰でしょう。エリオスさんはあなたを傷つけたくなかったんです。あの人は、社長の忠実な部下ですからねえ……」
すると馬鹿にされたと思ったらしきアンナが、ギラリと鋭い眼光をリーゼロッテに向けてきた。その怜悧な視線に男たちがブルブルと震え上がる中、浴びせられてる本人はといえば、まるで生ぬるい風呂にでも浸かっているかのようにリラックスした表情で、
「そんな顔しても怖くありませんよ。だって本当のことですから。なんなら試してみましょうか?」
「……試す?」
「今から私はこの場所から一切動きませんので、あなたは私に向かって思いっきり魔法を放ってみなさい。どんな魔法でも構いませんよ、炎の魔法でも、隕石魔法でも。もしそれであなたが私にほんのちょっとでも傷をつけることが出来たなら、もうこんな修行などしないでカンディアに帰ってしまっていいです」
「上等……!」
それを挑発と受け取ったのだろう。普段はどちらかと言えば冷静なアンナの顔がみるみるうちに赤く染まっていった。彼女はプンスカしながら立ち上がると、リーゼロッテの目をギンッと睨みつけながら、腰に挿していた聖遺物を抜き放った。
「高天原、豊葦原、底根国……」
彼女が詠唱を開始するや否や、その彼女の目の前に、小さな光点現れた。それはみるみるうちにこぶし大にまで大きくなり、やがて目もくらむほどの光を発すると、リーゼロッテに向かって物凄い速さで飛んでいき……彼女の頬を掠めて飛んでいった光点は、彼女の後方で地面に突き刺さると、
ドオオオオオオォォォォォォーーーーーーーンンッッッ!!!!
……っと、そんな盛大な音を立ててはじけ飛んだ。
公園に巨大な火柱が立ち上る。突然起きた超常現象に、その時たまたま公園にいただけの不幸な人々は、パニックになって逃げていった。そんな蜘蛛の子を散らすような騒ぎの中で、リーゼロッテはあくびを一つかますと、
「どうしました? 本気でかかってきなさい」
「……! このおおおぉぉぉーーーーっ!!! やっちゃえ、カグツチっ!!」
呆れたように肩をすくめるリーゼロッテに対し、今度こそ堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに、アンナは聖遺物を振り上げると、また同じ魔法を唱えた。さっきはこぶし大程度だった光点は、今度はスイカほどの大きさにまで膨れ上がり、おそらくそれが直撃したら、骨も残らずにリーゼロッテは消滅するだろう。
アンナはそれが分かっていたから、今度もまたそれを放つ時、一瞬だけ躊躇した。ところが、そんな彼女の迷いを見透かすかのように、リーゼロッテの口が不敵にねじ曲がるのを見るや、アンナは頭のなかで理性の糸が切れるかのような怒りを感じ、彼女に向かって本気の一撃を放っていた。
猛烈な熱量を保ったまま巨大な光点がリーゼロッテの顔めがけて飛んでいく……
それが彼女に到達したら即死確定……いや、それだけではなく、先ほどの火柱など目ではないような、とんでもない炎が辺り一面を焼くことだろう。それを見ていたアトラスとフランシスの二人は、これはやばいとばかりに地面に伏せた。
ところが……そんな彼らの予想とは裏腹に、その光点はリーゼロッテに届こうとした瞬間、ふっと消滅し……
唖然として身動き一つ取れないアンナの目の前で、今度はリーゼロッテの姿までもが突然掻き消えたかと思えば……次の瞬間、彼女の後方に現れたリーゼロッテは手刀で手首を強かに打ち据え、アンナは痛みに耐えきれずハバキリソードを落っことした。
カランカランと音を立てて、真っ白い剣が地面に転がっている。
何が起きたのか分からない……そんな驚愕の表情を貼り付けたまま、アンナの首がギギギっときしむように、ゆっくりリーゼロッテの方に向けられた。
リーゼロッテはいつもの飄々とした顔でそれを受け止めると、
「魔法がかき消された一瞬、あなたは戸惑って隙だらけでしたよ。縮地であなたの後方へ回り込んだ私の動きにも、まったくついてこれませんでしたね? これでもまだあなたは、エリオスさんに勝ったと思ってますか?」
さっきまで、パニックになって逃げ惑う民衆で騒がしかった公園は、今はもう静寂に包まれていた。
アンナはそんな静けさの中で微動だにせず、口をパクパクしながらリーゼロッテの顔を凝視し続け……やがてがっくりとうなだれると、地面に両手をついてへたり込んだ。
地面に伏せていたアトラスとフランシスが恐る恐る立ち上がる。リーゼロッテはそんな彼らをぐるりと見渡すと……彼女の前でひざまずくアンナの前にしゃがみ込み、その肩に触れると、
「あなたがこれから戦うのはこういう相手です。魔法が効かず、経験も豊富。周りはエルフだらけで、それどころか、魔王はあなたなど足元にも及ばない強力な魔法の使い手です。10年前……私はあの方の前まで到達しながら、何も出来ませんでした。目の前で、あなたのお母さんが殺されるのを、ただ黙って見ていることしか出来なかった……だから、あなたが私を恨むのは分かります。でも、そんな私にすら勝てないあなたが、魔王に勝てると思いますか? アンナ……それでも自分ひとりでやると言うのであれば、勝手にすれば良い。私は止めませんよ。でも、もしも少しでも危機感を抱いたのであれば、私の修行を受けなさい。私を殺すつもりでかかってくれば、それでいいのですから」
目の前で項垂れるアンナの顎のあたりから、ポタポタと涙の雫が落ちていった。悔しくて悔しくて仕方がない……そんな気持ちが伝わってきた。リーゼロッテは、それで良いと思った。
悔しいと思えるのであれば、また立ち上がれるだろう。自分が憎まれることで、アンナが強くなれるなら、これほど安いことはない。自分はあの魔王を前にして、恐怖しか感じられなかったのだ。そんな情けない自分のようにさせないためにも、リーゼロッテは鬼になってでもアンナを鍛えようと心に誓った……
「ちょ、ちょっと待ってください、剣聖様!」
彼女がそんな風に決意を新たにしていると、今のやり取りを見ていたアトラスが男みたいな口調で早口にまくし立てた。
「今やったのが、縮地ですって!? そんな馬鹿な! だってあなたは、聖遺物を持ってないのに、魔法を使えるわけがないじゃないですか。そんな魔法使い、見たことも聞いたこともありませんよ」
隣のフランシスも同じように頷く、リーゼロッテは肩をすくめると、
「見たことがないなんて大げさですね。昔は結構居たんですよ。ヒーラーという人たちのことです。彼らは聖遺物を持たず、戦えなかったから魔法使いと見做されませんでしたが、根本的には同じ能力者なんです」
「そ、そうなんですか?」
「それに、聖遺物無しで魔法を使う生物など、あなたは日常的に見てきたじゃないですか。エルフはどうやって魔法を使ってるというんです?」
「い、いや、剣聖様……エルフがどうやって魔法を使ってるかはわかりませんが、そもそもエルフと人間は別の生き物じゃないですか。同列に言われても困りますよ」
「いえ、そうではありません。エルフも人間も、元は同じ生き物なんです」
リーゼロッテがそう断言すると、彼らは目を丸くして腰を抜かした。
「な……なんだって!?」
彼女はそんな彼らに苦笑しながら言った。
「その点も含めて、あなた達にはこれから魔法についての授業を受けてもらいます。あなた達は、修行と言うと剣を振るったり試合をしたり、体を動かすことばかりだと思ってるのでしょうけど、そうではありません。魔法の詠唱とは、見たり聞いたり考えたり、日常的に脳が行ってるのと同類のことなのですよ。人間の脳が命令し、マナが引き起こす科学現象。実は聖遺物はその補助を行う機械に過ぎません。だから、魔法というものをちゃんと理解することが出来れば、こんなもの始めから必要なかったんですよ……寧ろ、これを使ってる時点で、魔王には到底及ばない」
「聖遺物無しで魔法を使うなんてことが可能なんですか!?」
「実際、私はさっきチドリの能力を知ることで、それをそっくりそのまま模倣出来たじゃないですか。そしてエリオスさんが使ったという、マジックキャンセル技もそれの応用に過ぎません」
「そ、そうだったのか……」
「さあ、わかったなら、これからあなた達は私を師匠と呼んで、私の言うことをなんでも聞きなさい。そうすればあなた達も、私と同じように聖遺物無しで自分の魔法を使ったり、新たな技を身に着けたりも出来るようになりますから」
「はいっ!」
「でもその前に……」
リーゼロッテはポリポリと耳の下辺りを指で引っ掻くと、眉根を寄せて困った感じに、
「……さっきの火柱で人が集まってきたようですね。まずは彼らに謝らねば……ああ、アーサー様に迷惑をかけないようにと気をつけていたつもりなのですが、早速警察沙汰とは……」
彼女はそうつぶやくと……続々と集まってくる警官や消防士達に何度も何度も頭を下げる羽目になった。