渡航
魔王討伐のための協力を要請したアーサーと、タチアナの交渉は失敗に終わった。レムリアは大陸への不信感から、孤立主義を深めているようだった。人類同士が争ってる場合じゃないと言うのは、まさにアーサーもそう思っていたことなので、一方的な非難を浴びせられても、何一つ言い返せることもなく、黙ってそれを聞き続けているしかなかった。
フリジアに重機関銃を持ってきたランが、妙に歯切れが悪かった理由が良く分かった。彼女らを説得するのは相当骨の折れる仕事だったろう。重機関銃だけでも売ってもらえたことが奇跡とすら思える。恐らく、古い友人という立場でなかったら、話すら聞いてもらえなかったのではなかろうか。
しかしそれで、諦めた、エトルリア大陸のことは、エトルリア人だけでなんとかしよう……と言えたら苦労はない。そんなことが出来るなら、とっくにどうにかなっているのだ。現状、大陸の技術だけでは魔王に到底太刀打ちできない。戦う相手が仮にエルフだけだったとしても、こちらが一方的に虐殺されてしまうというのに、それを束ねる魔王はその遥か上を行くと、人類最強と呼ばれる剣聖が震えながらそう言うのだ。そんなの一体、どう相手しろというのか。
レムリアとの交渉が不調に終わったアーサーがビテュニアに帰ると、報告を受けたサリエラは頭を抱えた。
「侯爵様だってシルミウムの動乱を軽く見ていたわけではありませんよ。どうにかしたくても、国内にエルフが侵入していてそれどころじゃなかったんです」
「それでも、どうにかしろと言いたいのじゃろう」
リリィがサリエラの言葉尻を捉えて続けた。
「我らはそれで話し合うこともせず、互いに牽制しあって纏まりを欠いた。アクロポリスもアスタクスもシルミウムもバラバラで、15年前から何一つ成長しておらん。せめて外交上の繋がりだけでも残していれば、まだなんとかなったかも知れぬが、お互いにそっぽを向いて話を聞こうとすらしなかった」
「そう言えば、エリックが大陸軍に参加しているシルミウムの兵士に聞いた話なんですが……」
アーサーが思い出したように言った。
「彼らは前線が遠すぎて、こちらで起きていることが殆ど伝わらなかったそうですよ。国内が乱れてて外の情報は上で止められてしまい、個人レベルでは魔王の動向を気にかけていたとしても、内乱と飢饉のせいでそれどころじゃなかったようです。それなのに制裁を課されたことで、アスタクスのことを酷く恨んでいました」
「迷惑な話ですね……」
サリエラが露骨に仏頂面になる。今はそういう話ではないからと宥めていると、リリィが素朴な疑問といった感じに、
「トリエルに攻め込んだのはどうしてなのかは聞いておるか?」
「さあ、国内が分裂してる上に、それに乗じて悪いことをするやつも居るから、正確なことは誰にもわからないそうです……レムリアにトリエルの難民がいるそうですから、そちらに聞いたほうが話が早いかも知れません」
大概、加害者は被害者のことを忘れているとも言うし……アーサーはそれを確認すると、自分を納得させるように頷いてから、
「とにかく、このまま終わりにするわけには行きません。人類が追い詰められている状況に変わりは無いのですから。俺がレムリアに行って、改めて交渉してきますよ」
「大陸軍の総帥はそなたであろう。それまで軍のほうはどうするのじゃ」
「リリィ様にお願いします。訓練やなんやはブレイズ子爵に頼んでおきますから、カンディア宮殿で待っていてもらえませんか。箱だけ立派でも、やはり戦うための武器がなければお話になりません」
「相分かった。留守は任せておれ……やれやれ、しかし前途多難じゃのう」
全くもってその通りである。一歩前進したと思うとすぐ別の壁にぶち当たる。それもこれも、人間は人それぞれ考えるところが違って、決して自分の思い通りには行かないからだろう。それを武力で片付けようとするからおかしくなるわけで……
だからこそ人は譲り合って、他人のことをある程度は受け入れる、寛容さ、鈍感さが必要なのだ。それが自由主義なのだと誰かが言っていたような……そう、確か崩壊する前のリディアはそう言う国を目指していたと聞いている。
それはつまり、魔王が目指した世界だと考えると、アーサーはなんとも言えない、苦いものを感じた。
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ロディーナ大陸西方にあるレムリアは、最も近いハリチ~タスマニア間でも3500キロもの距離がある海の彼方の国家である。ハリチのトロール船が20年前にブリタニア島を発見するまで、物語の中にしか存在しない伝説の島であった。
その詳しい広さは分かっていないが、ロディーナ大陸全土よりは小さく、南北エトルリア大陸よりは大きいとされている。植生は赤道直下メディアに近かったが、エルフが居らず、人に危害を加えるような野生動物も殆ど居ない。金銀銅は言うに及ばず、鉄鋼ボーキサイトと鉱物資源に恵まれ、石油も出るらしい。
元々はアナトリア帝国の植民地で、人口は皆無に等しく、広大な土地にボーキサイト鉱山が点在しているという寂しい国だった。だから初めは大陸ではなく、探検船の基地港のあるタスマニア島の方が栄え、やがて現在のレムリア首都ニューロードス(現実世界のメルボルン)に移っていったそうである。
現存する航路は、レムリアがほぼ鎖国状態であるために一切無く、唯一国交のあるコルフとたまに連絡を取り合っているだけだと、コルフ総統ジルベルト・ロレダンが嘆くように言っていた。
と言うのも、レムリア大統領夫人タチアナ・ロスはコルフ総統の娘であるらしく、連絡を取り合っているというのも、国同士の外交ではなく、親子で近況を報告しあっているだけのことなのだそうだ。
それくらいレムリアの孤立主義は筋金入りなのである。
そんなエトルリア大陸とは距離を置いているレムリアであったが、リディア難民が作った国であることから意外と彼の国の人間を知るものは多いらしく、交渉団を作るために軍内の調査をしてみれば、なんてことない、エリックとマイケルが当たり前のようにタチアナと知り合いだった。
ランが言っていたが、元々はS&H社の資本で作られた国だと言うから、その元社員である二人が知り合いなのも当然と言えるだろう。聞けば、大統領のことも知っているらしく、タチアナ・ロスと言う名前を聞いてやけにショックを受けていた。多分、二人が結婚したことを知らなかったのだろう。
そんなわけで、エリックとマイケルの二人を交渉団に入れて、シドニアからコルフ船にのっていざ出港しようとしたとき、思いがけず剣聖も一緒に行くと言ってついてきた。元社員の二人が大統領夫妻と知り合いなら、同じく元社員の彼女が知らないわけがない。彼女もレムリアの知人に会いに行きたいのだそうだ。
本当はフリジア戦線を維持するために残ってほしかったのだが、そんなことを言うと彼女は少し考えた素振りをしてから、
「リリィ様の事は心配ですが、ここは彼らに任せましょう。タチアナ様がおっしゃっていたことを聞いて思い出しました。私もアンナもエルフ専用の殺戮マシーンじゃないのですよ。でも、ここに残っていたらそうなってしまう。彼らはエルフに対抗しうる兵器を手に入れたのですから、自分たちでなんとかしなければなりません」
「そう、ですか……剣聖様がそうおっしゃるなら」
「社長がそう言う方でした。魔王の力を持ちながら、人が出来ることは人にやらせ、手を出しませんでした。多分、強すぎる力は依存心を生むことを知ってらしたのでしょうね。実際、最後の方はそんな風になってしまって、今や魔王として人類と敵対している……私はそうなりたくありません」
「なるほど、わかりました。剣聖様が来てくだされば、心強いです」
「交渉事ならごめんですよ。それよりも、エルフの大攻勢のせいで後回しになってしまっている、アンナとアトラスに魔法の手ほどきをしましょう。レムリアの軍事力が手に入っても、最後に物を言うのは個の力です」
「魔法ですか……」
そう言えば、レムリアの飛行兵器のことで頭がいっぱいになっていて、すっかり忘れていた。でも忘れていいものではない。アンナや剣聖の力はエルフを凌駕し、あの飛行兵器と比べ物にならないくらい強力なのだ。
リーゼロッテの修行を受けて、アトラスがそのくらい強くなれたら、アンナの助けになるだろう。大陸軍としても戦力アップ間違いなしだ。いや、それならいっそのこと、他の魔法使いも面倒見てもらったらどうだろうか。大陸軍には貴族の参加者も多くいる。
「剣聖様。一つ、お願いがあるのですが、もしあなたから見て才能のある魔法使いが他にもいるなら、あの二人と一緒に面倒見てもらえませんか?」
「他の魔法使いですか……?」
「はい。大陸軍の中に磨けば光るような人材が居るならば、一緒に修行をつけて欲しいのです」
彼女はまじまじとアーサーの顔を見つめた。魔法使いの強さは、魔法使い同士なら見ただけで判断出来るのだが、それはその時点での強さなだけで、才能となると、実はよくわからないのだ。
例えば、リーゼロッテは一生かかってもクロノアに遅れをとるとは思っても居なかったが、10年前の彼は、確実に彼女の上を行っていた……魔王が何かをした可能性もあるかも知れないが、悔しいが彼の実力だと認めておかないと、負けた自分が惨めになる。クロノアの才能を、リーゼロッテは見抜けなかったのだ。
だが、心当たりなら実はある。彼自身も忘れているようだが、リリィはアクロポリスに来たアーサーに会うなり、魔法の才能があると言っていたのだ。魔法使いでも無いのに、魔法の才能があるというのはおかしな話しなのであるが……リリィの特殊能力を考えると、それは無視できるものではなかった。
何しろ、現実に似たような人間に会ったことがあるのだ。魔王・但馬波瑠は自分の聖遺物を手に入れる前と後では、人が違ったようにその才能が激変した。元々、信じられない力の持ち主だったが、その力の使い方を理解した瞬間さらに化け、あっという間にリーゼロッテの能力をも越えてしまったのだ。
残念ながら、アーサーは自分の聖遺物を持って居らず、父ウルフが才能が無かったので、彼自身すでに魔法のことは諦めているようであるが、彼の曽祖父ハンス、祖父ハウル、そして叔母のブリジットは言うまでもなく破格の才能の持ち主だった。
もし、リディア王家の宝剣クラウソラスが、今ここにあったら……
「……あの、剣聖様? 俺なにか、まずいことでも言いましたか」
リーゼロッテが自分の考えに没頭していると、じっと見つめられていたアーサーが恐縮していた。彼は授業料もなしに面倒を見ろと言ったから、彼女が怒ったと思ったらしく、そわそわしながら、いくら出すいくらなら払えると、しどろもどろに言っていた。
リーゼロッテは苦笑しながらそれを否定し、
「いえ、単に誰か居ないか考えていただけです。残念ですが、私には分かりませんが、リリィ様になら心当たりがあるかも知れませんよ」
「リリィ様ですか?」
「はい。元々、聖遺物を作るための世界樹を管理されていたお方です。何か特殊能力があるのかも知れませんね。あとで私から聞いておきましょう」
その後、レムリア行きの準備をするため、一旦別れた二人はそれぞれカンディアに残した仕事を片付けてから船に乗った。
アーサーは大陸軍の統括をリリィにお願いし、その訓練やなんやをブレイズ子爵に。港の整備や宿舎の建設をコルフ臨時政府にお願いした。そしてかねてから懸案事項であった孤児院建設と、子供たちに職をもたせるために産業への投資を行い、それを金勘定の得意な子供に任せた。
出自も定かでない孤児出身者に、大切な金を任せてしまうなんて、普通なら考えられないことで、大陸軍の中から彼に忠告をする者が絶えなかったが、元々領民にするつもりで連れてきたんだから当たり前だろうと、アーサーは周囲の声に耳を貸さなかった。
その大らかなところがアーサーの魅力なのだろう、子供たちは信用されていることを肌で感じると、俄然やる気を出して彼のために尽くした。エリックは自分が残ろうかと考えていたようだが、その姿を見て考えを改め、結局レムリアへ付いてきた。
アーサーは考えなしに行動するくせに、何故か失敗することが少ない。主人公属性とか現代人なら揶揄するところであろうが、これが王の器というやつなのだろう。彼が初めて足を踏み入れた時、ぺんぺん草しか生えていなかったヘラクリオンの地には、今数万人の兵士たちが集い、彼と共に戦うための訓練をしていた。
アーサーはレムリア行きの船の甲板で、そんな領地の姿を感無量と眺めながら風に吹かれていた。
結局、レムリアへ行くのはアーサーとエリックとマイケル。その他、交渉団の役人たち。それからリーゼロッテとアンナ、アトラスの魔法使い組。
そして何故かリリィの推薦で小さなリリィと、ベネディクトの部下フランシスが付いてきたのである。
「……って、どうして貴様がここに居るのだ」
「知るか! 俺が聞きたいくらいだ。俺は単に剣聖様に稽古を付けていただけると聞いて、居てもたっても居られずやってきただけなのに」
才能のあるものを鑑定するため、リリィが魔法使いを呼び寄せた際、本当のことを言うとややこしいので、剣聖が稽古相手を探しているとだけ言って広く候補者を募ったらしい。その中にフランシスが居て、見事リリィのお眼鏡にかかったそうだが……
「ちっ……ヴェリアでベネディクトの尻でも追い回していれば良いものを」
「なんだと貴様! 俺を愚弄する気か。ちょっと偉くなったからっていい気になりやがって、貴様などまだまだベネディクト様の足元にも及ばぬわ」
「俺は別にやつの悪口は言ってないだろうが! ええいっ、何かにつけてベネディクトベネディクトと、貴様ホモなんじゃないのか? 気持ちの悪い奴め」
「あらいやだ。男が男に惚れるなんて戦場では自然なことだわ。悪く言っちゃ可哀想よ」
アトラスが横槍を入れると、アーサーとフランシスがハモるように、
「オカマが言うと冗談に聞こえないんだよ!」
「きぃ~! ゲイに向かってオカマ呼ばわり、許せないわっ! プンプンっ!」
そんな三人の姿を遠巻きに眺めながら、エリックとマイケルは、
「坊っちゃんが同年代の友達と、あんなに楽しそうに……よかったな」
「ああ、坊っちゃん、友達いなかったからなあ……」
などと、失礼なセリフをしみじみとつぶやきながら、船は一路レムリアへ向かった。
因みに、そのレムリアまでは、ヴェリアの誇る最新のディーゼル船でも一週間もかかるそうである。かつては片道一ヶ月以上かかったそうだから、とんでもない技術の進歩であるが……これをもってしてもレムリアの飛行兵器と比べたら、児戯に等しいものに思えてくるから嫌になる。
アーサーは船に乗って2日もすると、船酔いでどうしようもなく気分が悪くなってきて、ずっと船室でぐったりしていた。かつてリディアを偵察に行った時はそんなことなかったのだが、内海と違って外海は波が高く、大きな船でも結構な揺れを感じるのだ。
昔は更に帆船だったからこんなものじゃ無かったと、エリックとマイケルが懐かしそうに言っていたが、話を聞いているだけで胃がムカムカしてきた。帆船は風次第ではずっと船が傾いているから、寝る時はみんなハンモックに乗ったらしい。蒸気船が出てきてお役御免になったそうだが、もしもあるならハンモックに乗りたかった。
アーサーがグロッキーになってしまうと、彼に懐いていた小さなリリィは退屈そうに一人で船内をうろつきまわっていた。皇王に勧められて一緒に連れてきたのだが、魔法使いでも無い彼女を連れてきて、何の意味があるのだろうか? まあ、カンディアに残っていたところで、彼女は幼すぎてやることが無かっただろうから、連れてきてあげて正解だったかも知れないが……リリィは見るものが全て珍しいらしく、甲板をうろうろしては船員たちに可愛がられていた。
そんなこんなで時が過ぎ、5日目の午後を過ぎた頃だった。
島影が見えるという船員たちの声に起こされ、多少気分が良くなってきたアーサーは甲板に出ると、彼らが指差す方を双眼鏡で覗いてみた。
レムリアの玄関口タスマニア島は、緑豊かな大地の中央に、大きな岩山がそびえ立つ、かなり大きな島だった。これだけでもカンディアの数倍大きな島だったが、その背後にはまだ本命の大陸が待ち構えているのだから、レムリアという国がいかに大きいかが窺える。
ため息を吐きながら、アーサーがそんなことを考えていると、よく見れば島の上空に何やら大きな鳥のような影がちらほら見える。それは水平線にアーサーたちの乗る船を見つけると、近寄ってきて船の上空をぐるりと回った。
上空まで来たら流石にそれが何かが分かった。大きな翼を広げた2つ足のプロペラ機、フリジアで大陸軍を助けてくれた水上機である。すると、タスマニア島の上空を飛んでいる影の全てが、これと同じものなのだろうか。レムリアではこのような哨戒機を飛ばして、絶えず海を警戒しているようである。フランシスはそれを見るのが初めてで、顎がずれるんじゃないかと思うくらい、あんぐりと口を開けて真上を凝視していた。
やがて哨戒機が去っていくと、島の方から小型の船舶がやって来て、船の前で止まって手旗信号をごちゃごちゃやっていた。水夫を捕まえて尋ねてみると、あれは水先案内人で、島の近辺は座礁の危険があるから、自分たちの言うことを聞いてくれと言っているようだった。
そのタスマニア島を通り過ぎて更に1日ほど西へ進むと、水平線の向こう側に、どこまでも続く陸地が見えてきた。ようやくレムリア大陸に到達したのだ。近づくに連れてはっきりと見えてきた、見知らぬ稜線にホッとするのは、人間がやはり陸上の生き物であるからだろうか。
進行方向の中央だけがポッカリと穴が空いたように海が続いて見えるのは、首都ニューロードスがタジマ湾と呼ばれる湾内に存在するからだろう。
タジマ湾……言わずと知れた、魔王の名前である。レムリアの人々は、かつて彼の下で働いていた人たちが多くいるはずだ。だから魔王に同情的なのか、それとも、未だに彼のことを尊敬しているのだろうか……そのどちらにしても、その魔王を倒すための兵器を売ってくれと言いに来たアーサーは迷惑な客だろう。気をしっかりと引き締める。
だが、そんなものは次に目に飛び込んできたもののせいで、どこかへ吹っ飛んでしまった。
黄昏時のタジマ湾の中に入ると、間もなくニューロードスの夜景が空を照らしているのが見えた。その上空には、何やら大きな風船のような物が浮かんでおり……自分の目の錯覚でなければ、それは全長数百メートルはあるであろう巨大な風船のように見える。
最初は何かの見間違いでは無いかと思ったのだが、それを一緒に見ていた同行者たちも同じ感想を言っているから、いよいよ覚悟を決めねばならなくなった。あれは本当に、空を飛ぶ巨大な風船なのだ。巨大な飛行船が、チカチカと点滅するサーチライトで海を照らしている。
従者の二人が言うには、リディアにはアドバルーンという広告を飛ばす風船があったそうで、あれはその発展系だろう。一度森を偵察するために気球を作ったそうだが、中に入れる水素が不安定な物質だから、あまり大きなものは作らなかったそうだ。だが、あれを見るとどうやらその危険は克服しているらしい。
海の向こうには、あんなものを作ってしまえる国が存在したのだ。
きっと、エトルリアの技術など眼中に無く、鼻で笑っているに違いない。そのくらいの技術格差がそこにあった。
この中に入っていって魔王と戦う力を貸してくれと言っても、果たして彼らが聞いてくれるものだろうか……これは相当タフな交渉になるぞと、アーサーは顔面蒼白になりながら、その美しい夜景を見ていた。
しかし、その考えは半分は杞憂だった。
それは彼らの船が港に到着するや否や起こった。港に到着した船にタラップが横付けされると、どこからともなくドンドンと太鼓を叩く音と、オーケストラのような優雅な演奏が聞こえてくる。
憂鬱になりながら船内で荷物のチェックをしていたアーサーが、何事か? と準備もそこそこ、大急ぎで甲板へと飛び出すと、彼が欄干から乗り出すように姿を現したところで、港中にから、
「わああああああーーーーっ!!」
っと歓声が上がった。
見れば港を覆い尽くさんばかりの群衆が、アーサー達の船が到着した波止場に集まって、しきりに何かを振っている。上空を優雅に飛んでいた飛行船のサーチライトが、そんな彼らを照らすと、それはかつてのリディア王国旗であった。
ポカーンとして、港の様子を見ていると、彼に遅れて外の様子を見に来た仲間たちが顔を見せる度に、港の人々の歓声が上がった。それはどう見ても彼らを大歓迎しているようにしか思えず……いや、間違いなくそうであると確信すると、アーサーは腰を抜かしそうになって、従者たちに支えられた。
すると、群衆の中央付近でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、一際大きな声で、
「エリックさん!! マイケルさん!! リーゼロッテさん!!」
と叫んでいる男が見えた。その隣にはシドニアで会ったタチアナがにこやかに佇んでおり、彼女はアーサーに気づくと隣の男に耳打ちをし……
すると、男はもう待ちきれないと言った感じに、ダダダっと駆け寄ってきて、タラップの階段を二段抜かしで駆け上がり、呆然と戸惑うアーサーに飛びかかるようにして抱きついた。そして、
「ああ! あなたがアーサー殿下ですね! ようこそ!!! ようこそいらっしゃいました!!!」
男は抱きつきながらアーサーの背中をバンバンと叩いて、むせ返る彼の迷惑も顧みずに涙を流しながらその手をギュッと握ると、
「これは失礼しました! 感極まってつい乱暴を……お許し下さい、殿下」
そう言って男は片膝をつくと、戸惑うアーサーに向かって恭しくお辞儀をするのであった。
「申し遅れましたが、わたくしの名前はフレデリック・ロス、このレムリアで大統領をやらせていただいております。殿下の忠実な下僕でございます」
そんなフレデリックの背中をよく見れば、アーサーと同じ形のマントがかけられていた。それはアナトリア帝国の貴族を示すもので、その肩には男爵の略綬が付けられている。アーサーの下僕というのは誇張ではなく、彼は本当に帝国貴族だったのだ。
恭しく頭を下げるその男を見ながら、アーサーは感嘆のため息を吐いた。確かにレムリアは元々帝国の植民地である。だがそれも遠い昔の話であり、今となっては遠い国の出来事でさえある。それなのに、こうして自分なんかに忠節を尽くそうとする男が、遥か彼方に存在するとは……
アナトリア帝国とは本当に巨大な帝国だったのだなと、彼は自分の血筋の凄さを改めて認識し、気が引き締まる思いだった。