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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第二章
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まっこと脳というものは……

文章だけで説明するのも限界があると思ったので、2章からはところどころ画像を使ってます。表示していただいた方がより楽しんでいただけると思いますので、よろしくお願いします。


 盲点の見つけ方をご存知であろうか。


 まずはこちらの画像をご覧頂きたい。


挿絵(By みてみん)


 さて、いま画像内に●印と×印、2つの記号が描かれている。


 1.これらの記号を自分の目の高さに合わせて(・・・・・・・・・)、じっと☓印だけを見つめて欲しい。


 2.次に、そのままの状態で右の目蓋を閉じて、左目だけで×印(・・・・・・・・)を見つめて欲しい。


 3.最後に、左目で×印を見つめたまま、出来るだけ目の高さを変えないように、ゆっくりと顔、もしくは画面を前後に動かして欲しい。画面と顔の距離を近づけたり遠ざけたりする動きだ。


 上記三手順を実行すると、恐らくある時点で、唐突に●印が見えなくなる距離が見つかるだろう。もっと近づいてみたり、逆に遠ざかれば●印は見えるのだが、特定の距離だけで見えなくなるところがあるはずだ。


 逆に、左目を閉じて、右目で●印を見ることでも、同様の点を見つけることが出来る。この場合は×印が消えるはずである。画面が小さすぎると見つけづらいかも知れないが、ちゃんと見つかるはずなので頑張って欲しい。もしもまだ見つからないという人は、生物学的にやばいので諦めず頑張って見つけよう。


 これが盲点である。


 ところで、我々は普段、どのようにして物を見ているのだろうか?


 眼球には白目と黒目があり、黒目の中には角膜、瞳孔、虹彩、水晶体があり、これらは丁度メガネのレンズのような役割を担っている。外からやってきた光はそのレンズを通り、硝子体(しょうしたい)(無色透明なゼリー状の組織)を通って眼球の裏側に張り付くようにしてある網膜へと送られる。


 網膜とはいわゆる映画のスクリーンのような役割の組織で、黒目から入ってきた光はそこに投影されて像を結ぶ。そして網膜に映しだされた光学情報が視神経に伝達され、視神経を通って脳に伝わり、途中、視床という場所を通って第一視覚野に届いて、ここまで来てようやく我々は物を『見た』と認識するのだ。


 さて、この視神経であるが、これは眼球の中に伸びた毛細血管の束と共に、ある一点で網膜を突っ切って脳へと伸びているのだ。とすると、丁度この毛細血管と視神経が通る部分だけ、網膜が形成出来ないのがお分かりいただけるだろうか。


 網膜が無いということは、そこだけスクリーンに穴が開いているのと同義であるから、つまりここが盲点になるというわけだ。


挿絵(By みてみん)


 驚かれるかも知れないが、実は我々の視界には常に穴が開いている。我々は世界を正確には見れていないのである。


 こんなに滑らかな視界なのに、実は見えてない部分があるのは信じがたい。目は2つあるから、片方がもう片方の盲点を補っているのだろうか?


 しかし例えば片目をつぶって周りをグルグルと見渡したとしても、見えていない部分が絶対にあるはずなのに、それに気づくことは全く出来ないだろう。


 これは一体どうしてなのだろうか。その理由を説明するためには、また別の話をしなくてはならない。


 錯視(さくし)という言葉をご存知だろうか。錯覚と言った方が良いだろうか。


挿絵(By みてみん)


 こんな感じの同じ長さの二本の線の両端に矢羽をつけたら、ちゃんと定規などを当てたら同じ長さなのに、全く違うように見えたり(ミュラー・リヤー錯視)、下の画像のように本来なら無いはずの三角形が見えたりするのが有名だ。


挿絵(By みてみん)


 この三角形はカニッツァの三角形という錯視画像であるが、恐らくこれを見た人は、中央に薄っすらと、描かれていないはずの白い逆三角形が見えているはずだ。もしかしたらまるで三次元の奥行きがあるかのように、浮かんで見えているかもしれない。


 物理的にそこに三角形は無いというのは明白なのだが、ところが三角形が見えてしまう。画像に書かれてるのはパックマンみたいな幾何学的な模様だけであり、中央にあるのはただの空白のはずなのに、人間が脳内で勝手に白い三角形を作り出してしまうのだ。


 このように、人間は周囲の環境から、無いものを有るものとして補完してしまう性質があるのだ。これを盲点に置き換えてみれば、人間は盲点で見えてない部分を、周りの状況から補って、あたかも見えているかのように常に錯覚しているということが分かるだろう。


 我々は視界の見えない部分を、勝手に想像して勝手に補っているのである。なんたるアバウトな……と思うかも知れないが、これが事実なのである。


 しかし、それは当然なのかも知れない。何しろ、我々が外から仕入れられる情報量は非常に少ない。例えば、目という器官は片目につき100万本の神経細胞を持っていて、それが脳に繋がっているのであるが、一口に100万本と言われても、これがどれほどのものか想像つくだろうか?


 両目で200万本の神経細胞で光情報を処理していると言うと、非常に高性能な気にもなるが、デジカメのように200万画素と言い換えたらどうだろうか? これは初期のデジカメとしては凄かったかも知れないが、今となってはかなり荒く、恐らく今ではどんなカメラでも最低解像度の部類になってしまっているはずだ。


 人間の目は穴の空いた200万画素のカメラと言われたら、不安になるかも知れない。しかし事実であるし、これでもまだ不十分なのだ。さらに言ってしまえば、人間は世界を立体的、三次元的に見てはいないのだ。


 そもそも、外部の景色を写し取るという『網膜』とは、眼球の裏側にある平たい組織であるのだから、人間は外部の光学情報を2次元的にしか捉えられないはずなのだ。だが、それを意識したことなど恐らく誰にもないだろう。何故なのだろうか。


 例えば、立体視と言う言葉がある。3D映画などでお馴染みだ。人間の目は2つあり、左右の目と物体との距離、いわゆる視差の違いから物を立体として認識していると言われている。そこで左右の目に、別々の画像を見せることで、あたかもそれが立体的に存在しているように見せることが出来、それを立体視と言うわけだが……ところで、それじゃあ片目が見えない人は世界を二次元的にしか捉えられないのだろうか?


 片目が見えないという人は、世の中にごまんと居るはずだが、そんなことは聞いたことがない。遠くから走ってくる車と、隣に居る自転車が、同じ距離にあるように見える、などと訴える人は居ない。


 実際、自分自身で片目をつぶって確かめてみれば分かる通り、別に片方の目が見えなくなったところで、空間の奥行きがわからなくなったり、世界が急に二次元に見えてきたりはしない。人間は元々、視覚以外の感覚も使って空間を認識し、物の大小や陰影から遠近感を察知して、立体として捉えているわけである。3D映画などの、視差を利用した立体視はその一つの手段にすぎないのだ。


 さて、これまで述べてきた通り、人間は思いの外、アバウトな映像しか視界に捉えていない。穴の空いた網膜というスクリーンに映し出された、200万画素(片目につきたったの100万画素)の不鮮明な2次元映像を、脳内で滑らかな3次元映像に変換しているのだ。


 少ない情報から世界を瑞々しく映し出すように補うことが出来る。これが全部脳の中で起きている出来事なのだから、まっこと脳というものは凄まじいものである……まあ、これで終われば話は簡単なのであるが……


 話は変わって、今度はこの視界から入った情報が、脳でどのように処理されているかを考えてみよう。この神経細胞の行き先は、過去の研究から既に殆ど判明している。先に少し述べたとおり、両目の視神経から入ってきた情報は、まず脳内の視床(ししょう)と言う場所に送られ、そこから後頭葉の大脳皮質にある第一視覚野へと送られる。


 そしてこの第一視覚野に入ってきた情報は、2つに分岐されて脳内で処理される。一つは頭頂葉へ向かい、今見ているものはどんな物(HOW)だったかと判断処理し、もう片方は側頭葉へと送られ、今自分は何(What)を見ているのだろうかと判断処理する。こうやって人間は自分の視界情報を処理しているのだが……


 ところで、この視床から第一視覚野へ向かう神経を、強引に手術で別の場所につなぎ変えてしまったら、一体どうなるだろうか?


 実は、実際にそういったつなぎ変え実験をした記録がある。もちろん、人間ではなくてマウスの話であるが。この場合、生まれたばかりのマウスの視神経を、聴覚野へと繋いでしまったそうなのだ。


 で、結論から言えば特に問題は起きなかった。


 普通なら全盲になりそうに思えるのだが、結果は脳神経をつなぎ変えたマウスも、普通に『見る』ことが出来たのだそうだ。他のマウスより視力は落ちているようだったが、普通に『見て』判断することが出来る。見た目にも特におかしなところは無く、何の変哲もないマウスに育ったのだそうだ。つまり、そのマウスは聴覚野で物を『見て』いるわけだ。


 さて、この実験が何を意味するかと言えば、脳は意外と柔軟性があって、必ずしも脳内の決まった場所でしか情報を処理できない、と言うわけではないということだ。耳を聴覚野ではなく視覚野に、目を視覚野ではなく聴覚野に繋いだとしても、案外なんとかなってしまうわけである。


 また、こういう実験もある。生まれつき指がくっついてしまっていて、4本しかなかった人の指を、手術で分離して5本に治してみた。すると、それまで指を動かすと反応する脳細胞は4箇所しかなかったその人に、術後1週間もしないうちに5つ目の反応が生じはじめたらしい。


 これが何を意味するかといえば、使われない機能は無いものとして脳は認識しており、使われて始めて脳が発達していったというわけである。


 これらを踏まえると、脳と感覚器を含めた体の部位は、主従で言えば体の各部位の方が主であって、従である脳は受け取った情報から、脳細胞を柔軟に変化させていたと言うことが分かる。この世に誕生してきた生命体が体を動かし、こういう動きをする部位が繋がってますよ、という神経伝達があって初めて脳にその機能が生まれたわけである。


 よく脳の模型を用いて、脳のどの部分が体のどの部位を動かしていると説明されるが、必ずしもそうとは限らないわけである。腕や足などの四肢、目や耳などの感覚器から繋がった神経が、脳のどこへ繋がるかによって、後から脳細胞が発達したわけだ。もしもこの神経接続をぐちゃぐちゃに変えてしまえば、脳地図はまるで別物になるはずなのだ。


 さて、また話は変わるが、俗に人間の脳は3割くらいしか使用されていないという言葉がある。


 実はこの本当の理由は、脳に繋がっている神経細胞が3割で足りる……つまり体にある指や腕などの部位や、目や耳の感覚器などを全て動かすのに、3割で十分足りてしまうから、残りの7割が使われていないと言うのが実際なのだ。だから現状の人間の体が、これ以上進化しないかぎりは、この7割はこれから先もずっと眠り続けたままであろう。宇宙空間に適応しようとして、ガンダムに出てくるニュータイプみたいな人間が生まれることも、人間の体が変化しない限りは恐らくないだろう。


 が、逆にもしも、これから先人間が進化して、腕が3本になったり、目が4つになったりしたら、脳の眠ってる場所が使われるようになるはずだ。そうしたらニュータイプのような人間が、いずれ誕生するかも知れない。


 なら、いっそ義肢や複眼を作って、無理矢理脳みそにくっつけてみたらどうだろうか。実際に現在では、義肢と神経を接続して、それを機械的に動かす技術は実現しているし、既に利用されてもいる。


 もしくは、そんな物理的な部位を加えるのではなく、新しい感覚、第六感みたいなものを検出する器官を取り付けるのはどうだろうか。例えば脳波を検出して、それだけで機械を動かしたり、逆に機械的に脳に干渉し、脳波をコントロールすることによって、擬似的な体験をさせたりすることは、出来ないだろうか?


 そして、テレパシーやESP、透視だのなんだのを現実のものとして実現出来るのではないだろうかと……こんなことを大真面目に研究している奴らが居たのである。

 

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