表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第九章
337/398

宣戦布告

 アクロポリスの議会で皇王リリィがエルフとの戦いを声高に唱えると、エトルリア皇国では魔王打倒の機運が高まっていった。それは彼女が象徴とは言え、千年王国を統べる王であったこともさることながら、世界で唯一と言っていい宗教、エトルリア聖教の教主であったことも大きかっただろう。


 キリスト教の教義を模したその宗教は、ヒール魔法という奇跡の力を背景に信者を獲得し、その影響力は絶大な物があった。ところがその神の贈物とされる奇跡の力が、近年、魔王の台頭のせいで使えなくなってしまったのだ。人類救済を説いて聖教を束ねている聖職者達も忸怩たるものがあっただろう。


 折しも巷では、太陽活動の低下による食糧不足や、それによる栄養失調に起因した疫病が発生しており、神の救済を求める信者は減るどころか年々増える一方だった。追い詰められた人々は神に縋る。その神の代弁者であるリリィが、魔王と戦おう! と言ったのだから、人々の心の中に燻っていた火種が一気に燃え上がるには、さほどの時間も掛からなかった。


 その機運が高まっていく中、ビテュニアでアーサーが方伯の援助を受けて挙兵すると、各地からリリィの言葉に触発された者たちが、彼の軍隊に参加したいと続々と集まってきた。更に、アクロポリスからリリィ本人が剣聖を伴い合流すると、アスタクスのみならず、シルミウムやロンバルディアからも、領地持ち貴族や聖教信者が彼女のもとへと馳せ参じた。


 こうしてアーサーの下に集った兵士の数はあっという間に数万を超え、居並ぶ兵士の勇姿たるや、壮観の一言に尽きた。


 思えば、無人の荒野と化したヘラクリオンの大地に降り立った時、アーサーは何一つ持っていなかった。金さえあればなんとかなると高をくくり、それを否定されて涙目になって、前線で死にかけたりと紆余曲折はあったが、ついにここまでたどり着いたのだ。感無量である。


 しかし……


 総兵力がどんどん増えれば増えるほど、彼は喜ぶよりも、寧ろ焦りのような物を感じるようになっていった。


 なんでもそうだが、組織が大きくなればなるほど、その指揮系統は複雑になる。例えば、フリジア戦線は何百キロにも及ぶ塹壕の全てが戦場であり、その全てを一つの指揮系統でまとめることが出来ないのは明白である。部隊一つ一つが独自に判断し、長い年月をかけて作られた横の繋がりがあって初めて機能しているのだ。


 ところが、アーサーの軍隊は出来たばかりで、指揮系統が定かではない。指揮官も少ない。場合によっては、アーサーが最高司令官であることを認めていない者たちだっていたのだ。特に、リリィを教主と仰ぐ聖教信者にそれは顕著だった。当然、領主たちはそれぞれ自分がイニシアチブを取ろうと躍起になるし、アスタクス人とロンバルディア人、シルミウム人は仲が悪く、末端の兵士たちは些細な事ですぐ喧嘩をした。


 これを、どうまとめていけばいいのだろうか……?


 武器・戦術・兵站。集まった兵士たちはそれぞれ自前の武器を持っていたが、殆どが旧式のライフルであり、ひどい場合はマスケット銃や、場合によっては鍬や斧で武装している農民までいた。仮にこれを全て最新式のライフルに変えたところでエルフを止めることは出来ても、撃退することは難しいだろう。


 そしてアーサーも人のことは言えないが、こうして集まった兵士たちは今の戦争を知らず、前線の塹壕戦を見て、イメージと違うとショックを受ける者があとを絶たなかった。これを一人前の兵士にするのに、どのくらいの時間が必要なのだろうか……


 更に、これらの軍隊でリディアに渡ったとして、そこで何日くらい持ちこたえることが出来るかという問題もあった。戦力的な問題ではなく、食料の問題である。人間は何も食べずには生きていけないのだ。


 まだ出来上がったばかりの自分の軍隊を眺めながら、アーサーはこれからのことに不安を感じていた。


 そして案の定というべきか、この軍隊のあり方について、疑問を呈する者が出はじめた。


 アーサーはビテュニアで軍を旗揚げした後、集まった歴戦の諸将から意見を聞くために、何度となく会議を行った。諸将達は初めこそアスタクス方伯の名前に遠慮して、アーサーに意見をすることを控えていたようだが、時間が経つにつれて相手がまだ若いこともあってか、次第に自分たちの意見を口にするようになっていった。特に古参のブレイズ子爵は父譲りの実直な男で、はっきりと目標を変えるべきだと口にした。


「カンディア公爵にあらせられましては、ご機嫌麗しく。我が父と二代に渡って公爵の軍に加わる栄誉を賜り、恐悦至極と存じております。さて此度の戦でありますが、こうして各地より集まった諸将が一堂に会し、その軍勢の勢いたるや川を止め、流れを逆するほどでございますが、これをもってしてもリディアに到達するのは難しいと思われます。然るに、これの目的を改め、まずはエトルリア大陸の安全を確保してはいかがでしょうか」

「それはつまり、リディア奪還は諦めて、フリジア戦線をさっさと片付けようということであろうか」

「いかにも。せっかくこれだけの軍勢が集まったのです。海を渡り、上手くいくか分からぬ博打を打つのではなく、目の前の脅威から片付けたほうがよろしいでしょう。まずは足元の脅威を排除し、然る後にリディア奪還を目指せばいいのでは?」


 尤もな意見である。アーサーだって出来るならそうしたところだが……彼はその意見には反対だった。アーサーがその旨を伝えると、


「何故ですか? リディアは公爵の故郷、そこを奪還するために兵を挙げたということはわかってます。ですが、私はいきなりは無理だと思いますよ」

「俺もそう思う。だが、子爵の意見を受け入れても、最終的には今と同じ状況になるのが落ちなのだよ」

「と、いいますと?」

「フリジア戦線を片付けて、エトルリア大陸からエルフを追い出すことに成功したとするだろう? そうしたら今度は、アドリア海から渡ってくるエルフを食い止めるための水際作戦が始まるだけなのだ。前線は少しは短くなるが、殆ど変わらない。結局、今度はティレニア半島からエルフを駆逐しなきゃって話になって、それが終わったらフラクタル、ガッリアの森……そんなことが出来るなら、始めからリディアを急襲した方がマシであろう。そしてそれは現状不可能だ」


 会議に参加していた諸将たちがどよめいた。


「公爵は不可能なことをやろうとおっしゃるのか」

「もとよりそのつもりだ。そのための志を持った兵士を集めるつもりだったのだが……気が付けば軍隊は膨れ上がって、烏合の衆となりかけている。貴様らに勇気がないとか言いたいわけではない。ただ、認識を改めてほしいのだ」

「公爵が戦えとおっしゃるのであれば、私は戦います。しかし何故そこまでリディアに拘るんですか」

「リディアではなくて、魔王討伐だ。みんな忘れてるかも知れないが、エルフを操ってるのは、魔王なんだぞ? そして太陽がオレンジ色になってしまったのも、奴のせいだ……こいつをどうにかしなければ、俺達に未来はないではないか」


 再度、諸将たちがどよめく。彼らは隣り合わせた者たちと互いに目配せしあっていた。それはどことなく嘲笑を含んだものであり、まるで目の前にいる子供が夢物語でも言ってるようだと言わんばかりだった。


 案の定、歯に衣着せぬブレイズ子爵が周囲の不謹慎な空気に咳払いをしてから、眉根を寄せつつ率直に言った。


「公爵は、そのような絵空事を信じてらっしゃるのですか?」

「……本当であった場合のリスクは考慮せざるを得ない。信じないのは勝手だが、あてが外れた時にはもう誰も責められないのだぞ」

「エルフを操るというのはまだしも……太陽をどうこうしたりなんて、出来るわけないじゃないですか。魔王は単に太陽がこうなったのを利用して、あれをやったのは自分だと喧伝することで、自分を大きく見せているだけです。そうに決まってる」

「しかし、太陽を取り戻さないと、俺達に未来がないと言うのは事実だ。魔王が自分がやったというのであれば、何かがあるはずなんだ。それを確かめねばならん」


 サリエラは、かつてティレニアには太陽を制御する装置があったとか何とか……そんなことを言っていた。アーサーも初めは信じられなかったが、現状からそれは事実と考えるしか無い。何しろ、本当に空の太陽はおかしくなっているのだから。


 だがブレイズ子爵の言うように、太陽の制御装置と魔王は関係がなくて、彼が今の状況を利用しているということも理解できた。実際、本当にこの2つに関係があるのかは、アーサーにも判断がつきかねているのだ。


 確か10数年前、魔王は人類に破壊と混沌をもたらすと言ったはずだが……太陽をどうこう出来るのであれば、とっくに目的を達していると言えるのではないか。


 太陽がああなった今、作物が育つのはマナを利用するしかないのだが、このマナにしたって太陽が元通りにならない限りはいずれ尽きてしまう。


 ティレニアはそうならないように、巫女を使って儀式をしたが失敗した。そして、その儀式をするための世界樹は、サリエラに言わせれば魔王によって破壊されてしまったらしい。これを聞いただけでも、人類滅亡待ったなしである。


 寧ろ、何故エルフをけしかけて人類を痛めつけるのか、その理由が聞きたいくらいだ。放っておけば、人類はいずれ近いうちに滅亡するのに……いや、その時はエルフも、地上のあらゆる生命が滅亡してしまうだろうが……


 もしかして、魔王は人類だけを滅ぼしたいと考えているのだろうか。その可能性は考えられる。そしてその可能性を考えた時、彼が太陽を自在に操る方法が無くては話にならない。だから、本当にそんなものがあるのかどうか、サリエラが言っていたように、魔王のところへ行って聞いてみるか、彼を倒して確かめてみなければならないのだ。


 彼の元へ唯一たどり着いた人類……剣聖が言うには、魔王は居城にしているインペリアルタワーに何か機械類を運び込んでいたそうだが……もしかしてそれが太陽の制御装置かなにかなのではないか。


 ともあれ、そんなことを考えつつ、アーサーはエトルリア大陸からエルフを撃退することではなく、リディア奪還を主張しているのだが……有効な作戦も兵器もない現状では、到底、諸将との溝は埋まらず、話し合いは平行線を辿っていた。

 

********************************

 

 ところが、リディア奪還を主張するアーサーへの援護は、思いもかけないところからやって来た。しかも、それは考えられる限り最悪の形で、である。


 アーサーが組織する軍隊……それは皇王リリィをも擁したことから、やがて大陸軍と呼ばれるようになったのであるが……実戦経験の無い新兵だらけのその軍隊で、エルフと戦うにしろ、リディアに渡るにしろ、訓練をしなければ話にならないので、各地の前線に新兵を送り込み、実地で訓練している時だった。


 この頃は、最高司令官であるアーサーと諸将の意見が一致せず、軍隊としての目標がはっきりしていなかったせいか、規律が緩んで新兵の脱走が相次いでいた。職業軍人で構成された正規軍ならともかく、殆どの兵士は領主が連れてきただけの、ただの農民だったから、その領主と司令官が揉めているのでは不安にならずには居られなかったのだろう。


 最前線を維持するフリジア子爵は危機感を覚えたらしく、大陸軍に協力はするが、生死に関わるからこの緩さをなんとかしてくれと再三要請され、アーサーも自分の意見を曲げるべきかと考えざるを得なくなった。


 そんなある日のこと、それは唐突にやって来た。


 今日も今日とて、諸将との妥協点を探るために、軍議へ赴いていた最中であった。アーサーは従者のエリックと、最近帰ってきたばかりのマイケルを連れて、最前線にほど近いティーバ砦の回廊を歩いていた。


 マイケルはロンバルディアで知人のザビエル大司教から、カンディアに孤児院を建てるための援助を取り付けてきたのであるが、丁度同じ頃ヘラクリオンの軍港や大陸軍の基地を作るためにガンガン工事が入っていたから、その辺の調整をエリックに任せようと、アーサーはあるきながら指示を飛ばしていた。


 すると突然、まだ昼間だと言うのに回廊がやけに暗くなった。


 何事か? と、アーサーは近くの窓から空の様子を窺ってみたのだが……空を見上げてみると、外はまるで夜みたいに暗くなっていた。元々、一日中夕方みたいな世界であるが、昼間は雲が掛かっていてもここまで暗くはならない。もしかして日食でも起きたのかと、キョロキョロ太陽を探していたら……


「う、う……うわあああああああ~~~~~!!!!!」


 窓から身を乗り出すようにして上空を見ていたアーサーの背中に、ドンッと誰かがぶつかってきた。そのまま地面まで落っこちそうになった彼は、冷や汗をかきながら背後を振り返り、


「おい、こら! 今、一瞬死にかけたぞ!」

「せ、せせ、せんせんせん……」


 抗議の声をあげようとしたが、見れば従者の二人は地面に腰を抜かしてへたり込んでおり、その顔は恐怖で真っ青になっていた。アーサーはギョッとして彼らの視線の先を辿ってみたら……


 彼らの視線の先、廊下の先のほうで何か白い人影が浮かんでいるのが見えた。それはこの暗い廊下の中でやけに目立ち、ともすると薄ぼんやりと光っているようにさえ見えた。いや、実際に光っていたのだろう。周囲の壁まで白く照らすそれは、ゆらゆらと揺れながら宙を漂っていて、よく見れば足がついていなかった。


 まるで幽霊みたいな人影に、アーサーは唖然として一瞬気を取られていたが、ハッとして我に返ると、腰に挿していたサーベルを抜き放った。


「貴様、何者だ!!」


 アーサーの問いかけ答えたのは、しかし影ではなく、床に転がっていた従者の二人であった。エリックとマイケルは叫んだ。


「せ、先生!」

「先生?」


 首をひねるアーサー。だが、もはや主人など眼中に無いと言った感じに、二人は影を凝視しながら、


「魔……魔王……魔王です。魔王・但馬波瑠ですっ!!」

「……魔王だって!?」


 その言葉に、アーサーまで腰を抜かしそうになった。ゆらゆらと揺れる影は、まるで氷のような冷たい目つきで、じっと彼のことを見つめている。それは値踏みするような不躾な視線だったが、怒りを覚えるというよりも、ただただどうしようもない圧迫感を覚えた。多分、蛇に睨まれた蛙とは、こんな気持ちなんじゃなかろうか……


 しかし、気圧されている場合ではない。アーサーは丹田に力を込めて気合を入れると、構えていたサーベルを魔王に向けて突き出し、


「貴様……魔王であるか!? 何故ここに居るっ!!」


 その切っ先を魔王に突き立てようと、一歩、二歩とアーサーは廊下を突き進み……そしてそれが無意味だと気づいた。


 ゆらゆらと中に浮かんで揺れている魔王は、よく見ると足が無いだけではなく、体が透けて見えるようだった。もしかして実体が無いのでは? と思い、恐る恐る、剣の切っ先でつついてみると、それは何の手応えもなくスーッと魔王の体の中に吸い込まれ、やがて通り過ぎて向こう側の壁に当たった。


 明らかにこれには実体がない、光の錯覚のようなものだ。すると、これが十数年前に現れたという、魔王のホログラフだろうか。アーサーが戸惑いながら魔王の顔をマジマジと見つめていると、すると突然、その魔王の瞳がスッと動いたかと思うと、アーサーのことをじっと見つめ返し……


『おまえが……アーサー・ゲーリック。カンディア公爵か』


 どきりとして、アーサーは声を失った。このホログラフは触ることは出来ないが、あっちからはこっちの様子が見えるらしい。そんなデタラメな魔法に戸惑っていると、魔王は彼を見つめながら、独りごちるようにつぶやいた。


『もはや、このまま放っておけば自滅すると思ったが……これが新たな人類の希望の光か……ならば、よい。私は何度でも、貴様らの心を折って、折って、完膚なきまで絶望の底に叩き落とすまで……』


 そして魔王は突然、フワッと上空数メートルまで浮かび上がると、その両手を広げて声高に叫んだ。


『愚かな人間どもよっ!!』


 この時、ホログラフは十数年前と同じように、同日、同時間、世界中のあらゆる人々の前に現れて宣言した。アーサーはその時思いもよらなかったが、同じことをみんなが聞いていたのである。


 アスタクス方伯はそれを突然暗くなった温室の中で聞いた。彼の瞳が魔王の姿を捉えた瞬間、彼は手にしていたティーカップを床に叩きつけた。


「来たか、勇者よ。儂も老いた、これが最後となろうか……思い返せば貴様との勝負は、常に10に1つ勝てるかどうかだった。だが最後は儂が勝たせてもらうぞ。我が希望と貴様の絶望。どちらが強いか確かめてみよ」


 サリエラは執務室に現れた魔王を見つけると、ただ恐縮し、頭を垂れて涙を流した。


「ああ……大御所様。何卒そのお慈悲を我ら人類に与え給え。この世界は貴方に害を及ぼしましたが、全ての人に罪があるわけではありません。アナスタシアを愛したあなたならば、それがお分かりのはずなのに……」


 ティーバ砦の中、アーサーとは別の場所で、リリィはブルブルと震えるリーゼロッテを抱きしめていた。


「可哀想に。リズよ、そう怯えるでない……目には見えぬがこの雰囲気は、かつてリディアで出会うたひょうきん者のそれと同じ。余は信じておるぞ、勇者は変わっておらぬのじゃ。きっと、何か事情があるのじゃろうて……」


 アンナは人目を避けた木陰で、歯を食いしばり、じっと宙に浮かぶその男の姿を睨みつけた。


「魔王……これがお母さんの(かたき)……そして、私の……」彼女は思いを断ち切るように頭を振るうと、「敵だ!」


 それぞれの思いを受け止めつつ、真っ白く光り輝く魔王は人類を睥睨し、そして宣言した。それは耳をふさいでも聞こえてくる、頭の中に直接話しかけられたような、とても不思議な声だった。


『聞け、愚かなる人間どもよ。私は今日、貴様らに宣言しよう。この世界をエルフの元に取り戻すため、人類を滅ぼすことを。


 本来、この世界を統べるのは貴様らではなく、エルフの方だったのだ。貴様らは聖遺物という神の奇跡に縋り、この私が生み出した兵器を使い強くなった気でいるが、本来なら自然淘汰されるべき矮小な存在であったはずだ。


 今にして思えば後悔しか無いが、かつて私はエルフと戦うための力を貴様ら人類へ授けた。だが傲慢な人類は私への感謝を忘れ、それを当然のものと受け入れ、エルフよりも強いと勘違いし、私利私欲に溺れて努力することを怠った。間近にエルフの脅威が迫っていたにも関わらず、何もせず、不平不満だけをこぼし、あまつさえ他人から奪うことしかしなかった。


 人類が人類の足を引っ張っていたのだ。


 それに比べて、エルフは人間の何十倍も魔力に恵まれこの世に君臨するだけの力を持ちながらも、人間以外のどんな生物に対しても危害を与えず、森のなかでひっそりと暮らしていたではないか。人間のように森を焼き、海を汚し、空を曇らせ、ただ増えるためだけに他の動物を殺したりはしない。どちらが生き残るべきかは明白だろう。


 始祖、聖女リリィはその慈愛に満ちた性格ゆえに、虚弱な人類に肩入れしたが、それは間違いだったのだ。このような愚かな生物が、この地上に蔓延り、支配者面をしていて良いものか。エルフの神秘である魔法を、ただ便利だからと好き勝手使わせていて良いものだろうか。断じて否、そんなことは許されないだろう。


 ならば間違いは正さねばならない。私は人類を滅ぼすことにした。


 私はこの世界を再構築するために、太陽を隠しマナをコントロールする力を手に入れた。私はこの力で儀式を行い、人類がもう二度とエルフに抵抗出来ないよう、あらゆる人間から魔力を奪おう。貴様らに残されているのは、死あるのみ。


 それでも抵抗するというのであれば面白い、人類が生き残るべきか、エルフが生き残るべきか、雌雄を決しようじゃないか。我が配下は間もなく海を渡り、貴様らの抵抗を奪い、苦痛と恐怖を植え付けるだろう。その肉を喰らい大地を血で染め、陸上全ての人類を殺し尽くすであろう。そして足掻くがよい、愚かなる人類どもよ。その絶望が、私の力になるのだ』


 魔王の声は、世界中の人々の脳に届いた。一体どうやっているのかさっぱりわからなかったが、その異常な現象に恐れをなした人々は魔王の力を再確認するとともに、彼の言葉の意味を噛み締めざるを得なかった。


 こんな摩訶不思議なことを出来る者が嘘を言ってどうなる。魔王は本当に人類を滅亡させるために、エルフを操っているのだ。そして太陽を制御しているのだ。


 アーサーは震える膝を叩いて奥歯を噛み締めながら、目の前で超然と佇む魔王に向かって必死に叫んだ。


「待て、魔王! 貴様が本当にエルフを使って人類を侵略するつもりなら、何故今までそうしなかった! しなかったのではなく、出来なかったのではないか? そんな中途半端なものに俺は負けんぞ!」


 しかし、魔王はそんな彼の問いかけなど聞こえていないのか……虫けらでも見るような視線で彼のことを見下すと、そのままスーッと消えてしまった。


 薄暗い回廊に沈黙だけが残された。アーサーはたった今まで魔王が居た場所に向けてブンブンと剣を振ると、まるで手応えがないことを確認してから剣を収め、忌々しそうに舌打ちをしてから、未だ腰を抜かしている従者の方へ振り返った。


「おい、いつまで寝っ転がってるんだ。驚く気持ちは分かるが、そんなんじゃ従者失格だぞ」

「す、すみません、坊っちゃん……」


 エリックとマイケルは目を瞬かせ、ブルブル震えながらも、どうにかこうにか立ち上がった。アーサーはそんな二人を見ながら、


「宣戦布告……と見て良いんだろうか。こちらの動きを察知されたんだろうな、まあ、こんなの隠しようもないからな……」

「一体、何が起こるんでしょうか」

「普通に考えれば、今からエルフを率いて攻めてくるってことだろうが……本当に来るんだろうか。一体どこから……?」

「森からなのは間違いないでしょうが……人がより集まってる場所、フリジアか、それともここティーバでしょうか」

「前線の薄いところを狙って、ガラデア平原に出てくるつもりかも知れない。警戒を怠らないように伝えねば」

「そう言えば、太陽を制御する力を得たとか、まさに坊っちゃんが気にしていたそんなことを言ってましたね」


 マイケルが眉根を寄せながら、そんなことを口走った時だった。さっきから薄暗かった回廊に、パッと灯りが点ったような気がして、三人はキョロキョロと辺りを見回した。


 すると、それは室内ではなく、窓から差してくる光が原因のようで、慌てて外を覗き込んでみたら……さっきまで夜みたいに真っ暗だった外の景色が、嘘みたいに一変して、いつも通りの薄暮の空に戻っていた。


 どうやら、あのセリフは誇張でもなんでもないらしい。魔王は本当に太陽を制御する力を持っているのだ。すると、エルフを操る力もということになるが……


 ジリリリリン……ジリリリリリリンッ……!!


 と……突然、窓から外を眺めるアーサー達の耳に、ジリリリン……っと、電話のベルの音が聞こえてきた。


 最初は小さく、どこか遠くで鳴ってるだけだったが、やがて次から次へと別の方角からも聞こえてきて、それはどんどん大きくなり、気が付けばまるでセミの大合唱のように、建物が揺れるくらいけたたましい音で鳴り響くようになっていた。


 驚いたアーサーは耳を塞ぎながら何が起きたか確認しようと、音のする方へと足を向けた。すると今まさに向かおうとしていた廊下の角から、伝令の兵士が駆けてきて、


「公爵様! 大変です、公爵様!」

「見れば分かる。何があった?」

「たった今、フリジア防衛線の全域にエルフが現れて、前線を守る全ての部隊と交戦が始まりました!」


 伝令は正確に伝えろと怒鳴れるなら気も楽なのだが……


 アーサーは恐る恐る尋ねた。


「……全域って、全域か?」

「はい!」

「……フリジアからアドリア海に至るまで、数百キロにも及ぶフリジア防衛線の、その全てで交戦が始まったって?」

「そうです! ですから公爵様も早く、軍議にご参加ください!!」

「そんな馬鹿な……」


 唖然とするアーサーは、しかし、けたたましい電話のベルに混じって、ずっと遠いどこかから、爆発音のような音が聞こえてくるのを感じた。彼が慌てて窓の外を眺めると、前線のあるずっとずーっと遠くの雲が、雷雨でも起きているかのようにピカピカと光っているのが見えた。


 その現象は前線に沿うように、どこまでもどこまでも続いており、もはやその終端が見えなかった。地平線の向こう側までビカビカと光るそのある意味美しい光景を、アーサーは呆然と見つめる以外、何も出来なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。よろしければ是非!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ