リリィ演説
世界樹の中でリリィとアンナが話をしたその晩、リーゼロッテは宮殿に呼ばれて夜遅くリリィの部屋を訪ねていった。以前は宮殿の侍女兼衛兵として仕え、同じところに暮らしていたが、数年前、外に家を借りてからは、リリィが外出する時以外はあまり近づくことがなかった。
独身女性が一人暮らしをしているのは正直言ってかなり珍しく、宮殿から出た時は、ガルバ伯爵に家に帰ってこいと言われたのだが、リリィと親衛隊の仲が微妙なせいでその親玉の伯爵のことも敬遠せざるを得なかった。
本当はみんな仲良く暮らせれば良いのだが、どうしてこんなことになってしまったのだろうか……暗い夜道を歩きながら、彼女がため息を吐くと、糸をひくように真っ白い息が風に飛ばされていった。
昼間はいろいろあった。城門までアーサー達を出迎えに行ったり……臆して逃げ出した後、自分の手芸屋でとっ捕まったり……世界樹で見つかったアンナは、その後大聖堂に匿われて今もそこに居る。ガルバ伯爵に親衛隊を黙らせるように頼んでおいたから、明日辺りからは普通に歩き回れるだろうが、アンナはすっかりへそを曲げていて、多分もう帰るまで大聖堂から出てこようとはしないだろう。
久しぶりに会ったアンナは背が伸びて小さな頃の記憶を手繰るのに苦労した。子供の成長は著しく、10年も経てばもはや別人と言っていいかも知れない。それでもどこか懐かしく感じるのは、彼女の顔に両親の面影を見つけたからだろうか。
会えばもっと責められるかと思っていたのだが、実際には何も言われなかった。尤も、話しかけてもくれなかったので、許してくれたわけではないのだろう。
その後、アーサーたちを交えて色々話し合ったのであるが……リリィに何か用事があったのであれば、その時にでも言ってくれればいいものを、こんな夜更けにわざわざ呼び出されたのはどうしてだろうか。リーゼロッテは首を傾げながら、言われたとおりに今の主人の元へと出向いていった。
「……では、アンナには何かが取り憑いてると?」
宮殿のリリィの部屋を訪ねると、彼女はすぐに人払いをしてから、リーゼロッテを近くに座らせ、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
アンナは聖遺物を手に入れた方法について嘘を吐いていたわけだが、昼間、そのことを彼女に問い詰めると、彼女は渋々、
「これは、5年前、ここで手に入れたの。聖遺物があれば、エルフと戦えると思ったから……その時、盗むような真似をしたから誰にも言えなかった」
そう言って謝罪した彼女のことをリリィが許したので、その話はそれで終わってしまった。
リーゼロッテは少々疑問にも思ったが、5年前ならまだ世界樹は稼働していたはずなので、アンナほどの能力者であればこっそり忍び込んで、それを手に入れることも出来たのだろう……実際、今日もそうやって忍び込んでいたようだし。そう思って、その時は納得したのであったが……
「恐らく、それも嘘じゃろう。何者かの入れ知恵がなければ、9歳かそこらの娘がそのような方法を選ぶとは考えにくい」
「確かに……」
彼女の言い訳を真に受けるなら、彼女はビテュニアで家出した後、汽車の通ってないアクロポリスまで何かしらの手段を用いてやってきて、誰にも見咎められず世界樹に侵入し、その後、国を出てフリジアへ向かったことになる。
アンナは確かに特別な子だが、精神年齢が極端に高いとかそういうわけではない。普通の9歳の少女がやれるような芸当ではないのではないか……
「余は目が見えぬゆえに、気配に敏感じゃ。特に、あの場では自分の能力が使えなくなるので、より集中して周囲の気配を探っておる……あの時、アンナは独り言だと言っておったが、明らかに何かと会話をしておった……そのような症状に心当たりがあるな?」
「勇者病……ですか」
「さよう。あの勇者の娘であれば、父親と同じ才能を受け継いでいてもおかしくはない。現に、そなたは父と似た魔力を受け継いでおり、勇者と同じ魔法を扱うことが出来たじゃろう?」
「はい。ですが、私はイルカを見たことがありませんよ?」
「その辺のカラクリはよく分からぬ。同じ勇者の娘と言えど、まったく同じ才能を発揮するとは限らぬということかも知れぬ。ただとにかく、アンナには何かが取り憑いているのはほぼ間違いないのじゃ」
「まいりましたね……」
「それから……アーサーが連れていた子供がおったじゃろう?」
「あ、はい! リリィ様がご自分の名前をお付けした子ですね。そんなに気に入られたのですか?」
「あれは恐らく、余と同じ聖女リリィの生まれ変わりじゃ」
リーゼロッテは目を見開いた。今日、世界樹でアンナを見つけたと知らせを受けて、大聖堂に行った時、突然リリィが子供たちに洗礼名をつけると言い出した。それは子供たちに信仰をもたせることで、各地で受ける差別を和らげてやろうという心配りかと思っていたのだが……
「あの子供はアーサーを世界樹の中まで連れてきおった。アーサー自身、世界樹の中に入る資格は持っている。じゃが、リズも知っておるじゃろう? 誰の手引きも受けなければ、普通は中に入ることは不可能じゃ。まして、余とアンナはその時、例の水槽の前におったのじゃから……あの子には、世界樹のカラクリが見えておるのじゃろう」
「それは、確かなのですか?」
「余を疑ってどうする。世界樹から出た後、取り戻したいつもの感覚で間違いないと感じた……口では説明できんのじゃが、あの子はかつて勇者から感じた雰囲気と似たものを持っておる。じゃから、もしかしてあの子も勇者と同じように、見えないものが見えてるのかも知れぬと思ってな、皆がよそに関心を向けている間に、こっそり聞いてみたのじゃ。アンナの周りに、何か見えぬかと」
リリィは一拍おいてから肩を竦めて、
「すると、今は見えないと言っておった」
「今は……ですか」
「つまり見えるときもあると言うことじゃろう。それが何なのかと尋ねてみれば、よく分からぬと言っておったが……これで余の疑念は確信に変わった。アンナには恐らく、かつて勇者病の者たちが見ていたイルカがついているのではないか……」
リーゼロッテは眉をひそめると、ゴクリとつばを飲み込んで、
「大変ではございませんか。すぐにでもアーサー様にもお知らせして、対策を練らなくては」
ところがリリィはそんな彼女を窘めるように言った。
「いや、それはならぬ」
「何故です!?」
「アンナがイルカのことを隠しているのは、それを知られたくないからじゃろう。なのに周りからどうなのかこうなのかとせっつかれたら、あの子はへそを曲げて逃げてしまうやも知れぬ。今、アーサーの元からアンナが居なくなることは、絶対に避けねばならぬ」
「確かに……では、どうすれば」
「そなたが、アンナに直接疑念をぶつけてみてはどうじゃろうか……恐らく、あの子は答えてくれぬじゃろうが、代わりにアーサーの元から逃げもしない。そなたがアーサーの元に居れば何度でもトライも可能じゃ」
それは暗に、リーゼロッテにアーサーの軍隊に参加しろと言っているようなものだった。結局、昼間アーサーは彼女に何も言わなかったが、きっと心のなかではそう思っていたはずだ。今日明日にも、彼は改めて彼女の参加を要請するためにやってくるに違いない。だが、彼女は未だに返事を躊躇っていた。
リディアへ行く……またあの恐ろしい場所に行って、あの二人と戦えというのか……リーゼロッテが返事を返さず口を噤んでいると、
「リズ……酷なことを言うが、そなたはアンナから嫌われておる。故にそなたが適任なのじゃ。あの子はリズに何を言われても傷つくことはないじゃろう、それならアーサーから離れていくこともない。もし、リディアへ行きたくないのであれば、そう言えばいい。アーサーはきっと無理に来いとは言わぬじゃろう……そう、これからはあの子らの時代なのじゃ。もう、そなたが他人の身勝手な期待など、背負い込む必要はないのじゃ。そなたは今までよくやってきた、今は自分のやれることをやればそれだけで良い」
「私がやれること……」
「アンナに疑問を抱かせることじゃ。あの子の父親に起きたことを話して聞かせてやりなさい。そうすれば、あの子は自然と何かおかしなことが起きていると感づくはず……それ以上のことをやろうとは考えなくとも良いじゃろう」
リリィはそう言って難しそうな顔をしてから……
「実際のところ、余にもさっぱり分からぬしのう……アンナが家出をしたのは5年前であったそうじゃ。聖遺物を手に入れたのもその時期。そして、小さなリリィが彼女の周りに現れたのも、世界樹の遺跡から余のスペアが消えたのも、みんなみんな同じ時期じゃ。偶然にしては出来すぎておるじゃろう」
「……5年前に何かあったのでしょうか」
「わからぬ……が、これらのことがどうしてアンナの周りで次々と起きたのか? 普通に考えて魔王の娘である彼女に、魔王が何かちょっかいをかけているように思えるのじゃが……イルカは聖遺物を与えてアンナに魔王と戦わせようとし、小さなリリィは魔王討伐を目論むアーサーのサポートをしておる……おかしいではないか。これではまるで、魔王が娘に自分のことを殺して貰いたがってるように見える」
だが、そんなことは考えにくい。何故なら、
「だとしたら、何故10年前、魔王はアナスタシアを殺したのか……かわいそうなリズを、こんなに怯えさせてまで遠ざけたのか。リズよ……10年前に残してきた宿題を、そろそろ片付けてはどうじゃろうか」
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翌朝。アーサーはいつまでも布団の中でグズグズしていた。
昨日、運良く剣聖との接触を果たせたはいいものの、この街に来た最大の目的である、彼女の協力を求めることはまだ出来ていなかった。親衛隊とのいざこざやアンナのことがあって、なし崩し的に後回しになってしまったが、今日こそは彼女にお願いにいかねばならない。
しかし、アーサーはこの期に及んで躊躇していた。昨日話した感じでは、彼女は魔王のことを恐れている。彼女が歴史の表舞台から消えていたのは、そんな彼女が魔王と戦うのを避けるためだったのだ。
もちろん、しつこく勧誘すれば、彼女はアンナの母親を巻き込んでしまったという負い目があるので、最終的には折れてくれるだろう……だが、そんな彼女を戦力として計算しても良いものだろうか。
嫌がってる人に無理矢理戦えと言っても、本来の力は発揮できないだろう。だったら、金で雇った兵隊を並べていたほうが遥かにマシかも知れない。しかも、あくまでマシというレベルであって、そんなのではとても魔王に勝てるとは思えない……
大体、剣聖があんなに恐れていると言う時点で、自分がどれだけ無謀なことをしているのかと、考えざるをえないのだ……
「坊っちゃ~ん! そろそろ昼ですよ。いい加減起きてくださいよ」
客室の扉がノックされ、外からエリックの声が聞こえてくる。どうしようかと迷ったが、アーサーは結局返事するのをやめた。ベッドの中には当たり前のように小さいリリィが潜り込んでいて、小さな寝息を立てていた。この状況が見つかれば、またロリコンだのなんだのとからかわれるに違いない。懐かれてるのは嬉しいのだが、それをエリックに馬鹿にされるのは腹が立つのだ。
それにしても、昨晩ちゃんと扉に鍵をかけたはずだが、この子はどうやって入ってきたのだろうか。疑問に思っていると、今まさにそのドアノブをエリックがガチャガチャやっており……
「ちぇっ……生意気に鍵なんかかけてらあ。俺なんて雑魚寝なのに……坊っちゃ~ん! 本当にそろそろ起きてくださいってば~! いつまでお客さん待たせるつもりですか」
お客さん……? だんまりを決め込むつもりだったアーサーは耳をそばだてた。
「リーゼロッテさん、店閉めてわざわざ来てくれてるのに、失礼ですよ~!」
アーサーはベッドから跳ね起きた。
ベッドから転げ落ちたチビがぐずつくのを何とか宥めすかしながら、アーサーは顔を洗って服を着替え、身なりを整えると、大急ぎで剣聖の待つという宿屋のロビーへと向かった。
リーゼロッテは昨日会ったときとは何となく違って見え、どこかさっぱりとした顔をしており、アーサーがやって来ると折り目正しく挨拶を交わしてから、ついさっきまで、彼がどう言うべきかと悩んでいた事柄を、彼女の方から話し始めたのであった。
「……すると、剣聖様は俺の旗揚げする討伐軍に参加してくださると?」
「はい。もとよりそのつもりで私に会いに来たのでしょう。なら問答は無用です」
まさかの相手からの願ってもない申し出に、アーサーは何と感謝すれば良いのか分からず言葉を探していると、しかし彼女は、それには条件があると言い出した。
「ただし、アーサー様。恐らく私は、あなたが期待しているような働きは出来ないでしょう。エルフと戦い、部隊を指揮することくらいは出来ますが、はっきり申し上げますが、私では魔王に勝てません」
「そ……そうですか。あなたが居れば、アンナの力になってくれると思ったのですが」
剣聖が漏らした弱気な言葉に、アーサーは唸ることしか出来なかった。どうやらリーゼロッテはまだ魔王に敗北した、過去のトラウマを払拭することが出来ずに居るようだ。となると、アンナとともに魔王にぶつけることは難しいだろう。
かくなる上は、アンナとアトラスを組ませるか、もっと別の魔法使いの登場を待つかしなければならないだろうが、そう都合よくそんなものが見つかるだろうか……
しかし、そんな風に新たな戦力に思いを巡らせているアーサーに対し、更に追い打ちをかけるかのように、彼女は続けた。
「ただ勘違いしないでください。私では魔王に勝てないというのは、私が弱気で言ってるわけでもなんでもなく、彼に敵うような人間がこの世に居ないと言うことなのです。多分、今のままアンナを魔王の元へ向かわせても、返り討ちにされるだけでしょう」
そして彼女は真剣な表情でアーサーの目をしっかりと見つめながら言った。
「それは、私とアンナ、二人がかりでも同じことです……恐らく、今のアンナでは私にすら勝てない。そんな彼女が魔王の相手をするなど、無謀も良いところなのですよ」
アーサーは絶句した。いつの間にか口の中がからからになっていた。彼は粘着く口の中を不快に思いながら、
「まさか……そんなことないでしょう。あなたは、アンナの強さを実際に見てないから、そんなことを言ってるのでは? あいつは本当に物凄い魔法使いなんですよ?」
「残念ながら、聖遺物を使ってる時点で底が知れてるのですよ……」
リーゼロッテは少し疲れたような遠い目をしながら、不敵な笑みを浮かべていた。アーサーはごくりと唾を飲み込んだ。
「まあ、信じたくないのはわかりますが、試してみればすぐにわかることですから……ですから、アーサー様、一つ提案がございます。私に、アンナを預けてみませんか?」
「……アンナを、預ける?」
「はい。魔王に勝てないと言ってる私にすら勝てないようでは、あの子がリディアに渡ったところで何も出来ないのは明白でしょう。ですから、彼女が私に勝てるようになるまで、あなたはリディアには渡らないと明言してほしいのです」
「それは、あなたの言うとおりにするしかありませんが……でも、よろしいのですか? あなたは、ただでさえアンナに恨まれてると言うのに、そんな敵みたいな真似をして」
「だからこそです。あの子は私相手ならば存分に力を発揮してくれるでしょう。そして勝てなければ、己の未熟を知り、少しは私の話を聞いてくれるかも知れません。あの子は、魔王を知らなければなりません。彼が何者なのか、何故戦うのか、その意味を真剣に考えなければ、恐らく魔王には近づくことすら出来ないでしょう……私と同じように」
「そう……ですか。剣聖様には、何か考えがあるようですね。わかりました。あなたが協力してくれるなら、願ったり叶ったりです。アンナの修行はあなたにお任せします。俺はその間に、もっと強い軍を組織するための努力をしましょう」
「お願いします」
二人はガッシリと固い握手を交わした。
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ところがどっこいしょ。
リーゼロッテを仲間に加えたアーサーは、翌日、アンナにその旨を伝えて、早速ビテュニアへ帰ろうと旅の支度をし始めた。来たばっかりでもう帰るのかと、エリックはぶつくさ文句を言っていたのだが……
ところがそんな時、一行は思わぬ足止めを食うことになる。
宮殿でシリル殿下と皇王リリィとお別れの挨拶を交わし、リーゼロッテの手芸店に集合した一行は、その手芸店を取り囲むように待ち構えていた親衛隊に出国を止められたのである。
しかし、アーサーはカンディア公爵。街にいる間くらいはルールに従うが、元々エトルリア皇国の人間ではなく、その行動を無理矢理阻害することは出来ないはずである。ましてや、他国の人間が国外へ出ようとしているのを止めるなど、人質を取っているようなものだから、下手したら戦争になってもおかしくない。
流石にこれには頭にきたアーサーが、一体、何のつもりだと激怒したところ、親衛隊は別にアーサー達を止めてはいない。止めているのはリーゼロッテ個人だと言い出した。
曰く、剣聖はエトルリア皇国の兵士であり、国防上の問題から、勝手な出国は許可できないのだという。
そんなこと寝耳に水であったリーゼロッテは、兵士になどなった覚えはないと、最初は相手にしなかったのだが、実際に彼女が署名した親衛隊の隊員証が出てきて何も言えなくなった。
彼女は本当に、身分的に皇国の兵士だったのである。
身に覚えがないと戸惑う彼女であったが、これにはちゃんとした理由があった。親衛隊が結成され、彼らが皇王の行動を束縛し始めた頃、リリィの窮地を救うべく、リーゼロッテは親衛隊と揉めたことがあった。
その時、ガルバ伯爵との話し合いの末に、アクロポリス内であるならば、リーゼロッテが護衛として付いていてくれるなら、リリィの行動の自由を認めると譲歩を引き出したのであるが、その際に彼女はリリィ付きの護衛兵として皇国軍に入隊したことになっていたらしいのだ。
そんなだまし討ちみたいな方法は卑怯であると抗議はすれど、よくよく思い返してみれば、譲歩を引き出した時に確かに伯爵と約束していたし、実際にこうして隊員である証が出てきてしまってはどうしようもない。
それじゃあ、親衛隊を除隊したいからと今更言っても、剣聖は現在アクロポリスの最強の武力であり、勝手にやめさせられないし、他国に奪われるわけにもいかないのだと言われ、遺留される始末であった。
開いた口が塞がらないとはこのことである。
それにしても、あれだけ邪険に扱っておきながら、出ていこうとしたら逆に引き止めるなど、親衛隊は恥ずかしくないのだろうか。もはや相手にするのも馬鹿らしく、夜逃げ同然に逃げ出してしまおうかとも思ったのだが、リリィが自由に出来たのは、リーゼロッテが居たからである。彼女が居なくなったあとのことを思うと、下手なことは出来ず、結局彼女の進退は議会で話し合われることとなり……結果、アーサー達は酷い足止めを食う羽目になった。一体何をやってるのだろうか。
しかし、議会で話し合ったところで、やはりガルバ伯爵率いる保守党の強硬な態度は変わらなかった。思いもよらぬ話であったが、この国は、実は本当に剣聖の武力に依存していたのだ。
皇国議会は現在、アスタクス・シルミウムの双方と距離を置いており、議会は排他主義を貫いていた。両国の代議員は肩身が狭く、特に影響力が強い者は国に強制送還すらされていた。当然、それが面白くない両国は再三抗議の使者を送ってきたり、時に武力をチラつかせたりして議会を元に戻すように要請していた。
それでも現在の保守党が強気で居られたのは、アクロポリス市民の支持と、皇家の存在、それから剣聖の名前があったからだった。冗談みたいな話であるが、実際にアスタクスもシルミウムも、剣聖と戦いたくはなかったのだ。彼女と戦えば、負けはしなくとも相応の犠牲を払わねばならない。それは先の大戦で学習済みだった。
ところが、この剣聖がアクロポリスから居なくなってしまったらどうなるか。アスタクスの方は、彼女が方伯が支援するアーサー軍に参加することから、手出しはしてこないだろう。だが、シルミウムは違う。彼の国は現在、王党派と共和国派に別れて内戦を行っており、つい数年前にはトリエルに侵攻してあの平和な国を滅ぼしてしまった。実際、何をするか分かったものじゃないのだ。
だからリーゼロッテが、ことが済んだらちゃんと帰ってくると言っても、議会は頑なな態度を変えなかった。敵の敵は味方であるから、いっそアスタクスに防衛をお願いしたらどうかと言ってみるも、元々そのアスタクスの影響力が大きくなりすぎたために、この国がこうなっているのだから、それは出来ぬと言われ、いたちごっこである。
議会を傍聴が出来ないアーサーは、毎日のように開催される議会の話を、その都度リーゼロッテから聞かされていたが、いつまでも許可が降りずホテルに滞在する日が長くなるにつれ、段々とこれは駄目かも知れないと思うようになってきた。
返す返すも残念ではあるが、エルフという人類の敵がすぐ目の前に迫っていると言うのに、結局人類の敵はまた人類なのである。剣聖の協力を得られないのは本当に痛いのだが、いつまでもこんな茶番に付き合っている時間は、アーサーにも、アスタクス方伯にも、人類にだって残されていないだろう。
この上は仕方ないとすっぱり諦め、剣聖抜きの方法を考えたほうが得策かも知れない。彼女はアクロポリスから出さえしなければ自由にしていていいわけだから、いっそアンナをここに残して、稽古だけ付けてもらうのはどうだろうか……彼女が素直に言うことを聞いてくれるとは思えないが、今のところそれが一番現実的な方法だと思えた……
その日が来るまでは。
それは議会とリーゼロッテの主張が平行線を辿り、収集がつかなくなった議会が公聴会を要請したことから始まった。議会は関係者を集め、皇国の立場を周知し、特にアーサーを説得するためにそれを行いたかったようである。皇国は剣聖を連れて行かれると困る立場であることを、彼に赤裸々に語ることによって、諦めてもらおうと考えたのだろう。実際のところ、アーサー自身も諦めつつあった。
ところが、その公聴会に当事者の一人として参加していたリリィが、リーゼロッテの処遇を話し合っている最中に突然キレたことで、話は思わぬ方向に転がっていったのである。
「いい加減にするのじゃっ!!」
それは公聴会で議員が皇国の背景と各国との緊張関係を、主にアーサーに聞かせている時だった。君臨すれども統治せずを地で行くエトルリア皇家は議会に影響力を持つことが許されず、従って、今日この時までリーゼロッテが足止めされていた理由を、大まかにしか知らなかったリリィは、初めてその正確なことを知ったのである。
そして彼女は激怒した。勝手な発言は慎むように言う議長の言葉を聞かず、
「黙って聞いておれば、大の大人が大勢集まって、何たる体たらくか! たった一人の婦女子のワガママも聞けずに、男が聞いて呆れるわ。しかもその女子に守ってもらうためにこんな茶番を繰り広げておるとは、そなたら男として恥ずかしくないのか! それでもピー玉ついておるのかぁーっ!! ……大体、リズが最強の武力であると言うなら、箱にしまってどうするっ! 今、戦わねばならぬ脅威が目の前にまで迫ってきておるというのに、そのエルフと戦わずして、我が国の最強の剣を大事に飾って眺めてるなど、愚か者のすることじゃ、恥を知れ、恥をっ!」
目が見えず、その武力とは最も縁遠いリリィのその勇ましい言葉に、その場にいた男たちが凍りついた。貴族とは騎士のことであり、領地を持たぬ彼らが何故騎士かと言えば、それは皇王を守るからだ。彼女はそんな雰囲気を知ってか知らずか、苛立たしそうに腰に佩いていた聖遺物を引き抜くと、皇家伝来のその剣を高々と掲げ、
「臆病者はこの場から去れ! そうでない者は心して聞けっ! エトルリア皇国の建国理念を思い出すのじゃっ! 我が国は世界最古の国家として、エルフの脅威から人類を守るために生まれた、聖女リリィの元に集いし騎士達の国である。世界樹から聖遺物という神の奇跡を授かり、魔法を駆使してエルフという人類の敵と戦ったのが、我らの先祖ではなかったか。それが今やってるこれはなんじゃ! 共に立つべき人類同士が争い、エルフと戦わずに済む理由ばかりを探している。これでは真逆ではないか!
エルフと戦わない皇国は皇国にあらず! エルフと戦わない騎士は騎士にあらず! 皇国はエルフと戦うために建国された国家、余はその長であるゆえ、人類救済に責任がある。ならば始祖、聖女リリィ・プロスペクターの名において、余はここに兵を挙げると宣言する! そなたらが戦わぬと言うのであれば、余が戦う。臆病者のそなたらは、そこでいじけて地べたに這いつくばって居ればよいわっ!!!」
リリィの突然の宣言に、議会が一瞬にして騒然となった。皇王は象徴であり力はないが、権威がないわけではない。彼女の言葉は、この国の者にとって重みがあった。だから、議会の穏健派は泡を食ってリリィを窘めた、このままでは、彼女の言葉を真に受けてしまう者が出てきてしまうかもしれない。
「皇王様、撤回してください。今の皇国にそのような兵を募る余裕はありません」
「その必要はない! さっきも言った通り、臆病者に用は無い。そなたらなぞ最初から当てにしてはおらぬから、安心するがよい。誰も来なければ、余は一人で行くまで」
「いい加減にしてください! 目も見えぬ、剣も振るえぬ皇王様が行ったところで何になります。我々にあなたのために死ねとおっしゃるのか。さあ、その剣をしまって、これ以上、議長の進行を妨げるのであれば、もうお城へお帰りください」
そう言って、剣を振り回して暴れるリリィを取り押さえようと、数人の男たちが公聴席の方へやって来た……しかし、そんな彼らの間に立ちはだかる影がある。
「あなた方こそ、お下がりなさい」
剣聖エリザベス・シャーロットがゆらりと彼らの前に進みでると、男たちは徒手空拳の彼女の迫力に押されて足が止まった。
「リリィ様が死ねとおっしゃったのです。死ねと言われて死ねないのであれば、端からそのような者など必要ありません。リリィ様が戦えないとおっしゃるのであれば、そのために私が居るのです」
「剣聖殿! あなたまでリリィ様を危険に晒すようなことを言ってどうするんだ」
「試してみますか? リリィ様の覇業を阻むものが居るのならかかってらっしゃい。私はあなた方の望みどおり、この国の意思をお守りいたします」
ふわふわと、周囲からマナが集まってきた。聖遺物も持たぬ者に、何故こんな芸当が出来るのか……リーゼロッテを取り囲む議員たちは驚愕した。
かと言って今更後にも引けなくなった。剣聖と言えども、武器を持たねばただの女だ。そう言わんばかりに激高した議員たちは次々と剣を抜くと、彼女を囲んで間合いを取った。たった今、彼女が居なければ国が攻め滅ぼされると、文字通り一軍に匹敵すると言っていた相手である。舌の根も乾かぬうちに、彼らはそれを忘れてしまったのだろうか。
どちらにしろ、このままここにいると巻き込まれるだろう……リリィと一緒に公聴席の片隅に居たアーサーが、せめてリリィをどこか安全なところにでも引っ張っていこうかと、こそこそ腰を上げたときだった……
「もういい。やめよう……!!」
一触即発の議場に、威厳のある落ち着いた声が轟いた。
その声に、リーゼロッテを取り囲んでいた議員たちが、はっとして振り返る。ガルバ伯爵は、騒然となる議会の中で、じっと自分の席から立ち上がること無く、腕組みをしながら事態の行方を見守っていた。
彼はリリィの発言を巡ってあちこちに散らばっていた議員たちをぐるりと見回すと、
「国を争いに巻き込まないように願う君らの気持ちは私と同じだ。だが、リリィの言葉も一理ある。そもそも、我々が争ってどうするのか。我々、保守党と皇国親衛隊は、皇国の権威を守るために組織されたものだった。リリィの言うとおり、エルフから逃げ回っておいて何が権威か……」
そしてガルバ伯爵は、はぁ~っと長い長い溜息を吐いてから、
「もう、この辺が潮時だろう……世間に公表はしてないが、アクロポリス市民は、みんなとっくに知っておるはず……ここ、アクロポリスの世界樹は機能を失っている。もう、我が国から聖遺物を生み出す力は失われてしまったのだ」
彼の言葉で議会がまたざわついた。はっきり言って、それは周知の事実であったが、公の場で語られることは初めてだったのだ。
「世界樹が聖遺物を作る機能を失ったことで、あの遺跡に入る意味がなくなった。つまり、そのための力を持つ皇家の役目も終わってしまったのだ……アクロポリスは世界の中心ではなくなり、ビテュニアへ移っていった。私たちは世界樹と共に、皇王の持つこの世界の王権を失いつつあった……だから、私は強硬な保守勢力を作り、皇国の権威を守ろうとしたのだ……
だが、果たしてそれで良かったのか。今みたいに、皇王の信念を曲げてまで、己の保身を考えてどうするのだ。私たちは親衛隊では無かったのか。皇王をお守りするのが役目ではなかったのか。
エルフと戦わない皇国は皇国にあらず。私たちはそのエルフと戦うための聖遺物だけでなく、勇気すらも失くしてしまっていたようだ。そんな体たらくで、何が権威か……
いや、始めから間違っていたのかも知れない。騎士が矜持を捨ててまで、守る権威などどこにある。寧ろ我々は取り戻さねばならない。その権威を、その矜持を。皇王が挙兵すると言うのであれば、私は全力でこれをお守りしよう。我々は思い出さねばならない。皇国軍はエルフと戦うために組織された、世界最古の軍隊なのだから」
まるで死刑判決でも受けたかのような、真っ青な顔をしながらガルバ伯爵がそう言うと、それを黙って聞いていたリリィが駆け寄っていって抱きついた。彼はそれを嬉しいというより、寧ろ煩わしそうに受け止めた後、彼女を優しく脇に退けてから、議会に集まった人たちに向けて、深々と頭を下げた。
その瞬間、議場は真っ二つに割れて、今までの沈黙がウソのようにあちこちで怒号が巻き起こった。リリィの主張に賛同するもの、反対するもの。シルミウムの脅威を説くものや、そもそも一銭にもならない戦争など真っ平だと明け透けに言ってのけるものも居た。
皇国議会を牛耳っていた保守党は、保守とは言ってもその守ろうとするものが、王か、国か、それとも自分かで始めから割れていたようだ。
アーサーはそんな白熱する議場の中でただ一人、まったく蚊帳の外に置かれて、遠巻きに小さくなっていた。とんでもないことになったと思いはすれど、結局は他国のことであるから、何をどうしていいか分からない。取り敢えず、当初の予定通り、リーゼロッテはアーサーに協力してくれる算段はついたようであるが……
それよりも、リリィは本当に、アーサーと一緒に魔王討伐軍を旗揚げしようと言うのだろうか?
議員たちがあまりにもだらしなくて、頭にきて口をついて出ただけではないのだろうか?
正直なところ、彼女が腰抜けと言った議員と同じく、アーサーもリリィが戦場で戦えるとは思ってはいなかった。だからそんな彼女が挙兵すると言っても、想像がつかなかったのである。
だが、そんなのは杞憂であったと、彼はすぐ思い知ることになる。
それから数日間、アクロポリスは国を挙げての大騒動となった。この時のリリィの演説は、瞬く間に世界中に広まって、彼らが思っていた以上に人々の心に触れたようだった。
そしてこれを機に、世界では対エルフ戦争への機運が形成され、アーサーの名前も知れ渡ることになる。
世界各地からリリィの呼び掛けに応じて、続々と有志が集まってくる……それはアスタクスやアクロポリスのみならず、ロンバルディアや、そしてシルミウムからもやってきた。
こうして世界はいよいよ魔王討伐に向けて、人類とエルフの最終決戦へと動き始めた。カンディア公爵アーサーは、その最高指揮官として、人々の心に深く刻まれつつあったのである。