人間の敵はまた人間
留置場の檻の中で、人間を何人も殺めたことがあるような殺伐とした目つきをした男が、月明かりに狂う人狼のごとく吠えていた。
「出ーしーなーさーいーよー! 私、なーんにも悪いことしてないんだからっ!」
男はその猛禽のように引き締まった二の腕で鉄格子を掴み、体全身を使うようにしてガタガタと音を立てて牢屋を揺らした。その膂力は凄まじく、建物ごと揺れてるのではないかと錯覚すら覚える。
「こらー! 看守ー! 聞いてるのー!? なんとかいいなさいよーっ!」
心なしか入ってきた時よりもその鉄格子が歪んで見えるのは、多分気のせいではないだろう。その鋭い眼光を浴びせられて平静で居られる者は少ないはずだ。暗闇で怪しく光るその瞳は、さながら飢えた獣のようである。
「ちょっと! さっきから黙って聞いてれば、あんまりじゃないの! こんな可愛い男の子を捕まえて、殺人鬼だの獣だの、好き放題言ってくれちゃって、プンプン!」
「だってなあ……キャプテンの行動にモノローグを当てるくらいしかすることが無いんだ。退屈なのだから仕方ないだろう」
「すぐ出してもらえると思ったのに、結構時間かかりますね」
「冤罪よ! 冤罪事件だわ! あんたたちも怒りなさいよ! このままじゃ私達、何をされるかわかったもんじゃないわよ!」
「勘違いなのは明白なんだし、証人も居るのだからいずれ出してもらえるだろう。大体、俺をこのまま拘置してたら国際問題だぞ。腹立たしいのはそっちの方だ。あいつら、俺がカンディア公爵だと名乗ったらバカでも見るような目つきしやがって。今に見てろよ、復讐してやる」
「坊っちゃん、変に度胸ついちゃいましたよね。昔だったらそれこそアトラスの役をやってたのは坊っちゃんだったでしょうに」
「はぁ~……やってられないわ」
唇を尖らせながら、アトラスがその場にドッカと腰をおろした。
アーサー、エリックとアトラスの三人は、アクロポリスに到着するや否や、皇国親衛隊なる憲兵に連行されて留置場に入れられていた。罪状は未成年者略取と皇王を拐かしたカド、及び市内での魔法使用による人的被害。要するに人攫いが、捕まりそうになったから、街で大暴れしたということになっていた。
取り調べではリリィを攫おうとしていたのではないか? と散々聞かれ、皇王拉致なんて無茶苦茶な、そんなわけないだろう、来たばっかりなのに……と反論しているのだが、まったく信じてもらえない。取調官はまるで想定する答えを予め決めてかかってるようで、こちらの言うことなど一切受け付けないと言った感じであった。
なんでこんな面倒なことになってるのかとも思うのであるが、誤解なのだから放っておいてもそのリリィがそのうち迎えに来るだろうと高をくくって、アーサーはそれほど焦っては居なかった。
「それにしても、確かに少し遅い気がするな。皇王様が証言してくださっているのだから、勘違いもクソもないだろうに。いつまで俺たちを留め置くつもりなのか」
「ほらご覧なさい、あなたもおかしいって思ってるんじゃない」
「せっかくのアクロポリスなのに、最初の食事が臭い飯なんて俺はゴメンですよ」
「そうだなあ……マイケルが居たら、もう少しなんとかなるかも知れないが」
「マイケルだって調理器具も火もないところで料理なんか出来ないわよ。ほら、わかったらあんたたちもシャキッとしなさい。さっきから私にばっかり声を張り上げさせて、ずるいじゃない」
「仕方ないな……これは官憲の横暴だー!」
「不当逮捕だー!」
「おまえらうるさいっ!!!!」
留置場の見回りをしていた看守がブチ切れて警棒で檻を叩いた。檻の中でキーンと金属が鳴リ響く音が乱反射して、ぐわんぐわんと三半規管が揺すぶられる。
「こ、こら! なんてことするのだ。目が回る」
「留置場では静かにしろと言っただろうが、バカどもめ……この中にエリックという男はいるか?」
「エリックは俺ですが……あ、いや、タンマ。やっぱこっちの目つきの悪い方がエリックで」
「ふてぶてしい囚人どもめが……伯爵。彼ですか?」
エリックが渋々名乗り出ると、すると看守は背後に居た人物に面通しを促した。主人のアーサーではなくエリックを指名するとはどういうことだろうかと思っていたら、エリックがやって来た男の顔を見て、
「あれ? ガルバ伯爵じゃないですか。お久しぶりです」
「……間違いない。彼がエリックだ」
やって来た男、ガルバ伯爵はエリックの顔を見るなりそれが本人であると肯定した。男が何者かは知らないが、伯爵とはまた偉い知り合いが居たものだと、アーサーは自分の従者の顔の広さに舌を巻いた。しかしこの二人、どことなくよそよそしく感じるのは何故だろう。
ともあれ、この面通しが行われたことで、アーサーの身元の確認が取れたらしく、
「……では、あなたは本当にカンディア公爵なのですか?」
「最初からそう言っているだろうが。なんだ、本気で信じていなかったのか?」
看守は引きつけでも起こしたような渋い顔を見せると、実に嫌そうに留置場の扉を開けてアーサーたちをようやく外に出したのであった。
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留置場から出してもらえたアーサー達は、その足でサンタマリア宮殿へと通された。皇国親衛隊なる兵隊たちは、アーサーがカンディア公爵だと判明した後も不服そうな感じで、非を認めても謝罪はしなかった。
なんとも不愉快な連中だなと、不快に思いはすれど、腹が立つよりは得体の知れなさのほうが勝っていたので、特に文句は言わなかった。君子危うきに近寄らずである。
エリックが言うには、以前来たときにはこんな連中は居なかったそうで、魔王が誕生したせいで情勢が変わって、皇国もまたおかしくなっているのだろうと、他人事みたいな感想を述べていた。いや、実際に他人事なのだから当然なのだが……
そのエリックと知り合いのはずのガルバ伯爵は、アーサー達を牢屋から出したらすぐにどっかに行ってしまった。懐かしいはずのエリックは、それを残念がるというよりは、寧ろホッとした表情を浮かべていたので、この二人はよほど反りが合わないのだろうか。理由を聞けば大昔に説教をされたことがあるらしく、エリックは彼を苦手としているそうだった。
アーサーたちが宮殿まで案内されている間も、街はどこか物々しく、ひっきりなしに憲兵や親衛隊が走り回っているのが見えた。一体何をしてるのかと思えば、彼らはアンナを探しているらしく、城門で騒ぎを起こした犯人として追っているようだった。
はっきり言って濡れ衣もいいところで、すぐさま抗議したいところだったが、単独で抗議してもまた捕まるのが落ちだろうから、先程のガルバ伯爵なり、皇王なりに事情を話してなんとかしてもらうしか無いだろう。まあ、何しろアンナだから、放っておいても捕まるようなヘマはしないだろうが、かわりに本来の目的である剣聖との会談に支障を来してしまうので、これも早く何とかしたかった。尤も、その剣聖もアンナに会いたくなくて逃げ回ってるそうだから頭が痛い話なのだが。
すれ違う町の人々は不安げで、みんな窮屈そうに暮らしている。アーサーは領主として、領民がこんな顔をするようになったらおしまいだなと肝に銘じながら、古式ゆかしい石造りのサンタマリア宮殿へと足を踏み入れた。
「いやあ、すまなかった。まさか公爵が留置場に入れられてるとは、リリィから話を聞いて肝を冷やしたよ。これも全て我々の不手際、私からも謝罪しよう。すまなかったね」
何しろ、ついさっき捕まったばかりだったので、またいけ好かない奴が出てこないかとヒヤヒヤしたが、宮殿でアーサー一行を出迎えてくれたシリル殿下は、陰気な親衛隊とは違って愛想のいい初老の男性だった。
アーサーは差し出された手を握り返すと、ホッとしながら、
「気にしないでください。我々もお忍びで来たので、殿下を煩わせることは本意ではなかったのです」
「そのようだね。公爵がいらっしゃると聞いても、最初は冗談かなにかと思ったよ。それで対応が遅れたのだ。重ね重ね、すまなかったね」
どうやら解放が遅れたのはそれが理由だったらしい。
アーサーは剣聖と対面するのが目的だったので、はじめから公人としてアクロポリスに訪問するつもりはなくて、身分を隠して入国していた。だから取調官にいくら自分の正体を晒しても、なかなか本当だとは思ってもらえなかったのだ。
尤も、確かに身分を隠して入国したのは不手際だったかもしれないが、それでも剣聖と皇王はアーサーの身元を知っていたのだ。その皇王がアーサーはカンディア公爵だと言っているのだから、普通に考えて、信じない理由はないだろう……
ところが実際のところは、親衛隊はリリィの言葉を全く信じてはくれず、彼女が泣きながら宮殿に戻り父親に助けを求めて、そのシリル殿下がこれは一大事と、更に弟のガルバ伯爵に伝えたことで、ようやくアーサー達の身元が判明し、解放されたというのが事の顛末だったのだ。
そりゃ、それだけたらい回しにされていたら遅れるだろう。どうしてそんなまだるっこしいことになってしまったのだろうか。わけがわからないとアーサーが首を捻っていると、リリィが実に悔しそうに目尻に涙を浮かべながら言うのであった。
「余はあの者たちに軽んじられておるのじゃ。いくら言っても余を子供扱いして、話をまったく聞かぬ。親衛隊とは名ばかりで、己の保身と権威しか考えぬ、いつも偉そうでいけすかない連中なのじゃ」
その言葉が彼女に似合わないくらい辛口で、アーサーは目を丸くした。よっぽど腹に据えかねているのだろうか、見ればリリィの拳が振るえている。
アーサーは、皇王はこの国どころか世界で最も偉い人物だと思っていたので、どうして彼女がそんなことを言い出すのかチンプンカンプンだった。
その空気を察したのか、シリル殿下が困ったような顔をしながら、大雑把にその理由を教えてくれた。
「君臨すれども統治せず。皇王はアスタクス、ロンバルディア、シルミウム、トリエルを統べる王であるが、統治権はそれぞれの方伯が持っている。それと同じように、ここアクロポリスの政治も皇王ではなく、議会が全て決めているのだ。その昔、世界が一触即発の事態に陥ったとき、時の皇王は世界樹の力を私的に利用した。そのせいで世界戦争になりかけた反省を踏まえて、それ以来皇室は政治に口出しせず、議会がこの国の政治を執り行うようになっているのだよ。今まではそれで上手くやって来たのだが……」
ところが、先の大戦後、魔王が登場したり、前皇王が若くしてこの世を去ったことから、色々と歯車が狂いだしたらしい。
「私の弟ガルバ伯爵は、前皇王ジャンネットを崇拝していて、その娘であるリリィに並々ならぬ愛情を注いでいたのだよ。ところがジャンネットが亡くなってからは、その過保護が少々度を超えてきて、リリィが歩く場所なら小石一つすら見逃さぬといった感じに、監視じみた警護を始めてしまった。そして出来たのが皇国親衛隊なのだが……」
「……失礼ですが、それを聞いた限りでは、皇王様が軽んじられる理由がわからないのですが」
「公爵の言うとおり、初めはそんなでも無かったのだよ。ただ、行き過ぎた愛情は束縛を生む。リリィの身を案じて先回りして露払いをしているうちに、親衛隊はやがてリリィの行動自体を縛り始めた。スケジュールを管理して、その通り動いて貰った方が警護する側は楽であるからな。その他にも、まあ、身内の恥のようで言いにくいのだが、皇国内の椅子取りゲームのようなものがあってね? 皇王の権威は利用するのに役立ったのだろう」
なんだかきな臭い話になってきてしまい、アーサーはこれ以上聞いても良いのだろうかと、若干引き気味に相槌を打っていたのだが、よほど話しやすかったのだろうか、シリル殿下は相手がカンディア公爵だと言うことも忘れて、ベラベラと皇国の内情を愚痴り始めた。
それによると、皇国内がおかしくなっていったのは、先の大戦後のことだそうだ。
先述の通り皇王にはこの国の統治権が無く、周辺の国々から代表を出し合って、議会で政治を決定する政治体制を取っている。そのため議会は各国の思惑が交錯する魔窟となっていたが、先の大戦までこの議会を牛耳っていたのは、主にシルミウムの議員だった。
ところが戦後、戦犯国であるシルミウムの議員は信用が失墜し勢力を削がれ、逆にアスタクス系の議員が幅を利かせるようになってきた。この頃のアスタクスと皇国は蜜月状態で、大抵のことがアスタクス方伯の意向で決定した。シルミウムの議員はさぞかし面白くなかったことだろう。
そんな時、魔王が登場し、アスタクス南部が戦場になると、その隙を突いてシルミウムの不満分子がクーデターを起こした。これによって発足したばかりのシルミウム共和国は分裂し、王党派と共和国派に別れて内戦が勃発。隣国のトリエルを巻き込んで、血みどろの内部闘争を繰り広げた。
統制権を誰が保持しているのかよくわからなくなってしまったシルミウムは、このドサクサに紛れて賠償金の支払いを拒否し、更に共和国派は戦時特例ですでに流通していたシルミウム貨幣を大量に発行してしまう。
この行動によって大損を被ったアスタクスは激怒し、議会を通じて再三抗議したものの、方伯が兵を動かせないことを見越していたシルミウム議員はのらりくらりと交わしては、アスタクスの怒りを買っていた。
そんな時に、先皇ジャンネットが崩御する。生まれつき体が弱かった先皇は、魔王の出現によってヒール魔法が使えなくなってきた頃から体調が優れず、あれよあれよという間に弱っていき、あっけなくこの世を去った。
皇国は一時的に悲しみに包まれたが……喪が明けて現皇王リリィが即位すると同時に、アスタクスとシルミウムはその王配を巡って身勝手な争いを始めるのだった。
これが面白くなかったのは、古より皇国に仕えていたアクロポリスの都市貴族たちである。特に、皇王の叔父であるガルバ伯爵はリリィを溺愛しており、皇家の都合など省みず、頭越しにリリィの縁談話を始めた両国に、次第に不信感を募らせていった。
議会の言うことを聞いて、外から配偶者を求めた結果、何が起きたか。シルミウムはその権威を利用してオクシデントに兵を進め、これを侵略しようとした。今また同じようなことが起きようとしている。こんなことが許されてたまるか。
ガルバ伯爵の主張は多くの人々の賛同を得た。そして彼は皇国を中心とした政治を目指す保守政党を作り上げ、徐々に勢力を伸ばしていった。アクロポリス市民は、言うまでもなく皇王を慕っており、外からやってきて勝手な振る舞いをするアスタクスにもシルミウムにも、そろそろ我慢の限界が近づいていたのである。
結果としてガルバ伯爵の保守政党は皇国議会の最大派閥となり、皇国の政治は皇王の権威を明確にする方向へとシフトしていく。伯爵は皇国親衛隊を作り上げ、アスタクスやシルミウムなどの他国の意見を排除し、皇国を中心とした国造りを始めた……かに見えた。
ところが、それは次第に皇王の権威を利用した、保守派議員の専横へと繋がっていったのである。
「余は争いは好まぬ。であるから、お互いの頭が冷えたら、また各国が協力しあって平和な国造りをしてくれれば良かったのじゃ。しかし、あの者らはそれが気に入らん。一方的に排他主義を進め、それに反対する余の意見すらも封じ込めるようになったのじゃ」
こうしてガルバ伯爵の派閥は、皇国親衛隊の武力をも使って、反対意見を封じ込め、他勢力の力を削いでいった。アクロポリス市民は、初めこそ彼らに協力的だったが、次第にその偏った思想に反感を強めていった。しかし、それを表に出そうものなら、どこからともなく親衛隊がやって来て、反乱分子として連行されるのである。
徐々にファッショ化していく国内を憂えたリリィは、なんとかしようと奮起するが力及ばず、国内の有力議員はみんな親衛隊を恐れて彼女の話を聞いてくれなかった。彼女が出かけていく先にはいつも親衛隊が待ち構えていて、彼女のことを封殺したのだ。
皇国親衛隊は、親衛隊とは名ばかりに、皇王の行動まで制限しはじめたのである。
「そんな余を助けてくれたのはリズじゃった。あの者は、アナトリア帝国崩壊後、人々を救うために動いていたようじゃったが、アスタクスのリディア奪還作戦に失敗し、世間から逃げるように余の元へと帰ってきたのじゃ。元々、リズはこのサンタマリア宮殿で育ったからの」
「そうだったんですか?」
「勇者……今の魔王を慕ってリディアに渡る前は、余の付き人だったのじゃ。リズは作戦失敗後、リディアで相当酷いことがあったと見え、ここへ帰ってきてからも元気を無くして引きこもっておった。しかし、余が窮地に立たされているのを見るや、親衛隊との間に入り、暴力でもって余の行動を制限するのであれば、リズも暴力で返すと言って、あの者らから譲歩を引き出したのじゃ。それ故、余はリズと一緒であれば、このアクロポリス内は自由に歩き回れる。であるが、ひと度リズと離れると、すぐにあの者らが邪魔をしに現れてのう……」
以上がアーサーたちがアクロポリスに到着するなり、いきなり逮捕された経緯だそうである。アーサーは留置場の中でのんきに構えていたが、もしも身元が判明しなければ、長期勾留されていた可能性もあったらしい。彼は空いた口が塞がらなかった。
アスタクス方伯も憂えていた通り、この世界はエルフの脅威から目を背け……いや、寧ろそれすら利用して、人間同士で争い事を続けているようである。こんなことで、人類があの魔王に勝つことが出来るのだろうか……
アーサーは暗澹とした気分で皇王との会談を過ごした。